レキオス  池上永一著  文藝春秋刊  2000円+税
  ISBN4-16-319210-7

 レキオスとは中世のポルトガル語で「扇のかなめ」というような意味らしい。十六世紀のポルトガル人は、この地をそのように呼んで、アジアを支配する際のかなめ=拠点にしようと考えたそうだ。だから今でもこの地は、アメリカによる東アジア軍事戦略の拠点として「Keystone of the Pacific」と呼ばれ、大きな米軍基地がある。
 「この地」とは沖縄のことである。ここを中心に半径3000キロメートルの円内に、東アジアと東南アジアの主要都市がすべて入る。東京よりも台湾の方がはるかに近く、江戸時代には日本と清国の両方に朝遣使を送り、その影で世界を相手に外交と貿易でもって独立国家として存在してきた。現在は日本とアメリカ双方にいいように扱われているように見えるが、人々は私たち外部の人間が思うよりもずっとしたたかである。例えば沖縄に住む混血児のことを「アメレジアン」と言うらしい。最初にこの本の中で見たときには作者の造語かと思ったのだが、実際にそういう言葉があるのだとあとで聞いた。沖縄とか日本とかいう枠を超えて、アメリカとアジアを混ぜたような語感から、視野の広さがうかがわれる。
 そのアメレジアンの女子高生デニスが物語の主人公である。そもそも母親が白人との混血で第一世代アメレジアンである。父親は黒人だが、デニスが生まれる前に本国に帰国したらしい。四分の一だけモンゴリアンの血を有する彼女は、外見上ほとんど黒人である。思春期になるまでを米軍基地で過ごしたが、いまは母親が別のアメリカ軍人と再婚してアメリカに移住したのを機に、日本人(沖縄人?)の祖母と暮らしている。那覇市の公立高校に通い、英語とウチナーグチ(琉球方言)をちゃんぽんに話す。普天間基地が沖縄に返還されたニュースは私たちにとっても記憶に新しいが、登場人物の中には返還を素直に喜べない軍用地主の家族もいる。沖縄は日本の中でもずば抜けて失業率が高い。借地料が入って来る代わりに固定資産税を払わなければならない土地は厄介者になりはて、しかし転売もままならず、結局放棄される。ニュースで聞く分にはそうかと思うが、物語中で登場人物の口から聞かされる基地問題には重みがある。物語はデリケートな問題をさりげなく提示し、なかなかに複雑な様相を見せる。
 沖縄のシャーマンであるユタやノロ(世襲の巫女)が当たり前のように出て来ておもろ(琉球の祝詞)が響き、セヂ(運とかツキとかいうようなものらしい)が多いだの少ないだのといった会話が当然のように出てくるなど、物語は独特な雰囲気をたたえている。そこにキリスト教の異端者や黒魔術が出てきてCIAを巻き込み(なんでや…)、沖縄戦で死んだ二十万人の魂を呑み込み、「ソロモン王国の再建」に向けて暴走していく。ただし、暴走はお約束の通り失敗し、那覇市も嘉手納基地も壊滅して(なんでや…)悪役は次回の挽回を誓いながら敗走するという、これまたお約束の展開となって、長い物語のなかで為し得たものは沖縄戦で死んだ魂の中途半端な浄化のみという結果に終わる。
 しかし、この本の魅力はストーリーにではなく、コミカルというカタカナが追いつかないくらい漫画ちっくな登場人物たちにある(だからといってオチまでばらしていいのか)。鼻のない逆さまの女が突然地面から出てくるし、アメリカ人専門に援助交際をする女子高生は力強くおバカっぽい。凄腕のユタのオバアはインラインスケートで華麗にクワドラプル・アクセル(四回転半ジャンプ)を決めながら託宣をいただいている。こういう怪しげな人物たちが物語世界をところ狭しと暴れまわっている。中でも抜きんでて暴走しているのがサマンサ・オルレンショーという若く美しい天才学者である。哲学にも人類学にも数学にも物理学にも通じている「世界の頭脳」でありながら、露出趣味でコスプレ好きで言動すべてにエロスを結び付けずにいられない変態で、しかも魔女である(ただし奥様ではない)。やや知性に欠ける援交女子高生を、催眠術で犬やコンピュータにしてしまったり、向かうところ敵なしの女だ。唯一まともそうなのは主人公のデニスだけのような気がするが、彼女すらも視力を測ったら8.0以上あるとか言い出して怪しくなってくる。総じてこの作品では、女が元気で男性は存在感に乏しい。彼ら彼女らは好き勝手に暴れているようでありながら、どこか一抹の哀愁を漂わせていて、やはり一筋縄では行かない印象を与える。
 まともに物語を理解しようとしてはいけない。やや頭の暇なときに、ゆっくりとページをめくることをおすすめする。5ページに1回は吹き出し、10ページに1回は爆笑すること請け合いである。

「本のときどき通信」へ戻る
トップページへ戻る