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S・oさんへ 古い話になりますが 投稿者:シューリヒト大好き  投稿日: 7月15日(日)08時35分57秒
古い話になりますが、過去の履歴を見ていて、荻久保和明氏の交響曲第一番の吹奏楽編曲について言及されていたので、流れを無視して投稿してしまいました。千葉大学在学3年次の正指揮者時代に私が、吹奏楽初演いたしました。編曲は、わたしの中学時代の先輩であり、東邦音楽大学で荻久保先生と懇意にされていた瀧山智宏と言う人です。今では、中学の教師をして銚子で吹奏楽をしているはずです。交響曲は本当に素晴らしく、すさまじい密度と集中力を要する曲でした。もちろん私たちのような、アマチュアの楽団には大きな壁となりましたが、私個人の考えとして、大学生にもなって吹奏楽をやる以上、プログラムの中で何か問題意識や、新譜紹介といった意欲が必要なのだ、と考えました。ノスタルジックに中高時代を回顧するのではなく、過去を含みながら、未来を切り拓きたい、と思ったからです。進むべき道はない、だが、進まねばならない のかもしれません。いまは、愛知県の安城学園という所で吹奏楽の指導の勉強をしています。いつかルトスワフスキあたりをやってみたい気もします。武満も大好きで、ファミリーツリーやエアを良く聞きます。
サントリーホールでアルバイトをしていた頃は、ツィマーマンの兵士たちやダントゥンにも触れることができました。シュトゥットガルド放送交響楽団の20世紀音楽を回顧するCDも良く聞いています。みんな みんな音楽なんだけどなあ。

テンポ設定とお詫び 投稿者:S.O.  投稿日: 7月14日(土)22時51分19秒
テンポの設定について思うことがあり、別の掲示板で書いたことも続けて、お詫びします。

別の掲示板で、R.ワーグナーの「誓忠行進曲」という軍楽隊用行進曲について言及したのです。この作品、めったに日本では演奏されませんが、傑作です。ただ、私も最初は、東京佼成の演奏で聞いたときは、冴えない行進曲だと思っていました。ダラダラと約10分ほどもかかり、曲想もしまらない、伊藤康英氏の著作でも評価が低かったのです。そう思いながら、疎遠になっていたとき、マーク・ハインズレー/イリノイ大学バンドの演奏を聞きました。この指揮者の解釈は、そのテンポを倍ちかくも早く演奏しており(だから、5分もかからないで終わってしまう)、最初はびっくりしました。しかし、信じられないほどメロディが生気を帯び、後半の盛り上がりも壮麗でエキサイティング、全体に曲想がキリッとひきしまり、こんな素晴らしかったのかと認識を新たにしました。おそらく、正当な解釈は、TKWOの方なのでしょうが、ハインズレーの大胆な解釈によって、作品が生まれ変わったと感じました。これ、本当に素晴らしいですよ。

何が言いたかったといいますと、実は、先日ご紹介した奥村一の「阿修羅像」を今日聞いてみて、「なんだこりゃ!」と言いながらコケそうになりました。以前に聞いたのは、1曲目は、かなり長い前奏に続いて、早い音楽となり、ゾクゾクするような緊迫感があったのですが、このCDの演奏は、その2倍以上遅いモタモタしたテンポで、実につまらない音楽になってしまっていました。私の聞いた2回は、どちらも奥村氏の監修のもとで演奏されたものなので、作者の意図は反映されていると思いますが、この東京吹奏楽団はどうしたのだろう。1曲目のスピードと緊張があってこそ、第3曲目の感動的なクライマックスが生きてくるのになあ。
 「なんだ?、たいしたことないじゃん。」「あいつの言うことは、いつも信用できないんだよなあ。」と言われても仕方が無いのではありますが、少し弁解をしました。がっかりされた皆様、申し訳ありませんでした。本当に、こんなんじゃなかったんですよ。


はじめまして 投稿者:如月 綾香  投稿日: 7月13日(金)19時06分33秒
管理人様、皆様はじめまして。
HNを如月綾香と申します。(ちなみに男です)
昔、吹奏楽の世界の末席を汚していた者です。

