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トランスクリプション 投稿者:渡部謙一(わたなべ けんいち)  投稿日: 2月12日(月)22時58分03秒
今年の「渡部プロデュース作品」として、昨年ヤマハ吹奏楽団のために田村文生氏が編曲した、バッハの「プレリュードとフーガ‘聖アン'変ホ長調 BWV552」(あのシェーンベルクが四管に編曲したヤツです。ん?、ベルクだったっけ?)のプレリュードを、再編曲した作品が完成いたしました。今はちょっと言えませんが、最低でも全国で二つの高校のバンドが演奏します。近々バンドパワーからレンタルする予定です。ご興味のある方は楽譜をお譲りすることも出来ます。四月までにはフィナーレでデータ化が終ります。

それともうひとつ、昨年ドビュッシーの弦楽四重奏を編曲した「海の微風、春の再来」を演奏した富山の中学校のために今年も渡部・田村のコンビで新作が進行中です。さあ、それはなんでしょう?あたった方には・・・なにか賞品を差し上げます。ヒントは、「ロマン派の超有名ピアノ曲」です。皆さんぜひ当ててください。

有難うございました。 投稿者:M  投稿日: 2月12日(月)20時56分49秒
皆さまオーボエ作品に関する多数の情報有難うございました。

>Junさま
>渡部謙一さま
知人が埼玉県警察音楽隊に所属しておりますので、その作品の事は伺っておりました。しかしながら貴重な情報を有難うございました。

まだ何の曲を共演するかは未定ですが、詳細が決まりましたらまた御報告させていただきたいと思います。

有難うございました。

res2 投稿者:NAPP  投稿日: 2月12日(月)17時40分17秒
>S.O.さん
 音楽の友の別冊で出ていた「日本の音楽家」(1968)には各作曲家がこれからの抱負と余暇について一言ずつコメントしていて、作曲家の日常が垣間見えて楽しいのですよね。田中利光の相撲好きはその中でも強烈に印象に残っていた(ちょっとでも時間があくと相撲の稽古にはげみ、国体の選手にまでなったらしい)ので、なぜか書いてしまいました(笑)。他にも「余暇なし」と答える冷めたお人や、「レコードを聴くこと」という根っから音楽好きな人、若いのに「盆栽いじり」と答える人など様々でした。中でも意外だったのが故・甲斐説宗の余暇が「登山」であったことでした。 矢代の乗馬写真は同誌に載っていました。その次の写真が「芥川也寸志の名ドライバー」というヘンなコメントがしてある写真だったのも印象が強かったです(笑)。

 平尾貴四男については調べ直してみますね。他にも各作曲家個人についての書籍が出ている人物に関してはそちらを当たってみようかと思っています。でも、只今入試のために学内に入れないので、それが明けてからになるのですが。あと、早坂文雄も追加しようと思っています。

 そういえば佼成の邦人作品集はリリースされませんね。残念だなぁ。個人的に一番出して欲しいのは近藤譲「岩と鳥」ですね。伊佐治直先生に聞いた話なのですが、この作品はかつて作曲フォーラムにおいて譲先生が自作として紹介したことがあるそうです。作曲フォーラムで取り上げるくらいなのですから相当完成度は高いのは間違いないでしょう。吹奏楽受けはしないかもしれませんが、他の作曲家や現代音楽関係者に絶大な影響力と信頼を持つ作家ですから、「譲先生が吹奏楽を書いたことがある」という事実が広く知られるだけで吹奏楽に対するクラシック音楽界の偏見はかなり払拭されることと確信しています。いや、これは大袈裟な表現ではないのですよ。ホントに。


>谷口さん、渡部先生
 なるほど。どうもありがとうございました。アメリカの大学の制度を、日本の音大・一般大と同じようなものだと考えてはいけないのですね。日本もアメリカもそれぞれが独自の問題点を抱えているようですね。私は一応(?)日本の音大の所属しているわけですが、結局大学にいて思ったのは「自分で学ぶしかない」のだということです。周囲が「芸術路線」だとしても「アカデミズム」であるにしろ、結局一番ためになった情報というのは大学から得たものではなかった(大学にある資料は大変ためになったけど)。これを言っちゃうとお終いだけど、やっぱり受身の姿勢というのは何も生み出さず、受身であるかぎりは音大に行こうがどこに行こうが成長はないのでは、と思います。話がそれてしまったような気がしますが、卒業式を1ヶ月後に控えると、自分や周囲が大学でやってきたことが思い返されてきて、やるせない気持ちになってしまいます。


>稲村さん
 まぁ、そう言わないでもうちょっとお付き合い下さいませ。掲示板参加者が全員作曲関係者というわけではないですし。資料を充実させることは「聴く」手がかりを作る上でとても重要なことなのですから、ここでの資料見直しは欠かせないので。それに、過去の作曲家がどのような作品を書いていたかを知ることは、その作曲家の技法を知ることにつながり、結局は作曲技法の話につながるものです。同時代の作曲家がどのような技法でどのような曲を書いていたかを知らないで独自路線を打ち出すと、吉松某のようになってしまいますよ。私は作曲によりできた作品というものを「自分の情念により生み出された音群を、多彩な理論と豊富な知識で裏付けし、確定させたもの」または「理論で統率されて設計された音群を、情念により配置したもの」、即ち「情動と理知の交点にあるもの」だと思っていますので知識を増やすことを億劫がってはいけないなぁ、と。



 最近気になる曲。フェルドマンの吹奏楽(管楽アンサンブル)曲である「アトランティス」。まだCD探してないけど、興味あるなぁ。

res1 投稿者:NAPP  投稿日: 2月12日(月)17時38分52秒
>益野さん(こんな曲の編曲どうかなあ)
 オルガンからのトランスクリプションはとても興味がありますよ。益野さんが書かれている根拠のももっともだと思いますし、私が思っていることは他にもあります。これは他のサイトで私が書いたことなのですが、それをここに転載(ちょっと変えたところあるけど)しておきますね。
  〜〜以下転載補筆〜〜
 オルガンという楽器はそもそも、教会で賛美歌を歌う際にオーケストラの代わりとして開発された楽器です。そのため、ストップという装置によって様々な音色を同時に出せるようになっています。そして、それらストップの音は、それぞれ楽器の音を模しており、その名前も各楽器の名称がついています(例えばトランペット管というストップなどがあります)。ストップは曲の途中で自由に組みかえることができ、その組み合わせも無数にありますので、演奏者の解釈によって同じ曲でも違う音色となるのですね。 つまり、オルガニストは常に一人でオーケストラの響きを創り出している、言うならばオルガンの三段譜をオーケストラ(もどき)に編曲しながら演奏しているということになります(なお、近代の作曲家はストップの指示までも厳格に行っている場合もあります)。オルガン奏者の方と話をしたら、演奏の前に一番始めに行うことは、このレジストレーション(どの楽句にどの音色を割りつけるか)である、とのことでした。
 オルガン曲を管弦楽や吹奏楽に編曲する、というのは実のところ「模倣を現実に戻す」というニュアンスがあるのですね。もちろん、それだけではないのですが。
 トランスクリプションの考え方を進めるにあたっては、オルガン曲の楽譜と、多くの演奏家のレジストレーション(ストップの組み合わせ)を比較してみることも大きなヒントになるかもしれません。(転載終わり)

