ナント散策
<ナント散策>

 
 9月2日(水)ナント 曇りのち雨 

  フランスにきてから、初めてのどんより雲。あたしはユキコさんと一緒にユースの朝食を取り、17時に彼女
 と落ち合う約束をしてから、ナント散策へとでかけた。
サン・ピエール・サン・ポール大聖堂
  ナントは北西最大の街であるが、意外にこじんまりとした小さな街だった。
  まず、あたしが最初に行ったのが、サン・ピエール・サン・ポール大聖堂。
 ジャン5世が、公国一の大聖堂を望んだために、1434年に着工されてから、
 完成までに450年もの歳月をかけた建物である。この大聖堂の何がすごい
 かって、全面に施されたゴシック調の素晴らしい彫刻である。扉も大きく、
 道を歩いていると突然現れる大聖堂なので、かなり圧倒されるのだ。
  あたしはこの彫刻の細かさに、しばらくの間、見入っていた。毎度のこと
 ながら、この繊細&緻密さには脱帽である。

  大聖堂を一通り見て回ったあと、あたしはナントのシンボルであるブル
 ターニュ大公城へと向かった。1488年、この城で生まれたアンヌ・ド・ブル
 ターニュは父王の死去に伴い、わずか11歳で公国を継いだ。その3年後、
 フランス王シャルル8世に嫁ぎ、ブルターニュ公国はフランスに吸収される
 のである。
  アンヌは、夫であるシャルル8世が世継ぎも残さずに不慮の死を遂げた
 ため、次の王ルイ12世と再婚。前代未聞の2代に渡るフランス王妃となる
 のだ。これらは、ナントを初めとした彼女の領地が、フランスにとっていかに重要な地域であったかを物語る
 エピソードである。フランスとしては、なんとしてでも彼女の領地を手に入れたかったというわけなのだ。
  このブルターニュ大公城は、1598年にもう一度フランス史の表舞台に登場する。アンリ4世によるあの有名
ブルターニュ大公城  な「ナントの勅令」は、ここで公布されたのである。
  もともとプロテスタントであったアンリ4世は、プロテスタントとカト
 リック間の争いを解決する為にカトリックに改宗したうえで、この
 信教の自由を認める勅令を発し、36年間続いたユグノー戦争に
 終止符を打ったのである。
  深い堀に囲まれ、6つの棟によって防御されているこの城は、
 現在、この地方の芸術を展示した美術館と、海洋貿易に関する
 資料を集めた博物館が入っている。
  アンリ4世はブルターニュ大公城に初めて足を踏み入れた時、
 その壮大さに感嘆したと言われているが、あたしが1番に受けた
 印象は「厳格」である。綺麗とか壮大とか、そういう感じは全くし
 なかった。結構こじんまりとまとまった城なのだが、威厳が全面
 的に押し出されたような、そんな印象を受けたのである。
  あたしが行ったときは、外壁を眺めながらベンチで昼食をとったり、読書をしたり、ジョギングをしたりと、
 様々な人がいた。天気のせいもあるのかわからないが、薄暗い空の下に構えているブルターニュ大公城は、
 何とも言えない尊厳さがただよっていた。

  それからあたしはブラブラと街を練り歩き、公園で一休み。しようと思ったら、小雨がちらついてきた。おお、
 フランスにきてから、初めての雨である。濡れるし、別に嬉しくもないので、だからなんなんだと言われても
 困るのだが、とりあえず初雨(?)ということで書いてみた。
  この雨もすぐにやみ、あたしは今度は駅の南口に回り、いわゆる繁華街へと向かった。あたしの泊まって
 いるユースや、今まで見てきた建物などは北口だったのだが、はっきりいって全然栄えていなかった。なので
 あたしは「ここの人達は、一体どこで買い物をしているんだろう」と不思議に思っていたのだが、ちゃんとこう
 いう場所があったのだ。
  南口には大きなスーパーやデパートなんかもあり、人で溢れていた。なるほど、北口にいなかった分、全部
 こっちに集中しているんだなと、ようやく納得した。ユースのあたしの部屋からも見え、散策中もずっと気に
 なっていた近代的なでかい建物があるのだが、それはフランステレコムのビルだった。
ナントの街並み
    あたしが色々歩いてみて思ったのは、ナントは土地として
 はとても広いけれど、小さくまとまった街であるということだ。
  だが、同時に「フランス北西最大の街」というのもわかった
 気がする。繁華街は結構栄えているし、何よりも、フランス
 史を語る上で、必要不可欠な深い歴史が、この街には存在
 するのだ。
  そして、これは決してフランスに限ったことではないけれど、
 田舎に行けば行くほど地域性が強く、濃くなり、自分の街を
 誇りに思っているのが、すごく伝わってくる。

    あたしはそんなことを思いながら、ユキコさんとの約束の時間まで、そこら中の店を練り歩いていた。
  



  ユキコさんとの待ち合わせの17時になり、あたしはユースへと戻った。あたしが着いたときには、すでに彼女は
 いて、それまでナント大学の寮の手続きやら掃除やらをしていたらしい。それであたしが何気なしに「ナント大学って
 どんな感じなんですか?」と聞いたら、「じゃあ、これから行ってみる?」と言ってくれるではないか!喜びいさんで
 その話に乗ると、彼女は「うーん、タクシーで行っちゃおう」と即座にタクシー会社に電話。そしてやってきたタクシー
 に乗って、あたし達は大学へと向かった。

