著者は東京大学で建築史を教えるセンセーである。赤瀬川原平や杉浦日向子といった面々と徒党を組んで遊んで、いや違った、「路上観察学会」というのを作って変わった建物を見つけては喜んでいる。建物ウォッチングそのものはさして珍しくないと思うが、その中心にウケ狙いを据えるところが変わっている。
まず、タイトルの響きがいい。タンポポという草の名はいかにも能天気そうで、その下に「ハウス」である。どんな能天気な住人がいるのだろうかと思う。本の表紙は家の写真である。屋根のてっぺんには草(芝生に見える)がふさふさと生え、窓の周辺には色とりどりの小さな花が咲いている。口絵では家の−「タンポポ・ハウス」の全貌が明らかにされる。一口に言えば、子どもが描くようなUFOの、下にあるはずの丸っこい部分が柱とガラス戸になっているような感じだ。屋根と外壁は鉄平石で、屋根のアップを見ると名前の由来であるタンポポが黄色い花を咲かせているのが分かる。正直に言おう。…ひどく変わっている。
この本は、こんな変わった家を建ててしまった著者の、不屈の遊び心に満ちた記録である。
「なぜ、屋根にタンポポか」という問いに対しては、一章を割いて長々と言い訳が書書き連ねてある。ウケ狙い路上観察学の親分である著者は、都市緑化を考えるにあたって「超高層ビルのタンポポ仕上げ」を主張する。ベランダや塀などから植木鉢を吊すだけではツメが甘い、ここはやはりビルの壁面にタンポポを生やすべきだとのたまわる。しかも生やすタンポポは日本在来種でなければならないらしい。繁殖力の強いアメリカタンポポに押されてほとんど見られなくなった日本タンポポを超高層ビルに植え、そこから日本の都市にタネを撒き散らしてアメリカタンポポを太平洋に突き落とすのだっ、と彼は息巻く(ま、言うのは自由だからね…)。
しかしながら本の前半部分は、タンポポから離れて別の建物の話になる(どうも「建物」と書こうとすると指が勝手に「たべもの」と入力してしまって困るな)。著者は建築の歴史を「観る」人であって、実際に建物の設計をする人ではないらしい。その彼が初めて設計したのが、出身地の諏訪に建てられた「神長官守矢史料館」という史料館だそうだ。単になりゆきで設計させられたらしいのだが、妙に凝り性な著者は腕まくりをして設計に取り組む。展示する資料の性質に合わせ、材料には工業製品を一切使わないことを考えつく。そのコンセプトは「自然素材路線をやりすぎよう」というのだから笑える。
工業製品を使わない、と口で言うのは簡単だが、普通の窓ガラスは工業ガラスだからダメ、手すりやノブ、ちょうつがいなどの建築用金物も工業用品だからダメ、壁は土壁でなければならない、木は確かに天然素材だが板は電ノコで切るから半工業製品だ、などと言い出すと難題が山積みである。その解決の仕方がいちいち爆笑モノで楽しい。
「自然素材路線をやりすぎる」コンセプトは、当然ながら二度目の設計になる自分の家にまで及ぶ。屋根瓦のかわりの鉄平石、ノコギリを使わずに鉈で割った板、手吹きの透明ステンドグラスを使った窓という素材がそっくりそのまま活かされる。その上に、最初の章で主張していた「超高層ビルのタンポポ仕上げ」を重ねたとき、建築家は自宅の屋根にタンポポを植えるという暴挙に出た。せっかく面白い計画を提案しているのに注文が来ないから自分の家で試すのだ、とうっとりしながらのたまう著者は自称「建築界のジェンナー医師」である。依頼されて作ったはずの史料館は、すべて自宅改築のためのお勉強だったのかと疑いたくなってくる。
ところどころに挿入されているスケッチがまた楽しい。ちゃんとしたスケッチもあるが、どう考えても単なる走り書きだろうと言いたくなるようなメモが多い。ページが進むにつれ、最初はただの思いつきだったのが、だんだん具体的・現実的になって行くのがよく分かる。
著者は自宅にタンポポを植えたあと、路上観察学会の赤瀬川原平宅を手がけ、やはり屋根にニラを生えさせている。現在建築というのはまったくもってたいへんだと思う。奇抜なデザインに思想まで盛り込まなければならない苦労はお察しするが、…私は屋根に草が生えているような家には住みたくない。
ご家族の反応が、私としてはたいへんに気になるのだが。
壁紙はかおるひめさんのとこから拝借しました。