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こんばんは 投稿者:畠中 秀幸  投稿日: 7月31日(火)21時52分07秒
NAPPさん、ちんぴら指揮者様との音楽的出自などの近さの件ですが、なんとなく感じておりました。フルート出身→関西の大学へ→地元に戻り音楽を続ける(棒振り)・・・見事に符合しますね。
ほぼ日本の両端に居を構えてしまっているので、いまだ会話させいていただいたことすらありませんが、何かの機会にお会いできれば嬉しいです。ということで今後ともよろしくお願い致します、ちんぴら指揮者様。
ところで次回の公演プログラム拝見致しました。素晴らしい企画ですね。正直やられた!と思いました。我々も選曲に対する考え方などをUPしましたので、できればご一読下さい。

http://sapporo.cool.ne.jp/wss


私の感じる「音楽学」・・・ 投稿者:LZFELT  投稿日: 7月30日(月)23時03分45秒
 NAPPさん、こんばんわ。
 う〜ん、「音楽学」って、必要とする人には絶大な力を発揮するのだけど、必要としない人達の心を引き付けるものがあるのかなあ、という印象です。
 NAPPさんも何度も書かれていますけど、日常的なモノの考え方を学問が支えるという関係でなく、日常的なモノの考え方と学問的な考え方が並立し、二重基準が発生してしまうと、一般大衆はそんな複雑な物には手を伸ばさないと思います。
 マルクスは経済学者として、「賃金」とか「組合」とかいった言葉の定義+心情が労働者と資本家では永遠に妥協することのない関係にあるとしてあの言葉を出しましたが、音楽学者と一般民間人、別に対立しているわけでもないのに、双方歩み寄るような関係でもないってのが、お互い疎遠になっている証拠です。
(明治時代、日本の伝統芸能全般がそういった意識のすれ違いが一因で滅亡しかけたことがあります)

>>from きゅ〜しゅ〜 より
>>プロのサッカークラブは利用三ヶ月前の平日朝九時に窓口に並びませんよね。
 アマチュアが予約をする前に決められているわけで、例えば一年前とか二年前に、それぞれのプロのサッカークラブの事務方で話し合って、予約を入れているのでは?
 それはさておき、
>>プロのスポーツ選手が学校や地域に指導にくることは少なくないですが、
>>彼らはその一部特定集団の在り方に口を出しているのでしょうか?
 プロの音楽家達が、管理者本意のシステム・ノウハウに反対の念を持っているとは、私が知らないだけかも知れませんが、どうしても思えません。
 例えば、普通の人なら一日で出来ることが、ある人には百年かかるとします。
 その人が「音楽って楽しいものだ」という気持ちを持ち続け、百年かかってようやくそのことが出来たとき、その人はようやく普通の人の一日分の楽しさを味わえたのかといえば、そんなことはないはず。しかし現在の団体演奏の事情では、一月くらいでその人に、「向いてないんじゃない?」とか「他の楽器にしたら?」とか「よそのバンドに行ったら?」と排除されるのが目に見えているでしょう。
「一定の時間の中で成果を出さなければいけない音楽」が主流の、能率優先の世界ですけど、「一つの曲に何年も、何十年もかけて、その途中経過を毎年の演奏会で発表する」世界ではないですから。
「from きゅ〜しゅ〜 2」でNAPPさんは「表現者だ」と書かれていますが、私の経験・見聞上ですが、楽団は「始めに選曲あり、表現はそのあと」でありまして、決して「普段思っていること、感じていることを、既製の曲でいいから表現してごらん」ではありません。
                               話を跳ばしますが
       講談社のマンガの「夏子の酒」か「奈津の蔵」か覚えていないのですが、
   過酷な農作業をもくもくとやっている家族や近所の人達の苦労を軽減するために
    農機具の発明や開発を職とした人が、「私も農民だ」と言う場面がありました。
             それとはまた別に、テレビのトーク番組で、宅八郎さんが、
 「昔は芸能人がテレビに出ていたのに、今ではテレビに出ていれば芸能人と言われる」
                と社会の価値観の変化を指摘したことがありました。
                          そこでまた、命名遊びを一つ。
 ある少年が、テレビでトランペットの音に惹かれ、自分でも演奏してみたいと思った。
 けれど楽器を買うお金がないので、まずアルバイトを始める。毎日一生懸命働いて、毎日寝る前に、買ってきた教則本で指使いや腹式呼吸の練習を行い、買ってきた楽譜を前に、頭の中で音を鳴らしながら、指を動かす。
果たしてこの少年を、音楽家と呼べるか呼べないか。どうでしょう?

http://www.geocities.co.jp/MusicHall/6903/


似てる?気の毒に・・・ 投稿者:ちんぴら指揮者  投稿日: 7月30日(月)16時23分45秒
>NAPPさん
>ちんぴら指揮者さんと畠中さんは、音楽的出自が非常に近いと私は勝手に感じているのですが、
>きっとお二人は考えがよく合うと思いますよ(笑)。
へぇ〜。んじゃ畠中さんは変なおじさんかと言うことに・・・・(爆)
しかし、ウンドシンフォニカの様な団体を作り上げるようなヴァイタリティはありゃしません。
僕はあくまでも目の前にあるものでなんとかしようか?っちゅう奴ですから。
(買い物行かずに冷蔵庫開けて「何が出来るかなぁ〜」なんて言ってる奴です)
じゃ、久しぶりにウインドシンフォニカさんとこのサイトに遊びに行こっかな。

http://www2.odn.ne.jp/~cau62570/index.htm


田村文生先生 投稿者:Jun  投稿日: 7月30日(月)14時56分55秒
先週末の吹奏楽コンクール岩手県大会の審査員に来ていらっしゃいました。
(今週末も来る予定。)
じっくりお話しする機会はありませんでしたが、中学〜高校と吹奏楽部に所属していたという話を聞いて、少し「なるほど」と思った次第です(笑)。
とても人柄の良さそうな方でしたが、しかし審査の評価は辛かったなあ(^^;)。
ちなみに私、何ということもなく『饗応婦人』てけっこう好きなんです。
演奏会でプログラムに乗せたら客はどういう反応をするのでしょうか?

