ブロワ
<ブロワ〜オルレアン>

 
 9月3日(木) ナント&ブロワ&オルレアン ともに晴れ 

   この日は朝7時30分に起床。朝食を食べに2階の食堂へ行くと、出張中らしきサラリーマンが、
  クロワッサンを頬張りながら新聞を読んでいた。どこでもサラリーマンは変わらないなあと思いなが
  らも、こういう安宿があると助かるだろうな、とも思った。
   ナントでの最後の食事をすませて部屋に戻ると、同室の女の子も身支度をしていた。彼女も今日
  からナント大学の寮に入るのだ。私達はお互いに笑顔で挨拶をすると、それぞれの場所へと向かった。
   駅につき、11時27分ナント発のパリ行きTGVで、アンジェ・サン・ロウまで。ここでも再度書かせて
  いただくが、ここからヴァンデ縁の地であるショレは、目と鼻の先。本当に、後悔先に立たずとはこの
  ことである。今これを書いていても、ハンカチをギリギリ噛み締めるぐらい悔しくてたまらない。まあ、
  当時の私はヴァンデの知識は皆無だったので、行ったところでそんなに感慨を受けることはなかった
  のかもしれないが・・・。交通の便も悪いしね。

   アンジェ・サン・ロウにつき、ここで電車を乗り換えて、ブロワへと向かう。しかし、いくら待てども
  電車が一向にこない。もしや、これが有名なストライキというものなのだろうか。フランスやイタリア
  では、日常茶飯事で起こると聞いていた。その時はイライラしても仕方ないので、とりあえずひたすら
  気長に待つしかない、とも教えられた。周りを見ると、なるほど、みんなのんびりとべンチに座って寝て
  いる。電車がきても気付かないんじゃないかというぐらい、爆睡しているおじいちゃんもいた。さすがに
  私は旅行客ということで、寝るなんて恐ろしい行動はとらなかったけれど、そのまま寝てしまいたい
  ぐらい、とても日差しが心地よかった。
   そのままぼけーっとホームに突っ立っていると、1人のあばあちゃんが声をかけてきた。どこへ行くの
  か聞いてきたので、ブロワと答えると、そのおばあちゃんもブロワへ行くと言う。旦那さまが待っている
   らしいのだ。そのおばあちゃんはとてもかわいくて、私が1人で旅をしていることを知ると、ものすごく
  心配してくれた。私が心細くないように、わかりやすく色々話してくれて、それがすごく嬉しかった。
   すると、1人のおじいちゃんが話に加わってきて「今日は電車が来るまで一時間ぐらいらしいよ」と
  言っていた。最初は、おばあちゃんの知り合いなのかな?と思ったのだが、全然知らない人だったらしい。
  フランスに来てから、何度か私はこういう場面に遭遇している。それだけフランスでは当たり前のことなん
  だろうなと思った。日本だったら、知らない人たちとこんなに仲良く話すことなんてないだろう。携帯電話
  でその場にいない人と話すという光景に見慣れている。こんな風に、その場に居合わせた人達と楽しく
  話すっていいなと、私はぼんやりと思っていた。

   おじいちゃんの言っていた通り、待つこと1時間。ようやく電車はやってきて、私達はそれに乗り込んだ。
  電車ではそれぞれバラバラに座り、のんびりと外を見ながらこの土地の風景を楽しんでいた。一面に広
  がるなだらかな丘陵と畑、それらを見ていると時間の流れがとてもゆっくりに感じられる。自分がここに
  いるということがたまらなく嬉しく、感動さえ覚えた。
   ブロワ駅に着いて電車を降りると、私の前をあのおばあちゃんが歩いていた。前方には1人のおじい
  ちゃんが笑顔で立っている。彼が旦那さんのようだ。おばあちゃんも嬉しそうに笑顔で歩み寄り、抱擁の
  あと、仲良く手をつないで歩き始めた。その2人の後ろ姿を見て、私も年を取ったらあんな風になりたいと
  思わずにはいられなかった。
   私は2人に駆け寄り、電車の中で折り紙で作った鞠を、感謝の気持ちを込めておばあちゃんにプレゼン
  トした。老夫婦は喜んでくれて「素敵な旅をして、フランスをもっと好きになってね。女の子1人なんだから、
  十分注意するのよ」と言うと、最後に私の頬にキスをして改札を抜けていった。
   心と心が触れ合うってこういうことか。――私は胸がじーんと温かくなるのを、全身で感じたのであった。




 

