「十二国記」 
小野不由美著
講談社文庫・講談社X文庫ホワイトハート刊
 いわゆるティーンズ小説と呼ばれる本でありながら、幅広い読者層を誇る異世界ファンタジーの傑作シリーズである。
 世界はまるでハンカチを広げたような形をしている。ハンカチの中心部に天帝の住む山があり、そこから同心円状に人の住めない領域が広がる。更に同心円を描いて内海があり、その外側に人の住む領域−国がある。陸地はちょうど花びらのような形をしており、八つの国に分かれている。その外側に虚海と呼ばれる海があって、ハンカチの四隅に当たるところに三角形の国が四つあって、合わせて十二国になる。
 作中人物の言葉を借りるならば「おそろしく常識の違う世界」である。人の他に獣の姿をした人がいたり(半獣といって、その気になれば人の姿を取ることもできる)、神仙や妖魔がいたりもする。そして何より常識が違うことに「子どもが木に生る」。村や町ごとに特殊な木があって、夫婦でその木の枝に願をかけるとその枝に実ができる。クルミの実のでかいのを想像すればけっこう近いらしい。十月十日たって夫婦がその枝に実をもぎに行き(その枝に願をかけた夫婦でないともぐことができない)、家に持ち帰るとその実から子供が生まれる。その様子は卵が孵るのに似ているため、その果実は「卵果」という。当然家畜も生るのであって、それは飼い主が枝に願をかけて実をもぎに来る。子を産むことから解放されているこの世界は、女性にとっては一種のユートピアかもしれない。
 さて、十二の国はそれぞれ王と麒麟によって統治されている。それぞれの国の神獣であるところの麒麟が、国民の中から王を選んで玉座に据え、自ら宰相として政治に参加する。王は血統によって王になるのでなく、ただその人格によって天命を受けて麒麟に選ばれる。その人は選ばれて王になった瞬間から、天命にそむかないように統治する義務を負わされる。王は神であり、仕える役人(さしずめ公務員といったところか)は仙であり、どちらも寿命を持たない。従って無限に国を治めることになるが、王が「道」を誤って民を虐げるようになると国が乱れ、王は天命を失って死ぬことになる。玉座が空になると天災が起こったり妖魔が暴れたりして国土は荒廃の一途をたどる。合理的で不思議な世界だ。
 これほど常識はずれの世界でありながら、この世界は、位置的には日本と中国の中間くらいのところにあるらしい。普段はまったく没交渉だが、まれにはずみで互いの世界が重なってしまう場合がある。そういったときは両方の世界でひどい天災が起こり、それによって卵果や人が流される。卵果は現実の世界で母親の胎内に宿り、人が物語世界に流されると「海客」(「虚海」の向こうから来た人)と呼ばれる。
 シリーズ一作目「月の影 影の海」では、女子高生の中嶋陽子が、ある日突然やってきたケイキと名乗る人物に連れられてこの世界に紛れ込む。そのあたりはティーンズ小説の王道であるが、そこから先が違っている。彼女はケイキとはぐれ、一人ぼっちでこの不思議な世界をさまよう羽目になる。人からは海客として差別を受け、だまされて身ぐるみはがれ、更に役人から追われ、妖魔にまでも命を狙われる。身を護るためには剣を振るわねばならず、人間不信に陥りながら行き倒れになりながら、陽子はこの世界の秩序を学んでいく。
 物語はときどき、陽子の見る幻という形でフラッシュバックして、陽子が連れ去られた後の現実世界について語る。現実世界で人当たりがよくて優等生的な「いい子」だった陽子は、周囲のにとっては「何を考えているのか分からない、存在感の薄い子」でしかなく、そこには既に彼女の居場所などどこにもないことが、繰り返し容赦なく語られる。こういう「いい子」はどこにでもいるのであって、ここから主人公に感情移入する読者も多いに違いない。