 蛇足ですが、意外と知られていませんがオルガンの楽譜というのは、記譜音にない音、もしくは違う音が実際には鳴らされることがよくあります。これはフィート律という独自の記譜法を取っているからでして、これを知らないで編曲すると、とんでもないことになります。編曲を考えている人、よく勉強してからにしてくださいね。
 「日本狂詩曲」は・・・・・難しいなぁ (;^_^A


>JUNさん
 これはなかなか興味深いお話ですね。渡部先生が詳細を書いてくださっていますが、実に面白そう。森田利明先生といえば、言わずと知れたヤマハ吹奏楽団の元指揮者で、多くの作曲家に吹奏楽作品を委嘱した人物。そして、北爪道夫率いるアンサンブル・ヴァン・ドリアンにCl奏者として参加して多くの曲の初演に携わり、武満徹のためにClの特殊奏法の解説を行った人でもあります。私にとって神様のような人なのですが、埼玉県警音楽隊の指揮者として就任されているのなら、人知れず数々の新しい作品が生まれているのかもしれませんね。

喧喧諤諤 投稿者:渡部謙一(わたなべ けんいち)  投稿日: 2月12日(月)00時27分11秒
ここ数ヶ月この掲示板を見ているだけ状態だった渡部です。ちょっと忙しさにかまけたり病気したりだったりで・・。と、同時になかなか入りこむには容易で無い、というか意見を書きこむにしても熟考しないと書けない内容が多かったので。ハイ。

エー。さて、谷口様がイーストマンの名前を出されていたので、やっと書きこめそうになったので、嬉しいです。

そうです。イーストマンはEastman School of Music という独立した名称を持っていますが、実際のところはUniversity of Rochester の音楽学部が、単純に「場所だけ」独立しただけと考えていただいて結構です。実際、イーストマンの学部生は、一般教養単位取得に、U of R に行きますし、学生証も、イーストマンの学生として入学しても「U of R」の学生証です。ただ、谷口様が言及していらっしゃる通り、イーストマンは厳然とした音楽学校なので、いわゆる「コンセルヴァトアール」システムの学校と考えてください。中には音楽の教科の単位を取る、U of R 学生もいますが、非常に稀です。また、地方都市ゆえに地元意識が強く、しばしば「イーストマンの学生だから」というだけで街の人から特別扱い(良い意味で、です)を受ける、といったことがままありました。

反面、谷口さんがおっしゃっておられるような、「音楽アカデミズム」を担っているという意識が強く、鼻持ちなら無い学生が多い点では、全米で1、2を争うダメ学校です。実際はそれほど高いレヴェルの音楽をやってはいませんし、(良い教授はたくさんいるんですけどね〜)、伝統的なウィンド・アンサンブルも、最近の演奏で皆様ご承知の通りのありさまです。

そういう点から言って、アメリカの音楽界もだいぶ疲弊してきて(元々がやはり西欧のフェイクでしたから)、谷口様がおっしゃる、「アカデミズムと芸術の距離が近い」せいで、何というか、様々な活動を様々なところでやっているだけで、大きなストリームとしての爆発力がなくなって来ていることも事実だと思います。

イーストマンの前に居たメリーランド州立大学では、それがもっとひどく、(というか一般的だったのですが)、教授は優秀でも、受けに来る学生は素人同然、というありさまでした。もちろんFlorida State U.とは比べ物になら無い弱小音楽学部でしたが。学校の看板とも言えるはずのウィンド・アンサンブルも、半数は音楽学部以外の学生で構成されていましたし・・。

多子化に日本と比べると一般大学内に音楽が浸透しているようには一見、見えましたが、問題はその質であって、その点から言って、その存在自体が罪に近い「まがい物が」多いのも事実です。日本の大学も独自の問題点を含有しているのですが、音楽が芸術であるという本質を見ると、日本のあり方のほうがまだ正しいと思います。一般社会と音楽自体の距離があるからこそ、魅力がますのだとも思いますので。やはり西欧での音楽のあり方、歴史には一日の長があるのだという事でしょうか。アメリカは西欧ではないので。

エー。この話題の前に邦人のオーボエ作品のことが出ていましたが、埼玉県警の演奏会の記事をバンジャに書いたのは私です。もしあの作品を演奏してみたいとおっしゃるのでしたら、私から森田氏に連絡を取ることが可能です。メールをください。作曲者はまだ20代なかばの女性で、ジュリアードの学生です。所々に実験的なサウンドがしていて興味深かった記憶があります。若さが前面に出ているという点でも・・。

2回目の登場です。 投稿者:稲村穣司  投稿日: 2月12日(月)00時05分09秒
NAPPさん,ご無沙汰しています。その節は書きっぱなしで失礼しました。ちょっと話題が資料にもとずき過ぎてしんどいよ。もうちょっと具体的に作曲の手口みたいな話で盛り上がらんかね。作曲ってそういうもんじゃないかね。どうも失礼。

「一般大学」の音楽 投稿者:谷口昭弘  投稿日: 2月11日(日)13時43分22秒
>日本だけではなく、世界的にみて音大の活動は吹奏楽に対して消極的だと思います。
>吹奏楽大国であるアメリカでさえ、ジュリアード音楽院が吹奏楽団でなにかやって
>いる、というのはあまり聞かないような気がします。
前にも書きましたが、私のいるフロリダ州立大学は、割と盛んですよ。いわゆる音楽院というのは、西洋音楽のメインストリームを忠実にやる専門学校なので、地域社会から求められるものが違うのではないかと思います。ただ、一般大学といいますが、音大でなくても、インディアナ、イエールを始め、なかなか高いレベルの学生がいますので、例えば日本の教育学部のイメージで考えると、全然違います。アカデミズムが作曲にはびこるという弊害(?)もありますが、アメリカはアカデミズムと芸術の距離が近いんです。また、小さな町の大学は、地域の文化に貢献しなければならないので、おのずと愛国主義的な機能や実用的な用途の多い吹奏楽は重宝されるのではないかと思います。反対にいうと、芸大・音大の他の、一般大学の音楽が芳ばしくない日本の状況は、アメリカからはちょっと考えにくいと言えるかもしれません。

そういえば、イーストマン音楽学校も、ロチェスター大学の中にあるんですよね。

http://mailer.fsu.edu/~ataniguc/index-j.html


作品リストを拝見しました。 投稿者:S.O.  投稿日: 2月10日(土)19時48分38秒
いやあ、柴田南雄や平吉毅州にもあんな作品があったなんて、知らなかった。田中利光氏が、相撲好きということにも触れてあったし(笑)。それはそうと、矢代秋雄は乗馬の名手だったそうです。石井歓とともに乗馬を楽しむ写真を見たことがありますが、国体の馬術選手にもなったらしい石井氏は、さすがに石井獏の息子だから運動神経は抜群だろうとは思うものの、割ところっと死んでしまった矢代は意外でした。

