昔から地図を見るのが好きだった。別に自分で行くあてはなくてもぼんやりと地図を眺め、こんな名前の集落があって山があって川があるのか、と思うだけでも楽しい。旅行記を読むのは、私にとって地図の延長だ。そうすると当然、「四千万歩の男」(井上ひさし著:講談社文庫1992年刊・全5巻)伊能忠敬に興味が向いた。いかにも井上節といった感じの饒舌な蘊蓄がむしろ快感で何度も読んだ。行く先々で、いちいちトラブルに巻き込まれる忠敬の姿がおかしく、どこまでも愚直であろうとする測量隊が哀れにも見える。江戸時代、アイヌがこんな扱いを受けていたのか、という読み方もできる。労作と言うにふさわしい一冊だ。離婚騒動のせいで未完成のまま終わっているのが残念でならない。「いずれ再開する」とあとがきにはあったが、果たして書いてくれるだろうか。
椎名誠に出会ったのは「シベリア追跡」(椎名誠著:集英社文庫1991年刊・450円+税)がきっかけだった。江戸時代、伊勢を出航して江戸へ向かうはずだった舟が難破して、アリューシャン列島へ流されていった。その船乗りだった大黒屋光太夫は10年以上もかけてシベリアを横切り、ペテルスブルクに住む女帝エカチェリナ2世に拝謁して日本へ送ってもらう。その光太夫の足跡を辿ろうという企画もののルポルタージュである。歴史上の人物を追いかけ、通った後を忠実になぞっていく旅の姿勢に好感を持って読んだ。以後「怪しい探検隊」のシリーズをたどり、一応ひと通り読んだ。「はまる」ところまで行かなかったのは文章が好きになれなかったせいだと思う。
「インドでわしも考えた」(椎名誠著:集英社文庫1988年刊・
360円+税)を読んで「もういいや」という気になってしまい、しばらく遠ざかった。
代わりに、と言っては何だが妹尾河童のインドの本が面白いよ、と高校の司書さんに教わって「河童が覗いたインド」(妹尾河童著:新潮社文庫1991年刊・560円+税)に飛んだ。絵ばかりか字まで手書きという形態に心惹かれて読み、あまりのヘンさ加減についはまった。旅人にできるのは「見る」以前の「覗く」ことくらいだろう、というタイトルのつけかたも何となく気に入り、「ニッポン」「ヨーロッパ」(いずれも新潮文庫刊)と立て続けに読んだ。
私はひとりでふらっと旅行に行くのが好きなのだが、ある日、旅先からちまちま絵葉書を出すのが面倒になり、見聞きしたものを現地報告レポートにしてやれ、と考えついた。旅行記というのはご大層に目的意識を持っていないと書けないと思っていたのだが、ちょっと目に留まったものを集めていくだけでも充分面白いことに気がついた。明らかに妹尾河童の影響だと思う。私は国内旅行しかしないのだが、それでも現地レポートをするのはたいした苦労だ。「ちょっと目に留まる」ものを集めるためには漫然と楽しんではいられず、宿だろうと食堂だろうと、とにかく腰を落ち着けていられるところでは書き続けなければならず、書いたら書いたでコピーするべくコンビニを探し、組んで折りたたんで封筒の宛名書きをしなければならない。ちまちま絵葉書を書く手間の8倍くらいは作業量が多い。「河童さんてすごい!」素直に尊敬する所以である。
自分で旅先レポートを書いてみて気がついたのだが、妹尾河童の情報の集め方は「他人から話を聞く」やり方だ。私が表示板を見て知ることを、彼は地元の人に話しかけて聞くのである。耳から情報を得るのはこの人の持ち味で、だから妹尾河童はどちらかというと対談が面白い。「河童が覗いたトイレまんだら」(妹尾河童著:文春文庫1997年刊・660円+税)は、たくさんの人の「トイレうんちく」を調子よく引き出していて面白い。充分にキワモノっぽい素材をうまくさばいたな、と感心する。
私は筋金入りの活字中毒なので、どこへ行くにも本を手放すことがないし、電車に乗ればまず本を広げてしまう。たいてい自分が移動中であることは自覚しているから、せいぜい活字を眺める程度にとどめておくのだが、たまにのめり込んでしまって乗り過ごしたことがある。「冒険者たち−ガンバと十五ひきの仲間−」(斎藤惇夫著:岩波少年文庫1990年刊・700円+税)などは、読みながら泣けてしまって困ったので未だに印象に残っている。電車の中でいきなり本を読みながら泣く女というのも、なかなかに誤解を招きそうな構図でいい。
そういえば初めて本を読んで泣いたのはいつだっけ、としばらく考えて、小さい頃にはそういうこともなかったなぁ、と思う。それとも単に記憶から欠落しているだけなのだろうか。覚えている中で、開いているページに涙がこぼれ落ちないように気を配った最初の本は
「フランダースの犬」(ウィーダ著:新潮文庫1989年刊・360円+税)ではなかったかと思う。アニメの方ではなくて(アニメも見た記憶はあるが、TVを見ながら泣いたかどうかは覚えていない)文字ばっかの文庫本だ。中学1年のときである。本嫌いの父は「徳川家康」(山岡荘八著:講談社山岡荘八歴史文庫1987〜1988年刊・全26冊)を読みながら泣いたそうだが、感激屋の血は私にも受け継がれたらしくて実にしばしば泣く。
「塩狩峠」(三浦綾子著:新潮文庫1987年刊・520円+税)
でも「死者の学園祭」(赤川次郎著:角川文庫1983年刊・470円+税)でも「おバカさん」(遠藤周作著:角川文庫1962年刊・500円+税)でも
「グリーン・レクイエム」(新井素子著:講談社文庫1983年刊・400円+税)でも泣いた。「グリーン・レクイエム」に至っては、就職してから読んだ続編の
「緑幻想」(新井素子著:講談社文庫1993年刊・540円+税)でもなぜか泣けてしまって、困った。
最近、読むと条件反射のように泣いてしまうのは宮部みゆきと浅田次郎だ(もちろん作品による)。ふたりとも業師なので「ここを押さえれば、泣く」というツボをちゃんと心得ているから気分良く泣ける。「蒲生邸事件」(宮部みゆき著:毎日新聞社1996年刊・1650円+税)の最終章は涙なしには読めない。主人公が受験旅行で泊まった東京のホテルはなにかと「ワケあり」のホテルで、彼はそこで時間旅行者に連れられて2.26事件の真っ最中に飛んでしまう。
「プリズンホテル」(浅田次郎著:徳間書店1993年+税)など、ああまで臆面もなくお涙ちょうだいをやられるといっそすがすがしい。極道専門のホテルを極道が経営する、という設定は楽しいが、その極道がいちいち人情味のあふれる熱血人物なのがいい。ここに出てくる極道よりも、悪徳不動産屋などのほうがよほど狡猾なように描かれていて好対照をなす。一流ホテルから引き抜かれてきたシェフが、任侠な経営者の親分に最初反発し、だんだんに信頼を寄せていくあたりから盛り上がり始め、さまざまなドラマが重なり合ってクライマックスへ行くあたりになると泣けて泣けてどうしようもない。
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