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Re 投稿者:ちんぴら指揮者  投稿日: 8月15日(火)23時47分44秒
>「楽しむだけでは発展性はない」>NAPPさん
確かにその通り、真意はこの前お話ししたのでお解りですね?
純粋に楽しむ事と、発展性というか問題提起は完全に分けています。古典物のアレンジ曲を演奏したときは打楽器奏者に辞められ人が減っちゃた事も要因でした。オリジナル曲は最低限の編成は満たした形で演奏したいのですな。オリジナル曲で作曲者が直接書き込んだ楽器があまりに揃っていないとどうも後ろめたくなってしまうというか・・・・・・・・

>それがこの吹奏楽という世界の主流になってしまうことは絶対に避けなければならないことだとそうなんです!むやみに手を出すのは危険と思っています。吹奏楽で演奏するに合う楽曲か、若しくは取り上げるだけの音楽的価値があるか、この辺が私の選択の基準のようになっています。
少なくとも流行っているからと同調するのだけは毛頭考えたこともありません。
只、現場の私としては盲目的にアレンジ物を取り上げるつもりは無し。又執拗にアレンジ物を避けるつもりも無し。と言ったとこです。
しかし編成上の問題というのはオリジナル曲を検討するときの難関です。やりたくてウズウズしてる曲の大半はオリジナル曲なんですよ。僕の場合は素晴らしいにも関わらずあまり目を向けられる事の少ない一昔前の作品にそう言うのが多いです。
「楽しむ音楽」と「発展性のある活動」は絶対に両立したいテーマです。やらねばいけない曲はまだ山のようにあるんです。

http://www2.odn.ne.jp/~cau62570/index.htm


レス集 投稿者:NAPP  投稿日: 8月15日(火)16時19分48秒
 あちこちのサイトの掲示板がお盆休みなのに、こんなに書き込みがあるとは。みなさん、感謝です。

>たまきさん
>「わかる人だけわかればいい」的発想の作品が見受けられるような気もする

 そうですねぇ。そんな風に感じられるかもしれません。でも、音楽に限らず、ある作品が本当に優れた作品であるか、というのは時代が決めるものだと思うのです。その時代の人にいまいち理解されなくても後世になって皆が理解できるものとなる、そんなことも考えられると思います。
 バッハのマタイ受難曲をメンデルスゾーンが蘇演したときの音楽評。
「フーガとは主題が逃げていくものだが、これは聴衆が逃げていく音楽だ」

>アレンジ
 これに関しては後述するちんぴら指揮者さんへのレスに代えます。
 私、高校のときの吹奏楽コンクールで「打楽器、コントラバス持ち替え」というパートを担当したことがあります(笑)

>三流の・・・・・
 それはある団体の掲示板での文章ですね(ちなみに私の発言ではない)。う〜ん、何をもってして一流とか三流とか決めるのかがいまいち分かりませんが・・・・・ でも、残念ながら音楽界全体から見るとテクスチュア的には吹奏楽曲は他の編成のための作品と比べて劣っているものが多いと言わざるをえないのは事実のような気がします。 しかし、だからと言ってその作品が聴いた人にとって「好きな曲」であるかないかは分からないのですよね。個人レベルでの判断には足の踏み入れようがない。
 私個人に限定した場合のお話をします。ヴァン・デル・ローストの「プスタ」という作品がありますね。ご批判覚悟で書きますが、あれはテクスチュア的に見ると「意味のない繰り返し」「展開というものを投げ出した構成」「旋律素材は既存の民俗音楽」であって「三流である」(厳しすぎるか)と言わざるをえません。 「吹奏楽(西洋芸術音楽)でやった」ということに意味はあるかもしれませんが、これにはブラームスの偉大なる先例があります(吹奏楽ではないけれど)。 しかし、私はこの曲が好きだったりします。理屈ではなく感覚的に。
 私にとって「いい曲」と「好きな曲」は違うものなのです。メシアン「異国の鳥たち」や一部のミュージックセリエリ作品なんかはとてもじゃないけど「好き」とは言えません。しかし、これらの曲の音楽史的な意義や、着想・構成のすばらしさは認めます。まぎれもなくこれらの曲は「いい曲」なのです。自分の感覚に絶対の自信は持てないけれど、少なくとも客観的な判断基準に照らし合わせることはできると思います。
 吹奏楽作品のなかで、もてはやされている作品の中にもこの客観的な判断基準を皆が持っていたらそこまで流行らなかっただろう、というものがあります。例えばスパークの「オリエント急行」やウィテカー「ゴーストトレイン」。みんながオネゲル「パシフィック231」やヴィラ=ロボス「ブラジル風バッハ第一番」を知っていたらあそこまで流行ったかどうか。


>ちんぴら指揮者さん
 どうも先日はありがとうございました m(_ _)m
 はてさて、アレンジものについてですね。今回は「アレンジものを演奏すること」について、ですね。
 うん、私もアマチュアのみなさんが楽しみで演奏することに関しては別に文句をつける筋合いではないと思います。「基本を押える」とか、そういった大義名分をつけなくても「楽しんで演奏する」ことが目的の市民団体の活動なのですからね。それが「音楽」ってもんです。
 しかし、それがこの吹奏楽という世界の主流になってしまうことは絶対に避けなければならないことだと思います。オーケストラなどでも確かに他編成の作品を編曲したものも演奏してきましたが、それは同時にオーケストラ独自の作品も追求していたからこそ許されることだと思うのです。編曲作品はあくまでも副次的なものであったのです。
 現在の吹奏楽を支えているのは残念ながら吹奏楽コンクールであると言わざるをえません。そこで演奏されるのであれば、「吹奏楽」のコンクールであるなら、やっぱり編曲ものではなくオリジナル作品で勝負してほしいです。
 他の編成で書かれたものを演奏することは、絶対に吹奏楽独自の可能性を追求することにはならないということは分かっていてもらいたいし、編曲ものばかりを演奏することは「吹奏楽は他の編成の音楽を模倣するもの」というレッテルを貼られてしまう危険性と隣り合わせだということも常に意識しておいてほしいです。
 すごくイヤな書き方をすると、「楽しむだけでは発展性はない」のです。


