<検索エンジンで辿り着いた方へ>
トップページは
こちらです!


はじめまして 投稿者:TBT  投稿日:03月31日(金)16時08分57秒
某MLを見て、こちらに参りました。
実は、以前から何度かアクセスしておりましたが、初めて掲示板への書きこみをさせていただきます。
非常に内容の充実したサイトで、興味深く、そして楽しく拝見させていただきました。(見習わなくては…。)

できれば、私のHPとも相互リンクをお願いしたいです。(^^)
それでは。

http://www3.plala.or.jp/tbtknic/home.htm


編成に関するアンケートのお願ひ! 投稿者:NAPP  投稿日:03月31日(金)15時03分54秒
このたび「編成に関するアンケート」を実施することにしました。日本の標準的な吹奏楽団というものが、おおよそどの程度の人数で構成されているのかを知るためです。
ぜひ、皆様のご協力を頂きたく思います。
どうか、よろしくお願い致します。

↓こちらからお願いします!

http://www03.u-page.so-net.ne.jp/kc4/napp/enquete.html


re:CD 投稿者:NAPP  投稿日:03月30日(木)18時11分34秒
>Largo Valleさん

 しまった!すみません。「鏡の谷」は正確には「打楽器合奏」だけではなく、弦楽も入ってます。訂正しようと思ってて忘れてた!!申し訳ありません。 ま、合奏の中心はあくまでも打楽器群にあって弦は補佐的(伸ばしとか)なので、ちょっといぢれば打楽器のみにもなりそうです。
 グレインジャー編「鏡の谷」はとにかくお薦めです。マリンバの中低音の使い方といい、幻想的ですばらしい!!
 ちなみに、このCDには他にドビュッシーの「版画」より「塔」をグレインジャーがオーケストラアレンジしたものも収録されていまして、こちらもナイスです。あいかわらず鍵盤打楽器が多用されていて、それがガムラン的な効果になっていて、ドビュッシーの意図をより鮮明にしたすばらしいものになっています。 周知の通り、この頃パリ博覧会の影響でバリや日本にも関心が高まり、それによって東南アジアの建造物をイメージして創られたのがこのドビュッシーの「塔」。それにグレインジャーが「東南アジアに音を回帰させただけ」と語るオーケストレーションを施したのが、このCDに収められている「塔」です。 打楽器奏者でもあられる
Largo Valleさんなら、きっと楽しんでいただける内容だと思いますよ!!

CD 投稿者:Largo Valle  投稿日:03月29日(水)15時05分14秒
CD紹介のページのラトル指揮のグレインジャー集(東芝版):
>あのラヴェルのピアノ作品「鏡」をグレインジャーが打楽器合奏のために編曲した
>「鐘の谷」のまるでシンセサイザーのような幻想的音色と、組曲「戦士たち」の独
>特の音遣いは一聴の価値あり

 これにとても興味を持ちました。是非CDを入手したいですね。10年位前にドビュッシーの「沈める寺」を打楽器アンサンブルに編曲して高校生に演奏してもらったらアンサンブルコンテストの九州大会で金賞をもらったのを思い出しました。フランス国立音楽院卒業のサックスのかたの審査票に「すばらしい演奏であるが、決してドビュッシーではない」というブーニンがされた評価のような評価を頂いて、ドビュッシーを求めて音楽づくりをしたものとしては、考え込んでしまいました。(笑)

「根源的な差別化」 投稿者:NAPP  投稿日:03月28日(火)18時46分33秒
 数人の方から「根源的な差別化とはなんぞや?」というメールを頂きましたので、書いときますね(メールからの転載です)。

 「根源的」とはまたよく分からない言葉を使ってますね >自分
 やはり、私が「吹奏楽作品を書く」というときに意識したいのは、「吹奏楽でなければ出来ない表現」ということでしょうか。正直、今広く知られている吹奏楽曲の大半はオーケストラにトランスクリプションする、つまり「三管にして弦を加え、バランスを整える」という風にすると数倍曲の完成度が高くなる、というものがほとんどのように感じます。中には明かに「最初は管弦楽曲として構想していたけど、吹奏楽にしちゃった」というものすらあります。つまり、「吹奏楽であることの意味」が感じられないのですね。このような「オーケストラ向きの曲想」の曲しか吹奏楽にリアリゼーションされない、という作曲家の姿勢に問題があるのだと考えます。
 作曲のイデー創出の段階でオーケストラとの差別化を図らなければ出来あがった曲自体に吹奏楽の独自性が顕れるはずもないのです。
「根源的な差別化」というのは、そのように「吹奏楽でしか実現できない楽想を思いつく」ということで行われるのではないか、ということです。
 ではどんなものがあるか、というと企業秘密です(笑)。ま、ひとつ例をあげると、トーンクラスターに纏わる手法とかありますね。他にも「息」に関わる諸現象なんかは格好の素材ですし。先日ホリガー「プネウマ」を聴いて、そのことを再認識しました。 こう書くと、なんだか現代音楽っぽい表現でのみ吹奏楽の独自性が発揮できるかのように思われてしまうかもしれませんが、これは私の曲想がそうだからです(笑)。ロマン派みたいな曲でも吹奏楽の独自性を発揮させることは勿論可能でしょう。例えば、多声フーガ。ブリテン「青少年のための管弦楽入門」のようなフーガの大規模なもの、つまり声部の数と音色の多様性の同時存在なんかは吹奏楽のほうが発展の余地があります。

 「作曲」という行為を「旋律と伴奏、ハーモニーを創るもの」という風に二次元的にしか捉えていない作曲家が多いことが悲しいです。その意識を捨て、もっと作曲という行為のなんたるかを考える、このことが私の言う「根源的な差別化」です。

お知らせ 投稿者:NAPP  投稿日:03月25日(土)22時49分26秒
 「NAPPの作曲部屋」という別サイトを開設しました。
 とりあえず、私の作品「2台のピアノのためのPhenomena」という曲の音源とアナリーゼを用意しました。
 普段なんか偉そうなことを書いてる(?)私の作品、ご興味あるかたはぜひご覧下さいませ。
 MP3で4.26MBという大容量ですが、それでもよろしければ・・・・・

