|
|
JR化後、1987年より飯田線で運転されていたトロッコ・ファミリー号(当初はDE10型ディーゼル機関車)や臨時列車などの牽引に使用されていた電気機関車と、ED62以外の過去に使用された代表的な電機機関車を簡単に解説します。なお、残念ながらトロッコファミリー号は牽引機関車の老朽化などにより2006年11月の運転を以て終了してしまい、僅かに残った工事用レール輸送も2007年、JR東海がレール輸送用車である新形式キヤ97型を製作し転換されたため、現在飯田線内での電気機関車の運転はなくなってしまった。 |
飯田線で使用されていた多種の買収電気機関車の置換えの為に、ED19(後述)に続き1954〜55年にかけて英国イングリッシュ・エレクトリック(E.E)社製電気機関車ED17(1010型→ED50型)<下写真参照>、旧ED18(6000<新>→ED52)を改造・投入された省型電気機関車で、飯田線の軸重制限13tに対応する為に走軸(走輪)を追加した台車を新規に製作・装備し、ED62と同じく飯田線の為に改造された機関車である。
|
言わずと知れた、国鉄旧形電機一のデザインと賞される電気機関車。元々は東海道・山陽・東北本線などで旅客列車や荷物列車などを牽引していたが、新型機関車に任を譲り、JR化以降残っていたものは全てイベント列車、臨時列車牽引用である。また、飯田線内にレールなどを運ぶ臨時貨物列車(工臨と呼ばれる)の牽引にも充当されていた。
|
現在、ED19
1号機が沿線の長野県・箕輪町郷土資料文化館で保存・展示されている。 ●ED19 1号機 飯田線の主に北部で活躍したED19型で、デッキが付いているので大きく見えるが、全長はED18と比べ10cmしか違わない、小振りで愛嬌のあるデザインである。 ED62型が飯田線に入ってきたため全機撤退、唯一地元に保存されることになった。現在も伊那松島駅の西方にある箕輪町郷土資料文化館の前で保存・展示されている。 '90.03.07
箕輪町郷土資料文化館 TM 飯田線には'69年から中部天竜支区に配置され、'72年には豊橋区に集中配置がされ、延べ14両が飯田線南部で活躍。先に述べたとおり、北部は軸重制限により同機は飯田以南のみの貨物列車に使用された。 後年、ED62型が飯田線北部で使用されたED18・19型の置換が完了し、同線の機関車形式統一を行うことになり、豊橋区のEF10型もED62型に置換、最後まで予備機として残ったEF10
31号機も'82年に廃車となった。 現在、以前豊橋機関区に配置されていたEF10 35号機が、同機最初の運転区間であった関門トンネルの縁で九州鉄道記念館に静態保存されている。 ●EF10 31号機(日立製) 飯田線の南部で活躍したEF10型で、ED62型が配置された後も最後まで予備機として残り、ED62が検査などで工場入場時、代走で使用されEF10型最後の1両として注目されたが、飯田線旧国と前後し、1983年廃車されてしまった。 写真は末期の豊橋機関区で休車状態の同機。 '81 豊橋機関区
HS
1926年に米国ボールドウィン・ウェスティングハウス(W.H.)社で製造・輸入されたED53型(6010型)電気機関車の歯車比を変更、貨物用に改造し、ED19型となった。ED53時代は東海道本線、中央線で使用され、故障も少なく扱いやすい機関車として好評で、お召し列車の牽引にも当たった。仙山線に転出の際、耐寒・耐雪工事、歯車比変更の改造を受けED19型となり、お召し用だった2両も身延線に転じ、やはりED19に改造された。伊那電気、三信、鳳来寺、豊川鉄道が買収され国鉄飯田線となって間もなく、軸重13t以下で唯一入線可能な国鉄電気機関車として2、5号機が豊橋機関区、4、6号機が中部天竜機関支区に、1948年には3号機、1959年に1号機が西国立支区から豊橋区入りし、全6両が飯田線に集まり、豊橋区にEF10型電気機関車が配置された1960〜70年初めにかけて伊那松島機関区に全機転属し、ED18と共に1976年まで活躍した。

戦前型国鉄標準貨物用として開発された機関車で、当時としては製造両数が多かったため、形態のバリエーションが豊富であった。また関門トンネル区間用も製造されたため、一部にはステンレス製のボディを持ったものもいた。
過去、飯田線で活躍した電気機関車にはこの他、前記のED17形や伊那・豊川等飯田線の前身となる買収私鉄の機関車なども存在します。
[ホームへ]