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『早わかり』組曲! 投稿者:Jun  投稿日: 6月15日(金)07時04分52秒
>グレインジャーの『In a Nutshell(早わかり)』組曲

いいですねえ!確かラトルのアルバムに収録されていた作品ですよね。
すごく面白いと思っていました。楽しみです。
がんばれ、原町二中(^_^)!

ユーフォニアムについて+etc. 投稿者:渡部謙一(わたなべ けんいち)  投稿日: 6月15日(金)00時07分50秒
私のエッセィから入ってくれた人がいるようですね。
ユーフォに関して、だいぶお悩みのようでしたのでちょっとだけコメントします。
一つはっきり言えることは、プロの演奏団体に定席がないことや、マスター・レパートリーが無いということをマイナスに考える必要はないということです。と言うか、それは歴然たる事実なのであると認識した所から、何か新しいことが始ると考えましょう。私のエッセィも、そう行った発想から全て生まれました。

バンドの中での扱いがひどい、という点は、これから改善していけば言いのです。むしろ、いろいろなことにチャレンジ出来るという点で、それは利点でなはいですか?チェロやファガゴットにはもちろんそれぞれの楽器の語法(と言うか言語ですね)があって、ユーフォニアム語を母国語とするユーフォニアム人にとっては、話しづらいものであったりするわけです。が、日本人が勉強して英語やフランス語をしゃべるように、ユーフォ人もは他の楽器の言語をしゃべる勉強をしなくては奈良無いと、俺からの将来生き残っていけないと思います。と言う反面むしろ、他の楽器よりも「外国語」を話す機会を与えられている点で、極めてグローバルで未来的な楽器の資質を持っていると思います。(それをどれだけ発展させるかが私達の仕事なのですが)

ま、これは吹奏楽における編曲作品との関係に酷似していますね。

なので、まぁ、いろいろ勉強してみてください。中央千里さん
(ちょっと話しをごまかしました。)

閑話休題。
益野様をはじめとするグレインジャー愛好家の皆様、
本年度の吹奏楽コンクールで、グレインジャーの『In a Nutshell(早わかり)』組曲を、私のトランスクリプションで福島県の原町第二中学校がやります。がんばって普門館まで行ってくれるといいと思います。グレインジャー協会の許諾を得て、全てオケ版と同じ調に変え(ガムサッカーズ・マーチもホ長調に戻しました)、新盤として演奏します。近いうちに出版できるよういろいろと調査中です。

ご興味のおありの方は、ある条件をクリアすれば楽譜をお見せしてもいいです。ご一報下さい。

時代の変化(意味不明) 投稿者:LZFELT  投稿日: 6月13日(水)22時55分10秒
 益野さん、初めまして。(^^)
 最近私はパソコンゲームに夢中になってしまい、吹奏楽のことを考えてませんが。

「全ての才能を吹奏楽へ」というのは、他分野の才能ある人達に直接来て貰うのではないです。
 それが出来れば嬉しいのですが。
 体で覚えた技術や経験を言葉で表すことは、至難の業ですし、他人への伝達もまた難しい。
 しかし、それらの技術や経験を言葉へ昇華できれば、100%伝達は出来ないにしろ聞く人読む人へ何かを伝えます。吹奏楽の人達が目を塞ぎ耳を閉じているのはまさにそのところで、主観を大切にすることは大事ですが、社会や他人からの視点を考えれば自分の主観も実は選択肢の一つにすぎないことが解るはずなのですが、自分の演奏技術を磨くことにしか興味を持たない人、自分の主観だけをより強いものにすることにしか興味を持たない人が大勢いるのが現実です。

 益野さんはホルスト、グレインジャーなどを例に挙げて書きましたが、実は彼らは何を演奏するか、どう演奏するかだけではなく、なぜ演奏するのか、をずっと考えていた人達なのではないかなあと私は考えているのですが、いかがでしょう?

 益野さんが生まれて初めて音楽を「やりたい!」って思った瞬間は、どんなときでした?

http://www.geocities.co.jp/MusicHall/6903/


はじめまして 投稿者:中央千里  投稿日: 6月13日(水)19時59分44秒
 はじめまして、中央千里と言うものです。大阪でユーフォニアムの勉強をしているものです。どうぞよろしくお願いします。
 こちらには、Band Power の渡部さんのエッセイからやってきました。御意見を読ませていただいて、今現在やっている吹奏楽について、もう一度自分なりの考えをまとめてみようと思いました。もしかしたら、いつかこちらに寄稿させていただくかも知れません。そのときはよろしくお願いします。

 さて、話はかわりますが、先程申しました通り私の専門はユーフォニアムなのですが、一般的にはオーケストラでの定席がなく、吹奏楽やブリティッシュスタイルのブラスバンドで使われることが多いです。
 その関係で私は吹奏楽を好んでいるのですが、編曲、オリジナルを問わず、ユーフォニアムの扱いがあまりにもひどいものを見かけることがあります。(チェロやファゴットのパートを丸写し、金管楽器としてはきつい音域でのPでの演奏etc.)
 そこでお尋ねしたいのですが、作曲家や指揮者にとって、ユーフォニアムと言う楽器の存在はいったいどのようなものなのでしょうか?
 そんな楽器は知らないと言う方も作曲家のなかにはおられるようなのですが、そう言われてしまうと私としては悲しくなってしまうのです。個人的には現代の吹奏楽の中であるべき楽器の一つだと思っていますし、吹奏楽同様、歴史の浅い分様々な可能性のある楽器だと思っています。みなさんはどう思われますか?
 
 なんだか、取り留めのない文章になってしまいました。すいません。質問に対する御意見いただければ嬉しいです。それでは、失礼します。

うぅっ 投稿者:NAPP  投稿日: 6月13日(水)01時08分08秒
ご指名いただいてますが、18日の音楽学の研究発表が終わるまでレスを付けられそうにないです。申し訳ないですがそれまで待って下さいね。
それにしても11日に作曲特論の研究発表があったばっかりだというのに1週間で次の発表があるとは・・・・・

