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そのオペラは 投稿者:IDLER  投稿日: 5月15日(火)10時06分45秒
独立をテーマとした苦難の歌劇とは、恐らく「血の海」という歌劇だと思います。
楽曲のほうは3部になっていて、「1.血の海、2.我は赤き魂のみを抱きつづける3.革命の旗」という構成でした。

確かに、北朝鮮の楽曲を公式の演奏会で演奏するのは、難しい事でしょうね。
楽曲の名前からしてかなり危険ですし。(笑)
しかし、北朝鮮のはだめだが、ショスタコーヴィッチを始め、ソ連の楽曲は演奏できるというのも変な話ですね。

共産圏の音楽 投稿者:LZFELT  投稿日: 5月15日(火)03時12分12秒
 IDLERさん、はじめまして。
 むか〜しBCLという、ラジオの海外短波日本語放送を聴こうっていうのがブームになったことがあります。放送を聴いて、番組内容と感想を書いて放送局に送ると、いろいろ記念品を貰えるのです。
 それで大陸中国と北朝鮮に送ると、向こうから絵はがきなどが送られてきまして、絵柄がオペラなんです。独立に至る艱難辛苦を題材にした国産オペラのようです。
 どんな内容なんでしょうね。(^^;)
 ちなみにウチのグループのメンバーの一人が北朝鮮の吹奏楽のスコアを手に入れて、「音楽が国境を越えるなんて嘘だ!本当だというならこの中の曲を公の場で演奏してみろ!」とほうぼうにケンカを売っています。(^^;)

http://www.geocities.co.jp/MusicHall/6903/


投稿失敗! 投稿者:LZFELT  投稿日: 5月15日(火)03時05分27秒
 ブラウザのフリーズで、投稿できていないと思って、書き直して投稿してしまいました。(_ _)
すいません。

お金を稼ぐ、って 投稿者:LZFELT  投稿日: 5月15日(火)03時02分05秒
 NAPPさん、こんばんわ。
>>現実社会と比べる、といってもその一般的な需要量には大きな差がありますので
>>比べることに対した意味があるとは思えませんが。
 っていうか、日本のクラ・吹奏楽に需要を開拓しようっていう発想や努力が無いか、見当違いな方向を向いているかでしょう。

>>そもそも「音楽でお金が儲からなければならない」のでしょうか?
 だって関係者がお金が足りないって四苦八苦しているでしょう?

>>(目的)を実現させるための基盤を強化することに捕らわれて目的を見失うようなことは
>>あってはいけないかな、
 ですから、見失わないで基盤を強化することは難しいことでは無いはずですってば。

 そもそも金銭感覚の違いから労働観、社会観、はては生き方まで、一般社会の人達とクラ・吹奏関係者の価値観の違いがものすごいところまできていると思うんですけど、特になんとも思わないですか?

http://www.geocities.co.jp/MusicHall/6903/


なぜ儲けが大事か。 投稿者:LZFELT  投稿日: 5月15日(火)02時43分24秒
 NAPPさん、こんばんわ。

 う〜ん、なんと書いたらいいのか。(^^;)
>>現実社会と比べる、といってもその一般的な需要量には大きな差がありますので
>>比べることに対した意味があるとは思えませんが。
 だって日本のクラ・吹奏界に、需要を増やそうというやる気も努力も無いか、見当違いの方向にしか向いていないでしょう。
 最近の演奏家のビジュアル面を重視している人達への評価はいろいろあるでしょうが、まだまだ初歩の初歩です。

>>お金が儲かることにあまり価値を見出さない人間もいる
 いや、仰ることはよくわかりますが、だからこそそこから一般社会人とクラ・吹奏界の、金銭感覚の違いから始まり労働観、社会観、文化や生き方などなど、価値観の乖離がひどくなって現在(クラ・吹奏人口の減少)に至るのではないでしょうか?
 ・・・っていうか、そもそもクラ・吹奏関係者は一般社会の乖離を、気にしていないのでしょうか?

http://www.geocities.co.jp/MusicHall/6903/


「音楽が普遍的」について補足 投稿者:IDLER  投稿日: 5月15日(火)01時20分22秒
前回の投稿で「音楽が普遍的」と書いたのですが、いきなり書き込んであって誤解などを生みやすそうなので、補足をしておきます。

この中での「普遍的」というのは、どこであっても、基本的におなじ記号性を持ち、文化・芸術の重要な点にある。という所を普遍的と言っています。

決して、西洋(特に欧州)音楽至上主義な点から「普遍的だ」と言ったのではありません。どうぞ、ご理解をお願いします。

CD 投稿者:IDLER  投稿日: 5月15日(火)01時09分04秒
ずーっと以前ですが、ここでナクソスなどCDの買い方などを質問したものです。
あの後も、よくCDを買い、音楽を聴くようになりました。