 ↓こちらです

http://www.freepage.total.co.jp/napp/index.htm


re:編成 投稿者:NAPP  投稿日:03月25日(土)18時00分35秒
>編成について
>吹奏楽のサウンドは合計40人程度が丁度良いのでは、という事です。

 40人サウンドの魅力もいいものですね。 個々の動きが鮮明になったり、ムダなサウンドが少なくなるのも素晴らしいし。
 でも、「吹奏楽のサウンドは」と完全に限定するのは私的にはあんまり。オケにニ管・三管の差や金管の人数の不確定性、弦のプルト数のことを踏まえて、吹奏楽という編成にも幅を持たせたいような気もします。 吹奏楽の中にも、言うならば「室内吹奏楽」とか、そういった色々な段階があって、共存できればいいなぁ、と考えています。100人を超える管楽大合奏の魅力、っていうのも捨てがたいし。40人編成による「ディオニソス」なんて「?」と思うし、オケだってマーラーの「1000人の交響曲」とかシェーンベルク「グレの歌」とか、聴けなくなったらイヤでしょ?
 作曲家サイドは、ただ漠然と「吹奏楽のために」っていうんぢゃなくて、「何人くらいの吹奏楽のために」とか、そういうことを考えて、それぞれの人数に合わせた楽想で曲を創るようにしてほしいものです。今はみんなが50人くらいを想定して書いている(と思う)ので、小人数にはキツく、大人数では物足りない、そんな状況だと思います。


>「教育的配慮」という点で技術的カバーの為に安易に人数を強化しても、
>教育的とは絶対思えませんし。

 本当に「教育的」でありたいのなら、既存の編成概念では絶対に全ての学校の実状に即した、吹奏楽による音楽教育なんてできませんよね。 本当の意味でのそういったことをやりたいのなら、それこそ教育音楽学にのっとった教育プログラムによる方針を採らなければ。例えば坪能由紀子先生とかカール・オルフによる音楽教育理論とか(オルフのはちょっと今の日本では?かな)。
 結局突き詰めて行けば、坪能克裕「吹奏楽のための新次元」とかにみられるような「教育学的チャンスオペレーション」に頼る他ないのでは。


>サウンドのコアを、小生はSaxophoneに置いています。これだけでしっかり
>と音楽が構成できる楽器であり、オーケストラとの差別化はこの楽器の
>用法にある、と思っています。

 ん〜、Saxですか。これだけでオケとの差別化は難しいのではないでしょうか?最近のオケにSaxがアンサンブルで複数本入ることって、珍しくないですからね。古くは松村禎三「クリプトガム」とかあるし、西村朗先生の曲には(1〜2本だけど)Saxが入ることは少なくないし、この間聴いたカーゲルの「オルケストリオン・ストラート」にも入ってたし・・・・・
 私としては表面的な音色ではなく、もっと根源的なところで差別化したいですけど、どうでしょう?

>yosuke@さん
 響宴、おつかれさまでした! CDでたら買わせていただきますよ!!


>TAIさん
>発表されましたね。外山雄三氏と藤家渓子氏。

 はじめ外山雄三「交響曲2番」って聞いたときは「うそっ!?」って思いましたけどね(笑)
 人づてに聞いただけで曲自体を聴いたことあるわけではないんですけど、「いつものアレ」でしょ?それで尾高賞を取れるとは。よっぽどよかったのかな?ちょっと興味あり。
 藤家先生はすごいですね。あの若さで2回目!今回はギター協奏曲ですか。藤家先生のギター曲って、すごくいいんですよね。どっちかと言うと「室内楽」っていうイメージがあったんですけど。淡い色調の作品群は、なかなか陶酔的で私は大好きです。前に聴いた「水辺のエテュード」だけは納得できなかったけど(笑)
 6月の演奏会、つまり6月29日の「ミュージック・トゥモロー」は毎年TVで放送されますので、多分今年も大丈夫でしょう。あ、ちなみに私はオペラシティに聴きに行きます。委嘱作品が西村先生の新曲なもんで。


 現在、私の曲の音源(MP3)を載せるための準備を進めてます。「作品」としての曲はまだ公開してませんでしたからね。 無料HPスペースレンタルを使います。広告つくけど、ま、いっかぁ。 ちなみに、19歳のときの作品で2台ピアノ、9分くらいの曲です(4.26MB)。

尾高賞 投稿者:TAI  投稿日:03月23日(木)22時18分21秒
発表されましたね。外山雄三氏と藤家渓子氏。
藤家氏の5年前の受賞作「思い出す、人々のしぐさを」は、カラフルな楽しい作品でしたが、今回の「恋すてふ」は未聴。6月のコンサートは模様は放送されるのかな?

おそくなって・・・・・ 投稿者:NAPP  投稿日:03月23日(木)12時30分36秒
NAPP@ふろむ佐賀、です。レス遅れてごめんなさい。>かめたろうさん

>それに<親しみやすい>というような漠然とした言葉を使うことに
>問題があるかもしれません。

 まさにおっしゃるとおり。「親しみやすい」なんて個人個人の感じ方ですしね。私にとって現在の課題曲となっているほとんどのマーチの旋律は「親しみにくい」かも(笑)


>ある意味の伝統がすたれるのを心配なさっているのでしょうか?

 そうとも言えますし、そうではないかもしれません。 過去の(既存の)曲の構成法(形式の展開とか)をそっくりそのまま使い、旋律だけ変えて別物として発表する。このことを「伝統的スタイルを遵守した」と捉えるか、「独自性がない」と捉えるか。この二つの面を両方含めた意味で「奇麗事」という単語を使いました。


>もしそうならそれは別にマーチをテーマにするということかによっては
>左右される問題ではないように思われます。

 もちろんそうです。ただ、吹奏楽コンクールの課題曲に限定した話、マーチにおいて特にその傾向が顕著。アルフォードスタイルのマーチなんて数えるほどしか見たことない。マーチにも色々なものがあるはずなのに、全部似てる(というか、旋律以外全部同じ)。マーチ以外の曲だと、三部形式とかで全く同じ事を繰り返すのも意味がないからやめて欲しいし。
 既存の曲に存在したスタイルを使うのはかまわないから、もうちょっとそれに新しいものを加味してくれ、と私は言いたいです。 例えば古典の交響曲の形式を借用したプロコフィエフ「古典交響曲」、ブリテン「シンプル・シンフォニー」、池辺「交響曲5番・シンプレックス」、いずれもスコアを一読すれば分かるように作曲当時としては斬新なアイデアがヤマのよう(特にプロコ!楽譜をはじめて見たとき驚いた!)。
 なんだか愚痴になってしまった・・・・・ 結局、「ちょっとでもいいから個性をだしてほしい」という一点に集約されるかも。
 ちょっと話がずれますけど、朝日作曲賞以外にもなにか権威ある作曲賞があってほしい、というのもあります。こういった「スクールバンドのコンクールの課題曲用」っていう目的のものもあっていいから、もっと他の目的をもった吹奏楽作品の公募もあってほしいです。あらゆる面で吹奏楽は合唱に遅れをとっていると思います。いっぱいありますよ、合唱には。「朝日作曲賞」もあるし・・・・・