いくつか気が付いた点を、
平尾 貴四男の、諧謔曲「南風」と「スケルツォ」は同じだと思います。この楽譜はNHKに保管されているようで、とても興味を持っています。平尾には、「かけあし行進曲」という小編成の吹奏楽曲もあるようですが、タイトルから察するに、あまり面白そうではないような。

それはそうと、気がついたのですが、TKWOは「黛敏郎」以来、昨年は邦人作品集のCDを出していないですね。もう終わりなのでしょうか。「吹楽」も終わっちゃったみたいだし(;_;)。
 もし、また企画されているのなら、柴田南雄、入野義朗、松平頼暁、松村禎三なぞ、いかがですか。

確か昨年 投稿者:Jun  投稿日: 2月10日(土)12時02分29秒
埼玉県警音楽隊(森田利明隊長)が、日本人作曲家によるOb協奏曲(吹奏楽伴奏)の委嘱作品を初演したというニュースが、バンドジャーナル誌に掲載されていたのを読んだことがあります。何月号だったかは忘れてしまいましが(^^;)。
バックナンバーを探してみてはいかがでしょう?

http://page.freett.com/junmwn/index.html


とりあえず 投稿者:NAPP  投稿日: 2月 9日(金)22時51分06秒
Obと吹奏楽の作品、ホントないものですね。ざっと探したけど邦人では見当たりませんでした。
Ob奏者でもある福島弘和さんなんかいかにも書いてそうだけど、ないみたい。
http://club.pep.ne.jp/~kawakun

とりあえず定番すぎて面白みはないですけれど、リムスキー=コルサコフ「Obとミリタリー・バンドのためのグリンカの主題による変奏曲」なんかが思いつきますが。
もうちょっと探してみます。

あっぷあっぷ 投稿者:NAPP  投稿日: 2月 9日(金)22時19分52秒
>S.O.さん
 日本だけではなく、世界的にみて音大の活動は吹奏楽に対して消極的だと思います。吹奏楽大国であるアメリカでさえ、ジュリアード音楽院が吹奏楽団でなにかやっている、というのはあまり聞かないような気がします。世界どこにいっても吹奏楽の発展を担っているのはアマチュア(一般大学バンドも含む)なのでしょうね。アメリカと日本の違いは、第一線で活躍する作曲家たちに働きかけたか否か、というところにあるのですね。別にコンクールが盛んなのは悪いことではないと思うのですが、そこで演奏される曲というのが例えばこのサイトのリストにあるような曲や、アメリカで作成されたバンドのための作品群、コンクールのために第一線で活躍する作曲家に委嘱した作品、などであったならだいぶ吹奏楽をとりまく状況は変わっていると思います。選曲に関していかに日本の吹奏楽指導者たちが無配慮であるか、は吹楽を考えてみるとよく分かると思います(吹楽は同時に吹奏楽指導者たちがいかに他の分野の音楽に無関心であるかも示している)。
 日本の音大バンドの活動は1970年代あたりはどの大学もなかなか面白いことをやっていたと思うのですが、最近は国立音大でさえあまり面白くなくなってしまって残念に思います。そんな中で最近の昭和音大の活動にはちょっと嬉しく思っているのですが。前にも書きましたが、音大の吹奏楽団は結局オーケストラからあぶれたメンバーを本番の場数を踏ませるためにあるようなものですので、音楽界全体において吹奏楽を取り巻く状況そのものが変わらない限りこれも変わらないのでは、と思っています。


 作品リスト、ついにアップしてしまいました。まだちょっと調べ足りない部分もあるのですが、それは後日補筆ということで。新しく追加した「管楽アンサンブル編」も勿論ですが、これまであった「現代編」と「古典編」の方もかなり手を加えていますので、一度読んだ方もぜひもう一度読んで頂くと新しい発見があるかと思います。
 須摩、三上の両名は結局外しました。最終兵器「音楽名鑑」も使って調べたのですが、この資料はほんとにピンからキリまで全部載っているので、これに登場した人物でも載せていない人はかなりあります。
 中村隆一氏は結局載せておきました。ところで、この人の「オルガンと吹奏楽のための音楽」はFontecからCDが出ているはずなんですが、売っているのを見たことがない。う〜ん、欲しい。

#Mさん以降の発言へのレスは後日ということに

レス >益野さん 投稿者:NAPP  投稿日: 2月 9日(金)22時18分09秒
>益野さん
 そうですね。オーケストラの演奏会で吹奏楽作品がもっと演奏されると面白いですね。パーシケッティ「ディヴェルティメント」をオーケストラメンバーで演奏したものをCDで初めて聴いたとき、全く別の曲のように(よい意味で)聞こえてびっくりしました。
 もっとも、日本でもオーケストラの演奏会において吹奏楽作品が演奏されることは皆無ではなく、ここ1年だけでもざっと思い返すとヴァレーズ「砂漠」、「アンテグラル」、アンドリーセン「デ・スティル」、ワイル「小さな三文音楽」、「Vn協奏曲」、トマジ「典礼ファンファーレ」(これは正式にはブラスアンサンブル)、三木稔「レクイエム」などなど。N響アワーでも管打セクションのみによるベートーヴェンのマーチが放送されていました。これらの作品が演奏されたときは聴衆は普通に吹奏楽であることは意識せずに「オーケストラ作品」として聴いていたように思います。それはとても素晴らしいことだったと思います。ただ悲しいことは、多くの吹奏楽の世界の人たちは「吹奏楽団」によって演奏されなかった時点で興味を持っていなかった(もしくは演奏されていることに気付きすらしなかった)と思えることです。どこかの吹奏楽サイトの掲示板でこれらの演奏会が話題になったことがあったでしょうか(ワイルはちょっとあったかも)?
 吹奏楽作品と言われている作品のなかにも「弦抜きオケ」と言ったほうが適切な作品がたくさんありますね。こういった作品は無理に吹奏楽団で演奏するよりもオーケストラに演奏してもらったほうがいいかもしれない。イーストマンWE関係の数々の曲、例えばシュワントナー作品の編成にしてもあれは弦抜きオケ向き(吹奏楽編成にはとことん向いてない曲だと思う)。他にもイサン・ユン「無窮動―祈り」(最近楽譜を手に入れた)や辻井英世「響像I」などのまさしく三管編成で書かれた曲なんかはもっと演奏されてほしいです。そこまでゲンダイしなくてもシューベルト「ドイツ・ミサ曲」やブルックナー「ミサ曲第二番」も弦抜きオケと合唱のための作品だし。
 難しいのはホヴァネス何にしても、他のオーケストラ作品と比べて「他のオーケストラ作品よりも優先して演奏するだけの価値があるか」ということでしょうね。
 「オケに呑み込まれる危険がある」というのは、ある意味ではそれが「吹奏楽が単なる音楽の一つの形態となった」ということで歓迎されるべきことなのかもしれませんね。だって弦楽合奏を聴いて「これはオーケストラではない」と言いはることは、とてもナンセンスなことだと思うのです。
 最後に、弦抜きオケではない「吹奏楽作品」を管弦楽団が演奏するのは難しいと思います。やはりSaxを最低でも4人、ユーフォニアムを1人エキストラで雇うのはリスクが高すぎると思うのです。例の「編成に関するアンケート」に寄せられた回答のなかにとても印象的だったものがあったので紹介しておきます。詳しい内容は都合により書けないのですが、それはオーケストラによりA.リードの吹奏楽作品を演奏しようとしたときのことについての内容で、「吹奏楽のスコアというのはObやFgの欠如は想定しているがSaxの欠如は想定していない。故にオーケストラで演奏するには(パート的に)無駄が多い。」というような大意でした(無論こんなに乱暴な理論展開ではなく、きちんと書いて頂いていました)。

