飯田線は'43年(昭和18年)に伊那電気鉄道・三信鉄道・鳳来寺鉄道・豊川鉄道の4社線を買収してで出来た線で、その時点で既に電化されており電車運転の歴史は長く、買収車両や大正期に製作された17m車なども入線していた。また流線型の車体で一世を風靡したクモハ52なども最後は当線で活躍した。
'78年(昭和53年)には、飯田線旧形国電に大きな変化が起きます。東海道・山陽、中央線等で活躍していた80系が新性能近郊型電車111・113系や115系の投入により余剰となり、飯田線の戦前型旧形国電を置き換える為に投入される事となり、元々4両固定編成での運転が多く、分割併合の少ない豊橋機関区に配置された。同時に中部天竜機関支区に配置の車両も統廃合により車両無配置化された。(同区は機関区に格上げされた)
この時に流電クモハ52やクモハ42等、多くの戦前型の名車が廃車され、一部は伊那松島区機関区の車両と入れ替えられました。
伊那松島区の運用は2両単位で行われ、分割・併合が多く、また郵便・荷物合造車などの運用もあるため、80系への置き換えはされなかった。
伊那松島機関区の旧国
'83.06.06 TM
そんな旧形国電も寄る年波に勝てず、'83年(昭和58年)6月に定期運用から離脱、7・8月の「さようなら電車」運転後全車が飯田線の運用から離れ、当時の国鉄の台所事情などにより保存などは行われず、順次廃車・解体された。
本章では、この時期まで残っていた戦前型旧形国電についての事を中心に書いていきます。