・・最後の入院 -- 3 --


1999年12月27日・・・・・入院22日目

●MLへの投稿 --質問です--

モルヒネについて質問です。

入院前、MSコンチン錠を、240ミリ/日服用していました。
18日より、モルヒネ静注になったのですが、1.0/hから始めて、 今は、4.0/hです。

この4.0/hという量は、MSコンチンに換算するとどのくらいの量に なるのでしょうか。

父の意識はあるのですが、訳のわからないことをずい分言うように なりました。錯覚や、幻覚もあるように思います。
これは、モルヒネの作用なのか、病状の悪化による意識混濁というもの なのか、死を間近にした人によくおこることなのでしょうか。



●高田先生からの返信(抜粋)

タイミングから考えて、モルヒネによるせん妄の可能性があります。 そのほか、高カルシウム血症や他の薬による影響も考えられます。モル ヒネによる場合は、数日で治ることが多いのですが、気になる場合は減 量します。

一応、MSコンチン内服を注射薬に変更する場合の開始基準量は、 MSコンチンの一日量の 1/3〜1/2 です。

すなわち、まゆりんさんのお父さまの場合は、240mg/day のMSコンチ ンでしたので、注射薬は、80〜120mg/day 程度と予想されます。
この 4.0/h が 4.0mg/h であるなら、4.0×24=96.0 mg/day となり、 適量と思われます。

痛みがあるため、モルヒネは減らしたくないと云うなら、酷いようなら セレネースなどを用いたらよいかも知れません。主治医と相談してみて ください。



●島先生からの返信(抜粋)

私の「守備分野」ですのに、返事が遅れてしまいました(^^;

高田先生がおっしゃられておられますように、せん妄状態に対して最も有効 かつ確実な薬剤はセレネースです。

ただし、その分、セレネースは副作用も多く、患者さんが苦しまれるかもしれませ ん。セレネースには鎮静作用もかなりありますから、患者さんはおとなしくなられ、 介護は楽になりますが、薬で症状の静まること=患者さんが楽になること、とは限ら ないことは頭に入れておいてください。

----中略----

モルヒネによる多幸感がせん妄の内容にも影響しているのかも知れませんね。  「楽しい夢」なら、覚まさせないほうがいいのかも知れません・・・



★母の看護メモ★

昨夜、娘達が帰った後、みんな帰ったのかと言うので、私はいるよ、お父さんを 一人にはしないよと言うと、「ありがとう、ありがとう、ありがとう。」と3回も言った。

昨日の夜中は、風呂に入るんだと言ってきかなかった。

今朝は一度目を覚ましたが、また寝入ってしまい朝食はまったく摂れない。


「俺はあともう10日くらい生きればいいだろう・・・。」

父が妹に突然こんなことを言った。妹は、笑いながら、「10日じゃなくて、 10年でも20年でも長生きしてくれなきゃ困るじゃん。」そう言うと、父はうんうんと うなずいていたそうだ。


1999年12月28日・・・・・入院23日目

午後からは目を覚ましている時間が長く、機嫌も良く、良く話す。

主治医より病状の説明を受ける。

現在は小康状態である。血圧、尿共に安定している。腎機能の低下は 認められない。静注のモルヒネの量については、 120ミリグラム/日 MSコンチン錠服用時の 半分の量なので、適量であると思われる。


1999年12月29日・・・・・入院24日目

●MLへの投稿 --終末期の対応--

せん妄は、続いています。でも、父のせん妄は楽しい出来事を経験したり、 見たりしているらしく、元気になっている自分、食事をバリバリ食べている 自分が、見えるようです。

おもしろい話ばかりすることになり、とても死を間近に控えている病人の 部屋とは思えないほど、笑い声にあふれています。

さて、主治医といくつかの確認をしました。

最終段階になったときに、濃厚な延命治療は望まないということは、 以前から伝えておりました。 さらに、心マッサージや、気管内挿管や、昇圧剤の使用なども、望まないこと、 最後の時は、家族で静かに見守りながら、逝かせてあげたいことを、 もう一度、先生にお願いしました。

意識があって、苦しむ場合は、鎮静剤などで、意識レベルを落として、 苦痛を緩和する処置だけはしていただき、あとは、父の寿命のままに、 静かに見守るつもりです。

何か、抜けていることはないでしょうか?

年末年始になり、父の主治医が不在の時でも、他の先生方にもしっかりと 申し送っておいて下さるようにお願いしました。

血圧も安定しており、腎機能はまだやられていないそうですので、なんとか、 2000年を迎えることができるかもしれません。

高田先生に誘って頂いてこのCTMLに参加させていただき、どれほど、 みなさんに助けていただいたことでしょう。
父の病状緩和のためのアドバイス、精神的な部分でのみなさんの 暖かいサポート、そのおかげで、頑張って来られました。 ありがとうござました。

父の時間は残りわずかですが、最後まで、父らしく、生きてくれると 思います。



●吉田先生からの返信

最期を見送られたい主要な方が間に合わないときにどうするかという ことは決められましたか?

時に、だれそれが来るまでは息をさせといて 欲しいとおっしゃる御家族もおいででして・・・



●MLへの投稿 --吉田先生へ--

はい、常に家族の誰かがそばについていますので、たった一人で見送る 場合もあると思います。 けれど、かけつける家族のためだけに、父の心臓を人為的に動かし続ける ことも、私たちは望んでいません。

父の決められた時間がきたら、自然のままに流れに逆らわず、父の心臓は 鼓動を止める..それを、受け入れようにと、考えています。

以前にも書いたと思いますが、父はガンと言う病気で死ぬのではない、 父の寿命のまま、自然死に近いのだと思うようになりました。 これが父が常日頃から口にしていた、運命ということかもしれません。

あと、2日でミレニアム。きっと、父と家族と一緒に、新しい年の空気を 吸うことができると思います。



●吉田先生からの返信

これで抜けはないと思います。感服いたしました。

そう、わずか2日です。きっと新千年紀まで一緒ですよ。



1999年12月30日・・・・・入院25日目

痛みが強まると、モルヒネの量を増やし、おさまるとまた少し量を落とすという 作業を一日中繰り返す。点滴をとてもいやがり、はずしたがる。

下肢の浮腫が少し出ている。利尿剤投与。 夕方、孫娘たちが病室にくると「お前達はほんとうに笑顔がいいなぁ。いい子だなぁ。」 と、何度も言い、とても喜んだ。


1999年12月31日・・・・・入院26日目

2度目の 腹水を抜く。先生が処置にこられた時家族は外に出たのだが、父が私にだけ 残って、ちゃんと見ていてくれと言うので、主治医の許可を得てそばでずっと 見守る。一人で受けるのは心細かったのだろう。

3000CCの腹水を抜く。かなり色は赤い。


★母の看護メモ★

今年最後になった。2000年が迎えられると言って喜んだ。

R病院,、個室503号室で、なんと静かな年の瀬を送る。

がんばれ!お父さん。


父さんごめんね TOPへ