やや亀レス気味 投稿者:NAPP  投稿日: 7月29日(日)13時17分47秒
>IDLERさん
 アルトクラリネットですが、やはり、ちんぴら指揮者さんの書かれたように「楽器と人がないから」というのが主な理由だと思いますよ。うちでやってる「編成に関するアンケート」でも、現在の64の有効回答のうち、Alto.Clを所持していると答えたのは20でした(意外と多い数字でもあるけど)。
 あと、これは個人的な考えですが、Alto.Clを保有している楽団というのは概して大編成バンド(≒人数が多い)です。必然的に普通のClの数も多くなります。その中に一人だけのAlto.Clがいたところで、バランス的に対等に聞こえるかどうかというのは少々疑わしいところもあります。ですので、この楽器は中低音楽器の補強的に使われることが多いわけなのですが、それだけではこの楽器の存在意義に疑問が残ります。作曲家としては「小編成でもAlto.Clがいる」もしくは「大編成でもAlto.Clが普通のClと調和がとれる程度の人数でいる」というのが理想なのでしょうか、これがなかなか難しい。むぅ。
 個人的には編成に入っているととってもラクになるんですけどね。

>畠中さん
 ちんぴら指揮者さんと畠中さんは、音楽的出自が非常に近いと私は勝手に感じているのですが、きっとお二人は考えがよく合うと思いますよ(笑)。
 「古典組曲」の音源ですが、私の知っている限りでは市販されているものはなかったと思います(某大学の自主制作版のCDには収録されているらしいけど)。私は1曲目だけですがBJ付録の楽譜をMIDIに打ちこんで喜んでいました。もしかしたらムジクケラーさんにお願いすれば何か手助けをしてくださるかもしれませんが・・・・・
http://www.keller.co.jp/
 「古典組曲」は表面的にはバロック時代の音楽のマネに聞こえるかもしれませんが、かなり細かいところにまで色々と巧妙な仕掛けがしてあって気に入っています。
 入間次朗さんのプロジェクトは、私が最初に思っていたよりもかなり大掛かりなもののようです。私からも皆さんのご協力をお願いします。

>ちんぴら指揮者さん
>当事者のくせして「フムフム・・なるほどなぁ」なんて思ったのはなぜっしょ?
 びみょ〜に双方の思惑の違いがあって、そこが面白いとこなんですよね。
>初演後に、実際の曲の中身に関する記事を出そうかと準備中です。
>これも作曲者版書きますか・・・ってか!
 こっちには例の「演奏の手引き」がありますからね。初演後にはこれを、「作曲部屋」に載せている2曲みたいにアナリーゼとして載せる、というのもアリか?

>yostan様
 「秋吉台の夏」の情報、ありがとうございました。個人的にはとても参加してみたいのですが、さすがに今から準備じゃ間に合いません。残念。
 このサイトを見ている作曲科の後輩諸君の中に参加できる者がいれば、ぜひ参加しておくれ。
 皆さん、河添達也先生は「現代作曲家と吹奏楽」に記載もある先生ですよ〜

>LZFELTさん
 一言で「音楽学」と言っても様々です。例えば、うちの大学に講義があるものだけでも「日本音楽史」「西洋音楽史」「民族音楽学」「アジア音楽史」「管弦楽曲史」「ピアノ音楽史」「歌曲史」「オペラ史」「音楽教育史」「音楽工学」「環境音楽論」「音楽療法」「音楽美学」「音声学」「音響学」「音楽享受論」「音楽物理」などがあります(他の分野とクロスしているものもありますが)。他にも「楽器学」とか「演奏論」なども研究者がいますね。 そんな中に「音楽産業論」「音楽ジャーナリズム論」「音楽心理学」「音楽社会学」というものもありまして、これらは「音楽に携わっている人達の心とか、時代の世相とか」も扱っているでしょう(私はこれらは専門外なのでよく分かりませんが)。これらを集中的にやっているのは日本では国立音大でしょうか?
 まぁ、これは本当に広義での「音楽学」であり、一般的には音楽学というのは「音楽史」(主観を交えずに客観的事実で判断する)と「楽曲分析」の二本柱のことではないでしょうか。そして、この中でもさらに細分化されており、音楽史でも、音楽学者は普通は特定の時代・国・ジャンル・作曲家を限定して専門として研究するものではないでしょうか(勿論、基本的な事項は知った上で)。例えば、私の大学院の音楽学ゼミの先生のご専門は「前期古典派の作曲家・シェンク」だそうです。
 私の場合は「音楽学」という視座ですが、厳密に言えば「作曲技法研究」で、始めたばっかりですが専門にしようとしているのは「管楽合奏作曲法」です。ですんで「楽曲史」とか「楽器学」にそれほど詳しくないんですよね(言い訳?)
 「獣医学者」でも専門がゾウかネコかによって全然違うように、「音楽学者」でも専門外のところは分からない部分というのは多いです。

初歩的な質問かも知れませんが・・・ 投稿者:LZFELT  投稿日: 7月28日(土)08時03分36秒
 そういえば私は音楽学のことを、よく知っていないことを思い出しました。(^^;)
 ついでにいえば、あちこちの学問を食い散らかしているだけなので、私が属しているところが学問的にどこなのか、不明なのですが。
 まあそれはともかく、音楽学というのは、音楽に携わっている人達の心とか、時代の世相とかは扱っているのでしょうか?
 教えてください。

秋吉台の夏 投稿者:yostan  投稿日: 7月28日(土)00時19分57秒
こちらには初めて投稿させていただきます。
作曲家の河添達也さんから、下記の情報を回して欲しいと依頼されました。
準備がかなり押していて、締め切りの期日が迫っているのに、なかなか宣伝まで手が回らない、とのこと。
字数が多いので、細部は省略していますが、興味のある方は問い合わせてみてください。

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「秋吉台の夏2001」について            音楽監督 田中照通

