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遊びに来てね 投稿者:メグリン  投稿日: 4月30日(月)17時24分07秒
『エキサイトサークル』というコミュニティサイトで、「吹奏楽クラブ♪」というサークルを作ってみました。
よかったら遊びに来ていただけませんか?

http://circle.excite.co.jp/club.asp?cid=g0500038

吹奏楽が大好きな人がいっぱい集まって、吹奏楽のこと意外のこともいろいろおしゃべりできるサークルだよ♪吹奏楽 Friendいっぱい作ろう♪


遅くなりましたが 投稿者:NAPP  投稿日: 4月29日(日)19時21分42秒
 レスが遅れてごめんなさい。諸々の事情で時間がとれなくて。

 「音楽」という単語ですが、「語源」と「当時の意味」と「現在の意味」の三者においての隔たりが話を難しくしているのかな、と思います。
 今現在「音楽」という単語を用いるとき、そこには様々な国や地域、階級の全ての「music」(これも英語圏などの伝統を背景にした単語ではあるけれど日本語ではないという意味で使います)を含んでいるのではないでしょうか。それに対して単語として成立した当初の「音楽」という日本語は、日本(と中国)の文化だけしか指していなかったのではないでしょうか。例えばアフリカなどで意思伝達のために開発された「トーキングドラム」を起点として発展したmusicも、現在の日本語では「音楽」と呼ぶでしょう。
 言葉は時代の流れとともにその意味を少しづつ変化させていくものです。「音楽」という単語は明治期に起こったmusicとの遭遇により、大きくこれまで持っていた意味を一気に拡大させられたのですよね。そのとき以来これまで日本で様々なmusicを区別していた多くの単語を「音楽」という一つの単語に統合してしまうような流れになったのではないでしょうか(私の推測の域を出ませんが)。現在と過去では「音楽」という単語は必ずしも同一のものではないと思っています。だからこそ過去における「音楽」の意味というのものにも考えを巡らせなければいけないのかもしれません。しかし、やっぱり昔のことは推測に頼らざるをえないのですよね。日本においては音楽は口承によって伝えられたりして元々の姿がどんなものであったかを断じることは不可能ですし、そもそも「保存」することが不可能なものですから、これといった「決めつけ」はできないですね。

 音楽界に限らず、一握りの人間が作り出した価値観によって多くの人が物事の良し悪しを判断する、というのは世の中においてよく見られることですよね(それがいいか悪いかは別として)。この作られた「世の中の判断基準」にちょっとした疑問を持つことができるかどうか。全ての人間にそれを望むべくもないのですが、疑問を持つことが出来た人間がそれを多くの人に伝えることができるかが重要なのではないかと思います。
 管弦楽界もさることながら、特に「作られた判断基準」に対して甘んじているのが吹奏楽界なのかな、と思うことはあります。実のところ色んなサイトを眺めていると「疑問を持っている」吹奏楽人というのは意外と多いのではないか、と思っています。しかし、それを「抑えつけている存在」というのが結構やっかいなものなのかなぁ(明言は避けますが)。疑問を表に出すきっかけと場があれば、吹奏楽界は結構あっけなく変わることはできるのではないか、と思っています(谷口さんが書かれたように「作曲技法」への規制が前衛作曲家によって大きく緩和されたみたいに)が、これは楽観的、希望的観測に過ぎないのでしょうか・・・・・
 あ、こういう話題、音楽と関係してる限りは「あり」ですので。


 ゴールデンウィークになりましたが、私にはそんなものはなさそうです(苦笑)。休み明けからゼミが本格的に始まるのですが、私が所属しているゼミ全てでなぜか私が研究発表の一番手なんですよね。一つのゼミで大体一時間しゃべらないといけないので下調べ・レジュメ作りが大変です。しかしなんで全部で一番手なのかなぁ。これって「いぢめ」か(笑)? あと、今書いている曲が今年の吹奏楽コンクールで自由曲として演奏してもらえる、ということなのでそろそろ完成させないとマズイ。う〜ん。連休中は地獄です。
 ホームページに書きたいこともいろいろあるんですけどね。この間湯浅先生に再びお話を伺うことができたこととか。 でも、今はちょっと勘弁してください。

禁忌の成立過程 投稿者:LZFELT  投稿日: 4月28日(土)00時07分06秒
 谷口さん、こんばんわ。
 タブーについて、個々の具体例よりも成立パターンを見ると面白いと思います。

1、まず自分の思うことを全面に出す。(これは普通のこと)
2,自分の視野に異なる意見が出てきたとき、直視しない。(ある程度は仕方がない)
3,その意見に対して周囲に、あれは不必要なものである、(この世界では)不道徳な
  ものである、と見ないようにさせる。(ここいらからおかしくなる)
4,周囲を巻き込んで(思考を誘導するか圧力をかけるか)攻撃するか、
  無視して存在しないことにする。

 一度そうなってしまうと資料が作られなくなったり無くなったりして、歴史の中に葬られてしまうことになります。

 私が問題だと思うのは、意図的に禁忌を作り上げる者達よりも、その連中が作った「かもしれない」現実にたいして何一つ違和感を感じず、それどころか世の中がそうだからと多数を頼んで、違うことを言う者を攻撃する、あるいは無視する連中って、とてもじゃないけど創造的な人達とは言えないと思うのですよ。
 しかし、日本のほとんどの管弦楽界や吹奏楽界で考えられている事って、そういった無意識過剰なんじゃないかなあ、と思いまして・・・・。

 NAPPさん、こういう話題って、ありですか?

http://www.geocities.co.jp/MusicHall/6903/


言葉としての「音楽」の由来 投稿者:LZFELT  投稿日: 4月27日(金)23時33分22秒
 NAPPさん、こんばんわ。
 私たちの研究会の中に、古代中国に興味を持っている者がいて、語源を調べてくれたとき、NAPPさんも引用された「漢字語原辞典」の原書(といっても復刻本でしょうが)を持ってきました。
 意地悪な者が、「中国って言ったって、広いだろ。他の地域の言葉の語源は?」と質問してましたが。

 以下は、私たちの考えた説です。
 当然の事ながら、「音楽」という言葉は中国から来たものです。正確な年代は解りませんが、まあ聖徳太子が生まれる以前でしょう。
 ではそれ以前には何もなかったのか?
 日本の伝統邦楽の方々の調べたところ、「うた」とか「まい」とか、くっつけて「うたまい」というものがそれに当たると思う、とありました。
 そこから私たちは、「うた」と読ませる漢字はどれほどあるかを考えまして、「歌」「唄」「詩」と三つ出てくる。一つの大和言葉に対して、たった一つの漢字にのみ対応している訳ではない、シニフィエとシニフィアンと抑揚が含まれているものだったんだろうな、と考えました。
さらに「まい」もくっつく場合があるということは、うたうときに動作が加わることも自然な流れだったんだろうな、と。
(ちなみに「たのしい」という読みがつく漢字に、楽と愉がありますよね。
さらに現代の日中辞典で「楽しい」を調べると、楽という字も出てきますが、どちらかというと快の字の方が多いような気がします。ここいら辺は見当もつかないので、お手上げ状態です)
 そして、大陸から文化がやってきた。当時の航海は遣隋使、遣唐使の航海技術より劣っていたのか、あるいは勝っていたのかはわかりませんが、どちらにしても輸入品であることには違いありません。当時の大多数の人達には手が出せないほど高コストだったのではないか、つまり輸入品としての「音楽」は貴族や大金持ち、すなわち支配者層の独占物だったのではないかと推察しました。
 当時の中国の儒教・礼楽思想のこともあり、統治者かくあるべしという、儀礼・威厳・教養・最高級などなどのようなステータスとしての称号として用いられ、わざわざ輸入しなくても自足できる当地伝来の「うた」とか、伝来のものでも情感に訴えかけてくるようなものを「音曲」と総称し、区別したのではないか、と。
 ですから平安貴族がたしなみとして「詩歌管弦」を学ぶのも、しかるべき場所でのみ「音楽」であり、くだけた場所では「音曲」と扱っていたのではないかと思うのです。