>演劇的要素を強調した曲が増えてる気がします

 そうですね、最近多いかも。BxCの嶋津武仁先生の「狂気の構造」もだったし、先日私が行った「トロンボーン・フェスタ」で発表された曲の中ではかなりの割合でそういう表現法が取り入れられていました(あの藤井喬梓先生がパフォーマンスを取り入れたのは正直意外でした)。
 日本語では「作曲家」だけど、英語だと「composer」、つまり「構成する人」ですから、別に私はパフォーマンスを導入することに何の違和感も感じてないんですけどね。作品構成(表現)の素材として扱うのが「音」であるか「動作」であるかの違いだけで。 時々「あれは音楽ではない」と言う人がいますが、「う〜ん、なにか勘違いしている」と思います。「composer」という職業が必ずしも音だけで表現しないといけない、という規制はどこにもないのですから。たしかに「音楽」である、とは言い難いかもしれないけれど、そもそも表現することに「音楽でなければならない」という決まりでもあるのでしょうか。そして、composerとは作品構成のために常に音だけしか素材として用いなければならないのでしょうか?「表現」は手段を規制された時点で「自由なもの」ではなくなります。これは避けるべきだと思います。 もし、あれらの作品が否定されるのであれば、舞踏などが「表現ではない」ということにもつながりかねない・・・・・(飛躍ですかね?)
 付け加えるなら、「演奏」という行為はある意味で「視覚的パフォーマンス」でもあるわけですよね。とくに打楽器などでその傾向が顕著。 いわゆるピアノ演奏家の巨匠でも、かかるはずのないヴィブラートをかけてみたり(ブーニン・・・・・巨匠か?)、最後の和音を弾いたときに腕を大きく回したり(多くの演奏家。たとえば内田光子?音意識の空間性と関係ありか?)・・・・・ 指揮者なんてのは身体、所作で音楽を表現する、存在自体がパフォーマーでもあるし(シュネーベルという作曲家には無伴奏指揮者ソロのための「曲」がある)、「音楽教育」とされているリトミックなんかは身体表現そのもの。 もし演劇的要素を強調した作品が否定されるなら、これらは全て「表現に不必要な要素」と言えてしまうのではないでしょうか?(音楽に必要な要素ではない、はある意味正しいかも?)
 ということで、この問題は「音楽とはなにか」というものではなく、「表現(の方法、手段)とはなにか」というものなんでしょうね。
 ちなみに、私自身はパフォーマンス的要素を取り入れた曲は創っていない(正確には一曲あるけど、撤回)のですが、よく演奏会のアンケートには「演奏している姿が凄かった」と書かれます。ある意味、私の曲は演劇的要素が色濃く出ているのかも(笑)。
 ところで、やっぱりこの手の元祖って、やっぱりハイドンの「告別」になるんでしょうか?もっと古いのって誰か知りません?ヘンデルの「メサイア」で全員起立!ってのは違うか。


>あまりに色々な人が色々なことをやっているのでそういうものを
>1つ1つ見つめて考える時間もないですね。

 う〜ん、吟味している時間はないですね。多様化が進んでますからね。全部に触れて、全部に考えを巡らせるのはとても不可能ですね。 もう、「その人がなにを表現したいのか」を直感で感じ取るのがせいぜいかなぁ。時々、すんごい深く考えたくなる作品に出会うことがあって、そういう時だけはしっかり考えるようにしています。私の中では川島素晴先生の作品群が気になってしかたありません(いっぱい知ってる訳ではないですけど)。

>様々な方向に行きすぎていて共通の基盤がない感じです

 ということで、「表現している」っていう、非常に広い、曖昧なものではダメ?

>非常に特殊な時代だなあと思っているこのごろです。

 そうですね。ま、だから面白い、って言えばそうなんですけど(^^ゞ


 過日のN響アワー、皆さん見ました? N響の管打セクションのみでベートーヴェン「ボヘミア国防軍行進曲」とヒンデミット「ベートーヴェンによる速い行進曲」を演奏していましたね!私はちょうどそのとき電話がかかってきてよく聴けなかった(もちろんビデオに録画もしていない)のですけど、珍しいものだったと思います。どなたか、そのときの並びが分かる方、いらっしゃいましたらぜひウインド・シンフォニカofサッポロさんの掲示板に投稿してください。お願いします。m(_ _)m
 ところで、頼むから「吹奏楽」と「ブラスバンド」をごっちゃにして公共放送で流すのは止めてくれ!!わたしゃ、泣くぞ (*_*)
 N響管打楽器セクションが吹奏楽作品を録音したもの、ってどのくらいあるんでしょうね?私が持ってるのは小山清茂「木挽歌」だけっす。

>yosuke@さん、ちんぴら指揮者さん
 後日、ちゃんとレスしますので、今日はお許しを!!

編成 投稿者:ちんぴら指揮者  投稿日:03月23日(木)00時55分10秒
私の大学時分のクラブは130人ほどいました。全員合奏ほど吹いていや、振っていやなもんはありませんでした。
40人編成のご意見には賛成です。これぐらいだと吹いても面白いですね。
ただしレヴェルはある程度均一化出来ればですが・・・

http://www2.odn.ne.jp/~cau62570/index.htm


Re : 編成についての提案 投稿者:yosuke@  投稿日:03月22日(水)23時58分36秒
…話題の流れは絶対遮っちゃうなぁ…まぁいいや。スミマセン。

>NAPPさん
メインページの00/3/5付けで入っている「提案」、大変興味深く拝見しました。
その編成についての疑念は小生もやはりついて廻っている事です。

今までの吹奏楽、の編成があまりにもデカ過ぎるのではないか、とうのがそもそもの疑念。
なんでスッキリとしないものを生み出すのが良いのだろう、という考えは常にあります。

