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プリペアド・ピアノを実演 投稿者:谷口昭弘  投稿日: 9月15日(金)22時41分00秒
とまではいきませんが、それっぽいデモンストレーションをやった友人がいました。ところが、休み時間、生徒が真似して、音楽室のピアノに消しゴムがいくつか挟まっていたそうで、先生の方は困ったそうです。「壊れたピアノでやるように」とか、注意しておいた方がいいのではないでしょうか。

私は本を持って歩きましたが、本当は、オーバーヘッドなんかで見せるのがいいと思います。インパクトも、そちらの方が大きいかもしれません。

(無題) 投稿者:NAPP  投稿日: 9月15日(金)19時15分07秒
 谷口さんは高校に行かれたのですか。なるほど!
 いかに生徒の興味を惹くかってのは難しいですね。「楽譜ってこんなもん」と思っている生徒に「現代音楽の記譜」みたいな本(エルハルト・カルコシュカ著、入野義朗訳、全音)は強烈なインパクトを与えるかも。
 個人的にはプリペアド・ピアノを実演してみせるのが「既製概念に捕らわれない」(ピアノは鍵盤で演奏するもの)ということを教える(=現代音楽の足掛かりの一つだと思う)のに最も適していると思うのですが。でも実習校には嫌がられそう(笑) ピアノ科の人には抵抗あるのかな?


 こういった話は高校音楽の現場の声を聞くのが一番!ということで、その関係の人がいっぱい見てそうな、とある掲示板に集中的に書きこみをした(エサまき?)のですが、生徒、教師を問わず「高校生に現代音楽」ということについて何か思うところがあったら教えて下さい m(_ _)m >フラッと立ち寄った方

お詫びと追加 投稿者:谷口昭弘  投稿日: 9月14日(木)10時42分41秒
誤字が多くてすいません。

楽譜は、あと、リゲティの《アヴァンチュール》や《アトモスフェール》、ペンデレツキの《広島…》などを持っていきました。面白いですよね、こういうの、眺めるのって。

#ほとんど自己満足の世界だったんですが (^_^;;

現代音楽なら 投稿者:谷口昭弘  投稿日: 9月14日(木)10時26分46秒
高校の教育実習でやったことがあります。確か、カウエルの《バンジー》をいきなり聴かせて楽器を当てさせる。三味線かな、という答えがでたような。で、プリントには、プリペアド・ピアノの写真を乗せておいて、説明をする。あとは、図形楽譜の問題をやって、ベリオの《セクエンツァ》第3番を楽譜と比較して聴く。そして、『現代音楽の記譜法』の本を持ってあるいて、どんな楽譜があるのか、いろいろ説明して回ったり。反応としては、「こういう楽譜ってどうやって演奏するんですか?」というのがあり、私は「別に説明書がついてるの」と答えました。すると「それだったら、普通の楽譜の方が分かりやすどうですけどね」という感じでした。あんまり歴史とは理論に走らず、感覚的なことだけやりました。
音楽そのものには、それほど拒絶反応みたいのがなかったですね。「ふ〜ん、こんなのも、音楽ぅ〜?」という感じでしょう。先生が良いと言えば、生徒の方は大丈夫じゃないですかね? 民族音楽なんかも、ビデオで見せました。ケチャなんて、かなりインパクトありましたよ。ちょっと「笑い」を誘ったので、誤解になったかなという気持ちはありますけど(インドネシアの皆さん、ごめんなさい)。

むだい 投稿者:NAPP  投稿日: 9月14日(木)03時36分33秒
 難しい問題だと思います。うちの大学の場合、音楽高校に実習に行くケースが多いので、やはりソレにもよると思います。大学でやった模擬授業のときに音楽高校を想定した「現代聴音」をやった人もいましたが(武満「妖精の距離」を穴空き聴音など)、普通の高校では楽譜の読み方から知らない生徒も少なくないですし(それは悪いことではないと思う)。それだけ一口に「高校」といっても生徒の幅が広い。

 私は中学に実習にいきましたし、通っていた高校には音楽の授業というのはありませんでしたので(よく音大に入ったもんだ)高校の音楽教育の現場にはあまり詳しくないのですが。手許にある現在普通の高校で使われている音楽の教科書(教育芸術社・高校生の音楽3)をみると、後ろのほうにケージの図形楽譜や湯浅譲二「イコン」の楽譜、リゲティ「アトモスフェール」の楽譜にライリー「in C」の楽譜が載り、黛の「涅槃交響曲」や、はては西村朗「ケチャ」まで記述がある世界(同じページに上々颱風も載ってるのが面白い)。ずいぶん突っ込んだ教科書だなぁ、と思いますが、これらをどう教材として扱うのかは非常に難しい。果たしてこれらを「知識として」修めることに、生徒達にとってどれほどの意味があるんだろう?