>S・Oさん 投稿者:ちんぴら指揮者  投稿日: 6月12日(火)23時19分58秒
ご覧になってるんですね。そりゃどうもありがとうございます。m(_ _)m
>ただ、「暁の出撃」「ビクター/ビクトリア」「ナタリーの朝」「いつも二人で」
>「ニューヨークの恋人(ディア・ハート)」「華麗なるヒコーキ野郎」「スペース・バンパイア」
>などに触れられていないのは、やはり画竜点睛を欠くというものでしょう。
>ぜひこれらの音楽も、ご鑑賞を。
お説ごもっともです。只、これらの曲は僕も知ってはおります。どれもマンシーニならではの職人的な仕事と思ってはいます。
しかしながらいろいろ取り上げようとすると、彼の残した仕事は何せ数が多いです。
ま、それだけ質の高い仕事をコンスタンスにやったという証拠でしょうが・・・
そんなわけであのコーナーは曲は知ってても作曲家の事までは知らないと言うほとんどの方により深く映画音楽をご紹介仕様という主旨なのでどうかその辺をご理解いただいた上で、ファンの方にはご容赦頂きたしというところです。
しかし、まだ取り上げていない人の事について同じ事を思われる方もいるのかな?
と思うと早更新続けねばと思わされました。次は誰をネタにしよっかな。

http://www2.odn.ne.jp/~cau62570/index.htm


(無題) 投稿者:S.O.  投稿日: 6月12日(火)21時49分28秒
>ちんぴら指揮者 さん
 そんなこと言わずに、頑張ってくださいよ。

 それはともかく、映画音楽のHPは楽しみにしているのですが、常々、画竜点睛を欠くような気がしていました。ジェームズ・ホーナーやら、デビット・アーノルドやらが登場しているのに、私が最も敬愛しているあの不世出の巨星が紹介されていないとは、何事か。と思っていたら、いよいよ登場しましたね。最近、この人のHPが他にもできていて
http://t-groups.com/mancini/
とても喜んでいたところなのですが、いずれも高い見識と評価をされていることを嬉しく思います。
 ただ、「暁の出撃」「ビクター/ビクトリア」「ナタリーの朝」「いつも二人で」「ニューヨークの恋人(ディア・ハート)」「華麗なるヒコーキ野郎」「スペース・バンパイア」などに触れられていないのは、やはり画竜点睛を欠くというものでしょう。ぜひこれらの音楽も、ご鑑賞を。
 この方の映画音楽に関する薀蓄やりだすと、止まらなくなるのですが、趣旨から外れますので、このへんで。

むりむり・・・hahahaha 投稿者:ちんぴら指揮者  投稿日: 6月10日(日)19時30分41秒
>S.Oさん
ありゃ!?ご覧になったのですか。入念も入念に書かれているので厳しい曲ですよ。
まさにこれこそ楽譜に忠実になることを求められています。

>頑張っていただいて、コンクールの全国大会にまで出ていただきたいと・・・
そりゃ無理ですわ・・・(^0^)>
とりあえず地区大会まではと頑張ってはいますが、う〜んそれは僕にメジャーリーグに挑戦しろというようなもんでしょうね(笑)
それよりHPで頑張って宣伝してどっかの有名BANDの色気をひいた方がいいような・・・
でもこれは半分マジで思うことです。僕達だけの演奏で終わって欲しくない。新しい音楽に皆も挑戦して欲しいです。”今”の若い感覚で書かれた固有の楽曲ですから貴重な作品です。
過去の遺産的な音楽も決して悪くはないですが、同時代の”先”を向いた音楽にも演奏の目を向けて欲しいものです。
うちの楽団の連中も、訳の解らない状態ながら拒否反応は出ていません。それよりもどう克服すべきかと格闘し始めています。立派なもんです。
私も少なくとも初演者としての責任を果たせなければなりませんのでBESTを尽くすのみです。

ところでご本尊の作曲者もそろそろ登場されんじゃないかな?

http://www2.odn.ne.jp/~cau62570/index.htm


>遮光の反映 投稿者:S.O.  投稿日: 6月10日(日)18時46分13秒
>ちんぴら指揮者 さん
 先日、ちらっとそのスコアを見せていただいたのですが、現代的で、厳しそうですね。前文に、クラスターの指示とかが細かく示されていて、入念に書かれていると感じました。ただ、こういう現代音楽のスコアは、私には読めませんので、イメージできませんでした(;_;)。

 その際にも話題になったのですが、この作品がCDに録音されて全国に発売され、その作者をデビューさせるためにですねえ、ぜひ、「ちんぴら指揮者」さんには頑張っていただいて、コンクールの全国大会にまで出ていただきたいと願っておりますですよ。

遮光の反映 投稿者:ちんぴら指揮者  投稿日: 6月10日(日)09時53分31秒
ここの書き込みはご無沙汰してましたね(ごめんね)
もうお題目の件もOPENになりましたのでここでちょいちょい報告しようかと思いまして来ちゃいました。(^0^)>
今週は2回の練習は両方とも「遮光の反映」でした。NAPPさんが言うとおり横の音楽に慣れていないのがもろに出まして、「いつもの調子でやりゃ行けるだろう?」なんて感じで臨んでたのがまともに不出来に出てました。こういう個人の責任をさぼって合奏で醜態さらすのが僕は一番頭にくるのですねぇ。昨日の合奏では久しぶりに本気で怒りぶちまけてまして団内のMLでは今後の警告がまわっておりました。(さらっておかんとやばいぞ・・って)

但し、部分的にでも楽譜どおりの音が出ると作品の面白さが皆も実感しかかっているのも事実です。
曲の”流れ”が出てくるくらいになってくれればさぞかし面白くなるでしょう。
こういう未体験の世界を持つ曲を手がけるというのは実に意義があります。
NAPPさんが来られる頃にはまともにしときます。

http://www2.odn.ne.jp/~cau62570/index.htm


いろいろ 投稿者:益野大成  投稿日: 6月10日(日)09時12分16秒
 NAPPさん、コンサートに関するお話、ありがとうございました。響きがイギリス風という話はちょっと嬉しかったです。
 私は昔、某吹奏楽フォーラムで「イギリスで聴いた吹奏楽の音は“スカスカ”で、最初は違和感があったが、慣れると良かった」という話を読んだことがあります。NAPPさんが、“スカスカ”という意味でイギリス風とお感じになったかは分かりませんが、色彩が分離した、線的な音を考えている私にとって、スカスカサウンドはある意味ホメコトバというか目標なのです。ついでに言えば野卑とか、ガチャガチャ、とかいう言葉も、直接的なものを考える私にはケナシ言葉ではありません(まあ、ものには限界ってのは当然ありますが)。

 我々の活動に対して、NAPPさん、S.O.さんに励ましを頂戴して大変光栄です。まあ、いつまでやってゆけるかは神のみぞ知るです。今回のプログラムでうちのやってきた代表的な曲を集中的にやってしまったので、「次の演奏会はドーシヨー」と悩んでおります(笑)。それにしても、音大出たわけでもない一介の素人が何かやれる分野ってのも少ないわけで、吹奏楽の“若さ”の証明かもしれません。

