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追記 投稿者:NAPP  投稿日:11月 1日(木)02時34分58秒
 誤解があるといけないので書いときますが、作曲家にも二種類あって
1、最初から「日本的であろう」として書く人
2、結果的に日本的な要素を含んだものになった人
 といると思います。先だって書いたものの中の「アプローチの仕方の分類」は結果だけをみて第三者の立場から勝手にしたものですし、別に「日本的であるぞ〜」ということを追求しないといかん!というわけではないですのであしからず。

追悼文に替えて 〜日本的作曲とは 投稿者:NAPP  投稿日:10月31日(水)18時06分00秒
 日本の作曲を語るとき、洋楽導入時から現在に至まで常に議論されてきたことがある。いわゆる「日本的作曲」という問題である。「日本人独自の音楽」と「西洋音楽」の間にどのような接点を設けるべきなのか、また、作曲家自身のスタンスをどのように位置付けるべきであるのか。様々な作曲家が様々な方法で、それぞれ自分なりの解決策を模索してきており、現在もなお様々な意見が交錯している。

 日本の作曲というものが、どのように「日本的」と関わってきたかを簡単に紹介してみよう。
 まず、古くは明治、唱歌制定にさかのぼる。日本に西洋音楽を根付かせるべく、音楽教育の基礎として、日本古来の雅楽・地歌などを改編し、西洋音楽と結び付けたメーソンおよび伊澤修二の活動が思い当たる。しかしながら、これはたしかに「東西の出会い」という意味では最初期ではあるが、「日本人独自の作曲法」という意味では性格を異にするものであるのは明白である。
 その後、音楽取調掛(東京音楽学校)や軍楽隊を中心として西洋音楽の導入が進められる一方、雅楽式部寮においても邦楽の研究と併行し洋楽の伝習も行われる。これにより、まず演奏という方面より西洋音楽と日本音楽の接近は行われた(よく見落とされることだが音楽取調掛においても日本の伝統音楽の研究および保護はなされていた)。このことにより、お互いに感化されあい、西洋音楽の関係者が日本音楽に、あるいは日本音楽の関係者が西洋音楽に関心を抱くようになったのは当然のことであろう。音楽取調掛において長唄の伴奏にピアノが用いられるようになったり、邦楽調査掛に西洋音楽の作曲家、本居長世らが参画するようになるのは、はやくも明治中期のことである。後期には下総皖一によって「日本音階の話」などの論文が書かれており、日本音楽を西洋音楽的観点から学術的に考察することもすでに行われている。
 大正になり、その本居と邦楽家・宮城道雄が「新日本音楽」という活動を展開する。幼少よりフランス印象派の音楽を好んだと言われる宮城は、邦楽家でありながらも「春の海」で知られるように洋楽的要素を多く取り入れた作品を発表する。宮城本人は自身の活動について「私は日本の芸術に立脚して、洋楽の長所を咀嚼し消化し、純日本化のものをもって問うてみるつもりである」とコメントしている。この言葉は、現代に生きる「日本の」作曲家全てにそのまま合い通ずるものがあるのではなかろうか。宮城は数曲の筝協奏曲を作曲。邦楽器と西洋楽器の出会いを邦楽家として初めて実現させる。なお、昭和28年の「盤渉調筝協奏曲」は松平頼則との共作であった。 この新日本音楽の活動に興味を持ったのが「作曲研究会」のメンバーである小松耕輔、弘田龍太郎らである。彼等はその後、日本の声楽曲における作曲のパイオニアとして活動することで知られている。

 このようにして日本の作曲はその初期のころより邦楽界と西洋音楽界の相互干渉を伴って出発した。第一次世界大戦後の好景気にのり、数多くの音楽家が海外へ留学。日本における西洋音楽は著しい飛躍を遂げる。作曲界も例外ではなく、このころより多くの作曲集団が作られる。当時のほとんどの作曲家が加盟していた「大日本作曲家協会」が結成されたのは大正14年、現在の「日本現代音楽協会」の母体とも言える「新興作曲家連盟」が結成されたのは昭和5年である(創立メンバーの中に松平頼則の名前もある)。