>益野さん
 興味深いご意見を2つの観点から、どうもありがとうございました!
 実作品に見られる例を引き合いに出したご意見だと実に分かりやすいですね。益野さんが以前より主張されている「音の軽快性」などについて、よく分かりました。
 益野さんの書かれていることに関しては、これで充分よく分かりますので、私が特別口出し、質問するところはございません。じつにすばらしい。

 低音についてこんな考えがふと浮かびました。益野さんがホルストの方でかいていらっしゃることのなかに「金管低音」と「弦の低音」の性質の違いについて書かれている部分がありましたね。 管楽器と弦楽器の特質の違いがよく分かると思うのですが、ここからちょっと考えて・・・・・
 管の低音が明確ならば、逆に言うと弦の低音は明確性に欠ける、ということになりますね。速い動きになればなおさら。弦はガサガサ、といういわゆる「ヤニの音」になってしまい、低音で速いパッセージはあまり魅力的ではない、と。 だから、現代のオーケストラ作品はこの低音を「のばす」方にいかざるをえなかったのではないのでしょうか。結果としてこれがドローンとなり、この上に派生する音響層の探求が作曲の主流になったのでは。だから、現代の作品が「重い、重い」ほうへ流れていっているのでは・・・・・
 だとしたら、「明確な低音」を発音できる吹奏楽は、新しい現代音楽への切り口を見つけるための格好の編成なのでは・・・・・と思ったりして。

 ところで益野さん。サリナックを演奏なさるとか。面白そう!学校が北海道だったらよかったのに(笑)


>いりえさん
 ・・・・・びっくりした。 しかし「いりえ」ってHNは一体・・・・・
 君に「さん」づけで呼ばれるのはしっくりせんなぁ。学校でも「なっぷ」だしね。
 やっぱりピアニストの立場からは編曲されてると違和感あるか。この前の東京音大の「月の光」も?だったけどね。
 これでもわたしゃ、君のことを吹奏楽もわかる天才ピアニストとして尊敬してるからね。今後もなにかと意見を聞くかも。
 それでは、また僕の曲弾いてね(笑) だららら〜ん第二弾いくか?

お初にお目にかかります。 投稿者:いりえ  投稿日: 8月15日(火)11時58分11秒
nappさん、こんにちわ。♪だらららーんのいりえです。
私はただ今山形に巡業中です。
私はあまりたいそうな事は言えないのですが、最近吹奏楽コンクールなどを見ながら思うのは、ピアノ曲の編曲の難しさです。どうも違和感が残ってならない。
まぁ、自分がピアノをやっているからかもしれないが・・・。
この前ラジオで、ショパンのスケルツオ3番のオケ版を聴いたのだが・・・。シンバル三昧。
う〜む。わからん。
なんてちょいとぶちまけてしまいました。
失礼。

2 ここはベートーヴェンのあばら屋に非ず  投稿者:益野大成  投稿日: 8月15日(火)07時03分35秒
 私が管楽合奏らしさを感じる曲の一つに、ベートーヴェンの7番を管楽9重奏に編曲したものがあります(本人編曲の噂があるやつ)。

 一聴して誰でも感じるのは「軽い(悪い意味で)」という事だと思います。私も最初どうしてもその違和感が抜けませんでした。しかしある時、忘れもしませんカーステレオでこいつをガンガン鳴らしながら走っていた夏の日。突如としてこの版にしかない「良さ」に目覚めたのです。

 目の前には夏空の青がベタ一面に広がっていました。

 私は見たのです。空の青の中を喜々としてへめぐる音たちの軌跡を。なんと軽やかな運動性。なんと爽快な線的交錯。簡素な音たちの繰り広げる風通しのいい運動がもたらす愉悦。それがこの版の魅力です。

 むろん、この版は編曲ゆえの限界を山ほど抱えています。だから私はこの版による演奏を「管楽合奏の理想」などと持ち上げる気はサラサラありません。しかし、これは一種の試金石というかリトマス試験紙的な役割を担う曲ではないか、と思います。

 つまり、「あの」ベートーヴェンの曲だからなんです。
 私見ながら、この作曲家こそ吹奏楽から最も遠いんじゃないか(あとブラームスも遠そう)。ハルモニームジーク(管楽合奏)に引導を渡し、管楽器の果実を丸ごとオーケストラに強奪していったキーパーソンなのではないか、と思っています。彼の得意分野は、ピアノ・弦楽四重奏・オケ。彼の得意技はソナタ形式なかんずく展開、そして変奏。また、彼は公言する「機会音楽(の匂いのする物)なんて作りたくない」
 どれもこれも吹奏楽と相性の悪いものだらけじゃありませんか。

 だからこそ、彼の曲を吹奏楽にすると吹奏楽の弱点が露骨に出る。しかし、それでも魅力として残った部分があるとするなら。逆にその魅力もまた露骨に出るのが彼の曲なんじゃないでしょうか。具体的には、彼と吹奏楽の数少ない接点になりうる「運動性」。これが7番の編曲版によく出ているように思うのです。

 この版の演奏を聴いて「軽いからイヤ」という感想“しか”持たなかった人は「クラシック耳(別名18世紀末〜19世紀耳)」に侵されている可能性がある(笑)。という風に思ったりします。

1 ホルストのとばくちで 投稿者:益野大成  投稿日: 8月15日(火)07時01分01秒
 Nappさんの問に対する答えになるかどうか分かりませんが、吹奏楽曲について少し。

