翔べ麒麟
辻原登著 読売新聞社刊 1905円+税
ISBN4-643-98095-8
読み終えた後、思わず「面白かった」とつぶやいてしまった。
物語の舞台は八世紀半ばの唐、長安と洛陽である。長安と言えば、当時世界最大の国際都市だった華やかな都である。そこで、見事な生き方をした日本人がいた。
安倍仲麻呂である。
あまのはらふりさけみれば 春日なる三笠の山に出でし月かも
この百人一首の歌は(たぶん)誰でも知っている。一般的には望郷の念を詠んだ悲歌として知られるこの歌を、「本当に悲歌だろうか?」と作者は疑う。むしろ恋歌の響きすらあるのではないか、と述べる序章で「おや」と思ったなら、読者はすでに作者の術にかかっていることになる。
物語はもちろん、安倍仲麻呂こと朝衡を追う形で進んでいくのだが、ここに作者はなんとも魅力的な狂言回しを用意している。
その名を藤原真幸(まさき)という。「歴史的には忘れられた存在」というが、もちろん架空の人だ。藤原広嗣の庶子で、「広嗣の乱」で父を失い、以後「大逆者の子」として奈良の片隅にひっそりと育ってきた、という設定になっている。彼が遣唐使の一行に混ざって唐へやってきたところで物語は始まる。
真幸はもちろん遣唐使の使者などではない。彼の身分は平城宮の警護をしたり要人の護衛をする左兵衛府の役人(いや、武人と言うべきか)で、唐へ来たと言っても正使藤原清河の護衛としてついてきているだけだ。いわば下っ端である。年齢も二十歳と若い。顔もいいらしいが、剣の腕も相当いいらしい。負けず嫌いでおっちょこちょいで遅刻の常習犯で女好きで、単純なうえにお人好しである。頭の回転は速いのに、思慮深さに欠ける。つまりは「若いなぁ」とほほえましさを誘う雰囲気の人物だ(ちっとも褒めているように見えないが、私にとっては最大級の賛辞である)。その彼が、持ち前のきかん気と好奇心を全開にして唐の都を駆け回る。なんとも爽やかというか、痛快である。
真幸がついてきた時の遣唐使の目的は、唐で朝衡と名を変えて出仕している安倍仲麻呂を連れ戻すことと、日本への渡航を望んでいる仏僧鑑真を日本へ連れていくことである。しかしこれは表向きの理由で、裏の目的があった、というあたりから物語はどんどん広がりを見せる。当時日本は新羅と敵対関係にある。一触即発のぎりぎりのところで、かろうじて均衡が保たれているに過ぎない。ところが長安の王城の中にも、倭と新羅の対立を望む一派がある。その中心人物はまた、安倍仲麻呂こと朝衡の失脚を画策している。その一方で、朝衡は自分の保身もさることながら、もうひとまわり大きな策略を企てている(何を考えているかは、ナイショ)。彼はその策略に、お気に入りの護衛官真幸を巻き込む。そして起こる、安録山の乱。私は中国の歴史物には疎くてよくは分からないのだが、安録山の乱を安倍仲麻呂の視点から描いた小説を初めて見た気がする。
さて、国際的な陰謀をまったく察知せずに、真幸はのほほんと青春を謳歌している。朝衡に気に入られているを幸い、職務を放り出して彼の屋敷に入りびたり、あろうことか新羅の王子と友達になったりもしている。朝衡の推薦で、長安の治安を守る警備隊に仲間入りして、有頂天になったりもしている。この本の主人公は安倍仲麻呂(朝衡)であるはずなのだが、彼とはまったく正反対のタイプである真幸を配することによって物語は奇妙な爽やかさを持った。
適度に色っぽい挿話もある。真幸の幼稚な恋の数々はともかくとして、朝衡のそばにひっそりと佇む女性がまた魅力的である。どう見ても似合いの一対である彼らは、しかし世間から許される間柄ではなく、長安の社交界では一種の公然の秘密になっている。作者はこの恋人たちにも心憎いハッピーエンドを与えて、読み手をホッとさせてくれる。
時代に弄ばれた望郷の人としてでなく、ふてぶてしいほどしたたかに時代を生き抜いた男の物語である。分厚いが、一読の価値はあると信じる。
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