 多くの「作曲家」が生まれるうち、その中に「いかにして日本的であるか」を目的意識に掲げたものが現れたのも自然の流れだろう(楽団スルヤの諸井三郎のようにドイツの形式論を徹底的に学ぶことからスタートする者もいたことも付け加えておこう)。しかし、そのアプローチの仕方は大きく5つに分けられるのではなかろうか。そして、それは現代においても少しも変わっていない。
 1つ目は、日本の伝統音楽をそっくりそのまま西洋音楽の媒体にトランスクリプションしてしまう方法である。近衛秀麿による「越天楽」などが好例であろう。それを一歩進め、この中に絶妙な変化を加えることで新しい表現領域を獲得することに成功するものも表れる。例えば早坂文雄「左方の舞と右方の舞」などはそれに近い。
 2つ目は、日本の音組織を使用し、形式等を自由にする、または西洋的形式に当てはめる方法。小山清茂の一連の作品群をイメージしていただければ分かりやすいだろう。現代の吹奏楽で「日本的」と言われている作品の多くはここに分類される。また、しばしば「表面的な(=本質的ではない)日本主義」と糾弾されることが多い。
 3つ目は、日本的な「雰囲気」もしくは「感覚(時間的あるいは音感的)」のみを残し、もっと自由に西洋的技法(主としてフランス印象派のもの)と結び付ける方法である。これは、昭和14年結成の楽団プロメテの創立メンバーである深井史郎が、当時あった上記2つの方法論に対する批判である「はきちがえた日本情緒への訣別を宣言しよう」という言葉(その詳細は秋山邦晴「日本の作曲家たち・上巻」を参照のこと)と、彼自身の作品、例えば「フルートとピアノ、歌手のための『日本の笛』」などを共に吟味することでその真意が分かるだろう。
 4つ目は、楽譜上ではなく、演奏媒体そのものを邦楽器にしてしまうことで「日本的」であろうとする方法。どんなに西洋的な書法を用いようと(無論、日本の音組織を用いることも少なくないが)、出てくる音現象から受けるイメージから「日本的」であることを印象づけさせるのである。また、西洋楽器と同時使用することにより互いを対峙させることでより「日本的なサウンド」を訴えかけることもできるのだそうだ。
 5つ目は、音組織や形式などには一切捕われず、音感覚を「日本人独自の感性で」配置することによって日本的であろうとする方法である(非常に抽象的で伝えづらいのだが)。現代において「日本的」といえばこれを指すことが多く、武満や湯浅がここに当てはまる。3つ目の方法論とどこが違うのだ、と言われれば説明が難しいのだが、とりあえず深井の作品と武満の作品とを聴き比べていただけると分かりやすい。


 以上のように、「日本的作曲」と言われるものには数多くの方法論があるのだが、これらに共通することが一つある。それは、これらが日本的要素と西洋的要素の「相克」であるということだ。つまり、この2つの要素は相対するものであり、作品全体においてそのどちらの要素が占める割り合いが大きいか、ということの違いである。

 しかしながら、数多くの作曲家が存在する日本において、この二つの要素を「相克」させるのではなく「融合」させることに成功した作曲家が、(私見では)ただ独りだけいた。それが松平頼則である。松平は雅楽の要素にトータルセリーやチャンスオペレーションなどの前衛的手法を持ち込み、互いの特質を損ねることなく融合させ、高度な表現を行うことに成功したのである。
 多くの作曲家が「日本的な作曲家」であろうとした。しかし、相反する要素を対立させるのではない、真の意味での「日本的作曲」をなし得たのは、武満でも湯浅でも小山でも三木でもなく(もちろん櫛田<月失>之扶でもなく)、松平ただ独りではなかったのではなかろうか。

 しかし、松平に対し、日本の音楽界の扱いはその功績に見合ったものではなかった。晩年の生活の様子をNHKの番組見た方も多いだろう。また、主要作品ですら満足に録音されることもなく、演奏会で作品が取り上げられることも極端に少ない。この酷い仕打ちを当の本人がどう思われていたかは分からないが、正当な評価を受ける前に、今月25日にその生涯を終えられた。94歳だった。

 願わくば、死を機会にその業績を再確認し、後世に伝えられるようになってほしい。しかし、それは本来生前になされるべきことであったはずなのだ。

 慎んで御冥福をお祈りいたします。

レスです 投稿者:NAPP  投稿日:10月31日(水)18時03分43秒
>プロメテウスさん
>大日本帝国皇紀2600年祝典曲
>え?もう、R.シュトラウス自身の指揮による演奏のCDが出てますよ。
 失礼。言葉足らずでした。そういうノイズ混じりの古い録音ではなく、新録音です。某掲示板での情報では、アシュケナージ/チェコフィルで、「ツァラ」と「ティル」がカップリングとのこと。発売元はキャニオン? いつ発売されるんだろ。