ここは、大変興味深いお話が多かったのですが、何せ現場から離れて十数年経ってしまったので、残念ながら付いていくのに大変です。(笑)
ある意味、吹奏楽の世界から見て「外部」の人間になってしまった感がありますが、よろしくお願いします。

さて、興味深いお話の中から・・・

>東京オペラシティコンサートホール
東京オペラシティは、他のホールに比べて響きが良すぎるためか、吹奏楽には向いていませんね。
オペラシティには、たまに国内オーケストラのコンサートを聴きに行きますが、4管編成だと金管の音が「ぶつかってくる」ような感じで、ハーモニーとはほど遠い状態です。
逆に、バッハ、ベートーベン、モーツァルトぐらいだと、とても綺麗に響きます。

>「教育の現場での吹奏楽」と「芸術表現としての吹奏楽」
私も中学・高校・大学と吹奏楽に関わった人間として、駄文を残していきたいと思います。
今の状況を知らないのに無責任ですが…。

学校現場にて…
今、どれぐらいの指導者が「音楽の楽しさ」「吹奏楽の楽しさ」を教えてあげられているのでしょうか?
今、コンクール以外の活動をどれぐらいさせているのでしょうか?
今、「コンクール至上主義」という言葉はなくなったんでしょうか?
今、指導者(指揮者)のエゴで無理な活動をさせていませんか?
今、指導者が一部の「レギュラー」の子供達だけ大切にしていませんか?

私は、前提として、吹奏楽部の子供達が「吹奏楽は楽しい」と思ってくれていれば、それでいいんじゃないかな…と思っています。
当然、吹奏楽を楽しむためには、それなりに楽器が出来るようにならないと、楽しむ以前の問題だとは思います。しかし、出来ないからと言って「排除の論理」で排除してしまっていないでしょうか?
そういう「閉鎖性」「排他性」は、集団で1つのモノを作る性質上、多少はしょうがないかとは思いますが、それが「余所者」を受け入れにくくする原因であると思います。
何故私が吹奏楽を離れたかと言うと、そんな閉鎖性・排他性に嫌気が差したからです。
これから、少子化や趣味の多様化などで、ある程度人数をそろえなければならない吹奏楽は、厳しい状況が予想されますが、少しでも取っつきやすく、楽しいグループであって欲しいですね。

それとは逆に、プロとしての吹奏楽ですが…
残念ながら、クラシックの世界でも名前が知れているプロ吹奏楽団は、佼成とシエナぐらいです。
(それでも知らない人の方が多いかも…。)
プロの充実した分野は、どんな分野でもそれなりの発展を示すものです。やはり、プロがその世界の牽引力となってその分野を盛り上げないと、一般の人がその分野に興味を持たないからです。
では、プロ吹奏楽団の知名度がなぜ上がらないのか?
今、彼らの方向性が、吹奏楽ファンにしか向いていないのではないかと思っているんです。
私は、他の人と比べてもクラシック関係のコンサートに行っている方ですが、入口で配られるチラシに、吹奏楽関係のもの(例えば佼成やシエナの広告)を見た覚えがほとんどありません。
多分、吹奏楽関係の雑誌ならたくさん書いてあるんでしょうが、本当にそれでいいのでしょうか?

もう一つの問題は、こんなことを言っては申し訳ありませんが、(社)全日本吹奏楽連盟自体の体質が「アマチュア」であって、その活動においてプロを育てようという意図が全く見えないことです。
一応吹奏楽の統括団体である吹奏楽連盟がそんな感じですから、後は推して知るべきですね。


いろいろ書きましたが、私自身、中学・高校ととても楽しい経験をさせていただいたので、是非「吹奏楽」「吹奏楽部」には頑張って欲しいと思っています。

長文にて失礼しました。

http://members.goo.ne.jp/home/kisaragi-ayaka/


お久しぶりです 投稿者:畠中 秀幸  投稿日: 7月12日(木)20時57分31秒
NAPPさん、お元気ですか。
私事なのですが、NAPPさんが札幌から戻られた一週間後に交通事故に遭いまして、しばらく休養モードに入っておりました。体もやっともとに戻りましたので、我がウィンドシンフォニカもそろそろ次回に向けて本格的に動き出そうかと考えております。
札幌で聴いていただいた津田氏の作品の改訂も進み、秋口には試奏をする予定になっております。作曲者との共同作業によって音づくりを行えるまたとないチャンスとして、非常に楽しみにしているところです。

