◆ 公判の経緯 ◆
2004年の夏、前任の川島裁判長からバトンタッチされた中野信也裁判官の初仕事は「和解合議」の開始だった。
2005年1月25日、被告辻勝久が阿竹茂の偽者を合議に参加させ、被告側の不服により和解合議が暗礁に乗り上げる。
2005年3月1日、「辻はああいう性格だから石川院長を呼んで和解を説得する」と中野談。しかし「前回は辻と阿竹の
話を聞いたから・・・」の言葉に自分の耳を疑った。1月25日に阿竹なんぞ裁判所にはいなかったから。
2005年3月30日、再度の和解説得のため替え玉幸田(石川院長)と被告幸田圭史を裁判所に呼ぶが、結局は和解不調。
2005年4月20日、正式に和解が決裂。この先は判決に向けて裁判上鑑定の鑑定医選任作業に入る。
2005年1月25日の替え玉阿竹出廷のペテンは、次回3月1日の和解合議の席で中野裁判官の口から聞き事実が発覚した。
翌2日には阿竹の再人定を求める上申書を作り、原告側代理人を通して裁判所に提出した。
しかし裁判所からの回答は「裁判所に被告を名乗る替え玉が出廷するなど前例がないから再人定には応じない」だった。
裁判所からの筋の通らない回答にショックを受け、原告本人である父親が体調を崩したため、原告を父親から私に変更する旨
陳述書を裁判所に提出したが、「代理人として弁護士をたてているのだから原告の変更は認めない」との回答が返ってきた。
原告並びに原告家族はそれ以降は公判に出廷していない。
被告阿竹茂は、現在は筑波メディカルセンター消化器外科から離れ、同病院救急診療科に在籍しているので、2005年1月25日
の勤務状況を調べるため茨城県弁護士会長に依頼して、筑波メディカルセンターに阿竹茂の勤務日報の提出、並びに近隣の消防
本部に対し、2005年1月25日の救急搬送記録の情報開示を求める書面を送っていただいた。
弊サイト2005年6月20日のページで公開している通り、筑波メディカルセンターからの回答は「開示を拒否」
救急搬送履歴のあった筑波消防本部からは、4件の搬送記録が開示されたが阿竹の引き継ぎサインはなかった。
同じく2件の救急搬送履歴のあった稲敷消防本部(牛久市・竜ヶ崎市などが管轄)からの回答は「引き継ぎをした医師から開示
を拒否されたから搬送記録を提出できない」であった。
茨城県弁護士会長からの情報開示請求であっても、あくまで任意であって強制力がないため、拒否されたら真相は藪の中になる。
2005年6月20日の公判の際、中野信也裁判官は原告代理人に向かって「替え玉の件は原告の勘違いです」と断定した。
確かに裁判所は被告阿竹の再人定を行っていないのだから、1月25日に出廷した阿竹を名乗る人物が替え玉だったという証拠は
ない。しかし再人定で確認をしていないのだから、出廷した人物が阿竹に間違いないという根拠も存在しない。
事実関係を確認もせずに、原告の主張だけを「勘違い」と切って捨てる中野信也裁判官の本性を見た瞬間だった。
聞くところによると、中野信也裁判官は過去に東京高裁の判事を務め、水戸地裁本所を経て水戸地裁土浦支部に異動してきた。
今年か来年には裁判所を退官し、自宅のある土浦市内で弁護士事務所を開くそうだ。つまり「辞め弁予定」の腰掛け判事だ。
地元開業となるとお膝元で波風立てたくないというのが本音だろうか。
まさか土浦医師会の次期顧問弁護士を打診されているとかではあるまいな? 現在の顧問弁護士は被告代理人の中村光彦だ。
この2年間で唯一、私が中野信也裁判官の判断を評価したことがある。
裁判上鑑定に複数名(当初は3名)の鑑定医を選任すると決定したこと。これなら公正な鑑定が期待できると思った。
裁判所からの依頼で、さっそく私は筑波大・千葉大学閥に関係のない専門医7名をリストアップして裁判所に提出した。
事前に原告代理人がリストアップした7名に鑑定を打診し、6名の専門医から受諾の意思を表明していただいた。
受諾してくださった先生の中には、わざわざ原告代理人に電話を入れてお返事くださった方もいたと聞き感激した。
裁判所はこの6名の専門医の中から誰を鑑定医として選任するのだろう?
期待しつつ裁判所の判断を待っていたところ、2005年9月26日の公判で中野信也裁判官の判断は「鑑定医は一人に決定」
鑑定医を一人に決めた理由は一切明らかにされていない。
中野自ら複数名の鑑定医を選任すると言っておきながら、理由を説明することもなく不当に自分が下した判断を翻した。
原告には不服の申し立てをする選択肢もあったのだが、裁判所を相手に喧嘩を仕掛けても得はないだろうし、私がリストに
挙げた専門医が鑑定を引き受けてくださるのだから静観しようと考えた。
遅くとも2005年の年内には鑑定書が出されるだろうと思い、9月26日以後は静かに待っていた。
鑑定書が提出されたという連絡も入らないまま、2005年が暮れ、2006年が明けてしまった。
原告代理人からも何ら状況報告の連絡がないため、本日1月10日、父親は上記のファックスを原告代理人に送信した。
朝9時過ぎにファックス送信、昼過ぎに原告代理人が加筆したファックス返信が入った。
「依頼は・・・去年の秋頃だと思います」
このファックスに続いて裁判所からの書面も送信されてきた。(次ページからがその書面)