 私は以前、団員にこんな話をしたことがあります。
「もし、ホルストの一組をオケで演奏するとして、冒頭のシャコンヌ主題が弦バスとチェロのユニソンであったならどうだったろう? 恐らくそれではちょっとオドロオドロしくなってしまうのではないか」と。
 むろん演奏のやり方で、爽やかにもやれると思うのですが、私は割とこのたとえ話が気に入っています。そしてこの話は後に、話をした益野自身の演奏観にも影響を与え、今では自分が一組冒頭を振るときの、一つの指針ともなっています。

 つまり、「開放的で、かつスピード感を秘めて吹け。飛翔感・浮揚感を持て」と。金管低音の音像は、やや茫洋として丸っこくはあっても、弦のような渋みというか余計な皺みたいなもの(ちょっと表現変ですけど)がありません。抽象的と言ってもいいかと思います。音像が大きい割に軽みがある、そこに一種の爽快感があると思います。浮いているんです。シャコンヌはなぜアレグロなのかわからない、というのが一時益野の悩みでしたが、上記のことに気付いて、この疑問は解消しました。シャコンヌはアレグロでなければならない。そこに軽み(典雅)と品の良いスピード感が求められているのだから。シャコンヌは吹奏楽でなければならない。飛行(ひぎょう)自在。美しい線たちの音楽。中間の暗い部分も、よく重苦しさを表現していますが、漆黒の闇と言うより、夜明け前の薄明(軽さのあらわれ?)という感じがします。私には。

 同じくホルスト「ハムマースミス」冒頭の上下行する音型について。

 ホルスト本人によるオケ版では、ここはほんとに体の芯まで凍るような冷たさが感じられました(ロンドンの冬の霧はそんな風だと言いますが)。低弦の作り出す世界は、単なる温度の低さだけでなく、心理的・情緒的なところまで届いてきます。
 しかしながらオリジナル(吹奏楽版)での金管低音による演奏では、確かに低温ではあっても、「単に温度が低い」という感じなんです私には。その意味では効果として、演出としてオケの勝ちに見えるのですが、ことはそう簡単ではない。

 「これは描写曲ではないのだ。お化け屋敷じゃあるまいし、いたずらに効果の優劣を求めるのは悪趣味と言うものではないのかね」というホルスト先生の声が聞こえてくるような気がします(チョット大袈裟デスカネ)。

 ここの部分、オリジナルの金管低音によって聞き取れるもの、それは「無表情」です。よそよそしさ。人々とまるで関係なく流れる河の表情。描写というよりホルストの哲学というか、彼が思索の結果得た「世界」(人の努力とまるで関係なく流れるという「世界」)がそこにあるような気がします。
 この曲の弱点は客受けするカタルシスがないところだと思います。しかし上記のような虚無と諧謔の交錯するホルストの思索世界を表すには、吹奏楽版の方が向いているのではと考えます。後半で縦横無尽に音符が走り回っても(オケ版では狂気の極限みたいな印象を受けますが)、吹奏楽版では恐ろしい諧謔の木枯らしです。透明に、綺麗にClの音が駆け回るほどサムイ。スカスカなんです。

 オケ版は19世紀の音楽。描写的(情緒的)でロマンティックなうねりが多少あり、下層街を描いた自然主義の小説みたいな感じ(スイマセン、あまり文学詳しくないので、この辺単にイメージだけの物言いです)。対して吹奏楽版は、20世紀の音楽に聴こえる(覚醒・冷笑・諧謔・よそよそしさ・乱雑・諦念。エリオットの詩の一節を思い出す)。という結論を、以前どこかで書いたように思います。

http://sapporo.cool.ne.jp/dojin/?


アレンジもの 投稿者:ちんぴら指揮者  投稿日: 8月15日(火)04時44分12秒
NAPPさんゴメンねご無沙汰ぶりのカキコです。
コンクールシーズンのせいかここも含めてあちこちでアレンジものの演奏に対する不満が見られますが、現場で指揮し選曲もする私としてはアレンジ物が一概に悪いとは言いたくはないし言われたくもないといったとこです。
オリジナル曲のみと凝り固まってしまえば、クラシックの素晴らしい音楽に直に接する機会を失ってしまいます。随分前にブラームスの第1交響曲(ハインズレー編)を全曲演奏したことがあります。(無謀でしたか?)誠にきつかたですが、団員達の口からもうイヤだのようなマイナス意見は一言も出ませんでした。むしろあの曲は忘れようにも忘れられないといまだに言ってます。
オケでだって他人の曲を編曲した物を古来からやっていますので、吹奏楽でやっていることは、それが少々度を過ぎているといったとこと言う気がします。
只、珍品掘り起こし早い者競争的な選曲は、思わず????と頭の中がぼけてしまいます。
今頃になってグローフェの曲を編曲して騒いでもねぇ〜。「ミシシッピー」の組曲まで出す始末ですもん。なんかあの辺の編曲&BANDマスターの方々って「どうだ俺が先に見つけた曲だべ」みたいな姿勢が見えてどうもついていけません。
やりゃええってもんじゃなし。あれだけ次から次へと編曲されるのにどうして1曲ぐらいでもモーツァルトやシューマンやシューベルトや、なんてレパートリーは広がらないのでしょう?
正直言って吹奏楽でハチャトゥリアンやレスピーギやアーノルドを聴かされるのはいい加減消化不良気味です。
吹奏楽の世界に足を踏み入れてこの方不思議でならんことは、ビックリするほど曲を知ってる人がいる割りにはモーツァルトやベートヴェンは知らんのです。これにはいまだに驚かされます。
プロコフィエフやウォルトンは知ってるのに・・・・何か間違っている気がします。
だって、プロコの「ロメジュリ」をバシバシ吹くクラ吹きがモーツァルトの協奏曲すら知らないと言うのですから!
うちの団員連中には、単純に良い音楽を体験して欲しいと選曲に悩む頭を抱える次第です。

http://www2.odn.ne.jp/~cau62570/index.htm


どうもです 投稿者:たまき  投稿日: 8月14日(月)16時55分08秒
わざわざ、詳しいお返事ありがとうございます。

大体、これで私の方も納得いったかな、と思います。

ただし、納得がいかないとすれば、

>そして全ての音楽は特定の人に向けて作成されたものではないのです。

ここでしょうか。これに関しては、「芸術」というもの全てにあてはまる面があるのかな、と思うことがよくありますが、「わかる人だけわかればいい」的発想の作品が見受けられるような気もするんです。教育の現場にいる人間としては、名曲とは、音楽性の高い作品であると同時に万人に親しみやすい曲、であってほしい、と私なんかは考えるんです。数々のクラシックの名曲は、これを満たしているからこそ、万人に(子供にさえ)
受け入れられると思うんです。そういう意味で、「芸術性」の定義というものを疑ってかかりたくなることもあります。ただ、残念ながら、私は、音楽を専門でやっている人間ではありませんので、これ以上の深入りはできずにいます。