さてそこで次回の演奏会についてなのですが、会場が格調高い札幌コンサートホールの小ホール(キャパ500人)と言うこともあり、室内楽を含む管楽合奏による「古典へのあこがれ」という裏テーマに基づいて選曲を行っております。前述の津田氏作品(ソロファゴットとウィンドアンサンブルのための委嘱作品改訂版)をはじめとし、プーランクの「フランス組曲」とR.シュトラウスの「組曲」もしくは「ソナチネ」を主軸に据えて行こうと思っております。
ただ今回も前回と同様に管楽合奏の編成の多様性にスポットを当てるべく、いわゆる吹奏楽編成の作品も当然取り上げたいと考えているのですが、正直ここから先がなかなかうまく行っていないのという現状です。いまのところ団員の希望もありR.V.ウィリアムスの「トッカータマルツィアーレ」を取り上げることは決まりかけています。それから個人的にはまだ当団で一度も取り上げたことのないヴィットリオ・ジャンニーニはどうかと思いリサーチをしております。「交響曲第3番」はもとより、かつて当楽団のHPにS.O.さんに投稿して頂いた「変奏曲とフーガ」の内容が異常に気になっております。と言いながらも恥ずかしながら音源を持っておりませんので、ここにお集まりの皆様に特にこの作品とジャンニーニに関する情報の提供をお願いしたいのですが・・・よろしくお願い致します。(S.O.さん助けてください・・・)

そのほかにも何かお勧めの作品や上記のような企画に関するご意見などがありましたらお聞かせくださいませ。虫のいい話ばかりで恐縮なのですが、プログラミングの具体例として話題にして頂けないでしょうか。重ねてよろしくお願い致します。

http://sapporo.cool.ne.jp/wss


「遮光の反映」 投稿者:ちんぴら指揮者  投稿日: 7月 7日(土)23時29分45秒
今日になって遂にと言うかやっと全曲を通しました。
参考演奏が存在しないだけに全曲の流れを実際に体験し改めて作品のおもしろさを実感出来た
次第です。
微妙な変化をはらみながら徐々にテンションが上がって行く前半。一気呵成に前進する後半の
各々音楽の対比が実に強い個性を持っていますね。おもろいですよ、これ!!!!
作曲者直々の伝授も楽しみにしてますよ。

http://www2.odn.ne.jp/~cau62570/index.htm


間あいちった 投稿者:NAPP  投稿日: 7月 7日(土)18時21分26秒
 また間が空いてしまいましてごめんなさい。〆切やら演奏会やら、なにかとやることが多くて (^^ゞ まだ終わってないのですが、とりあえずあんまり間があいてもなぁ、と思いまして。

>LZFELTさん
>でも、全く意味をなさない文字・発音を置くってのはどうでしょう。
>あるいは、「いーかげん」にするとか。
 ごめんなさい、やっぱりご質問の意図がよく分からないです。「こうすることにより○○になると思う」などの説明があると、ご質問の意図に則したレスが付け易くなると思うのですが。

> いやあ、単に既存の定義や権威から自由になりたがっている人はいない
>かな、というぐらいの気持ちです。(^^;)
> だからなぞなぞ「遊び」なんですけどね。
 解釈によっては話の流れの核心に触れる質問と思われるようなものを、「遊び」で書かれるのはやめていただきたいですね。