オーボエソロと吹奏楽と為の作品 投稿者:S.O.  投稿日: 2月 9日(金)21時50分18秒
なかなか思い浮かばないのですが。ふと思いついたのが、ジェームス・バーンズの「秋の独り言」というので、これはなかなかロマンチックで魅力的です。楽譜は、Southernから。

魅力的な音色を持った楽器なので、もっと作品があってもいいと思うのですが、少ないですねえ。私は、RVWのオーボエ協奏曲なんて、とても素敵だと思うのですが、吹奏楽への編曲はないのかな(RVWのチューバ協奏曲はあるけど)。

有難うございます。 投稿者:M  投稿日: 2月 9日(金)17時39分02秒
>阿部達利さん
早速のお返事有難うございました。やはり邦人作品ではオーボエソロは無いのでしょうかね・・・。

実はとある吹奏楽団と共演するのですが、なかなか曲が見つからなく困っています、邦人作品以外でも、もし御存知の曲がありましたら御教授いただけないでしょうか・・・・。

度々のお願いで申し訳ございません。宜しくお願い致します。

とりあえず思いついたのですが 投稿者:阿部達利  投稿日: 2月 9日(金)10時18分45秒

Mさん:

邦人作品でちょっと考えたんですがオーボエソロは(いまのところ)思いつきませんでした。
イングリッシュホルンでは駄目ですか?
小山清茂さんが《イングリッシュホルンと吹奏楽のための音楽》という曲を書いています。

http://www.wizvax.net/abe/winds/


思いつき二題(その二)〜こんな曲の編曲どうかなあ  投稿者:益野大成  投稿日: 2月 9日(金)07時36分45秒
 正月NHKを見てたら、新春何やらという類のクラシック演奏会やってまして、そこでフランクの「前奏曲、コラールとフーガ」?をオルガンでやってました。
 私フランクは好きな方の作曲家ですが(やはり小ムツカシイ展開をしないせいだろうか(笑))、この曲は初めて聴きました。で、ふと思ったんですよ。「これ、吹奏楽に編曲してみたらどんなもんだろう」と。

 冒頭のメランコリックなメロディー、フルート低音とかアルトサックスあたりで吹かせたらいいんじゃないかと。

 ただし、吹奏楽でやっちゃうと、メロディーがハッキリする部分はいいけど、「和声塊の外縁としての、あるか無きか(和声に融解しつつの)メロディー」という奥深い(耳にうるさくない、聴き手の想像を許す)形の部分は崩れやすいかも知れない。ま、いいか、クラリネット合奏させて、山の部分だけフルートをちょっと重ねるとか、手はイロイロ…。とにかく楽しそうダナこの編曲作業、と思ったものでした。
 テレビの中の演奏はどうやら大幅にカットしたものらしく五分もしない内に終わっちゃって、オイオイもっと聴かせろよ、この曲が吹奏楽に向いているかモスコシ考えたいんだよ、という私の意向には全く沿わないものだった(笑)。ま、どなたかご一考を。フランク以外でもオルガン編曲っていいんじゃないかと思います。自身の経験から言うと、
 
 1.編曲の方がオルガンより細部が聴き取りやすい
 2.ソリストというのは合奏指揮者から見るとむやみにテンポを動かす人が多く、それ自体は悪いことではないにしても、ときに曲を損なうことなきにしもあらずなので、端正に演奏したかったら合奏にした方が、とも思う

 ということです。

 蛇足ながら、同じ編曲ということで。

 伊福部昭氏のピアノ曲「日本狂詩曲」の吹奏楽編曲、誰かにやって欲しいとは思うけれど、編曲者には、伊福部氏自身の施したアクの強いオーケストレーションをマルマル真似しないで欲しいように思う。あれはオケの世界であって、吹奏楽ではもっと繊細で剄強。ときに明るさや華やぎさえ感じられる仕上がりにして欲しいものだけれど…。
 私はこの曲のナマを箏の二重奏で聴いたんですけれども、ヨカッタですねえ。それこそちょっとしたタッチの違いで聴き手にいろいろな想像を許す良さが、ああいう単音色媒体による演奏にはあります(繊細さだけでなく、この演奏は私に頭に血が上るほどの興奮も与えました)。
 いずれにしろオケほどのマッシヴさが期待できない吹奏楽なのですから、オケ的なブチカマシの大絵巻ではなく(あれはあれでとてもいいんですけど)、ピアノの中に聞き取れる、「繊細さを伴った力強さ」を上手に吹奏楽に昇華させて欲しいと思うのです。まあ、誰が編曲するという計画もないのに勝手なこと書いて、アホみたいですけど…。

はじめまして。 投稿者:M  投稿日: 2月 9日(金)05時27分22秒
プロのオーボエ吹きです。はじめまして。

早速なんですが質問させて下さい。オーボエソロと吹奏楽と為の作品を探しています。できれば邦人作品で。どなたか御存知でしたら御教授頂けますか??

宜しくお願いします!!!

CBDNAについて 投稿者:S.O.  投稿日: 2月 8日(木)21時56分48秒
 この組織は、特に音大のバンドの集合体ではありません。ごく普通の大学のバンドのほうが圧倒的に多いです。
 CBDNAの設立の時、ミシガン大学のレヴェリ博士が、「吹奏楽を芸術音楽に」ということを掲げていたようですし、その前に、エドウィン・ゴールドマンが、同じようなことを意図して、ゴールドマンバンドを設立し、グレンジャーやレスピーギ、ルーセル、など、アメリカのカウエル、サワビなどのベテランに委嘱する一方、クレストン、W.シューマン、M.グールド、パーシケッティなどの当時の若手を発掘していったのです。さらに、(なぜか先駆者のように言われる)フェネルとEWEの登場となり、一方、大手出版社のペータースの後ろ盾をもとに、アメリカンウインドシンフォニーが大きな成果をあげたわけです。その後も、ボストンのニューイングランド音楽院のバティスティとかEWEのハンスバーガー、最近ではユージン・コーポロンをはじめとした、CBDNAのメンバーである大学バンドのリーダーたちが、率先して吹奏楽作品の開発に取り組んでいるわけです。
 もちろん、日本でも、かなり注目すべき活動をしている国立(クニタチ)音大のようなところもあるわけですが、よくよく考えてみると、日本の場合、音大のバンドと普通の大学バンドとの交流というのはほとんどないことに気がつきました。もちろん、音大を母体とした団体はコンクールには出場できないとかいうことだったので、交流もないし、ましてやその演奏なんて近所の人たち以外は、ほとんど聞くこともできいないのが実情ではないでしょうか。そもそも、音大のバンドで、問題意識をもって活動しているところって、そんなにないような気もするけど。
 要するに、志がどうかということだと思うのです。アメリカでは、多くの大学バンドのリーダーが、これじゃいかんと思って行動したのに対して、日本の吹連の指導者たちは、コンクールの盛況を見て、「これで、いいのだ。」と思い込んでいるような印象があるんですけど。そして、音大のバンドの指導者たちも・・・。

