父親は様々な書き置きを残して逝った。

 父親が愛用していたワープロのリボンを調べてみたところ、下のメモと同じ部分を見つけたので切り取って並べてみた。


 昨年の秋ごろから、問い合わせをするために何度も何度も何度も父親が電話をしても、事務員は「留守にしている」「来客中」

 という理由で代理人に取り継がなくなった。

 「ではお帰りになっらた連絡をください」と言付けしても、ただの一度も電話がかかってくることはなかった。

 これでは「言った」「言わない」の問題にすらならないので、父親は連絡事項をワープロで作り、法律事務所に送る方法に変更した。

 すると後日、父親の送った書面に代理人が返答を上書きして送り返されてきた。それでも電話は“ただの一度も”かかってこなかった。


 5月上旬に鑑定医から鑑定書が提出され、約8ヶ月ぶりに代理人から連絡が入った。

 「打ち合わせをしたいから事務所に来てほしい」

 父親は重度の排便障害があるために、買い物に出る時もトイレの場所が把握できている近所の店にしか行けなかった。

 「土浦まで長時間の打ち合わせ」となると、父親は朝から絶食して下剤で腸を空っぽにする必要があった。

 法律事務所は土浦市にあるが、代理人の自宅と我が家は車で10分ちょっとの距離にある。

 代理人とは提訴前から7年半のつき合いになるけれども、後遺障害を抱える父親のもとに来たことすら“ただの一度も”ない。


 7月3日、朝から絶食していた父親が土浦の法律事務所を訪ねると、代理人は上記メモのように冷淡な応対をした。

 「訴状に書かれている件に関してだけ請け負ったので、それ以外の件は追求する義務はありません」

 つまり、提訴後に新たな事実や証拠が発覚しても、この代理人にとっては「私には関係ありません」ということなのだろう。


 委任契約を結ぶ際に代理人から口止めされていたので、これから公表する話は墓まで持っていくつもりでいたが、

 もう他人なので封印を解くことにする。

 余りにも出来過ぎた話なので信じられないと思う人もいるだろうが、調べればノンフィクションだと分かるので検索してみてほしい。


 代理人の御主人は茨城県内にある某医師会病院の副院長をされている。訴訟を起こす前は、医師が身内にいてくれれば鬼に金棒だと家族中で喜んでいた。

 ところが、実はこの御主人は本件訴訟の被告人である辻勝久とは筑波大学で同期生だった。しかも専門まで同じ「消化器」。

 へたに頼って迷惑をかけてはいけないと思い、この7年半の裁判では一切コンタクトをとった事もないし、とろうと考えたこともない。

 協力してくださる医師を探したのも私なら、鑑定医のリストアップをしたのも私、難解なカルテを分析するために高価な医学書を買い揃えたのも私。

 最初は「鬼に金棒」だと思っていたことが、裁判を進める上での「障害」だったと気付くまでに数年の時間を要してしまった。

 被告らと同じ筑波大の学閥、被告病院に出資している医師会に籍をおく立場、これでは味方ではなく身内を人質にとられている弁護士である。

 本件以外の医療裁判で、被告となった病院の医師から「彼女は保険屋、和解屋だから」「どっちの味方か分からない事がある」と揶揄されている。

 別件の医療裁判は6年かかって地裁で原告全面敗訴、原告は彼女と違う代理人をたてて高裁に臨み、たった半年で逆転全面勝訴を勝ち取られた。


 裁判に訴えようと決意した最初の段階から、私たち原告は「訴訟代理人探し」という判断と選択のミスを犯してしまった。

 足掛け7年も訴訟を続けているのに、未だ一審の途中のままなのは当たり前のことだったのかもしれない。