パリ散策編1
<パリ散策編1>

 
8月29日(土)  晴れ(風冷たい) 

 この日、私は朝5時30分に起床。別に興奮して眠れなかったとか、そんな理由ではありません。
それどころか爆睡していたぐらいですから。なぜこんな時間に起きたのかと言うと、昨日チェックイン
した時に、フロントのお兄さんに「チェックアウトは何時??」と聞いたのだけど、何度聞いても「6時」
と言うのだ。絶対そんなわけないと思い、何度聞いてもやっぱり6時。どこの世界に、朝6時にチェック
アウトするホテルがあるんだー!!すごく早い日本ですら10時なんだから、日の遅いヨーロッパなら、
12時過ぎが普通だろー!と内心怒りまくっていた。なので、私は勝手に7時に変更してしまい、その
時間に荷物を持ってフロントに行ったら、すでに受けつけにはお兄さんが待っていた。ゲッ(汗)

 一応自分で立てた予定としては、今日から3日間、パリとイル・ド・フランスを散策することになって
いる。でもその前に、今日の宿を先に確保しなければならない。私は前々から調べておいたユー
スホステルを目指すことにした。
 昨日は夜中タクシーでホテルまで行ったので、全然街を歩いていなかった。なので、どこに地下鉄
の駅があるのかわからない。日本でホテルを予約した時にもらった地図を頼りに、私は地下鉄の駅を
目指した。でかいリュックを背負いながら、こんな早朝に歩いている私の姿は、朝のお散歩をしていた
パリのご老人にはたいそう珍しいものだったらしく、私の姿が見えなくなるまで見送られてしまった。
 数分歩いて地下鉄の入り口に辿り着き、私は地下鉄に乗ってepublique駅へと向かった。この日、
泊まろうとしていたユースは、この駅から歩いて5分というジュール・フェリーYH。

 「ユースホステルって何?」という方の為にご説明しますと、旅を安全に楽しく経済的に有意義なもの
になるよう考えられたシステムで、格安のお値段で泊まれる宿のことをいいます。今から約90年前に
ドイツの小学校教師リヒアルト・シルマンが思いつき、ドイツのアルテナ城内に、簡素な青少年用の
宿泊施設をつくったのが始まり。その後、この運動はドイツからヨーロッパへと急速に広がり、今では
世界中に作られるようになったというわけです。でも、ユースの数が世界で1番多いのは、発祥の地
ドイツで、620軒もあります。中にはお城に泊まれるものもあるんですよ!!すごいですよねー。普通
のホテルに泊まるよりいいかもしれません。
 だいたいの料金としては、一泊朝食付きで2000円前後。ロンドンの4000円は別格として、高くても
2500円ほど。大半は1500円〜2000円程で泊まれます。南欧では1000円〜1500円で泊まれるYHも
多く、東欧では1000円以下が一般的。もちろん日本にも全国各地にあるけれど、日本のYHは高いです。
ロンドンまではいかなくても、2000円台後半〜3000円台後半ほどかかるのです。
 部屋は4〜6人のドミトリー(相部屋)が一般的だけれど、ツインやシングルの部屋のあるYHもあり
ます。でもユースに泊まる目的って、料金だけの為じゃなくて、そこで色んな国の人と友達になったり、
旅の情報交換をする事の方が大きいので、あたしはドミトリーをお勧めします!!
 ただユースの難点としては、場所が遠いということ。駅から歩いて20分〜30分なんてざらです。交通
の便の悪さに耐えられる人には、いいところです。
 ユースホステルは会員制で、誰でも泊まれるわけではありません。全国各地にあるYH協会、受付所、
郵便振替などで会員になってから利用して下さい(別に私はYHの回し者じゃないですよ)

 ・・・と、思わず長々と説明してしまいましたが、そんなこんなで私は無事にRepublique駅に到着。地上
に出て直後に驚いたのが、目の前にメリーゴーランドがあったこと。な、何!? 後で知ったのだが、パリ
には至るところに、突如としてメリーゴーランドがある。そして、乗っている人はほとんどいない。何の為
にあるのかいまいち良くわからなかったけれど、でも、明らかに日本とは異なる街並みに、私の心は踊り
始めていた。
 さっさとユースに行ってチェックインしてこようと思い、私は地図をあてに歩き出した。だが、全く一向に
さっぱり辿り着かない!!なんで?なんで?段々むかつきながらも、私はひたすら歩き続けた。あまり
にも何度も同じ場所を往復していたため、店の準備をしていたカフェのお姉さんやお兄さんに、目が合う
度に微笑まれてしまったぐらいである。いつもなら、とってもステキで魅力的なその微笑みも、今の私には
恥ずかしさを増殖させる武器でしかないのよっ。やめてくれ〜!!・・・などと本人達に言えるわけもなく、
私はへらへらと笑い返すしかなかった。む、むなしい・・・。