結論を最初に言うと、吹奏楽のサウンドは合計40人程度が丁度良いのでは、という事です。
クラリネットは6人でいいし、トランペットはパートあたり1人づつ。
「教育的配慮」という点で技術的カバーの為に安易に人数を強化しても、教育的とは絶対思えませんし。

サウンドのコアを、小生はSaxophoneに置いています。これだけでしっかりと音楽が構成できる楽器であり、オーケストラとの差別化はこの楽器の用法にある、と思っています。しかも4〜5重奏。
あとは2〜3管編成で。(ただしCl.は2倍の人数)
…最近行き着いた「編成に対する答」です。

例えば吹奏楽連盟が提示する編成は、現在の「末端の」現場を見ていませんし、音楽の多様性、という事とも離れている気がして、危険な感じがしますよね。

…ヘンな割り込みスミマセンでした。…

----
そういえば、響宴なかなかおもしろかったです。無事に初演されましたし…。

確かに 投稿者:かめたろう  投稿日:03月20日(月)01時51分02秒
>NAPPさん

そうですね。僕はカーゲルのマーチは知りませんが、そういう意味ではヘンツェなどにも出てきますし、部分的なものも数えると沢山あるでしょうね。
それに<親しみやすい>というような漠然とした言葉を使うことに問題があるかもしれません。

>過去を大事に」とか、そう言った奇麗事のためには個人としては活動したくないです。
しかしながら、その「奇麗事が無くなってしまう」という事態は避けなければならないこと

過去大事にするというのが奇麗事かどうかは個人の判断だと思いますしNAPPさんがどのような意味合いで奇麗事とおしゃっているのかはわかりませんが、それはある意味の伝統がすたれるのを心配なさっているのでしょうか?もしそうならそれは別にマーチをテーマにするということかによっては左右される問題ではないように思われます。

ところでBxCでもそうでしたが最近<気のせい?>演劇的要素を強調した曲が増えてる気がします。その理由や目的も人によって様々なので正直とまどってしまいます。演劇的要素以外にしてもあまりに色々な人が色々なことをやっているのでそういうものを1つ1つ見つめて考える時間もないですね。様々な方向に行きすぎていて共通の基盤がない感じです。非常に特殊な時代だなあと思っているこのごろです。

お願いなど・・・・・ 投稿者:NAPP  投稿日:03月19日(日)14時14分00秒
「ドナウエッシンゲン音楽祭の75年」のうち、とりあえず吹奏楽だけ聴いてみました。
 ホリガー「プネウマ」は期待通り、すばらしいでき。ラジオのホワイトノイズ→ブレスノート→キーノイズ→楽音 との響きの層の推移、重なりがすばらしい。吹奏楽器の発音システムの構成要素を分解・再統合させた作品とでも申しましょうか、すばらしかったです。 こういうのを聴くと吹奏楽の未知の可能性を確認できて嬉しいですね。
 エルネスト・クシェネクの「三つの滑稽な行進曲」は私的にはいまいち。どこか妙な旋律とオーケストレーションが魅力のこのマーチだけど、やはりカーゲルの行進曲を知っているだけに決定力に欠けるとでも申しましょうか。

 密かに録音がどうなのかなぁ、と不安だったのですが、全然問題無し。というか、どうもライヴ録音ではないらしい。すごいなぁ、こんなの録音しちゃうんだ。 あ、もちろん演奏も申し分なし。

 他のも随時聴いていきたいのですが、なにせ明日から帰省するんで、4月中ごろにならないと聴き終わらなそうです(持って帰るにはちとデカイ)。当分退屈しなそうです。


 どなたか分かる方、教えて下さい。
 Cl奏者の Edwin Michael Richards の著書に「The clarinet of the twenty-first century」と「The bass clarinet of the twenty-first century」というものがあります。長いこと探しているんですが、入手できずにいます。ネットでイサカ大学のライブラリにアクセスして調べた結果、どうもアメリカの「E & K 出版社」というところから出版されているらしいのですが、YAMAHAで注文しようとしたところ、「これまで取り引きしたことがないので注文先が分からない。」と言われてしまいました。この出版社の住所がわかれば注文できるのですが、どなたかご存知の方、おられましたらご教示下さい。 なお、「E&K」がなにかの略号なのかな、とも思いましたがどうもよく分かりません。 何でもいいですから、なにか手がかりがございましたら教えて下さい。

 蛇足:「ポップスマーチ・素敵な日々」って、Jazzとは言えないかもしれませんね。はい。

about まーち 投稿者:NAPP  投稿日:03月19日(日)03時49分42秒
>かめたろうさん
>やはりマーチと規定されてる事が、やはりどうしても可能性を狭めると
>思われて仕方がないです。

 なるほど、その主張は分からんでもないです。でもまぁ、「マーチ」の公募はあくまでも隔年であって、その次の年は「マーチ以外」が公募されるのですから、ここは譲ってもいいのではないでしょうか。 歴史の浅い吹奏楽が唯一と言ってもいい「過去のよりどころ」なのですから、それを大事にしたいという吹連側の意向も分からんではないです。
 「マーチ」って一言にいってもやっぱり色々あるわけでして、解釈をコンサート・マーチまで広げると可能性はまだまだあると思います。歴史的にみても三拍子のマーチ、なんてのもあるくらいですし、過去の課題曲にもお話に上った三善先生の「クロス・バイ・マーチ」のような変拍子のマーチの他にも、岩井直溥「ポップスマーチ・素敵な日々」のようにJazzの要素を取り入れたもの、間宮芳生先生の「カタロニアの栄光」みたいに旋法性を取り入れたもの、様々なものが上がっています。 ただ、問題は、現在応募されてくる作品のほとんどがそういった「創意工夫」とは無縁の、ただ「これまでの曲と旋律が違うだけ」といったものであったことがマーチに対する印象を悪くしているのでしょう(この事実は実際に譜面審査にあたった某先生から聞いたものです)。ちょっと変わった(基本をはずれた)マーチであっても、採用されることはあるのだと思います。「ラメセスII世」という行進曲がそれを証明しています。応募すらされていない、というのが現状かと。

>作曲家は曲を書く時に必要であればその楽器に技術的に可能な最大限
>の効果をもとめるでしょうし

 ん〜、作曲家それぞれだとは思いますが、私としては「その楽器に技術的に可能な最大限の効果」よりは「その楽器の演奏者に技術的に可能な最大限の効果」を重視したいです。たまたま我々がいつも対象にするのがプロという演奏者の技量なだけであって・・・・・ (新即物主義的な考え方ですね)