最近、入手したもので、珍しいのは「北朝鮮国立交響楽団」のCDです。
やはり、楽曲は全て北朝鮮の作曲家が作曲したもので、他国の楽曲は一曲も入っていませんでした。また、曲名も共産国らしく「革命」「赤」などが多用されていました。

上手なのか、そうでないのか等は、素人なのでわかりませんが、まぁ、珍しい世界に触れたなぁと思いました。

このCDを聞いて思ったのですが、共産国であろうと民主国であろうと、どんな国でも、音楽が普遍的であるというのは、素晴らしいことですね。

>湯浅譲二先生 投稿者:S.O.  投稿日: 5月14日(月)22時06分00秒

>「先生が20代のころに影響を受けた作曲家」
>「ミヨー、バルトーク、メシアン」
ミヨーというのは、ちょっと意外です。

>「ノーマン=デロ=ジョイオ、ウィリアム・シューマン」
これも、とても意外。ましてや、「好きな」じゃなくて「影響を受けた」ですもんね。だけど、この二人、若い頃は、ジャズバンドで大活躍していたのですね。湯浅先生は、武満氏と同様に、ジャズにはまっていたとか。

ううむ、まだ今週末に札幌に行くかどうか迷っている私・・・・・(=^=;。 難しいのだが・・・・・。

手短ですが 投稿者:NAPP  投稿日: 5月13日(日)23時47分21秒
なんだかしばらくほったらかしに近い状態にしてすみません。
G.W.ごろからここ最近ずっと激務な状態でして、なかなかサイトの方まで手が回りませんで (^_^);; 実はまだ大変忙しい状態が続いていまして、このような状態はまだまだ続きそうです。いつになったら時間ができるかな・・・・・
 ちなみに、あと2〜3日の間に塚原康子「十九世紀の日本における西洋音楽の受容」や中村理平「洋楽導入者の軌跡」といった大文献(+α)を解析して1時間ほどのプレゼンテーションのための原稿を作らないといけません。ひぃ。曲のほうは完成したんですけどねぇ・・・・・


 谷口さん、ののさん(お久しぶりです!)のレスで言い尽くされてますが・・・・・

>その人達の現実と渡り合える力って、どのくらいのレベルなんでしょう?
>クラ・吹奏界の内部ではなく、現実社会(つまり街を歩いていて目につくお店)
>と比べると。

 音楽活動が死滅していない、というだけでもマネージメントの人達の力は大したものではないでしょうか?現実社会と比べる、といってもその一般的な需要量には大きな差がありますので比べることに対した意味があるとは思えませんが。
 というより、そもそも「音楽でお金が儲からなければならない」のでしょうか?金銭的な利潤を得ることは一つの「成功の尺度」かもしれませんが、それもやはり誰かが作り出した判断の基準であり、お金が儲かることにあまり価値を見出さない人間もいる、ということです。無論、理想だけでは演奏会は成立しませんのである程度は運営のための行動も考えないといけないのですが、利潤を最優先にするべきものではないと思うのです。
 大事なのは音楽団体というものが「何を目的にしているものなのか」ということをしっかり見据えることではないでしょうか。それを実現させるための基盤を強化することに捕らわれて目的を見失うようなことはあってはいけないかな、と。


>無責任かもしれませんが、短くて的確な文章がどうしても書けないので、
>びくびくしながら書いています

 別に長くても構いませんし、これらの話題が無関係なものだとは思いませんよ。
 まぁ、他の方が他の話題をしにくい雰囲気になってるかな、という気はしますが、皆さん、別に多くの話題を同時進行してもいいんですよ (^-^)

 ということで、最近あったことから。

 先日、湯浅譲二先生のお話で「先生が20代のころに影響を受けた作曲家」ということがありました。そこで名前があがったのは「ミヨー、バルトーク、メシアン」というのは分かりますが、意外なところで「スタンケントンバンド(アメリカのプログレッシヴジャズバンド)、ノーマン=デロ=ジョイオ、ウィリアム・シューマン」などが挙がっていました。当時は終戦直後ということもありアメリカの作品に触れる機会の方が多かった、ということなのですが、なんだか意外でした。スタンケントンバンドに影響を受けて劇音楽として「4 Trp、3 Trb、5 Sax、Perc」という編成で曲を書いたこともあるとか。どんなものだったんだろう?
 先日のミュージックトゥモローで初演された「クロノプラスティクIII」の冒頭、スティールドラムの音に驚いたのでその旨先生に言ったみたところ「スティールドラムだということに気付いてもらえなかったらどうしようかと思ってた」とおっしゃってました(笑)。「なんで、って聞かれても困るんだけど」って、そりゃそうですよね。ちなみに、次のオーケストラ作品は「内触覚的宇宙V」だそうです。このシリーズでオケは初めてですね。楽しみ。