 >S.O.さん
 音源紹介ありがとうございます。何か、1から作るのに慣れてしまって、音源聴くと「こんなに上手くできないや」なんてやる気失ったりしないだろうな、と少々恐い物見たさに似た気分ですが、やはり聴きたいという気持ちの方が強いかな。

 >NAPPさん
 チャベスは私もあまり聴いたことはないですが、「アンティゴナ(SINFONIA DE ANTIGONNA)」は良かったなあ。なぜか伊福部風の響きを先取りしたような所もあったりするし。有名な「シンフォニア・インディア」は、悪くないけど私にはちょっとウスアジ(笑)。
 レブエルタスは「マヤ族の夜」に強い印象があります。元が映画音楽だという大衆性の強さがちょっとナニなほかは、大した個性的というか、“濃い”ですよ。この曲でいう限り、確かにチャベス以上の再評価というのもうなずける。でも他はちょっと「?」かな、あまり聴き込んでないですけど。
 もう廃盤かもしれませんが、CDを書いときます。日本クラウン「メキシコの音楽III」CRCB-205(もとはASV)に「シンフォニア・インディア」「マヤ族の夜」(ついでにこのCDに入っているポンセのVn協奏曲も悪くなかったです)。
ASVからCD DCA 942「MUSICA MEXICANA VOLUME8」に「アンティゴナ(SINFONIA DE ANTIGONNA)」。2枚とも同じ指揮者で、クリアにやってるけど、スピードへの感性が少し足りないかな?

 >LZFELTさん
 はじめまして、でしたっけ? 別フォーラムでお会いした方だと思っていましたが、勘違いだったらすみません。BJ誌の付録はあまり私は印象に残ってないのですが、確かにある程度軌道に乗っている一般バンドにおいて、個性的な選曲は難しいでしょうね。
 それと、「全ての才能を吹奏楽へ」はちょっと難しいと思います。全くの私見ですが、日本における吹奏楽の最盛期は60〜70年代くらいか、と思っています。今はその時期に青少年だった人たち(たとえば私)などが活動しているので一見の賑わいはあるのですが、世間的な「旬」という奴は過ぎたのではないかなと思います。

 世界的には20世紀前半から中盤が「旬」だった気がします。ホルスト、グレインジャーはもとよりですが、「弦のある合奏体には書く気が起こらない」というふうな作曲家(ストラヴィンスキーとか黛敏郎とかそんな風ですよね)が居たわけですからねえ。彼らの影響を受けたり、「俺も一つくらいは書いてみるか」という追随的現象で、本来なら書かなかったかもしれない人が書くということもあったかも知れませんが、今はどうですか・・・。

 しかしこれは衰退というのとはちょっと違って、世間的な流行期、あるいは爆発的成長期が終わった、ということではないかと思っています(だいたいがクラシック自体そんな感じ?)。でもそういう世間的なものは別にして、成熟や成長というもの自体はいつの時代でも進むことでしょう。

 しかし、流行が終わったというのも即断かな。ベートーヴェンの曲が大衆的に受容され、人気を集めたのは19世紀から20世紀だから、その辺のタイムラグも考慮する必要があるでしょう。とすると、今は20世紀の吹奏楽の業績が受容されはじめる時期かもしれないですね(だとすると私やLZFELTさんのやっていることは大変時宜にかなっているということになるのでしょうか?)。

 受容がなされる事によって作曲界や演奏界がまた活性化するかもしれません。

引け時かな? 投稿者:LZFELT  投稿日: 6月 8日(金)23時34分03秒
 NAPPさん、こんばんわ。

>>具体的な目的意識を持たずに「楽しいからやるんだよ」というのがアマチュアの
>>アマチュアたる所以でもあるわけなのですが
 作り手がいて、その作り手と「気の合う」お客だけで成り立つ世界ですからね。
 作り手がいて、その作り手が「話の合う」お客を見つけて、話してって話してって作る技だけでなく話す技を磨かないと、もう先はないでしょう。他分野に客をもってかれて。

 ルーツってのは集団の歴史のことではなく、あなた(不特定多数の人達を指す)が、いっちばん最初に音楽を「やりたい!」って感じたのは、どんな状況でした?って個人的なルーツです、と話を進めよと思っていたのですが、もうどうでもいいや。
 
 NAPPさん、ご存じでしたら教えていただきたいのですが、吹奏楽関係者で音楽美学の信念を基本にして活動をしている人は私の周りにも大勢いるのですが、「才があれば妖魔だろうが汚猥だろうが喰らい尽くす」(by季學仁&王斤太)ような、徹底的な音楽実学者って、どなたかご存じないですか?徹底した吹奏楽現実主義者。
 谷口さんは「アマチュア・オーケストラ入門」のことを書かれていましたけど、私がいいなあと思っているのは、サティ、コクトー、ピカソの競作だったり、唐十郎と横尾忠則の関係が羨ましい。
「全ての才能を吹奏楽へ」(もちろん元ネタはレーニン)が理想なんですけどね。

http://www.geocities.co.jp/MusicHall/6903/


曲の練度とスタンダード化 3 投稿者:益野大成  投稿日: 6月 8日(金)07時20分32秒
 私としては、既に一つの方向性を出している(http://sapporo.cool.ne.jp/dojin/の「モリーの吹奏楽」参照)のですが、これを広めることが出来ない自分たちの非力と、これを受け取ることの少ない世間の従来的嗜好の厚さが残念です。オリジナル曲が乱発されては消えてゆくこと自体は結構な事だと思います。多作多捨は吹奏楽活動のぶ厚さを示します。映画だって「ゴジラ」という、いわばキワモノは、多産時代の日本映画界だったからこそ生み出されたといえるでしょう? しかし、一方で再演に耐える「スタンダード」を掲げなければだめです。吹奏楽における古典(聴いたことのある曲)を作らねばなりません。そのためには実際によい演奏を繰り返し行う必要があります。演奏者側にとっては練度を上げ、聴衆にとっては聴き慣れさせるために。

 これは本来プロのやることですが、アマチュアでも、少なくとも「曲に共感した演奏」が出来るならば、ずいぶん貢献できるでしょう。

 ただ、いったいどの曲を選ぶか。それは自分たちの目と手が頼りです。それは自分たちの音楽経験や音楽的教養、趣味の良し悪し、新しいものへの柔軟性、穏当な判断が出来るかなど全てが反映されることでもあります。クラシックにいかに造詣が深くても、従来的なクラシック世界にのみ深いといった類の人にこの作業は不向きかもしれません(たとえば私は「楽しいもの」「子供っぽいもの」を芸術の域に昇華する事は、従来のクラシックのあまり得意とするところでなく、吹奏楽における有望分野だと思っているのですが。この、グレインジャーの民謡セッティングで示唆された分野について、どれほどの人が向かい合ってくれるか…。聴いた瞬間に「面白い」「愉しい」「綺麗」という感想を引き出す世界に)。
 また、多数決的な、「民主的選曲」とも両立は難しいかもしれません。

