倚りかからず 茨木のり子著
筑摩書房刊 1800円+税
ISBN4-480-80350-5

このところエッセイや評伝が多かった著者の、実に7年ぶりの詩集である。白い表紙の片隅に椅子の絵が描かれているだけの、シンプルかつ存在感のある表紙が印象的だ。
中に収められた言葉たちは決して華麗なものではなく、その装丁と同じようにシンプルで、むしろ一見無造作に置かれているようですらある。そこに色恋めいた主題の入る隙間はどこにもなく、詩句は凝縮された分だけさまざまな意味を含んで広がりを持っている。
だから茨木のり子の詩は平易である。真っ直ぐに心まで届いて、じわじわと広がっていろいろ考えさせられ、ある時突然すとんと腑に落ちたりもする。
女の孫は 清純の美をかなぐり捨てて 踏み抜き
男の孫は 背を丸めゴリラのように歩いている
(疎開児童も)
この詩句を読んで、街中の風景をまざまざと思い浮かべない人はいないだろう。詩人は1926年生まれであるから、まさしく私は著者にとって孫の年代にあたる。著者に攻撃されている「いまどきの若い者」であることには変わりないのだが、今の風俗をこれほど鮮やかに切り取った表現を、私は他に見たことがない。
パソコンやビデオデッキなど、暮らしに絶対必要ではないけれども、あれば便利という程度の電気製品を「すぐに古びるがらくたは/我が山門に入(い)るを許さず(時代おくれ)」と見抜いた目は、マザーテレサを「静かなる狂なくして/インドでの徒労に近い献身が果たせただろうか(マザー・テレサの瞳)」と看破する。亡くなってからローマ・カトリック教会によって聖人に叙されたかの人の瞳を、まっさきに猛禽類にたとえた詩人の目のつけどころもまた鋭い。
かと思うと、時代の流れの中で乱れていく言葉たちを「脱臼 骨折 捻挫のさま/いとをかしくて(笑う能力)」と厳しく笑い飛ばす。同じ詩の中では笑いの語に導かれるように「山笑う」という美しい季語を引き出したかと思えば「膝が笑う」と年齢を重ねなければ実感できない、ある意味とんでもないオチが用意されていたりもする。笑い飛ばされた未熟者は、ここに至って一緒になって笑うしかない。
パソコン インターネット 見たこともない(時代おくれ)」と言い切る詩人は、世の中にたれ流される情報について非常にシビアである。「雪崩のような報道も/ありきたりの統計も/鵜呑みにはしない(あのひとの棲む国)」でいようとする。なぜなら「それぞれの硬直した政府なんか置き去りにして(同)」自分の目で見てみたら「外国人を見たらスパイと思え/そんなふうに教えられた/私の少女時代には/考えられもしなかったもの(同)」が見えるのである。
この人の国家に対する不信感には相当根強いものがあって、だから国歌という言葉にも「侵略の血でよごれ/腹黒の過去を隠しもちながら/口を拭って(鄙ぶりの唄)」いるような響きを聞き取るのである。そういったバックボーンがあって初めて
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない
じぶんの耳目
自分の二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
(倚りかからず)
と堂々と言い切ることができる。
潔い、という言葉がよく似合う詩集である。背筋を伸ばしてみたくなったときに読みたい。

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