 そして時代は一気に下がって、江戸末期。
 東洋文明よりも進んだ西洋文明がやってくると、称号としての「音楽」は「西洋音楽」として言われるようになる。しかし皇室と明治政府は近代軍隊を急いで作らなければならないため独占せず、民間に大いに奨励した。そのため相対的に伝統(東洋)音楽は「音曲」の位置まで貶められ、歌舞伎や三味線、浪曲などなどと同じように苦渋をなめさせられる時代が始まる。
 昭和50年代くらいまでかな、音楽といえば西洋音楽を指すという風潮が続いたのですね。

 指揮者の岩城宏之氏の昔のエッセイで、古代の文献に音楽という言葉があるそうだ、天の岩屋戸のころから音を楽しんでいたんだ、という主旨の文章がありました。
 現代人の感覚で昔の事実を推察するのならともかく、決めつけるってのはどうかと思ったのが、私が調べはじめたきっかけです。

http://www.geocities.co.jp/MusicHall/6903/


記憶だけで書かせていただきます 投稿者:谷口昭弘  投稿日: 4月25日(水)17時22分26秒
音楽という言葉、たいへんやっかいな存在です。私も昔、音楽美学などという講議で、海老沢先生のご説明をお伺いしたことがありましたが、忘れてしまいました。でも、確か岩波講座『日本の音楽・アジアの音楽』中の論文に、音楽の字体から述べたものがあったと記憶しています。確かそれをもとにしてお話だったと思います。

しかし、音楽という言葉がさす事柄は時代や民族によって多種多様に捉えられているので、それを定義するのは難しいです。起原にしても、例えば求愛の歌であったとか、神と交信するための特殊な言葉であったとか、労働のつらさを和らげるためだとか、小泉文夫さんが『民族音楽』(ラジオたんぱ)という本で述べられていたと思います。もっとも最近は、こういった仮説・類推だけではなく、考古学的な調査に基づいて考えるべきなのではないかとも言われているようです。より科学的な考察といったことになるのでしょうか。柴田南雄さんは、この分野を熱心に研究らしていたと思いますし、笠原潔さんも放送大学でこのあたりをやっていらしたのではなかったでしょうか。ただ、考古学の難しさは、モノ(例えば石笛や銅鐸といった楽器なり、埴輪なり)が発掘されたはいいが、それがどのように使われていたか、あるいは何を表現していたかについては、やはり推測の域を出ていないのではないでしょうか。文献と照らし合わせてその推測を行うんでしょうけれど。

歴史書の類いは、それぞれの時代、音楽を専門的に捉える人が、その人なりの見方で音楽を定義しているということになると思います。それは一つの見方を提示してくれますが、それが唯一絶対でないところもありますね。その人が音楽とみなしていないところに、現在の我々からすると、音楽のように思えるものもあるのではないかと思います。ですから、実際の音楽を発掘する面白さがあるんではないでしょうか。

西洋音楽の定義に関しては、『ニューグローヴ』第2版に、ブルーノ・ネトルという民族音楽学者が記述していると思います。西洋の過去と現在、その他の国の定義について概観してあったと思います。

現代の定義に多くの人が注目するのは、やはり現代というのが自分の生きている時代だからでしょう。もちろん過去に音楽がどのように捉えられていたかというのは大切なんですが、では最終的に自分はどうなのか、特に作曲に携わる場合、自分が歴史の道を作るという要素もあると思うので、おのずから定義と体面することになるように思います。

音楽にタブーがないという時、おそらく作曲家の方は語法を考えているのかもしれません。ご存じのように、いわゆる前衛の時代、あらゆる音楽語法が試され、新しいこと・未開拓なことをすることが、一種の規範でさえあったと思います。

しかし一方で、音楽は人間社会に生きるものですから、その活動は社会によって規定・制限されることも確かです。LZFELTさんのお挙げになっていた、大沼哲の例もこれに当てはまるのではないかと思います。特に言論活動が政府によって強くコントロールされていた時代の話ですから、現在から見れば、かなり窮屈でなかったかと推測できます。前衛の時代は社会的に新しいことをすることが期待され、今はそれに反動する動きがでている。前衛たちが音楽の概念を広げてくれたおかげで、作曲家の扱える音楽語法というのはかなり広まったと思えますが、一方で、社会的な反動の動きが、新しいことを実際に発表する機会を狭めることも考えられる。作曲家というのは、つねにそういったところで自分と葛藤しているのではないかと思います。

res:2 投稿者:NAPP  投稿日: 4月24日(火)18時09分27秒
>LZFELTさん
 多分、はじめまして、ですね (^-^)
 「音楽の語源」ということですのでちょいと書いてみますと、
 確認されている中で日本で始めに現在の「音楽」に相当するそれらしい語がでてくるのは「古事記」の天岩屋戸の条なのですが、そこでは「楽」という単語が使われているそうです。この「楽」というのは中国の漢語から由来した語で、漢語では
 「声」 物に感じて動くもの
 「音」 「声」が変化して形式をもったもの
 「楽」 「音」をかさねて楽しみ舞具に及ぶもの
 と定義しているそうです。
 「楽」という文字の生成過程については羅振玉(1866〜1940)の説によると「楽器」に由来する文字であり、語義としては「楽器」「音楽(礼楽)」「演奏する」「楽しみ」「楽しい」「治める」「たやすい」などとなっているそうです。もっともこの説は現在では諸家によって覆されていて、藤堂明保の「漢字語原辞典」によると「楽」の字は「クヌギの樹と実」に由来するのであり音楽に当てるのは音(オン)による仮借字である、となっています。

 また、江戸時代に小川守中が著した「歌舞品目」の中の5巻に「奏楽汎称」という項目があり、そこには70近くも現在の「音楽」に当てはまりそうな単語が紹介されているそうです。その中の一つに「音楽」という単語も出ているのですが、そこには「管籥(かんやく)、鐘鼓ノミニシテ、諸絃類ヲ交ヘザルノ通称ナリ」と説明されているそうです。これって、まさに吹奏楽のことを指していて面白いですね。

 さてさて、以上に挙げたのは明治以前、いわゆる「西洋音楽」に遭遇する前に考えられていたことで、「music」の訳語として「音楽」を当てたのはそれ以後、ということになります。事実、日本では西洋音楽導入までは「音楽」という語はそれほど一般的ではなかった。強いていうなら「アソビ」というのが現在の感覚でいう「音楽」だったのかもしれません。日本(および中国)の伝統的な思考に由来する単語を、それとはちょいと異なる西洋の「music」の訳語として当ててしまったのにそもそもは無理があったのかもしれません(明治期にはmusicを「洋楽」、日本のそれまでのものを「雅楽」としていて「音楽」という語は避けられていた)。いま現在使われている「音楽」という単語は、むしろ明治期に新しく創られた単語といった方が近いのではないか、とすら思えます。そして私がコラム中で批判している「音楽って音を楽しむことでしょ」と言っている人間の扱っている音楽的内容は「music」の方なんですよね(西洋と東洋の融合、とかそこらへんのレヴェルになってくるとまた色々と考えなければなりませんが)。


 ん〜、なんか大事なことを書き忘れているような・・・・・ 断片的な昔のメモを元に書いているのでちょいと間違ってる部分もあるかも・・・・・


 情けない話、私の周囲(というか私も含めて)である「音楽大学」というところに所属している人間は概して無知なものでして、「意識しようにもタブーの存在にすら気付いていない」というのが実状ではないでしょうか。これまでにどのような禁忌があったか、ということを知り、考えを巡らせるのはとても大切なことです。それを知るために色々と学ばないといけないと思っています。これまで禁忌の領域であった部分にメスを入れ、明らかにしていくことがこの先、今の音楽界の研究者に求められているのかもしれません。そのことがゆくゆくはより多くの人達に事実を知ってもらうことになるのではないでしょうか。知らないでいることは幸せな場合もあるかもしれないけど、知らないことが決して「いいこと」ではないのですよね。暗い部分へ目を向ける勇気が私やその周囲には欠けているのかもしれませんね・・・・・

res:1 投稿者:NAPP  投稿日: 4月24日(火)18時08分00秒
>渡部先生
 楽譜に関する情報、ありがとうございました!また色々手配してみたいと思います。
 演奏課の所蔵楽譜をあたってみたのですが、やはりディオニソスの楽譜は所蔵されていないようでした。いわゆる「仏式編成」を探るのにどうしての必要なものですので、お願いさせていただくことになるかもしれません(楽譜を抜きにしてもお会いしたいものですね)。