 「紹介予定CDリスト」に追加した一枚というのは「Ulrich Stranz 作品集」です。このStranzという作曲家については全然知らないのですが、1946年生まれの作曲家だそうです。このCDに収録されているのは弦楽合奏やピアノトリオなど色々な編成の曲なのですが、その中に「Janus」という作品が含まれています。編成は「VnとPfと13管楽器」。サブタイトルに「アルバン・ベルクの思い出に」とあるように、ベルクの室内協奏曲のスタイルを借用した作品です。演奏しているのはアンサンブル・モデルン。アンサンブル・モデルンはイサン・ユンの「ムグン・ドン」などのように管楽アンサンブル作品を録音することが結構あるみたいで、他にもジョージ・アンタイル「テノールと合唱、10奏者のためのファイティング・ザ・ウェーブ」(もしかしたら弦も入ってる?)なども録音してますね。探せばまだあるかもしれません。

 あぁ、大学院は忙しい・・・・・

音楽あってこそ 投稿者:谷口昭弘  投稿日: 5月10日(木)09時39分53秒
>ポピュラー音楽はジャンルを指し、ゲイジュツ音楽は姿勢を指すのかな?

これがまた、文脈によって異なります。でも、おそらく18・19世紀に作曲されたヨーロッパ音楽がクラシック音楽の指す音楽形態のように思えます。
それから直接的な起原として遡ることのできる中世までの音楽、そして、その伝統をおおよそ継続しているような20世紀・21世紀音楽もクラシックなのでしょう。感覚的なものもありますから、難しいですね。

かなりおおざっぱに考えれば、ポピュラーはそれ以外のもの、かな。

態度ということで考えれば、ポピュラー音楽にも、ゲイジュツ的なものを目指す人はいるし、クラシックにも、ペイしないといけない側面はあるでしょう。

> それでポピュラー音楽・クラシック音楽双方にお金持ちとそうでない人がいても
>おかしくない、になるのでしょうか。

現実として、そうなっているのではないでしょうか。

> 中途半端というのは、どんなお金を持っている人ををお客さんとして念頭に置いているのか、
>です。

私の理解が正しいのか、ちょっと怪しいのですが、つまり「お客さま」のターゲットがはっきりしていないのは、「中途半端」だということですか?

これの難しいところは、興業主も演奏家も、できるだけ幅広いそうに自分たちの音楽を聴いてもらいたいと願う一方、あらゆる人の趣味・嗜好を満足されられるものはないということでしょうか。また、レパートリーがある程度固定されているところがありますから、がんじがらめになる恐れもあるのではないかと。

> (かたや戦後の吹奏楽は記録が自衛隊や警察音楽隊とコンクールしかみつからず、
>民間バンド・スクールバンドはコンクールで発展してきたという文章しか見つかりません。
>単純に生き残り戦略の違いなんでしょうけど、対照的ですね〜)

アメリカの市民バンドなんかは、愛国主義の色合いも濃いですが、オーケストラのコンサートに行けない人たちのためにコンサートを開いたという歴史があります。ワシントンDCなんかに行けば、軍楽隊による無料の演奏会も多いのではないでしょうか。高校の吹奏楽部でも、障害者施設訪問を行っている事例を聞いたことがあります。私も中学生の時、地元のパレードか何かに参加したことがありました。

>ゲイジュツ音楽がお金にならないというのは、どういう理由なのか?

ならない、というのはゲイジュツ音楽がお金になってはいけないということではなく、それは結果的にそうなっているのであって、目的がそうなってはいけないということではないかと思うんですが。

>というのも、曲や演奏の善し悪しと、演奏「会」の善し悪しは別問題だからです。

??? 良い演奏のない良い演奏会というのは、私には考えられないのですが。音楽以外のことで聴き手を魅了することは可能ですが、最終的な音楽がつまらなければ、演奏会へわざわざ足を運ぶ必要がないのでは?

「会場の選択、開演時間、選曲」は、良い演奏会を作るための要素ではありますけれど、これらがどんなに良くても演奏がダメなら、ほとんど意味がないように思うんですが。

>人によっては終演後のサイン会まであり、

演奏家と聴衆の人間関係は大切だと思いますし、これから音楽を志そうとする人にとっては、特に音楽家と直に話すことができるのは、素晴らしいことだと思います。しかし、私にとっては、音楽あってこその音楽家であると思います。核の部分がなくなってしまってはいけないのではないかと。

>「サービス」というものを意識しなければなりません。

私にとって、最高の「サービス」は、舞台上における最良の演奏です。それ以外は、付加価値だと思います。サインがもらえれば、そりゃあうれしいですが、それは良い演奏家だから、と私は思います。あるいは好きなミュージシャンだから、売れている人だから、要因はいろいろありますけれど、音楽家は音楽でやっていかないといかんのではないかと、私は思う訳です。(まあ、ビジュアル系が入ってる人もいるんでしょうけどね)。

付加サービスをなくせ、なんていいません。ただ、初プレス特典ポスターが欲しい人も、ただポスターがついているからCDを買うんじゃなくて、そのミュージシャンが好きだから買うんじゃないかと、そういうことです。