 単なる抽象的な訴えではなく、私は具体的に望む。

 共感に満ちた、どの瞬間にも無意味さの存在しない「サンタンガセレナーデ」が聴いてみたい。整理され切ったサウンドではなく、音色的なガチャガチャ感を生かしたまま、かつ高レベルの「子供のマーチ」が聴きたい。木管の超高音域を克明に聞き取れる「吉志舞」を聴きたい(作曲者への共感がない演奏は論外)。これらをリスナーとして聴きたい。
 個人的な好みを付け加えれば、いかにノーミスでもコンクール的な「身だしなみの良い」演奏はノー。“一つのメロディーと伴奏”というホモフォニースタイル一本槍もノー。音色は分離し、溶け合ったサウンドを過度に追求しない。

 ※ただし、この「個人的な好み」の入った演奏は、従来的な「良い演奏」とも異なるので、曲目のみならず、演奏スタイルも新たに開拓することになり、支持獲得は一層困難になるでしょうが・・・。

 ともあれ、良い演奏を繰り返すことで、良い曲をスタンダードとして根付かせて欲しい。「自分たちの目と手が頼り」とか書きましたが、私には実際そんな難しいこととも思われないんです。たとえば「プロコフィエフのマーチよりも誰だかさんのマーチの方が録音、演奏回数とも圧倒的に多いなんて変じゃないか」程度の意識で取り組んで十分だと思います。

曲の練度とスタンダード化 2 投稿者:益野大成  投稿日: 6月 8日(金)07時19分18秒
 1で書いたように、現在うちの団は火の車です。人数不足のため、合奏しても曲の概要がつかめないのは今までもそうでした(指揮者だけが、勘を頼りに「この曲はダイジョウブだ」と主張)、しかし昨今は試奏もままならなくなってきています。グレード4ちょっと程度の曲はやり尽くしてしまったことも痛い。

 こんなことを書いたのは、別にナキゴトを言いたいからではアリマセン。

もっとウチの団が取り上げた曲や、ウチの団の選曲視点が、他団体にも広まらないものなのか? 

 という気持ちがあるからです(うちとは全く別個に立ち上げた、ウィンドシンフォニカさんのような素晴らしい実践もありますけれど)。たとえウチは潰れても、その遺産が広く散ってゆくならこんな嬉しいことはないのですが、どうもいけません。私が思うにサウンドや曲想に対する従来の嗜好が根深いのです。
 金管主導・厚い中音域・すぐに手慣れたファンファーレ的楽想が出てくるような吹奏楽が悪いとは言いません。でもホントに「いい」と思っているんですかね。
 まあ、「オケ名曲、オリジナル、ポップスなんでもできる(しかも人数指定とか堅苦しいこと言わずにやれる)のが吹奏楽のいいところ」なのは確かです。この点、全く絵に描いたようにアマチュア向きの媒体なわけですが、そうでない「吹奏楽の独自性」を目指す人の少なさに、あらためて愕然とします。プレイヤーにしても、聴衆にしても、かなり狭い層なのだ。と覚悟しなければなりません。最近ここで話題になっている、演奏側・作曲側からの世間へのアプローチは大変必要なことと思いますが、「ものが良ければ売れる」「宣伝が良ければいける」という単純なものだとは思わない方がいいと思います(あ、ここに書かれている方がそのような単純な視点を持っているという意味ではありません。読んでいる方々のためです)。

 悲しいながら、管楽合奏はそれほど人々の興味を引く媒体でない「かも」しれない。

 しかし、オーケストラの部分集合と捉えられる各ジャンル(つまり独奏、弦楽四重奏、弦楽合奏、木管五重奏など)程度にはメジャーになれるハズと思いますが…。

 まあ、一つには皆さん忙しすぎる。吹奏楽をやっている人(有力な聴衆でもあります)は自分のところの指導や練習で休みは手一杯でしょう。その他の一般の人について言えば、やはり知らない曲ばかりだと聴きに来ないですね。あまり偏見持ってないような、普段クラシック系を聴かないような方達は「演奏会よかった。でももっと有名な曲をやって欲しい(つまりリピーターにはならない)」し、クラシックを聴く層は、そもそも吹奏楽を相手にしない傾向が強く、ましてや彼らも知っているか知らないかスレスレの作曲家(グレインジャー、チャベス、伊福部昭、ホヴァネス、サリナック…)だとやっぱり素人同然の傾向(知っている曲しか聴きに行かない)が現れ、演奏会に足を運ばないような気がします。まあ、その団体が凄く上手ければ聴きにいくとは思いますが。それはプロ演奏家の領域です。

曲の練度とスタンダード化 1 投稿者:益野大成  投稿日: 6月 8日(金)07時18分03秒
 S.O.さんの感想を読んで、曲の練度という奴は、やはり実演を重ねていかないとどうにもならない面があると痛感しました。「聖歌とフーギングチューン第1番」の前半(聖歌)のテンポが下がりきらなかったのは主としてプレイヤーの練度不足(4声を構成する必要メンバーが揃っての練習は3回程、時間にすると2時間弱か)。コーダで走ったのは指揮者の練度不足(判断ミス)です。

 だからS.O.さんが感想を聞いた女性団員が「初めは(曲が)よく分からなかった」と言ったのは当然で、4声必要な聖歌の部分で、2声しかないという状態での練習が続いていました。トラの方たちはレヴェルの高い方がほとんどでしたので、当日はそれなりの演奏には聴こえたかもしれませんが、内実は火の車です。それが端的に現れるのが、“曲の練度”という部分でしょう。十分な感情移入をするためには、曲に対する慣れそして安心感が必要ですが、一般バンドの場合、技術や合奏回数、更には合奏人数の不揃いなどの制限があり、すぐにその域までには達しません。

 指揮者(というか益野個人)の立場でいえば、私は初めてやる曲については、細部の美しさに心を奪われて、テンポ設計をミスすることがあります。2回目からはそのこだわりが嘘のように消えてしまうという体験もしました。時間をおくというか、“寝かせる”効用は、この点でもやはりあると思います。

 うちの団は、良い曲は再演する(スタンダード化)という事を初めから視野に入れて活動してきましたが、録音を聞き返すとやはり演奏回数の多い曲程(少なくともテンポ的には)安定していましたね。
 だから、真価を発揮させるには、良い曲は何度もやらなければならない側面があります。