まあ、それにしても、送信した方に書いたのかな?このアレンジ作品しかやらない吹奏楽コンクールの風潮、なんとかならないものですかね〜。
本当に、このままじゃ、吹奏楽は閉鎖的な世界で行われる不思議な世界、ということになってしまいそうで怖いです。あと、とんでもない持ち替え指導。なぜ、トランペットとホルンを持ち替えたりするんでしょう?これを生で見たとき、「そこまでしてこの曲がやりたいのか?」って思いました。

最後に、

> 蛇足:私はこう思っています。「日本のスウェアリンジェンやエド・ハックビー」は
>ほっといても生まれる、と。しかし「吹奏楽のジョン・ケージ」はどうかな?

この一文で、NAPPさんが主張しようとしていることが、わかったような気がします。ただ、気になる文章があったのは・・・違うページですね。こんな文章があったんですよ。「吹奏楽はいつまでも三流のオリジナル作品を大切にして・・・」これって、誰の作品のことを言ってる?と、訝しく思いました。

もし、少人数でも演奏できそうな作品のアレンジに成功したら、ぜひ、私のところにもご一報下さい。北海道の田舎で「本邦初演!」とか書いて、細々と演奏したいと思います。(笑)

それでは。

re:たまきさん 投稿者:NAPP  投稿日: 8月14日(月)15時25分45秒
 たまきさん、はじめまして!アンケートにもご回答いただきまして、ありがとうございました!!
 さて、たまきさんのおっしゃていること、分からなくはないです。確かにこのサイトで紹介されている作品のは「中高生向け」とは言えないものが殆どですね(中にはこういった音楽が好きな中高生も確実にいるんですけどね。私がそうだったし、現代音楽系サイトでもよく見る)。
 ただですね、吹奏楽は中高生の「だけ」のためのものではないと思うのです。もっと厳しい言い方をすれば吹奏楽は「教育の場」である以前に「音楽」であると思うのです。音楽には周知のようにオーケストラや独奏、室内楽のように様々な演奏形態があります。吹奏楽はそのなかの一つの形にすぎないのです。そして全ての音楽は特定の人に向けて作成されたものではないのです。 例えば合唱では、教育目的で書かれた作品も多数ありますが、芸術的表現を追求した作品も多数あります。そのことをおかしいと感じる人はまずいないでしょう。しかし吹奏楽に関してはなぜか芸術表現の追求がなされることが忌避されているかのようです。 吹奏楽も音楽である以上、その可能性を求めていくのは必然ではないでしょうか。
 というわけで、おわかりいただけたでしょうか。このサイトは「中高生のための」サイトではなく、吹奏楽を「単なる音楽の1ジャンル」として扱っているサイトなのですね。私は吹奏楽を特別なものとしては見てませんので、他の音楽形態に対する見方と同じ視点で見て、いいところも見つけていきたいし、それなりに厳しい見方をしたいと思っています。そうした意味で吹奏楽はもっと多様性を持っていいはずだし、それを見つめるサイトも色々な視点からのものがあっていいと思いますよ。

 私もいきなり中高生にこのサイトで紹介されている曲を押しつけたいとは思いません。基本がしっかり押えられていないうちに最先端だけを求めるのは大嫌いですしね。

 蛇足:私はこう思っています。「日本のスウェアリンジェンやエド・ハックビー」はほっといても生まれる、と。しかし「吹奏楽のジョン・ケージ」はどうかな?

 東京に住む田舎者でした。

はじめまして 投稿者:たまき  投稿日: 8月14日(月)03時36分54秒
はじめまして。北海道の田舎で細々と音楽をやっているたまきといいます。

はてさて、吹奏楽に関する提言をしているHPをいくつか見ましたけど、「どうなのかなあ」と思うこと、「なるほどなあ」と思うこと、両方ありました。、アレンジ作品が全盛(?)の吹奏楽コンクールの中にあって、こういう提言は大切だと思いました。
私個人の考え方としては、現在、数多く演奏されるアレンジ作品や、前衛的な(この表現が適当かどうかはわかりませんが。)邦人作品については、快く思っていません。なぜなら、そういう曲って、中高生が聞いて感動しますかね?やってみたい、と思うでしょうかね?
非常に、疑問です。音楽的には、高度なものでも耳にして「これかっこいい」って思えるような曲は、どの程度あるんでしょう?音楽に入っていくきっかけというのは、そういうものなんじゃありませんか?私が、吹奏楽を指導するようになったとき、一番の不安は、中学生の音楽感覚と、自分が今まで積み重ねてきた音楽感覚とがあうのかどうか、が一番心配でした。
ですが、一ヶ月でその心配は吹っ飛びました。私がこれまで聞いてきて好きになった曲は、中学生にすんなりと受け入れられたからです。ここ4年ほどの経験は、そういう意味で、私に自信を与えてくれました。で、単純な発想から、私は曲の選曲において、「基本は吹奏楽オリジナル」を貫いています。ただ、その選曲は、このページ他で紹介されているような曲ではないです。
他にも、いくつか書きたいことがあるんですが、まとまらないので、また機会があったら、と言うことにしたいと思います。