 平成10年に一旦終了した「秋吉台国際20世紀音楽セミナー&フェスティバル」は、今年装いを新たに「秋吉台の夏」として再出発します。
 今回からは、これまでの作曲マスターコースに加えて、新しく演奏のマスターコースを設けることにしました。今回はフルートとクラリネットです。作曲マスターコースで優秀と思われる人には「リスニングセッション」で自作について語ってもらいます。演奏のマスターコースで優秀と思われる人は、最終日に行われる「受講生によるコンサート」に出演できます。これらのマスターコースを軸としながら、いろいろなセミナーやコンサートを行うことにしました。
 今回はゲスト音楽家として、戦後から日本の新しい音楽をリードしている作曲家、湯浅譲二氏、現在イタリアを中心にヨーロッパ各地で注目を集めている新進気鋭のフルーティスト、マリオ・カローリ氏、下関出身で現在ベルギーの現代音楽アンサンブル・イクトゥスを本拠地とし国内外で活躍している、秋吉台ではおなじみのクラリネット奏者、山根孝司氏の3人を招き、「湯浅譲二の音楽」「フルートとクラリネットの新しい音楽」というテーマで開催いたします。
 また、「秋吉台の夏2001コンサート」では、「秋吉台ピアノマスターコース」を修了し、現在エッセン音楽大学の講師を勤めている中山敬子さんにも出演していただきます。
 初心に立ち返り、小規模ながらじっくり学ぶ事の出来る新生「秋吉台」、多くの皆様の参加をお待ちしています。

募集要項

・期間:2001年8月19日(日)〜22日(水)
・場所:秋吉台国際芸術村  754-0511山口県美祢郡秋芳町秋吉中山田50番地
              TEL 0837-63-0020, FAX 0837-63-0021
・マスターコース定員:作曲=10名、フルート=7名、クラリネット=7名
・セミナー参加者定員:約15名          (原則として先着順)
・参加費(マスターコース受講生は全日程参加を原則とする)
 ・全日程参加:30,000円
 (コンサート入場料、レッスン受講、資料、聴講、宿泊4泊(18〜21)、レセプション代含む)
 ・部分参加:1日受講料=2,000円、1泊宿泊=3,000円
      レセプション参加費=4,000円、コンサート入場料=2,000円
・コンサート(8月21日18:30〜)は一般公開です。:入場料=2,000円

*)作曲マスターコースについて
  1、持参するもの
   (1)自作のスコア (2)可能であれば(1)の音源
  2、試演会で試演してみたい曲(フルート、クラリネットの独奏曲)がありまし
   たら持参してください。
  3、レッスンで興味深い作品については、リスニングセッションで発表できる機
   会が与えられます。

*)フルートマスターコース
  1、次の曲でレッスンが受講出来ます。申込時に曲目をお知らせください。
   <詳細は字数制限のため省略、主催者に問い合わせてください>
  
  2、優秀な受講生は、22日の「コンサート〜受講生による演奏発表」に出演できます。

*)クラリネットマスターコース
  1、レッスンの曲は指定しませんが、曲によってはレッスンできないことがあり
   ます。事前に曲目をお知らせください。
  2、優秀な受講生は、22日の「コンサート〜受講生による演奏発表」に出演できます。


・申し込み締め切り:2001年7月31日、パンフ付属の申込書にて
        (メールでも結構です:必要事項を記入してください、書式自由)
・参加費納入:参加当日、会場で受け付けます。

=秋吉台の夏 コンサート= 8月21日(火)18:30〜20:30
              於:秋吉台国際芸術村コンサートホール
 ・C.Debussy  ・A.Berg  ・S.Gervasoni
 ・I.Fedele   ・G.Scelsi  ・湯浅譲二 の作品

お問い合わせ・申し込み
  「秋吉台の夏2001」事務局
  〒690-8504 松江市西川津町1060 島根大学教育学部内 河添達也
  TEL&FAX 0852-32-6317,  kawasoi@edu.shimane-u.ac.jp

読みましたぜ! 投稿者:ちんぴら指揮者  投稿日: 7月25日(水)22時59分43秒
>管理人様
早速読みましたよん。
自分の事を書かれてるのが解ってるんでドキドキしましたなぁ。
しかし、当事者のくせして「フムフム・・なるほどなぁ」なんて思ったのはなぜっしょ?(笑)
もういっぺん読み返そうかな・・・ダハハハハ!!

初演後に、実際の曲の中身に関する記事を出そうかと準備中です。
これも作曲者版書きますか・・・ってか!

http://www2.odn.ne.jp/~cau62570/index.htm


こんにちは 投稿者:畠中 秀幸  投稿日: 7月25日(水)19時47分46秒
NAPPさん。九州ですか・・・
遠く聞きに行くことは叶いませんが「遮光の反映」の初演、期待致しております。面識はありませんが、以前うちのHPに書き込んでいただいたこともあるちんぴら指揮者さまにもよろしくお伝え下さい。

選曲へのご示唆ありがとうございました。といいつつ話題にしていただいた伊藤康英作「古典組曲」の音源が手元になく、困っております。NAPPさんをはじめここにお集まりの皆様で情報などおもちの方がいらっしゃいましたら是非お知らせ下さい。それから氏のHPに行って初めて知ったのですが「管楽器のための序曲」という弦抜き2管オケ+A.Saxの作品があるんですね。正直興味をそそられています。これについてももし詳しい方がいらっしゃいましたら情報提供よろしくお願い致します。

それから入間次朗さんが関わっていらっしゃるプロジェクト、とても面白そうですね。吹奏楽に携わる方々の目がこのような方向に向かうことは大変素晴らしいことだと思います。このような動きをより大きなものにしていくために、我々も一役かえれば良いのですが・・・

http://sapporo.cool.ne.jp/wss


>IDLER さん 投稿者:ちんぴら指揮者  投稿日: 7月25日(水)15時52分55秒
↓↓↓をクリックすると概要が見れます。
多少時間が遅れるのは毎度の事ですが、今年は大・職・一般のみなので数が少なくそうずれないと思いますが。

アルトクラですが、はっきり言えば楽器が無いからです。人と楽器があれば使いたいですが。

http://www.h3.dion.ne.jp/~nagasui/insasebo2.htm


出演順は 投稿者:IDLER  投稿日: 7月25日(水)01時48分36秒
長崎市民吹奏楽団さんの、出演は何番目なのでしょうか?