   ブロワに到着してからは、とにかく暑くて暑くてたまらなかった。駅のロッカーが壊れていたため、荷物を
  預けることもできず、観光中ずっと背負っているしかなかった。
   この街での目的はブロワ城。本当はロワール古城巡りをしたかったのだが、交通の便が悪いのでツアー
  でないと行くのが難しいらしく、その中で駅から1人でも行ける城を探したところ、このブロワ城しかなかった
  のである。
   汗を拭き拭き、荷物を背負ってひたすら歩く。ブロワは非常に坂が多い。なだらかな坂から、なんじゃこりゃ
  と思う坂まで、色んなタイプが用意してある。でかリュックを背負っている私には、拷問に近かった。気を緩め
  たら、漫画のようにゴロゴロと転がり落ちそうになる。
   そんな恥はさらしたくないと思いながら、必死に坂を昇ること数分、ようやく赤レンガと白い石枠作りの建物
  が見えてきた。ブロワ城である。
ブロワ城(正面)   ブロワは中世時代、強力な封建領主ブロワ伯のお膝
 元だった。12世紀初頭にはイギリス王家と婚戚を持ち、
 その家系からは英国王も出ている。だが次第に勢力を
 失い、14世紀末には最後のブロワ伯が領土をシャルル
 6世の弟ルイ・ドルレアンに売却した。こうしてブロワ城
 は王家の所有となり、愛憎に満ちた歴史の裏舞台と
 なっていくのである。
  1498年、ルイ・ドルレアンの孫ルイ12世が即位すると、
 宮廷はこのブロワ城に移された。以来、この城はフラン
 ソワ1世からアンリ3世まで、合計6人の王の居城となる。
  歴史に残る惨劇“ギース公の暗殺”や、ルイ13世の弟
 ガストン・ドルレアンの幽閉など、国王の廃位を図った者
  はこの城で人生を終えるという、何とも曰くつきの城になってしまったのである。
   だが、その血生臭い歴史とは裏腹に、外観はとても美しい。文豪バルザックはブロワ城について、「3つ
  の異なった建築様式、3つの時代を表している」と言ったといわれている。この城は13世紀初めから17世紀
  にかけて、たびたび増改築されているため、ゴシック、ルネッサンス、古典様式と、各時代の建築様式
  を眺めることができる。「建築様式博物館」の異名を持つほどである。

王の庭園からの風景    城の周りはカフェや土産物屋などで賑わっていたが、
  城の西隣から続く「王の庭園」と呼ばれる庭は、とに
  かく素晴らしかった。庭園はひな壇式になっており、小
  道が何本も通っている。それが迷路のように下や横に
  つながっていて、まるで「秘密の花園」さながらのよ
  うで楽しかった。
   庭園のすぐ下にはヴィクトル・ユゴー広場、目の前
  にはフランソワ1世翼館の外周回廊、そしてロワール川
  を挟んで対岸の街並みまで眺めることができて、素晴
  らしいの一言に尽きる。感動。

   帰りに、坂道の一角にある土産物屋へ立ち寄った。
  恒例の絵葉書を選んでレジに持っていくと、中年のお
  ばさんが笑顔で迎えてくれた。どこから来たのかと尋
  ねられたので、日本と答えると、おばあちゃんはニコニコ顔で「去年の春に日本に旅行に行ったのよ」と言い、
  額に入った大きな写真を引っ張り出して見せてくれた。そこには見慣れた鎌倉の大仏様が。あまりの近さに
  私が横浜からきたことを言うと、おばあちゃんも驚きつつ、色々話してくれた。主に東京観光をして、そこから
  鎌倉に行ったので、横浜は見て回っていないとのこと。今度は横浜と京都にに行きたいと言っていた。やはり
  外国人は京都がいいらしい。
ブロワ城(裏)   店を出て、先ほど庭園から見ていたヴィクトル・ユゴー広
 場で、一休み。見上げれば、ブロワ城のズンと建っていて、
 正面から見た印象とは全く違ったものに見えた。少し怖い
 かも、とすら思った。
  視線を戻して今度は横を見ると、ブロワの街並みがずっと
 広がっていた。その可愛さに感激する私の肩を、トントンと
 叩くものあり。何かと思って振り返ると、キャスケット帽を
 被った1人のおじいちゃんが立っていた。写真を撮ってくれと
 言う。私は快く了解して、カメラを受け取った。赤いパンツと
 木目のステッキが何とも印象的。
  撮り終わってカメラを渡すと、今度は私のも撮ってあげると
 言うので、お言葉に甘えることにした。カメラを見つめて、
 はい、ポーズ。と、その時、ものすごい風が吹き荒れて、髪
  の毛がぐぉんと巻き上がったのである。ゲ、と思ったときにはもう遅く、見事その瞬間をカメラにおさめられて
  しまった。……恨みます、おじいちゃん。

  そんなこんなでジェントルマンなおじいちゃんともお別れ。下り坂をてれんこんてれんこん歩きながら、私は
 おじいちゃんのポーズを思い出しては、1人で吹き出していた。ステッキを空に掲げて、まるでこれから出陣
 でもするかのような凛々しさだった。最高にイかしてた。
  
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