北海道の田舎からでした。

つかれてる 投稿者:NAPP  投稿日: 8月13日(日)03時07分40秒
>畠中さん
 例のサイト、もうレスはつくことはないのかなぁ? 一個ついたレスがかなり興味深いものだったので、おもわずこっちも相当気合の入ったレスをつけてしまいましたが、あれのためにますますレスしにくくなってしまったかも。ただでさえ私の文章は難しい、って言われるのに。でも、私はなるべく簡単に書いてるつもりなんだけどなぁ。
 今年のコンクールは例年に増してオケ編曲ものが多いみたいですね。ふ〜ん。
 ちょっと「いぢけ気味」のNAPP。
 それはともかく、「音の空白」について。
 吹奏楽における「音の背景である沈黙の層」の扱い方は色々と考える必要があるものですね。ここをいかに生かすかが面白いところでしょう。 管楽器は発音の瞬間を明確にできるのはもちろんですが、ブレスコントロールによって切れ目をぼかすことも可能です。そして、複雑な倍音システムによる管楽器が多数あつまっているわけですから、そのリゾナンスは独特のものとなっていますね。あのいい意味で異様な空間はなんとも言えない。あそこにライヴエレクトロニクスで変調をかけてやったら相当面白い結果になると思うのですが・・・・・ 自作の吹奏楽曲の演奏経験があり電子音響に精通している作曲家である、田村文生、菅野由弘、南弘明の諸先生方にぜひ挑戦してもらいたい。


 パート譜作成作業が終わったので、ちょっと気分転換にお散歩。そこでちょっと珍しいCDを手に入れました。
 「Works by Donald Erb」です。(New World Records 80415-2)
 収録曲は「ブラスとオーケストラのための協奏曲」、「チェロとオーケストラのための協奏曲」、「Ritual Observances」です。こんなCDも国内で売ってるんですね。 ちなみに店が貼っていたラベルでは「エーブ」と読ませていました。
 あと、マグヌス・リンドベルイの「Feria」、「Corrente II 」、「Arena」の入ったCDも買いました。
 で、いつ聴くの?締め切りヤバイって・・・・・

 短期間で50枚近い五線紙にびっちり音符を書く、というのは久し振りだったので、ちょっと腱鞘炎気味。 ふぅ。

お邪魔します 投稿者:畠中 秀幸  投稿日: 8月11日(金)23時43分39秒
NAPPさん。いつも貴重なご意見をありがとうございます。

>吹奏楽関係者が吹奏楽のオリジナル作品の音楽的長所に気づいていないのではオリジナル作品の普及をさけんでも無理というものだ、と思って例の吹奏楽専門サイトに質問したんですけど・・・・・レスつきませんなぁ。

例の吹奏楽専門サイトにNAPPさんが問題提起をして以来、私も注目していたのですが・・・
レスが沢山つくものと予想していましたので、この状況は「吹奏楽関係者」の客観的視座の弱さを露呈しているのかもしれませんね。それとも照れ屋さんが多いのか・・・
コンクールの途中経過なども吹奏楽専門サイトに掲載されていますが、相変わらずのオケ真似のオンパレードにもそれが現れていると感じます。

私もちんぴら指揮者さんとほぼ同じように「吹奏楽曲」を捉えています。
敢えて言えば「響きの多様性・音色の転回力」に起因する「音の余白」こそが「吹奏楽曲」の特長ということになりましょうか。
先に述べた「吹奏楽関係者」の客観的視座の弱さは、音楽の前提となる休符(というより無音・沈黙)に対する感覚の鈍さにも現れていると思うのですがいかがでしょう。

「自分達のための選曲」から「聴く人のための選曲」に意識をシフトしなければと常日頃から考えています。

http://sapporo.cool.ne.jp/wss


更新内容 投稿者:NAPP  投稿日: 8月11日(金)00時24分54秒
 今回の更新では様々なところに手を加えましたが、その中で特に大きなこと、注目してもらいたいところをリストアップしてみました(敬称略)。

・楽譜出版状況を追加した人
 新実徳英

・曲を追加した人
 天野正道、飯島俊成、鈴木英史、長生淳、田村文生

・新しく追加された人
 原田敬子、川島素晴、伊佐治直、田中吉史、山口恭子、山本裕之、荻久保和明


 あとは経歴を直したりしたひとが少しありますが、それほど大きな修正はありませんでした。
 今回の更新ではこの「新しく追加された人」が豪華キャストですね。もっとも、原田、川島の両先生はちょっと無理やり載せたような感もなくはないのですが・・・・・

res集 投稿者:NAPP  投稿日: 8月10日(木)15時44分21秒
>ちんぴら指揮者さん
 さっそくのお答え、ありがとうございます。
 にゃるほど。大事なポイントを的確におさえてきましたね。たしかにそのとおりだと思います。
 この質問の難しいところは「吹奏楽の魅力」と「吹奏楽『曲』の魅力」の違い、かな。吹奏楽のいわゆるオリジナル曲のレパートリーで、他の演奏形態のものにはあまり感じられない特色というものを探ってみたいのです。 そうした意味ではちんぴら指揮者さんにお答え頂いたなかでは4番目の点が興味深いですね。 オーケストラでポップス的要素と現代的要素がミックスされた作品、例えば真島俊夫先生の「ミラージュ」、「ベイ・ブリーズ」などのようなものはあまり例がないような気がします。あってもせいぜいガーシュウィンとかかな。
 吹奏楽関係者が吹奏楽のオリジナル作品の音楽的長所に気づいていないのではオリジナル作品の普及をさけんでも無理というものだ、と思って例の吹奏楽専門サイトに質問したんですけど・・・・・レスつきませんなぁ。