>今の日本で吹奏楽をブラスバンドと呼ぶことを間違いだ
 これは難しい問題ですね(以前この掲示板で問題提起をしてくださった方がその人かな?)。私は、あのコラムを書いたときと現在では少々考えを変えた部分があるので書いておきます。
 以前の議論も踏まえて、まずこの場合の「ブラスバンド」は日本語としての単語であり、音楽用語としての「Brass Band」とは異なるものだ、ということを前提としておきたいですね。
 音楽学での用語としての「Brass Band」はあくまでも金管バンドのことであり、いわゆる金管・木管・打楽器(+α)混成による演奏人数不確定の「吹奏楽」のことではありません。これはニューグローブなどでの定義でその根拠等も確認しておいてください(脱線ですけど、「吹奏楽がBrass Bandである」は明かに間違いですが「Brass Bandが吹奏楽である」は正しい。ちなみにWind Ensembleは管楽器によるアンサンブルの総称であるから木管アンサンブルのことをそう指すのも間違いではないけれど全てでもない)。
 これに対し、日本で吹奏楽のことを「ブラスバンド」と呼称するのは、由来はどうであれ、一般に普通に通用する自然言語(特定の地域において作られた約束の中で意味が成立する語。言語学用語)として成立してしまっています。これを「間違っている」と片っ端から糾弾していくのはちと無茶というもの。今の日本において吹奏楽のことを指して「ブラスバンド」や「ブラバン」と呼ぶということはそこまで目くじらを立てるべきことではないと思うのです。
 しかし、これが音楽学などの学術書における記述、となると話は全く違います。吹奏楽のことを「ブラスバンド」と呼ぶ、ということが音楽学学会において認められたという事実はありません。しかし、吹奏楽関係の書物においてはこの誤った用法が平然と行われている。これはあってはならないことです。例えば、1853年のペリー来航の際に「船上にブラスバンドが乗っていた」という記述はよく見ます。これが、金管楽器のみによる「信号ラッパ隊」であったのか、金管・木管混合による「ミリタリーバンド」であったのか、これは大きな問題です。しかし、これを安易に「ブラスバンド」というどちらともとれる用語で記述されているがために判別しがたい(おそらく、この場合だとミリタリーバンドであったのだろうからブラスバンドという用語の使用は誤り)。
 「学術的」と「一般での慣例」には違いがある場合は意外に多いものです。例えば「タラバガニ」を一般ではカニと言いますが、学術的にはあれはカニの仲間ではなくヤドカリです。生物学の学会でタラバガニを「みんながカニと呼んでいるからあれはカニだ」と言う学者はいないでしょう。また、一般の人に「みんな、あれはカニじゃない。ヤドカリと呼べ」と言う生物学者もいない。これと同じ事が「吹奏楽、ブラスバンド」にも言えると思うのです。音楽用語は社会学でも言語学でもなく音楽学的な見地より定義されるべきです。ですので、いくら輸入版のCDに書かれていようとも音楽学上では「吹奏楽」は「Brass Band」ではないのです。ですので、私はこういったネット上の掲示板などの公の場(だと私は思っている)では「ブラスバンド」を吹奏楽の意では使いません。でも、私と会ったことがある人は知っている通り、私自身が日常会話で吹奏楽のことを「ブラス」や「ブラバン」と言うことも少なくないのです(だって言いやすいんだもん)。
 吹奏楽関係者は公での記述と、一般で使う記述(私的?)の使い分けができない人が実に多いようです。吹奏楽内限定での考え方と、音楽界全体での考え方の間に相違があることに気付いていない。用語の用い方だけでなくCD解説の文体などでもよく感じるのですけれど。

>「教育の現場での吹奏楽」と「芸術表現としての吹奏楽」
 この在り方は、私は合唱の在り方を参考にすべきだと思っています。よく吹奏楽はオーケストラを参考にしようとするけれど、この問題に関してはそれは無理があると思います。なぜなら、吹奏楽と違ってオーケストラは基盤が中学・高校での学校における活動にはよっていないから(吹奏楽の一般バンドというのはこの延長線上にある。一般のバンドに大人になってから吹奏楽を始めた人ってどれほどいるんだろう)。オーケストラはこの点でアマチュアとプロが完全にある部分いい意味で分離している。
 マンドリンオーケストラはどうか。これはプロの団体が存在すらしていないのだから分離以前。アマチュアの在り方に関しては参考にすべき部分が多々あるけれど、この問題においては参考にならない。
 ということで合唱。アマチュアが基盤となっているという点では吹奏楽と同じではあるけれど、プロの在り方が全く違う。アマチュアとプロがそれぞれ独自の方向性を持ちつつ、相互に無関係ではない。どこにその違いが現れているのか。やっぱり私はプロの背後にある組織だと思うのです。プロの吹奏楽・合唱それぞれの演奏会において主催もしくは後援、助成をしている組織を比較するとそれが見えてくるでしょう。


