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この塗装は、119系が飯田線に投入される際に、オリジナル塗装として「天竜川の青」と「アルプスの雪」をイメージして考えられたと言われているが、実際の天竜川の色とは…。最初からこの塗装ありきで、理由は絶対こじつけ思われますが、119系には、一番似合っており、今でも人気が高い。身延線の115系のように復刻塗装してほしいですが…。←と思っていたら、2009年8月に佐久間レールパーク閉園イベントの一環として1編成が突如として復刻塗装がなされた。 |
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●飯田線に投入直後の119系 最初に投入された119系は、豊橋区の80系4両編成を置き換えのために投入されたMc-Mc-T'cの3両編成で、まだ両運転台方式のクモハ119-100番台は存在していなかった。 田切〜伊那福岡間 '83.03.28 TM |
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●最後の旧形国電と並ぶ119系 最後の活躍をする伊那松島区の旧形国電と並ぶ119系 本長篠 '83.03.30 TM |
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●クモハ119-100番代車 '88年(昭和63)年度に飯田線列車運用効率化に単行運転が可能なように、クモハ119の2エンド側に運転台を設け両運転台化して生まれた形式。完成当初は両運転台機能を生かし、主に天竜峡〜中部天竜間の山岳閑散区間を単行で運行する事が多かったが、あまりに効率重視すぎた運用であったために観光シーズンなどの多客時に臨機応変な運用が出来ず、また便所無しであるなど、評判が良くなく、現在の単行運転は主に豊橋口の短区間運転に変更されており、飯田線中・北部では早朝・深夜に限られている クモハ119-104 平岡 '89.01.16 TM |
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●40パーミル区間を駆け上がる青い119系 先頭は、両運転台化されたクモハ119-100番代、青塗装で非冷房の期間は2年足らずと、非常に短い期間でしか活躍しなかった。 沢渡〜赤木間 '88.04.03 TM |
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●JR発足1周年ヘッドマークを付けた119系 JRが発足して1年が経ち、各列車にヘッドマークが付けられた。119系も数編成に取り付けられ、デザインもそれぞれ違っていた。 上諏訪 '88.04.03 TM |
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●大八区間※(辰野線)運用119系(左) '83年7月に岡谷〜塩尻間に塩嶺トンネルが開通し、その後大半の列車がそちらを通るようになり、'85年から119系が塩尻〜辰野間の区間運用に当てられ、'86年(昭和61年)にクモハ123が造られるまでは塩尻まで119系が顔を出していた。行先表示に「塩尻」がないので「普通」表示を出していた。 大八区間とは…中央線建設計画の際、伊那谷ルートを勝ち取れなかった地元出身代議士・伊藤大八が、岡谷〜塩尻区間は直線で結ばず、辰野に迂回すように働きかけたルートを取ることになったため、大八回り(大八線)と呼ばれている 辰野 '85.03.28 TM |
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●今はなき、小沢川の古いガーター橋を渡る119系 伊那市街にあった古いガーター橋を、新車・119系が通過する。現在は改修により大きく姿が変わってしまっている。 伊那北〜伊那市 '89.01.16 TM |
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