このブックトークは、文体クイズになっています。私は、誰の文体でこの文を書いたでしょうか?お分かりになった方はご一報ください。
筆者は、職業上、司書に分類されている。従って書くものはことごとく書評として分類されるものでありたいとねがっている。
書評とは、かりに定義をいうとすれば、書誌学的に秩序づけられた妄言といってよく、その意味では、ここに書いていることもまたとりとめもない。
ただし、仮にも人に本をすすめることを目的としているために、妄言にもいちいち根拠が要る。知識のない分野があれば、地道に読みすすめていくより他にないのである。
知識のない分野などということばをつかったが、むろんSFのことである。日本に住むSF好きは、わずか数万ながらも確固として存在し、他分野のファンにくらべて卓越した仲間意識をもっている。と、すくなくとも、私のような門外漢には、そう見える。
かれらは、よく群れつどう。「SF大会」というものがあって、作者も読者も、こういった集まりに出席する。そういった集まりは、決してめずらしいものではない。ただ、集会の響きは、しばしば排他的である。
和を大事にする日本というくにで、SFが孤立するのは、そのあたりが、理由に思える。だから、出版界が信じているであろう、ひとつの伝説―SFは売れない―も、故なしとしない。SFは、SFファンにしか売れないと、思われている。
しかしながら、出版界も努力している。SFの二文字が抜けるのは、仕方ないにしても、「ループ」(1)はベストセラーである。瀬名秀明の諸作品(2)(3)も、なかなか善戦している。どれも、私などの目には、SFに見える。どうしてSFとして売らないのだ、という気分が一部に出ている。が、売れていれば分野などどうでもよい、という気分も一方にある。
妙にはなしが外(そ)れた。
私にとって、SFとは、いわば深い森である。私は、森の入り口で、逡巡している。初心者が、不用意に分け入るのは、危険である。やみくもにふみ込んで、はじめに出会う本が難解であったら、私はそれ以上読みすすむことをためらうかもしれない。
こういうとき、頼りになるのが、同期の司書仲間である駄弁者さんである。
みずからを
司書の駄弁者
と、名乗り、それなのに「まだまだ不案内です」などと、言う。私にはない謙虚さをも兼ねそなえた、好人物である。かれは、この森について詳しい。たのめば、実にきがるに、道案内をしてくれる。初心者向きの、いわば散歩コースを、ということで案内をたのんだ。そんなわけで、われわれは森に入ったばかりである。
「これは何も考えなくても読めます」
と、駄弁者さんが言う。「夏への扉」(4)は、猫の表紙が、かわいらしい。はじめの数ページも、猫を飼っているひとならば、深くうなずくことであろう。運命は、みずからの手で切りひらくものだ、という主張が、伝わってきそうである。
同じように、入門書として最適なのが、梶尾真治の諸作品である。短編集「ちほう・の・じだい」(5)が、いまは手に入れやすい。SF版「智恵子抄」とも言える表題作から、どたばたコメディまで、作風は、じつに幅広い。田中芳樹のパロディ作品もある。ついでながら、もとは「七都市物語」(6)という、これもSF作品である。ライトノベル、という名称が、あるという。軽く読める、の謂だが、軽いとひと口にいっても、文体が軽いものと内容が軽いものとに分けられて、ここでは、文体の軽いものをそう呼ぶのだと、判断した。 「星界の紋章」(7)は、軽妙な会話が、面白さをさそう。富士見ファンタジア文庫や、角川スニーカー文庫といった、ヤングアダルト物から、本格的なSFの世界へ入っていくには、ちょうどいい本ではないかと思う。会話が多すぎる、という欠点も、指摘できるだろうが、主人公の年齢(17歳と16歳)を考え合わせると、むしろ自然であろう。むしろ、ふりがなの多さが、私には気になった。言語学に興味のあるひとにも、いいかもしれない。
おなじく、若さにあふれる小説を、紹介する。「たったひとつの冴えたやりかた」(8)である。これは、連作短編集だが、表題作が、やはり秀逸である。主人公の少女が、初めて宇宙へ出かけようとするさまは、さながら、若い女性が一人旅にでる、あの感覚にそっくりである。表題作では、少女の弾んだ気分が、読者にまで伝わってくるようだが、それだけに、最後の部分は、感傷をさそう。第3話も、私は好きである。が、何より、狂言回しである、大学図書館の主任司書が、いい味を出している。
さきの本の第3話は、異星人と、地球人との接触―ファースト・コンタクトを扱ったものであった。