>罫りゃんさん
 初めまして!ドイナ・ロタルに関する情報、ありがとうございました。
 私はチラシの裏に書いてある以上の情報がなく、どのような作風なのか全然分かりませんでした。どのような書法なのか、楽しみです。
 横浜のISCMでのドイナ・ロタルの作品もサントリーによっては聴きに行くかもしれません。あのシリーズ、できれば全部行きたいのですが、ちょっと横浜は遠いなぁ・・・・・

 横浜のISCMといえば、言いたいことが。オープニングコンサートでの吹奏楽の演奏会(10月3日18時より横浜みなとみらいホール)。国際審査会入選作である小鍛治邦隆「ポルカ集・タンゴ集」およびLaszio Sary「ストラヴィンスキーの追憶に」の両曲は実に楽しみなのですが、どうしてあと1曲が「ローマの松」(演奏団体推薦曲)なんだ? 国際現代音楽協会の大イヴェントでさえこれか?他の139作品と比べてどれだけ場違いなのか分からないのか?
 三宅榛名の吹奏楽作品をレコーディングするなどしていたので密かに期待していたのだけれど、失望したぞ、○足学園大。


>S.O.さん
 貴重な情報、ありがとうございました!早速手に入れてみました。
 曲についてはぜひ皆さんご自身で聴いていただくことにしまして、解説書についてちょっと。
 くだけた文体で書かれている中に、ところどころ見え隠れするトゲのようなものが気になりました(いい意味で)。書かれていることを、文章だけではなく実演として示してくれるように期待したいですね。 このCDに収録されているウィテカーなどの録音は昨年の定期演奏会でのライヴなのですが、この演奏会ではこのCDに収められたものの他にも演奏された曲があるんですよね。単なるライヴ版にせず、それらを削ってまでこの大規模な作品をボーナストラックとして入れた、という心意気には拍手を送りたいですね。


 ところで、11日には東京芸術劇場で東京音大の吹奏楽団の定期演奏会があります。今年はプログラムが魅力的ではないのでこのサイトではお薦めできないのですが、SFファンタジーをやるので伊福部先生もいらしてくださるそうです。

東京吹奏楽団のCD 投稿者:S.O.  投稿日: 7月 4日(水)22時10分38秒
今日、バンドジャーナル誌を見ていたら、東京吹奏楽団のCDが発売されているという広告が出ていました。ベーシック・ビデオ・アーツという会社の製作なのですが、もう発売されているようです。この会社のHPも見つけましたが、1999年のことが新着となっているありさまなので、割愛。
 このCD、あの「ゴースト・トレイン」のエリック・ウィッテカーの新作を中心に収録されているようですが、それはまあいいとして、ボーナストラック(といいつつ、21分もかかるらしい)の奥村一の「阿修羅像」が、今は亡き山本正人氏の指揮による演奏が収録されていることに注目です。
 この「阿修羅像」は、以前に書き込んだこともあったと思うのですが、私は二度、実演に接しています。とても劇的かつ感動的な作品で、最後には涙流してたことを記憶しています。おそらく、やってみたいという団体が沢山出るのではないかと思うのですが、こういう曲がいっぱい埋もれているんだよなあ、この国は。
 東京吹奏楽団は、他にも清水修の「スイート・プロファーヌ」や、先日亡くなった團伊玖磨の「奏鳴曲」などを初演している団体ですので、こういうのも、ぜひ世に送り出してほしいところです。

ドイナ・ロタル 投稿者:罫りゃん  投稿日: 7月 3日(火)03時00分02秒
この掲示板は初めましてです。

ドイナ・ロタルはルーマニアの女流作曲家です。
湯浅氏はとても推してらして、ちょくちょく昔から日本に紹介したがっていたようです。
フルート・ソロの“Dor”は日本で2回ほど演奏されていますし、この10月には横浜で違うオケ曲も演奏されるようですね。
東欧によくあるような超アカデミックな、または旋法手法的な作風ではなかったと思います。