 「現代音楽」ってのを扱うとき、何の意図で教えるのか、そこをはっきりさせないといけないと思います。「今」どのような表現がなされているか、を考えさせるのでしょうか。この場合「同時代音楽」という語の方が適切かと思うけど生徒にそれを言うと混乱を招くし。

 やはり生徒の「おしつける」授業だけは避けたいと思います。聴いて、感想書いて、知識覚えて終わり。それはどうかと思います。やはり「参加する」形で音楽の現在を教えられたら、と思いますよ。「即興」とか言うと難しい印象も受けますが、知っている人は知っている伝説の曲「野菜の気持ち」なんかを利用すると比較的簡単にできそうです。
 または、生徒に馴染みのある音楽ジャンルと結びつけてあげるといいかもしれません。テクノとミニマルを結びつけてみるとか(ここにガムランでも入れてやると民族音楽のカリキュラムも満たす)。

 私が教育実習にいって思ったのは、やはり「音楽を教える」よりも「音楽を通して教える」ことが要求されている、ということ。ここらへんも実に難しいところかと。


 ま、学内で見かけたら気軽に声でも関節技でも、なんでもかけてください。月曜の2時〜3時、水曜の3時〜5時、木曜の3時頃にはほぼ確実に図書館の三階でなんか書いてますから。目印はカバンに付いてるうすら汚れた「なんだろう」君です(どうしてこんなものを付けてるかは聞かないでほしい)。



 今日は学内で打楽器科の演奏会を聴きました。菅野由弘先生の「オブジェII」もやったので、菅野先生も来てました。こっちが一方的に知っているだけなので話は出来なかったのですけどね。

 Bernd Alois Zimmermann に「Rheinische Kirmestanze」という曲があるらしいです。二管編成の木管にHrnが2本、Trp、Trb、Tubaが1本ずつ。ちょい小さいけど、まぁ、吹奏楽作品でしょう。Schot Meinz の出版目録をみればもっと色々な曲が見つかるかもしれぬなぁ。


>ののさん
 重複分、勝手に削除してしまいました。ごめんなさい m(_ _)m

>ももたろう東京音大4年 さん 投稿者:ちんぴら指揮者  投稿日: 9月14日(木)01時05分59秒
>今日は「高校生に現代音楽(できれば1945年以後の音楽史に出てくる種類の作品)
>を教えるとしたらどんな取り組みが考えられるか」について、
単純な発想なのですが「現代音楽」を教えようなどと考えて接すれば恐らく敬遠されるのではないかと・・・
私だったらそうなりそうです。「現代音楽」ではなく、昔のものとは異なる「進化した音楽」として紹介してみたらどうでしょう?どういうわけか学校の音楽の授業では古典派の音楽を中心に神の如く崇めて聴かせますよね。あれが僕には最後まで馴染めませんでした。ひいちゃうんですな。
ロック聴いているような若者達であれば「春の祭典」の”生け贄の踊り”を聴く方が余程のってくるのではないでしょうか?「現代音楽」をと気負わずに(下手をすると己の趣味を聴かす事になりかねない)偏らないいろいろな音楽に触れさせる事の方が学生さん達には何か残るのではないかと思います。そう考えれば「現代音楽」には多種多様な作品がありますからおもしろく受けとめてくれるかもしれないような・・・・・・とりとめのない意見になってしまいましたm(_ _)m

http://www2.odn.ne.jp/~cau62570/index.htm


一般論は難しいですが 投稿者:のの  投稿日: 9月14日(木)00時01分16秒
その高校の雰囲気、音楽の授業の位置付けによって大きく変わってくると思います。音楽高校なのか普通の高校なのか、音楽の授業にはマニアが集まっているのか、楽して選択科目をクリアしたい人が集まっているのか、等々。

基本的な方向性として、クラシックとの連続性を強調するのか、断続性を強調するのか、ということは考えておいた方がいいのでは。断続性の方を選ぶなら、例えばライリーやオリヴェロスの即興的要素の強い曲(いわゆる技術は不要な)をクラス全員でやってみる、なんてのが面白いかも。あるいは自由度の高い図形楽譜作品とか。

はじめまして。 投稿者:ももたろう東京音大4年  投稿日: 9月13日(水)18時39分50秒
ちょっと書き込むのに勇気のいる掲示板なのですが、ちょっとお聞きしたいことがありまして、書き込ませていただきます。
私は東京音大4年(ピアノ)のももたろうと申します。
友人に作曲科の人間がいるのでNAPPさんのことは存じております。
今度学校で声をかけてもよろしいでしょうか。

今日は「高校生に現代音楽(できれば1945年以後の音楽史に出てくる種類の作品)を教えるとしたらどんな取り組みが考えられるか」について、皆さんの御意見をお聞きしたいと思うのです。
10月に教育実習をするので、参考にさせていただきたいのです。

なんでそんなことを何にも知らない高校生に教えるのかというと、世界史を学校で勉強すると、戦後の歴史はものすごいスピードで教わるのと同様に、音楽史の最近のほうの作品には、一般の高校生は一生縁のないまま終わってしまうのです。

