飯田線の旧国 40系列(クモハ61、クモハユニ64)
大都市近郊の通勤線区で使用された、3扉ロングシート車のグループ。飯田線のような線形にはあまり向いていなかったため、比較的少数しか活躍しなかった。

クモハ61型

3扉ロングシートを持つ両運転台方式の40系モハ40(後のクモハ40型)初期車の主電動機を変更し、出力向上を図り改番された車両。京阪神地区・首都圏の通勤区間で使用された後、飯田線に入線。末期は003、004、005の3両が活躍。

外観は前面に幌を付けており、両運転台式の特性を生かした予備車的な使われ方が多かったが、末期のクモハ61004のみは他のクモハ61と異なり、通常クハユニ56004と編成を組んでおり、特に連結相手側となる1エンド側が前に出ることは希であった。

見た目は厳つい、いかにも旧形国電らしい外観で非常によかったが、中に入るとロングシートという乗る人をがっかりさせた車だった。

パンタグラフは003のみPS11搭載で、004、005はPS13に換装。

上 クモハ61005 '83.06.06 伊那松島機関区 TM
下 クモハ61003 '82. 辰野駅電留線 HS

●クモハ61の顔2態(左上・左下)と先頭部室内(下)

左上はクモハ61005、同下はクモハ61003。クモハ61003のみ、1エンド側が下りに(パンタ方向が辰野向き)向いていた。また助手席側窓もHゴム支持になっていない。

左上 クモハ61005 '82.08.12 辰野 TM

左下 クモハ61003 '82.08.12 伊那松島機関区 TM

運転室は半室式で、前面の眺めが大変良く、この部分の座席のみは人気があった。

クモハ61004先頭部室内 '83.08.12 辰野 TM

●クモハユニ64 

非常に長い形式の付いた、一形式一両のみの珍車。

この車の変遷は非常に複雑で、戦時中モハユニ61型として制作された中の1両で、本来[51系]セミクロスシート車で制作予定であったが、製造当時の時代状況により実際にはロングシートで落成、他に2両が制作されたがこの車のみが電装され、他の車両は未電装のまま出場し、のちに[クハユニ56(011・012)]になった。

電装された唯一モハユニ61001は横須賀線から大糸線へ転出し、その際車内はセミクロスシート化された。その後身延線へ転出し、形式をモハユニ44100と変更、パンタなどの電装品の向きを逆にした。

その後、再度大糸線へ転出し、のち2エンド側に非貫通型運転台を増設、クモハユニ64000に形式変更され貨車牽引などに活躍した。

そして山陽線岡山地区へ転出し、増設側運転台の貫通化・幌設置、室内ロングシート化が行われ、最後の形態に近くなる。そして最後の職場となる飯田線へは、戦前型としては最後転入車で、'78年に転入。

暫くぶどう色のまま使用され異彩を放っていたが(写真下)、数年後にスカ色化、運転台窓のHゴム化など、飯田線標準仕様となって旧国末期まで活躍した。前面は半流型で、飯田線転属が比較的遅かったため前面サボ受けがない。パンダグラフはPS13。

(上)クモハユニ64000スカ色 伊那松島 '82.09 HS

(下)クモハユニ64000ぶどう色 伊那松島 HM

●クモハユニ64の2エンド(増設運転台側)

半流側の前面に対し、増設運転台は切妻形状の運転台で、いかにも後付けといった感があった。両運転台式の車ではあったが、飯田線では試運転など以外、増設側の運転台が活用されることはなかった。

クモハユニ64000<右>(2エンド側) 伊那松島 HM

飯田線の40系は、過去にクモハ60やクハニ67なども入線したが、それらは比較的短期間のみの活躍で終わり、最後まで活躍した40系車両は、上記の2形式のみであった。


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