朝の公園    私疲れのあまり、近くにあった公園で一休みすることに
  した。気付けば、もう日が昇っていて、公園ではフリスビー
  で楽しむ親子や、ジョギングをしている人の姿が見えた。
   ベンチに座って、あたしはやっと周りをきちんと見る事
  ができた。太陽の光と公園の木々の緑が上手く調和して、
  何とも言えない爽快感であった。私の隣のベンチでは、おば
  あさんと女の子がパンを食べていて、反対側では、16、7歳
  程の女の子が読書をしている。なんかとってもジーンと
  してしまって、あたしは改めて、自分が今パリにい
  るということを実感したのであった。




 
 その公園でしばらく休んだ後、私はもう1度地図を広げた。通りの名前や建物を確認した結果、自分は駅の
出入り口を間違っていたことに気付く。そりゃどんなに歩いたって見つかるわけないわ、と脱力しながらも、
気を取り直して公園を後にした。
 もう1度駅に戻り、反対側へ。そうすると、地図と同じ建物が目に入った。ほっとしながら少し歩くと、ようやく
ジュール・フェリーYHに辿り着いた。結局、ここにくるまでに朝の7時30分から10時30分まで3時間もかかって
しまい、朝早く出てきてよかったと心底思った。
 少々緊張しながら中に入ると、そこには色んな国の人達がいた。テレビを見てる人、雑誌を読んでいる人、
旅の情報を交換し合っている人。正面にある受付にいたのは、20代前半ぐらいと思われるフランス人の男
の子だった。ここはパリだし、駅から近いYHなので、部屋が空いているかどうか不安だったけれど、幸いドミ
トリーが空いていて、チェックインを済ませる事ができた。パリにいる3日間、ここに泊まろうか迷ったけれど、
まだ旅を始めたばかりだし、一人の空間が欲しかったので、とりあえず今日1日だけ泊まることにした。フロ
ントのお兄さんから一通りの説明を受けたあと、私は部屋の鍵を受け取り、自分の部屋へと向かった。
 部屋には2段ベッドが2つあって、誰もいなかった。そのうちの3つはもう荷物が置いてあったので、みんな
街に出ていったのだろう。私は、空いている手前の上のベッドに自分の荷物を置き、大きなリュックは、地下
のコインロッカーにしまうことにした。
 地下には赤いコインロッカーがずらっと並んでいて、セキュリティ用の監視カメラが回っていた。地下の薄
暗い照明の中、コンクリートの壁に赤のコインロッカーというのは、いやはや何とも言いがたい、恐ろしさが
あった。殺人事件でも起こりそうな雰囲気である。
 私は早くここから出たい一心で、荷物をロッカーに詰め込み、コインを入れた。そうしたら本当に事件が起
こった。・・・鍵が抜けないっ!!なんで?なんで?5Fちゃんと入れたのにー!何をどう頑張っても一向に抜け
ないその鍵に私はむかつき、荷物を取り出すことにした。
 すると、今度は扉も開かないではないかっ!私は冷や汗をたらしながら「ちょっと冗談でしょー!?」と口に
出し、必死にロッカーと格闘していた。そうしてかなり長い時間、戦いを繰り返していたが、ロッカーの機嫌は
直らなかった。私は途方にくれ、泣きそうになってしまった。せっかく憧れのパリにきたのに、なんでこんな
地下で、時間をつぶさなくちゃならないのか。
 そんな時、荷物をしまおうとやってきたドイツ人の2人組みの女の子達が、私に気付いて声をかけてくれた。
私は頑張って事情を説明し、彼女達は納得すると参戦してくれた。・・・が、それでも扉は開かなかった。
 私は彼女達に申し訳なく思い「頑張って何とかするから、行っていいよ」と何度も言った。けれど、彼女達は
笑顔で「大丈夫よ。気にしないで」と言い、片方の女の子が係りの人を呼びに行き、もう1人の子は私の傍に
ずっといてくれたのである。そしてその間中、ずっと話しかけてくれて、あたしは不安を紛らわす事ができた。
 私は感動で胸が一杯になり、本当に泣きそうだった。人種も違う、言葉もうまく伝えられない見ず知らずの
人間に、こんなにまで親切にしてくれるその気持ちに、たまらなく心を打たれたのだ。彼女達だって予定がある
のに、貴重な時間を割いて、私に付き合ってくれているのである。もう扉なんて開かなくても構わないと、本気
で思った。それぐらい嬉しかった。
 そうは思ったのだが、ここまで心配してくれている彼女達にそんなことは言えず、それにやっぱり開いてもら
わなければ困るので、係りの人が来るのをひたすら待った。せ、責めないでほしい・・・。私も必死だったのだ。
 そして待つこと数分。係りの人がきてロッカーをいじっていたけれど、それでも全然空かず、最後には別の鍵
の開けてもらい、ようやく自分の荷物とご対面する事ができたのである。開いた瞬間、彼女達は拍手をしてくれ
「よかったね!これで安心して旅を楽しめるね」と言ってくれた。私は感激すると共に、心の底から彼女達に感
謝し、半泣き状態で何度も「ありがとう」と言った。