>ののさん
 ご紹介いただきありがとうございました!探してみたいと思います。
 昨日、シェルシの「INA,memoireVIVE」というディスクを買ってみました。なんてことはない、「INA」にひかれただけで選んだ(電子音が入ってるに違いない、という安易な選択?)のですが、まだ聴いていません。「Pranam I」と「Manto per quarttro」が編成だけみてなんだか面白そう、と思って・・・・・
 そういえばギターを打楽器として扱う「コタ」は以前ナマで聴いたことを思い出しました(於:冬の劇場)。大学1年のころだったので忘れてました。
 シェルシの即興の譜面化の話は聞いていました。そして、評価されるべきはその方法ではなく、結果として現象する音だということも一応は理解しているつもりです。アヴァン・ミュージック・ガイド中のヘンリー・カイザーのインタビューでの言葉、「作曲=減速した、ゆっくりとしたインプロヴィゼーション / インプロヴィゼーション=瞬間の作曲」というのが印象に残っています。

>蝸牛の旋さん
 こちらでは初めまして!ようこそいらっしゃいました。
 当掲示板は色んな話題がかなり深い内容ででてきますので、実は一番ものを知らないのは管理人である私自身のような気がしてます(^^ゞ 吹奏楽のみならず、色んな話が並行してできるので私自身大変勉強になっています。みなさん、ありがとうございます m(_ _)m
 閑話休題、ご質問の件ですね。マルティヌーの「ギルガメシュ」は聴いたことがないのですが、藤田玄播の「ミカエル」はもちろん知ってます。前者が古代バビロニアの英雄叙事詩、後者がヨハネ黙示録を題材にしているのでしたね(その質の差は・・・・・ 以下自主規制)。 例のテーマが似ている、というのは初めて聞きましたが、う〜ん、どうなんでしょう?
 1、偶然(身もふたもない)
 2、藤田氏が無意識で、または恣意的に意識した、または何らかの象徴として引用した
 3、教会音楽などの既製の旋律で、マルティヌー、藤田氏ともに象徴として引用した
 以上の三つの可能性が考えられますが・・・・・ 真実は私には分かりかねます。どなたか知っている人がいましたら教えて下さい。 藤田氏の他の代表作「切支丹の時代」がいつ作曲されたものかちょっと記憶にない(私はCDをどこにやったんだっけ?)のですが、もし作曲年が近いのでしたら教会音楽を多数参考にした可能性は高いと思うのですが。

 そうそう、この掲示板は長〜い書きこみは大歓迎ですので。私の書きこみからしてかなりの量ですしね。


 「200CD」でウインドアンサンブル作品として紹介されていたグヴァイドゥーリナの「魂の時」を聴きました。あれれ、弦が入ってるフルオケだ。この曲は1974年に創られた作品なのですが、その後二回改訂が行われてまして、おそらくは1987年改訂版がその「メゾソプラノ、独奏打楽器と吹奏楽」の版なんでしょうね。で、私が持っているのは1974年版なわけです。なるほど。
 このCDには他に合唱とオーケストラのための「メンフィスの夜」なんかも入っているので、これはこれで持っていてもいいCDだと思うのですが。 でも、オケならグヴァイドゥーリナは「オッフェルトリウム」の方が・・・・・

初めてなのに… 投稿者:蝸牛の旋  投稿日: 8月10日(木)01時10分26秒
ええ、こんばんは。いつぞやの「猫」ではRESありがとうございました。
ここしばらく当HPをあちこち眺めておりましたが、コンテンツの充実振り故まだまだ読みきれておりません。いずれの内容も興味深いのですが、とりわけ当掲示板及び過去レスの「濃さ」には圧倒されます。現場の声やマニアな話題にはもう半分くらい(それ以上かな)もうついて行けません!

そんな呑気な音楽ファンの私がこちらに書き込みしようと思うに至ったのは、つい最近気が付いた事があってのことなのです。
藤田玄播「天使ミカエルの嘆き」は恐らくご存知のことでしょう(でないと話が終ってしまいます〜)。イントロの後にユーフォニウムで提示されるメインテーマ、その音形は以降全篇に渡って使われていますが、思い浮かびましたでしょうか?
ある日、とあるCDを聴いていると「あれ、このフレーズってどっかで聴いたような…何だっけ…あれっ、ひょっとして!」と思い、確かめてみるとまさに件のテーマにクリソツなのですよ。
その正体は、マルティヌーのオラトリオ「ギルガメッシュ」。ちなみに音盤はビエロフラーヴェク/チェコフィル他の演奏によるSUPRAPHON盤、「巷の評盤」で紹介してもらったCDです。
古代バビロニアの英雄叙事詩を基にした3部構成、60分程の大規模なオラトリオなのですが、マルティヌーの作品としては異色のテイスト、実に神秘的かつ劇的な曲です。
その第2部にて、まず導入部で例の音形に酷似したフレーズをチェロがなぞります。また楽章半ばを過ぎた頃、親友エンキドゥを失い彼の復活を望むギルガメッシュに対して、神が拒絶する様を表す(2度目の)合唱のフレーズと、「ミカエル」クライマックスのファンファーレの前後とがもうそっくり!なのです。
最初は教会旋法かコラールの一節かとも考えましたが、「ギルガメッシュ」はキリスト以前の話ですし、題材として共通している訳ではなさそうです。果たして…?
ちなみに「ギルガメッシュ」は'54〜55年作、「ミカエル」は'78年作ですが、短絡的に「パクリやん!」と糾弾するつもりではありません。何かしらのオリジナルがあるのかどうか知りたいと思い立ったのです。

当初はそれこそ「招き猫」にてお伺いを立てようかと考えたのですが、「やや吹奏楽寄りでかつコアなクラシックにも目配せが効いている」のはこちらかも…と思いまして(マルティヌーは現代音楽のカテゴリーには入れ難いですが…)。
初めての書き込みなのにド厚かましいお願いで恐縮ですが、何かしらの事情をご存知の方がいらしたら、ご教示頂けたら幸いです。