>正直いって今の時代に普通であればマーチを書こうなんて思わないでしょう

 はい、そうでしょうね。もはや「交響曲」という様式でさえ崩壊している時代になんらかの形式に捕らわれてしまうこと自体がナンセンスですね。私だって、一作曲家としてはマーチなんて書きたくない、というのが本音だし、実際書こうとも思いません。「過去を大事に」とか、そう言った奇麗事のためには個人としては活動したくないです。しかしながら、その「奇麗事が無くなってしまう」という事態は避けなければならないこと。ほとんど唯一といってよい公募(下谷賞とかあるけど)から奇麗事を全廃するのはまだ早すぎると思うのです。

 結局、今私が書けと言われたら書きそうなマーチは、形式に無理やり嵌め込んだ、皮肉を込めたものになるのかなぁ。
 マウリシオ・カーゲルの吹奏楽曲「護民官・10の勝ちそこないのための行進曲」というマーチをお聴きになられたことはありますか?きっと何か発見があります。
AULOS(Koch Schwann)、3−1392−2 です(CD発売番号)。

>長くてすみません。

 長いの大歓迎です!!

>ちなみにBxCは僕も見に行きましたが、観客の数がとても多かったですね。

 すごかったですよね。立ち見まで出て。ちなみに私、お客としていらしていたTrpの曾我部先生の二つばかし後ろのイスに座って聴いてました。

マーチについて 投稿者:かめたろう  投稿日:03月19日(日)01時16分41秒
>NAPPさん
前述した内容の繰り返しになってしまうかもしれませんが、<すみません。>やはりマーチと規定されてる事が、やはりどうしても可能性を狭めると思われて仕方がないです。僕はそんなにマーチに詳しいわけではないですし色々なマーチがあると思いますがしかし、それに加えて親しみやすい旋律とされると んーーーという感じです。職業的に割り切ればいいのかもしれませんが、応募する作曲家の意欲を考えるといい条件には思えません。
当然のことながら作曲家は曲を書く時に必要であればその楽器に技術的に可能な最大限の効果をもとめるでしょうし、正直いって今の時代に普通であればマーチを書こうなんて思わないでしょう。
それでもマーチを書くというのですから、仕事としての意識でみなさん書いているんだとおもいます。もちろん実力のある職業作曲家なら上手くこなすでしょうが、そのような状態で本当にいい曲ができるのでしょうか?
三善先生が前に課題曲を書いていらっしゃいますがあのようなスタイルでもゆるされるのならもっと沢山の実力ある方が応募されるのでは。

長くてすみません。ちなみにBxCは僕も見に行きましたが、観客の数がとても多かったですね。

いろいろ 投稿者:NAPP  投稿日:03月18日(土)16時24分37秒
>Rにみにみさん
 したやさんって、いい選曲センスしてますよね。サイト中の過去のプログラムを拝見しましたが、いやいや、なかなか・・・・・

>かめたろうさん
 どうもはじめまして。
 そうですね、「親しみやすい旋律を持ったもの」と言われるとどうも。
「いい旋律の音楽=いい音楽」はある意味正しいかもしれないけれど、「いい音楽=いい旋律の音楽」は決して正しくない。Beethovenの「運命」第1楽章の二つの主題は「いい旋律」(展開要素という意味では「いい」かも)か?Brucknerのシンフォニーは?
 朝日作曲賞の規定(ひいてはコンクール課題曲の規定)のうち、曲種や技術的制限「そのもの」がコンクールの質を低めているのでは無いのだと私は思います(旋律とピアノスコアだけはなんとかして欲しいけど)。 あの規定によって勘違いしてきちんとした作曲家が応募してこなくなってしまったことが問題なのでしょう。 先日、過去に課題曲を作った、とある方からメールをいただいたのですが、そのときに私がつけたレスを引用しておきます。

> 吹連側が誤解しているのは「中・高生向きの曲」というもの規定について
>でしょうね。あと、作曲家の力も信用していないということ。
> 公募をする前に技術レヴェルの基準を徹底的に規定してしまえばいいの
>です。与えられた範囲内で曲を構成するアルティザン的な能力というのは、
>職業作曲家にとって必要最低限のたしなみの一つ(と学校で教えられる)。
>現代音楽(同時代音楽、と呼びたい)が中高生に向かない、というのも誤解
>甚だしい。たかだかドビュッシーの最盛期から何十年かしかたっていないと
>いうのに。全ての同時代音楽が点描的だとか難解で晦渋であるだとか思わ
>れたくないですね。

 なんだか論点がずれてしまいました。
 まとめると、コンクール(の課題曲の質)のレヴェルを下げている要因は、吹連側の規定(の一部)によるということと、職業作曲家の目があまりにも吹奏楽に向いていないということの二つによるのだと思っています。
 曲種については、「マーチを隔年」と規定したことについては何とも言いようがないです。92年までの混合スタイルでは、課題曲の時間制限の問題があったし、自由曲との時間の兼ね合いの問題もありました。今の制度がベストではないのかも知れないけれど、私にはこれを越えるだけの改革案は思いつきません。 ただ、中学の1,3年生のときにマーチに当たった低音奏者のことを考えると不憫で・・・・・ 「オレは4分音符を吹くために部活やってるんじゃない」ってね。私の中学時代の同級生の言葉です。刻みよりも旋律を吹きたいお年頃だったんでしょうね。

>JUNさん
 そう、演奏会ラッシュ。大変っすよ。
 昨日の「BxC」は実に面白かったです。ブーレーズとケージ、両極端の音楽の飽和的スタイルを接触させるという試みは楽しかったです。
 ただ、Cageの「カートリッジ・ミュージック」は正直よく分からなかったです。どなたか、解説してください。(^^ゞ
 NAPP的にアイデアと構造が一番面白かったのは三輪眞弘先生の「ピアノのための、語られた音楽が語るとき、バルローの言葉による」でした(ブーレーズを除く)。 聴覚的には飛田泰三先生の「La Jetee」かな。ちょっとフェルドマンっぽいの。 今日はこれから仙台フィルです(北爪先生の新曲)。


 買っちゃいました。「ドナウエッシンゲン音楽祭の75年」の12枚組みCD!! そう、ハインツ・ホリガーの吹奏楽曲「プネウマ」のときに話題になったアレです。約28000円。まぁ、収録曲のラインアップとその多様性、資料的価値を考えるとあながち高い買い物ではないかなぁ、と。 ちなみに、この予算はそもそも「プレステ2」を買おうと思ってたお金。これで買えなくなりました。あぁ、神が私に「遊ぶな」と申された・・・・・
 あと、イダ・ゴトコフスキの吹奏楽作品集も買いました。 CDレビューはいつの日か・・・・・ (誰ももはや待っていないか?)