文書を短く出来ない(;_;) 投稿者:LZFELT  投稿日: 5月10日(木)00時23分04秒
 NAPPさん、私の意図はこの掲示板を荒らす事が目的ではありませんので、不快でしたら削除や書き込み中止はすぐ言ってください。すぐやめます。
 無責任かもしれませんが、短くて的確な文章がどうしても書けないので、びくびくしながら書いています・・・・。
 書くことを考えていて気がついたのですけど、私の書いている事って楽団の話題(ゴシップ以外の)なんですね。掲示板の主旨と違うと言われると、一言もないです・・・・。

どう書いたらいいか・・・ 投稿者:LZFELT  投稿日: 5月10日(木)00時16分46秒
 谷口さん、こんばんわ。
 え〜と結局、
>>ポピュラー音楽というのは、経済的にペイしないと成り立たない、
>>ゲイジュツ音楽は、本質的に利益を加味しないというのが、
>>結局一番の違いではないかと思うんですが。
という意見をどう捉えたらよいのでしょうか。(^^;)
 ポピュラー音楽はジャンルを指し、ゲイジュツ音楽は姿勢を指すのかな?
 それでポピュラー音楽・クラシック音楽双方にお金持ちとそうでない人がいてもおかしくない、になるのでしょうか。

 中途半端というのは、どんなお金を持っている人ををお客さんとして念頭に置いているのか、です。
 演奏会に来るための入場料、交通費が使え、演奏時間内は労働から解放されている人なのか。
それらのお金を持たない人にも聴いて欲しいと楽団の方がお金・時間・手段を持ち出すのか。
 日本のオケの歴史の本を読むと、終戦直後に国家や軍の後ろ盾を無くしたオーケストラは後者を選択し、半分手弁当で交通手段の大変な場所にまで音楽を運んで行っていたと書いてありました。また日フィルも件の裁判闘争期にはその姿勢を貫いていたそうです。
 お客さんとは来てくれる人のことをいう、もO.K.。
 来てくれない人でも「行ってみようかな」と思って貰おう、でもO.K.。
 楽団の「お客様」のターゲットが明確なら。
(かたや戦後の吹奏楽は記録が自衛隊や警察音楽隊とコンクールしかみつからず、民間バンド・スクールバンドはコンクールで発展してきたという文章しか見つかりません。単純に生き残り戦略の違いなんでしょうけど、対照的ですね〜)

 レベルが低いというのは、こんな意味です。
 ゲイジュツ音楽がお金にならないというのは、どういう理由なのか?
仕事が少ないのか?
仕事は多いのに観客が少ないのか?
仕事が多くて観客も多いのに利益が少ないのか?
 それぞれに対応策はあります。(というか、本気で大勢の人達が集まって知恵を出し合えば、私が考えている以上のやりかたがとれるはずです)
 そして三番目の仕事・多、観客・多、利益・少以外には、演奏の質を落とすことない努力が可能です。三番目にも、ないことはないですが。
 というのも、曲や演奏の善し悪しと、演奏「会」の善し悪しは別問題だからです。
 音楽、演奏者、楽団、演奏、演奏会、などの境界線が曖昧になっている部分が多いためにクラ・吹奏楽団と現実が上手くかみ合わないのだと思います。
(例えば、演奏家にとっての一番良心的な姿とは「最高の演奏をする」だと思います。
では演奏会の一番良心的な姿も「最高の演奏をする」でしょうか?違います。
会場の選択、開演時間、選曲から始まって、人によっては終演後のサイン会まであり、「サービス」というものを意識しなければなりません。「最高の演奏」は最低条件であり、それ以外の価値を付けてこそ、演奏会です。などなど)

http://www.geocities.co.jp/MusicHall/6903/


追記 投稿者:谷口昭弘  投稿日: 5月 9日(水)00時17分48秒
「ゲイジュツ」というのは、必ずしもクラシック音楽のことを指しているのではありません。どのようなジャンルにおいても、「ゲイジュツ」するというのは、広く、音楽家の主張を(何をおいても)通すこと、といったニュアンスで考えています。

いずれにせよ、クラシック/ポピュラーという枠組み自体がそもそも大雑把なので、こぼれ落ちるものが多いのは、こりゃしょうがないでしょう。

亀レス 投稿者:谷口昭弘  投稿日: 5月 9日(水)00時01分19秒
NAPPさんがかなり述べておられるのですが、とりあえず。

>この意見、100%谷口さんのオリジナルではありませんよね?何%ですか?