 初めてやった「吉志舞」がテンポ的に(さほど)ヘンテコでなくて本当にホッとしています(細部はまだまだですが)。

 とはいえ、何回もやっていると、細部の作りがおざなりになってくるという別現象も出てくるので、厄介です(笑)。

 なお、団員内に「聖歌とフーギングチューン」は「名曲」という声がありましたことを、S.O.さん向けに付け加えておきます。

ん〜 投稿者:NAPP  投稿日: 6月 8日(金)01時18分42秒
東京コンサーツのサイトを何気なくみてたら、石井眞木が現在作曲中なのは8月16日に秋田で開催される「ワールドゲームス秋田2001」の式典音楽なんですね。
演奏が自衛隊音楽隊ってことは、吹奏楽?
式典讃歌「まほろばの秋田」が大合唱付き、あとは「ファンファーレ」、「入場行進の音楽」と三曲セットみたいです。
う〜ん、兄の石井歓「大いなる秋田」を思い起こさせる(笑)。でも二人とも東京生まれなんですけど。

あとは権代敦彦先生がメルツバウとの共同製作で発売するCD「BLACK MASS」も気になるところ。

>S.O.さん
 レブエルタスもチャベスもよく知らない作曲家です (;^_^A
 チャベスだったらうっすら知ってるような気がしますけど・・・・・情けない話です。
 色々探してみようかな

訂正 投稿者:S.O.  投稿日: 6月 7日(木)22時07分49秒
細かい間違いはいっぱいあるけど。

>音源を提供する側が、しっかり認識してほしいです。
>>音源を提供する側が、しっかしその責任を認識してほしいです。

>レブレルタス
>>レブエルタス
 ちなみに、シルベストレ・レブエルタスも、チャベスとほとんど同世代のメキシコの作曲家ですが、スペイン内乱で義勇兵として戦ったという熱血漢です。パワフルな民族的作風が特徴ですが、比較的若死にしたために、ほとんど忘れられていました。しかし、近年、チャベス以上に再評価されている人ですね。

札幌にて 投稿者:NAPP  投稿日: 6月 7日(木)20時08分23秒
>益野さん、S.O.さん
 レスも兼ねまして、札幌での演奏会全体に関する私の感想を遅れ馳せながら書かせていただきたいと思います。
 個々の曲に関することはS.O.さんに書いていただいてますので割愛します。
 全体として、よくある吹奏楽団の演奏会では(不思議と)耳にすることがほぼ皆無である作品が中心であったことについて考えさせられました。伊福部作品やカウエル作品は言うまでもなく、他の作品も「ほぼ埋もれている(名前だけはかろうじて知られているかも)」作品であることは残念ながら否定できないでしょう。1、2曲ならまだしも、ほぼ全てがそのような曲であることは実に驚きでした(だからこそ聴きにいこうと思ったのですが)。
 益野さんがこれまで当掲示板に書かれてこられたようなこと(過去ログの「アマチュアである意義」などを参照)がよく伝わってきた演奏会でした。また、終演後に益野さんがおっしゃっていた「プロのように何らかの制限を受けない、アマチュアだからこそできること」というような言葉がとても印象に残っています。 今回の演奏会で伊福部「吉志舞」が蘇演されたことを音楽学者の沼野先生と話していたのですが、そのときに「今回のもそうだけど、菅原明朗「葛飾情話」(浅草オペラ。荒川区民交響楽団により蘇演)もアマチュアだったし、こういった活動はアマチュアのほうがやりやすいのだろうね」とおっしゃっていました。「アマチュアだからできること」。このことが持つ意味を強く感じた演奏会でした。こうした活動をしている人達がいるんだよ、ということをより多くの方に知っていただきたいですね。実に感動的な演奏会でした。

 話が違う方向にいってしまいますが、「ウインドシンフォニカofサッポロ」さんと「同人吹奏楽団」さんの方向性の違いについても思ったことがありますので書いておきます。この掲示板をご覧の皆さんはご存知でしょうけれども、この二つの楽団は偶然にも同じ札幌において活動し、一見同じような活動をしているように感じていました。録音ではありましたがシンフォニカさんの音も聴かせていただいたのですが、そこに明かに同人吹奏楽団さんとは違うものを感じました。幾つかの点があるのですが、一番感じたのは、シンフォニカさんは他ジャンルとの接点を求めているのに対し、同人吹奏楽団さんはあくまでも吹奏楽作品独自の価値を求めているのではないか、ということでした。選曲もそうなのですが、音そのものの特徴がそうであったように感じました。
 あと、音の嗜好性。シンフォニカさんはフランス的であるのに対し、同人吹奏楽団さんはどちらかというとイギリス的であったように感じました(私の耳が悪いのかもしれないけど。あと選曲の関係もあるかも)。
 北海道に行く前と後ではシンフォニカさんの活動についての考え方が少し変わりましたが、これはまたの機会にしたいと思います。
 似て非なる、すばらしい活動をしている二つの楽団が(同じ地で活動しているのは奇妙な偶然ですが)、それぞれの考えを持って演奏してくれていることをとても嬉しく思いました。

 他にも書きたいことがあったような気がするのですが、とりあえず一回筆を置きます。また思うところがあったら書きますので。

レス 投稿者:NAPP  投稿日: 6月 7日(木)20時07分41秒
いやはや、レスが週一のペースにまで落ちてしまって申し訳ないです。う〜ん、さらにペースダウンするような予感・・・・・

>LZFELTさん
 「言語化する」ということは、自らの活動を客観視するという意味でも大切なことですよね。全くしていない人達がいないわけではないけれど、自分達が「これこれこういう活動をしています」と明確にかつ具体的に説明できる(しようとしている)人達はたしかに少ない。吹奏楽団のサイトで「私たちはこういう目標でやってます」と書いてあるところは少ないですよね(書いてあっても、なんだか漠然としているし)。
 まぁ、具体的な目的意識を持たずに「楽しいからやるんだよ」というのがアマチュアのアマチュアたる所以でもあるわけなのですが(楽しみのためにやる、ということそれ自体は決して悪いことではないですよね)、それにプロが引っ張られてしまうというのは問題でしょうね。
 よく私は「音楽家なんだから音楽で語れ」って言われますけど、「どう語るか」はたしかに音楽でやりたいけど「なぜ語るか」はやっぱり言葉での補強が必要かな、と常々思ってます。
>ルーツを自覚するだけでも、その人の音楽性は支持されやすくなると思うのだけどなあ
 音楽家の場合、「民族性」というものに落ち着くことが多いですよね。

