物語は単純である。離婚を望む夫がいて、それを望まない妻がいる。夫は法的手段に訴えて、離婚のための裁判を起こしている。 ここまではそんなに珍しい話ではない。私たちの身の回りでもよくある家庭内のいざこざである。ただし、物語は特殊である。扱われている離婚裁判は、15世紀のフランスで実際にあった。原告は国王ルイ12世、被告は王妃ジャンヌ・ド・フランスという。富も権力も持った夫は、自分に都合のいい証拠と証人を集め、一方的な裁判を行おうとしている。なまじ国王であるだけにやり口が汚い。王妃側の弁護人は、国王の権力に怯えてまともな弁護をしない。こんなおかしな裁判を傍聴して、あまりの不正ぶりに怒りを覚えた人物がいる。それが主人公だ。
主人公は田舎弁護士である。みすぼらしい恰好をしているが、ただ者ではない。かつてパリ大学で俊英と言われた人物である。法律の知識が豊かなのはもちろんだが、一種天才的なひらめきを持っており、教授の意表を突いた理論武装をしてつっかかる。その気迫と喧嘩っ早さと、議論の相手を粉々に叩き潰すまでやり込めずにいられない、伝説的な男だ。畳みかけるような鋭い舌鋒と、権力に屈しない気概は今も衰えることなく、いまや辣腕弁護士である。彼は成り行きで王妃側の弁護を引き受けることになった。
歴史的な事実をできるだけ単純化して面白い物語に仕上げようとする作者の努力と工夫が、随所に感じられる好著である。まず強者と弱者がいて、弱者のもとに主人公がついて力関係を覆すという構図は非常にわかりやすく、なんだかテレビの時代劇を見ているようだ。しかも強きをくじく主人公は「強者以上の権力を持つ者」ではなく、とにかく権力に従うのはまっぴらだという青臭いインテリであるのが面白い。このあたりの学生気質の描写は、漱石の書く青春小説に通ずるものがある。
そのうえ主人公がとにかくかっこいい。頭の回転が速くて弁が立つのはもちろんのこと、どこか謎めいた影がある。これがまたすご腕の弁護士である。九割方決まりかけた裁判を、ものの見事にひっくり返していく。なんとも痛快である。
王妃の弁護を引き受けた動機は単純ではない。彼は確かに正義漢だが、義憤に駆られたということではなく、王妃に同情したからというわけでもない。弁護の依頼を受けてからあれこれと逡巡し、思い迷った上でようやく引き受ける決意を固める。屈折したインテリ男のわがままぶりが丁寧に書き込まれ、一癖も二癖もある主人公の人物像にリアリティを与えている。主人公の持つ影の理由については物語の最後の方で明らかにされ、なるほどと思わされる。
惜しむらくは時代背景がいまひとつはっきりしないことだろうか。物語を分かりやすくするためだろうと思うが、そのころフランス内外がどういう情勢だったのかという説明がほとんどない。題材が「離婚」といういつの世にもありそうなことだから、そんなことが分からなくたって楽しめることには間違いない。でも、だからこそ時代の流れをきっちり書き込んで欲しかったような気もする。
作者は中世フランスを舞台にした歴史小説をよく書く人である。数年前に、ジャンヌ・ダルクを題材に取った『傭兵ピエール』(集英社文庫:上下巻・各705円+税)でけっこう話題になったが、すぐに下火になってしまった。
書店には、日本の歴史を扱った小説が山のように置かれ、中国歴史物と合わせてひとつのコーナーを作るまでになっているのに、西洋歴史物となるとガタンと減ってしまう。馴染みがないと言ってしまえばそれまでなのだが、それにしてもちょっと寂しい。佐藤賢一も、もっとブレイクしたっていいと思う。上手い書き手だと思うのに、残念だ。