・・最後の入院


1999年12月6日・・・・・入院一日目

朝起きたとき、父がとても具合が悪い、病院へ行きたいと訴える。昨日から まったく尿が出ておらず、倦怠感もピークに達していた。
電話を入れてから母と妹が付き添い病院へ。私は午前中仕事へ行き事情を 話して早退し、病院へ急ぐ。
診察の前に腹部エコー。血液検査。父は不安そうに用意された車椅子でじっと 待っていた。

検査が終わると主治医に私だけこっそり呼ばれる。 多発性肝転移、閉塞性黄疸、腹水貯留とかなり状態が悪い。 できるだけ自宅でという私達家族の意向があるので、このまま連れて帰っ ても良いが、2〜3日しかもたないかもしれない。

入院を望むならベッドを用意する。ただし、入院したらもうこのまま 自宅へは帰ることはできないだろうという説明を受けた。

私は苦しい決断をしなければならなくなった。

最後まで父を自宅で過ごさせてあげたいというのは母の強い願いだった。
父の大好きな家にもう一度連れて帰りたい。

けれど、父を連れて帰ったら、腹水でパンパンに腫れたお腹でどんなに苦しむ ことになるのか。

しかも父を自宅で看取ることになったら、死後、遺体を病院へ運んで主治医に 死亡診断書を書いてもらわなくてはならい。 “父の遺体を診断書をもらう為だけに病院へ運ぶ。”
私にはそんな悲しいことはできない。迷った末、入院し、とにかく父の苦痛を少しでも、 緩和することを選んだ。

とりあえず、4人部屋のベッドへ。早速,、利尿剤の点滴を始め、少し尿が出始める。


★★ 待合室での父のつぶやき★★

酸素吸入を受けながら車椅子で待っている患者さんを見て・・・

父 「 ほら、見てみろ。かわいそうに苦しいんだろうな。先生早く診てやれば いいのにな。 あの人に比べたら俺なんか軽いほうだよな。」

私 「ほんとだね。みんな大変だよねぇ・・・・・。」

私の心の声 「何言ってんのよ。あんたが一番大変なんだよぉ!!」


父への病状説明・・・肝臓が弱っていて、黄疸が出ていること、栄養不足の ため、腹水がたまっていること。利尿剤を使って腹水を減らし、薬と安静で 黄疸の治療をするため、入院治療が必要である。

1999年12月7日・・・・・入院二日目

母は、朝6時には病院へ。今日は、尿が5回も出た。が、相変わらず腹水は多く ガリガリにやせ細った父のお腹だけが異様に膨らんでいる。

●松本先生へのDM --父入院しました--

10日ほど前から、黄疸が出て、昨日の朝、ついに具合が すごく悪いから、病院へ連れていってくれと父が言いました。
エコーと血液検査、打診などで、もういつ逝ってもおかしくない 状態と言われました。 腹水が急速に溜まり始め、昨日は朝から尿がでませんでした。
主治医から入院するか連れて帰って、自宅で最後まで看取るか 選択を迫られました。 父の苦しみが少しでも軽くなる処置ができるなら...と思い、 入院を選びました。

血液検査では、1ヶ月以上前から、肝機能が落ち、黄疸の数値は 上昇しつづけていたのだそうです。
黄疸に対する処置はないといわれました。 利尿剤を使って、腹水の減少を促しましょうという治療しか できないのだそうです。
父は、うつらうつらする時間が多いですが、まだ、しっかりと 話ができ、冗談も言えるし、食事も自分で摂っています。 けれど、全身黄色く、お腹はきのうよりさらに膨れています。 利尿剤の点滴(アルブミン?)で、尿は出るようになりました。

主治医によると、2〜3日かもしれないし、まぁ週単位で 考えられるかどうかという説明です。
このまま、眠る時間がだんだん多くなって、自分で死を意識 することなく、静かに逝かせてあげたいです。 でも、ほんとうにもう父の今のつらい症状を緩和する方法は ないのでしょうか。

入院を選んだことは間違いだったのでしょうか。



●松本先生からの返信(抜粋)

この段階では、何がよくて、何が間違い、ということはありません。

まゆりんさんが、お父さんのことを最優先でお決めになったこと。 このことで悩むのはさけたほうがよいのですが、むずかしいですね。

  つらいですが、悩みとともに、残された時間、できるだけおそばに いらっしゃること、一緒に考え、できることをしてさしあげることが 一番大切ではないでしょうか。少しでも苦しみが和らぐよう、まゆりんさんの 気持ちが伝わるよう、願わずにはいられません。