何かで読んだというよりは、私の指導教官と話していてこうなったという感じです。

>つまり、全てのポピュラー音楽が経済的にペイできているわけではありませんし、

当たれば大きいでしょうから、そこからレコード会社が収益を得ることになります。
そして、売れていない人でも、将来の可能性を見越してアルバム契約することもあるんではないでしょうか。演歌の地方巡業なんて、ほとんど利益にならないでしょう。

>クラシック音楽を演奏・作曲をしてお金持ちになった人がただの一人もいないのか、などなど。

3大テナーなんて、どうなんでしょうね。そうでなくても、ハイフェッツなど、メジャーで活躍した人たちは、法外なギャラを要求してきたというのは、良く知られているようにも思います。

>クラシック音楽というものは、現実社会やお金といったものとの距離感覚を考慮する必要なんて
>ないんだ、というのなら、現実社会やお金の方でクラシック音楽を相手にしなくなるだけです。

いや、音楽たるもの、演奏者だけで成り立つものではないですから、聴衆との関係というのは、否応無しにやってくるものでしょう。プロデュースする側の論理として、客が動員できないのは、どんなに音楽的によくてもダメ、というのとは違う論理があるのがゲイジュツなのではないでしょうか。距離感覚を考慮する必要性は、常にあるでしょう。離れているのをとるのか近いのをとるのか、多いのをとるのか少ないのをとるのか。作曲家たるもの、完全に我が道のみを行くというのは、不可能な訳で。

ようするに金のもらい方の違いでもあるんですよね。税金を前払いの格好でいただいて、それにかなったものを提供する。「芸術の最先端を行く」ことが必要とされた時代はそういう論理で進んでいたのでしょう。今、そういった前衛がこういう分野では難しくなった時、さて次はどうするか、あえいでいるのが現状のような気がします。税金で芸術サポートしてやったがいいけど、こんな音楽じゃ満足できない、という状況が出たらどうするか、などなど。聴衆の積極的な働きかけも影響力を持つかもしれませんよ。メセナにしても、企業がどのくらいまで発言するかなどは、常に問題にされるでしょうし。

>飢え死にしてでも自分の信念を貫くなら立派だとみんな認めるでしょうけど、中途半端は
>しょせん半端者です。

「中途半端」というのは、どういうものをお考えですか?

>「その一線に触れさえしなければ、なんだって譲る」というように言葉が続きませんか?

いや、誰だってそうですが、その程度問題ではないでしょうか。タイトに線引きする人もいれば、そうでない人だっているということではないでしょうか。それが他人から見れば、かなり譲っているようにも見えたり、全然譲らないように見えたりすることはあると思いますけど。譲れるところまでは譲る、譲れないところは譲れない、というか。

>クラ・吹奏界の内部ではなく、現実社会(つまり街を歩いていて目につくお店)と比べると。
>私はクラ・吹奏界の方が、お話にならないほどレベルが低い、と思っているのですけど。

直接的な利益のために動かない機関というのは、程度の差こそあれ、お金でシビアにでてくる世界とは違う論理で動いているということは、あるでしょう。ところで、「レベルが低い」というのは?

http://mailer.fsu.edu/~ataniguc/index-j.html


世に出す、ということ 投稿者:LZFELT  投稿日: 5月 8日(火)17時49分44秒
 NAPPさん、こんにちは。

 なるほど、私の読み方は、「演奏家、作曲家の発言」だ、と思っての読み方でした。

>>アートマネージメントの人達はそれこそ経営として成り立たなければならないように
>>色々な「興行」の案を考え、実行に移します。
 ・・・、うん、その人達の現実と渡り合える力って、どのくらいのレベルなんでしょう?
クラ・吹奏界の内部ではなく、現実社会(つまり街を歩いていて目につくお店)と比べると。
 私はクラ・吹奏界の方が、お話にならないほどレベルが低い、と思っているのですけど。

http://www.geocities.co.jp/MusicHall/6903/


ですかね 投稿者:谷口昭弘  投稿日: 5月 7日(月)02時04分00秒
クラシックもポピュラーも、音楽家はなんとかして生活しなきゃいけないので、そういうレベルでは大きな違いはないでしょう。誰に認められるかというのは難しい問題で、評論家が必ずしもその基準ではないかもしれません。メジャーに見る「ペイすべきポピュラー音楽」ということであれば、おのずからディスクの売り上げとか、数字に見える見返りが必要ということでしょうね。ペイしないポピュラー音楽は商業主義にまみれない、自分の道を行く自由があるということで、クラシックの音楽家に近いでしょうね。ただ芸術の場合は、ペイしないところがあっても、これは芸術なんだ、我々に必要なんだ、見返りを考えずにお金を投資してほしい、という主張がタテマエ上可能というくらいのものなのではないかと。そういう政治的なものがなく、主に聴き手のサポートで成り立つという点では、「ペイしないポピュラー音楽」が(より?)「純粋」と言えば純粋になるのかもしれませんね。

あとは、クラシックの場合、ジャンルによっては、個々人の力だけではやっていけないところがあるでしょう。特にオーケストラやオペラの場合。独奏・室内楽であれば、特に組織として存在する必要がなく、かなりポピュラーの世界に近いと考えることはできると思います。

音楽家個々人の問題もそうですが、一方で、オケやオペラの場合は、これらのジャンルの持つ文化的影響力というのもあるかもしれません。もちろんこれらがなくてもいいということならば、それでもいいのかもしれませんが。