だから、私のつたない授業で彼らに少しだけ現代音楽というものに触れさせてあげられたらいいな、なんて思っています。(こういうふうに考えること自体間違っているのかも知れませんし、もっと他に教えてあげたほうがいいことがあるかもしれませんが。)

何か、良い案(鑑賞して説明するだけではなくてもうひと味加えるとしたら)がありましたらお願いします。

http://members.tripod.co.jp/momo13/index.html


結局のところ 投稿者:NAPP  投稿日: 9月 9日(土)03時49分01秒
「どこで学ぶか」ではなく、「なにを学ぶか」ということが大事だ、ということでしょう(あたりまえの事ですが)。
 昔とは違い、現在は日本にいながらにして世界中のあらゆる情報、資料、演奏(音のみならず風景まで!)が手に入るようになりました。ある程度ならば海外に出なくてもそれなりの知識を身につけることができますね。
 今現在、勉強していて思うのは「あまりにも手に入りすぎる」こと。こうなってくると逆に、日本では手に入らないものの方に、外国だからこそ浸透しているであろうことに興味が向いてきます。日本でしか聴く事の出来ない(初演されてそれっきり、ってやつ)音楽作品があるのと同様に外国にもそのようなものはたくさんあると思います。日本に渡ってくるのはそのうち、何らかのフィルターを通されたごく一部のみ。しかし私にはその「フィルター」こそが疑わしい。私が聴く事の出来た諸外国の音楽は、本当に現地に息づいている音楽のごく一部ではないかと強く思います。日本以外の「空気」(=音楽を包括するもの)に触れてみたい、そう思います。

 おそらくアカデミズムの音楽(イヤな言い方だ)を学ぶのであれば、今現在どこで学んでもさしたる違いはないと思います。そう言った意味で、ののさんがおっしゃる通り作曲を学ぶものにとして今一番触れておきたい、いわゆる「地下音楽」はいまのところ日本で優れたものに接することができます。
 私は「音楽」のうち、音現象だけではなくその背後にある音楽環境、とりわけ「演奏する人たち」に興味があります(私が吹奏楽にこだわるわけもここらへんに起因するのかもしれない)。まがりなりにも西洋音楽のスタイルで音楽をやっていくのなら(湯浅風に言えば「西洋の残滓に乗る」なら)、やはり諸外国で音楽の「現場」に接しておきたいと思うのです。
 三年ほど前にアムステルダムのコンセルトヘボウで歌ったときに強く感じました。あそこには音楽の歴史があると。しかし、二週間の滞在期間中はほとんど毎日ホテルで発声練習、という日々だったのであまり外国に行った気がしなかった。 ツアーなどの旅行で行くのではなく、やはり音楽人として(それも少数で)行ってみたいのです。

 でも、多分私は留学はしないでしょう。他にもやっておかないといけないことがたくさんあるのです。「今」しかできないことがまだまだヤマのように。


#菱沼先生と望月先生のくだりは失言でした。申し訳ありませんでした。


 ののさん、谷口さんをはじめ、ExMusicaに執筆されている先生方はみなさんこれまでとはかなり異なった切り込みをされている方が多く、これからの日本の音楽界への期待が膨らみますよ。 >渡部先生


 渡部先生にお呼ばれしてノコノコ出てまいりましたが、ホント、オケがヤバイんです (;_;) あと少し(だと思う)なんですけど。

I hope you will make something happen. 投稿者:渡部謙一(わたなべ けんいち)  投稿日: 9月 8日(金)20時37分59秒
そうですか、Musicologyですか。それでしたらアメリカにいらっしゃることは本当によかったことだと思います。谷口さんのホームページも拝見いたしましたが、今、というかこれから必要とされるMusicologistとは、理論と実践の狭間を様々な多様性で埋めてくれる人だと私は考えています。だいぶいなくなりましたが、日本には今だ音楽の多様性についていけず、居丈高な文章を書いていらっしゃる大家もいるようです。ですから、谷口さんのようなグローバルな視点を持ち、異文化の接点に存在する歪みを感じられる方に台頭してきて欲しいものです。

さ、ではそろそろ管理人さんの出番ですよ、nappさん。

思いつくままに書いてみます。 投稿者:谷口昭弘  投稿日: 9月 8日(金)13時26分37秒
私の場合、ここフロリダに来る前に、ボストンに滞在し、ヨーロッパ旅行もいたしまして、やっぱりアメリカの都会はすごいなあ、と思いながら、ヨーロッパに行って圧倒されてしまいました。ああ、文化があるなあ、歴史があるなあ、と。それに比べたらアメリカなんて、本当に「しょぼい」もの。むしろ「伝統と歴史」という点では、日本とヨーロッパに親近感を感じたものです、アメリカよりも。それだけアメリカが特殊なのかもしれません。

私は音楽学なので、必然的に歴史や理論の授業が大半を占めていたため、確かにキツい授業が多かったです。バビットはやりませんでしたが、その理論的背景を学び、無調音楽の分析そのものも行いました。ただ、シェンカーは先生自身がわかってなかったので、全然だめでした(最近イエール出身のイギリス人が入り、その辺は改善されたようですが)。