 リンカンシャーは「演奏する」のだったらやはりフェネル校訂版かもしれませんが、「研究する」のに相応しい版というのはどれになるのでしょうか?ちなみにニ台ピアノ版なら持っているのですが・・・・・

 ベルリオーズは学校の図書館に所蔵されているものを使用したいと思っています。Barenreiter「Hector Berlioz New Edition of the Complete Works」のvol.19が「葬送と勝利の大交響曲」なんです。これには演奏データや版による違い、スコア1ページめのファクシミリ譜なども載っていて資料としては申し分なし、です。余談ですが、この曲はテナートロンボーンのソロ部分でも有名ですが、このベーレン版にはこのソロが「ピストンアルトトロンボーン in F」「ピストンホルン in G」「バスクラリネット」になった版の譜例も出ていまして、それぞれが微妙に異なっている点も興味深いところです。なんだか、この曲だけでも大論文が書けてしまえそうです。 ちなみに、Belwin Millsからミニチュアスコアも出ていまして、こちらも図書館に所蔵されていました。ただ、タイトルが「Funeral and Triumphal Symphony」になっていますが。

 リムスキー=コルサコフは演奏課に所蔵されていたのですが、渡部先生の書かれている通り、改編されたものでした。原典版を探さないといけません。そういえば先日BSでロシア軍所属の合唱団の番組をやっていたのですが、その伴奏をしていたのがバラライカやアコーディオンを含む吹奏楽団だったのがとても興味深かったです。

 演奏課所蔵吹奏楽楽譜のリストは急いでいたので10分ほどしか閲覧していないのですが、意外にもガンサー・シュラーの作品が3曲ほど所蔵されていたりして驚きました。今度じっくり時間をかけて発掘してみたいな。

「音楽」の語源 投稿者:LZFELT  投稿日: 4月24日(火)10時38分16秒
 NAPPさん、はじめまして、かな?(^^;)違ったらすいません。(_ _)
「音楽大学に在籍して思う」を読みまして、その中の「音楽」という言葉の意味に関してなんですが、結局はご存じなのでしょうか?ご存じでしたら、この失礼な書き込み、すいません。
 私の場合は、一番はじめに日本の伝統音楽の本で知りました。
日本の西洋音楽関係者で書いた人はいないか、出来るだけ本を読んでみましたら、武満徹氏の本と、海老沢敏氏の本の二冊が見つかりました。
 西洋音楽関係者で二人書いている人がいるというのは、音大生が語源を知らないのは、仕方がないのか不勉強なのか、どちらか微妙なところでしょうね。(^^;)
 言葉には「語源」と「由来」と「現在」の、最低三つの歴史的要素がありますが、普通の人は「現在」しか見ないんですよねぃ・・。

 NAPPさんの周囲では、日本の音楽界の中にある無知と禁忌・タブーって、普段意識されてますでしょうか?
 作曲家の大沼哲氏の伝記を読みまして、娘さんの宮内孝子さんが書かれたのですが、文中に「大沼が日本の洋楽史で滅多に取り上げられないのは(同時代の山田耕筰や近衛秀麿について書かれた文章量に比べれば、無視されているのに等しいのは)、当時ドイツ音楽を礼賛していた日本陸軍の上層部にフランス音楽に惹かれた大沼が睨まれ、他人に迷惑をかけることを嫌った大沼が交際を絶ち、周囲もやむを得ず大沼の話題を口にしなくなったからだ」という主旨の記述がありました。
 現代の日本音楽界で、無知はしかたがありません、私だって知らないことが山ほどある。
けれどもその無知を温床に、タブーをはびこらせる一部の連中がいる。
なのに私たちは知らないがために、「日本の音楽界にタブーなんてないよね」というお気楽さを振りまいているってのは、なんかヘンな気がするのですけど、気のせいでしょうか?

http://www.geocities.co.jp/MusicHall/6903/


更新しまっせ 投稿者:ちんぴら指揮者  投稿日: 4月24日(火)01時40分41秒
>渡部先生
↓↓の企画の件ですが、進展があるようですね。HP上の記事更新しますから記事送って
くれませんか?(そう!原稿の催促です。(^0^)/ )

http://www2.odn.ne.jp/~cau62570/index.htm


お探しの楽譜について 投稿者:渡部謙一(わたなべ けんいち)  投稿日: 4月23日(月)14時47分17秒
確かに、ディオニソスの楽譜は入手困難(というか絶版のはず)で、ピアノ連弾譜しか手に入らないと思います。

私のボロボロのヤツでよければお貸ししましょうか?

ヒンデミットは、ショットのミニチュアスコアがありますよ。私は持っています。

リンカンシャーは、確かにフェネル校訂版がいいのですが、原典版の「無理やりピアノ譜版」を一度見ておく必要があります。そちらからのほうが、グレインジャー自信のイマジネーションを濃く感じられるからです。もし入手できないようでしたらおっしゃってください。何とかします。

ベルリオーズは購入は不可能だと思います。が、25年以上前に国立音大のブラオケがLPを出していましたから、閲覧だけなら国立の図書館で出来るはずです。

リムスキーも、手に入りそうで入らないものの一つです。現存しているのは、いわゆるアメリカン・バンド用に改訂・改編されているものなので、それでよければ普通にネットで買えるでしょう。ですが、本当に研究するなら原典版が必要でしょうから、そうなると話は別です。本来、われわれから見るとけっこう特殊な編成になっているはずなので、もし見ることが出きれば、かなり興味深いものになると思います。私はソロもバンドも演奏しましたが、全て改編版でした。

アイディアとして、ロシア物のレンタル譜を扱っているエージェントに聞いてみるという手があります。例えば全音とか・・・。

閑話休題
今年も私の企画から新しい作品がいくつか生まれました。
私自信の編曲も含め、3〜4曲ありますので、またお知らせします。
よろしくお願いいたします。

感謝二題 投稿者:NAPP  投稿日: 4月21日(土)01時31分29秒
>阿部さん
 助かりました!情報、ありがとうございます。早速注文してみたいと思います。

>屯田兵さん
 はじめまして。サイトのほう、早速拝見させていただきました。よくあれだけの数が集まったものですね。敬服いたします。
 ベートーヴェンのマーチについてのお話もありがとうございました。私のあの「古典編」のリストはかなり調査が不完全な状態で「とりあえず掲載」ですので情報不足の箇所や作品漏れが多数あることと思っています。その他にお気づきの点がありましたらご指摘頂けると嬉しいです。


 大学院でのテーマは「吹奏楽」ではあまりにも漠然としていて論ずるには無理があるので、「吹奏楽の諸形態とオーケストレーション」ということにしています。ですから、欲しい楽譜はあのように「特徴ある編成のバンドのために書かれた代表的なもの」という点から選んだ(つもり)なのですね。また、各国の軍楽隊の編成というのも現在の「吹奏楽団」の編成に与えた影響ははかりしれないものであり、絶対に無視できない存在なのですね。ご投稿いただいたお二人には本当に感謝しております。

HPの紹介をさせてください。 投稿者:屯田兵  投稿日: 4月20日(金)15時15分55秒
はじめまして。北海道在住の屯田兵と申します。この度ヨーロッパ各国のミリタリーバンドのリンク集を開設しました。ご興味のある方はアクセスお願い申し上げます。
貴殿の「吹奏楽には古典が無いのか」のページは興味深かったです。文中で言及されていたベートーベン作曲「ヨーク連隊行進曲」は、ロシアとの同盟成立に功績のあったプロイセンのヨルク元帥の名前を冠したもので、和訳ではヨルク軍団行進曲が正しい名称のようです。(元々の名前は、ボヘミア防衛隊のための行進曲というそうです)

http://www.ba.wakwak.com/~hk2001/


吹奏楽曲のフルスコア 投稿者:阿部達利  投稿日: 4月19日(木)20時46分45秒
こんばんは。NAPPさんのリストの中で以下のものは、ここ数年の間に購入しました。
問題なくフルスコアだけで買えましたよ。