演奏家の箔の問題だけでなく、大きな資金的支えがなければ成り立たないジャンルというのも、やはりあるのではないでしょうか。ここに組織力の必要性、資金調達の必要性など、現代社会には、芸術として存在する意義を主張していかないといけないという問題があるように思います。クラシックはアコースティックな楽器による生の演奏会に、神話的な意義を求める、数少ないジャンルでもありますし。

というか 投稿者:のの  投稿日: 5月 6日(日)22時52分42秒
多くの作曲家や演奏家の収入源は教職やレッスンだから、演奏会が成功すればそちらのキャリアに箔がつくので、それ自体は収入源にならなくてもいい、ということなのでしょう。大赤字だと困るけど。

「ペイしないポピュラー音楽」も同じことで、彼らの収入源は編曲やスタジオ仕事なわけです。でも、創作活動が評論家に認められたところで収入とは関係ないので、彼らの方が純粋かもしれない。

まあ、現実としては 投稿者:谷口昭弘  投稿日: 5月 6日(日)10時36分57秒
芸術音楽が「助成や補助金込みでペイさせようと」しているけれどやっぱり赤字とか、タテマエ的にはペイすることが目的ではない、ということではないでしょうか。助成や補助金といった「公的資金」を使う点も、商売とは違うところでしょうし。お金が絡んでくることは間違いないですけれど。

ポピュラー音楽と分類されているものにもペイしないものはあるのでしょう。まあ、私のはメインストリームのみを考えた大雑把な一般化と言ってもいいのではないかど。メジャーレーベルのプロデュースする側の論理というか。これも、ポピュラー音楽の音楽活動全体から見れば、むしろ小さな人間集団で成り立っているのかもしれませんね。

http://mailer.fsu.edu/~ataniguc/index-j.html


う〜ん 投稿者:のの  投稿日: 5月 6日(日)10時12分50秒
「ポピュラー音楽」はそれだけでペイさせようとし、「芸術音楽」は助成や補助金込みでペイさせようとする、という程度の違いでは。

逆に「ポピュラー音楽」でも、ライブハウスでのギグの大半は全くペイしておらず、現代音楽の自主公演などとどこも違いません。

理想と現実 投稿者:NAPP  投稿日: 5月 6日(日)03時48分38秒
>>ポピュラー音楽というのは、経済的にペイしないと成り立たない、
>>ゲイジュツ音楽は、本質的に利益を加味しないというのが、
>>結局一番の違いではないかと思うんですが。
 (中略)
> 私の読んだ意見では、ほぼこの意見が「結論」になります。私だって
>この意見が間違っているとは言いませんが、本当に本当ですか?

 まぁ、これは一般論的なことですよね。
 ところで、音楽会を開く、というとどうしても演奏家に注目してしまいますが、実際にその開催に関わっている人間は演奏家以外にもたくさんいるわけです。ステージマネージャーなどのホール関係者もそうだし、演奏家の身の回りのお世話をする人たちもいます。そして何よりも忘れてはいけないのは、決して表にでることがない「アートマネージメント」の人達です。

 概して演奏家や作曲家、そして音楽学者という人種は「利益を度外視した表現第一主義」的なところがあるかと思います(私のこのサイトでのスタンスはそうだし、音楽学者である谷口さんもそうなのかもしれません、って失礼!)。いわば現実を考えない理想論。
 これに対し、アートマネージメントの人達はそれこそ経営として成り立たなければならないように色々な「興行」の案を考え、実行に移します。勿論彼らも芸術に携わる身ですから「理想」を全く考えないわけではないのですが、それ以前に金銭的な収支のことを考えないといけない立場にあるわけです。こちらは、いわば理想を(とりあえず)置いといた現実論。
 LZFELTさんがお読みになられた意見は、どちらの立場から発せられたものでしたか?  

 演奏会というのはこの「理想」と「現実」のせめぎあいの結果として生まれてくる訳でして、このどちらかの理念によってのみ成り立っているわけではないのではないでしょうか。そして、まさに「中途半端はしょせん半端者」なわけでして、「理想」を語るならとことん語り、「現実」を述べるならとことん述べる、そんな両方の存在がなければ音楽文化というのは存在できないのではないでしょうか。
 ま、ぶっちゃけていうと「おれはやりたいことやるぜぃっ!」っていう人種が飢え死にしないように手綱を握ってくれている人がいるわけだし、莫大な財産を持ったまま死んじゃう前に使い道を考えてくれる人がいるわけで、どっちが正しいというわけでもないのですが、どっちも正しいとも言えるのでは。

 理想面と現実面の分業化。クラシック界では(完璧でなないにしても)なんとか成立しているこの関係が、吹奏楽では特にうまく機能していない(アマチュアなんだから当たり前といえば当たり前)のではないでしょうか。
 ポップスもそうですよ。表に出るタレントさんやプロデューサーの裏にはマネージメント会社やアレンジャーなどといった、彼らと同じ、いやそれ以上の仕事をしている人達がたくさんいます。

