2001年8月8日、私と母親が筑波メディカルセンターの集中治療室(ICU)で目撃した「幸田の替え玉」の正体を弊サイトで公表した。

それから間もなくして、千葉大に逃げ戻った幸田本人から以下のメールが私宛てに届いた。

5年以上前の情報ではあるので、いつ使おうか温め続けてきたが、テレビや週刊誌に私が出た今こそがタイミングだと思った。



冨田さん、、
久しぶりに冨田さんのホームページを見せていただきました。ずいぶんと辛辣なことが新たに書かれていて、本当に傷つきました。冨田さんのご尊父の件では私も今も心から申し訳なく思っています。裁判ですので、冨田さんの満足される結果と、私どもの主張とがぜひ折りあいがつくことを心から願っています。医師として、多くの人を自分の治療で救ったと確信できることもあれば、間違いであったと思うことも確かにあります。救った人から感謝されることよりも、救えなかった人々のことがどうしても頭に残ります。冨田さんの件以外にも、心の中に滞っている患者さんは20年も外科医をしているとどうしても数多くおられます。自分は細かいことにこだわる人間ですので、合併症は起こさないことを誇りにしておりましたが、どうしても合併症は避けられないことは、年間100人以上の大腸の手術を行っている現在、認めるしかありません。認めない外科医は手術をしていない外科医と思います。
冨田さんのご尊父の手術の2日後か3日後、メディカルセンターのICUで、ご尊父が人工呼吸器で管理されている、向かって一番左側のベッドの脇で、奥様と、息子様(冨田さんご自身でしょうか。お二人とも小柄の印象がありました)お二人に私から謝罪いたしました。その翌日か、その翌々日か、どちらかははっきりしませんが、筑波大学の医局経由で私に冨田さんご本人から電話をいただきました。内容は、「先生(私のことだと今でもおもっていますが)の態度に共感を覚えたので、筑波大学に今すぐ転院したい。」とのことでした。私はかような状況でも頼っていただいて、本当にありがたく思いました。なんとしてもご尊父には回復していただきたいと思いました。それはご尊父のためでももちろんあるし、私の関わった患者さんには治っていただきたいのだという私の自尊心でもありました。ただ、現実には、ご尊父は集中治療室で、人工呼吸器の管理下におられ、大腸穿孔による腹膜炎という重篤な病態におられ、メディカルセンターのICUという、茨城県では有数のスタッフの常備されている所から、患者さんの危険をおかしてまで大学に移動するなどというのは、とても現実的ではないと思われました。私は急性期を過ぎて再々手術を行うのであればぜひ筑波大学にいらしてくださいと申しました。これは冨田さんも覚えてらっしゃると思います。冨田さんご自身から「その節はお願いします」とのお言葉をいただいたと記憶しております。その後も時間を見つけてはメディカルセンターに容態を見に行きました。ただ冨田さんとメディカルセンターのスタッフとの関係がうまくいっておらず、説明が食い違うといけないので、私からは話をしないように、説明する窓口はメディカルのスタッフからのほうがいいです、との申し送りをもらいました。冨田さんには、ICUで阿竹先生からの説明が行われた、ICUの入って右側の部屋の前で、もう一度お会いしています。そのときは御辞儀をしただけでした。