東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ  遥洋子著 筑摩書房刊 
1400円+税 ISBN 4-480-81815-4

テレビは苦手であまり見ないので、遥洋子というタレントさんがいるということをこの本で初めて知った。名前を聞くのが初めてなら、当然ながら「知る人ぞ知るケンカの達人」という帯の文句も私には通用せず、ただ単に面白そうなタイトルに惹かれて手に取った。
フェミニズムは、言葉を使った格闘技である。普通の人が普通に(あるいは無邪気に)抱いている「常識」を問い直して検証する作業である。人間誰しも「是」が「非」になるのは恐ろしいし、今まで何ら疑問を持たずにいたことを改めて問いつめられるのは痛い。だからフェミニズム学者が繰り出す言葉たちは自動的に、過激に暴力的で鼻持ちならないように響く。
著者がタレントとして仕事をする場−芸能界は「常識」の宝庫である。女性タレントは必要以上に頑張ることが認められず(ニュースのアナウンサーもクイズ番組の司会者も女性はあくまでサブ、アシスタントでしかない)、必要以上にカオと若さが売り物になる(その結果として無知であることが逆に評価される)特殊な社会である。その中で生き抜くために、女性タレントは懸命に身体を磨きカオを磨き、無知なふりバカなふりをする。私はブラウン管の中の彼女を知らないが、この人はどうにかして「常識」の枠を壊したい、カメラの前で言いたいことを臆せずに言いたいと切望しているように感じる。
著者は自分を「楽してなんぼの商売で、派手好きで男好きで金満主義で、自分だけ良ければいいタレント」と言い切り「教室の中で最もアホ」と言う。しかしその一方で、公の場で発言する仕事である以上自分の言葉(存在)には力があり、責任がともなうこともちゃんと自覚している。頭のいい人だと思う。その著者が東京大学の上野ゼミでジェンダー論を学ぶ。通常ならば、一年または数年に亘ってゼミを受講すれば、学んだ結果を論文に仕立てる。著者は聴講生という立場であったから、論文でなくエッセイ風のレポートを提出した。それがこの本である。
レポートであるから、そこには上野千鶴子のみならず、洋の東西とりまぜたフェミニズム学者たちの論文がふんだんに引用されている。しかしエッセイ風であるから、著者自身の体験がよく書いてある。遥洋子は、上野千鶴子(や、他のフェミニズム学者)の理論を自らの体験と照らし合わせてきっちり理解しているように感じる。だからたとえば結婚という制度−ひいては家父長制の罪を暴く同じ文脈で、「主婦層に反感をかってはいけないから」と番組中で「『結婚したい』と言ってください」と局側から言われる理不尽を語る。分かりやすい。
限られた時間で最も効果的な発言をすることを生業とする著者は、言葉というものに対してひどく敏感である。だからこそ彼女は「常識」=男の論理ばかりが優先される芸能界をねじふせる師として「日本で最も暴力的な女」、あらゆる場面で常に議論に勝ち続ける上野千鶴子を選んだ。しかし上野千鶴子は、おそらく日本で最も学生に厳しい教授である。真摯に勉強しようと思えば思うほど、著者はおのれの無知に愕然と気がつく。膨大な量の文献を読んでも読んでも理解できない焦りや何のためにここまでして学ぶのかが分からなくなる焦燥感、どれほど勉強を重ねても同じクラスの学生に(ひいては教授に)一生追いつけないのではないかという感覚など、著者の記述は時に駆け出しの学者のようなことを言い出す。涙なしに読めない(何度読み返しても、そのくだりで泣けてしまう)。
あることについて言葉にして表現できるということは、そのことについてきっちり理解できている証拠でもある。著者はこのエッセイレポートを書いた段階で、既に5年分のゼミの文献に目を通している。「5年分」とひとことで言っても、コピーした文献は1年あたりダンボール箱一箱分であるから本当に膨大な量だ。その中から本当に理解できた部分だけを抽出して書いているであろう事が窺われる。本文中にはいろいろな論文が引用されているが、引用だけが知識の証ではない。ちょっとした言い回し、ちょっとした言葉の奥に豊かな知識が横たわっているのが透けて見える文章である。つまるところ学問へのアプローチの仕方は「知ったかぶりをしない」という一言に尽きる。著者はそれを忠実に、また愚直に実行している。その姿が感動を呼ぶ。
著者自ら「私は物事を大雑把に理解するプロ」と言っている通り、フェミニズムの概要について大雑把に知りたいとき、この本は格好の入門書になるに違いない。

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