吹奏楽コンクールを聞きに行くのは、久しぶりなので、楽しみです。
私は、クラリネットを吹いていたのですが、最近のコンクールでは、アルトクラリネットを使わないそうです。なぜなんでしょう???

from きゅ〜しゅ〜 投稿者:NAPP  投稿日: 7月24日(火)12時15分18秒
>畠中さん
 「ネオ・バロック」だとか、そういった仰々しい命名をしてしまうのは私の悪い癖ですが、演奏会のキャッチコピーにするんだったら多少派手な単語を使うのもまぁいいかな、と思ってあのような書き込みをさせて頂きました。
 また時がきたら書きこませていただきます。議論の展開によっては「トランスクリプション」の論議を改めてしてみることもあるかもしれませんね。

>LZFELTさん
 私も書くのは大変ですのでお付き合いくださいませ(笑)。それに成文化することでその人の音楽観をはっきりさせる、というのはLZFELTさんの主張でもあったですよね。

>カール・マルクスの「定義は、それ自身の本質ではなく、環境が決定する」
>という言葉
 これはその時代、その場所において使われる日常的な意味での「言葉」の定義であって、学術的用語としての言葉の定義のされかたではありませんよね。ですから、「ブラスバンド」という語が日本において日常的に吹奏楽の意で使用されることについてはマルクスの言と照らし合わせても(私には)容認できますが、音楽学的見地からは認められません。タラバガニがカニではなくヤドカリである、という事実は環境がどんなに変わっても普遍なのです。
 イヤな言い方ですが、仮にも私は音楽大学大学院というアカデミズムの末端機関において音楽学のゼミにも参加している身(にしては半端な知識しかないんですが、専攻は作曲ということで)。音楽学の視点からモノを書くことは仕方のないことでありますし、このサイトがそういう方針をとることは当然と言えましょう。LZFELTさんの「吹奏楽を音楽以外の見地から見る」というのは実に興味深く得がたい視点ではありますが、LZFELTさんもお気づきのとおり、永遠に平行線でしょう。断っておきますが、私は一応文章は私なりに理解しているつもりですが、それと賛成するかは別問題です。「私とNAPPさんで、言葉は共通なのに文章が理解できない状態が、これからも続くと思います」という部分は心外です。それにこの掲示板での発言は一対一ではなく、一対不特定多数でお願いします。

>スポーツ大人主義宣言と部活動
 このご意見にはアマチュアの活動の範囲内では同感です。ただ、「芸術表現としての吹奏楽」を実現するのがアマチュアである、という前提がこの場合存在するように思えるのですが?プロのサッカークラブは利用三ヶ月前の平日朝九時に窓口に並びませんよね。もちろん、「アマチュアに芸術表現はムリだ!」なんてことを言う気は毛頭ありませんが、「教育の現場での吹奏楽」からの脱却の糸口をプロに期待する私としては、これが故に「永遠に無理」だとはあまり思えません。プロのスポーツ選手が学校や地域に指導にくることは少なくないですが、彼らはその一部特定集団の在り方に口を出しているのでしょうか?

>なんでイギリス主催のものに、フランスの「コンクール」っていう単語を使うのか
 これこそまさに「外来語の日本語化」の例でしょう。ここにこだわるのであれば「ブラスバンド=吹奏楽」の容認は矛盾です。まぁ、たしかに表面的なことですけど(笑)

>「それでは日本の歌を歌います」てなことになり、口から出たメロディーが
>明治時代に輸入された、世界各地のメロディーばかり
 「日本の歌」というのがどこから「日本の」になったかが問題でしょうね。例えば「蛍の光」はよく知られているように元は北欧の民俗音楽ですが、日本語のテキストが浸透し、その歌詞とセットで一曲となっていると思います。ぢゃ、歌詞付きで歌ったら「日本の歌」で器楽演奏なら「外国の曲」なのか?難しいところです。でも、きっと大事なのは「旋律(元)は外国のだったんだよ」ということを知っておくということ。必ずしも必要なことではないかもしれないけれど、きっと知ることで別の視点を得ることができる。吹奏楽でアレンジ物をやることそれ自体を頭から否定はしないけれど、「元」を知ることは大事なことであるだろうし、指導者は奏者に知らせる義務があると思うのです。

>専門家が知識人である必要が、あるのかないのか
 音楽に限らず、私は人に何かを示す立場にある者は必要最低限の知識を持っている必要があると思っています。全てを知っている(暗記している)のは不可能かもしれませんが、少なくとも事実として間違ったことを断言してはいけないと思っています。

>ちなみに「ブラスバンド」と「吹奏楽」ですが、音楽学ではなく、
>言語学ではどうでしょう?
 先にも書きましたが、私のスタンスとしては音楽学の定義の方を優先しないといけないですので、ここはコメントを避けさせていただきます。それに私は言語学者ではないですので、あんまり無責任なことは言えないですしね。

>音楽のジャンル分けにこだわる人達がいて
 「音楽」の内部でのジャンル分けも勿論ですが、もう少し話を広げてみまして「表現のジャンル分け」としてみましょうか。我々は一般に音楽家というものにカテゴライズされていますが、果たしてこれも妥当でしょうか?私達は「表現者」であって、たまたまその手段が「音」によることが「多い」だけなのではないでしょうか?「日本でのその行為には、聴覚以外にも視覚、触覚、嗅覚、味覚まで動員されていましたけど、芸術音楽の考え方が入ってくると、音以外の価値を一切認めない一派が出現しましたよね」という部分、たしかに一世代前には多く聞かれましたが、今現在活躍している「音楽学者」にこういったことを言う人は殆どいないのではないでしょうか。「音楽の可能性を広げる」という考え方を持つこと自体、それは「音楽」という範囲に固執している意味で「表現の幅を規定している」ことになりはしないでしょうか。日本語では「作曲家」という単語で分類されている私の職業ですが、英語では「composer」、つまり「構成者」。表現を「構成」する手段が「音」であるという規制は言葉の上でも存在していませんし、事実、ノーノなどの「作曲家」によって創られたシアターピースといった、日本語でいうところの「音楽作品」には音以外の要素が表現手段として多数含まれています。「アフリカ文明の文化」が「音」なのか「音楽」なのかは知らないけど、少なくとも「表現」であることに変わりない。


