飯田線の165・169系
飯田線で急行〜普通電車として幅広く使用された直流急行型電車の代名詞

165・169系は、80系で確立された中・長距離電車設計を発展・新性能化してつくられた「東海」型153系急行(準急)型電車を元に、主電動機の出力アップ、耐寒・耐雪構造、抑速制御装置をそなえた山岳線用車として造られ、169系はさらに信越本線・横川〜軽井沢間の碓氷峠通過で、EF63型機関車との協調運転、急勾配区間での安全対策の強化、同区間での空気バネのエア抜きなどが出来るように対策を施された車両。外観上の差異はほとんどなく両車の併結も可能(但し、EF63との協調運転は不可能となる)。

飯田線には縁が深い車両で、急行(準急)電車から線内普通電車としてまで幅広く使用されたが、80系電車と同様の車内構造のため、都市部でのラッシュ対応には不向きであった。現在は定期列車としての入線はなく、臨時列車として希に使用されるだけとなっている。製造から30年以上が経過しているため、早晩廃車されてしまうものと思われる。JR東海所属の165系はすべて廃車となったため、2000年の臨時快速列車で使用されて以降、飯田線では見られなくなってしまった。


飯田線を走った165・169系急行電車

飯田線内の急行電車は、首都圏、中京圏、長野・松本地区連絡の各方面からの交通の便を図り、昭和30年代から運転され、多客時には増結運転なども行われるほどの需要があったが、後年の高速道路網整備による高速バスなどの価格競争には勝てず、飯田線のような線形ではスピードも出せないので時間的にも優位性が低く、徐々に需要が減り、一時は全て廃止されてしまった。しかし、平成に入ってから臨時急行「伊那路」が運転され、現在の特急「伊那路」の基となった。

●東海道線直通急行「伊那」

臨時急行「天竜」が'61年(昭和36年)定期急行列車化されて出来た、東海道線中京地区〜飯田線内連絡急行(当初は準急)。運転区間は大垣〜上諏訪(飯田線経由)。

'72年(昭和47年)より、80系から165系使用となり、基本的には4両編成であったが、多客時は最大7両編成(飯田以南)で運転されたこともあった。

大垣電車区の車両が使用され、編成は基本的にTc-M-M'-Tcであったが、場合によってはMc-M'-T-TcやMc-M'-Tc-Tc、Tc-Mc-M'-Tcなどの編成もあった。

'83年(昭和58年)7月のダイヤ改正で廃止された。

'83.03.28 伊那福岡〜田切間 TM

●長野県内連絡急行「天竜」

'60年(昭和35年)、長野〜天竜峡間で運転された臨時準急列車を翌年、定期列車化したもので、当初は気動車(ディーゼルカー)であったが、'75年(昭和50年)の全面電車運転となり、完全165系化がなされた。

運転区間は長野〜上諏訪・天竜峡間で、長野〜辰野間8両編成、途中飯田線方面と中央線方面とに別れて運転された。

編成は神領区の4両またそれを2本併結したもので中央・篠ノ井線区間は運転されていたが、飯田線内はTc-M-M'-Tcの4連を使用、'82年(昭和57年)に松本運転所の165系で運転されることとなり、編成はMc-M'-Tc-Tcになった。

'86年(昭和61年)11月、新急行「かもしか」に生まれ代わるまで運転された。

'83.06.07 飯島 TM

●新宿〜飯田線直通急行「こまがね」

中央東線の代表的急行列車「アルプス」に併結され、新宿〜飯田線内への連絡急行として運転された。

当初は準急「赤石」として気動車で運転されていたが、'65年(昭和40年)に165系電車化され、のち急行化。 '68年(昭和43年)に「こまがね」に改称され、末期は新宿〜天竜峡(一部は普通電車となり平岡まで)運転されていたが、'86年(昭和61年)の165系定期急行「アルプス」(夜行・臨時を除く)と同時に廃止になった。

車両は松本運転所のMc-M'-Tc-Tcという4両編成が使用されており、中央線内は「アルプス」の8両編成と併結し、最大12両で新宿〜辰野間を快走した。

'83.03.28 伊那福岡〜田切間 TM

●新急行「かもしか」

飯田線〜長野間連絡急行「天竜」を運転ルート見直し、車内アコモデーション変更などを行ってイメージアップを計った「新急行・かもしか」として'86年(昭和61年)に新たに出発することとなった。(飯田線内は快速扱)しかし、飯田線と並行する中央道・長野道経由の高速バスなどとの価格競争には勝てず、'88年(昭和63年)には全区間快速「みすず」に格下げされ、短命に終わってしまった。

車両は信越本線で使用された長野運転所の169系3両編成の中間にサハ165系を挟んだ4両編成で、外観はNストライプと呼ばれるアイボリーの車体にグリーンのNをあしらったデザインで、車内も廃車となった新幹線のリクライニングシートを使用して、室内サービスの向上を図った。編成はMc-M'-T-Tc。

'86.12.26 伊那本郷〜七久保間 TM

●久しぶりに飯田線に復活した臨時急行「伊那路」

飯田線内の優等列車は快速しかなくなってから久しい'92年(平成4年)12月、臨時急行「伊那路」が運転され、その後どんどん運転日と運転区間が拡大され、不定期とはいえ末期にはほぼ毎週末に運転され、'96年(平成8年)3月、定期特急「伊那路」として格上げされ、車両も新型373系へと変更された。

車両は静岡運転所の165系Mc-M'-Tcの3連が使用され、末期は写真にみられるような大型ヘッドマークが付けられ、ファンを喜ばせた。JR東海所属の165系は床下機器がグレーに塗られていた。

'95.01.17 大嵐 TM

※「天竜」「伊那」「こまがね」の写真について、「違いが判らない」という苦情は受け付けません(笑)

新急行「かもしか」・快速「みすず」のヘッドマーク

●新急行「かもしか」ヘッドマーク

「かもしか」時代は、鹿がベースに描かれたヘッドマークが付けられていた。(カモシカというよりは、鹿だった!)

余談であるが、この愛称は保護動物であるカモシカも、地元では増えすぎて「害獣」となっており反対の声も多く、運転開始祝賀会では参加辞退をした自治体もあったらしい。

'87.08.23 伊那松島 TM

●快速「みすず」

新急行「かもしか」運転開始と同時に運転開始をした快速「みすず」(飯田線内普通扱)。快速電車にHM付という珍しいものであった。

当初、「みすず」に関しては内装・外装ともに変化がない169系電車が用いられていたが、前部には「みすず」のヘッドマークが付けられていた。

のちに車体色変更が行われ、湘南色・ヘッドマークの組み合わせは見られなくなってしまった。

'88.04.03 七久保 TM

●「かもしか」廃止後の後継快速「みすず」

新急行「かもしか」(飯田線内快速)が、全線「快速・みすず」に格下げ統一されることとなり、外観は「かもしか」時代と同一で、ヘッドマークのみ、「みすず」に変更された。

'90.12.24 駒ヶ根 TM

 


[165系のバリエーションへ] [ホームへ]