長々と失礼しました。今後は大袈裟にならぬよう慎む所存ですのでご勘弁の程を。

シェルシ推薦盤 投稿者:のの  投稿日: 8月 9日(水)11時43分04秒
では、リクエストにお応えして。

ピアノ曲の録音では、Schroederによる組曲8番&9・10番をまずお薦めします。
この2枚はhat hut6000番台なので、もし見かけたら速攻ゲットしましょう。曲は組曲11番が一番だと思いますが、sub rosaから出ている録音はイマイチです。
日本のライブでは、4 Illustrazioniや5 Incantesmiの演奏機会が多いですね。
どちらもSuzanne FournierのACCORD盤に収録されています。曲も演奏もまずまず。このCDは、併録のXnoybis (Vn. solo)がすばらしいのですが。

合唱曲は、全集(CD1枚)がACCORDから出ています。James Wood / New London Chamber Choirの良い演奏。SQ全集も2枚組なので、あまり懐を痛めず買えます。Disques Salabertのアルディッティ盤。ベストは4番でしょうか。全部面白いけど。むしろ、譜面を買う際のご参考までに。

『前衛音楽の漂流者たち』のシェルシの章を読んでいればご存知でしょうが、彼の曲は最初期以外は、即興演奏の録音の第3者による譜面化なんですよね。調性から解き放たれた即興は、20世紀後半の音楽では大きな位置を占めていて(特に実験的ポピュラー音楽では:オルーク『Remove the need』もそうです)、これとどうつきあっていくかは「作曲」の大きな課題だと思います。

>吹奏楽の魅力 投稿者:ちんぴら指揮者  投稿日: 8月 9日(水)06時53分18秒
>吹奏楽曲の管弦楽曲や室内楽曲にはない「曲の魅力」って、どんなところにあると感じますか?
おっしゃっている「聴き手の立場」で、ですね?
第一に、響きがダイレクトに体感出来る点が魅力ですね。息を吹き込む管楽器の合奏ですので音が空気の振動となって耳にと言うより体にガンガン当たって来ますからね。
第二に、リズムがストレートに強調される点があります。
弦楽器のリズムは良くも悪くも粘着質ですが、管楽合奏ではこの辺もダイレクトですんで。
第三に、響きが多様であること。
オケの弦楽合奏のように同族楽器の集合体がサウンドの基本になるとある程度サウンドの方向性は決まってくるのと異なり、吹奏楽では異種楽器のアンサンブルの集合体ですから、その組み合わせによるサウンドの変化は大変変化に富みます。ここのBBSで話題になる曲などはどれもそうですもんね。おもしろい音が聴ける点では吹奏楽は大変魅力大と感じてます。
第四に、レパートリーの広さです。
クラシカル、ジャズ、Pops、マーチ、どれもマトモに聴けて楽しめますね。
オケでマーチやジャズはなかなか決まりませんな。重たいんですよね。

単純な答えで申し訳ない。聴き手にまわると棒振りであることを忘れ去って単純になってしまう私なんです。(爆)

http://www2.odn.ne.jp/~cau62570/index.htm


Scelsi 投稿者:NAPP  投稿日: 8月 9日(水)02時04分17秒
>ののさん
 それではお言葉に甘えさせていただきます m(_ _)m
 シェルシの曲を聴いて一番思ったのが「呼吸が感じられる」という点でした。私個人は「楽曲」というのは「響きの層」よりも「呼吸(生物学的な呼吸とはちと違う)の層」の集積だと捉えているのですが(それだけではないけど)、その点が強く感じられたのがとても興味深かったです。
 こうした曲を書く作曲家の作品でまず気になるのはピアノ曲でしょうか。基本的に発音の瞬間が明確であり、音量は減衰するのみであるこの楽器のための作品は、こういうタイプ(かどうかは私にはまだ判断できないけど)の作曲家の別の一面を垣間見るのに最も適切であると思うのです。もしあれば、ピアノ独奏曲と4手以上によるピアノ曲について推薦曲があれば教えて下さい。
 あとは、より「呼吸」の問題が密になる合唱曲なんかも聴いてみたいところです。平山美智子さんとのコラヴォレーションの結果が反映されているものとかいかにもありそうですが。
 それと、シェルシは弦楽四重奏がすばらしいと聞いています。もちろん全部聴いておきたいのですが、最もすばらしいと思われるのはどの曲でしょうか。

 もうちょっと聴きこんでいけばもっと聴いてみたい編成もでてくると思いますが、ぜひここらへんで教えて下さい m(_ _)m
 それにしてもこれまでに聴いたことがあるのが「山羊座の歌」だけとは。反省。

シェルシにはまったら 投稿者:のの  投稿日: 8月 8日(火)22時11分00秒
聴きたい編成を挙げて下されば、適切な助言ができると思います。譜面はだいたいサラベール。アカデミアには常時それなりに置いてあります。

帰京 投稿者:NAPP  投稿日: 8月 8日(火)17時18分20秒
>ぽちさん
 「神楽太鼓」ってだれの作品でしょうか?小山清茂「太神楽」のことでしょうか?
 一応管理人の立場があるので断っておきますが、楽譜はできれば買ってくださいね。あんまりうるさく言いたくないのですが、あんまり公の場にふさわしくない発言かもしれませんよ。


 さて、東京に戻ってまいりました!いきなり激しい雷雨にみまわれてしまいましたが・・・・・
 ただいま11月に初演する曲のパート譜作りの真っ最中!作業的な内容なので、いろんな未聴だったCDを聴きながら作業してます。きづいたら50枚近くありました。全部聴けるのはいつの日か・・・・・ あ、シェルシにはまりそう・・・・・

 某サイトでも同様の質問をしたんですけど・・・・・
 皆さんは吹奏楽曲の、管弦楽曲や室内楽曲にはない「曲の魅力」って、どんなところにあると感じますか? 「演奏する」っていうことはこの際考えないで、純粋に「聴く」だけで判断した場合、です。
 私の場合は「ロマンティシズムと現代性の融合」という点などを挙げますし、益野さんが同人吹奏楽団さんのサイトに書かれている「モリーの吹奏楽」にある多くの点などが感じられると思うのですが。