>やたらと長く、最後の方は同じメロディーの繰り返ししまくりです。
 長い、といってもたしか15分ほどですよね?リヒャルトにしては短い短い。

>ブリテンの「鎮魂交響曲」ですが、こちらばかり演奏されるのは、きっと
>楽譜が出版されているからだと思います。
 というよりも、権利が日本側にないのが一番の理由かと。まぁ、ヴェレッシュとピッツェッティにいたっては作曲者自体がすでに取り上げられることが少なくなってますが。イベールのはどうなんだろ? あ、ちょうど一年程前にヴェレッシュ「皇紀2600年交響曲」は東京で蘇演されたんですよね。
 皇紀2600年記念作品といえばやたらこの5人だけが取り沙汰されますが、箕作や清瀬といった多くの作曲家たちによる大規模な管弦楽作品がたくさん書かれて当時の若手が華々しく楽壇に躍り出たことも忘れてはいけないんですよね。これらもNAXOSから出ないかな?

>同アニメの、一時期の主題歌(中略)を作曲していたのが川辺真氏でした
 それは知りませんでした。そういえば以前、某ヤンキー少年系ギャグアニメの主題歌を書いていたのが、なんとあの高田三郎先生だったのを見て仰天したのを覚えてます。三善先生とかもアニメ主題歌書いてるし、探せばもっといるのか!?

>交響楽団による演奏も第一作目からやってましたしね(交響組曲ドラゴンクエスト)
 そうそう。昔はN響がやってたんですよね。でもいつの間にか(Vくらいでしたっけ)やらなくなって他のオケに移ったんですよね。そういえばFinalFantasy VIの管弦楽版サントラはミラノ交響楽団だったなぁ。


>しゅさん
 はじめまして。何の気兼ねなく書き込みしてくださいね。

>ガヴリール・ポポフなんかはご存知でしょうか?
 いや、その名前は初めて聞きました。不勉強なものでお恥ずかしい (^^ゞ


>如月綾香さん
 あ、別に個人攻撃してるわけではないですので。「誰かの発言をきっかけにして不特定多数に投げかけられればいいな」と思ってます。う〜ん、個人単位でレスつけるのではなく、話題別にしたほうがいいのかな。

>「銀河英雄伝説」
 あ、このアニメはBGMとしてクラシックが使われてるだけで内容は全く音楽とは関係ないです(スペースオペラ、とかいうコピーがついてるけど)。ドイツ語が多用されるのでやたらベートーヴェンとブラームスが多い。でも作戦会議は「ボレロ」。 私が密かに愛読している「クラシック悪魔の辞典」の「徳間ジャパンコミュニケーションズ」の項目に出てくる「宇宙モノのアニメ映画」というのがこれのことだと思われ(笑)


>いしづかさん
>吉松氏の傑作が「朱鷺」だけだってことはないでしょ?
 失礼。誤解を招く書き方でした。たしかに「唯一」ってわけではないですよね。言い訳すると、いしづかさんが挙げられたものの中で「最初に」書かれたのは朱鷺で、個人的にはやっぱり「最大の傑作」だと思うし、おそらくこれを超えるのは望めないかなぁ、という意味で「最後の」としました。
 私は「朱鷺」はカップリングの関係からN響/外山盤を聴くことが多いのですが、作業のBGMにする意味でもNAXOS盤もやっぱり買おうかな。このNAXOS企画は売れ具合によって続投するかどうかが左右されるらしいので、少しでも貢献しなきゃ。安いし(笑)。 正確な日付けは忘れましたが、池袋のHMV(メトロポリタン)では11月の頭に企画者の片山氏と指揮の沼尻氏が来てこのCDに関するトーク&サイン会を行うのだとか。近場の人はいい機会だから買ってみてはいかが?