その後、ご尊父が一般病棟に移られ、退院も近いと聞かされてからは、メディカルセンターには訪問しなくなりました。メディカルセンターの外来に通われるうちに縫合不全部の治癒を待てば、一時的人工肛門を閉鎖することが可能になるだろうと考えておりました(実際にそのような患者さんは数多くおられますし、時間をかけても極力直腸を残すほうが直腸を切除するより、後の排便機能は良好と確信しています)。その数ヶ月後、私が千葉大学に戻ることが決定してから、筑波大学の当時の医局長(偉い人です)が突然、冨田さんのご尊父が学園病院で手術をしたらしいと私に教えてくれました。ショックでした。冨田さんが医局の私宛にくださった電話では、先に書いたように、再手術は可能であれば私のところで行いたいと言っておられたと信じておりました。どこでどういう風に気持ちが変わられたのかとおもいました。折居先生は大腸の専門家と先輩から聞いておりましたので、今回の治療では治療後もなんらのトラブルが無いように祈るような気持ちでした。ご尊父と、できればご家族に面会をお願いしたいと申し出でいたしました。もとどおりの排便機能を再建するための手術(私はこのことを私の生涯の仕事と考えておりますが)を、私どもに任されるものと思っていたところ、突然他院で再手術を行われたとの報告を医局長から受け、私はご尊父が受けられた直腸の低位前方切除術の保険点数(100万円程度の高額医療)の本人負担分(ご本人の職業によって異なりますが一般には20%、20万円)を私が最終的に治して差し上げられなかった分、御見舞金としてお支払いするべきではないか、と外科医師である私の家内とも相談してお持ちしたのです。もちろんそのような事情はご尊父にお話ししていません。冨田さんのおっしゃるような”口止め料“という気持ちは誓ってありませんでしたので、今回の書き込みは本当につらいものでした。冨田さん、家族の方がこのような満足されない医療を受けられたことを私も理解しているつもりです。しかし、直腸癌の20%以上は手術による縫合不全や腸閉塞などをはじめとした合併症がおきているのです。ニコニコして感謝されて帰られる患者さんより、苦しんでおられる患者さんが記憶に残るのは医療者でおられる冨田さんにはお分かりでしょう。自分の手で、苦しむ人を作るのは、夜も眠れないほどの苦しみです。冨田さん、私も一般の人間です。自分のことが悪く広報されるのは耐えられません。おっしゃりたいことがあるのはわかりますが、インターネットを通じて私にメッセージを送ったり、誹謗中傷するのではなく、ぜひお会いして話しませんか?冨田さんの連絡先を知らされていないので掲示板に書きましたが、僕はこういうのは好きではありません。インターネットも得意ではありませんし。この手紙も冨田さんに公開されるのかと思うと出すのをためらいますが、医療者である冨田さんを信じて今回は出してみます。ただ、私の個人情報はこれ以上、公に出したくありません。冨田さんの使っているso-netのISPに相談しました。近いうちにISPから照会がくるとおもいます。これ以上の私に関する書き込みを控えていただきたいとの気持ちです。ご高配をおねがいいたします。 メールならk-koda@umin.ac.jp 電話なら043-226-2103まで、お願いいたします。お待ちしています。