講義の内容は、なかなか進んでいると思います。アメリカの少数民族の音楽や、最近はロック史もあるようです。しかも、どちらも学部生向け。学生のレベルは、ここも高くなく、アメリカの学生はよく勉強するといいますが、現実は、先生が必死にやらせているといった方が正しいと思います。もっとも大学院レベルになると、やはり関心の度合からして違ってきますね。

ただ、歴史にしても、一通りヨーロッパの6時代をそれぞれやり、さらに歴史的音楽学概論、民族音楽学概論と、自分のやりたいアメリカ音楽以外のことも多く、専門を狭くやる日本の大学とは勝手が違うな、と思いました。でもおっしゃっている通り、こういった講義系はきっちりやってくれるので、いいですよね。

私は都合、6年近くアメリカにいる訳ですが、バッタもんはバッタもんで、どうしてそうなるのか、いろいろ興味が出てきます。また、ポピュラー音楽にも、自然に興味が湧くんですよね。これは日本ではまずなかったこと。アメリカ文化理解には、こういった民衆文化って不可欠なのではないかと思うんです。全然トーシローの割には、興味だけが空回りしているんですが。

また、結局「本物」がないところで、どうやって「本物」に接していくのか、どうやって学んでいくのか、その方向づけの中には、日本でも使えるところがあると思っています。

一方、大国について、渡部さんもおっしゃってますが、その大国にみる、独特のダイナミズム、国際的にならざるを得ない社会形態(しかし多数民族に影響されてしまう)など、常にとどまるところのない人々の力のようなところには、共感するところもあります。もちろん、食文化の貧しさは、救いようもないですけれど (^_^;;

英語は確かに便利ですが、でも、本当に文化を知ろうとすると、やはりその文化の中に生きる言葉を知っておいた方がいいな、と思います。英語で出回っている情報は、やはり英語圏のフィルターを通したものですし。もちろん、そのフィルターの通しかたが、日本とは違うところが、これまた面白いんですけれど。

下の続き 投稿者:渡部謙一(わたなべ けんいち)  投稿日: 9月 8日(金)12時06分28秒
そんでもってヨーロッパに行くのです。どの国でもいいですが、行くなら首都もしくは大都市です。目当ての先生も大事ですが、やはり音楽は文化なので人の多いところで熟成しますから、出来るだけ文化の香りの強いところへ。すると、いかにアメリカがヨーロッパのバッタモンであるかがわかり、且つ、ヨーロッパの閉塞感とは裏腹の開放感がアメリカにあるのだということに気づきます。これは人間形成に重要では無いでしょうか?そしてヨーロッパ各都市の持つ閉塞感が、谷口さんがお感じになっているアメリカの閉鎖性と少し違うことを感じることになるはずです。
 さて、そろそろ筆をおきますが、これから留学なさることをお考えの方々に最後に人ことお話させていただきます。ここにカキコしていらっしゃる方は作曲の方が多いようですが、例えばダルムシュタットやIRCAMのようなInstitutionは、音楽の歴史何百年の末生まれた素晴らしい機関で、管楽器の私にとってはうらやましい限りだと思っています。ですが、どうせ留学するなら、それぞれの国の文化を深く感じられる年月滞在しないと意味が無いと思います。最先端の場所に行くことも大事ですが、その国の原語を学び、広く世の中を見られるようになることのほうが、将来どんなに役立つことでしょうか。私は、自分の英語が素晴らしいとは一度も思ったことはありません。が、苦労したぶんバイリンガルとはいえませんが、苦労したぶん英語を通して他の様々な西欧文化の香りをかぎつける道筋を感じられることがあります。今ミシガン大学に行っている自分の弟子にもずいぶんこのことを話しました。結局原語も音楽も「文化」という接点でつなっがていますから。どうかこれから未来のある若い方々には、海外に行くことで日本のよさを再認識し、新しい日本の西洋音楽を(鉄人坂井シェフのフランス料理のような)想像していって欲しいと思います。