「異星人とのコミュニケーションが、成り立たない場合は戦争でしょう?」 と、私はいった。
「戦争にすらならない場合があります」
と、駄弁者さんは、平然としている。戦争にでもなれば、あるいは、相手のものの考え方、といったものが、ひょっとしたら、分かるかもしれない。たたかいは、悲劇しか生まないであろうが、そこには、パンドラの匣のように、希望だけを残すこともできる。
たとえば、「エンダーのゲーム」(9)は、戦争物だが、最終章になって、異星人バガーの心を、地球人の少年エンダーが、理解する。
この小説は、戦争そのものよりは、主人公の少年の、内面を語ることに、主眼を置いている。早熟な子どもの、成長物語として読むことも、充分に可能である。が、さわやかな小説でないことだけは、あらかじめ白状しておかねばならない。 私の案内人たる駄弁者さんが、じつは、この著者カードのファンである。このあいだも、かれにすすめられて、カードの最新作を、読んだばかりである。それは、推理物ともホラーともいえる作品だったが、それよりは「家族小説」とでも、呼んだほうが通りがよさそうだ。
駄弁者さんの言った、「戦争にすらならない」という小説は、「ソラリスの陽のもとに」(10)である。 惑星ソラリスは、海が知的生命体である。が、地球人とは、思考方法が、まったく異なる。地球人類は、百年もこの海について研究するのに、結局なにもわからないままなのである。が、この小説は、せつない恋愛小説でもある。人間と無生物の恋だが、こういう恋ならば、私も、してみてもいい気がする。
「ここに出すものは、ミステリーのファンにも薦められます」
と、駄弁者さんがいった。なるほど、SFのなかに、ミステリーの要素を取り混ぜることは、小説としての面白さを引き出すに有効である。考えてみれば、パトリシア・コーンウェルの諸作品も、科学技術を駆使した捜査を見る限り、科学小説のおもむきも、あるのではないか。ただ、彼女の作品においては、殺人―しかも、異常殺人―を描くことに主眼が置かれているために、純然たる推理物である。
はなしが外(そ)れた。
「鋼鉄都市」(11)には、人間とロボットの、刑事コンビが登場する。出てくる事件は、どちらかというと、社会病理がもとにあるのではないか。が、私としては、好きになれなかった小説である。
昨年の「日本SF大賞」を受賞した「蒲生邸事件」(12)の著者、宮部みゆきは、ミステリーをもよく書いている人である。これもまた、時間旅行者が、殺人事件に巻き込まれるかたちで物語がすすむ。 ここに出てくる、歴史や時間についての認識が、じつにおもしろい。おおいなる時間―歴史というもののまえに、たかが人間のすることなど、意味がないと、いうのである。
じじつ、ふたりの時間旅行者が、2.26事件を、さんざんかき乱したのに、主人公が戻ってきた現代の世界は、ほとんど変わらないのである。だからこそ、蒲生将軍の残した遺書にある「この国は一度ほろびるのだ」ということばは、妙に胸をうってやまない。
このくにが滅びる、という点で、本当に滅ぼしてしまうものも、ある。「日本沈没」(13)は、かの阪神大震災を機に、ひさしぶりに手に入れやすくなった。世相の記述を見るだけだと、けっこう古さを感じさせる。が、むろん内容そのものは、すこしも新鮮さをうしなっていない。が、いつまでも、この本に書かれたことが、新鮮なようでは困る気もする。
ついでなので、この作品のパロディも、紹介しよう。「日本以外全部沈没」は「農協 月へ行く」(14)に収められている。毒がきついが、おもしろい。表題作も、おすすめである。
ずいぶん、はなしが外れてしまった。
私は、ミステリーの定義すらできない、無知のきわみの本好きである。もし仮に、ミステリーを
謎解き
と、訳すならば、「星を継ぐもの」(15)は、上質のミステリーである。
月面で発見された死体は、5万年前の、しかし地球人類と同じ生物である。さまざまな分野の頭脳が、この「異星人」の謎を、解きあかしていくさまは、見ていて気分がいい。が、謎解きは、あくまでも「推論」でしかない。どんなに綿密な、説得力のある、推論を立てたところで、遠いむかしのできごとを、再現できるわけでは、決してない。そのあたりが、私には、たまらなくおもしろい。森の中の住人たちは、人間であるとは限らない。ときにロボットであったり、ときに宇宙人であったり、ときに宇宙船であったりもする。
「これは、―」
と、私が言いかけると、駄弁者さんは、すばやく制して
「これじゃありません。彼女です」
と、いった。私は驚愕したが、なるほど、まぎれもなく「彼女」なのである。「歌う船」(16)の「船」とは、むろん宇宙船である。が、ただの宇宙船ではない。
