飯田線の旧国 42系列(クモハ43・53、クハ47)
長距離運転を前提とした2扉クロスシートを持つ車両で、元京阪神急電(現在の東海道本線・京阪神区間の新快速電車)用「合の子」も含むグループ

クモハ43型

京阪神間や横須賀線で使用された42系列の中心的な車両。客用扉の間に、ずらりと並んだ幅の狭い窓が特徴。

運転室は半室式。

飯田線末期は、43015のみが残って活躍。

パンタグラフはPS11を搭載。

クモハ43015 '83.06.05 門島 TM

クモハ53型(標準タイプ)

上記のクモハ43と同様、京阪神間〜横須賀線で使用後、飯田線に来た車両。

クモハ43との違いは、電動機出力が増強された事程度で、外観上の差異はほとんどない。運転室も半室式である。

飯田線末期まで53000、53001の2両が活躍し、パンタグラフは000がPS13、001はPS11を搭載。

(上)クモハ53000 '83.03.27 天竜峡 中部日本鉄道寄贈

(下)クモハ53001 '83.06.06 伊那松島区 TM

●クモハ53型(合の子)

この車両は京阪神急電(現在の東海道線・京阪神地区の新快速)用として制作された「流電」(下項参照)クモハ52型の増備車として、側面窓配置のみ流電2次型と同様にし、前面形状を流線型から、当時の標準であった半流線形の貫通式にした車両で、流電と一般車とかけ合わせという意味で「合の子」という愛称がつけられた。
他の車両と異なり、窓幅は広く、リベット、窓上下の帯(シル・ヘッダー)がないなど、当時の車両としては非常に斬新な作りであった。台車は2両とも、当時は希であった高速列車用コロ軸受け付きのDT12A(伊那松島区配布の諸元表によるとDT13とあるが、間違いと思われる)を履いている。

新製当初はクモハ43グループに含まれていたが、後に電動機出力増強がなされ、クモハ53に編入された。

写真上は53007号で、側面雨樋が新製当時のまま上部に付けられており(張り上げ屋根と呼ばれていた)、流電無き後の飯田線では特に人気が高かった。

写真下は53008号で、上の007番と異なり更新修繕の際に雨樋が通常の位置に下ろされてしまい、007番程の人気はなかったが、車内は007が淡緑色にペイントされているのに対し、008はニス塗りのままであった。

パンタグラフは両車ともPS11を搭載。

53008番は'83年7・8月に運転された「さようならゲタ電」号の下り方先頭に立った。

(上) 伊那福岡〜田切間 '83.03.24 TM
(下) 中部天竜 '83.07.25 TM

●クハ47型(原型車・47000〜)

この車両は本来42系列ではなく、17m車体で2扉クロスシートを持つ横須賀線用のモハ32系列(後のクモハ14)の制御車であった。32系列は電動車以外は20m車体を持っており、クモハ14が全廃後も使用されていた。

飯田線では47009番が最後まで残り活躍。

(上)クハ47009 '83.06.06 伊那松島機関区 TM

(下)クハ47009 三河槙原 HS

●クハ47型(サハ48運転台取付改造車47051〜<奇数>)

この車は上記クハ47と同様のモハ32系列の付随車、サハ48に運転台取付改造をしたもので、番号は47051〜(奇数)となった。また、末尾数字が偶数の車は車内がロングシートで、身延線などで活躍していた。

外観上は原型クハ47と比べても、前面窓幅が若干異なるだけで見分けが付きにくいが、便所位置が正面向かって左側にあるのが改造車との違いである。

飯田線では069番が最後まで活躍し、'83年7・8月に運転された「さようならゲタ電」号の上り方先頭にも立った。

クハ47069 '83.07.25 中部天竜 TM

●クハ47型(47100〜)