>まっつんさん
 お久しぶりです。繰り返しになりますが、「Japanese Band Music Encyclopedia」には吹奏楽作家を含めたベータベースになってくれることを期待しています。うちはもっと狭い範囲をやりますので(笑)。ただの情報の羅列になってしまいがちなこの種のサイトですので、どのようにして個々の作曲家を特徴づけていかれるのか、注目しておきたいと思います。
 ところで、西村先生所属の事務所って東京コンサーツのことでしょうか?
http://www.tokyo-concerts.co.jp/
 この事務所に所属していて貴サイトのリストにのっていない作曲家で、西村先生の他に吹奏楽作品を書いている人というのはちょっと思いつかないのですが(書いて欲しい人はいるけど)。この事務所には湯浅先生も所属しておられますが、作品リストに載っていない非公式作品である「新潟」が掲載されていて、作品集にレコーディングまでされている西村作品が掲載されていない、というのは疑問ですよ。
 いずれにせよ、がんばってくださいね!

>蛯名さん
 はじめまして。この演奏会のことは先日メールにて某関係者の方からご案内をいただきました(ありがとうございました!)。
 このような演奏会の広告でしたら、この掲示板での宣伝は歓迎ですよ。やはり本場アメリカの新作オリジナル作品をまとめて聴ける、というのはなかなか無い機会ですからね。
 私も聴きにいきたいと思っています。でも月曜日かぁ。レッスンが5時からだから・・・・・


 Hindemithの「交響曲変ロ調」の楽譜を注文していたら、先方から「日本への輸出はできない」との返事。おっかしいなぁ?

全曲本邦初演!コーポロン指揮昭和ウインド・シンフォニー 投稿者:蛯名信一  投稿日: 6月 7日(木)12時23分54秒
突然で申し訳ありません。私は昭和音楽大学演奏室の楽譜係、蛯名信一と申します。
こちらの掲示板の趣旨に合うかどうか少々心配ですが、私どもの演奏会について書き込ませて下さい。
昨年から、管打楽器専攻学生選抜者による昭和ウインド・シンフォニーを立ち上げ本邦初演の吹奏楽作品を中心とした演奏会を開催しています。
指揮は吹奏楽指揮の分野で全米1.2と呼び声の高いユージーン・コーポロン氏で今回のプログラムは
タイムピース Timepiece (シンディ マクティー Cindy McTee)−2001
虫たち Bugs (ロジャー スィーチー Roger Cichy)−2000
ダンセリーズ Danceries (ケネス ヘスケス Kenneth Hesketh)−1999
ストンプ イゴール Stomp Igor (ロバート パターソン Robert Patterson)−1998
戦士たち The Warriors (パーシー グレインジャー Percy Grainger)−1916
と言うもので、いずれも初演とのことです。
開催日は6月25日(月)7:00pm 、初台の東京オペラシティ コンサートホール
交通は新宿より京王新線初台徒歩3分で、チケットぴあにて発売中(2,000)です。
よろしければ是非お出で下さい。
何かご質問がありましたらメールにてお問い合わせ下さい。
また、大学主催ですので高校生には無料招待のシステムがあります。
ご希望がありましたらメールにてお申し込み下さい。
ホームページは、http://www.tosei-showa-music.ac.jp/です。
よろしくお願いいたします。

(無題) 投稿者:S.O.  投稿日: 6月 7日(木)10時28分11秒
通常のアマチュアは、音源(参考演奏)がないと、不安なんですよ。ある程度イメージが形成されてからでないと、演奏できるという気がしない。そういうふうに、中学、高校の時からやっていて、コンクールの演奏曲目だけを、長々と練習しつづけるようなことをやっているから、初見力が身についてないのでしょう。

 また、譜読みができない上に、楽譜が高価なので、買ってから失敗したと気づくのが怖いというのもあるのではないでしょうか。
(それ以上に、好ましからざる馴れ合い体質が問題かも。)
 
 こういう状況は一朝一夕に変わるものではないので、音源を提供する側が、しっかり認識してほしいです。また、音源を求める側も、もっと選択の幅を広げてほしいです。

 ところで、音源と言えば、益野さんが、現在心血注いでいるヴィラ=ロボスの作品の音源が出ましたよ。
http://www.albanyrecords.com/cgi-bin/miva?Merchant2/merchant.mv+Screen=PROD&Store_Code=AR&Product_Code=TROY435&Category_Code=a-NR
おそらく、レブレルタスの「ガルシア・ロルカ賛」は編曲モノだと思いますが、なかなか充実した内容ですね。
 ついでに、コリン・マクフィーの「管楽器のための協奏曲」もありますね。サンプルも聴けますので、ぜひ御一聴を。
http://www.cdnow.com/cgi-bin/mserver/SID=785218058/pagename=/RP/CDN/CLASS/muzealbum.html/itemid=471756

でも、

音源なしの曲・・・・ 投稿者:LZFELT  投稿日: 6月 7日(木)08時03分30秒
益野さん、はじめまして。
バンドジャーナルの付録楽譜で、面白そうなのがかなりあるのでオークションなどで集めているのですが、音源がないので楽団を説得できず、演奏できません。(^^;)
腰の重い楽団にいると、楽譜が溜まる一方で、悲しいです。

ドイツのポップス曲で、「アルト・カメラーデン・スウィング」という楽譜を買ったのですが、どんな曲なんだかさっぱり。
ドイツポップス曲は当たりと外れの差が大きい、とは聞いているんですが。

http://www.geocities.co.jp/MusicHall/6903/


私の楽譜の買い方(思い起こせば)  投稿者:益野大成  投稿日: 6月 7日(木)07時17分43秒
 S.O.さん。詳細な感想等、ありがとうございます。音源を聴かないで楽譜を買う事について、ちょっと書いてみます。(ちなみに、私が「これを聴いていたら楽譜を買わなかったろう」と言った演奏は、フェネル/イーストマンではなくて、Stockholm Symphonic W.O.のヤツです。ハチャトゥリヤン「舞踏組曲」から吹奏楽になった4つ全てが入っているので買ったのですが)

 もう十年程前、私は吹奏楽の楽譜を買い始めましたが、それは単純に「クラッシク界の有名作曲家(名前を聞いたいたことのある作曲家)」の作品や、「紹介本での扱いは大きいけど、なかなか実演or音源が聴けない作曲家(数年前までのグレインジャー)」の作品をやってみようと思ったからです。面白そうだし、有意義だし、企画としても目立つし(笑)。いわばブランド買いです。チャベスやホヴァネスは迷いましたが、紹介本の作曲者紹介等を読んだ結果、とりあえず買ってみることにしたのです。後は試奏してみての私の印象ですね。