(無題) 投稿者:渡部謙一(わたなべ けんいち)  投稿日: 9月 8日(金)11時45分33秒
実はアメリカの音楽界(正確に言えばアメリカ音楽教育界)は、私が留学した1987年当時で既に世界的にかなりの遅れをとっておりました。まずいわゆるUniversityのMusic depatmentではニーズの多様化がかなり進み、ご都合主義的なごく上滑りな音楽基礎教育しかしていませんでした。本当に真剣に音楽の道を志すものはUndergraduateにはごくわずかしかおらず、所謂「お家芸」的な存在のウィンド・アンサンブルも、音楽専攻生以外の学生が半数以上を占めるというありさまでした。(もちろん学校によって多少の差はありますが)。いきおい演奏の質は低く、日本の吹奏楽のレヴェルを知っている私としては、高い志を持って行っただけに肩透かしを食らわされたどころか、そのレヴェルの低さにしばらくは信じられない思いでした。確かに大学院の学生にはレヴェルの高い学生もいましたが、冷静に思い返してみると、ずっと日本人のほうが上手だった様に思いました。まして作曲家の学生に至っては高度な分業制の授業のため、やたら理論にキレル奴とかピアノ所見の効く奴とかもいましたが、よく考えてみるとそんな奴は芸代時代に周りにゴマンといましたし、やはり人間の価値観はそのおかれている環境でだいぶ変わってしまうものだと感じました。
 アメリカをくさすついでにもう一つ。私はその後イーストマンの博士課程に行きましたが、そこでの状況はmuch mucg worseでした。だいたい、新曲至宝の時間で、「この調では上が高くて歌えないから三度下げようか」などと言って、ト長調をホ長調に下げたはいいが、「GABCD〜(ソラシドレ〜、ですね。大体こういってアルファベットで歌うこと自体びっくりしましたが。)」のままで歌うのには「あほか!」と思いました。そうです、彼らには調性と音色感という音楽でも一番大事な要素に対しての感覚がなかったのです。(それは今でも行われているところが多いようです)。さすが合理主義というか御都合主義の国だと思いました。やっぱりジャンクフードが主食で、朝飯でいきなり家族中で、歯まで解けそうなほど甘いドーナツやケーキを食う文化の国だと思いました。
 とはいえ、私の前に書いていらっしゃる谷口さんという方のお書きになっている、「二つの文化圏を知る」という意味で、間違いなく自分の音楽にプラスになったとは思います。それは「反面教師」的なものもたくさんありましたが、よりMass society の中で、Diversityに埋もれずに自己主張を貫くかという点で、間違いなく自分の今を形成する基礎になっています。
 個々で一つワタクシ的なお勧めがあります。これから留学をお考えになっている方は、ぜひアメリカのGraduate schoolに初めは進まれて(こんだけくさしたのに!)、その後ヨーロッパに行くべきだと思います。それにはいくつかの理由があります。まず上記の「自己主張」を強めるために、小国ではなく大国に行く必要が、これからグローバルに活躍する若い人にはあるからです。それと、アメリカの大学院は音楽史や理論の授業がめちゃくちゃキツイです。日本の音大のような出席していればよい、というような甘い事は許されません(と言って自分もその昔、池野成先生の「管弦楽法」の授業を一回も出ずに、レポートのみで「秀(「優」の上、いわゆるA+」を頂いたことがあるのですが。)あまりのキツサに管楽器の私が、ギョウム・ド・マショウやジョスカン・デ・プレなどの作品を聞き分けられる様になってしまったり、ミルトン・バビットの作品についての分析をしてしまったこともありました。そしてなんと言っても言葉です。やはり論文でもなんでも、何か一つの外国語でかけるようになることは将来必ず役立ちます。そうなると日本人では英語では無いですか?私も自慢じゃ無いですが学生時代の不勉強がたたり、英語には死ぬほど苦労しました。脳みそに無理やり木ねじを埋め込むがごとき苦痛を味わいながら勉強しました(いや、させられました)。
 でも英語が出来ればこっちのものです。世界中まずどこにいっても大丈夫です。通じなかった「英語もしゃべれないの〜?」と、相手を見下すような態度に出ていいかげんなことをしゃべれば、それだけであなたは優位にたてます。これはとても大事なことです。(日本人の文化には無い感性ですね)
 

個人的見解ですが 投稿者:谷口昭弘  投稿日: 9月 7日(木)12時50分18秒
視野を広げるつもりでアメリカに来ても、例えば日本とアメリカという2つの文化圏の音楽を知ることはできますが、そこから外に広がらないかもしれません。アメリカの作曲界、特にアカデミズムというのは、どうも閉じた感じがするんです。実験音楽についても、CRIやニューワールドのCDばかりが大量入荷する大学図書館では、ジャンルをこえた音楽的刺激は、自分で求めない限りないかもしれません。

ただ、音楽消費国としてアメリカを捉えるならば、例えば大学院の演奏専攻生に、質の高いのが多いので、自分の作品を発表したいとき、身近にいい存在がいるということはあるかもしれません。最もそれも、クラシックに限ったことなのでしょうけれど。

もちろん、アメリカ音楽や、良質のウインド・アンサンブルを求めるのならば、大学を選んで堪能できる可能性はあると思います。

http://mailer.fsu.edu/~ataniguc/index-j.html


「作曲を学ぶなら海外留学」 投稿者:のの  投稿日: 9月 7日(木)00時20分31秒
というのは、元を正せば黛・矢代・篠原・三善・一柳・石井・甲斐の世代の感覚だと思います。
NAPPさんの師匠筋でもあるその後の世代はむしろ、「いまさら不必要」だったわけですよね。
もちろん、「具体的な師匠や研究所を固く決めている人」は、その後も出かけたわけですが。
作曲に使えるコンピュータを探して、世界を転々とした悠治さんあたりが最初かな?さらにその後の世代は、細川さんを中心に「やっぱり海外留学は必要」論が再燃したわけです。