・グレンジャー「リンカーンシャーの花束」
・ミヨー「フランス組曲」
・シェーンベルク「主題と変奏」

グレインジャーとシェーンベルクは jwpepper から、フランス組曲だけは(なぜか)ヤマハから購入しました。
フルスコアだけを海外から買うと本体以上の送料がかかるので、なるべくまとめ買いするのが賢いかもしれません(笑)。

グレインジャーは Ludwig から出ているフェネル校訂のものがいちばんいいのでしょうか? >> 識者の方

あと、シュミットの「ディオニソスの祭」はピアノ連弾版なら購入できます。

http://www.wizvax.net/abe/winds/


思ったよりも・・・・・ 投稿者:NAPP  投稿日: 4月18日(水)01時59分08秒
>S.O.さん
 いつもながら、貴重なご投稿、ありがとうございます m(_ _)m
 ホヴァネスには、日本で手に入りやすいCDに収録されている作品以外にも吹奏楽(管楽アンサンブル)作品がまだまだたくさんあると思うのですが、これらがもっと簡単に聴けるようになる日はくるのでしょうか?私は生で聴いたことがあるのは「鯨」だけなのですが、吹奏楽作品も生で聴くとCDとはだいぶ違った印象になるのでしょうね。
 ホヴァネスのオーケストレーションは金属系打楽器や弦のハーモニクスなど、いわゆる「キラキラした音」が特徴的だと思うのですが、ホヴァネスがもっとも影響を受けた作曲家というのは誰であろうか、と考えてしまいます。最も、というわけではないでしょうけれど、黛にも影響を受けていたとしたら面白い話ですね。
 ホヴァネスの交響曲全集、なんてのがそのうち発売されたりしてね。NAXOSあたり、やりそうな気が。

>益野さん
 このような演奏会ですと、概略だけでも貴重な資料になりますからね。概略といわず、ドンドン宣伝してくださいな。私、こっそり聴きに行ってこっそり帰ります(笑)個人的には当初予定されていたヴィラ=ロボスも聴いてみたかったのですが、これは次回以降のお楽しみということにしておきましょう。
 あ、益野さんの書かれた同人吹奏楽団さんのサイトのURLにミスがありましたので、正しいのはこちらです。
http://sapporo.cool.ne.jp/dojin/


 大学院が始まりましたが、どうも予想していたよりも忙しそうです (^_^);;
う〜ん、果たして自分の曲を書く時間はあるのだろうか、ってほどです。要領が掴めれば楽になるとは思うのですが・・・・・
 はてさて、資料を集めようとして困っちゃいます。前にも書いた通り管楽合奏をテーマしにているのですけど、学校の図書館にはあまりこういったものは置いてないんですね。仕方がないのでそういう場合は購入希望を出すか自分で買うのですけど、パート譜とセットだったり(これだと購入希望が通らない)レンタルだったり、と貧乏学生が研究するにはどうにも入手しづらいんですね。困ったもんです。早めに取り寄せないと分析が始められないし。とりあえず
早急に手に入れたいのが

・ホルスト「第1組曲、第2組曲」 ☆
・ヴォーン=ウィリアムス「イギリス民謡組曲」 ☆
・グレンジャー「リンカーンシャーの花束」
・ペンデレツキ「ピッツバーグ序曲」 ☆
・黛敏郎「打楽器と管楽器のための協奏曲」 ☆
・シュミット「デュオニュソスの祭」
・ミヨー「フランス組曲」
・シェーンベルク「主題と変奏」
・ヒンデミット「交響曲変ロ調」 ☆
・R.コルサコフ「Tbとミリタリーバンドのための協奏曲」
・ベルリオーズ「葬送と勝利の大交響曲」 ☆

 なんでこんな選曲になったかは色々あるんですけど、とりあえずこんだけは必要なんですね。で、☆印のものは発注済み、もしくは図書館に所蔵されていたものなんです。問題になるのはそれ以外。 シェーンベルクとグレンジャーはSchirmerから出版されているものの、これがスコアのみなのかは不明(グレンジャーは色んなとこから出版されてるし)。R.コルサコフとミヨーも共にMCA社出版なんだけどこれもスコアのみなのか不明。シュミットはデュランなんだけれどもCD解説によるとレンタルなんだとか。あ、でも演奏課に所蔵されてるのかなぁ?でも手元に置いておきたいしなぁ。邦人作品にいたっては重要なものは音源すら手に入らないし。調べにくいったりゃありゃしない。金もいくらあっても足りないし。ふぅ。

同人吹奏楽団コンサート 投稿者:益野大成  投稿日: 4月15日(日)09時25分39秒
 益野です。ここの掲示板は演奏会宣伝用ではないとの趣旨を読んだような気もしたので、演奏会の概略のみアップさせて下さい。もしも不適切であればお許し下さい。

 札幌同人吹奏楽団フェリスタズ 2001年演奏会 〜民族系吹奏楽の夕べ〜
  と き:2001年5月19日(土)  開場18時30分 開演19時(予定)
  ところ:ちえりあホール
      (札幌市。地下鉄宮の沢駅と地下直結。お車の方は隣接西友の有料駐車場をご
       利用になれます)
  入場料:無料
  曲 目:第1部〜民族系吹奏楽の響き
       ザンダンガ・セレナーデ         チャベス
       グレインジャーの2つのメロディー    グレインジャー/kreines
       聖歌とフーギングチューン(自筆譜による)カウエル
       吉志舞                 伊福部昭

      第2部〜有名作曲家の吹奏楽
       葬送曲                 ヴァグナー
       マーチop69-2              プロコフィエフ
       マーチop99               プロコフィエフ
       アルメニアンダンス           ハチャトゥリヤン

http://sapporo.cool.ne.jp/dpjin/


(無題) 投稿者:S.O.  投稿日: 4月14日(土)19時35分57秒
あ、レスがついていた(^_^)。

藤田・・・・は、閉鎖ですか。それも、京都に資料が移ったんですね。
なんだか、最近聞いたところでは、邦人作品を大量に所蔵していた遠山音楽資料室?とかいうのも、閉鎖されて、資料をサントリーにもっていかれたとか。一度訪れてみたかった。


