1999年7月・・少し状態を持ち直す

連日のように通って受けた点滴の効果があったのか、少しづつ体力が 回復しつつあった。とても夏まではもたないとの危惧が少し薄れ、このぶんなら まだだいじょうぶかもと私達は淡い期待を抱くようになっていた。

血糖値も落ち着いており、食欲がないことと、疲れやすいことを除いては、 これといった激しい症状はなく、けれど、徐々に悪くなっていく身体に父も さすがに不安が隠せない。

食事の時は、ピリピリした空気に包まれた。末の娘の何気ない一言に父が かんしゃくをおこし、娘が泣いてしまうようなこともあり、そんな時の父を見るの はつらかった。

この頃の父の顔はとても険しいものだった。この一年で10キロ近くも体重が 落ちたせいもあり、消化器ガン患者特有のやせこけた頬と、窪んでするどく なった眼、眉間の皺・・・柔和でいつも笑っておどける表情豊かな父の顔が すっかり変わってしまっていた。

特に食事時はいつもハラハラする。味覚障害で何を食べても金属か砂を 食べているようなつらさに、父が箸を投げ出すのではないか、昔のような ちゃぶ台なら、きっと腹立ちまぎれにひっくり返してしまうのではないかと父の 顔色をうかがいながらの食事が続いた。


1999年8月・・・座薬も併用して痛みをコントロール

この頃ようやくキャンサートークメーリングリストに 入会し、 ガン専門医、外科医、麻酔医、精神科医、そして、患者さん自身や、 患者の家族など、多くの人に助けていただきながら、父の闘病を支えていった。

具体的な疼痛コントロールや、検査のこと、精神的ケアや、私達家族の心のケア まで、実に様々なサポートのおかげで、共倒れになってしまいそうな母も含めて、 どれだけ助けられたことか。




8月2日
診察日に新たに座薬(ポルタレンサポ) を処方してもらい、一日に MSコンチン30ミリ×3回、ポルタレンサポ25ミリ×2〜3回で、 痛みのコントロールする。

MSコンチンを基本として、痛みが出た時に、スポット的に座薬を使うようにした のだか、座薬の効きは早いので、父はすっかり座薬に頼るようになっていった。
夜中でも痛むと、母が起きて座薬を入れ、一日中父のそばにつきっきり。 たまに仕事で外出すると、父は娘の私には遠慮して、母が帰るのを待って、 座薬を入れてもらったりした。

8月も半ばになると、MSコンチン120ミリ/日 となり、その後もジリジリと増量していく。

しかし、この頃、父に目標がひとつできた。 9月に姪の結婚式に出席するために熊本への帰省を計画したのだ。 そのために、父は少しづつ外へ出るようになった。元気だった時のように トレーニングスーツを着て、帽子をかぶり、ラジオを聞きながら、 ゆっくりではあるが、大好きなウォーキングを再開したのだ!!

どうか、熊本行きが実現しますようにと、私達家族は祈るような思いで 毎日父を見守った。MLの先生方の励ましもほんとうに心強かった。

この頃、時々頭が混乱すると訴える。 九州へ行く日を何度も間違えたり、ちょっとした時間の計算を間違えたりして、 母を不安がらせた。

MLに質問を出したところ、モルヒネの増量の影響も有り得るし、一日に3回 や4回という飲み方が、睡眠時間へ抵触し、若干の混乱を起こしていることも あり、しばらくすると落ち着くだろうという助言をいただいた。
事実、この混乱は一時でおさまった。


9月・・・MSコンチン増量と故郷への最後の旅

120ミリ/日では、効かなくなってきたMSコンチンの増量を父の主治医に相談 すると、120ミリが限度だと言われ、それ以上の量は処方できないと言われた。
MLで主治医との交渉の仕方まで助言してもらい、再度交渉。

帰省前の診察日に一緒に行き、再び痛み止めの増量をお願いした。 160ミリ/日と座薬痛みがなければ食欲もわくし、 何かをしようという気もおきるようだった。

父は最後になるであろう故郷熊本への旅を実現した。 ファーストクラスでほとんど横になったままの空の旅だったが、さすがに到着後は かなりの疲労があったようだ。

結婚式で集まった兄弟達も父の変わりようにショックを受けたようで、 父の病気がただならぬものであることを理解してくれたようだ。 おそらく兄弟が全員そろうのは、これが最後になるはず、一緒に行った 母の胸中は悔しさと悲しさで張り裂けそうだったに違いない。


 
父さんごめんねTOPへ