・・最後の入院 -- 2 --


1999年12月14日・・・・・入院9日目

朝9:30より、 穿刺して腹水を抜く。2000CC

腹水を抜いたことで、腹部の膨満感が少しおさまり、わずかながら食欲が出る。 昼食におでんが出たのだが、以前から好きだった卵を食べ、とてもおいしかったと 喜んだ。

夜、発熱。かなりぐったりし不安感強まる。

母がはじめて病室に泊まる。


1999年12月15日・・・・・入院10日目

MSコンチン(痛み止め)以外の薬を点滴で投与することになった。痛みのほうは やはり、時折ひどく痛むようで、スポット的にボルタレン座薬を使う。

病院の食事はあまり手をつけない。アイスクリーム、おだんご、カロリーメイト、 バナナ・・・とにかくなんでもいいから父が食べられるものを必死で探した。

父の病状は悪いながらも安定していたが、 痛みと強い倦怠感、そして父を苦しめ ていたのは、身体中の痒みだ。 肌はものすごく乾燥していて、肝機能障害による 痒みなので、それはもう異様なほど痒がり、一日中母が父の身体をそっと 掻いていた。


1999年12月16日・・・・・入院11日目

叔母が明日熊本に帰るため、母を早めに家へ帰し、妹と私のふたりで 夜遅くまで父のそばについていた。父はウトウトと眠ったり、時々目を 覚ましたりの繰り返しで、父が目をさますと、妹とふたりいろんな話を して、父はそれをニコニコとうれしそうに聞いていた。時折父も会話に 参加し、俺はいい娘を二人も持って幸せだと何度も言ってくれた。


1999年12月17日・・・・・入院12日目

朝まだ暗いうち、いつものように母が病院へ行く準備をしていたら病院から 電話が入った。びっくりしたが、夜中に父が暴れて家族を呼んでくれと言って いるからすぐきて欲しいということだった。

母と私と2人であわてて病院へ行くと、夜中にひとりでトイレにいこうとした父が 間違えて病室の窓際に用を足してしまい、そのことに気がついた父が ショックを受けて母を呼んで欲しいと頼んだらしいのだ。

ベッドのそばにポータブルトイレを置いてはいたが、父はやはりトイレに 行きたかったのだ。主治医に個室に移してもらえるようにお願いした。

午前中、叔母を駅へと送る。叔母の乗ったバスが見えなくなるまで手を振り 通る人にジロジロ見られるほど、涙がボロボロ流れて止まらなかった。

モルヒネ静注投与開始。 点滴が24時間はずせないことを聞き、父はショックだった ようだ。


1999年12月18日・・・・・入院13日目

午後ようやく個室に移る事が出来た。これで、24時間誰にも気兼ねなく 父のそばについていてあげることができるし、母もソファーベッドで 休むことが出来る。

個室に移ったことで、張り詰めていた父の気持ちが切れてしまったようで、 誰の顔を見ても泣く。孫達の顔を見てはポロポロ泣き、妹の夫や、私の夫 の手を握り「とうとう点滴でつながれてしまったよ。」といって手を握り オイオイと泣いた。父の言葉にならない悔しさがあふれる涙となって とめどなく流れた。


●父上の看護をしている方にあてたメール

私も父に残された時間の短さを思い、明日が来るのを 恐れながら過ごしています。
モルヒネも、静注で、24時間の持続点滴となり、舌が真っ赤に荒れ、 経口での食事が困難になりました。

眠ったり、覚醒したりの繰り返しですが、黄疸も進み、思考力も 低下してきました。
けれど、痛みのないことは救いです。主治医は、モルヒネの限度量を 無視して使っていることを何度も強調していますが.....。 Mさん、お父様との貴重な時間をどうか、濃密に過ごせますように。
お父様が少しでも心残りなく、旅立たれるように、がんばりましょう。
告知をしていない私たちには、父への別れの言葉を言うことができません。 けれど、父の場合はやはり、これでよかったと思っています。 これが、父の希望の生き方だったと今は思っています。


●MLへの投稿  --父泣きました--

今日、やっと個室が空き、移ることができました。
トイレに行くのも困難になり、ポータブルトイレを使い始め、同室の人に ひどく遠慮していた父ですので、個室に移ることは、父の気持ちにもよかった ようです。
母もソファーベッドで眠れるので、安心して泊まることができます。

夕方、私の夫が来ると、父がいきなり、夫の手を握り締めて、ポロポロと 涙をこぼし、点滴につながれてしまった、悔しい悔しいと、泣きました。
私の手も握り、おまえが頼りだ、頼むぞ頼むと、男泣きに泣きました。 その後、誰の顔を見ても泣きました。閉じ込めていた思いがあふれて あふれて、涙といっしょに出てきました。
けれど、最後まで、父はガンで死ぬのだとは、言いません。
父がどんなに、悔しいか、情けないか、それを思うと、ガンという病気が 憎くてなりません。 父を、ぎりぎりまで、家で看たこと、最後に入院を選んだこと、そのことは もう、少しも後悔していません。
たったひとつの悔いは、父が、ガンという、病気になってしまった、そのこと だけです。