>入間次朗さん
 はじめまして。実に興味深いプロジェクトをされている吹奏楽団ですね。差し支えなければ私信で結構ですので団名を教えていただけませんでしょうか?
 それはさておき、ご質問の件ですね。現在ちょっと資料と離れたところにいますので詳しいデータは差し上げられないのが残念ですが、微力ながら助言できる範囲で。
 まず、図書館でNew Grove(Second Edition)を参照することで様々なデータが揃います。各項目に記述されている内容も勿論ですが、別冊にまとめてある「その項目を書くのに参考にした資料」、すなわち参考文献一覧に載っている書物により、編成などについても詳しい情報が得られます。
 次に、全集版(原典版・批判版)を出している出版社を探し出し(例えばBeethovenなら新全集がベーレンライター)、そこに含まれていないかを見てみます。全集には個々の巻にどの曲が収録されているか、全ては書かれていない場合もありますので要注意です。また、収録されていなくても特定編成や時代考証について特別な記述がある場合もありますのであたってみるのはとてもよいことだと思います。
 他には、作曲家別の書簡全集。Chopinの作品の存在はこの書簡上の記録のみで知られているものですね。これが発見されれば音楽史上の大発見。
 また、作曲家によっては協会があるものもあるので、これはそっちに問い合わせるのが確実でしょう。ただし、その作曲家の国にあるものしか信頼できないかもしれません。BrucknerやSaint-Saensは協会があるのではなかったでしょうか?
 もう一つ考えられる手段として、録音を行ったレコード会社か演奏団体のライブラリアンに問い合わせてみるのも考えられます。例えばMendelssohn「序曲」はつい最近、東京佼成W.O.が原典版で演奏をしています。
 あとは、CD解説書から辿る。Rossini「スケルツォ」は佼成のCDによるとロンドンの大英博物館に楽譜がある(今は南カリフォルニア大学?)そうですし、これを参照することで「スケルツォ」ではなく「Fanfara」というのが正式タイトルである、ということが分かりますね。
 さらに、現代ならではの方法として、研究者に直に質問するというのもありますね。Groveなどに執筆している人は大体どこかの大学に籍を置いてますので、その大学のサイトを通じて質問メールを出すことが可能です。Mozartのグラン・パルティータだったら、ザスローやアラン・タイソンなど(タイソンの自筆譜筆跡鑑定によりグランパルティータの成立年に新説が現れたのは記憶に新しいところですね)。
 以上の各種方法に共通して言えるのは、ロマン派、古典派などの場合は日本語資料はほとんど当てにならないということですね。私は院に入ってすぐに、初めてそれを実感しました。
 大体こんなところですが、何かお役に立てば幸いです。企画についての続報も、もしよろしければ教えて下さい!

>IDLERさん
 ぜひぜひ!つい先日までちんぴら指揮者さんのところで練習に立ち合わせて頂いたのですが、団員のみなさん、とてもよくがんばってくれていてとても嬉しかったです。演奏者がおちないことだけが心配です(笑)。
 他にもこの掲示板を見てくださっている方でわざわざ聴きに来てくれる方もいらっしゃるみたいで、ドキドキしてます。がんばるのは私ぢゃなくて演奏者さん、です。 ということで、私を探さないでください(笑)
 宣伝:8月5日13:00〜 佐世保市 アルカスSASEBOホール
    長崎県吹奏楽コンクール、です

>IDLER さん 投稿者:ちんぴら指揮者  投稿日: 7月23日(月)16時38分49秒
どちらの実家からか存じませんがわざわざ聴きにいらっしゃるのには感謝感謝であります。
先日からのNAPPさんのレッスンのお陰でいろいろと解きほぐされた箇所も多々あり練習も先へ進むことが出来ました。僕らも本番(=初演)を楽しみにしておる次第です。

http://www2.odn.ne.jp/~cau62570/index.htm


聞きに行きます 投稿者:IDLER  投稿日: 7月23日(月)11時12分39秒
私は、神奈川県在住ですが、実家が九州にあるので、せっかくですから佐世保まで「遮光の反映」を聞きに行こうと思います。
NAPPさん、ちんぴら指揮者さん、頑張って下さい。
楽しみにしています。

情報を探しています 投稿者:入間次朗  投稿日: 7月18日(水)22時49分49秒
初めまして、ペンネーム入間次朗と申しますが初めて投稿させていただきます。
私は、ある吹奏楽団のプロジェクトにボランティアとして係わる者ですが、譜面の入手に苦労しています。インターネットで情報収集していすのですが、それにも限界があるようです。
プロジェクトは各時代ごとの著名作曲家に焦点を当てて、体系的に紹介していこうという企画ですが、とりあえず前期ロマン派の作曲家に焦点を当ててみようと言うことで話が始まりました。そこで、
Beethoven WoO18〜24、Rossini  Scherzo for Band、Mendelssohn 「吹奏楽のための序曲」op.24 葬送行進曲 イ短調、Chopin 「軍隊行進曲」、Wagner 「葬送のシンフォニー」、「誓忠行進曲」、Bruckner  op.115 アポロ行進曲 変ホ長調(偽作?)、op.116 行進曲 変ホ長調、Saint-Saens 行進曲 東洋と西洋op.25、「フランスースペイン讃歌」、「ナイル河畔にて」、Grieg 「葬送行進曲」
が候補に挙がっているのですが、ブルックナーとサンサーンス関しては特に資料が少ないようです。ショパンは幻と言われるだけあって殆ど判らない状態です。その他については幾つか出版社は判明したのですが、原典譜か校訂譜かなどの状態がよく分からないのです。
出来れば原典譜と校訂譜を手に入れて、時代考証も含めて検討し聴衆に紹介できればと考えています。
加えて、当時の演奏スタイルなども研究したいと考えているのですが、どなたか良い参考書、楽譜の出版社と入手先、参考CD等をご存じでしたらご教授願えれば幸いです。
また、メンデルゾーンなどは数社から出版されているようなのですが、もし上記の曲を演奏したことがお有りで、この版は面白いとか、原曲のイメージが消えてしまっているとか言うことについても情報を頂ければ、非常にありがたく存じます。
企画が完成し、実行が可能となりましたら、どのような内容であるのかを報告したいと思います。
初めて投稿して、お願いばかりで申しわけ有りませんが、協力をお願いできる奇特な方がございましたら、iririn@kcn.ne.jpへ連絡いただければ幸いです。

