蒼(青)い119系クモユニ147
1983年の投入直後〜1990年末頃までの塗装
この塗装は、119系が飯田線に投入される際に、オリジナル塗装として「天竜川の青」と「アルプスの雪」をイメージして考えられたと言われているが、実際の天竜川の色とは…。最初からこの塗装ありきで、理由は絶対こじつけ思われますが、119系には、一番似合っており、今でも人気が高い。身延線の115系のように復刻塗装してほしいですが…。←と思っていたら、2009年8月に佐久間レールパーク閉園イベントの一環として1編成が突如として復刻塗装がなされた。

●飯田線に投入直後の119系

最初に投入された119系は、豊橋区の80系4両編成を置き換えのために投入されたMc-Mc-T'cの3両編成で、まだ両運転台方式のクモハ119-100番台は存在していなかった。

田切〜伊那福岡間 '83.03.28 TM

●最後の旧形国電と並ぶ119系

最後の活躍をする伊那松島区の旧形国電と並ぶ119系

本長篠 '83.03.30 TM

●クモハ119-100番代車

'88年(昭和63)年度に飯田線列車運用効率化に単行運転が可能なように、クモハ119の2エンド側に運転台を設け両運転台化して生まれた形式。完成当初は両運転台機能を生かし、主に天竜峡〜中部天竜間の山岳閑散区間を単行で運行する事が多かったが、あまりに効率重視すぎた運用であったために観光シーズンなどの多客時に臨機応変な運用が出来ず、また便所無しであるなど、評判が良くなく、現在の単行運転は主に豊橋口の短区間運転に変更されており、飯田線中・北部では早朝・深夜に限られている

 クモハ119-104 平岡 '89.01.16 TM

●40パーミル区間を駆け上がる青い119系

先頭は、両運転台化されたクモハ119-100番代、青塗装で非冷房の期間は2年足らずと、非常に短い期間でしか活躍しなかった。

沢渡〜赤木間 '88.04.03 TM

●JR発足1周年ヘッドマークを付けた119系

JRが発足して1年が経ち、各列車にヘッドマークが付けられた。119系も数編成に取り付けられ、デザインもそれぞれ違っていた。

上諏訪 '88.04.03 TM

●大八区間(辰野線)運用119系(左)

'83年7月に岡谷〜塩尻間に塩嶺トンネルが開通し、その後大半の列車がそちらを通るようになり、'85年から119系が塩尻〜辰野間の区間運用に当てられ、'86年(昭和61年)にクモハ123が造られるまでは塩尻まで119系が顔を出していた。行先表示に「塩尻」がないので「普通」表示を出していた。

大八区間とは…中央線建設計画の際、伊那谷ルートを勝ち取れなかった地元出身代議士・伊藤大八が、岡谷〜塩尻区間は直線で結ばず、辰野に迂回すように働きかけたルートを取ることになったため、大八回り(大八線)と呼ばれている

辰野 '85.03.28 TM

●今はなき、小沢川の古いガーター橋を渡る119系

伊那市街にあった古いガーター橋を、新車・119系が通過する。現在は改修により大きく姿が変わってしまっている。

伊那北〜伊那市 '89.01.16 TM

119系とともに誕生した郵便荷物電車 クモユニ147

●短命に終わったクモユニ147

飯田線の郵便・荷物輸送用に造られた電車。5両が101系の廃車を利用し造られた。外観は身延線に投入されたクモユニ143に極似しているが、タイフォンのシャッターとスカートが省略されている。

'85年(昭和60年)飯田線荷物列車廃止により飯田線より撤退し大垣区に転属、一時期東海道本線などで使用されたが、'86年(昭和61年)に鉄道の郵便・荷物輸送の廃止によって余剰車となり静岡区に転属、翌年身延線合理化の単行運転用としてクモハ123-40(現5040)番台に改造された。

この写真は改造直後、中部天竜に姿を現したクモユニ147-1。

中部天竜 '83.06.06 TM

●119系に併結運転されるクモユニ147

旧国時代からの名残で、全区間の通し運用の普通列車に併結運用される事が多かったクモユニ147型。旧国当時はクハユニ56などの合造車が主で、半分は乗客が乗れる作りであったが、この車は郵便・荷物専用車であること、119系化による編成短縮化により座席定員が減少する事になってしまった。しかし上記のとおり、飯田線内での活躍期間は2年足らずと非常に短かかった。

クモユニ147-1と119系 平岡 '84.08.26 TM

19年振りに復活した登場時塗装の119系

●復活した119系登場時塗装

1990年頃を最後に、全車がJR東海色になり姿を消した青に白帯のいわゆる「飯田線色」の119系電車。佐久間レールパークの閉園イベントの一環として1編成のみの限定復刻。2009年8月にE4編成が塗装変更された。

小坂井〜下地間 '09.09.13 TM

●19年ぶりの混色編成

一時は飯田線色とするがシャトル色、JR東海色の3種が混在し、それらの混結編成も普通の事であったが、1990年頃にすべての119系がJR東海色に統一されてしまい、併結編成も見られなくなったが、復刻編成が登場し久しぶりの混色編成も見られるようになった。

写真は日曜の午後、中部天竜始発となる548Mで、通常2連のところ、レールパーク閉園イベント効果などでの混雑緩和として後ろ2両が増結され、混色となったもの。

復刻塗装と東海色の併結119系 野田城〜東上 '09.09.13 TM


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