長くてすいません。 投稿者:LZFELT  投稿日: 7月 2日(月)01時20分39秒
 NAPPさん、こんばんわ。
 NAPPさんご指摘のとおり、その人独自の音楽観が出てくるのではと思ったのですが、世の中の人々の記憶も書き換えられるのかというルールが書いてありませんでしたね。
 でも、全く意味をなさない文字・発音を置くってのはどうでしょう。
 あるいは、「いーかげん」にするとか。

>>もうちょっとストレートに何をお聞きになりたいのかを具体的に示していただけたら
 いやあ、単に既存の定義や権威から自由になりたがっている人はいないかな、というぐらいの気持ちです。(^^;)
 だからなぞなぞ「遊び」なんですけどね。

>>WindEnsembleとWindBandの違い
 ちょっと話はずれるんですけど、うちの研究会に私以上に言葉にこだわってる者がいて、今の日本で吹奏楽をブラスバンドと呼ぶことを間違いだという人達がいるが(NAPPさんもそう書いてますよね)、英米からの直輸入CDで、普通の吹奏楽編成をBrass BandとかBrass Musicと表記しているのがあるぞ!とわめいているのがいます。
 今月号のバンド・ジャーナルでも、木管アンサンブルをWind Ensembleと書いてあるとわざわざ持ってきます。
 また、そいつの調査では日本で初めて吹奏楽をブラスバンドと言ったのは、陸軍軍楽隊の最後の隊長の山口常光氏であり、「最後の軍楽隊隊長の御威光」がその呼び方を日本全国に定着させた、だから現在の呼称狩りは、「虎の威を借りた狐」の「虎の威」に無知な輩が狐狩りを始めたのだ、と言ってるのですが、私には真意不明です。(^^;)どなたかご存じでしたら、教えてください。(_ _)

>>吹奏楽は、学校における「教育の現場での吹奏楽」と「芸術表現としての吹奏楽」は云々
 これ、興味あります。私の経験では、なんですけど、楽団の運営のみ成らず実際の練習の進め方の根本概念すらもが、実は「教育の現場での吹奏楽」の手法を疑ってさえいないため、視点や発想法といった吹奏楽の発展に必要不可欠な戦略眼が「プロや大学の吹奏楽団(特に音楽大学)」においても変化しないのではないかと思うのです。
 日本が文明開化期に、西洋文明を文物として輸入した失敗が未だに続いている。

http://www.geocities.co.jp/MusicHall/6903/


れす2 それと少し 投稿者:NAPP  投稿日: 7月 1日(日)03時29分38秒
>いい曲
 「自分達にできない曲」と「有名な曲」、これらに共通する地下茎として「コンクール」の存在があるのでしょうね。「できない」は純粋に編成的・技術的問題のほかに「時間的」問題も絡んでいるはず。「有名になる」にはコンクールで有名団体に取り上げられ、よい成績を残すことによるのがほとんど。
 「中学生にも演奏できる。どんな編成でもある程度同じ結果になる。8分(6分)以内。最後はフォルテ。」こんなガチガチな枠に嵌め込まれた曲が無数に誕生したところで、本当に「いい曲」(=音楽的価値がある)がどれほど生まれるものでしょうかね?逆手に取るにも限界があります。
 脱・コンクールとは言いません。それなりにいい部分があることは否定できない。でも、「+α」が欲しいですね。


 朗報です。
 来年のコンポージアムでの湯浅先生のオーケストラ作品展は、何とか無事(?)に行われるそうです。現在選曲中で、「CD化されていない、なるべく聴ける機会の少ないもの」を中心にプログラムするそうです。とりあえず最新作である「クロノプラスティクIII」は入る予定だとか。私は未だに全曲が録音されていない「時の時」をリクエストしました(笑)。 室内楽作品展の方は、「アコースティックとテクノロジーの併用作品」で組む予定だそうです。「夜半日当に向かいて」とか「私でなく風が」とか。これらもCDではなく生で聴くと新しい発見があるに違いない。楽しみですね。

 ところで、9月9日のサントリーでの招聘作曲家はドイナ・ロタルという人らしいのですが、恥ずかしながら全然知りません。どんな人なのでしょう?