楽譜探し 投稿者:ポチ  投稿日: 8月 6日(日)21時31分05秒
私は中学校の吹奏楽顧問です。うちの学校には和太鼓部があるので「神楽太鼓」を合同で演奏しようと考えています。そこでその楽譜を現在探していますがどなたか楽譜を貸していただけませんでしょうか?貸していただける方がいればお返事のメールをお願いします。

レス、予告、お願い、小話 投稿者:NAPP  投稿日: 8月 5日(土)18時29分12秒
>畠中さん
 先日は暑い中、どうもありがとうございました。色々なお話ができて面白かったです。
 次回演奏会のプログラム、拝見させていただいております。実に面白いものになっていっていると思います。演奏会が楽しみです(残念ながら聴きに行くことはできませんが)。
 グレインジャー「ヒルソング第二番」については、益野さんが同人吹奏楽団さんのサイトの掲示板に書かれていることでパーフェクトな解答だと思います。私の方で他になにか分かりましたら、またご連絡いたします(なにせここは佐賀県。資料は置いてきてしまっていますので)。
 シンフォニカさんの掲示板へはもう少し時期を見てまた書きこませていただきます。「再生」についての書きこみを近日中にさせていただくつもりです。

>益野さん
 演奏記録の件、ありがとうございました!楽しみにして待っております。
 やはり「こういう楽譜を所蔵し『演奏する意欲のある』楽団が確実に存在する」という事実を公表することにはとても重要な意義があると考えておりますので。 また、市販譜である、ということは同時に「全ての楽団に等しく演奏することが可能である」ということの認識を深めることと、実際に演奏マテリアルを入手する便をはかる、などの意義があると思いますので、とても大事なことですね♪


 さて、いかに時間がないから、といって更新を怠るにもほどがあると思いますんで、ちょいとばかし更新をしたいなぁ、と思ってます。そろそろ更新すべき内容の溜まってきた「現代作曲家と吹奏楽」を補筆しようかと。
 そこで、どなたか天野正道、飯島俊成、鈴木英史の諸先生の、当サイトに記載されていない吹奏楽作品についての情報をお持ちの方、いらっしゃいませんか?けっこうな数があると思うのですが。作品名、委嘱(初演)団体、演奏時間、楽譜の所在、などについて。
 書かれている作品についても、未出版だった曲がブレーン出版のレンタル譜になったものがありますんで、ここも修正しようと思ってます。
 荻久保和明先生なども追加しますよん。

 先日の私の書きこみの中に、
>アルフテルが「はるふてる」になってたりする
 という文があったのですが、「意味が分からん」という人がいましたんで、ちょっと説明(しょ〜もないネタなんですが)。
 アルフテル、というスペインの作曲家がいまして、Halffter、って書くんですね。 で、うちの大学の図書館の検索端末では、楽譜を検索するときは原綴りで、CDを検索するときはカタカナで入力するんです。で、このアルフテルのCDを検索するときは「ハルフテル」って打たないとでてこないんです。 小話でした。

遅くなりましたが 投稿者:益野大成  投稿日: 8月 3日(木)15時40分19秒
大分遅れましたが。同人吹奏楽団の演奏記録の件で。
 演奏曲の記録については、コメントや評価、既演未演の別を記した「益野の所蔵楽譜一覧」というものを、「モリーの吹奏楽」と同時に団HPにアップするつもりでしたが、何となく延び延びになって現在に至っております。原稿はすでに出来ているので、近々HPの管理人に送りたいと思います。(うちの団でやった曲はほとんどが私の所蔵譜なのです)。ただ、彼も忙しいので、HPへの掲載は1〜2ヶ月先でしょうか。

 それにしても、私の所蔵譜はすべて市販譜ですので、掘り出し物とか、そういうものはないです。がっかりなさらないでください。

 追伸1:畠中さんは「丘の歌第2番」に関する問い合わせを、うちの団のHPにもお寄せになっていたので、私の分かっていることについては、そちらに載せます。

 追伸2:「益野さん率いる同人吹奏楽団」とS.O.さんが書いて下さいましたが、実体は毎度の合奏人数が一桁(ここ半年Clの姿を見ていない)というツブレソー楽団です。あ〜、「率いる」というゆたかな語感にアコガレルなー(笑 、ってばかりもいられないか…)。S.O.さんの土産話よかったです。こういう話を聞いてしまうと、「ひとつ、どーにかして、カウエルの楽譜を…」とか考えてしまいました(笑)。

http://sapporo.cool.ne.jp/dojin/?


また教えていただきたいことが・・・ 投稿者:畠中 秀幸  投稿日: 8月 2日(水)22時15分31秒
NAPP様。先日はありがとうございました。

お話頂いた内容を参考に、依然として次回の演奏会のプログラムを考えている最中なのですが、以前にもお伝えした通り小編成吹奏楽を積極的に取り上げようと思っております。
打楽器の入らない管楽合奏をプログラムにいれたいという意向から、グレンジャーの「ヒルソング第2番」が候補に挙がっています。
私の持っているCDは吹奏楽版なのですが、できればそのライナーノーツに記載されていた1907年に書かれた24の独奏管楽器版を演奏してみたいと考えています。
とはいうものの恥ずかしながら1907年版の編成、音源の有無及び吹奏楽版の編成などの詳細が全くわかりません。
お忙しいとは存じますが、NAPP様をはじめ貴WEBにお集まりの皆様に、そのあたりの情報をご提供頂ければ大変ありがたいのですが。
よろしくお願いいたします。

尚、次回のプログラムの草案を当楽団のWEBに掲示いたしましたのでご意見など伺えれば幸いです。

http://sapporo.cool.ne.jp/wss