>まっつんさん
 お久しぶりです。お元気でしたか?私はMacに乗り換えてからHP作成ソフトをまだ入れていないのでなかなか更新できずにいます(Winのキーボードが壊れて文章打ちにくい)。例の邦人作品にも新着情報がたまってきているので早いとこ更新したいんですけどね。

>ソ連の吹奏楽
 ちょっと話がずれますが、現在のロシアの軍楽隊って編成のなかにバラライカとか入っていて面白いんですよね。吹奏楽、というとどうしてもアメリカ、イギリス、フランス、オランダ、ベルギー、とそこらへんになってしまうんですけど、もっと色んな国の吹奏楽にも触れてみたいですね。1876年のパリ万博であった国際軍楽隊コンテスト(民間バンドでないのがミソ)みたいなの、やんないかなぁ。


>ともさん
 実はともさんのページの存在は以前から知っていました(笑) これからも、よしなに。

20世紀音楽のページ紹介 投稿者:とも  投稿日:10月30日(火)16時26分38秒
はじめまして、ともです。
吹奏楽の経験があり、課題曲の条件についてのページを興味深く読ませて頂きました。
さて、私のページにて「20世紀音楽の世界」と題してドビュッシーから吉松隆まで幅広く作曲家の紹介と歴史を解説しています。
多くの人からコメントを頂きたいので是非遊びに来てください!!

http://member.nifty.ne.jp/tnishita/index.html


旧ソ連の作曲家 投稿者:まっつん  投稿日:10月30日(火)13時56分35秒
 お久し振りです。最近ネットはオークション関係しかやってないので、うとくなってしまいましたが、細々とやっています。
大学も先月無事卒業し、年末の関東完全撤退の日までのんびりと過ごしています。
働いてる皆さんに何だか申し訳ない毎日です。(苦笑)

 旧ソ連の作曲家について話題が出ているみたいで私も嬉しくなってしまいました。
スコアやレコードやらCDを色々と集めている者なので好みを言わせてもらえば、ショスタコーヴィチ、プロコフィエフ、グリエール、ミヤスコフスキー、カバレフスキー、シチェドリン、シュニトケ。私の中ではこの人たちは特に外せません。
 あと、ほとんど聴かれないですがボリス・チャイコフスキー、サルマノフ、エシュパイ。吹奏楽という範疇に特化すれば、「スラヴィアンスカヤ」のコジェヴニコフも絶対に外せない人です。この「スラヴィアンスカヤ」は、つい最近米軍海兵隊バンドのアメリカナイズされた編成によるCD(パワーハウスの5枚組とは別演奏)と、ソ連国防省バンドの完全オリジナル編成によるLPをほぼ同時期に手に入れて聴き比べたんですが、国防省バンドの演奏の凄さ・素晴らしさ思い知らされ旧ソ連の吹奏楽作品がもっと日本にも紹介されるべきと強く思った次第です。

松平頼則氏がお亡くなりになられたんですね。現代音楽界の宝といえる人がまた1人消えてしまわれた感があります。ご冥福をお祈り申し上げます。

http://akasaka.cool.ne.jp/pinewood/


ナクソスの 投稿者:いしづか  投稿日:10月29日(月)21時03分21秒
「日本管弦楽名曲集」は買いましたよ。沼尻氏&都響の演奏は、スコアの的確な再現がなされている誠実なものでした。吉松作品の演奏でいうと

尾高盤 > 沼尻盤   >>  藤岡盤 

って感じかな?表現のキメの細かさが、3年前のデジカメと今のデジカメくらい違います。他のオスティナート系音楽は、基本的にクレバーな指揮をする沼尻氏の棒ゆえ、推進力が足りない、とか、情念が足りない、といった感想を持つ人がいるかも。

しかし、吉松氏の傑作が「朱鷺」だけだってことはないでしょ?「天馬効果」や「鳥たちの時代」(ただし1〜2楽章)、「デジタルバード組曲」「鳥の形をした4つの小品」「ランダムバード変奏曲」くらいまでの室内楽曲。あるいは、「フラクタル氏の生涯」といった弾き語り系の作品はかなり良いですよ。

>>如月さん

別に、如月さんが主張している、と言っているわけではなく、新しい問題提起として、そういう主張がいろいろなところで見られるのはいかんな、と主張しているだけです。如月さんを責めたりしているわけではないので、ご安心を。