横から失礼します 投稿者:谷口昭弘  投稿日: 7月18日(水)15時20分11秒
吹奏楽の正体というのは、私には難しい問題ですが、歴史的に思い付くことでは、軍楽隊と教育音楽という二つの要素でしょうか。戦後は結局、前者が影を潜めたということではないかと思います。

>なんでイギリス主催のものに、フランスの「コンクール」っていう単語を使うのか。(笑)

コンペティションではなくて、コンクールという言葉が日本語の「通称」として定着したから、分かりやすさを狙って、書く方も、そういう風になっているのではないでしょうか。

音楽学に限らず学問というのは、こういった世間で常識とされている概念に疑問を持つことが、その出発点の一つとなっています。ですから、学問的に意味ある考え方が、必ずしも世間で広く受け入れられるとは限らないと思います。

>「それでは日本の歌を歌います」てなことになり、口から出たメロディーが
>明治時代に輸入された、世界各地のメロディーばかり。

きっとそれは、明治時代の唱歌教育が国民全体にまで行き渡った証拠ですね。おそらく謡曲などを歌える人の方が少ないでしょう。あとは、軍歌などを歌って、アジア各国から嫌な目をされるというのも聞いたことがあります。

>「定義は、それ自身の本質ではなく、環境が決定する」という言葉にすがらせて貰います。

物事の本質を、その時代時代で考えて定義していく、そういうことではないかと私は考えています。

>「私は自分の好きなことをやっているだけなのに、人はそれを「音楽」と言う」
> てな事を言う人が、はたして今の日本にいるのかどうか。

それだけ音楽が、「芸能」とは違って、自明に独立した存在になったということでしょうか。

>吹奏楽の可能性を広げることもステキだけど、音楽の可能性を広げることは、
>考えることだけでも可能かどうか。

結局、20世紀後半の音楽の流れに、インターメディア、マルチメディアという表現形態が出現したのは、音だけの音楽という概念を何とかして覆したいという、欲求の現れであったのではないかと、私は考えます。

>明治時代に「music」が入ってくるまでには、日本でのその行為には、
>聴覚以外にも視覚、触覚、嗅覚、味覚まで動員されていましたけど、芸術音楽の
>考え方が入ってくると、音以外の価値を一切認めない一派が出現しましたよね。

19世紀後半という時代の影響もあるのでしょう。いわゆる絶対音楽という概念が浮上していたというのがあると思います。おそらくそれは、音楽と文学が密接な関係を持っていた、それまでの音楽の歴史にたいする反動であったのかもしれませんね。それと同時に、西洋的な「sound」と「noise」を分ける耳の思考も、いつのまにか、日本人に染み付いてしまったのかもしれません。

>アフリカ文明の、音を扱っているけど音楽の範疇には入らない、という文化

とりあえず、現在の民族音楽学の考え方では、アフリカには、西洋人からみて、立派な音楽伝統があるというのが、すでに共通認識になっていると思いますけれど。ちなみに、現在のアフリカ文明まで含めると、その音楽はかなり西洋音楽の影響が強いです。

それとも、アフリカの人たちは、西洋人からみて音楽だと認識されている人間行動が、音楽という範疇では捉えられていないという主旨だったんでしょうか?

http://mailer.fsu.edu/~ataniguc/index-j.html


蛇足ながら・・・ 投稿者:LZFELT  投稿日: 7月17日(火)02時01分55秒
「吹奏楽の正体の一面」に書いた問題点が、市民バンド、そして多分職場バンドにもそのまんま持ち越されているのは、書くまでもないかな?
 プロは、お給料が介在している分、ちょとちがう。でも代替案を出すほどではないでしょうが。

命名遊びから、何が見えるか 投稿者:LZFELT  投稿日: 7月17日(火)00時25分40秒
 音楽のジャンル分けにこだわる人達がいて、「パンクとヘヴィ・メタを一緒にするな!」という人もいますけど、逆に「俺は音楽をやっているだけなのに、人はそれを○○と呼ぶ」てなことを言う人も、大勢います。○○にはクラシックという言葉だの、ロックという名前だのさまざま。
 けれどもけども。
「私は自分の好きなことをやっているだけなのに、人はそれを「音楽」と言う」てな事を言う人が、はたして今の日本にいるのかどうか。
 吹奏楽の可能性を広げることもステキだけど、音楽の可能性を広げることは、考えることだけでも可能かどうか。
 明治時代に「music」が入ってくるまでには、日本でのその行為には、聴覚以外にも視覚、触覚、嗅覚、味覚まで動員されていましたけど、芸術音楽の考え方が入ってくると、音以外の価値を一切認めない一派が出現しましたよね。
オペラのデブ・フケを「それは音楽とは別問題だ」という人も、その一派でしょう。(笑)

 アフリカ文明の、音を扱っているけど音楽の範疇には入らない、という文化を取り入れる人、将来には出てくるでしょうけど、私の存命中は間に合うかなあ。

こだわる。何に? 投稿者:LZFELT  投稿日: 7月17日(火)00時15分47秒
 NAPPさんの、音楽学を基準にするという姿勢には敬意を表しますが、現実社会ではそれすら無理でしょう。
 バイオリンの世界的なコンクールの一つを、日本ではエリザベート国際「コンクール」なんて言ってますもの。
 なんでイギリス主催のものに、フランスの「コンクール」っていう単語を使うのか。(笑)
 横文字と見れば英語と考える国民性なのかな。

 表面的なことはともかく、日本人の性根について。
 昔から、吹奏楽をやっている者が、管弦楽から編曲された「アレンジ物」こそをオリジナル作品だと思いこむ人に対して、無知だの不勉強だの、散々なことを言ってます。
 けれども、3、40年前にも同じ事がありました。
 日本が太平洋戦争に負けてド貧乏になり、その後がんばってお金を稼いで、海外旅行がぽつぽつと始まったときです。
 あこがれの外国の地を踏み、その土地の人達と仲良くなり、「それでは日本の歌を歌います」てなことになり、口から出たメロディーが明治時代に輸入された、世界各地のメロディーばかり。
 そのこと問題視する人、当時もいましたけど、なんで日本人は「好きなこと」と「正確さ」をセットで求めるんでしょうね。「日本の歌」と言わずに、「私の好きな歌」と言えば問題はなかったのでしょうが、自分の趣味よりもお国意識が先に出る国民性だからかな?