 その後、私は彼女達と別れ、パリ散策に出かけた。歩きながら私は、これからは人が困っていたら絶対に
手を貸してあげよう、と思った。人に親切にしてもらえるということは、人をこんなにも強く、優しく、幸せな
気持ちにさせてくれるのだと、今頃気付いた。
 これからの旅のことを考えると何が起こるかわからないし、不安もたくさんあるけれど、今日1日だけでも、
この旅の意味はあったと思う。



 
  パリ初日はオペラ座やエッフェル塔などを見てまわろうと決めていたので、私は地下鉄に乗って、Opera駅へと
向かった。駅に着いて階段を上がると、目の前に旧オペラの殿堂「オペラ・ガルニエ」が!! 
 私は中には入らなかったが、内部はシャガールの天井画や大理石の大階段で彩られ、地下には、天然の洞窟と
 池があるとのこと。今はバレエ中心の劇場となっているけれど、あのガストン・ルルーの『オペラ座の怪人』は、
 ここで生まれたのである。左下の写真はオペラ通りの様子。この反対側にオペラ座がある。

オペラ通り   その後、私はその辺の店を見ながら、オペラ大通り
 を進んでヴァンドーム広場へと出た。
    ここは長方形の広場で、周囲には高級宝飾店や
 有名ブランド、ホテルリッツなど、パリ市内でもひときわ
 ハイソサエティな雰囲気に包まれている。私は思わず、
 この雰囲気に溶けこもうと、買えもしないくせにカルティ
 エのショーウィンドゥをじっと眺めてしまった。
  ヴァンドーム広場は、そもそもルイ14世の大騎馬を建て
 るために区画され、当初はルイ・ルグラン(ルイ大王)
 と呼ばれたが、革命によって騎馬隊は取り壊され、広場
 には元の土地の所有者であるヴァンドーム公爵の名が
 付けられたのだそう。
  現在、中央には、ナポレオン1世が1805年のオース
 テルリッツの戦勝を記念して建てた、高さ44mの円柱
 が立っている。円柱の前面には、戦闘シーンが彫刻さ
 れていて、1番上には現在、1874年に復元された最初のナポレオン像のレプリカが置かれている。

  ヴァンドーム広場を抜け、私はその足で、チュイルリー庭園へと向かった。庭園へ行くのに、リヴォリ通りを通った
 のだが、ここはほとんどがお土産屋さん。観光客に向けた商品が、ずらっと立ち並んでいた。あからさまに「パリに
 行ってきました」という商品が多く、私は思わず東京タワーのお土産屋を思い出してしまった。どこも一緒だなぁ、
 などと思いながら歩いて行くと、おいしそうなクレープ屋を発見!!「おお、これでこそパリ!」・・・先ほどの土産屋
 の思考と、たいして変わらない発想である。結局、迷ったあげくに買わなかったが、後でものすごく後悔した。
 チュイルリー庭園
   そして、ようやくチュイルリー庭園に到着。この庭園は、
 南北にセーヌ河と先ほどのリヴォリ通りに囲まれ、パリ1区
 のほぼ6分の1を占める広さ。ベルサイユ宮の庭園を手掛
 けたル・ノートルが設計したもので、庭園全体がシンメトリー
 のデザインとなっているのである。中央に並木道を通す
 ことによって、遠近法による壮大な眺望を作り出していて、
 ほんとに心底感心してしまう。また、随所にロダンやカイン、
 マイヨールなどの彫像や浮彫が配置されていて、まさに、
 庭園自体が芸術作品といった感じ。う〜ん、ル・ノートルに
 敬服でございます。
  その庭園に集まる人達は、時間が流れるのをゆっくりと
 感じるように、中央の噴水の周りに座り、談笑したり、本を
 読んだり、ランチを食べたり、お昼寝していたりと、この上
 なくまどろんでいる。いい!すごくいいわ!私はこういう時間
 がほしかったの!例にももれず、自分も椅子に腰掛け、ボーっとしてみた。憧れのフランスに今、自分がいるという
 現実と、自分のことを知っている人が誰もいないという開放感。綺麗な景色に、穏やかな人々。それらが胸に込み
 上げてきて、私は何とも表現しがたい感動におそわれた。フランス万歳!(何のこっちゃ)