協調作業 投稿者:プロメテウス  投稿日:10月29日(月)20時23分30秒
>銀河英雄伝説
そういや、BGMが全てクラシックですよね。
戦闘中に流れるのがショスタコーヴィチの「革命」だったり・・・。
ちなみに、アニメでなくても、ゲームもクラシックがBGMです。私は、このゲームが好きだったりします。(汗)
ちなみに、同アニメの、一時期の主題歌(主題歌もオペラっぽい。ん、アリアっぽいと言うべきかな・・・?)を作曲していたのが川辺真氏でした。氏は、課題曲「ターンブル・マーチ」を作曲した人ですね。

>他とのコラボレーション
私は、自分がクラシックを聞き始めた、一番最初の曲は何だったかなと考えてみると、やはり、すぎやまこういち作曲の“序曲「ドラゴンクエスト」”ですね。あのクラシック的なゲーム音楽がもたらした物というのは、小さくないはずです。交響楽団による演奏も第一作目からやってましたしね。ちなみに、KOEIから発売されている「三国志4」のBGMは、長生淳氏が作曲されたようですよ。まだ、聞いたことはないのですが・・・。

げ…一人歩きしてる…(汗) 投稿者:如月 綾香  投稿日:10月29日(月)18時52分14秒
「良い芸術は大衆から離れたところにある」あるいは「大衆から離れたところに良い芸術は無い」

…と言うことを、私が言ったことになっていますが、あれは単にそういう意味で使った訳ではないので、念のため。
あれは、NAPPさんへのレスの一部を抜き出しただけであって、本当は一応前後の文章がくっついているんですが…。(汗)

うぅ…日本語って恐ろしい…。

あの辺の文章を要約しますと…
大衆に遠かろうが近かろうが、良いものは良い。これ、当然です。
ただ、「大衆迎合=芸術的にはダメ」というのはいかがなものかな…裏を返せば、「大衆から離れたものが良いものだ」って考え方があって、でもそれもどうかと思う…ということです。 

一応自己弁護ということで…。

>NAPPさん
>「銀河英雄伝説」

残念ながら、私は見たことがありません。
でも、それでクラシックに導入された人が多いのなら、興味があります。
機会があれば、見てみることにしますね。

>現代曲が他分野との「コラボレーション」の可能性

解説ありがとうございます。勉強になりました。
私としては、現代曲普及の突破口としてこれが一番有力だと思っています。 

では、また。

http://members.goo.ne.jp/home/kisaragi-ayaka/


ご冥福をお祈り致します 投稿者:のの  投稿日:10月29日(月)16時13分44秒
先生が、そのお仕事に見合った評価を受けるようになるまでは、日本には「現代音楽史」など存在しないも同然です。

訃報 投稿者:NAPP  投稿日:10月29日(月)14時15分22秒
松平頼則先生が御逝去されました。
言葉がありません

はじめまして 投稿者:しゅ  投稿日:10月29日(月)05時34分32秒
はじめまして。
皆さん大変詳しいので私ごときこういうところに発言するのは多少気が引けます。
私も音楽な好きなのでこうした議論の場は大変参考になります。

旧ソヴィエトの作曲家のことがちょっと話題に出ていましたね。
私もソヴィエトの音楽は好きで面白いものを買って聴いてみたりします。
ガヴリール・ポポフなんかはご存知でしょうか?
スターリン賞ををもらったりとか、一時期はある程度注目された作曲家のようですが、現在なかなか新しい録音というものを見たことがありません。
第2番などは吹奏楽に編曲して似合いそうな作品です。
ソヴィエトの音楽がお好きなら一度聴いてみても面白いかもしれません。

追加 投稿者:プロメテウス  投稿日:10月28日(日)17時24分40秒
「大日本帝国皇紀2600年祝典曲」ですが、現在では(当然のごとく?)邦題が変わっていて「日本建国2600年祝典曲」「日本国建国2600年記念曲」などとなっています。後者のほうで検索等をしないと、ひっかかりません。(^^;

ちなみに、グラモフォンから7000円(5枚組)という、とっても嫌らしい状態で発売されています。(笑) 買ったのはいいものの、5枚のうち、私は2枚しか空けていません。(爆) ですが、中にはH.プフィッツナーの自作自演による「愛のメロディ」が入っていたりと、興味深いものも多いです。