 専門家が知識人である必要が、あるのかないのか。
つまり、職業音楽家が音楽学の大家である必要が、あるのかないのか。
 例えば職業音楽家がファンやアマチュアから、知識に関する質問をされたとき、「う〜ん、よくはわからないけど、おそらくこういうことじゃないかなあ」と控えめに答えたとしても、ファンやアマチュアがその答えを絶対なものだと思ってしまうこともあるわけでしょう。
 正しいっていうのは、そう思いたいってことなのかもしれませんね。

 ちなみに「ブラスバンド」と「吹奏楽」ですが、音楽学ではなく、言語学ではどうでしょう?
日本では「吹奏」という行為を名前にしました。ドイツでは「管楽器楽団」と、管楽器という総称を名前にしました。ところがイギリスでは、「blow band」も「wind ensemble」も英英辞典には載っていない。そこで推理を働かせまして、構成している「brass,wood and percussion band」が正式名称なんだけど、長いから中を省略して「brass band」としたのではないか、日本で言う「木管、金管、パーカッション」の順番がイギリスでは「金管、木管、パーカッション」楽団になる、というのがそいつの説です。
 ちなみに「バリ・チューアンサンブル」、「ユーフォ・チューバアンサンブル」と日本ではユーフォが先に来ますけど、外国では「チューバ・カルテッテト」とチューバの名前が優位に来ますよね。そっから思いついたらしいです。

吹奏楽の正体の一面 投稿者:LZFELT  投稿日: 7月17日(火)00時14分18秒
 NAPPさん、レスが遅くなってすいません。仕事の疲労と文語体の壁で、なかなかかけませんでした。
 だもんで、自分の所の更新も全然やっていません。(^^;)
喋り言葉なら、どこまでもいけるのですが・・・。

 ずっと考えていました。その結果、カール・マルクスの「定義は、それ自身の本質ではなく、環境が決定する」という言葉にすがらせて貰います。
 NAPPさんは音楽なり吹奏楽の本質を、あくまでサウンド面で捉えようとしているのだと思います。しかし私は、吹奏楽に携わっている人の心に興味を持ち、そこから社会的な存在価値、存在理由へと進みました。ですので、私とNAPPさんで、言葉は共通なのに文章が理解できない状態が、これからも続くと思います。
 例えば「教育の現場での吹奏楽」と「芸術表現としての吹奏楽」という言葉から、NAPPさんは合唱の話、楽団の話に進まれましたが、私は教育の話、学制の話に進みます。

 ヨーロッパで現在の形の学校が始まったのは、読み書きを教えるためでもありますが、一つの場所に長時間拘束して作業をさせるという、工場労働に適応できる人間を作り出すためでもありました。(知識と)心性の近代化を「教育」するためです。
 この学制が明治時代に日本に輸入され、「教育」が明治時代的日本集団制の技術として使われるようになり、「和魂洋才」の一つの柱になります。
 部活動は教育活動の一環である、つまりは文部省・国が必要とする人材を育てることにあり、規則を守ること、みんなで決めたことには従うこと、上級生を敬うこと、「場」を乱さぬ事、などなど、日本人であれば疑いもしない、当たり前なことを、心のそこに根付かせるために吹奏楽が使われているわけです。まあ部活動ってのは全てそのためのものでありまして、スポーツの分野ではその弊害を玉木正之氏や広瀬一郎氏など、多くの人達が書いていますが、音楽では「素晴らしい芸術には独裁者が必要なこともある」という、芸術音楽的意思統一と日本的集団維持のための意思統一が混同されているため、始末が悪い。
 広瀬一郎氏著「ドットコム・スポーツ」TBSブリタニカ刊にスポーツ大人主義宣言として、「いまの日本のスポーツは、「体育」として学校教育の管理のもとにおかれている。サッカーグラウンドの利用を申し込むのに  「利用三ヶ月前の平日朝九時に窓口に来て、他の申込者とジャンケンしてください」などといわれては、大人はスポーツが出来ない。が、スポーツは学校だけのものではないはずだ。スポーツを、大人の手に取り戻そう!」と宣言していますが、この「サッカーグラウンド」を「演奏練習場」とも「演奏会場」とも言い換えれば、音楽界でも全く同じ主旨になります。
 つまり、日本の教育現場では管理者や責任者の視点が優先され、部員や団員の視点は制限されてしまい、そのことに不満は出ても仕方がない、という諦念に終わる。
 プロの演奏家がアマチュアの指導に来ても、音楽のことは教えられても集団のあり方には口を挟むことは、出来ないのか許されていないのか、不可能。
 スポーツ施設の運営のあり方に意義を唱えだした人達は数多く出てきているのに、音楽演奏施設、それもアマチュア団体の接している現場で親身になってくれているプロ演奏家がどれだけいる?
 日本の、儒教を基盤にしたトップ・ダウン方式の団運営・練習進行に疑問を持つことから第一歩を始めなければ、「教育の現場での吹奏楽」から「芸術表現としての吹奏楽」への変換は永遠に無理、というか、時代・世間にそぐわない吹奏楽の衰退は止められないと思います。

 う〜ん、喋ったほうが早いな・・・。

http://www.geocities.co.jp/MusicHall/6903/


ありがとうございました 投稿者:畠中 秀幸  投稿日: 7月16日(月)19時38分54秒
NAPPさん、うちの掲示板への書き込みありがとうございました。

相変わらず鋭いご指摘、恐れ入ります。「ネオ・バロック」についての私なりの考察(モダニズムとの関連など)と、その他の候補曲についてのレスをつけましたので、できればご高覧下さい。
それにしてもプログラミングという作業は何回やっても骨が折れます。NAPPさんご指摘の通り、演奏会全体に統一性や目的性をもたせるのは非常に難しい(特に吹奏楽は)ですが、それだけにやりがいもあるというものです。我々もやっと、無造作にやりたい作品を並べ立てるレベルからは脱却し、少なくとも自分たちの姿勢を明確にした上でなにかを表明できつつあるのかなと思っていますが、NAPPさんをはじめとする皆様の御めがねに叶うかどうか・・・