演奏会ラッシュ 投稿者:Jun  投稿日:03月18日(土)08時31分12秒
ですね。>NAPP様。うらやましいなあ。
オーケストラアンサンブル金沢、一度聴いてみたいです。
私自身は経験がないんですが、ウチのオケで2度岩城先生に棒をお願いしたことがありまして、2度とも「世界初演」の曲がプログラムに入っていました。
最初は英国の作曲家、モーリス・パート(聞いたことあります?)の『交響曲第1番』、そして2度目が大学が委嘱した、武満徹氏による『オーケストラのための‘星と島’(スター・アイル)』でした。
どちらもすばらしい演奏で、今でもはっきりと覚えています。今思えば、あれが現代音楽との出会いだったのかも。すると、ずいぶん幸せな出会いだったんですね、きっと(^^)。
(パートの初演の時は、「(演奏が)止まったら、僕は左手を額につけます。そしたらもう一度練習番号1番から始めて下さい。誰も知らない曲なんだから。」とおっしゃっていました(笑)。)

もう一度岩城先生の指揮する演奏会を聴いてみたいものです。
岩手に来てくれないかなあ。

http://www.freepage.total.co.jp/junmwn/index.html


はじめまして 投稿者:かめたろう  投稿日:03月18日(土)02時27分59秒
突然ですが、はじめて書きこませてもらいます。
僕も作曲をやっているものですが、実は朝日作曲賞については確かに疑問に思ったことがあります。僕は普段<現代音楽>を専門に勉強しているのでどうも親しみやすい旋律という風に制限されると戸惑ってしまいます。もちろん課題曲にするという都合や難易度の問題もあるとは思いますが、マーチを作れと始めから決められているので芸術音楽のコンクールとはかけ離れた意識でみていました。もちろんそれはマーチが芸術的でないという意味ではなくてそのような制限の仕方が誤解を生んだりまたコンクールのレベルをさげてしまうのではないかとおもいました。
このことについてどう思われますか?

ちなみに 投稿者:Rにみにみ  投稿日:03月17日(金)15時29分40秒
ストラヴィンスキーのそれ、やっぱりしたやが数年前にやってます。
浅草公会堂だったか、それは聴きに行きました。

http://member.nifty.ne.jp/nimi/


ぐる、ぐるだぁ!?(回転) 投稿者:NAPP  投稿日:03月17日(金)14時48分02秒
家主です
#なんかいいなぁ、この語感

>Rにみにみさん
 いやぁ、これは知りませんでした。どうもありがとうございます。
5月7日に葛飾シンフォニーヒルズですか。興味あるなぁ。行こうかな。
ソリストもいいし、滅多聴けないし、グルダは追悼記念でもあるし。
 こうなるとストラヴィンスキーのPf協奏曲も聴いて三冠王(?)になりたいかも。どこかやらないかなぁ。 吹奏楽伴奏の協奏曲、グルダ追悼、ってのが共通ということで、アルゲリッチあたりに・・・・・ ムリか(笑)  ストラヴィンスキーの「シンフォニーズ」は演奏会予定があるんですけどね。 あと、ワイルのVn協奏曲は19日の3時からすみだトリフォニーにて群馬交響楽団/高関健 でも演奏されます。まぁ、この日は響宴なんですけど。
 ちょいと訂正。
 昨日のワイルVn協奏曲のObは1本でした。ゴメンナサイ

ぐるだのチェロコン 投稿者:Rにみにみ  投稿日:03月17日(金)09時42分24秒
突然思い出しましたが、したやウィンドアンサンブルが今度の演奏会でグルダのチェロ協奏曲を取り上げることをご存じでした?>家主どの
したやのWebはこちら

http://member.nifty.ne.jp/nimi/


オーケストラアンサンブル金沢 投稿者:NAPP  投稿日:03月17日(金)02時33分14秒
 今日はオーケストラアンサンブル金沢の東京公演を聴いてきました。
 この掲示板での注目はクルト・ワイル生誕100年・没後50年ということで演奏された「ヴァイオリンと管楽オーケストラのための協奏曲」と「三文オペラ組曲」ですね。 いやぁ、すばらしい演奏でした。

 「協奏曲」の方で、特に変わったことと言えば、プログラムの表記でしょうか。この曲の正式タイトルは「Konzert fur Violine und Blasorchester」なんですけど、日本では大抵und以下は「管楽オーケストラ」と訳されることが多いですよね。演奏会によっては「管弦楽」のケースもあるみたいですし。 ところが、今日のOE金沢のプログラムではこの部分が「吹奏楽」と訳されていました。 ちょっとびっくり。 ちなみに、今日の演奏の編成は Fl 2 , Ob 2 , Bsn 2 , Cl 2 , Hrn 2 , Trp 1 , Cb 2 , Timp 4(1Player) , Perc 2 , Solo Vn 1 でした(スコアの編成は知らないです)。
 この曲の中でTrp奏者の方がベルに布を被せて吹く部分があったのは、あれは作曲者の指示なんでしょうか?それともできるだけ音を柔らかくしようとした努力?

 「三文オペラ」の方ですが、私はてっきり「小さな三文音楽組曲」をやるものだとばかり思っていたのですが、意表を突かれたことに、1999年のOEKコンポーザー・イン・レジデンスである林光先生による室内オーケストラ用のトランスクリプション版でした。OEKの編成に合わせてありますから、ニ管編成、Trb無し、弦は8-6-4-4-2、というものです。当然Saxもアコーディオンも入っていませんでした。 なんか、元ネタである「乞食オペラ」が「成金オペラ」になっちゃったような感じがしなくもなかったですが、なかなか面白いものが聴けてよかったです。個人的にはオーケストレーション上の発見が幾つかあって面白かったです。
 アンコールで、岩城宏之先生が林光先生に棒を持たせて、一曲振らせたのが面白かったです(勿論林先生が自分で編曲した組曲の中から一曲)。岩城先生の対談集「行動する作曲家たち」の中に、林VS岩城でN響指揮研究生時代の話があるのですが、その内容を知っている人にはニヤリとさせられる出来事でした。