とても、疲れています。本当に父は逝ってしまうのでしょうか。 こんな時になってさえ、まだ、信じられないのです。
陽気で、どんなことも、良いほうに捉え、いつも笑っている父が ほんとうにいなくなってしまうなんて、信じられません。



父の看病に専念したいとパート先の上司にクビを覚悟で休職を願い出る。 しっかり看病しなさいという涙が出るほどの温かい言葉とともにいつまでとも わからない長期休暇を認めていただいた。


    

1999年12月19日・・・・・入院14日目

父は痛みが増し、点滴のモルヒネの量も徐々に増える。眠りが不規則になり、 不眠を訴え、睡眠薬を夜飲むことになった。

胸が痛いと訴えたが、しばらくすると おさまった。口内炎も かなりひどくなり、飲み物もしみると訴える。


1999年12月20日・・・・・入院15日目

尿意を催すと母や、妹や私の手を貸りてベッドからおり、ポータブルトイレに 座る。肉のすっかり落ちてしまった父の臀部を見ると、人の体がこんなにも やせ細ってしまうのかとほんとうに病気の残酷さを恨んだ。

立つとガクガクと震えるほど体力の落ちた身体でも父はしつようにトイレに こだわった。「申し訳ないなぁ・・すまないなぁ・・」といつも謝りながらも、 自分で食べること、自分で排尿をすることにこだわった。

MSコンチン錠から静注の24時間のモルヒネの点滴に変えてからも痛みは なかなかとれず、日に日に量が増えていった。それでも完全には痛みを押さえ込む ことができずにいた。


●松本先生へのDM

さて、父ですが、すごい精神力です。

ものすごく弱気になって、涙を流してばかりいたのは2日前ですのに、 みんなで励ましたら、よし、わかったと一言。

今日は、必死にごはんを食べてました。 この一週間ほとんど食事を摂れず、アイスクリームやプリンしか口に 入れなかったのに。.....

モルヒネの静注が、1.0から3.0になり、眠っている時間の方がだんだん 多くなっています。
黄疸もどんどん進んでいるようで、ますます黄色くなってきました。 けれど、血圧や酸素飽和度は安定しています。

ほんとうに父に死が迫っているなんて、思えなくなるときがあります。 CMLでも人事とは思えない悲しい知らせがあり、胸が痛みます。 いずれ、人はみんな死んでいく、わかっていることなのに、悲しいです。

去年、同じ日に告知を受け、一日違いで手術を受けた乳がんの人が 肺転移で入院しました。今日お見舞いしてきましたが、やはり、 ショックです。
私の術後1年の検査結果は来週出ます。...怖いです。

クリスマスも年の瀬も、ミレニアムも今の私には遠いことです



●松本先生からの返信 −抜粋−

CTMLでのまゆりんさんの報告を、がんばれ!と言って読んでいます。 心の葛藤を短い時間の間にも、自ら受け入れて来ているのだと思います。 まゆりんさん、しっかりうけとめてください。

痛みがとれて、眠りには入らない量、というのをいつも気にしてないと いけないところですが、調節がむずかしいこともあります。 まず苦しみをあたえないように、ということを考えてください。

でも悔しいけれど、悲しみはやってきます。 事実から、毎日を始めてください。そこから、Blessing disguise というものがみえてくるかもしれませんよ。唐突にヘンな言葉ですみません。

こんな言葉はどうですか?
=====
浜辺に2つの足跡が残っている。 ひとつは私ので、 もう一つはイエスのだった。 でも振り返ってよく見てみると自分が最も苦しかった時、足跡は一人分しかなかった。 「主よ、何故、私が最も苦しかった時に、共にいて下さらなかったのですか?」  するとイエスが答えられた。
「あの時、 私はあなたを背負って歩いていたのだ」と。
=====

 「イエス」はまゆりんさんのいろんな思いで置き換えることができるのでは ないでしょうか?



1999年12月21日・・・・・入院16日目

個室からは駐車場も見え、孫である私の息子がバイクで病院にくると音を聞きつけて 父の顔がほころぶ。5人の孫たちも毎日のようにじいちゃんの顔を見に来る。
腹水もまたかなりたまっておりお腹だけが異様に膨らんでいる。
眠っている時間がだんだん長くなっている。ただ、ぐっすり眠るという感じではなく、 うとうとと夢を見ているような感じ。

夕方急にガリガリと豆をかじりたいと言い、母が売店に走りピーナッツなどを買ってくる。 固い豆をガリガリと食べた。

夜には、かなり身体がつらそうで、「きつかぁ、きつかぁ。」と熊本弁で、 苦痛を訴える。不安感が強まり、母も必死で父を安心させようと身体をさすったり、 言葉をかけたりする。

少し眠った後、「さっきはダメかと思った。」と母に話す。


1999年12月22日・・・・・入院17日目

朝目覚めると、「昨日、大丈夫だったから、今日も大丈夫だろう。」と母に言う。

きつい、つらいと訴えているのに、先生が病室へ来て、「○○さん、どうですかぁ?」 と尋ねると、ベッドの上できおつけの姿勢になり、「はい、だいじょうぶです。」と まじめな大きな声で答える。