ブリテンの「鎮魂交響曲」ですが、こちらばかり演奏されるのは、きっと楽譜が出版されているからだと思います。「大日本〜」の方は、どうも出版されていないようです。

シュトラウスの作品とか 投稿者:プロメテウス  投稿日:10月28日(日)14時37分06秒
>大日本帝国皇紀2600年祝典曲
え?もう、R.シュトラウス自身の指揮による演奏のCDが出てますよ。
やたらと長く、最後の方は同じメロディーの繰り返ししまくりです。
ただ、興味深いのは、10年くらい前に、読売交響(だったと思います)が演奏した時の音ですよね。国宝の鐘の音色を聞いてみたい・・・。(^^;
国内演奏のが、近いうちにCDになるのでしょうか。

>メロディア
肝心のメロディアですが、BMGとの契約が終了したらしく、国内では廃盤になってしまったそうです。近くのCD店では、在庫一掃の為に、メロディアのCDは安売りしています。NAXOSに期待するしかなさそうですね。(^^;

>君が代
グラズノフ編曲の君が代、聞きました。面白かったです。あの高揚感は一体・・・!?
個人的には、フランス版の「みーかーどー」というのが好きでした。(笑)

>フィナーレ
もっぱら、MIDIの楽譜を表示しているだけになってます。(笑)
さぁ、がんばらねば。

まだ生きてる(笑) 投稿者:NAPP  投稿日:10月27日(土)19時35分13秒
 お休みしていてすみません。まだ万全ではないですが、とりあえずいつまでもほうっておくのもなんですので、取急ぎレスなどを。 特定の方に対するレスの形式をとってますが、他の方へのレスも兼ねてますのでご了承ください。
 例によって過去ログを参照しながらですと読みやすいかと思います。

>プロメテウスさん
>R.シュトラウスの「大日本帝国皇紀2600年祝典曲」

 風の便りでは、この曲のCDが近い将来「出る」らしいですよ。某先生によると「いかにヤッツケで掛れた曲」なのだそうなんですが(笑)。 同じ時に書かれた作品で今でも演奏されることが多いのは、当時に演奏拒否されたブリテン「シンフォニア・ダ・レクイエム」だけ、というのも泣かせる(?)話。

>作曲家といっても、前衛から放送作曲家(芸能界な作品を作る人)と様々ですよね。
>所で、後者の場合、最も進んでいるのは東京音大なのではないでしょうか。

 これは作曲科でも、私の所属する「芸術音楽コース」(なんともな名前だ)ではなく「映画放送コース」のお話になってしまいますね。後者は、役立たずを量産している我々と違って、即戦力になる人材を養成しています(笑)。服部克久の他に三枝成章、羽田健太郎、小六禮次郎、難波弘之、宮城純子、堀井勝美、鳴瀬喜博など、この方面に明るい人ならよく知っている錚々たる顔ぶれが揃ってます。うちの大学、どの専攻も先生だけなら第一級が揃ってるんだけどなぁ・・・・・

>「連合国国歌によるパラフレーズ」の全曲のCD

 私は探したことがないのですが、知っている限りでは見たことないです。NAXOSはグラズノフの管弦楽作品全集をリリースしているのですが、今のところまだ出てないようですね。もしかしたらメロディアレーベルの中に埋まってるかも。

>よいガイドブックがありましたら、教えてもらえませんか(Finale)

 いよいよ「Finaleでびゅぅ」ですね(笑) 私はリズムエコード社のDTM実践講座シリーズのもの(Finale2000版・上中下とあるが下巻のみ所持)を持っています。が、実は参照したことなかったりします(笑)。とりあえず、自分のやりたいことは置いといて、チュートリアルをそっくりそのままマネてみると大体の使い方は分かると思います。あと、「自分の使わない機能」をバッサリと切ってしまうと、覚えるべきことは意外と少ないことに気付きますよ。私は音符入力方法は「ステップ入力」と「リアルタイム入力」は使ったことないです。いつも「高速ステップ入力」オンリー。吹奏楽の楽譜を書くだけだったら「歌詞」「コード」はまず使わないし。プレイバックにはもともと不向きなソフトなので、それをバッサリ切れば「MIDIツール」「テンポツール」も不要。面倒なMIDIセットアップやプレイバックリストをいぢる必要もなし。スペーシング関係はだいぶ頭がよくなったので、許せるのであれば小節ツールなどで直す必要もそんなにないはず(私は許せないけど)。現代譜みたいな特殊な記号などを使う予定がなければ、ライブラリ作成や記号の再設定などしなくても初期設定だけで普通の楽譜は十分書けます。独学ではちょっと分かりにくいのは「道具箱ツール」「ページレイアウトツール」「連符ツール」くらいでしょうかね。


