ぼっけえ、きょうてえ 岩井志麻子著
角川書店 \1400+税
薄暗がりの部屋の中に、白く塗った女の顔がぼうっと浮かび上がっている。着くずした紫色の着物の裏地は赤く艶めいて、あらわになった襦袢は火焔獅子と飛天の絵柄で、見るものを一瞬ぎょっとさせる。女の整った顔立ちはやや斜視気味で、唇が片側だけつり上がっているのが艶っぽくもあり、得体の知れない雰囲気を醸し出している。表紙カバーに使われているこの絵は「横櫛」という題の、大正時代に描かれた日本画である。表題作「ぼっけえ、きょうてえ」はこのカバーの女を彷彿とさせる遊女が客に聞かせる寝物語という形で語られる。寝物語といっても甘やかな雰囲気はこれっぽっちもなく、語り手である遊女は何度も「ええ夢は見られんなるよ」と念を押す。タイトル「ぼっけえ、きょうてえ」とは備前の言葉で「とても、怖い」という意味である。津山から岡山に売られてきたという彼女は、備前の言葉でゆるゆるとひとり語りをする。
この本には表題作の他に「密告函」「あまぞわい」「依って件の如し」の三作が収められているが、どれも明治〜大正時代の岡山県を舞台としている。常に飢饉と背中合わせで暮らす地域で、物語中を流れる空気はどれも窒息しそうなほど濃密である。その中でドロドロとした人間関係が繰り広げられる。色恋沙汰というよりは愛欲と呼びたい。全ての物語は、妙にエロティックでねっとりと絡みつくような読後感を与える。
それぞれの主人公達は「余所者」であったり「村八分の家の子」であったり「ケガレ」を背負っていたり、つまり何らかの形で差別を受けている人ばかりである。誰もがあくせく働きながら、決して豊かではない暮らしを余儀なくされている。ぎりぎりの状態で生まれる差別は、従って情け容赦なく主人公達を打ちのめす。怖いのは人を蔑まないことにはやっていけないほどに余裕のない人々の心と、もっと追いつめられた挙げ句にねじ曲がっていく心ではないか。だから具体的にお化けや妖怪が出てくるわけではないのに、物語はどれも薄気味悪く重苦しく、なにより妖しく悲しい。
舞台としては岡山県が選ばれているけれども、田舎の光景や人々の表情など、おそらくどこが舞台であっても違和感なく置き換えられるに違いない。遠い、自分とは全く関係のない話と思わせないほどのリアリティのある描写が、怖さを誘うもう一つの要因である。むしろこの本を流れる空気にある種のなつかしささえ嗅ぎ取る人もいるのではないだろうか。