この車両は本来の42系列制御車であるクハ58型に便所取付等の改造を受け、クハ47に編入した車。形態はクモハ43に準ずる。

飯田線末期には47104番のみが残っていた。
この104番は便所隣の窓が他の100番代と異なり、全て塞がれてる事が特徴である。また運転室は半室式であった。

クハ47104 '82.10.11 伊那松島 HS

■番外編・流電「クモハ52」
'78年(昭和53年)の80系300番代が飯田線・豊橋区に転入により廃車となり、'83年(昭和58年)の飯田線の旧国末期までは活躍しなかったが、飯田線の旧形国電といえば必ず話に出てくる車両ですので、参考として記載いたします。
 

●クモハ52型(003〜005、2次型)

元・京阪神急電(現在の東海道本線・京都〜神戸間の新快速電車)用として'37年(昭和12年)に製作された車両。先頭部が流線型で、下回りをカバーで覆うなど、非常に特徴がある車両で、クリームとマルーンの2トーンカラーに塗られ、同区間を快走していた。のち、阪和線に転じ、製造時にはなかった乗務員扉を付け、下回りのカバーもはずされて、製造時の美しさは無くなってしまった。

前年度に製作された001・002はクモハ43などと同じ、狭い窓が並ぶ側面であったが(下写真参照)、このグループは当時としては画期的な広幅の窓を採用し、ノーシル・ノーヘッダーの車体と相まって、非常にスマートでな車体であった。特に003・004の2両は雨樋が製造時の位置のままの、いわゆる「張り上げ屋根」で、飯田線では特に人気が高い車両であった。

'57年(昭和32年)に飯田線に転入、当初は静鉄色快速色と呼ばれるオレンジとブルーの2トーンや、湘南色に塗られ、飯田線快速などに使用されていたが、のちにスカ色に変更、快速廃止後は普通電車として全線に渡って活躍したが、'78年(昭和53年)、豊橋区に80系300番代が転属することとなり、同区所属の流電5両すべてが廃車となり、惜しまれながらも「さよなら運転」後に廃車された。

狭窓の001は国鉄・吹田工場に原型に復元し保存(下部写真参照)。004も地元飯田線近くの日本車輌・豊川製作所の工場敷地内に保存(写真上)されていたが、中部天竜構内につくられた「佐久間レールパーク」に移転され、当初はスカ色であったが、現在は新製当時風に改装されている(写真下)。(が、乗務員扉が残るなど中途半端で評判が悪い)

クモハ52004 (上)'82.08.14 日本車輌豊川蕨製作所 TM
(下)'97.10.24 佐久間レールパーク TM

●クモハ52型の運転台

流線型の特徴ある前面を持つクモハ52の運転台。

広々とした乗務員室と立派なシートが目立つ。また助士用にも立派なシートが設けられている。

クモハ52004の運転台 '97.10.24 佐久間レールパーク TM


●モハ52001(001・002、1次型)(元クモハ52001)

上記の2次型以前に作られたタイプで客室窓の幅が狭く、丁度クモハ43等と同様の狭窓が並ぶ。

飯田線で使用された時はぶどう色〜静鉄快速色(橙と青のツートーン)〜湘南色と変遷し、末期は他の旧国と同様のスカ色だったが、廃車後に国鉄吹田工場(現・JR西日本吹田工場)内保存にあたり、京阪神急電色に塗られて現在も保存されている。(当初の急電色は、マルーンの面積が多く、窓枠まわりのみクリーム色であったが、上記の2次型からクリーム塗装の面積が増えたため、この1次型もそれに合わせた塗装となった。この保存車はその変更後の塗装で、登場時の塗装とは異なる)

上記の004と同様に見えるが原型度合はこちらの方が高く、乗務員扉がないことに注意。

写真左下は同車の車内運転台付近。車内も原型に近く復元されており、乗務員扉が外にない構造がよく判る。半室式運転台のため、座席は前面すぐ近くまできており展望車さながらであった。

(上)モハ52001 '00.07.30 JR西日本吹田工場 TM
(下)同車運転台付近 同上 TM


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