 心身ともに荒みきった陽子を救うのが、自らも被差別階級であるところの半獣であるところも興味深い。陽子はこの世界について学ぶと同時に、自分自身の意志をしっかりと持つことを学ぶ。大人の読者の目にも充分耐えられるほどエンターテイメント性が高いからなかなか気付きにくいが、この物語は陽子の成長物語である。長い間さまよい歩いた後、ようやくケイキに再会した陽子は、自分が実は卵果のときに現実世界に流された人間であり、この世界で一国の王に選ばれていたことを知る。ケイキというのは「慶(けい)国の麒麟」の称号「景麒」であって、彼(麒麟は麒がオス、麟がメス)に選ばれた陽子は慶国の女王である。あまりといえばあまりな展開に彼女は苦悩するが、物語の冒頭部分に比べて明らかに人間的に成長している陽子を応援してやりたくなる読者は多いはずだ。
 この作品の直接の続編に当たる物語は、四作目にあたる「風の万里 黎明の空」である。普通ティーンズ小説といえば、女子高生が異世界の女王になるのであれば、美形な臣下や美形な他国の王に囲まれて、政治の世界そっちのけで色恋沙汰に走りそうな気がするのだが、陽子はこの「十二国記」の主人公であったがために、次から次へと苦労させられている(だからこそ幅広い読者層を獲得したといえるのだが)。
 せっかく即位したというのに、宮廷は王を歓迎しない。文書は漢文であるために読めず、普通の女子高生であれば現実世界での政治も分からないのに、全く常識の違うところでいったいどんな政治ができるというのだろうか。官吏は陽子に「無能」のレッテルを貼って権力争いにあけくれている。またしても苦悩の果てに、陽子は城を出て師について、いろいろと勉強をする決意を固める。物語は陽子の境遇をひとつの柱に据え、もうふたりの少女を主人公格に置く。ひとりはある国の公主(王女)だった娘で、世間知らずで周囲の人間を責めることしか知らない。もうひとりはまた別の国に流れ着いた海客で、自分を哀れむことしか知らない。彼女らはそれぞれ、慶国の新しい女王が自分と同じ年頃の海客であることを知り、それぞれに目的を持って慶国へ旅してくる。彼女らがようやくたどり着いた慶のある地方では乱を起こす計画が立てられており、旅人であるはずの彼女らは、それぞれの事情から乱に手を貸すことになった。さらに「暴れんぼう将軍」よろしくおしのびで城下を歩いている陽子もまた、ひょんなことから乱を起こす方にまわる(そんなむちゃくちゃな…)。例によって陽子を含めた少 女たちの成長物語になっているが、この物語について言えば、まるで時代劇を見ているような快感があって、シリーズ中もっともストーリー性豊かな作品になっている。物語は陽子が無事に乱を平定し(自分で起こした乱を平定するのも妙な話だが…)、国の基礎を固めるところで終わる。
 話が前後したが、二作目に当たる「風の海 迷宮の岸」は、やはり卵果のうちに流されてしまった子どもの話だが、今度は王でなく麒麟である。生まれる前に現実世界へ流されてしまった戴(たい)国の麒麟−オスなので称号は泰麒という−は、数年後にようやく物語世界に戻ることができた。しかし現実世界で人格形成がなされたばかりの幼い彼は、なかなかその世界に馴染むことができない。その世界で育っていれば何も考えずに本能でできることや、しらずしらず身についているはずのことを一から教えないといけない。泰麒自身も養育係の仙女(麒麟には親がない)も戸惑う日々が続く。このあたり「人工授乳で育てた野生動物の仔に狩を教えなければならない飼育係」を連想すれば割と近いのではないか。
 ところで、麒麟とは王を選ぶ生き物である。「天命によって王を選ぶ」と一口に言っても天命というものが明確な形としてあるわけでもなく、彼らには人知を超えた能力があって、それによって王の気配を嗅ぎつけるのだという。これまた本能のようなものらしいが、泰麒にはそれがどうしても分からない。麒麟であることの責任を(勝手に)感じ、期待にこたえなければと焦る彼の姿は、誰に対してもいい子であろうとした慶国女王陽子に重なる部分もある。焦るあまり「ごめんなさい」を連発する泰麒に同情を覚えるか、うざったいと思うかによってこの作品に対する評価は分かれることだろう。