で、私見では、「視野を広げる」のが目的なら、フライブルクスクール生やIRCAM研究生として2つ目の門下生になるよりも、別なジャンルの音楽を研究する方が得るものは多いような気がするんです。幸い日本のアンダーグラウンドは世界一(少なくとも和を取れば)なので、海外に出る必要もないし。

菱沼さんと望月さんを、そういう形で比べちゃいけませんよ。経歴以前に、オーケストラ曲を書いてきた場数が違いますから。

徒然なるままに 投稿者:NAPP  投稿日: 9月 6日(水)02時58分51秒
>ののさん
 私の書き方がまずかったですね (^^ゞ そうですね。ののさんの挙げられた先生方はみんなそう。「これから先」ではないですね。
 日本の音大を卒業するだけではなく、やはり一度は海外に出て視野を広げ、そこからをスタートとするべきだ、というのが私の考えでした(なにをいまさら、かも)。 「日本の音大」は経過点にすぎず、作曲家としてのスタート地点はもっと先にあるような気がするのです。結果、「逸材」を生んだのは音大ではなく、その後によるものではないかと(素地を創ったのは音大もしくはその受験期かもしれない)。
 比べてはいけないとは思うけど、どうしても菱沼先生と望月先生のこと(芥川賞)が頭から抜けなくて。
 中には三善先生のように渡仏する前から脚光を浴びた方もいますけれど。

>#むしろ、「何の」中心なのかが一番の問題

 あっ!(^^ゞ


 メルツバウの件、心しておきます m(_ _)m
 もう一回秋田昌美「ノイズ・ウォー」を借りて読み返さなくては。


 今日は三善晃のオーケストラ四部作の演奏会に出かけてきました。芥川作曲賞よりお客さんが少なかったのが驚き?
 帰りがけに西村朗先生と久し振りに会えました。オケの進み具合を聞かれなかったのは救いだけど、同時にコワイ(笑)。9月11日の後期初レッスンに間に合わせることはもうあきらめた私。いいの。最悪9月18日までに上がれば。もう、投げやり (;_;)


 何名かの方に「編成に関するアンケート」の回答を頂いておりますが、なかなかその集計ができないでいます。ご回答下さった方々、なかなか結果に反映されておりませんが、いましばらくお待ち下さい。
 今回は某有名団体がコンクールの出場人数制限(メンバーの総数が制限を越えている)のために選んだバランス、というのが2件混ざっていて面白かったです。
 どうもありがとうございました。 m(_ _)m

「日本の音楽大学」 投稿者:のの  投稿日: 9月 4日(月)22時49分00秒
という話だと、果たして「これから先」なのかどうか。松平頼則、柴田南雄に始まり、湯浅、武満、そして三善さんだって、「日本の音楽大学」出身ではない。むしろ、今後こそ音大出身者が中心になるのかもしれません(端緒が八村、近藤:優等生ではないけど卒業はしている)。

#むしろ、「何の」中心なのかが一番の問題です (^ ^;;)

P.S. Merzboxはマニア向けだと思います。メルツバウを聴き始める時は、まず代表盤を
   バラで買った方がいいでしょう。そろそろ出るはずのExMusica2号をご参照下さい。

楽譜とお金のおはなし 投稿者:NAPP  投稿日: 9月 4日(月)17時12分04秒
>ののさん
 メルツボックスも欲しいし、他のものもいっぱい欲しいし聴きたいです(ノイズ系に限らず、ね)。はやく私を自由にしてほしい(縛ってるのは自分自身だけど)。
 これから先がどうなるか分からないけど、日本の音楽大学から作曲の逸材はもうほとんどでることがないだろう、と思う今日このごろです。
 #桐朋学園、どうなっちゃうんだろ。

>JUNさん、TAIさん
 それそれ!他にもメール情報でも教えてもらいましたが m(_ _)m
 CDは全部で30枚を超えるそうですね。でも作品集として成立してるのは半分くらい、さらにニューサウンズ系を除くと4〜5枚ほどらしいですね。でもパート2があるのは知りませんでした。でももう手に入らないんですね。
 音源はともかくとして、貴重なのはスコア。吹奏楽のCDって、なぜかテンポを落として録音してるのが少なくない(きっと細部を認識しやすくして練習のとき便を図るためだろう)ので、スコア参照じゃないと曲の意図がよくわからなくなっているものがたくさんあると思うのですよ。それだけにあの選曲でのスコア集はまさに垂涎もの。海外のものはまだスコア単体で買える物もあるけど、邦人作品とかも欲しい。「飛鳥」はスコア売りされてるので持ってるけど。 未だに中学生のとき見たネリベル「二つの交響的断章」の1ページめの衝撃は忘れがたい(笑)。
 貧乏学生に吹奏楽の楽譜(スコア、パート譜セット)を買うのはちと(かなり)きつい。どうにかならんものか。北爪道夫「風の国」はどうしても欲しかったから買ったけど、パート譜を持て余してます。(物理的に)大きい曲は場所とるしね。田中賢「メトセラ」の楽譜は欲しかったけどそんな理由で買わずにおいたら、えっ、絶版になったの?こんなんでは絶対に新しいノンバンド作曲家は育たんぞ。