 繰り返しになりますが、音楽活動というものは、単一の人間(人種)のみによっては成し得ないものなのではないでしょうか。

定義する、という切り捨て 投稿者:LZFELT  投稿日: 5月 6日(日)00時38分24秒
 谷口さん、こんばんわ。

>>ポピュラー音楽というのは、経済的にペイしないと成り立たない、
>>ゲイジュツ音楽は、本質的に利益を加味しないというのが、
>>結局一番の違いではないかと思うんですが。
 この意見、100%谷口さんのオリジナルではありませんよね?何%ですか?
 私の読んだ意見では、ほぼこの意見が「結論」になります。私だってこの意見が間違っているとは言いませんが、本当に本当ですか?
 この意見を「結論」ではなく「スタート」にすると、また違った展開が出てくるのだと思うのですよ。

 つまり、全てのポピュラー音楽が経済的にペイできているわけではありませんし、ポピュラー音楽の関係者でも利益を度外視して創作している人もいるでしょうし、クラシック音楽を演奏・作曲をしてお金持ちになった人がただの一人もいないのか、などなど。

 以下は谷口さん個人をどうこう言いたいのではありません。
 クラシック音楽界・吹奏楽界全般に思うのですけど、たとえばクラシック音楽はお金にならない、という事実は正しいとして、じゃあ社会でそのクラシック音楽演奏家の年収よりも少ない年収の職種がどれだけあるか、考えてみたことあります?別に現在の日本だけでなく、高度経済成長期の日本で、血の汗と涙を流しながら低賃金に苦しんでいた人達でもいいです。
 日フィルがフジ・サンケイグループと裁判闘争しながら演奏活動を続けていたとき、そういった人達と直に接することで、自分たちのクラシック音楽を見つめ直していたと聞いてます。今はどうだか知りませんが。
 クラシック音楽というものは、現実社会やお金といったものとの距離感覚を考慮する必要なんてないんだ、というのなら、現実社会やお金の方でクラシック音楽を相手にしなくなるだけです。
飢え死にしてでも自分の信念を貫くなら立派だとみんな認めるでしょうけど、中途半端はしょせん半端者です。
 クラシック音楽は利益とは無関係だという言葉を使って、賃金を貰うということがどれだけ大変かということから目をそらしているだけの人、いません?

>>親しみやすいといっても、譲れない一線があるというのが、演奏家側の本音ではない
>>でしょうか?
 よ〜くわかります。わかるからこそ、「その一線に触れさえしなければ、なんだって譲る」というように言葉が続きませんか?

http://www.geocities.co.jp/MusicHall/6903/


Re:「音楽」への姿勢 投稿者:NAPP  投稿日: 5月 3日(木)03時26分30秒
>うーん、私たちが、これは!と思ったサイトに書き込むと、みんな
>黙っちゃうのですけど、どこかお勧めのサイト、ありませんか?
>とくに楽団所属のプロ奏者がどんなことを考えているのか知りたいです。

 吹奏楽関係の人(に限りませんが)って、自分の管理下にないところでの議論は外から静観していることが多いですからね。まぁ、慎重になってる、といえるかもしれませんが(それよりもその人が所属しているバンドとの意見の相違のほうが怖いのかな)。私も色んなところで反応がなくて寂しい思いをすることはよくあるのですが。
 でも、ふとした書きこみの断片から「疑問」を感じることは時々あるのです。それが議論にまで発展しないのは残念なのですけどね。

>それなのに世の中には、自分の持っている定義こそが正しく、それ以外を
>考えもしない人達がまだまだいる

 谷口さんも同じような事を書いて下さっていますが、やはりそれは「個人個人の考え」の相違から起こることなのではないでしょうか。音楽のようなものには「定義」というのは一人一人それぞれ自分なりの考えを持っていることだろうと思います。唯一絶対なものではないのですよね(このことはLZFELTさんも繰り返し書いておられますが)。 ただ、その自分なりの定義を「意見」として外部にむけて発信するとき、曖昧な考えではなく「自分はこう思う」とはっきり明言することは説得力を持たせるためにも必要なことなのではないかと思います。それを「断定」あるいは「強制」と捉えてしまうかはもう読み手の問題ではないでしょうか。「断定」していると「断定」してしまうことも大変危険なことだと思います。「あぁ、この人はこういう考えなんだな」と書き手の「定義」について理解・賛同・反対などの色々な考えを巡らせることも大事なことだと思います。盲目的に信じてしまう人が出てくる可能性があることも否定できないのですが、そうならないためにも色々な意見の交換がもっと活発に行われるべきではないのか、と思います。