 ただ、初見で演奏するプレイヤーのほうは、楽器を演奏しない私(指揮者)よりも、曲の印象を受け取りづらかったようです。それでもまあ、私が最年長という事もあって、何とか演奏会のプログラムに載せ、曲の全貌はコンサート当日のリハ(メンバーが揃ったとき)で初めて分かる、という状態でした。コンサート後の打ち上げで、「こんな曲だったと、今日初めて知った」「そんなのウチじゃいつもじゃん」という会話を何度も聞きました(笑)。練習中は「いい曲だ」「ダイジョウブだ」と私(だけ?)が言い続ける状態でした。先日のコンサートでやった曲のほとんどは過去にそういう経過を経たものです。「吉志舞」にしても、初め団員にMIDI演奏を聴かせたところ反応はイマイチで、「あまり面白くないように思う」と言ったメンバーもおりましたが、彼曰く「指揮者がやりたい曲をやろう」ということでした(練習がはじまると、「結構面白い」という感想に変わってくれましたが)。

 音楽百科とか、名曲解説全集とかの隅っこにある記事や、購入した楽譜の裏表紙広告等も役立ちました。最近ではpepper等楽譜屋のHPですか…。

 当時私は、何度もやりたくなるような曲、やる必要のある曲、つまりスタンダード・ナンバーを求めておりました。アマチュアはどちらかというと「前にやった曲はやらない」という雰囲気があるのですが、たとえばプロのオーケストラがベートーヴェンの或る交響曲を短いサイクルで再演しても誰も不思議に思わないように、吹奏楽の世界でも再演中心の楽団、再演に耐える曲をコンサートに掛ける楽団が必要だと思っていました(オーケストラはこの形の方が常態ですよね)。楽譜を買い始める以前の私にとって、そんな曲はホルストの第一組曲だけでしたが、この名曲にしても、さほど頻繁に演奏されているとも言い難い、というのが私の実感でした(実に美しい曲なのですがねえ)。

 皆さん、音源なしでも楽譜を買いましょう(なんかヘンな言い方だな)。音源なしで曲作りもいいものですよ。ちょっと想像力はいりますが。あ、多少の金もね(笑)。

 スタンダードについては、別稿で。

サンタンガ セレナーデ 投稿者:益野大成  投稿日: 6月 7日(木)07時11分50秒
 この曲は、私の吹奏楽に対する持論からは外れるものです。ゲンダイ曲っぽい。しかし、実際に付き合った(演奏した)結果、イイと思っています。S.O.さんの仰るとおり、この曲の演奏にはまだ可能性があります。

 このような調性がはっきりしていない感じの曲というのは、どうしても「暗い」曲調になりがちです。わたしが「吹奏楽には数少ない、“シリアスな叙情を持った曲”」とコンサートで話したのも、「暗いけどイイ」という事の別表現でありました。今後の演奏では、この曲が持っている明るく広々としたものを感じさせる部分をもっと際立たせられないか、とも考えています。もっとも、練習中に「ここの八分音符の上行は、流れないで、もっと“青空にはしごを掛けて上ってゆくような”悠々、広々とした感じにして欲しい」と言ったら、古くからの団員・トラがクスクス笑っておりました(私は、一部の人達には「面白い(というか変わった)比喩&棒振りをする指揮者」ということになっているようです)。

演奏会の感想(総括) 投稿者:S.O.  投稿日: 6月 5日(火)22時02分26秒
 今回、札幌同人吹奏楽団の演奏会で演奏されたものは、お得意のグレンジャーの編曲モノ以外は、もうあらためて説明するまでもない名作ばかりなので、省略します。でも、プロコのマーチop.99は最高でしたね(Tpの弱さが露呈していましたが)。ナマで聴いたのは不思議に初めてですが、気持ちよかったですよ。
 演奏終了後、ハチャトゥリアンの「アルメニア舞曲」について、益野さんから、意外なことを聞きました。「これ、まず音源(フェネル/EWE)を先に聞いていたら、演奏しようとは思わなかっただろう。」と。なんと!、何も知らずに、楽譜を買ったの?と、驚きました。しかし、実際演奏してみると、某人気作曲家の同名のオリジナル曲よりもはるかに面白く、素晴らしい内容をもっていると認識し、彼の言では「才能の違いは、かくも残酷なものかと感じた。」そうです。私は実際演奏したことが無いので、判りませんが、おそらく、そうなんでしょうね。
 現在の吹奏楽の世界って、やはり一部の代表的存在が生み出す価値観が、その全体を支配しやすい状態になっていると思います。その代表が、しっかりと責任を認識していれば良いのですが、なかなか難しいようです。
 しかしながら、こういう状態では、伊福部にせよ、チャベスにせよ、本当にもう埋もれてしまいますよ。いったん埋もれてしまった後では、それを掘り起こすことは、大変な労力を要するのです。
 今回、私とNAPPさん以外にも、少なくとも5名ほど関東方面から駆けつけた方がいたようで、終演後、みな楽屋に押しかけ、苦労して伊福部の作品を蘇らせた益野さんに賛辞を贈っていたのが印象的でした。必ずしも大きなコンサートではありませんでしたが、少しづつでも着実に支持者を増やしていると感じました。もちろん、私も、おそらくNAPPさんも、札幌同人吹奏楽団という個性的な集団の発展を祈ってやみません。

 それにしても、札幌は遠いなあ。

サンタンガセレナーデ(チャベス) 投稿者:S.O.  投稿日: 6月 5日(火)21時59分06秒
 中南米を代表する作曲家を3人挙げろと言われたら、おそらくヴィラ=ロボス(ブラジル)、チャベス(メキシコ)、ヒナステラ(アルゼンチン)となるでしょう。そのチャベスが、1970年代に入って、こういう作品を書いていたことを、浅学にして知りませんでした。とても興味を持って、聞かせてもらいました。
 ところで、あのコープランドのチャベス評というのが、なかなか興味深いので、ご紹介します。「チャベスは、けっして「confortable(安易、快適)」な作曲家ではない。彼の音楽には、聴き手にとっても弾き手にとっても「uncomvenience(不便さ)」がいっぱいふりかかっているようだ。」
 さて、全体は中庸な速度で、とうとうとレガートに曲が流れていくのですが、調性がはっきりせず、どことなく暗く悲劇的な雰囲気が漂っていました。「インディオ交響曲」のチャベスとは全く異なり、その民族性はきわめて希薄で、ラテンを感じるのは、後半にウッドブロックとティンパニだけになった個所くらいでした。それにしても、コンサートのオープニングにこんなに暗い音楽を持ってきたケースも珍しいと思いますが、悲劇的な主張を内包しているように感じ、不思議に胸を打たれる作品でした。結論として、ヴィラ=ロボスが終生その民族性にこだわりつづけたのに対して、チャベスとヒナステラは、最初は民族主義的作風を示したものの、晩年はより国際的な表現を目指したのだと感じさせられました。また、先のコープランドの評価はピンとこなかったのですが、なるほど、この作品にならば頷けるものがありますね。
 しかし、コープランドは続けて「峻厳なスタイルにせよ、流麗なスタイルにせよ、それは個性の音楽である。現代もっとも瞠目に値する音楽だ。」と評しています。この作品も、一聴して直ちに好きになれるものではないと思いますが、私は、案外傑作なのではないかと感じました。これは、優れたプロの解釈をもって、その真価を問い直されのを待ちたいと思います。(永遠に不可能?)