>如月綾香さん
>良い芸術は大衆から離れたところにある
 (「大衆から離れたところに良い芸術は無い」も兼ねて)

 例えば日本で1930年代後半から40年代前半にかけて起こっていた「日本プロレタリア音楽同盟」などの活動。活動としては意義深かったのかもしれないけれど、音楽的な成果としてどうだったでしょう(別に私はこの運動に賛成しているわけでも反対しているわけでもないのですが。)。 逆に、ノーノの「労働者のための音楽」を、はたして労働者たちは「自分たちのための音楽」として聞いていたか。
 この種の議論になると、いつも「音楽の内容」の話がいつのまにか「音楽家の態度」の話にすり替えられてしまっているような気がするのは私だけでしょうか。

>現代曲が他分野(特に前衛アートといわれているもの)との「コラボレーション」
>の可能性

 これは大いに推し進めていきたいことですね。きっと色んな可能性が広がっていることだと思います。ただし、音楽家の方に他分野に対する理解が備わっていることが条件となるのですが(「音楽優位主義」みたいなコラボレーションをいくつか見たことがあります)。 私の所感では、この分野における先駆者は国立音楽大学の音楽デザイン科。特に映像とのコラボレーションが多いのですが、実に見事です。作曲科から移ってくる人もいるらしいですし、面白いですよ。音楽情報科学研究会 (SIGMUS)というのがありまして、ここではそのようなことも扱ってます。12月の22、23日にはここの主催の電子音楽の演奏会がありまして、毎年国立音大音楽デザイン科の他、多くの大学から作品が寄せられます。実は私も新作を発表予定だったりして(笑) まだグラフ譜すら出来てない・・・・・
 詳細はこちら↓
http://www.etl.go.jp/~sigmus/
 映像と現代音楽だったら、数年前にCG作家の原田大三郎氏がデュティユ「メタボール」(だったかな)などに映像をつけてオーチャードホールで発表したことがありましたね(オケは生演奏!)。こういった試みももっとあったら面白そう。
 音楽とパフォーマンスだったら、こういうところもあります。
http://www.ba.wakwak.com/~tokidoki/
ここは大規模な管楽アンサンブルなども使うこともあるそうですね。
 横浜トリエンナーレではどのくらい音楽が役割を担っているのかな?時間があれば見に行ってみたいな。

 ところで、アニメからクラシックといえば、「銀河英雄伝説」というアニメ(原作は田中芳樹の小説)がきっかけで聴くようになった、という人をしばしば見かけます。私は小説の方を中学のときに読んでいて、アニメをCATVで見たのはつい最近なんですが、これがきっかけでクラシックを聴きはじめるようになった人、って実は多いのか!?


>JUNさん
>N響が尾高賞の歴代受賞作品をCDシリーズとして発売している

 私は聴いたことがある曲ばっかりなので買ってないんですが、入手困難になっていた三善「管弦楽のための協奏曲」が収録されているのは嬉しいですね。どうせならミュージックトゥデイ(トゥモロー)のアンソロジーにしてくれれば、と思ったのは私だけ?あと、芥川作曲賞も希望(笑)

>NAXOSレーベルでも日本人作曲の作品のCD化
 これまた第一段は持っている曲ばっかりなので買ってないのですが、続編からは絶対に買います。第一段は海外へのイントロダクションとしてはなかなか考えられた選曲。吉松隆の最初にして最大の(そして最後の?)傑作「朱鷺によせる哀歌」が収録されているのはナイス。聴いたことがない人は是非。価格も廉価版みたいなもんですので(笑)
 ついでだから、「安いなら買ってもいいな」と思うこれから現代作品でも聴いてみるか、という吹奏楽人にはNAXOSから出ているアンタイル「バレエメカニック」とマクミラン「ヴェニ!ヴェニ!エマニュエル」がお勧め。とりあえず聴きやすいので。 ちょっと慣れたらEMIから出ているペンデレツキ管弦楽作品集もいいかな。まだ面白かった時代のペンデレツキの作品が結構入った2枚組で、約1500円(笑)。
 最近買った日本人作曲家のCDでは、FONTECから出た木下牧子作品集「邪宗門秘曲」がよかったです。意外に思われることが多くて心外なんですが、これでも合唱好きな私。管弦楽伴奏の合唱曲も収録されたこのCDでは、ポルタメントを多用する意外なオーケストレーションを見せる木下先生の意外な一面も見れて面白い。あいかわらず透明な響きのする美しくどこか悲しげな書法もすばらしい。やっぱり吹奏楽と合唱のための「春と修羅」も聴いてみたいなぁ。