●ML(メーリングリスト)への投稿 --最後の入院です--

---省略---

黄疸の治療は、ないのでしょうか。 初めの診断の説明の時は、黄疸が出れば、対症療法と してではあるが、治療をするという説明を受けていたのです。 すでに、その時期は逸しているということなのでしょうか。

最後まで家でという、母の思いを考えると、入院という 選択が間違いだったのではと、苦しい思いでいっぱいです。

私は、逃げたのではないでしょうか。 父が通らなければならない、苦しみを何もせずに見ていること が、耐えられないだけなのではないでしょうか。



●吉田先生からの返信(抜粋)

そんな風にご自分を責めることはありません。自宅で最後をという方針が、 あまりに先験的に「善」とされていると思います。

調子が悪いときには、入院環境で過ごされる方がご本人にとってはよほど 心強いかも知れません。何よりお父さん自身が入院してほっとされているか どうかが優先されると思います。



1999年12月8日・・・・・入院三日目

母は毎朝真っ暗なうちから家を出て病院の父のところへ向かう。一日中 父のそばにつきっきりで、片時も離れようとしない。食事を少しでも食べると ほんとうに母はうれしそうで、母の喜ぶ顔を見てまた父も頑張るという感じ。

私も妹も昼休みにはコンビニでおにぎりを買い、父の病室に行き一緒にお昼を 食べた。私の友達があたたかいお弁当を作って持たせてくれたりし、ほんとうに 苦しい時に人の暖かさが身にしみた。

父も入院したことで気持ちが落ち着いたようで、入院させてもらってほんとうに 良かった、楽になったと喜んだ。検温や回診の時はニコニコと笑顔で先生や 看護婦さんと話し、大丈夫です・・・というのが口癖だった。 「苦しい時は苦しい、痛いときは痛いって言いなさいね!」といくら 言っても、全然だめ。痛いだるいと私達には言うのに、先生や看護婦さんには 言わないのだ。


1999年12月9日・・・・・入院四日目

抗生剤の点滴が効いてきたようで、増多していた白血球の数値が少し下がる。
胸部X線では、肺転移は認められず、少し安心する。


●松本先生へのDM --父は笑っています。--

昨日はとても状態が悪かったのですが、排便が 2回もあり、尿量も少し増えたせいか、今日は少し持直した 感じです。
私がそばについていた3時間あまり、しっかりと起きていて、 私の話に声を上げて何度も笑っています。

母にも、長期戦になるかもしれないから、あまり無理をするなと 声をかけ、「 俺なんか軽い方だ。もっと大変な人がたくさん いるよ。」 などと言ってました。
食事はお腹もはっているので、あまり食べませんでしたが、 大好きなお饅頭をうまい、うまい、と言って食べました。

あのまま、家へ連れて帰っていたら、パンパンに張ったお腹で どんなにか、苦しんだことでしょう。 今日の父を見ていたら、たとえ、一時凌ぎでも、入院治療を 選んで良かったのだと思いました。
無意味な延命ではなく、 苦痛を緩和してほしいという私の思いを父も母もわかってくれ ると思うことにします。

先生、ほんとにありがとうございます。 まゆりんにとって、かつてない激動の1999年ももう残りわずか です。
父が2000年を見ることができるかわからないけど、 こうして、見ず知らずの私をサポートして下さる方たちに、 甘えさせてもらいながら、がんばりますね。 明日も父の笑い顔を見ることができるように祈って 今日は、もう寝ます...疲れちゃいました。 おやすみなさい。



●松本先生からの返信(抜粋)

お疲れさまです。まゆりんさんも、休める時は休んでくださいね。 おかあさま始め、みなさんでがんばるしかありません。

今日という日も昨日からみれば明日です。毎日を大切に。 また困ったことがでてきたら、相談にのせてください。 愚痴でも嘆きでもよいですよ。



1999年12月10日・・・・・入院五日目

母の妹である叔母が熊本より助っ人にきてくれた。母、私、妹が心置きなく 父の看病ができるようにと、子供達の世話をしてくれるというのだ。
叔母は父も母も頼りにしており、いつも力になってくれる。

叔母がきてくれたことで、私や妹もどれだけ元気が出たことだろう。
父も目をうるませて喜び、母も少し元気を出してくれた。そして、総勢5人の子供達も 叔母のおかげで寂しさをまぎらわすことができた。