交響曲第14番「アララット」/アラン・ホヴァネス 投稿者:S.O.  投稿日: 4月14日(土)19時26分05秒
 ホヴァネスは、昨年亡くなった、アルメニア系のアメリカ人作曲家。エスニック路線、とりわけアルメニア、中近東、日本を中心としたアジア諸国の音楽を題材にした作品が特徴です。そして、なんと言っても、その作品数の多さはまさに超人的です。交響曲は60曲以上(さらに、第1番「Exile」から第2番「神秘の山」までの間の約18年間に、シャルル・ミュンシュから「アメリカのシベリウス」と絶賛されながらも、破棄してしまった交響曲等が相当数あると考えられるので、実際にはもっと多い?)、その他の作品も膨大で、ちょっと尋常ではありません。
 表題の作品は、1960年に完成された、約15分ほどの作品。彼には、「神秘の山(富士山を題材にしたといわれる)」、交響曲第7番「ナンガ・パルバット」など、山に題材を取った作品が多数あり、この作品も、トルコとアルメニア国境付近にあるアララット山を題材にしています。
 聞きはじめると、あららっと驚きます。管楽器の不協和な持続音が、まるで鐘のように響き、不思議な印象を与えます(ネリベルの「アンティフォナーレ」の中間部とそっくりで、他にもよく似ているところがあります。もちろん、ホヴァネスの方がはるかに先に発表されたのですが。)。ところで、その数年前、ある日本人作曲家の管弦楽曲が、世界の注目を集めました。黛敏郎の「涅槃交響曲」です。大の日本贔屓(奥さんが日本人ピアニスト)であるホヴァネスは、その作品に関心を持ち、自身でも管楽器の音色をもって、「カンパノロジー効果」を試みたのではないかと予想しているのですが、どうでしょう。その音色を背景に、トランペット群が朗々と中近東系の聖歌風の悲しいメロディを奏していきます。第二楽章は、チャイムと打楽器が中心となる楽章で、後半には激しいトーンクラスターも登場します。終楽章は、終始乱打されるティンパニーの上に、トランペット群の聖歌風のメロディが乗っかり、ティンパニーの乱打のうちに終わります。
 トランペット群と打楽器の負担が圧倒的すぎて、あまり一般的ではないと思いますが、不思議に印象に残る作品となっています。
 ホヴァネスは、この10年ほど後に、かの「そして神は大いなる鯨を創り賜うた」という、奇妙にして感動的な作品を創ることになるのですが、この「アララット」や「ナンガ・パルバット」「エレヴァンへの賛歌」など、一連の吹奏楽作品を聞いてみると、「鯨の声」を除いて、早いうちにほとんどそのサウンドイメージは完成されていたように思えます。悪く言えば、その後ほとんど進歩しなかったということにもなるのですが、こういうパターン化は、多作家(例えば、マルコム・アーノルドとか、ホルシンガーとか)には往々にして起こり得ることなのでしょう。かの武満徹に「どうしてそんなにたくさん作曲できるのですか。」と問われて、「別にたくさん書く事が良いことではないけれど・・・・・。」と応えたように、ホヴァネス自身がその弊害を感じていたのではないでしょうか。

学校がはじまりました 投稿者:NAPP  投稿日: 4月14日(土)16時53分26秒
今日から復帰です。入学式も無事に終わりました。毎年演奏されているのは「魔笛」ではなく「フィガロ」でしたね。恥ずかしい。 余談ですが、うちの大学の式典では南弘明先生が東京音大のために書いた「祝典序曲」という曲が演奏されるんです。

>渡部先生
 お久しぶりです。何か興味深いお話などはありましたでしょうか?ぜひお聞かせ下さい!

>畠中さん
 私に出来る限りのことはさせていただくつもりではありますが、それはあくまでも「貴団の方針のなかで」に限らせていただきたいと思っています。つまり、貴団が(私が、ではなく)打ち出された方針に則し、それをよりよく実現させるための材料を提供させていただくのが私にできることであると思います。「作品があってから演奏会コンセプトを定める」のではなく「演奏会コンセプトがあってから演奏する作品を決める」のであってほしいと思います。ですので、私の力添えはお約束しますが、その前に貴団の団員の皆様の中で今後の方針をよく話し合われてくださいね。
 「めぐりくる〜」の再演決定はとてもすばらしいことだと思います。自身のコンセプトをはっきりさせるためにそれ用の作品を委嘱された、という事実は何物にも替え難いものであると思います。また、共同検討作業の公開も「どのようにして演奏に至ったか」という経緯を明かにすることで他の演奏団体へのよい刺激、指針となることでしょう。私も楽しみに読ませていただきます。近い将来、このサイトでも・・・・・(意味深)

>S.O.さん
 同人吹奏楽団さんの演奏会は全体の構成としても素晴らしく、他の作品もあまり耳にする機会が少ないものですから、とても楽しみにしています。吉志舞だけに注目するのではなく、とは思うものの、やっぱり意識してしまうのも事実なのですが(笑)。特に、私が大学院のゼミにおいて担当する(であろう)部分の資料として格好の材料でもあることから、どうしても「研究目的で」聴きに行く、という意識が抜けきれないで困ってます。
 そういえば、フランスではもしかしたら国営放送局の方にも行かれてみるとよいかもしれませんね。イルカムと並ぶ電子音楽の研究機関であるGRMもラジオフランス内部にある機関だと聞いています。私も行ったことがないのでどんなところであるかの保証はできないのですけれど。
 藤田現代音楽資料センターのサイトは無くなってしまったようですね。東京のほうにきた通知書にはメールアドレスだけでサイトのアドレスは載っていませんでした。東京には事務所のみが残り(それも移転したのだけど)、所蔵していた楽譜や音源は京都の同志社女子大学のほうに移してしまったようです。移転、というよりは閉館といったほうが正しいですね(通知書にも閉館と書いてある)。私としても数々のセミナーが受けられなくなってしまったのはとても痛いです。

>正門さん
 「客観的に取りくむ」ことは幅を広げ、多くの人々に「知ってもらう」という意味でも必要であることは疑いないのですが、以前の議論でもあったように「演奏することを楽しむために音楽をやる」という目的で結成されている(聴かせるため、はやっぱり次点かな)大部分の吹奏楽団に対して「客観的取りくみ」を強制することはできないんですよね。そこが難しいところで、アマチュアが主体である吹奏楽がなかなか前進しない原因でもあると考えています。そうである以上プロの活動に期待せざるをえないのですが、プロも数が少ない上に需要が多い、というダルマ状態です。やはり、吹奏楽以外の分野の音楽関係者の関与が今早急に求められていることではないかと感じています。



 CD紹介のコーナーに、とりあえず「紹介予定のCD」をリストにして掲載してみました。というのも、どうも私が原稿を書くのを待っていたら永遠に聴かれないような気もしてきましたので、とりあえず「買える」程度の情報は早めに提供しておいたほうがいいかな、と。また、紹介予定のCDが溜まりすぎたために「忘れる」可能性も危惧したものですから(今でも予定から漏れたCDがあるような気がしてならない)。以前書いた紹介文も当時の見識不足(今でも不足)のために直しておきたい部分も多数あるのですが・・・・・ 収録曲が全部は載っていないのも不親切だし。むぅ。
 選曲が今のところ「現代の、吹奏楽関係者でなくても知っているような作曲家の作品」を中心になっていますので、これが一段落したら「古典派・ロマン派」や「推薦できる吹奏楽作家の作品」も候補に入れていきたいな、と思ってます。でも、いつになることやら・・・・・
 CD紹介の読者投稿も引き続き募集していますので、「しゃ〜ね〜な、手伝っちゃるか」という素敵な方がいらっしゃれば、ぜひお願いします!

レス 投稿者:正門研一  投稿日: 4月10日(火)11時50分34秒
>NAPPさん
 吹奏楽の世界に限らず音楽の好き嫌いは、その人の音楽経験、もっと大袈裟に言うなら、その人の人生経験をある意味反映しているのかもしれませんね。私が愛聴している曲の中にE.カーターの「エレジー」という4分ほどの小品があります。ヴィオラを弾く方ならレパートリーにしている方もいらっしゃるでしょうが(弦楽合奏版もあります)、ふとしたきっかけでこの曲を知りました。今まで知らなかった音楽を「発見」する喜び、楽しみ、これは演奏者、聴衆には(繰り返すようですが)自分の幅を広げてくれるものです。
モーツァルトやベートーヴェンの名曲といわれる作品でさえ、聴衆にとっては初めての「体験」ということもありうるのですから、演奏者にかかるある種の責任は大きいですよね。それこそ好き嫌い抜きで「客観的」な取り組みが求められるはずです。「同時代」の音楽に取り組むよりむしろ大変なんじゃないかとさえ思いますけど...。「この曲好きだから」とか「流行ってるから」、ましてや「自分のパートがおいしいから」という理由だけで演奏するようなことは避けたいものです(自分の周りで時に感じられる)。演奏者としては、聴衆に新たな「発見」をする喜びを感じてほしいし、聴衆としては、これまでとは違った「体験」をしたいし、曲を創る者としては、その双方が新たな「発見」や「体験」をできるものを、と考えているにですが...。