「敷島の樂」設立より 投稿者:まっつん  投稿日: 6月 1日(金)02時37分36秒
NAPPさん、お久し振りです。
厳しい厳しい就職戦線の只中にいるまっつんです。(爆)

さてさて、もう既にご存知の方もいらっしゃるようですがこの5月1日に邦人作曲家の吹奏楽作品を広く海外へ向けて情報発信するサイト「敷島の樂−Japanese Band Music Encyclopedia」を共同で立ち上げました.

設立後1ヶ月が経過しようとしている訳ですが、まだまだ情報量は少なく貧弱この上ありません。年末までには、それなりの情報量を誇るサイトに成長させたいと思っております。この掲示板の皆さまにはサイトの関係で色々とご相談させていただくかもしれませんが、何卒お見知り置きの程宜しくお願い申し上げます。

取り上げる作曲家については色々とご意見もあるかと思います。
しかしながら、私の中では「瀬戸口藤吉から今日この瞬間に出来上がった音楽まで」ということで、取り上げる作曲家には例外を設けたくないと考えています。確かに、「長年その道で活躍され名前が知れ渡っている方々と、作曲を生業としないような人たちとを同列に並べていいのか?」などご意見も少なからず頂戴しておりますが、私としては今だに海外からの輸入楽曲に深く依存しているこの時勢の中で、とにかく一人でも多くの方々に明治・大正の昔から日本にはこれだけあまたの作曲家がいてそれぞれ優れた作品を書いているんですよ、という事実を知ってもらいたい。そして、その作品にほんの少しでも興味を持って「演奏してみたいな」と思ったらどんどん演奏して欲しい。それを第一に願っているところですし、そのためならどんなことでも協力させていただきたいと考えています。

>NAPPさん
「大前哲が入ってるのに西村朗が入ってない」とは、ちょっと痛いところを突かれてしまいましたねぇ。(苦笑) でも、決して好みに走っている訳でも避けている訳でもありませんよ。西村氏に関しては、氏の所属しておられる音楽事務所に所属している作曲家で吹奏楽作品を書いている方全てから協力をいただくことを目指して目下事務所と交渉中です。基本的に、現在存命中の方に関しては出来る限りご本人と直接コンタクトを取って十分にリサーチした上でアップするように努めていますが、中にはまだ交渉段階にも関わらずデータをアップしてしまった例もあり、その辺も指摘されるとなかなか痛いところです。三善氏や池辺氏などはその一例です。既に亡くなられている方の情報も含めて、「正確で信頼できるデータサイトだな」と思われるようなページを目指したいと思います。

http://band.ne.nu/


LZFELTさんへ。 投稿者:ヒロナリ 投稿日: 6月 1日(金)01時26分49秒
村上龍氏の活動を見ていると
彼の多方面にわたる興味、
それを言語化(作品化)する能力に感心します。
「ヒュウガウイルス」では分子細胞生物学、
「希望の国のエクソダス」では経済政治学、
どちらも知識に頼ることなく村上氏の作品に昇華させている。

マスメディア的に展開される消費欲を掻き立てる宣伝広告、
その企業イメージ戦略のために起用される俳優や「芸術家」たち。
単純嗜好の価値観に抵抗するか、利害の一致として妥協するか。

現代美術の不確かさ。
実験音楽と言われた60年代のやったもん勝ちノリ。
多様化という言葉に潜む無責任な個人主義。

そんな中で隔離され密かに存在する「クラシック音楽」。
直面している状況を情報交換によって理解し、
声高に批判できるだけの余裕を持っていきたいと考えています。

他の分野を見てみると 投稿者:LZFELT  投稿日: 6月 1日(金)00時27分09秒
 NAPPさん、レスありがとうございます。
 音楽関係者と現実社会との価値観の乖離なんですけど・・・・
 例えば作家の村上龍氏は、1978年ぐらいからかなあ、「人の行動原理は快楽指向か安心指向かのどちらかだ」という文書を書いていますが、多くの分野で、自分たちの分野を基にした現実社会観や現代観を作品化のみならず、言語化している人達が大勢います。つまり、作品とは別の意見表明を成功させている人達。
 しかしオーケストラにしろ吹奏楽にしろ、自分たちの現状を全くの他人に説明できる的確な言葉をどれだけ持っているか。(というか、日本のクラ・吹奏界の成熟度はどれくらいなんでしょう?)
 自分の楽団のお客さんが快楽指向の層だと思うのであれば、クラシック音楽であろうが現代音楽であろうが曲の魅力と自分たちの腕を信じて演奏すればいいのだけど、現実は違いますよね。とくにアマチュアは。
 自分が出るのだから(あなたの知っている人がいるから)聴きに来て、とかあなたの知っている曲を演奏するからとか、あるいは選曲の段階で、聴いていてメロディーが追えなくなるような難しい曲はやめよう、というような、安心指向の客層を中心に活動している。プロもその足かせは強いでしょう。
 自覚はあるのに言語化が出来ないとどうなるか。
 同じようなジレンマを抱えながらそれを克服した他分野に学ぼう、という視点は生まれません。
(ちなみにその他分野は?という問いへの答えの一つとして、「落語」を挙げておきます)
 他分野に目を向けはじめると、まあいろんなことが目に見えてきますけど、私の場合一番大切な、一番最初の心に浮かんだ衝動って、どっから出たんだっけ?です。
 自然風景の中で生まれたのか。人間社会の中で生まれたのか。自閉した心の中で生まれたのか。
 その生まれた衝動がどこに根付いているのか、ルーツを自覚するだけでも、その人の音楽性は支持されやすくなると思うのだけどなあ。