 シリーズ三作目にあたる「東の海神(わたつみ) 西の滄海」は、「十二国記」に珍しく軽妙な会話が魅力的な作品である。シリーズ中の他の作品にもちょくちょく顔を出す雁(えん)国は五百年もの長い間、ひとりの王が統治している。その王が即位した当時の雁国(どうでもいいが、普通こんな字で「えん」とは絶対に読まないと思う)の物語である。雁国は、王も麒麟も海客という珍しい主従で、彼らが流れ着いていたのは戦国時代の日本である。特に麒麟などは貧しい農民の家に生まれたため、口べらしのために山に捨てられた経験を持っている。
 慶国女王陽子の物語の頃になると、この雁国王は五百年も治世の続く希代の名君と言われているのだが、この王と麒麟のコンビはなかなかにふざけた奴らで、王などこの作中で「バカ殿」の名をほしいままにしている。彼が即位したとき、国土はこれでもかというほど荒廃していた。土地が痩せて作物はみのらず、妖魔が跋扈して人はほとんど死に絶え、口べらしのために子どもが捨てられている。そのなかで、偶然にも妖魔に拾われて育てられた子どもがもうひとりの主人公として登場する。登場人物のアホさ加減に反比例して、物語そのものはけっこうセンチメンタルに走っている。いや、荒廃を題材にした物語でよくここまで能天気に仕上げたもんだ、というべきだろうか。雁国の麒麟は「王とは国を滅ぼすための存在だ」と言い切ってはばからないが、それでも一種の本能で王を選ばずにいられないし、王を心から信頼できないのに王のそばにいるのが嬉しくてたまらない。そのあたりの葛藤が興味深い。
 さて、シリーズ最新刊は「図南の翼」である。ここに至ってやっと十二国の世界の住人が主人公の物語になった。北の国恭国の王が即位するまでの物語だが、舞台は恭国ではなくこの世界の中心部にある荒れ地である。そこは妖魔が巣食うところで、人の住む領域ではない。普段は四方を大きな門で隔てているが、春分、夏至、秋分、冬至のときだけ門が開いて人が入ることができる。多くの人がこの荒れ地を目指す。なぜならここを越えた奥−世界の真ん中−には天帝や麒麟の住む山があるからだ。その山にたどりついて、もしも天命があれば王になることができる。それが十二国の世界での常識である。
 主人公の珠晶は豪商の娘で十二歳の少女にすぎないが、たったひとりでその世界の真ん中を目指す。「恭国を統べるのは私しかいない」と高飛車なことを言い放つ少女は、十二歳のガキ、いやちがった、お子様だと思えばくそっ腹が立ってくるが、それなりに小気味よい性格ではある。じゅうぶん利発な子供で、その頭の高さといい(知人から「らいぶらりあんさんってどうも珠晶とイメージが重なるのよね」と言われたことがある。頭が高くて他人をアゴでこきつかうあたり、自分でもちょっと納得してしまった)、最初からなるほどこいつは王かもしれないと思わせるだけの迫力がある。しかし旅の間にも彼女はいろいろなものを見て、さまざまなことを考えて学んでいく。どうやらこの作者は少女にいろいろ人生経験を積ませて開眼させるのが好きらしい。シリーズを俯瞰しても、男は成長しないが女は成長していく。さしずめこの物語の教訓は、見えるものから想像力を働かせろということかもしれない。
 それぞれの物語の末尾には、中国の歴史書風の記述がある。長大な物語であったはずなのに、歴史として残るのはたったの7〜8行の記述でしかない。その落差が面白いし、歴史物の好きな人には魅力的ではないだろうか。

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