補足
「ダヴィデ王」、17名の器楽奏者の中には、コントラバスが1名含まれています。

札幌には行きたいけれど・・・ 投稿者:S.O.  投稿日: 4月 9日(月)22時34分07秒
>畠中さん
 私こそ、失礼なことを言ってしまい、申し訳ありませんでした。しかし、前にも申しましたけれど、現在の貴団の活動は、とても尊敬しています。
 札幌同人の演奏会には、ぜひ行ってみたいと思っていたのですが、おそらく、そのころは、国外に逃亡している?可能性が高いので、難しいと思います。
 あ、それと、この演奏会は、どうしても伊福部作品が目玉になってしまうのですが、その影に隠れてしまったカウエルの作品も、もしかしたら本邦初演かもしれませんし、少なくとも自筆譜に基づく演奏というのは、まず他では演奏されていないと思います。こちらのほうも、是非よろしく(と、手前味噌になってしまいますが)。
 カウエルは、他に、グレンジャーの誕生日を祝って書いた「58 for Percy」という吹奏楽作品があり、そのマイクロフィルムの所在も確認しているので、いつかまた採譜して、益野さんに演奏してもらおうかと思っています。

それにしても、フランスという国は、あまりWebが発達していないのか、なかなか網にかかってきませんね。IRCAMでも、探してみるかな(ポンピドーセンターも改装されたらしいし)。
藤田現代音楽資料センターは、前から気になっていたものの、まだ訪れたことがありません。現代音楽資料センターというのをゲンダイオンガク資料センターと思っていたので、敬遠してたんですね。移転しちゃったんだ。


ありがとうございます 投稿者:畠中 秀幸  投稿日: 4月 9日(月)17時49分24秒
前回私が書き込んだ時は佐賀にいらっしゃったのですね。早速のご返答ありがとうございました。しかもお力添えに関する前向きなご発言、大変嬉しく存じます。議論や時間的問題などの諸条件が整いましたら是非ともよろしくお願い致します。
なんとなくですが、今回も大きなテーマは「編成(響き)の多様性」をいかにしてプレゼンテーションしていくかと言うことになるのかなと思っております。ご指摘の通り、「再生」という行為自体が孕む音楽的な危険性は重々承知しておりますので、あくまでもその中の副主題として「再生」を取り上げることによって、さらにプログラム(編成)の幅を広げられるのではないかと考えております。大きな流れの中に敢えて「実験的な試み」を挿入することによって、既存の管楽アンサンブル作品のあり方を逆照射できるのではないかとも・・・かえってピントがボケてしまうでしょうか?

なお、2年前に作曲家津田元氏に委嘱・初演した「めぐりくる夏の匂いの中で・・・」〜ソロバスーンと管楽アンサンブルのための〜の改訂・再演を決定致しました。楽譜は未出版ですのでわかりにくいかもしれませんが、HP上で新しい響きを標榜した、作品(楽譜)に関する作曲家との共同検討作業を公開で行うことになりましたので、興味のある方はご高覧下さいませ。

>S.O.さん
お久しぶりでございます。先般は失礼な発言をしてしまいまして、本当に申し訳ありませんでした。下の投稿で話題にして頂けたこと、大変光栄に思います。実は次々回(10回記念)のメイン候補として「プラハ」を検討中です。ちょっと迎合しすぎでしょうか・・・(笑)
今後ともよろしくお願い致します。とりあえず投稿再開も兼ねましてご挨拶まで。ところでS.O.さんも五月に来札されるのですか?

http://sapporo.cool.ne.jp/wss


ご無沙汰です 投稿者:渡部謙一(わたなべ けんいち)  投稿日: 4月 9日(月)10時18分16秒
だいぶご無沙汰しているうちに、いつもながらいろいろな話が展開しているようですね。
Pacific Basin Music Festival という音楽祭に仕事で行っていたので、しばらくここから離れていました。

ちかじかカキコします。
取り敢えずご挨拶まで。

れす 投稿者:NAPP  投稿日: 4月 7日(土)16時47分22秒
 もうすぐ入学式です。大学と一緒に行われるので二回目、ということになります。今年も「魔笛」序曲で式が開始されるのでしょう(笑)
 ということで、実はまだ「大学院生活」というのは始まってないのですね。今度こそきちんと勉強する2年間にしたいと思っています。

>畠中さん
 前回の「編成」という着眼点からのプログラミングはかなり成果があったのではないかと思います。次回公演ではどの観点からアプローチするか、じつに悩みどころではないかと思います。色々な切りこみ方があり、「再生」もそのうちの一つなのですが、この「再生」をテーマにプログラムを組むのは画期的である反面、演奏会として成功させにくいという危険性を孕んでいるのではないかとも思います。実験的な「試み」としては実に面白いのですが、はたしてそれを「聴きにくる」人達へどのように投げ返すのか。「演奏会」として成立させるには「再生」というものをどう扱うかが問題となるかと思います。編曲ものの羅列というだけではあまり影響力が感じられないのではないか、と。
 まぁ、次回のテーマが「再生・トランスクリプション」と決定しているわけではないですので、まずは「何をテーマにするか」から煮詰めていかないといけませんね。あの後「再生」に関して考えついた点なども数点あるのですが、それはまたの機会に書きます。
 ところで、最近ピアノ科の友人の演奏会の企画の相談に乗ることが度々なのですが、やはり「演奏家と理論家の理想の違い」というものを度々強く感じます。色々なサイドからの意見も聞いてみてくださいネ!
 日程的に余裕があれば「再生」のための材料をこちらで用意させていただくことは喜んでお引き受けします。どの程度大学院での論文研究に時間がかかるかまだ全然分からないので断言はできませんが・・・・・
 ちなみに、5月の予定はガイダンスのある4月12日以降でないと決められないのですが、多少の講義なら休んでも問題ないだろうと思ってますのでほぼ確実に札幌まで行けると思います。日帰りしようかな、とも思っていたのですが、色々とお話させていただくのも面白そうなので迷っています。我が師の第二の仕事場「すすきの」(by某国営放送番組)を探究するのも勉強か、ってこういうとこばっか真似しなくていいってか(笑)

>S.O.さん、正門さん、JUNさん
 似たようなレスになってしまいましたので、まとめさせていただきました。
 日本の吹奏楽での「作品の評価のしかた」というのは、どうも「自分の好きな作品=いい作品」という見方からであるのがほとんどであるように感じています。コラムで書いたように、私は自分の主観的な好みによる「名曲」と、時代の淘汰の末に残るべき「名曲」は必ずしも一致しないものだと思っているのですが、どうも日本の吹奏楽人は「耳あたりのよいもの」しか大事にしようとしない。個人の趣味ならば非難されることではないのですけれど、プロフェッショナルな存在(演奏も作曲もプロデュースも)からしてこの傾向が強い(皆無ではないのだけれどね)。ニンジンが嫌いな人もその栄養価の高さを否定できないように、「嫌いな曲」でも音楽的価値が高いことが十分にありえることも大事にして欲しいのです。アメリカの方には自分の好みに左右されない「眼」がきちんとあるのかもしれませんね。
 そして、自分の「好みではない」ものも演奏してみるのは正門さんが書かれているように演奏者の「幅を広げる」という意味で不可欠であるはずだ、と思います。「なぜ嫌いなのか」を理解することで、逆に「なぜあの曲は好きなのか」ということを知ることもできるのではないか、と思うのですが。
 音楽史においても当時の聴衆には全く理解されず、現在では名曲と呼ばれているものも多数あります。ベートーヴェンの弦楽四重奏などは発表された当時はかなり奇異な作品と見られていたでしょうし、モーツァルトの演奏頻度の高い最後の三つの交響曲はモーツァルトが「自分の理想とする」架空の聴衆に向けて書かれたものだといいます(当時の聴衆の態度に辟易していたらしい)。ブーレーズの名言に「私は未来の音楽を書いているのではない。ただ時代に遅れないように書いているだけだ」というものがあります。過去の遺物を大切にするのも大事なことですが、「現在の」音楽を歴史に置いていくのも大事なことですよね。好みの音楽だけを演奏していては、ましてや「知っているのとどこか違う」ものを排斥するようなこと(エンブレムズの拍子変化が非難されるような)をしていては、決して進歩はないと思うのです。