●MLへの投稿 --腹水減りません。--

月曜日に入院してから、4日目になりましたが、なかなか、 腹水は減らず、ますます増えているようです。 すでに、4日間で体重が1.5キロ増えて、お腹はパンパン です。
アルブミンの点滴で、尿は出ていますが、尿で排出しても 追いつかないくらい、腹水は増えています。
あまり苦しかったら、穿刺して抜きましょうといわれていますが、 我慢強い父ですので、「いやぁ、大丈夫です。」 などど言っています。

胸部レントゲンは、問題なく、抗生剤の点滴がきいて、白血球 の数値は下がってきているそうです。
ただ、今日は、微熱が出ています。37度8分くらいです。 癌性腹膜炎という状態なのでしょうね。
父は厳しい状況にもかかわらず、自分の死が間近であるとは 少しも思っていません。 入院して、治療してもらって、本当に良かったと言っています。

願わくば、次第に意識が朦朧として、自分の死を自覚しない まま、静かに逝かせてあげたいとそれだけを思います。 アドバイスや、励ましをくださり、ありがとうございました。 もう少し、気を強く持って最後まで頑張ります。



●高田先生からの返信(抜粋)

まゆりんさんのお気持ちは分かります。
でも....、僕はいつも、その逆を考えています。

人間とは?という問いかけから、人は死ぬときに大きな学びを得るのではないか。 人は自分の死を自覚した時から急激に進化し、新たな境地、新たな世界観などを 持つことができるのではないか。等と考えています。

おそらく、人生で最も苦しい体験かも知れませんが、逆に自己を昇華する最も 素晴らしい体験となる可能性を秘めているように思います。そう信じることで 自分自身、患者さんの死を最大限に尊重していくことの理由付けとしているだ けかも知れませんが....。



1999年12月11日・・・・・入院六日目

血圧、体温ともに安定している。食欲はあまりないが、なんとか口から 食事を摂る。

この日の父と私の会話

「おい、先生は今度は肝臓が悪いって言ってたな。ということは、
俺は肝臓ガン
なんだな。」

「先生は肝機能が悪いって言ったんだよ。それにもし、肝臓ガンなら 内科じゃなくて、外科でとっくに切腹(手術)でしょ。」

「ああ、そうかぁ。よし、わかった。俺はどうすればいいんだ?」

「肝臓が弱ってるととにかくだるいでしょ。栄養とって安静にするのが 一番の治療なんだからね。 」

「よし!わかった!」


父は自分の状態がただ事でなないということを十分承知していたと思う。
父は主治医の説明には、はいはいとうなずき、決して質問をしたり、つらさを訴える ということをしなかった。主治医が部屋を出ると、必ず私に説明を求めた。

父はとても素直な人で人を疑う事を決してしない。けれど不安でいっぱいだった のだ。私のいうことを必死に信じようとしていたのだろう。



1999年12月12日・・・・・入院七日目

このころの母は精神的にもボロボロで、とにかく片時も父のそばから離れようと しなかった。そして、回診に主治医がみえると、「まだ、自分でトイレに行くんですよ。」と うれしそうに報告する。

「まだ・・・できる。」という言い方はだめだよと注意したけど、母の気持ちを思うと きついことを言ってしまったと反省した。

看護婦さんも 「○○さんのご家族はみんなほんとうに良くやっておられますね。 奥さんもさぞかしお疲れでしょう。がんばってください。」と母に声をかけてくださり そんな言葉がけが疲れた母の心をどれだけ癒してくれた事だろう。


1999年12月13日・・・・・入院八日目

●MLへの投稿 --父がんばっています。--

父の生きるという執念はすごいです。
こんな状態になっても、自分は死ぬような病気ではないと信じていて、 家族に感謝し、俺よりもっと大変な人がいると、同室の患者さんを 気遣っています。

主治医も、ナースも私たち家族の気持ちをわかっていてくださり、 父が希望を失わないように、苦しまないように、できるだけ、静かに 逝かせてあげることに理解を示して、励ましてくれます。

父は、ガンという病気のせいで死んでいくのではないと私は思います。 父が願っていた、自然死という、父に決められていた寿命を全うするの だと思えてきました。

こんなぎりぎりの状態になっても、人を気遣い、家族に感謝し、そして、 笑い、冗談を言う父を心から誇りに思います。






 
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