 
  チュイルリー公園でのんびりした後、今度はその前にあるコンコルド広場に行った。8万4000uの広さを
 誇るコンコルド広場。古代エジプトの象形文字が刻まれた白亜のオベリスクが、この広場のシンボルとされ
 ている。そして、何といっても、かつてルイ16世やマリー・アントワネットが処刑された広場として有名。
    この広場は本当に広くて、必ずと言っていいほど、
 従事、観光バスがとまっている。広場内では、帽子を
 売っていたり、パフォーマンスをしている人が結構
 いる。左の写真は、そのパフォーマンスをしていた人
 が、休憩に入って煙草を吸い始めたのをすかさず撮っ
 たもの。劇的瞬間である(笑)

 このコンコルド広場から、一直線にのびる全長2kmの
 目抜き通り。それが、あの有名なシャンゼリゼ大通り
 である。私はそこを通って、凱旋門へと向かうことに
 した。この日は、朝から少し曇っていたのだけれど、
 この頃になると太陽も出てきて、かなり暑くなっていた。
 土曜日ということもあってか、やたらと人が多く、通り
 を歩くのにも一苦労だった。よく本で見かける、有名な
 お店などを横目で見ながら、通りの先に見えている、
 凱旋門へと進む。私は心の中で「オー、シャンゼリーゼー♪」と密かに歌っていた。
  そうして歩いているうちに、凱旋門に到着。凱旋門に関しては、かなり有名ですし、そんなに説明する必
 要もないと思いますが、一応説明すると、この凱旋門は1806年にナポレオン1世が建造を命じて、30年かかっ
 て完成した記念建造物です。凱旋門の大きさは、高さ49.54m、幅44.82mで、壁面は様々な浮彫彫刻で飾られ
 ています。凱旋門の広場からは12本の通りが放射線状にのびていて、まるで星のような形になっていることか
 ら、以前はエトワール(Etoile=星)広場と呼ばれていました。フランスを救った将軍で元大統領の名前をとって
 1970年よりシャルル・ド・ゴール広場と改称されましたが、かつての名は、凱旋門と共に健在。未だにエトワール
 と呼ぶ人は少なくないとのこと。そして、その12本の大通りのうち、シャンゼリゼとビクトル・ユゴー以外は、全て
 戦場名や将軍名なのです。
    これを知った時、私はちょっと感動した。確かに現在
 現在自分達の街が、このような世界有数の都市となった
 のには、過去に膨大な努力をした人がいたということで
 ある。そういった人達を称え、心から感謝することを忘
 れてはいけないな、と思った。もちろん、過去の行いが
 いいことばかりとは限らないし、また、たとえどんな栄華
 な時代があったとしても、それに固執するのはよくないと
 思う。
  だが、自分がその国で生まれ育ち、生活していく上で、
 やはり歴史を知るということ、そして、より良い方向に持っ
 て行こうとすることは、とても大切な事だと思う。こういっ
 た考えを持っているフランス人を、私は見習いたいと思った
 のである。
  ・・・と、思わず真面目な考えなどを述べてしまいました
 が、先に進みましょう。この凱旋門の上には、展望台が
  あり、私も是非上りたかったのだが、人がすごかったのでやめておいた。その代わり、壁に刻まれた彫刻や戦士の
 名前などをじっくりと見て周った。
  右上の写真は、シャンゼリゼ大通りから凱旋門を突っ切ってのびている、グラン・ダルメ通り。ちょうどこの反対側に
 凱旋門があり、奥に見える四角い建物が、1989年7月14日のフランス革命200周年を記念日に、サミット会場として
 華々しくデビューした、新凱旋門である。