 注:違法コピーはだめよん(笑)

 ちなみに私が買った楽譜のなかで一番高価だったのはなにかなぁ。「トゥーランガリラ」は図書館で借りて見て、思ったより面白くなかったから買ってません。 多分、やっぱりMessiaenで「みどりごイエスへ注ぐ20の眼差し」かな。これは高かった。割高感があったのは「我死者の復活を待ち望む」だけど、Cageの「4’33”」に比べるとまし(笑)。Bartokの弦楽四重奏全曲もバラで買ったから高くついたなぁ。 いわゆるクラシックの曲は主に(BachとBeethoven以外は)Dover版で買うからあんまし高くつかないし。あと音大生割引ってのはいいですよん。このときばかりは音大生でよかった、と思います。
 RespighiはRicordi合本版で買うとすごく安いと思いません?

 しかし、音楽ってのは金がかかるもんですな(^^ゞ

指導全集 投稿者:TAI  投稿日: 9月 3日(日)22時38分29秒
>NAPPさん お久しぶりです。
>JUNさん ご結婚なさるのですね。おめでとうございます。

EMIのやつであってますよ。私も清水の舞台から飛び降りるつもりで、自腹で買いました。(当時、ウチのバンドに生徒会から支給される年間予算は10万円を切っていた ToT)
あんな高価なものを部費とかで買える団体ってどれくらいあるものなのでしょうかね。
あれを買う金があって、演奏する楽譜は違法コピーを使ってたらシャレにならない^^;

その後パート2が出たけれど、見たい楽譜がオプション扱い(別料金)になっていたので見送り。
多分、どちらも今では入手困難になっているのではないかな〜。

(追記)買うときに思いきりが必要だったスコアたち
 『春の祭典』(はじめて5000円を越した)→『中国の不思議な役人』(はじめて10000円を越した) →『ウェストサイドストーリー全曲』(25000円)→『トゥーランガリラ交響曲』(32000円)
 こういうのが国内版で安く手に入る時代がくるのだろうな(レスピーギ!ラヴェル!・・・・)

たぶん 投稿者:Jun  投稿日: 9月 3日(日)18時58分59秒
その手の全集ものなら東芝EMIから出ている『実践吹奏楽指導全集』ではないでしょうか?これなら私は持ってます。
ただ、NAPPさんが書かれた曲が録音されていたかどうかは、資料が手元にないのですぐには分かりません。来週実家に帰ったときに確認してみたいと思います。
ちなみに自腹で購入しました(^^;)。

http://page.freett.com/junmwn/index.html


それにしても 投稿者:のの  投稿日: 9月 2日(土)23時08分10秒
メルツボックスが出て、MB後期の傑作が復刻された年にペルセポリスも復刻されたわけですね。
21世紀はここ20年よりは明るいような気がします(音楽以外は知りませんが)。

息抜き 投稿者:NAPP  投稿日: 9月 2日(土)17時32分52秒
 NAPP@ちょっと息抜き、です。

>いしづかさん
 ペルセポリス、ホントに楽しみですね!!もう既に入手なさった方もいるようですが。 うぅっ、早く聴きたい。

>JUNさん
 改めまして、ご結婚おめでとうございます。(*^o^*)
 私はオペラは演奏会形式ですらあんまり好まない人間なので、吹奏楽で、ましてやカットや抜粋、順番入れ替えなどされるのは、聴くに耐えないのですが。だから今年は全国大会は聴きに行きません。きっと気分が悪くなる。
 余談ですが、私がもしバンドを率いていたら課題曲は1にしていたと思います。


 さて、ある方の質問メールに応えていて思い出したのですが。
 中学生のころ「吹奏楽指導者全集」(だっけ?)なる指導書、CD(10枚を超えていたと思う)、楽譜(スコアは縮小版だった)というセットになったものを部室で見た覚えがあります。今思い返せば、C.T.スミス「フェスティヴァル・ヴァリエーションズ」やネリベル「二つの交響的断章」、シュミット「ディオニソスの祭」に兼田敏「交響的音頭」などなどと、これらの演奏が今現在発売されているどのCDよりも素晴らしかった(もしくは同じ?)ような気がします。他にもチューニング法とかポップス、合奏練習風景などのCDもあったと思います。
 この全集って、どこから発売されていたもので、現在も入手可能なものなのか。ちょっと興味があります。というか、指導法はいいから曲のCDとスコアが欲しい。手に入るのなら買いたいな。
 今も所有しているバンドって、どのくらいあるんでしょうね?