>正門さん
 「ダヴィデ王」、編成まではそれほど意識していなかった曲なのですが、そう言われてみるとそうだったような気がします (^^ゞ
 他にも「管弦楽作品」と一般に言われているもののなかにも管楽アンサンブル作品(弦ぬきオーケストラ作品)が多数混ざっているはずですので、ここらへんを調べてみると意外なことが分かるかもしれませんね。

>S.O.さん
 フランスの大学(音楽院)をwebで探したことはないので分からないのですが、サラヴェール社のサイトなどは何かの参考になるかもしれません。
http://www.salabert.fr
 フランスの出版社だけあって、フランスの作曲家に関してはかなり充実したデータベースになっているようです。サ社だけではない出版状況も載っています。
 あとは藤田現代音楽資料センターがフランス系列ですので、こちらもあたってみるとよいかも、と思ったのですが、日仏学院内にあったセンターが移転したためにサイトも移転してしまったのですよね。新しいURLは東京の方に通知がきているのですが・・・・・


 明日から1週間ほど諸事情によりネットにアクセスできません。
しばらく留守をお願いします。m(_ _)m
 時々うちのサイトの画像データがダウンロードされないことがあるようです。現在原因を調査中ですが、どなたか対応策をご存知でしたらご教示下さい。

Re:アメリカのバンド指導者達の見識  投稿者:Jun  投稿日: 4月 7日(土)10時36分23秒
>S.Oさん、バンドジャーナル私も読みました。中山先生とは面識があるものですからほんとに大変な勉強をしているんだなと、毎回感心することばかりです。
それにしても今回の調査結果は興味深いですね。
一応タイトルだけは分かる作品が多いですが、聴いたことがあるかというと?なものもたくさんあります。そもそも日本では紹介されていない作品もあったりするのではないでしょうか?
個人的には、やる当てもなくスコアだけ購入したフサの『ウィンドアンサンブルのための協奏曲』がランクインしていて、ちょっとうれしいですが(笑)。

http://page.freett.com/junmwn/index.html


お尋ね(フランス編) 投稿者:S.O.  投稿日: 4月 6日(金)23時44分41秒
またしても、お尋ねします。

フランスで、楽譜を探すのによい場所をご教示くださいませんでしょうか。音楽ショップよりも、よりレアなものを所蔵しているところが良いんですが。

今年生誕100年になるアンリ・トマジというひとの作品(例えば、各種の協奏曲や「第三世界の交響曲」など)が好きなので、なんとかして楽譜を入手したいと思っています。アンリ・トマジ協会
http://www.ifrance.com/HenriTomasi/
に問い合わせてみたのですが、英語だったからか、返事をくれません。

他にもフローラン・シュミットや、ルーセル、ケクラン、オネゲル、オーリックなどの作品も集めてみたいと思っています。

例によって、音楽大学などの図書館を狙っているのですが、なかなか検索しても、引っかかってきません。パリ音楽院とかのURLをご存知でしたら、お教えいただけますでしょうか。
IRCAMは見つかったんですが、近代に間しては、あまり良い品揃えじゃないみたいです。もっとも、フランス語はよくわからんし、しょっちゅう文字化けしてるからかもしれませんが。

よろしくお願いします。

お久しぶりです。 投稿者:正門研一  投稿日: 4月 6日(金)16時32分21秒
NAPPさん、何はともあれ大学院への進学おめでとうございます。
益々のご活躍をお祈りしております。

さて、「音楽大学に在籍して思う」にあなたがお書きになっていた内容、同じく音楽大学を出て、現在吹奏楽に携わっている者として、非常に大切な問題を提示されていると思っています。現在、現場にいる者として、あなたが指摘された「客観性の欠如」は私も常に感じていたことです。
私は、プロであろうがアマチュアであろうが、好き嫌いはともかく様々な音楽を「体験」する方がより自らの幅を広げてくれると思ってます。私の周りの人たちもまずは、理屈抜きで「体験」して欲しいと願っているのですが、そうもいかないのが現状ですね。5月には、昨年地元の高校の依頼で作曲した自作を所属する市民吹奏楽団で再演することになっていますが、この曲も委嘱者の要望で、既存の吹奏楽曲の延長線上、といったものになりました(作品を書く機会をいただくだけでもありがたいですから)。
ただ、私も未熟なりに自分なりの展開を図ったつもりですが。
振り返ってみると、拙作「エンブレムズ」(いろいろご意見、ご批評いただきましたが)、これも、未熟なスーザといわれる中で、構成は随分考えました。
拍子が途中で変わること(私自身は大きな問題とは思ってませんでしたが)がクローズアップされることしばしばでしたが、第1マーチとトリオからのメロディが同じモチーフからの発展であることを理解して演奏されていたかどうか...。私が知っているスーザのマーチではそのように展開するものはないです(もしあるのなら、どなたか教えていただきたいです)。とはいえ、まだまだ「これまでになされたこと」に乗っかっていることは否めません。もっともっと自分の幅をひろげないと...。

大学時代からなぜか(笑)オネゲルにはまっている私も、「オリエントOO」について書かれた件、うなずくばかりです。

そのオネゲルの「ダヴィデ王」、オリジナルの編成は管楽、打楽器、鍵盤という17名編成に独唱、合唱というなかなか興味深い編成になってます(後に管弦楽版も出てますが)。もう一度初心に戻って、勉強してみようかなどと考えてます。


沼野雄司先生(私にとっては大学の先輩です)はお元気ですか?よろしくお伝えください。(10年以上お会いしてません)

アメリカのバンド指導者達の見識 投稿者:S.O.  投稿日: 4月 5日(木)22時39分01秒
バンドジャーナル誌では、中山先生のコラムが一番楽しみだったりするのですが、5月号では、アメリカのバンド指導者達が選んだ、もっとも優れた吹奏楽作品が紹介されています。

これを見て、一言。やはり、彼らはさすがだ。
このテの企画は、日本の雑誌でもやられていたことがありますが、だいたいは、「アルメニアンダンス(もちろん、ハチャトゥリアンのじゃないやつ)」、「指輪物語」「ドラゴンの年」「スバルタクス」「風紋」...という感じなんですよね。もっとも、これは素人も参加しているから、作品の価値より好き嫌いが反映されるのは、仕方がないという一面もあるのですが。

それにしても、彼らの選んだ中で、もっとも優れた(満点評価)4作品というのが、ドボルザークの「管楽セレナード」、グレンジャーの「リンカンシャー…」、フサの「プラハ…」、モーツアルトの「管楽セレナード」だったりします。ウインドシンフォニカ・サッポロの皆さんは、「プラハ…」を除いて皆取り上げているのですね。ドボルザークやモーツアルトなんて、名作中の名作なのに、日本では候補にさえ上がらないでしょう。

他にも、エルンスト・トッホやガンサー・シュラー、インゴルフ・ダール、レスリー・バセット、ワーレン・ベンソンのように、日本ではまず演奏されないような人達の作品も、十分に斟酌し、上位に評価しているのも、たいしたものです。また、編曲物でも、評価するべきは評価している。

こういう視点が、日本の指導者には決定的に欠落しているように思うんです。


ホヴァネスかロス・フィニーでも紹介しようかと思っていたのですが、割と話題が続いているので、アップしにくいです(笑)。

こんにちは 投稿者:畠中 秀幸  投稿日: 4月 5日(木)16時00分10秒
NAPPさん。大学院生活の方はいかがですか?といっても始まったばかりですね。ご活躍を祈念致しております。
わざわざのご返答ありがとうございました。お言葉に甘えてまたお邪魔させていただきました。
さて我々ウィンド・シンフォニカでは次回の公演(ほぼ一年後)に向けて長ーい準備期間に入りました。終わった後で「もっと考えておけば・・・」と後悔しないよう、じっくりと企画を練っていきたいと考えております。
次回も35人程度の吹奏楽を含むさまざまな形態の管楽器によるアンサンブルを主体とした公演を標榜しておりますので、敢えて大きなホールではなく聴衆との一体感を得やすいキャパシティ500人の札幌コンサートホールキタラの小ホールを選定致しました。またあれやこれやと質問などを書き込んでしまってご迷惑をお掛けするとおもいますが、是非ともよろしくお願いします。
といった矢先に・・・既存の管楽合奏及び吹奏楽作品に対する検討・勉強はもちろんのこと、一般のクラシックファンの方々との繋がりを深めたいという想いから、以前うちの「掲示板」に貴重な書きこみをして頂いた「トランスクリプション」及び「再生」についても、もう一度しっかりと見定め直していきたいと考えております。やはり可能性があるのであればいろいろなことに挑戦してみたいなと・・・
本来でしたらNAPPさんの作品を音にさせて頂くのが筋だということは重々承知しておりますが、仮に諸々の条件が整った場合、一つの試みとしての「再生」にお力添え頂ける可能性はありますでしょうか?こちらの都合ばかりですいませんが、前向きにご検討頂ければ幸いです。