尚、うちの掲示板には書きませんでしたが、以前に議論させて頂いていたピアノ曲やオルガン作品からのトランスクリプションについては、今回の演奏会のコンセプトに照らすと取り上げられなくもないかと思っていますが、伝えたいことのピントがボケてしまうのではないかという懸念から、予めはずしてプログラミングしております。この点についてもできれば音楽的な見地からご意見を伺えれば幸いです。

今後ともお世話になると思いますが、よろしくお願いします。取り急ぎご連絡まで。

http://sapporo.cool.ne.jp/wss


暑いですね 投稿者:NAPP  投稿日: 7月16日(月)00時54分22秒
いそぎの仕事が急に入ったり、打ち上げやらでほったらかしになってしまいました。どうもごめんなさいです。

>ちんぴら指揮者さん
 我が子がお世話になっております。さぞ手を焼かせてしまっていることと思いますが、一応、私としては数少ない会心の出来だったりします。
 前半がゆっくりで後半が速い、最後に融合、と書けばありきたりですけど、一応、「融合した」ときに仕掛けをしてるんですよね。「調性音楽」が「無調音楽」よりも残酷な響きになることもある、ということです(笑)
 私もだんだん楽しみになってきましたよ。

>畠中さん
 ご無沙汰しておりまして申し訳ございませんでした。事故のことも聞き及んでいたのですが、お見舞い申し上げなくてすみません。
 さて、改訂版津田作品も個人的にも少々あったのでどう変わったのか楽しみなのですが、やはりそこに組み合わせるもの、となると難しそうですね。「トッカータマルツィアーレ」が適当かどうかはおいといて、色々悩みどころだと思います。以前酒の肴にしていた「フランス組曲」集は、バッハはともかくとしてプーランクはかなり私としてはマジだったので面白いな、と思いますね。選曲に関してもっと深くつっこんだところは、久し振りにシンフォニカさんの掲示板に参上させていただくことにします。
 ジャンニーニに関しては、私はほとんど新しい情報は持っていません。ちょうど学校も休みになってしまったので調べるのもちょっと・・・・・ 9月中頃になれば調べられると思いますが、ここは他の方のご助力をお願いしたいです。

>如月綾香さん
 はじめまして!かつて吹奏楽に携わっていた方が「外部」にまわったときにどのように感じられたのか、どのような点が「付いていくのが難しい部分」なのか、ということはとても参考になることだと思います。これからもよろしくお願いします。

>東京オペラシティは、他のホールに比べて響きが良すぎるためか、
>吹奏楽には向いていませんね。

 私もそう思います。規模にもよりますが、逆に吹奏楽に一番向いているホールというのはどこの(もしくはどんな)ホールなんでしょうか。今までで一番しっくりくきたのは、実はすみだトリフォニーだったりしたのですが。曲によっては野外(笑)。

>私は、前提として、吹奏楽部の子供達が「吹奏楽は楽しい」と思ってくれて
>いれば、それでいいんじゃないかな…と思っています。

 そうですね。でも、私は学校での吹奏楽に限定してしまえば、「吹奏楽は楽しい」よりも「音楽は楽しい」と思ってくれるようになることを期待したいです(一応、私も教員免許もらえました(笑))。いや、そもそも学校の部活動の本当の意義は「音楽を教えること」よりも「音楽を通して何を教えられるか」ということなのかもしれません。音楽は「手段」であって「目的」ではないのではないでしょうか。職業音楽家の考え方としては危険なのかもしれませんが、学校音楽に限定すれば私にはそう思えて仕方がないのです(このサイトをご覧になっている方に教員の方は多いと思います。きっと現場の考え方とは隔たりがあるであろうことは承知で書いています)。ですので、「コンクール至上主義」というのも、吹奏楽という音楽形態全体では忌避されるべきものかもしれないけれど、何らかの目標を持たせるという意味では、学校吹奏楽においてはいいことなのかもしれない。
 そして、現在の大学・一般・プロの吹奏楽団、そして連盟がこの学校音楽の延長線上にある限りは、結局吹奏楽が「手段」でしかないままではないのではないかなぁ、と思います。そこが排他的にも感じられるし、吹奏楽が他の形態と一線を隔してしまっている一因でもあると私は考えるのです。


>S.O.さん
 テンポ設定(=解釈問題)って難しいですよね。ちょっと違うだけで大きく印象が変わってしまいますからね。「阿修羅像」のその箇所もテンポを速めたのを想像してみたら、だいぶ違ったものになるような感じはします(私はそれでも結構いいな、と思ったんですけど)。
 吹奏楽のCDというのは、アマチュアによるものが多いせいか、「どこかで聴いたような解釈」のものが多く、解釈法の種類というのは実はとても貧困な世界であると思います。オリジナル作品においても多彩な借り物ではない「解釈」によるものが色々な音盤で聴けるようになったとき、それは吹奏楽にとって新しい時代になったときと言えるでしょう。

>シューリヒト大好きさん
 こちらもはじめまして!昔の話題の再燃は大歓迎ですよ。
>大学生にもなって吹奏楽をやる以上、プログラムの中で何か問題意識や、
>新譜紹介といった意欲が必要なのだ、と考えました。ノスタルジックに
>中高時代を回顧するのではなく、過去を含みながら、未来を切り拓きたい
 このような考え方は至極当然のはずであるのに、現実にはなかなか難しい、微妙なところなんですよね。全ての大学生がそう思ってくれればいいのですが、なかなか。オーケストラは大学になってから始める人が多いのに対し、吹奏楽は「継続」で活動する人が多いからでしょうか。永遠の課題です。
 ところで、武満といえば「ウェイブス」も管打楽器アンサンブル作品ですね。紹介するの忘れてました。またいつか時間があれば・・・・・(いつだ?)


 と、いうことで、大学も夏休みになりました。例の「遮光」の練習に立ち合わさせていただけるということで、例年よりかなり早いですが明日、帰省してしまいます。資料を参照しながらのレスができなくなりますので、ご了承くださいませ。