民子  浅田次郎著 角川書店  \1500+税
ISBN4-04-853405-X

 そもそもなぜ猫が「民子」なのだろう。いや、自分の飼い猫に「玉三郎」などとバカな名を付けて喜んでいる飼い主が文句をつける筋合いはないが。
 西暦2000年をもって創立10周年を迎えることになったマルハペットフーズが、その記念としてつくったCMである。かの「泣かせの浅やん」(と、私が勝手に名付けた)こと浅田次郎が原作を書き、レトロチックなセピア色の映像で映画仕立てにした凝ったものだ。タイトル「民子」とは、浅田次郎が飼っていた(という設定の)猫の名である。それを「CMだけじゃもったいない」と思ったのか否か、ぜいたくな造りでもって書籍化したのがこの本だ。他にCMのために書いて没になった(没になっても仕方がないようなちゃっちい)掌編が二編、あとがき代わりの妙な小文が一編。なんだかぼったくられているような気もするが仕方がない。私は本当にこの本をすすめたいのだろうか。
 物語は至ってシンプルである。売れない小説家の飼い猫「民子」は美人で聡明(ということなのだろう、少なくとも映像は美猫だ)、一文の価値もない文字を読み続けてくれるたったひとりの読者だ、と浅田次郎は説明する。ある日猫は行方不明になる。やっと帰ってきたのは、浅田次郎が初めての長編小説を書いている最中、そのクライマックスのシーンを猫は読む。読むだけならともかく「おめでとう、最高よ」などと言ってくれるらしい。あぁイヤだイヤだ、あまりの思い入れに、思わず鼻で笑ってしまう。私も自分の猫に言わせてみたい。「最高だよ、名文だ」…私はオノレの飼い猫が言う台詞を信用するだろうか。…しないような気もする。なにしろ相手は猫だ。
 猫持ちの身で断言するが、本当のところ、猫はなにも考えちゃいない。
 女のてのひらにすら易々と納まる、あのまるい頭の中身はせいぜいがところ、ゴハンとトイレと嫌いなニンゲンと好きなニンゲンのことくらいしか詰まっていそうにない。日なたで香箱を組んで目を閉じている姿に、哲学者を見るのも怠け者を見るのも、全てこれ人間の勝手な思い込みに過ぎない。
 たいした場所を取わけでもない代わりに役にも立たない、新聞ひとつ運んで来るでない猫たちは、けれどもたったひとつ、呆れるような寛容さでもって私たちの勝手な思い入れをどこまでも許してくれる。だから私にも浅田次郎の思い入れを、鼻で笑いつつもなんとなく理解できる。私だけではない。猫好きで夢見がちな人ならば「猫ならこれくらい言うだろう」という気分をどこかで抱いていそうな気もする。このCMは猫好きの心理をうまくついている。癪にさわるが琴線にも触れるのだから仕方がない。正直に言う。私はやっぱりこのCMが好きだった。
 オビには「日本中の愛猫家が涙した」とある。残念ながら涙は出なかったが、猫好きには一見の価値がある本であろう。


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