 私、14、16、17、18、19日と演奏会続き。で、20日の朝早くの飛行機で秋田に私用で行って、21日には東京経由で佐賀に帰省する、という強行スケジュール。大変だぁ。

幻想・響宴 投稿者:NAPP  投稿日:03月14日(火)15時00分27秒
>TAIさん
 東京音大オーケストラが昨年芸術祭で演奏した幻想も、TrpとCrntを両方使ってました。それが一楽章できちんとG管を使っていたかどうかは分かりませんけど。 最近は色んな曲(とくにバロック以前)を作曲当時の楽器で演奏する、ということが度々試みられていて面白いですけど、ロマン派とかを当時の管楽器で演奏する、っていうのはあんまりないのでしょうかね。音響学的には管が違うと高次倍音にかなりの差がでるので、結構違うサウンドになると思うんですけど。
 東京音大オケが幻想をやったとき、学生オケがCol Legnoを実際にやるのかどうかハラハラしてましたが、ちゃんとやってました。私が指定すると嫌がるのに(笑)。
 幻想を見ていていつも思うのがHarp奏者。あんなに運ぶのが大変な楽器を2台も使うのに、登場は2楽章のみ。最後くらい弾かせてあげればいいのに、なんか可哀想。しかもあの2楽章のHrpってやたら難しいんですよね〜。
 ちなみに、私の愛聴版の幻想は、ミュンシュ/パリ管。定番すぎて申し訳ない。
 あと、私がジュルメッティの指揮でドイツ・レクイエムを歌ったとき、合唱団員からは「棒がさっぱりわからん!」との声が多数(すごく遅く、かつ分割・先入せず、叩かない。あれが巨匠の貫禄なんだろうなぁ)。もちろんアンサンブルは崩壊。もう東京音大合唱団に日フィルからはオファーが来なくなるかと思いました(冷や汗)。

>JUNさん
 19日の響宴、聴きに行きたいのはヤマヤマなんですが、生憎その日は別の演奏会が5時からあるので聴きに行けません。CDが出るだろう、との予想による行動です。行ける方、代わりに行ってください m(_ _)m
 響宴の選曲にはいろんな声がありますが、私は響宴の活動を高く評価したいです。先日(11日)行った現音のシンポジウムで音楽学者の長木誠司先生が音楽芸術誌が休刊したことについて「作曲家自身が自分たちを守ってくれている雑誌を買っていない。自分たちを守っている存在を自分たちで守っていない」というような内容のお話をされていました。私的にはかなり心に響いた言葉だったんですけど、それは吹奏楽の世界にも言えたことではなかったでしょうか。そんな中で、やっと登場した活動組織。それを支援しなくて吹奏楽の発展は望めないでしょう。今はまだ多少の問題点もあるかもしれませんが、回を重ねるにつれて貴重な活動となってくれることを期待しています。 そのうち近藤譲作品や毛利蔵人作品とか、このページにあるような曲も蘇演してくれると嬉しいなぁ(この二名については以前響宴に提案したことはあるんですけどね)。
 19日のプログラムでは、この掲示板に登場なさったこともあるyosuke@さんの曲「KA‐GU‐RA」も演奏されますね。MIDIサンプルを聴かせていただきましたが、洗練された無駄な楽器の重ねがないオーケストレーションがかなり高水準です。日本旋法ものだし、今年の課題曲作家に見習わせたい(笑)。
 ちなみに、響宴に私も曲を出したことはあるんですよ。高校生のときに書いたなんかマイウェイの引用まで入ってるの(笑)。若気のいたりと申しましょうか、今思うと取り上げてもらわなくて助かった、というところ。何考えてたんでしょうね、当時の私。でも、そんな私の駄作(ホントに駄作だった)にも真摯に対応し、試演までしていただいたことはとても勉強になりました。ご尽力いただいた飯島先生、NEC玉川吹奏楽団の皆様、今更ながらありがとうございました m(_ _)m  現在は全く異なるスタイルの曲書いてます。あのころの私は忘れてください(笑)

今どこから打っているかというと 投稿者:Jun  投稿日:03月14日(火)12時13分04秒
確定申告の会場です(笑)。まだかなり待たされそう。

>NAPP様、『響宴』行かれるんですか?もし行かれるのでしたら、今年の演奏曲について教えてくださいね。最初は出張に絡めて行くつもりだったんですが、日程が合わず断念しました(涙)。代わりに日本一上手い小学校バンド、市川市立大柏小学校の演奏会を聴いてきますけど(^^)。

考えてみれば、ラッパってのも業の深い楽器ですよね。たまたま格好が似ているだけで、全然違う種類の楽器を、同じラッパ吹きが吹くんですものねえ。
ちなみに私が参加している地元の金管アンサンブルにはラッパ吹きが4人いるんですが、4人の所有している楽器を全て合計すると30本ぐらいになるんですよ!B・C・Es、ピッコロ、コルネット、フリューゲルホーン、・・・。
わざわざアメリカまで行って『モネット』という百万ぐらいの超高級品を買ってきたやつもいるぐらい(W.マルサリスなんかが使っているメーカーです)。
私なんか、サビだらけのアレキサンダー1本ではや12年だというのに(苦笑)。

すいません、横道にそれちゃいました。

http://www.freepage.total.co.jp/junmwn/index.html


コルネット 投稿者:TAI  投稿日:03月13日(月)21時21分38秒
ミュンフン/フランス国立管絃楽団の幻想交響曲は、トランペット&コルネットでしたね。

それにしても、ミュンフンの棒があんなだとは・・・。演奏する方はストレス溜まりそう。

れす ふぉ〜 Chevさん 投稿者:NAPP  投稿日:03月11日(土)02時35分16秒
Chevさん、はじめまして。

>吹奏楽についてのいろんな知識を知りたくて本をさらってみたり
>するんですけど、イマイチ興味をひくことってなくて・・・。
>(なにかオススメはありますか?)