 
  凱旋門を見終わり、今度はエッフェル塔へと向かった。途中、アルマ橋にかかるところに、やたらと
 人が集まっていた。何だろうと思い覗いてみると、そこには、故ダイアナ妃の碑が建っていて、多くの
 人が花束やメッセージなどを残していたのである。「ああ、そう言えば明日が命日だったなぁ」と思い
 ながら、私はそれを見つめていた。
  ダイアナ妃が初来日した時、私は彼女のあまり
 の美しさにテレビに釘付けになったことを覚えて
 いる。その彼女の死を忘れずに、今こうして彼女
 を思い出している人々の姿を見て、あたしは何と
 も感慨深くなった。私も何かメッセージを残して
 おこうと思い、碑に小さく書きこんできた。何を
 書いたのかは、内緒です(笑)
  それから私はセーヌ河にかかっているアルマ橋
 を渡り、エッフェル塔へ到着。この頃には日差し
 もかなり強くなってきて、汗もダラダラ流れてき
 た。エッフェル塔からセーヌ河をはさんだ向こう
 側には、シャイヨー宮が見える。
  シャイヨー宮は、1937年の第6回パリ万博の会場
 として建てられた、鳥が翼を広げたような優美な
 外観の宮殿である。シャイヨーの丘と呼ばれる小高
 い丘の上に建っていて、内部は4つの博物館と、国立シャイヨー劇場、シネマテーク(映画館)などが入る
一大文化施設となっている。
   エッフェル塔から見て、右翼には、フランスの歴史的
 建造物や彫刻の実物大模型を収蔵する「国立フランス
 文化財博物館」、映画の歴史に関する資料約5000点
 を展示する「映画博物館」が入っている。
  反対の、左翼には、航海の歴史や造船技術に関して
 展示する「海洋博物館」、世界各地の民族に関する資
 料や人類の起源について展示する「人物博物館」が 
 ある。 
  私は是非ともシャイヨー宮にも足を運びたかったが、
 時間的、金銭的余裕もなかったので、泣く泣く諦める
 ことにした。
  エッフェル塔は、多くの人でごった返していた。はっき
 り言ってエッフェル塔は、馬鹿でかいただのアンテナ塔
 なので、一際美しいとか、そんなことは全くもってなかった。が、やはりパリに来たからには、これを見ないと
 いけないような気がする。現に、私もこれを見た瞬間、「パリだー!!」と、ものすごく思った。

  エッフェル塔で少し時間をつぶし、そろそろ帰ろうと思い、私は地下鉄の駅に向かった。そしてその途中、
 やたらと大きなドームが眼に入った。アンヴァリッドである。
  ナポレオン1世の墓として知られているここは、本来は1670年にルイ14世が創設した戦傷兵のための療養所
 である。現在も、100人ほどの現役兵が療養生活を送っているらしいが、大部分は「軍事博物館」として公開
 されている。時間も遅かったので、私は庭と外観だけを見ることにしたが、中央ドームの真下の地下に安置
 されているというナポレオンの棺は、いつか絶対に見たいと思う。しかし、6重の棺に入れられているなんて、
 ナポレオンもさぞかし窮屈だろう。うう、棺じゃなくて中身を見たい・・・。

  地下鉄を乗り継いでユースへと戻り、部屋に入ると、ベッドに座って本を読んで
 いた女の子が、ニコッと笑顔で話しかけてきてくれた。私も嬉しくなって挨拶をし、
 一通り自己紹介をした。
  その子は、名前をリアット・モアといい、イスラエルの女の子。イギリスとフランス
 を10日間旅行して、明日帰国するとのこと。すごく綺麗でかわいくて、私はてっきり
 自分より1、2コ上ぐらいだと思っていたら、なんと27歳!!わ、若いわ。全然見え
 ない!私達は、自分の旅した場所の話などをして、盛り上がった。
  私は千代紙を持ってきていたので、それでヤッコさんと鞠を作ってあげたら、とても
 喜んでくれ、自分でも作りたいというので教えてあげた。彼女は出来あがったたそれ
 を見て、ニコニコ顔。うー、かわいい!!
  私が持ってきたプリクラを住所交換した紙に貼ると、彼女は「なんでこんなに小さい
 の!?」と、ビックリしていた。うう、かわいすぎるわっ!
  私達は、その後も旅の話やお互いの国の話で盛り上がり、すっかり仲良くなった。
 でも、フランスに来て初めての友達なのに、明日にはもう別れるんだと思うと、とても
 寂しく、切なかった。

今日の出費: ユースホステル 120F
          カルネ      52F
         ポストカード   4F
         昼食代      20F
         水・ヨーグルト 6.8F
         クロワッサン  3.3F     合計 206.1F
 


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