れす1 投稿者:NAPP  投稿日: 7月 1日(日)03時28分10秒
>なぞなぞ
 難しい問いですね。自然言語を詩的言語に置換する(それも個人単位なのか社会単位なのか?)、ということですから。
 おそらく、LZFELTさんは「音楽」という語を他の語に置きかえることで、その人のもつ「音楽観」というものについて考えてもらいたい、と思ってこの謎かけをされているのでは、と私は勝手に推測しているのですが(間違っていたらゴメンナサイです)。
 ただ、「音楽」という語は多くの人に共通項として用いられる語ですね。「この世から一切消して、それに替わる言葉」となると、万人の音楽観を満たす語でなければいけないわけです。LZFELTさんがご自身の例としてだされた「空感触」という語感には、個人的には共感する部分は多いのですが、この語がシアターピースなど視覚効果も重要な要素となっている音楽作品もカバーしているとは思えない部分があります。もし、「空感触」が現在の「音楽」に替わる言葉になるのであったら、シアターピース作品、さらにはそれを作成した作曲者の音楽を否定してしまっていることになります。他の人の「音楽」を否定してしまう以上、自然言語としての「音楽」の替わりにはなり得ない。
 私自身にしても、常日頃から基本的には「音楽は呼吸の層」と思っているのですが、それはあくまでも2人以上の奏者による場合ですし、独奏曲やピアノ曲の場合には「呼吸の層」以外のコンセプトが作品を支配することになっています。つまり、私の中で「音楽」というのは、他のただ一つの言葉によって代表されてしまうわけではないのです。また、言葉によってある限定された範囲内に自らの音楽を嵌め込んでしまうことはとても危険であるし、必ずしもそれが全てではない、言葉で規定できない部分がある、と思います(阿部亮太郎先生の「嵌め込み故郷」の解説を思い出しますね)。

 もし、見当違いのレスでしたらゴメンナサイ。できれば抽象的な問いではなく、もうちょっとストレートに何をお聞きになりたいのかを具体的に示していただけたら、ご質問の意図に則したレスができると思うのですが。

>WindEnsembleとWindBandの違い
 一応、次のような分類があるようですよ。音楽之友社刊の「新版吹奏楽講座7巻」の101ページによれば、

 ○シンフォニックバンドあるいはシンフォニーバンド
   約80名あるいはそれ以上の編成で、バンドのためのスタンダードな曲、オリジナル
   な曲、編曲ものを演奏するバンドを指す。

 ○コンサートバンド
   約60〜80名の編成で、バンドのためのスタンダード曲を演奏するバンドを指す。

 ○シンフォニック・ウインド・アンサンブル
   約40〜60名の編成で、原則としてひとり1パートの管・打楽器の合奏団体を
   指す。例外はCl、Euph、Bass等でこれらのパートは重複することもある。

 ○ウインド・アンサンブルあるいはチェンバー・アンサンブル
   作曲者とか楽曲によって不特定数の編成による合奏団体を指す。

 ○マーチング・バンド
   マーチングを目的とするバンドを指す。

 ○ステージ・バンド
   大編成のジャズバンドを指し、中・小編成のジャズバンドはジャズアンサンブル
   という。

 まぁ、これらの分類はやっぱり何の学術的な裏付けのない、吹奏楽から一歩外に出れば通用しなくなる「現場主義的な」分類にすぎませんので、どこまで信用できるのかは大いに疑問なのですが。大体、同じ本の21ページにある分類と何となく噛み合っていない。

 吹奏楽は、学校における「教育の現場での吹奏楽」と「芸術表現としての吹奏楽」は切り離して活動されるべきだと思いますね。合唱がそのようであるように。そして、今現在なされていないのは「芸術表現として」の方であり、これはプロや大学の吹奏楽団(特に音楽大学)によって担われるべきものなのですよね。いつまでも一緒にしちゃ、ダメだと思う。