御礼 投稿者:Jun  投稿日: 9月 2日(土)05時28分23秒
NAPP様、先日はウチの掲示板に書き込んでいただきありがとうございました(^^)。
何やかやで吹奏楽活動はしばらく自粛モードに入らざるを得ませんが、すぐに復活するでしょう(笑)。

例の「福島県の某高校」、結局自由曲はフーサだったようですね。
ちょっと残念でした。最近はオペラのアレンジなどが新しい流れとして定着しつつありますが、邦人作品でも何か新しい作品を聴いてみたい気がします。
現代物といえば、Saxの平野公崇さんのCD『ミレニアム』もバリバリの現代作品が並んで、しかも面白い!との評判です。ご本人とお話しする機会があったんですが、インプロビゼーションも積極的に取り上げるなど、「今の音楽」が体の中に脈々と流れていらっしゃっるのがよく分かりました。岩手ではなかなか置いてないんですが(^^;)、
そのうちぜひ購入しようと思っています。

余談ですが、今年の吹奏楽コンクール全国大会では、池辺先生の課題曲を取り上げた団体が圧倒的に多いようです。他の作品とは明らかにレベルの違う内容でした。

http://page.freett.com/junmwn/index.html


Persepolis! 投稿者:いしづか  投稿日: 9月 1日(金)21時20分53秒
 とうとう、この20世紀音楽史における最高の財産のうちの一つがCD化されますか。メルツバウの秋田昌美をノイズ音楽に向かわせた、音楽史上最強のテープ音楽が、椎名林檎すらがノイズマシンを操る20世紀最後の年に凱旋してくるわけだ。これを喜ばずして何を喜ぶというのでしょう?まあ、クラシック系メディアの多くは、相も変わらず吉松や三枝のコピーみたいな見当外れの評価を連発するんだろうけど、スクラッチ系のDJが「シュトックハウゼンはヒップホップだ。彼の手法こそがヒップホップなんだよ」と熱く語り、中古LP屋が現代音楽系のテープ音楽のLPに1万円を超える値段をつける昨今、発表当時に比べれば、この音楽を正当に評価する素地も確実に膨れ上がっているわけですね。そう、クラシック音楽界以外の市場にね。私的には、カーステレオで『ペルセポリス』をフル・ボリュームで鳴らしながら夜の首都高を周回する、という永年の夢が実現するので非常に愉快です。

#あまりに素晴らしいニュースだったので、芥川作曲賞の話をするのはまた今度に。

##メールの返事もいつでも良いです。

re:芥川作曲賞(簡潔ですが) 投稿者:NAPP  投稿日: 9月 1日(金)02時53分56秒
 すみません。たてこんでましてレス遅れました m(_ _)m

>いしづかさん
 審査に関しては「もっとよくスコア(とプログラムノート)を読もうよ」という一言につきたと思います。伊東作品のピアノに関する例の発言をされた先生(べつに伏せなくてもいいんだけど)本人も「G.P.を聴いていない(前もってスコアを読みこんでいない)」とおっしゃっていましたけど、武満賞のときの記憶によればスコアには「シンセ」ではなくてはっきりと「ピアノ」と書いてあったはず。演奏風景で楽器を判断すればたしかに「シンセを使うのなら」という考えに至るかもしれないけれど、あれは本来ピアノだったんだから、ねぇ。 山口作品にも同様のことが言えるでしょうね。「演奏される場」という問題を改めて感じた審査でした。

 池辺先生の「よくばり」という言葉について。私もレッスンのときに「君の曲はいっぺんに色々と言おうとして欲張っている」とよく言われますが、そう言われた次の作品で「始まって2分ほどの間に音が3種類しかでない」という曲(もちろん音色面とかで色々やってますので念のため)を持っていったら「若いんだからもっと色々書け。今は欲張ってるくらいでちょうどいい」と言われて「どっちやねん」と思ったことがあります。他の生徒のレッスンとかを見ていたら、どうも「よくばり」は先生にとってある意味で誉め言葉らしいですね。つまり「あれだけのネタがあればもっと何曲も書けるのに、1曲にするなんてすごい(もったいない?)なぁ」ということでしょうか。と言っても、何のフォローにもなりませんが。

 今回は討論の進め方にもちょっと時間的な問題があったようにも感じましたが。
 今回の討論で思ったのは「聴いたことが無いような(既視感の無い)音楽とはなにか」ということと「日本人らしい音楽とはなにか」ということ。突き詰めて行けば、この両者は矛盾すると思うのですが、どうなんでしょうか。

 時間がないので散文的になってしまいましたが、ごかんべんを。

 私信:メールへのお返事、あと2週間ほどお待ち願えますか? >いしづかさん


 ドナトーニの訃報がありました。かなりの数の演奏会でそのフルート作品に触れたことがありまして、私にとってわりと身近な作曲家であった(冬の劇場で特集されたこともあった)だけに残念です。合掌。

 クセナキスの「ペルセポリス」のCDが店頭に並ばないものかなぁ。欲しい。