 お薦めの本、あるなら私も知りたいです(^^ゞ
 とにかく、ほとんど全ての本がスクールバンドやアマチュアの活動を支援する方向なんですよね。一冊くらい違うのがあってもよさそうなのに。
 そんな中では磯田健一郎先生がお書きになっている「200CD 管楽器の名曲・名盤」と「200CD 吹奏楽の名曲・名盤」がお薦め。前者を読んで、基本である「管楽O重奏」とかから少しずつ編成を大きくしていって吹奏楽に入るといいかも。後者はたしかに吹奏楽を知っている人間にはこの上なく便利な本だけど、全く吹奏楽を知らない人が読むとちょっととまどうかも。スウェアリンジェンとシュワントナーが同じ扱いだったりするので、ちょっと耳の肥えた人には当たり外れが激しかったりして。でも、この本に載っている中の知っている作曲家から当たっていくのがベストかも。コラムも読む価値が十二分にあるし。

>吹奏楽に潜在する可能性が ちょっと見えた気がします。まだ、これから・・ですよね。

 そのことに気が付いてない作曲家が実に多いのが嘆かわしいです。

>課題曲にしても 練習のためにかかれたようなカンジを覚えていて・・・。

 その課題曲ですが、やっと本日CDとフルスコアを手に入れました。う〜ん、今年のもいまいち・・・・・
 これから練習する人達が多いのでコメントは控えますが、オーケストレーション上の問題点がヤマのように・・・・・ 木管VS金管、っていう単純な図式はもうちょっとなんとかならんのかね・・・・・

>吹奏楽で もっと独特な楽器を取り入れたり、電気的な楽器にしても
>どっかの民族楽器でも、どんどん取り入れて欲しいです。

 うん、そういう曲がもっとあってもいいですよね。そういうのばっかりになっても困るかもしれないけど。 とりあえず、もっとレパートリーに多様性を持たせたいなぁ。

(無題) 投稿者:音楽初心者Chev  投稿日:03月10日(金)16時47分51秒
はじめまして。
MLでこのHPを知り、来てみて驚きました。
おもしろい!!!

いろんな記事がありましたけど、どれも新鮮で自分の知らなかったことばかり。
吹奏楽についてのいろんな知識を知りたくて 本をさらってみたりするんですけど、イマイチ興味をひくことってなくて・・・。(なにかオススメはありますか?)
ここの記事はすごく興味がひかれました。


吹奏楽曲をあまり知らなく、どれから聞いていいのかということばかりなんです。
それとなんというか オケの簡易版としてしか認知してなく オケ>吹奏楽の図式があったんですよ。
多分現状では 歴史の古いクラシックのほうが、より深いんでしょうけど、吹奏楽に潜在する可能性が ちょっと見えた気がします。まだ、これから・・ですよね。

課題曲にしても 練習のためにかかれたようなカンジを覚えていて・・・。
もっと挑戦的なおもしろい楽曲は無い物かと探してるんですけど・・。

吹奏楽で もっと独特な楽器を取り入れたり、電気的な楽器にしても どっかの民族楽器でも、どんどん取り入れて欲しいです。
オーケストラを意識するんじゃなく、まったく別のジャンルとして確立してほしいですね。

すいません、素人意見なんですけど、
それでは・・続きを見てきますね。

ばす・こるねっと 投稿者:NAPP  投稿日:03月10日(金)02時57分55秒
> あれ? パート名であり、楽器名でもある。...ではなかったの
>かなあ。本当に正式に書こうとすればBass Saxohornかもしれないけど、
>あれをTubaと呼ぶことはよほどの素人じゃないとないのじゃないでしょう
>か? たいていは管調を先につけて呼ぶと思いますが。

 はい、たしかに吹奏楽の世界で「Bass」と書けばその通りですね。 でも、やっぱり厳密に考えると「Bass」という単語は「男声の低音声部」が元々であって、それが転じて「低音担当」となり、「低音金管」という意味で使われているのですよね、この場合。 もし、吹奏楽とはこれまであまり馴染みの無かった音楽家(指揮者、作曲家、学者など)が初めて吹奏楽のスコアに触れたら、やはり一瞬でもこの「Bass」が「男声」とか「コントラバスのこと」とかと思ってしまう可能性が非常に高いですよね(実際音楽辞典や英語辞書では「バス」とは「男声低音」とか「コントラバスのこと」とかは書いてあるが低音金管には触れていない)。
 もし合唱と吹奏楽が同時に存在したら「Bass」という同名で全く違うものが混在してしまうし、それにさらに「Alto」なんて加わったら「サクソルン属の楽器」なのか「ヴィオラ」なのか「女声低音」なのか・・・・・ 楽譜の位置で判断できるかもしれないけど、それさえも配置をいじるなどして通常と違う順で書かれた楽譜の可能性も無いとは言えないし・・・・・
 なんだか屁理屈のようになってますが、結局私の言いたいのは
 1、「吹奏楽独自の用語の使用は極力避けたい」
 2、「どんなに性質の異なるものでも、同一の呼称が与えられるのは避けたい」
 という二点です。
 う〜ん、「まず人ありき」で編成がどんどん歪められていくのは色々と考えることが多いと思いますが、とにかく前々から存在した楽器の使用にこだわって、その通りの編成で曲を書くよりは、「今」ある編成に向かって曲を書きたいです(それが音楽上の理由以外で歪められたものであっても、ね)。吹奏楽って、まだ編成が固定されるほど歴史は深くないですし。

>コルネット
 コルネットっていう楽器は、はたしてこれから曲を書く場合に編成中に「入れるべき」楽器なのでしょうか。それとも「避けるべき」楽器なのでしょうか。 もちろん、作曲の見地からすれば使用できる楽器は多いにこしたことはないし、必要が無ければ省くことも自由。入れていい、って言われたら入れるも入れないも曲によるんですよね。 でも、「吹奏楽の伝統的な編成にあるから」っていう理由で入れたときに「ない」っていう理由で違う楽器で吹かれるのは非常にイヤ。 ちょっと考えてしまいます。
 R.ミッチェル「大草原の歌」って、コルネットが入ってるじゃないですか。「大草原」って、こう言っちゃなんだけど、あんまり部員数が多くないスクールバンドのみなさんが取り上げる事のほうが多いですよね。う〜ん、アメリカのスクールバンドってコルネットのほうがTrpより多いのかなぁ?
 人と楽器があれば、きっとどこのバンドでも楽譜の指定は守って楽器を使うでしょうね。でも、その環境が整っているバンドと、整っていないバンドではどっちが多いでしょう? 作曲家は「どの大きさ」を想定して書けばいいものなんでしょう?う〜ん、分からない。
 悪い言い方をすれば、吹奏楽ってやっぱりアマチュアが肥大化し過ぎているのかも。バンドによる差が大きすぎているけど、それらの一つ一つのバンドの行動が平等に素晴らしいから、否定もできないし。