微熱が続いていたが、夜38.4度の発熱。身体の痒みがひどく夜中まで 眠れない。座薬と氷枕をもらう。

母と交替して私が泊まる。去年の同じ日、私は乳がんの手術を受け、病室の ベッドに病人として寝ていた。一年後の今日、私は父のベッドに並べたソファー ベッドで同じように病室の天井を眺めている。

一年前には想像もできなかった状況の中でこの一年の短さを思った。



1999年12月23日・・・・・入院18日目

アイスクリームやプリンを好んで食べたが、この日は、ベーカリーのパンを食べた。
コーンスープやおしるこなど、汁物を少しづつ口にしていたが、パンがうまいと喜んで食べた。

便が自力で出ないため、浣腸をする。発熱は続いている。

短い眠りと覚醒を繰り返し、昼と夜が逆転したりし、付き添っている母の疲労もピークに 達している。熱はなかなか下がらない。


1999年12月24日・・・・・入院19日目

レントゲン検査。ポータブルの機械を技師さんが2人で病室まで押してきた。

●少し腹立たしい出来事

技師は、おしゃべりをしながら病室に入ってきて、「○○さん、レントゲン撮ります。」と 眠っている父に事務的に声をかけ、いきなり、ふたりで、父の身体を持ち上げ、 ビックリして何が起きたかまだ分からず動揺している父の背中に板を入れレントゲンを撮った。

忙しい時間の合間をぬって病室にきてくれたのはわかる。だけど、せめて、患者が ちゃんと目をさまし、レントゲンを撮ることを納得してからやって欲しいと思った。 何だか「人」ではなく、「物」でも扱っているように感じられほんとに悔しかった。


母と私と2人で父の病室に泊まった。母と私のとりとめのない話を時折 目を覚ましてはニコニコ父は聞いていた。


1999年12月25日・・・・・入院20日目

昼食に出たうどんを全部食べた!!そのことがとてもうれしかったようで、 妹や私が病室に顔を見せるとうれしそうに自分で報告した。

うれしかったのは、看護婦さん。その日は父の担当ではなかったのに、 わざわざ、病室に顔を出してくれて、「うどん全部食べられたんだってぇ? 良かったネェ!」と、父に声をかけてくれた。この看護婦さんは、父も たいそうお気に入りの人で、いつも明るく父に声をかけてくれる人だった。


母と妹が2人で泊まる。妹はとても明るいので、3人で夜遅くまでゲラゲラ 笑いながらいろんな話をしていた。


●MLへの投稿 --小康状態です--

決して予断を許さない状況ではありますが、父は小康状態です。 14日の腹水穿刺後、一時的に状態が悪化しましたが、少し、 持ち直しています。
血圧や、酸素飽和度も安定しており、眠っている時間は多いのですが、 目覚めると意識もしっかりしており、食事も少しですが食べています。

モルヒネの静注は、4.0/hで、完全に痛みのない状態です。 ただ、黄疸は進んできているので、楽観はできません。 入院時13から一週間で、15になっていると聞いています。

もしかしたら、2000年を迎えることができるかもしれないと、 淡い期待をもっています。

治る見込みのない、死を待つだけのような患者とその家族である 私たちに、看護婦さんたちがとてもよくしてくださり、父にもよく声をかけて くれます。

ホスピスや、緩和ケア病棟ではなくても、こうした看護を目指している 医療従事者の存在がどれだけ、私たちを救ってくれているか...。

メリークリスマスも、明日くる私の誕生日も今の私たち家族にとっては、 ささやかな幸せだと思っています。


1999年12月26日・・・・・入院21日目

お鍋の材料を持って行き、湯沸し室で調理したいと お願いしたら、却下。しかたがないので、寒い駐車場で卓上コンロを使って ひとり分のお鍋をコトコトと煮る。父が大好きだった暖かい寄せ鍋を食べさせ たくて、冷たい風がビュービュー吹いている駐車場でじっとコンロの火を 見ていたら涙がポロポロ出てきた。

死を目前にしている人に暖かい家庭の料理を食べさせたい。食べられなくても なつかしい匂いをかがせてあげたい・・・そう思っても、一般病棟ではそれすら できる場所はない。

もう一度、自分の料理を食べさせたい。父の好きなものを目の前に並べて あげたい、ただそれだけなのに・・・。


それでも、父は喜んでくれた。駐車場から病室まで運ぶ間に少し冷めて しまったけれど、「おまえはバカだなぁ・・でも、ありがとう、ありがとう。」と 喜んでくれた。


★母の看病メモ★

昼間、みんなを笑わせたりするが、夜になり、錯覚のようにいろいろととりとめの ない言葉で混乱する。

私に向かって「困った奴だ。なぁんで、俺の言う事をきかないんだぁ・・」とか、 ちょっと大変だった。悲しいけれど仕方がない。3時頃までその繰り返しで 朝方ようやく眠った。


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