ED62各部解説


1 パンタグラフ

1980年代後中頃から部品機器の統合等を目的としてPS22Bを搭載した機関車が登場したが、ED62も例外ではなく、故障したパンタを取り替えるため、5号機や(最初は2位側のみ、後年両パンタ共)6号機(2位側のみ、のちにPS17に戻る)がPS22B化された

2 前照灯

パンタグラフ同様機器の統合の為、故障した白熱灯に代わり、シールドビーム2灯化改造が1980年代に行われ、5,6,8,10号機が改造された

3 ワイパー

ED62化改造に当たり、運転席側のワイパーは上支点の強力型WP50に変更されたが、1,4,7,9号機は助手席窓も同ワイパーに改造された。取り付け部が上になった為、ツララ切にワイパー取付部の逃げのカバーがある

4 補助灯ステー

前照灯の下部に補助灯のステーがとりつけられているが、形状には2種類あり、大型のフックタイプ(2・3・4・5・7・11・12・13・14・16・17号機)と小型のフックを引っかけるタイプ(6・8・10・18号機)とがある。また、1号機は取り付けられていない

5 ジャンパ栓跡

ED61時代、中央東線・八王子〜甲府間の貨物列車を重連で引く為、総括制御用にジャンパ栓があったが、ED62化後は総括制御の必要がない為撤去跡がある(※1)。尚、改造直後は、ジャンパ栓受けは残っていた

6 スノープロー

ED62化改造後、伊那松島区の1〜9号機はスノープロー付、豊橋区の10〜18号機は付いていなかった。これはそれぞれの機関車は飯田で運用を区切っていた為で、1983年の元善光寺〜豊橋間の貨物輸送廃止に伴い運用範囲が北部限定化され、廃車を免れた車両にすべて取り付けられた(浜松工場入換用の14号機は除く)

但し、10号機に関しては改造直後から豊橋区配属中しばらくの間、スノープローが取り付けられていたが後年撤去され、他機と同様、スノープローは同区に保管されていたそうです(情報提供 T.MURASE様)

スノープローを付けたまま、南部での運用に付くED62 10 船町〜下地間 T.MURASE

※1…のちに上片桐〜伊那松島間で長い間行われる重連回送(注…下記参照)など、皮肉な運用が発生することになるが、総括制御でない為、先頭と次位の両方に機関士が乗り、無線でやり取りをして運転していた(もっとも重連の必要がある訳でなく、車両回送の都合で発生した運用なので牽引する貨車も空車返却で、長くても5〜6両、時には機関車のみで回送の場合もあった)
重連運転については、1980年代末期〜貨物輸送最後の時期に行われていたものが有名だが、1978年の10月中旬から11月にかけて、下り臨時貨物が運転されたときに、その返しとして南部の上り貨物列車に回送のED62を連結した重連運用が行われていたのが最初だったようです。ただ、運転期間が非常に短く、運転時刻も中部天竜着時刻が17時過ぎと条件が悪く記録されている方は非常に希で、時期的にもまたEF10が現役な時代だったので、注目されなかったようです。(情報提供 T.MURASE様)

貴重な南部重連運用に付くED62 12号機と13号機 1978.11.中部天竜駅 T.MURASE
※2・列車無線アンテナ…列車の衝突事故が頻発した1980年代後半以降、列車運行状況を迅速に把握できるようにする為、列車無線用のアンテナ装着がなされたが、比較的早く廃車された車には取り付けられなかった

7 タブレット保護枠

ED61時代、阪和線で使用されていた車では取り外されてれていたが(一部の資料には改造まで外された事はないとありますが、竜華機関区に所属時のED61 18等は保護枠撤去がされていた)その後、ED62化後、飯田線内は通票閉塞の為全機に取り付け、その後1983年の飯田線CTC化でタブレットの使用は廃止されたが、保護枠が撤去されたのは5,6,17号機のみだった

8 前面・側面窓Hゴム

1980年代末までは、グレーHゴムで支持されていたが、経年劣化で交換され、末期まで残った車の場合、側面の窓に関してはほぼ全ての車が黒Hゴム化、前面ガラスに関しても5・6・17号機は黒Hゴム化された

9 側面乗務員窓水切り

ED62 2,9号機は、ED61 2,1号機(試作機)から改造されたため、量産機から改造された他の車とは水切りの形状が異なり、窓部のみでドア部まできていない


 [ホームに戻る] [各号機解説へ]