>須摩洋朔、三上次郎の両名
 あまり、オーケストラとか、合唱、室内楽とかでの活躍はきいたことがありませんよね。だから、バンド・コンポーサーだという印象が強いのですが。
大ヶ瀬、乾、田中邦彦という人もほとんど知らないのですが、キャリアとか、活躍の度合いを考慮して、それほど恥ずかしくないようでしたら、紹介しておくべきではないでしょうか。中村隆一氏については、個人的には優れた人だと思っています。「深層の祭」が登場するまでは、浦田健次郎の「オード」とともに、中村氏の「シンフォニア」が最も優れた邦人作品だと思っていました。もっとも、そのときは、黛敏郎の作品も知らなかったし、辻井英世の作品など、ほとんど(現在もなお)耳にしたことがなかったわけですが。

思いつき二題(その一)〜オケの演奏会で吹奏楽  投稿者:益野大成  投稿日: 2月 8日(木)07時39分41秒
 え〜、かねて抱いていたモヤモヤが、ふと形を持ちまして、それをこの場にちょっと書かせて下さい。

 標題にあるとおり、オーケストラのコンサートで吹奏楽(管楽合奏)が聴けないかということなんです。

 私にとっちゃ同じ音楽なんですよ。

 正直オケの奏者は(アマでもプロでも)吹奏楽の奏者より上手い場合が多い。上手い人が吹く吹奏楽が聴きたいんですワタシは。まあ、吹奏楽団を一生懸命やっている人(私もそうなんですけど、一応)からは裏切り行為に見えるかも知れないけど、聴きたいんですよトニカク。

 それは同時に、私を含めていろんな人が言っている「吹奏楽をクラシック音楽として位置づける」ことや「奏者・聴衆が持っている吹奏楽に対する偏見を取り除く」ことに、手っ取り早くつながるんじゃないかとも思うんです。「オケに呑み込まれる危険がある」なんて事はとっくに承知しています、でも繰り返しますが

 私にとっちゃ同じ音楽なんですよ。  そして

 上手い人が吹くい〜い吹奏楽が聴きたいんですよ。

 どこぞのオケが、一曲目:弦楽合奏 二曲目:管楽合奏 三曲目:フル合奏
てな形のコンサートを年一度くらい開いても、バチは当たらないと思うんですけどね。

 たとえば、ホヴァネスの四番。あの明るく厳かなコラール、うすあおい空の中にいるような広々としたフーガ。

 そしてそのあとには、ブラームスの一番みたいな脂っこい曲(笑)。これで、このコンサートの音楽的幅は広がりますねえ(笑)。ドイツ系こそクラシックの本流などと思っている今時化石になりかけの人も、主題の展開がない音楽はランクが下だなんて思っている頭でっかちなりかかりの人も、「ちょいと面白いなあ、音楽って」と思ってくれるかしら。

 でもホヴァネスのあとのブラ一じゃ異化効果が働いちゃって、ブラ一の世界に沈潜できないなんて苦情が来るかなあ。

 どこかやりませんか、アマでもプロでもいいんですけど。儚いクラシック系吹奏楽リスナーの夢か…。

色々悩む 投稿者:NAPP  投稿日: 2月 7日(水)22時12分22秒
>黛「輪廻(さむさーら)」
 谷口さん、S.O.さん、ありがとうございました。どうやら記述ミスだったみたいですね。文句無しに管弦楽作品みたいです。
 一応、日本交響楽振興財団から出ている「日本の管弦楽作品表1912〜1992」で確認しましたら、初演は小澤征爾・N響で、演奏時間はやはり25分だったのですが・・・・・

>谷口さん
>吹奏楽のアイデンティティー
 たしかに現在の吹奏楽のアイデンティティーはアレンジものを演奏することや部活動・市民活動にあるのでしょうね。たぶん、これはどんなに「芸術的な(アマチュアでは演奏不可能な)」吹奏楽のためのオリジナル作品が増えてもずっと変わることはない。 ということは、どんなに音楽的に優れた作品でもアマチュアに演奏できないものであればレパートリーとして定着しない、ということも意味していると思うんです。でも、だからと言って未知の可能性を開拓しないというのは実にもったいない話だと思うんですよね。吹奏楽のための作品が必ずしも「機能的」でなければならない理由はどこにもないのですから。

>S.O.さん
>CBDNA
 日本の大学って、新しい作品を開発していくことにとても消極的なんですよね。吹奏楽に限らず、オーケストラでも室内楽でも、音楽大学ですら既存の「クラシックの名曲」が演奏会の中心。いつも「なんで誰でもやれそうなのしかやらないんだろ」と不思議に思います。日本の音楽大学ってあくまでも「育成機関」であって「研究機関」ではないんでしょうかね?研究紀要のテーマにもいまいちそそられるものが少ないし。

>やまさん
 やっぱりピアノ科で、あんまり現代に強くない人には分からない、というより、興味をそそられるような話題ではないのかな?まぁ、自分の知っている世界が、音楽の世界のごく一部にすぎないことでも悟ってね。
 注:この方、私の大学の同級生です(笑)


 国立音大附属図書館から出版されている「新興作曲家連盟・戦前の作曲家たち 1930〜1940」という本を眺めてみました。残念ながら吹奏楽関係での情報は得られなかったのですが、なかなか興味深い内容でした。どのような会議がされていたのかとか、そのころ外国の現代音楽祭でどんな作品が演奏されていたのか、などが垣間見えてなかなか。 ところで国立音大の図書館のWebサイトは学部生か教職員でないと蔵書を検索できないのがちょっとケチだと思う。まぁ、ろくなWebサイトを持っていないうちの大学よりははるかにマシだけど(笑)。

 池袋の某CDショップで破格の値段でCDが売られていたのでついつい衝動買い。エリオット・カーターのオーケストラ作品集が600円とか(笑)。
 バレンボイムの弾くベートーヴェンピアノソナタ全集、ベートーヴェンのシンフォニー&Pf協奏曲全集、やっぱりベートーヴェンの弦楽四重奏全集(アルバン・ベルクSQ)、全部合わせて一万円ちょっと。ついつい買ってしまいました。こんなこともあるんですね〜♪