  ナント大学は丘というか山というか、とりあえずそういうところにあって、繁華街からはかなり離れたところにあった。
 あたしは窓から景色を眺めながら顔がニコニコ。ユキコさんはそんなあたしを見て「それにしてもフランスに旅行にきて、
 ナント大学に見学に来る人ってそういないと思う」と言われてしまった。それでもいいのだ、ほっといてくれ。
 「あ、この辺りからもう大学の敷地内だよ」 言われて見れば、全然普通の風景。家もぽつんぽつんと建っているので、
 あたしは不思議に思って聞いてみた。「敷地内に民家があるんですか?」するとユキコさんは「この辺に建っている家
 は、全部教授の家なんだよ。あれは、数学(だったと思う)の教授の家」と言うのだ。あたしは驚いてまじまじとそれら
 の家を見つめてしまった。すごい、規模が違う。そう彼女に言うと、彼女曰く「パリは別だけど、フランスの大学って1つ
 の街みたいになってるんだよ。日本の市ぐらいの広さがあるの。とくにナント大学はフランスでも5番目に広い大学なん
 だって。わたしもパリからきたときはちょっと驚いたんだけどね」 その言葉を聞いて、あたしはうーんと唸ってしまった。
 確かに広い。これだけ車を走らせても、一向に校舎が見えないところからして、相当な広さである。

  やがて見えてきた多種多様な学部の校舎について説明してもらいながら、タクシーは寮の前に到着。あたしは彼女
 の後を追って寮へと足を踏み入れた。部屋に入ってみると、中は6畳ぐらいの広さで、家具は白とクリーム色で統一さ
 れている。広大な緑の広がる敷地に面した大きな窓が、とても印象的だった。
 これがフランスの大学寮というものなのね、などと嬉しく思いながら、エビアンをぐいっと飲む。あたしはエビアンが苦手
 なのだが、フランスでこういう雰囲気に囲まれて飲むとおいしく思えるから不思議である。・・・というより、単純?

  それから荷物の整理の手伝いをしながら、色々話しをし、そろそろお腹もすいてきたので街へ戻ることに。帰りはトラ
 ムに乗ることにした。トラムというのは日本にもまだあるけれど、道路を走る電車のようなもの。それに乗っていると、
 これから街へ繰り出す気満々の少年達や、食事にでもいくのかなといった感じの親子、老夫婦などの色んな表情を
 見ることができた。

  トラムを降りて、何を食べようかと話していると、ユキコさんが「中華にしようか。フランスにきてから、パンばかり
 でしょ?たまにはお箸を使ってご飯が食べたいよね」と言ってくれて、その気遣いが本当に心から嬉しかった。「和食
 なら日本人、中華だったら中国人が食べにきているところがおいしいんだよ」というユキコさんのアドヴァイスもあり、
 あたし達は中国人家族が何組か食事をとっていたお店に入ることにした。
  最初にお店の人がお勧めしてくれた白ワインを頼んで、あまりのおいしさに2人で大感動。なんていうワインなのかを
 聞いてみると「ナント名産のマスカデという葡萄から作ったものです」と教えてもらった。本当においしかった。
  それから料理を何品か堪能し、最後はデザート。それとコーヒーを飲みながら、色んな話をした。日本やフランスのこと
 彼女が日本で働いていたときのつらさや、留学するまでの話など、すごくためになったと思う。あたしも自分の目指して
 いるものについて話すと「それ関係なら、わたし前の仕事柄、知り合いが多いよ。必要だったら連絡して。紹介して<あげ
 る」とまで言ってくれた。人間て、どこでどういう巡り合わせがあるかわからないなと思った。

  食事も終わり外に出てみると、もうすっかり暗くなっていた。だけど、人がどんどん出てくる。「この時期だと日も長いし、
 みんな21時ぐらいから食事にでてきたりするんだよ。0時位までお店も開いてる」というユキコさんの言葉を聞きながら、
 あたしは店外で食事をとる多くの人達を見た。ナントという街は、比較的日本人は少ないほうだという。そのため、あたし
 達が通ると、みんなこっちを見るのである。確かにこの街にきてから、日本人はユキコさんしか見ていない。それがなん
 だかとても嬉しくて、いろんな意味でこの街にきてよかったと思った。
  それからぶらぶらと色んなお店を見て回り、あたし達も帰ることに。ユキコさんは寮なので、トラムの乗り場が違う。
 これからの旅の行き先を彼女に話すと、友達がローマにいるから何か困ったことがあったらここに連絡するといいと
 いって、連絡先を教えてくれた。最後まで優しくしてくれて、あたしは感激で胸がいっぱい。そうして発着所で彼女との
 別れを惜しみながら、あたしはトラムに乗ってユースへと戻った。

  部屋に戻ると、新しい子が相部屋で入っていた。名前は忘れてしまったが、話を聞くところによると、彼女もナント大学
 の生徒らしい。明日から寮に入るとのこと。あたしがユキコさんのことを話すと、仲間がいて嬉しいと大喜び。もしかしたら
 2人は友達になるかもしれないな、なんて思いながら話していた。彼女がブロワの出身と聞き、「明日、ブロワに行く予定
 なの」と言うと、彼女はオゥ!と外人リアクション。「景色がとても綺麗で、歴史のある素敵な街よ」と笑顔で語っていたの
 が、とても印象的だった。

  シャワーを浴びて、ベッドへ入りながらあたしは日記を書いた。イタリアに入ったら、ユキコさんに手紙を書こう。明日から
 は、どんな出会いがあるんだろう。そんな期待を胸に抱きながら、ナントでの最後の夜をあたしは過ごした。


  ちなみに、ナントには「ヴァンデ」に関する博物館やら資料館やらがあったのに、当時のあたしは全然ヴァンデを知らな
 かったので、そこまで足を運ばなかった。うううう、悔しい。かなりもったいないことをしたと思う。昔のあたしのバカー!!

今日の出費:

       果物、ヨーグルト   18.8F
       水、菓子類      26.6F
       トラム(2枚)       16F
       はがき(3枚)       6F

                             合計 67.4F
         
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