幸田という人物は、作文をまったく改行しない癖があるため、非常に読みづらい文章になっているが、あえて原文のまま掲載することにした。

弊サイト掲示板に以前書き込みをくり返していた「元患者」を名乗る人物も、私が指摘するまではまったく改行しない癖をもっていた。

上の文章で注目して頂きたい部分を赤字に変換した。この作業だけは私が後から施したことである。


「冨田さんのご尊父の手術の2日後か3日後、メディカルセンターのICUで、ご尊父が人工呼吸器で管理されている、向かって一番左側のベッド

の脇で、奥様と、息子様(冨田さんご自身でしょうか。お二人とも小柄の印象がありました)お二人に私から謝罪いたしました。」


すでにテレビや週刊誌で面が割れてしまったのだから、今さら隠しだてすることもあるまい。

母親の身長は152cmで、私の身長は177cm、首回り43cm、肩幅49cm、胸囲105cm、握力70kg、友人らは私の腕を「前脚」と呼ぶ。

病気ひとつしない頑丈な体に産んでくれた両親には感謝をしている。

生前父親が、幸田が20万円の「口止め料」を持って、筑波学園病院まで見舞いに来た時のことを話していた。

「俺と同じくらいの背丈だった」(父親談)ということは、幸田の身長は160cm台後半、裁判所での被告人尋問で私が初めて幸田を見かけた

印象と同じである。



集中治療室で昏睡する父親のベッドを挟んで、約2〜3mの距離で向き合っている身長差25cmの親子を、それも片方は見上げる目線にある人間

をつかまえて、幸田は「お二人とも小柄の印象がありました」と言ってしまったのが失敗だった。

私は出生から今日まで、他人から「小柄」と評されたのはこの一件が初めてだ。恐らく死ぬまで人様から「小柄」と言われることはない。

この幸田からのメールに対して、「私は小柄ではない」と返事をしたところ、幸田は次のメールで「息子さんですか?と確認をしたわけではな

いから」と苦しい釈明をしていたが、筑波メディカルセンターICUに入室できるのは、家族と家族同伴の第三者しか許されていない。


父親の入院について、「早ければ1週間で退院できる」と辻から言われていたため、親族、仕事の得意先、近所の人にも話してはいなかった。

唯一第三者で父親の入院を知っていたのは、父親の会社の女性従業員だけだった。

つまり、筑波メディカルセンターICUの、父親のベッド近くに存在できた男性は「私以外にはあり得ない」ということだ。


2005年3月31日、幸田は筑波メディカルセンター院長の石川と共に、水戸地裁土浦支部に出廷してきた。

本来原告側の出廷は必要なかった期日だが、テレビ局ディレクターが取材したいと要請してきたので、私だけが裁判所に向かうこととなった。

ディレクターとの待ち合わせ時間に裁判所へ行くと、すでにディレクターは裁判所玄関前に到着していた。

「幸田先生だと思うんですが、もう裁判所の中に入っていかれましたよ」と、ディレクターが言う。

「幸田はどの車で来ましたか?」とディレクターに聞くと、千葉ナンバーの紺色のボルボを指さした。幸田に間違いない。


「幸田先生は悪い人ではなさそうですね。私にも丁寧にお辞儀をして行かれましたよ」とディレクターは言う。裁判所の玄関前にいる誰とも判

らない人間に「お辞儀をして行かれた」?

裁判所内に入ると、法廷前廊下の長椅子に石川と幸田が並んで座っている。本当は裁判所内は撮影が禁止されているが、デジカメで被告ら2人

を撮影しておいた。


後にディレクターが幸田本人に電話取材をかけたところ、幸田は「マスコミの人間が私を撮影した」と不快感をあらわにし、改めて「私は間違

いなくICUで冨田さんの息子に会っている。奥さんも息子さんも小柄な人だった」と強調したそうだ。


裁判所で待ち合わせをしたディレクターは、身長が160cmちょっとの小柄な人。

まさか幸田は、裁判所玄関前にいたディレクターを私だと思い込み、バカ丁寧にお辞儀をして「冨田の息子はやはり小柄だった」と確信をも

ち、裁判所の廊下でカメラ撮影をした私をつかまえて「マスコミの人間が私を撮影した」と激怒したのか?


幸田もテレビの放送や週刊誌はチェックしただろう。

マスコミ関係者だと激怒したはずだった人間が、実は冨田の息子だと知って腰を抜かすくらい驚いただろう。

私を「小柄」と言ってしまったことが致命的だった。誰が見てもすぐにバレてしまう幼稚な嘘をつくのはやめておきなさい。

嘘もつき続けると、いつしか脳内で真実であるかのような錯覚をしてしまうようだが、調子に乗って余計なことを口走ったばかりに自爆する

まさしく教科書のように間抜けな人だ。

平気で人を欺き、嘘がバレて都合が悪くなると強い者に泣きつく。もう餓鬼じゃないんだから、自分の尻くらい自分で拭いたらどうだ?


いい機会だから幸田圭史に対する被告人尋問での大嘘も公表しておく。

亡き父親の分まで残りの人生を全うし、日本の医療にとって他山の石となるために、世に生き恥を晒せ。