 今週中に新しい吹奏楽作品リストをアップしようと思っています。柴田南雄作品についても個人作品目録をあたることで詳細が分かりましたし、他にも様々なデータが得られたものも補筆しました。今回の目玉は「管楽アンサンブル編」でして、限りなく吹奏楽に近い室内楽作品(金管・木管混成による室内楽)をリストアップしました。これにより新たに数名の作曲家が加えられました。例えば松村禎三、入野義朗、篠原眞など。あと、現音サイトをもとに新規に加えられた作曲家も多数。
 今回処理に困っているのが、まずは須摩洋朔、三上次郎の両名。須摩は様々な文献に登場するのだけれども、軍楽隊、自衛隊での活動に終始していて日本の作曲界においての位置付けが難しい。三上は現音会員として登場するものの吹奏楽作品以外で他の文献に登場しているのを見たことがない。
 あと、大ヶ瀬邦夫、乾尭もどうしよう(「日本の管弦楽作品表1912〜1992」のみに登場)。田中邦彦は「日本の管弦楽作品表1912〜1992」にオケと吹奏楽作品がそれぞれ一曲ずつ紹介されているけど、作曲家についての情報が一切なし。多分、乾と田中は大阪のほうでは有名な人だと思うんだけど・・・・・ 中村隆一も吹奏楽作品以外は文献で発見できないんですよね。和声の著作ならあるんですけど。ここらへんは思いきって削ってしまったほうがいいんでしょうか?「音大作曲科の先生」と「作曲家」がイコールでないとすればここらへんをバッサリ切ることになるんですけど、いかがなものか?悩みます。

訃報 投稿者:NAPP  投稿日: 2月 5日(月)01時39分36秒
ギリシア生まれの作曲家、ヤニス・クセナキス氏が4日に逝去されたそうです。
一人の偉大な作曲家の死は実に悲しいものです。つつしんでご冥福をお祈り致します。

レスは後日にさせて下さい・・・・・ 合掌

訳わかんないッス。 投稿者:やま  投稿日: 2月 5日(月)00時09分09秒
うををを・・・
なんか難しい話をしとるじゃないか。
この掲示板にこんなことを書いてしまう私を許してください。
こういうのを落書きというのかな。
お邪魔しました。顰蹙ものかな・・・

http://www.interq.or.jp/producer/yamazaki/


CBDNAとSubito Music 投稿者:S.O.  投稿日: 2月 3日(土)20時57分22秒
バンドジャーナル誌では、中山先生のアメリカ便りは、いつも楽しみにしているのですが、そこで触れられているCBDNAについて以前から興味があったので、調べてみました。確かに、今年はジョージ・ウォーカー(ピューリッツアー賞作曲部門では黒人としては初めて受賞した人)の「キャンバス」が目玉のようですが、ジョアン・タワーやダン・ウェルチャの新作を含めた多くの初演が予定されているようで、とても興味があるなあ。詳細は、
http://www.music.unt.edu/CBDNA/menu.html
から。それにしても、くやしくなるくらい、この国の大学バンドって、新作委嘱するんだよね。その他の演奏曲目も、なかなか興味深いし、これまでのコンサートの記録
http://www.cbdna.org/
を見ても、どっかの国とは大違いと、ため息が出る。ここのサイトのComissionを見てみると、
Transitions - Henk Badings, 1973(これは傑作ですよ)
Consorts - Mario Davidowsky(電子音楽で有名な人), 1981
Duae Cantatae Breves - Sidney Hodkinson, 1994
Palace Rhapsody - Aulis Sallinen, 1997
なんてものもあり、「おお、サリネンもか?」と驚いてしまった。
ところで、そこで
Diferencias - Roberto Sierra, 1996
という作品を見て、昨年shattinger musicでもらったデモCDにこの曲が入っていたのですが、その出版社のSubito MusicのHPを探したところ、最近開設されたようです。
http://www.subitomusic.com
それを見ると・・・・、おや?、なんだか、参考になる興味深い出版社のようですぞ(笑)。

交響詩「輪廻(さむさーら)」/黛敏郎 投稿者:S.O.  投稿日: 2月 3日(土)18時32分41秒
これは、アメリカ、ケンタッキー州のルイヴィル管弦楽団という、委嘱作ばかり演奏・録音するという(それだけ、お金持ちに理解があったということなんですが)とても変な団体からの委嘱作であり、秋山氏の著作は、周囲の記述に引きずられて「ピッツバーグ管楽合奏団」ということになってしまったと思われます。ルイヴィル管は、すぐにこれをLPに録音していますが、それを聞くと、25分もかからない(その半分くらい)と思うんですが。ちなみに、このLPのカップリングは、ガンサー・シュラーの「劇的序曲」とロイ・ハリスの「JFKへのエピローグ」だった?。
 作品自体は、「響宴」とか「涅槃交響曲」と比べると、そんなに面白くなかったのですが(迫力も、深遠さも乏しい)、交響詩「立山」よりは良いかなというくらい。

吹奏楽のアイデンティティー 投稿者:谷口昭弘  投稿日: 2月 3日(土)15時23分37秒
いや、もしかすると、アレンジものを演奏するのが音楽的機能、部活動・市民活動といのが、吹奏楽の社会的機能として暗黙に了解されているのではないかと思うんです。ですから、作品というのも、それに見合ったものが出来てくるのではないかと。それは決して「程度が低い」とかいうものではなく、機能から必然的に決められてくるというか。

そこにオリジナル作品が、いかにして食い込んでいくかが難しいんじゃないでしょうか。演奏する側からは、無名の作曲家のものよりも、名の知られた作曲家の名曲をやりたいと思うだろうし。「名曲」の概念が、ジャンルを横断している媒体だけに、余計に難しいというか。

ある意味、吹奏楽作品の置かれている立場といのは、非常に厳しいと思うんです。何しろ、クラシックの名曲の編曲だって、数が結構多いでしょうから。吹奏楽曲とい枠内で選んでいくのだったら、もう少しスポットライトの当たる曲も出てくるでしょうけど、それは必ずしもそうはいかないでしょうし。

一方、軍楽隊のための行進曲などは、機能がもともと吹奏楽向きです。例えばスーザ作品をオケでやると、変な感じがしますね。

おそらく、オリジナル作品が演奏されるというのは、一つはシュワントナーみたいに、それなりのテクを持った団体のために書かれたものか、あるいは技術的に制約を持った団体のために、しかしながら、音楽的には深遠な作品か、ということなのでしょうか。もちろん深遠=良い作品とも限らないでしょうけれど。

黛敏郎《輪廻》 投稿者:谷口昭弘  投稿日: 2月 3日(土)14時59分46秒
実家に次のLPレコードがあります。ライナーがここで読めないのが残念。とりあえずこれは、管弦楽の演奏ですね。ちなみにカップリングはPhonologie Symphoniqueです。

Mayuzumi, Toshiro. Samsara. Hong Kong Philharmonic Orchestra. Yoshikazu Fukumura, conductor. Marco Polo 6.220297. 

http://mailer.fsu.edu/~ataniguc/index-j.html


いろいろ 投稿者:NAPP  投稿日: 2月 3日(土)02時13分57秒
>S.O.さん
 現在の日本の吹奏楽の不幸は、現状を変えられるだけの力を持った人達があまりにも自分達の力、なすべきことに気付かずに、支えてくれているアマチュアの人達「だけの」ために力を注いでしまっている点にあると思うのです。
 「吹奏楽」のことを考えてくれている人達はたくさんいると思うのですが、それらの人達の中に「クラシック界全体」のことを考えてくれている人はまだまだ少ないかと思います。 演奏会で取り上げられる作曲家の名前を眺めているとそのことがよく分かるような気がします。「ほとんど世間に浸透しなかった」のが何故か、誰がその責務を果たすべきなのか。 まだまだ先は長そうです。