頭脳筋肉(ブレイン・ブローン)船
といって、何らかの障害のために、身体を動かすことのできない人が、宇宙船の頭脳となる。かれらは、
「自分で考え、判断することができる」
という面で、断じてロボットではありえない。そして、船は、自分の相棒(筋肉)となる人間を、自分で選ぶことができる。
この本は、主人公のヘルヴァが、サイボーグ、すなわち「船」であることを、誇りに思っている、という点で特異である。連作短編集だが、ほかの人との共著でシリーズになっている。いずれも「船」か、または「都市」の頭脳となっている、障害者が主人公である。第2作「旅立つ船」(17)が、特にいい。
われわれは、すでに、さまざまな異星人を見ている。が、「闇の左手」(18)に出てくる、ゲセン人のような、両性具有の異星人には、めったにお目にかかれないのではないか。
かれらには、発情期がある。そのときどきで、性が変わる。しかも、自分では、どちらの性になるかの、選択も予測もできない。痛快である。
しかし、かれらのおもしろさは、なにも発情だけにとどまらない。男性が読めば、主人公格のゲセン人は、男らしく見える。女性が読めば、女らしく見える。つまりは、両性具有である。その一語に尽きる。
「この作者は、“ゲド戦記”の作者ですよ」
と、駄弁者さんが、教えてくれた。
うかつにも、忘れていた。SFの森は、ファンタジーの海と、どこかでわかちがたく、結びついていて、その境界線をひくのは、困難をきわめる。
従って、森をゆくつもりが、いつのまにか、海に出てしまっていた、ということが、しばしばある。「歌う船」のマキャフリーも、ファンタジー物のシリーズをも出している。
森を散歩しながら、つくづく感じたことがある。
SFとは、人間を描く分野である、ということである。
時間旅行だとか宇宙旅行だとか、科学的な知識にうらうちされた道具立ては、確かに、他分野の小説を読みなれた目には、奇妙にも見え、拒絶されているようにも見える。
が、ひるがえって考えてみると、こうした条件や、制約が多ければ多いほど、小説そのものの力というものは、かえってつよい気がする。ほとばしり出る人間性が、あざやかに浮かび上がるのである。
お疑いのむきは、「冷たい方程式」(19)を読まれるといい。数式なども出てくるが、何よりつよく、人間が描かれる。
そうでなければ、感動は生まれない。
SFは、科学入門書ではない。あくまでも小説である。
知識がなければ楽しめないような小説は、それだけで落第である。この稿を書くにあたり、駄弁者さんには、たいへんにお世話になった。謝意を表しつつ、筆を置きたいと思う。
追記 ここに出てきた本たち
(1)ループ 鈴木光司著 角川書店刊 1800円+税
(2)パラサイト・イヴ 瀬名秀明著 角川ホラー文庫刊 777円+税
(3)BRAIN VALLEY 瀬名秀明著 角川書店刊 1400円+税
(4)夏への扉 ロバート・A・ハインライン著 ハヤカワSF文庫刊 583円+税
(5)ちほう・の・じだい 梶尾真治著 ハヤカワJA文庫刊 620円+税
(6)七都市物語 田中芳樹著 ハヤカワJA文庫刊 544円+税
(7)星界の紋章TUV 森岡浩之著 ハヤカワJA文庫刊 485円+税×3冊
(8)たったひとつの冴えたやりかた ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア著 ハヤカワSF文庫刊 602円+税
(9)エンダーのゲーム オースン・スコット・カード著 ハヤカワSF文庫刊 699円+税
(10)ソラリスの陽のもとに スタニスワフ・レム著 ハヤカワSF文庫刊 544円+税
(11)鋼鉄都市 アイザック・アシモフ著 ハヤカワSF文庫刊 583円+税
(12)蒲生邸事件 宮部みゆき著 毎日新聞社刊 1650円+税
(13)日本沈没 小松左京著 双葉文庫刊 上:777円+税 下:798円+税
(14)農協 月へ行く 筒井康隆著 角川文庫刊 379円+税
(15)星を継ぐもの ジェイムズ・パトリック・ホーガン著 創元SF文庫刊 540円+税
(16)歌う船 アン・マキャフリー著 創元SF文庫刊 640円+税
(17)旅立つ船 マキャフリー;ラッキー著 創元SF文庫刊 680円+税
(18)闇の左手 アーシュラ・K・ル・グィン著 ハヤカワSF文庫刊 641円+税
(19)冷たい方程式 トム・ゴドゥイン他著 ハヤカワSF文庫刊 560円+税
文体クイズの答えが分かった方は、こちらまでご一報ください。