1999年3月・・退院、そして自宅療養へ

1ヶ月足らずの入院を終え、父は退院した。自宅での食事療法をし、 また、元気になれると信じていた。

退院後すぐに、家族全員で、鴨川へ父の退院祝いと、私の快気祝いを 兼ねて、1泊2日のささやかな旅行に出かけた。
久しぶりにビールを少しだけ飲んだ父が、驚くほど、顔を真っ赤にした。

経口抗がん剤を服用していて飲酒をすると身体の紅潮などの副作用が 出るらしい。けれど、大好きだったお酒を少しでも味わうことで父はとても 喜んだ。

父と母、私たち親子5人、そして、妹の家族4人。 総勢11人で、よく旅行した。 けれど、さすがに、この鴨川旅行は、父と一緒に出かけることのできる、 最後の旅行と思い、つらかった。

広間での食事の時、5人の孫がマイクを握って歌ったり踊ったりしているのを 父は顔をクシャクシャにして笑い転げ、ほんとうに幸せそうだった。

父は、入院前とほとんど変わりなく、とても、元気だった。カロリー計算をして作る 食事が物足りないくらい食欲もあり、毎日のウォーキングや、畑での野菜作りに 余念がなかった。

父は予想通り、頑固なほど熱心に生活を節制し、飲めなくなったら死んだほうが ましというくらい大好きだったお酒もいっさい飲まず、糖尿病を治すことを 目標に張り切っていた。


1999年4月

16日に、ゴルフのコンペがあり、久しぶりに友人たちと楽しい時間を過ごし、 次の日には、熊本から遊びに来てくれた母の妹夫婦と、伊豆へ遊びに行った。 父が自分でハンドルを握り、本当に元気で楽しい旅行だったようだ。

ハードなスケジュールに疲れもみせず入院中の退屈な時間を取り戻すように 元気に飛び回っていた。


5月・・・徐々に体調が悪化
まず、食欲が落ちてきた。何を食べても味がわからず、まるで、 砂か金属を食べているような気がする と言い、不機嫌な日を過ごすように なった。

体重も一向に増えず、不安感を持つようにもなっていた。

更に、祖母、つまり、父の母親が亡くなったという知らせがきた。
父は長男であり、喪主を務めなくてはならないのに、体調が悪く、とても 熊本まで 行けるような状態ではなかった。 母が一人で熊本へ行き、父はガックリしていた。

そして、ついに痛みが始まった。
激しい痛みではないが、胃が痛むと訴えた。

★ネットで情報を集める★

アメリカで研究をなさっているT医師に抗癌剤の中止についての相談をし、 麻酔専門医で緩和ケア研究会の高田先生に疼痛コントロールに ついてアドバイスをいただいた。
高田先生はキャンサートークメーリングリストを紹介してくださった。


5月の診察日の前に主治医に面会を求め、味覚障害のことと痛みのことを 話し、対策を練った。
味覚障害の原因のひとつとして抗癌剤の副作用が考えられること、また、 肝臓への転移による消化器症状とも考えられると主治医の説明を受けた。

抗ガン剤の中止をお願いし、痛みについては、 モルヒネのMSコンチン錠を処方して もらうことになった。

味覚障害はしばらく続き、父のQOLを損ねる大きな要因となった。
MSコンチン錠は、この後じりじりと量を増やしていくことになったが、 疼痛コントロールにこの薬は不可欠のものだった。



6月・・ほとんど食事が摂れない!

何を食べてもおいしくなく、食欲もなく、げっそりとやつれてきた。
苦肉の策として、近所の医院に、毎日のように点滴に通う。
夏まではとても、 もたないだろうというのが、医院の先生や、父の主治医の意見だった。

この頃から、私達はほんとうの意味での緩和ケアをすることになった。
父の病状の推移にあわせて、たくさんの先生方にメールで具体的な 緩和ケアのアドバイスをいただいたり、励ましていただきながら、 手探りで父の病状を見守っていった。。




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