>JUNさん
 中学や高校でやっていた「部活動としての吹奏楽」の内容は後々になってオーケストラを体験した際に、それと比べて恥じるような内容であった、というような事態が起こり得るというのはとても悲しいことですね。堂々と胸をはって「自分は吹奏楽出身だ」と言えるような音楽家でありたい。私はそう願っています。
 中学生のころに地元に演奏旅行にきたプロ吹奏楽団の「シェエラザード」にどうしても違和感を感じてしかたなかったのを思い出します。当時、原曲はまだ知らなかった私なのですが、どうしても気持ち悪かった。後にあれが「オーケストラの代替品」ともいうべき存在だったということを知り、妙に納得したものでした。

>谷口さん
 吹奏楽の「それ自体としてのアイデンティティーの確立」というのはなかなかに難しいものですね。本当に「吹奏楽らしい」作品と演奏というのは、正直私はまだじかに接したことがないように思えてしかたないのです。作品的にはどこまで行ってもオーケストラの呪縛を感じてしまうし、社会的にはどうも「部活動」だの「市民活動」という面が強すぎるように感じてしまうのですよ。

>にへさん
>バンドというと、どうしても「芸術的な」方に目がいってしまいがちですが、
>ジャズからの発展と言うことでの見方は、できないでしょうか。
 できると思いますよ(それ以前にジャズを「芸術的ではない」という見方がちと違うような気もするのですけど)。黛敏郎作品なんかはまさに吹奏楽をジャズバンドの延長線上にとらえたものでしょうし、水野修考先生なんかにはそういった作品がゴロゴロしてます。 ジャズの持つ「堅苦しくなさ」の延長だという話であれば、そもそも一般的に言う「クラシック」が「堅苦しくなった」のも最近の話で、モーツァルトの時代なんかにはあの作品群が「娯楽」でもあったのですから。同時代音楽の作品群が「特別なもの」という意識は世間に蔓延しているようですが、それは違うと思うのです。
 「平和のためのマーチなんてないんだ」というのも極端な話ですよね。それはマーチという一種のジャンルをある偏った一つの側面からしか見ないで断定しているわけですから。
 いずれにせよ、にへさんの『このあたりの「歴史」から現在の市民バンドへと考え』たものというのをもう少しお話し願えますか?ちょっとあれだけではお考えの内容がよく分からないもので・・・・・ なんだか私のレスは見当違いのことを書いているような気がします。


 ちょっと調べものをしていたら気になる記述を発見。故・秋山邦晴先生の著書をあたっていたら黛敏郎の交響詩「輪廻(さむさーら)」という作品が「ピッツバーグ管楽合奏団による委嘱の吹奏楽作品」としてあったんです。ピッツバーグ管楽合奏団というのはどうもアメリカンウインドシンフォニーのことのようなんですけど、この25分の大曲も吹奏楽作品なんでしょうか?むぅ。ちなみに楽譜はペータース。
 あと、柴田南雄に「Perfect Liberty 〜祝教祖32年祭式典の音楽」という吹奏楽とテープのための作品があるらしいですね。あと松永通温先生にも吹奏楽作品が確認できました。
 まだまだ未知の作品は色々ありそうだ・・・・・

思いだして 投稿者:にへ  投稿日: 2月 3日(土)00時28分41秒
 バンドというと、どうしても「芸術的な」方に目がいってしまいがちですが、ジャズからの発展と言うことでの見方は、できないでしょうか。
 黒人蔑視のあった、アメリカにおいて、音楽に対して特別な感覚を持っていることを感じた白人が、気慰みに与えた吹奏楽器からジャズが生まれた、という番組を以前放映していて(5〜6年前夜中の2時くらい)すごく考えさせられました。
 その番組には「その黒人たち」が(白人のためにですが)楽器を吹きながら行進している映像もあり、スーザのようなマーチしか知らない(あるいはショスタコの有名な4楽章のマーチ、当時「証言」が流行っていて・・・)私にとって、ショッキングでした。
 そのとき、ず〜っと前に立ち読みした有名音楽雑誌の投稿に「平和のためのマーチなんてないんだ」という一文があり、それがとても私には深く突き刺さっていたのが思い出され、ブラスって、マーチって、と随分悩んだことがあります。
 当時は、それを具現化する力がなかったので構想だけ温めていたのですが、「マーチについて私考」というのを細々と創ってみています。
 私の話になってしまいましたが、このあたりの「歴史」から現在の市民バンドへと考えていくと、少し違った見方はできませんかね?(もしかすると以前にしていましたか?)
 また、文中に、やまれず不適当な表現を使ったことをお詫びします。

雑感 投稿者:谷口昭弘  投稿日: 2月 2日(金)02時20分14秒
アメリカの市民バンドが、どちらかというと、各コミュニティーの愛国主義的な行事に使われたり、オーケストラの手の届かない小さな区域における「代替品」として使われた経緯があるのは確かでしょうし、そこで、オーケストラ作品の編曲が、しばしば演奏されたということはあるでしょう。スーザの時代まで、アメリカにおいても、吹奏楽や軍楽隊の地位は、それほど高くはなかったように思います。

私は、やはり、吹奏楽が、それ自体としてのアイデンティティーを確立する必要があるのではないかな、と思います。結局「本物」に触れてしまうと、編曲物を中心とした吹奏楽を「偽物」とみなしてしまうことになってしまいますから。ジャンル横断的で、普段コンサートに行かない人が、たとえば同級生がいるということで、演奏会に足を運ぶ。これはこれで、一つの社会的機能はあると思うんですけどね。各種施設への慰問演奏会も行われておりますし。

戦前の作品については、もっと見直しや研究が進んでもいいと思いますが、それが戦中のように、政治の道具として利用されるのを恐れる人たちも、依然多いのではないかと考えています。

http://mailer.fsu.edu/~ataniguc/index-j.html


ちょっと同感 投稿者:Jun  投稿日: 2月 1日(木)20時02分08秒
>でも、逆にこのころの経験がアダとなって吹奏楽に芸術表現をさせるのをためらわせているのかもしれない、とも思えるのです。
レベルこそ違うでしょうが、私も大学オケで吹いていた頃は、吹奏楽出身であるにもかかわらず吹奏楽を蔑視してました(^^;)。大学オケの中には、明らかに「吹奏楽を差別する空気」があったような気がします(私もそれに染まってしまったのでした)。