ところで5月の同人吹奏楽団さんの演奏会で来札されることは決まりましたでしょうか?すすきので豪遊でもいかがですか(笑)


http://sapporo.cool.ne.jp/wss


合掌、もとい合唱など 投稿者:NAPP  投稿日: 4月 5日(木)15時08分32秒
NAPPふろむ・さが、です。

>かわうえ君
 そういえば初投稿ですな。そしてうちの作曲科では四人目。もっと他の人も書きこんでくれるといいのに。50人近くもいて主張ってもんがないのかね。
 それはおいといて、木下牧子。日本語の合唱の書法というのはかなり独特のものがあって、イントネーションの問題だとか、アクセントの問題だとか、詩の分解だとか、とにかく色んな要素がからんでるんですね。これら全てをかなり高い水準でクリアしている作曲家というのは極めて少なく、木下牧子はそのうちの一人だと思う。一見、イントネーションなどはほとんどの作曲家がクリアしているように見えるけど、それはソプラノに限定した話で、ソプラノが上行した場合に日本語に反してバスが下行しているというのは実に多い。木下牧子の場合はこういったところを対位法的に処理したりすることで解決しているんですね。他にこういった気配りを見せているところでは岩河三郎や三善晃が天才的。
 「作曲の手法」という点では確かに木下牧子の書法に「新しい」というところは少ないのだけれど、「合唱の書法」という点では色々と新しいところがあって面白いと思う。他の作曲家の合唱作品と比べて見るとそれはよくわかる。なぜかみんな「三和音」の世界なんだよね。それが一番きれいに響くから、という理由(他にもあるけど)があるのは分かるのだけれど。
 他にお勧めとしては、似たような透明な音使いにチャンスオペレーションを融合させて不思議な世界を創っている高嶋みどりの合唱作品群も素晴らしいからぜひ聴いてみてね。 あと、テキストを分解して散りばめる手法(というより文学的なセンスか?)に卓越してるのは何と言っても(やっぱり)三善晃かな。男声合唱のための「遊星一つ」という曲はホント、すごいと思う。
 「合唱」と一言でいっても色々な傾向があって、学校の「校内合唱コンクール」で歌われているようなレヴェルの作品が中心だと思われてはとても困る。学校の合唱部や一般の合唱団が歌うような「前衛的ではないが簡単でもない」という作品群のなかにもたくさん面白いものがあるし、プロが歌うレヴェルだと柴田南雄のシアターピース作品のような極めて意欲的なものもあって面白い。
 他にも合唱にまつわる話は色々あって、「作曲家の常識」や「器楽の常識」とはまた違う「合唱の常識」っていうのも勉強しておきたいところです。「同じ音楽だから」なんて甘いこと考えてちゃだめだと思う。例えば、あまり知られてないことかもしれないけど、合唱の人達はいきなり音を取ることがすごく苦手。だから必ず「歌い出しの音」をマウスオルガンなどで鳴らしてから演奏に入るし、作曲家は音がとれるようにした前奏(歌い出しの音が必ず目立つように鳴らされる)を書かないといけない、というのが暗黙の了解。他にも色々と「ルール」があるから作曲家志望者や合唱指導者になる人は要勉強、ですね。といっても私も専門ではないからあんまし詳しくないので、これからもっと勉強しないといけないのだけど・・・・・
 そういえばかわうえ君は今年は合唱曲(または声楽曲)の提出学年ですな。がんばってね。

 珍しく合唱のお話でした。

>JUNさん
 あ、いいなぁ。私もまだ探してます。今度感想でも聞かせて下さい!

ずいぶん前の話題ですが 投稿者:Jun  投稿日: 4月 5日(木)06時46分23秒
池野成氏作曲の、バンドと打楽器のための協奏曲『ティンパナータ』が収録された
習志野高校吹奏楽部第35回定期演奏会のCDが、奥の方から出てきました(笑)。
2枚組のずっと後の方のインデックスだったので、全然気がついてなかったんですね(^^;)。
(当時)顧問の新妻先生は、どこからこの作品を見つけてきたのだろう・・・?

http://page.freett.com/junmwn/index.html


そういえば初投稿 投稿者:かわうえ  投稿日: 4月 1日(日)12時24分40秒
木下牧子、わしも行きたかったです。
この人の曲とは中学の時、親がコーラスの練習テープを家で何気なく聞いてて、その時にこの音楽の醸し出す音感と雰囲気にやられたのが出会いでしたな。
さらに高校の時、合唱部に入っていたのでその中の「方舟」をやる機会があったのですが、これは歌っている方も気持ちよく歌える曲でしたね。伴奏のセンスもいいし。
確かに目新しい事は今考えるとそれ程ないのですが、当時のわしには五拍子で押し切る合唱曲はとても新鮮でしたし、その他の面でも美しさを容易に堪能できました。
余談ですが実はこの部活にいる時初めて池辺先生の曲を知ったんですよ。
その時やったのはレクイエムでしたね。(この曲のおかげで日本国憲法前文をおぼえられたたいう変な思い出もあり・・でもこれもいい曲!でした)
それと今度シェルシ貸してくださるというのを聞いてうれしく思っております!
最近中々スマッシュヒットな曲がないもので・・
   それでは

木下牧子など 投稿者:NAPP  投稿日: 4月 1日(日)03時50分12秒
 まず訂正。ミュージック・トゥモローで演奏される譚盾の曲は新作ではなくて「アウト・オヴ・北京オペラ」なんですね。これ、CDも出てますし。

 今日は木下牧子先生の個展を聴きに行ってきました。なぜか3時からだと思っていたら7時からで、しょうがないから銀座のヤマハに行ったら臨時休業で、雪は降って寒いし・・・・・
 でも、演奏会自体は個人的にはかなり楽しめたのでよしとします。私はこれでも結構合唱が聴くのも創るのも好きでして、中でも木下牧子は合唱にありがちな「三和音の世界」ではなく斬新かつ美しい和音を扱ったり、和声的な部分と対位法的な部分がバランスよく配置されていたり、と高く評価している存在なのです。 そういった訳で、木下牧子の管弦楽伴奏の合唱曲を聴ける機会というのはとても嬉しかったのですね。吹奏楽ではいささか保守的なオーケストレーションの印象を持っていたのですが、今回の室内管弦楽のオーケストレーションは弦を主体にしていたためかグリッサンドを多用した独特のものがあり、合唱だけではない実力の高さを見せつけられたような気がします。 「新しさ」という点では特に目新しいものはなかったのですが、やはり伝統的な合唱の機能を生かした作品を書かせたら一流ですね。すばらしい。

木下牧子のサイト↓
http://www.asahi-net.or.jp/~az4m-knst/

 そうそう。木下牧子には岩手県国民文化祭の委嘱作である、吹奏楽と混声合唱のための「春と修羅」という曲があるそうですね。佐藤眞「飛翔のとき」、林光「受難の始まり」、野田暉行「いまうたわなければ」などの吹奏楽と合唱のための作品群もまとめて聴いてみたいものです。
 明日から佐賀に一時帰省します。また、一応私の肩書きが大学生から大学院生に変わるらしいです。う〜ん、21世紀かぁ・・・・・