>大衆性を加味していながら経営が苦しくて、行政への援助を要求するって
>のは一体どんな神経をしているのか、わからないんです。

 この「大衆性」というのがどの範囲を指すのかが微妙なところですね。例えば、いきなり地方のあまり音楽体験の少ないところに出かけて行ってブーレーズだのなんだのをやっても理解できる聴衆はごく僅かだと思います。やはりそういったものを聴けるようになるには前段階として他の音楽作品に親しむ必要があり、その以前に「音楽そのもの」に触れてもらうにはポピュラー的なものをやるのが一番効果的であるわけです。そういった「啓蒙的意味合い」を考えると「芸術性」と「大衆性」の間にどの程度の差があるのかはちょっと疑問に感じます(そして、全国での吹奏楽の展開は都心よりも地方の方が割合として多いのでは)。「J-POPをバンドにアレンジしたものを中心に据えた演奏会」とすると「大衆性」が露骨ですが、もしこれが「ピアノリサイタルでエリーゼのためにを弾く」のであれば、芸術性と大衆性、どちらの意味合いが強いものなのでしょうか。
 いずれにせよ、どちらか一方の傾向に全ての音楽活動が偏ってしまう、というのが一番こわいことかな、と私は思います。


 明日(今日?!)は「ミュージック・トゥモロー」です。湯浅譲二先生に「おいで」と言われたので行かないといけません。時間がほしいよぉ。休みがほしいよぉ。

Re:「音楽」への姿勢  投稿者:谷口昭弘  投稿日: 5月 3日(木)01時27分31秒
>それなのに世の中には、自分の持っている定義こそが正しく、それ以外を考えもしない人達が
>まだまだいる。

「不寛容」の問題でしょうか。教義的になってしまうと、その中に当てはまらないものは音楽ではないという。私は、音楽の定義は最終的に各個人でなされるものだという認識にたっていますが、自分の価値観を押し付けてしまうことのないよう、気をつけたいと思います。

>(ものすごく高名な音楽評論家で、この平成の現代にもジョン・ケージの「4分33秒」を
> 音楽として認めない人がいるのをご存じですか?)

音楽作品として成り立つ枠組みがしっかりしていることと、音を中心に据えているということで、私は音楽として認めているつもりですが、異論はあるでしょうね。その人が評論家かどうかというのは、関係ないのかも。

大切なのは、なぜ認めないのかというところを互いに確かめ合うところではないかとも思います。

>大衆性を加味していながら経営が苦しくて、行政への援助を要求するってのは
>一体どんな神経をしているのか、わからないんです。

ファミリー・コンサートとかポップス・コンサートとか、ありますけれど、やはり本家本元のポピュラー音楽ではないですから、厳しいですね。ポピュラー音楽というのは、経済的にペイしないと成り立たない、ゲイジュツ音楽は、本質的に利益を加味しないというのが、結局一番の違いではないかと思うんですが。

親しみやすいといっても、譲れない一線があるというのが、演奏家側の本音ではないでしょうか?

http://mailer.fsu.edu/~ataniguc/index-j.html


「音楽」への姿勢 投稿者:LZFELT  投稿日: 5月 2日(水)23時35分33秒
 NAPPさん、こんばんわ。

>>実のところ色んなサイトを眺めていると「疑問を持っている」吹奏楽人というのは
>>意外と多いのではないか、と思っています。
 うーん、私たちが、これは!と思ったサイトに書き込むと、みんな黙っちゃうのですけど、どこかお勧めのサイト、ありませんか?とくに楽団所属のプロ奏者がどんなことを考えているのか知りたいです。
 その一例として。
「音楽」という言葉に過去と現在があるのだから、当然未来もあるわけですよね。
 意味だって変化している、文字だって変わっている(楽という字、旧字体がありますよね)、発音だって「n+が」が永遠不変のものだとは思えない。
 それなのに世の中には、自分の持っている定義こそが正しく、それ以外を考えもしない人達がまだまだいる。
(ものすごく高名な音楽評論家で、この平成の現代にもジョン・ケージの「4分33秒」を音楽として認めない人がいるのをご存じですか?)
 管弦楽団・吹奏楽団問わず、「クラシック音楽というのは堅苦しいものでも難しいものでもありません。楽しいものです、気楽に聴いてください」と言う楽団がたくさんあります。
 じゃあ今時「うちの楽団は高い芸術性を追求しています。生半可な態度では聴きに来ないでください」と公言している楽団があるのか、とつい考えてしまいますがそれはともかく、大衆性を加味していながら経営が苦しくて、行政への援助を要求するってのは一体どんな神経をしているのか、わからないんです。
 高い芸術性を追い求めて、それでお客さんが来ないっていうのはわかるんですが、楽しさや気楽さを売りにしてお客さんが来ないってのは、たんに経営者が無能なだけでしょうに。
 楽団経営、利潤追求、社会への発言力などなどを演奏水準と同じくらい真剣に考えている人、いないかなぁ。結局は「おクラシック」に染まっているんじゃないかなぁ。

http://www.geocities.co.jp/MusicHall/6903/