しかし、またまた立場を変えて吹奏楽を指導する立場にたってみると、吹奏楽経験者にとっての音楽人生は、紛れもなく吹奏楽から始まっていることに、気付くわけです。だからこそ、いい加減なことはできないと強く自覚しました。
実際私の教え子で、Saxで高校時代アンサンブルコンテストの東北大会に出場する事ができた生徒が、その後東京の音楽大学に進み、一昨年何と陸上自衛隊中央音楽隊に入ったと聞いて、彼の音楽人生に私も少しは役に立てたかと、うれしく思ったものです。
吹奏楽に携わっている人たちがもっと広く音楽に触れ、逆に一般の音楽ファンが吹奏楽にもっと親しむ機会が増えれば、日本の吹奏楽を取り巻く状況も変わっていくのではないかという気がしています。

http://page.freett.com/junmwn/index.html


益野さんの意見について 投稿者:S.O.  投稿日: 2月 1日(木)19時57分54秒
> ところが、どうもアメリカあたりと違って目立った「成果」がないような気がしていたのですね、実は。
 いや、日本は、アメリカほどではないけれど、成果があった国だと確信しています。それは、イギリスよりも、ドイツ、フランスよりもです。たしかに、武満、一柳、松村、といったところにこれといった作品がないのは事実ですが、意外なほど沢山の作曲家が多少なりとも作品を残しているのは、NAPPさんのリストを見ても、あきらかなのです。
 問題は、それらがほとんど世間に浸透しなかったことに原因があります。それは、戦前の作品については、敗戦にともなって抹殺されてしまったこと(もし、戦争に勝っていたら、それらの多くは名曲として残っていたのではないかと思うのです)、戦後については、フランスのギャルドという団体が変な価値観を植え付けたからだと思うのですが、その価値観を引き継いだコンクールが吹奏楽全体の価値観を歪めてしまったこと、そして繰り返しになりますが出版社の低調さ(、そして現在では、煽動する人が価値観を歪めていたこと)に原因があると思われます。
 SPCというのは、価格破壊という消費者心理に訴える方法で持って、価値観をひっくりかえしてしまおうという試みであるのですが、私の懸念は、それでもなお長年引き継いだ価値観を変えようとしない指導者が多いのではないかということだったのです(若い世代は、わりと容易に受け入れると思うのですが)。
 しかしながら、湯浅氏が、「新潟」を「これはいい曲だよ」と言った裏には、「もっと、多くの人に演奏してもらいたい、聴いてもらいたい。」という気持ちがあったはずだし、また中村滋延氏が課題曲に応募していたというのも、もっと自分の作品を演奏してもらいたいという気持ちがあったのではないかと思うのです。一方、消費者の「湯浅さんの作品なら、ぜひやってみたい」とか、「喜んで定価の倍は払いますけどね。」という気持ちの人もいるわけで、その両者の期待を繋げられれば、上手くいかないはずはないと思うんですけどね。少なくとも、過去の時代とは異なって、情報伝達の高速化とそれにともなう宣伝効果を存分に活用できるわけで、それによってかなりの費用を削減できると思うのです。その努力を期待したいですね。

(無題) 投稿者:NAPP  投稿日: 2月 1日(木)18時27分49秒
>益野さん
>“芸術”と“商売”を結ぶ部分が、日本では弱いと思うのです。
>具体的には「出版」「プロデュース」というような部分。

 そうですね。私は日本の吹奏楽、それも一般バンドやプロの活動というものが中学校や高校の部活動の延長線上から抜けきれていないような気がするのです。そこから飛び出させるようなプロデュースの機関が存在しないのですね。日本のクラシックの演奏会をプロデュースしてくれている東京コンサーツやジャパンアーツのような会社(企業)が吹奏楽の演奏会を主催したことはほとんどない。いつまでも吹奏楽連盟が主催していてはいかんと思うのですよ。 でも、正直これの打開策というのは私には思いつかないのですよ。そういったことの専門知識はほとんど無いもので。国立音大にはアートマネージメント科というものがあるのだけど・・・・・
 「出版」ではなく「プロデュース」の方に飛びついてしまいました (;^_^

>蝸牛の旋さん
 ギャルドのCD、聴いてみたのですが、録音は思ったより全然気になりませんでしたよ。
 最近、好みではないものも資料と割りきって買うことができるようになってきました(笑)。
 「セラムリク」は私は一回も聴いたことないのですが、どこぞで録音してくれないものでしょうかね?

>S.O.さん
 どうもありがとうございました。岡田昌大先生のも確認しました。
 他にも未発表の作品というのはいっぱいあるのでしょうね。でもそれを発掘するのが必ずしもいいことなのかは難しい問題なのでしょうね。(自戒)
 BPのエッセイ、「隠れた名曲」としてあるけど、あのマーチ群が果たして「弦楽のためのトリプティーク」や「オルガンとオーケストラのための響」などに比べて「名曲」なのかは疑問だなぁ。「有作曲家の」というのが「名曲」とは限らないんですよね。イントロダクションの回にケチつけるのは気がひけますけど。
 閑古鳥先生に限らず、吹奏楽を出自とする音楽関係者は少なくないはずなんですよね。Fl.木ノ脇道元、Cl.菊地秀夫、Trp.曾我部清典などの諸先生はもちろんのこと、川島素晴から池辺晋一郎までの幅広い世代の作曲家先生たちも吹奏楽出身。戸山陸軍学校は言うに及ばず。湯浅譲二先生もトランペットを吹いていたらしいですし(本人談)。 でも、逆にこのころの経験がアダとなって吹奏楽に芸術表現をさせるのをためらわせているのかもしれない、とも思えるのです。

(無題) 投稿者:S.O.  投稿日: 2月 1日(木)09時24分24秒
 「バンドジャーナル別冊 ’84」には、岡田昌大氏には、「バラード」「飛翔」「ファンタジー」というのがありますね。それに、現音のHPにあったのを加えて4作ということなのですが、先の3作がほとんど1973年前後に集中していることからも、もっとほかにもあるような気がします。

 中村滋延氏の作品については、私が中高校生だったころ、地元の姫路市吹奏楽団が、私の地区の祭り「灘まつり」を題材にした組曲を演奏したことがあります。ちなみに、この祭りは、規模こそ小さい(中学校の学区の2/3ほどの地区)いわゆる「村祭り」なのですが、知るひとぞ知る「けんか祭り」でありまして、兵庫県内では、もっとも有名な祭りとなっています。その様子は、毎年地元のテレビで約1時間番組として放送されるのですが、その冒頭の音楽にこの演奏が使われていたことがありました(これは以前にも書いたことがあったと思います)。もうどんな曲だったか記憶していないのですが、作者の名前だけは覚えていて、後に、現代音楽関係の書物や朝の連ドラの音楽などで中村氏の名前を見かけて、興味を持っていたのです。
 ほかには、コンクールの課題曲に応募されていたことがありました(確か、「吹奏楽のための序曲」というタイトルだったような)。中村氏の作品は落選だったんですが、その年入賞されたのが、以前にちょっとだけここに書き込みされたことがある程塚先生だったはずです。
 こんな調子なので、中村氏は他にもたくさんありそうな気がするのですけど。 件のエッセイを読んでみると、芥川氏にも、いくつか未公開の吹奏楽作品があるようですし、案外隠れている作品って多いのではないでしょうか。


 話は変わりまして、尊敬する閑古鳥先生のエッセイを読んでましたら、先生も「ブラバン」でクラリネットを吹いていたことがあるということで、意外でした。なあんだ、閑古鳥先生は、「ブラバン」の悲惨な実情を熟知しているんじゃないですか。
 その「ブラバン」で1年下でTpを吹いていたのが指揮者の大友直人氏というのも、とっても意外でした。

 益野さんへのコメントは、いずれまた。