 療養中に触れたネタ三題。 

 ヤン=ヴァン・デル・ローストの「シンフォニア・ハンガリカ」の楽譜とCDが届く。大阪市音楽団の日本初演のときに「多くの特種奏法が使われている」という話を聞いていたので、どんなんだろと思って。聞いてガッカリ。この人にとって特種奏法って単なるエフェクトなんですね。通常奏法と絡む部分は一箇所以外なし。関連性は認められず。一楽章冒頭から低音が吹き始めるまでのアレってなくても問題ないと思うのだけど。通常奏法と唯一絡む三楽章の部分も、ピアノや鍵盤打楽器のトーンクラスタが浮いて聞こえて意味薄いし。あと、気になったのはそれらの記譜法。こういったもはや古典的とも言える手法には、実はある程度決まった書き方があるのだけれど、それを一切踏まえない書きかた。わざとなのか、コンピュータ浄書のせいなのか。もし、わざとなら、記譜法を知らなかったら問題だし、知っていてやったのなら無用の混乱を招くことになるのでそれはそれで問題。

 結構前の話ですが、ちょっと無理してサンシャインで行われた「楽器フェア2001」へ。そこでヘンツェの作品一覧というのをもらう。それを見たら、やっぱり結構吹奏楽の作品ってあるんですね。管楽アンサンブル、合唱付きも含みますが、ざっと挙げてみます(編成も分かるけど割愛)
 「永遠に讃えられる新星」(1962)、「演奏会組曲〜コミックオペラ『ドン・キショット』より」(1976=管楽アンサンブル 1990にストゥドニツキにより吹奏楽編曲)、「コンチェルティーノ」(1947 CDは当サイトで紹介済)、「ラッパは鳴り響き〜マイケル・ヴァイナーのためのレクイエム第七曲・宗教的協奏曲」(1992)、「アポロの勝利〜オルフェウスより」(1979)、「婚礼の音楽〜オンディーヌより」(1957)、「ラグタイムとハバネラ」(1982にマルセラ・ヴェングラーにより吹奏楽編曲)、「ノットゥルノ〜イングリッシュキャットより」(1995)、「シシリアの女神たち」(1966)
 あと、日本ショットからもらった資料によると、クルシェネクには「管楽器と打楽器のための交響曲op34」、ティペットに「トライアンフ」、ペンデレツキに「プレリュード」という吹奏楽曲があるそうですね。いずれもレンタル譜。この下には管楽合奏の項もあって、R.シュトラウスの作品群なんかはそっちにあるので、「吹奏楽」ということで間違いはなさそうなのですが。

 ミサ曲に関する本を読んでいたら面白いものを発見。田中賢「メトセラ」の第三部に出てくる旋律。これは「教会旋法に基づく創作である」と思っていましたが、元になった旋律があったんですね。それは、ウィーポ(1000頃〜1050頃)の作ったセクエンツァ「Victimae paschali laudes」(過越のいけにえに賛美をささげよう)という曲です。これは16世紀のトレント公会議で生き残った数少ない4曲の聖歌の1つ。
 で、この旋律にマルティン・ルターがドイツ語の歌詞をつけ、旋律を改編したのが(このへんの経緯は音楽史の本を参照のこと)、復活祭のためのコラール「Christ lag in Todesbanden」(キリストは死の絆に捕らえられた)。この旋律はBachのカンタータ第4番で用いられているものです。ところがこの旋律、頭に中心音であるDを加え、四分音符にすると、伊藤康英「ぐるりよざ」の旋律になんとなく似ている・・・・・というのは邪推だし、たぶん偶然。

フィナーレ2001J 投稿者:プロメテウス  投稿日:10月27日(土)00時06分33秒
以前、ここで質問をしたノーテーションソフトについてですが、その後、「フィナーレがよいかもしれない」との助言を頂きましたので、買いました。

が、使い方が難しくて、まだよくわかりません。(汗)

それで、何か、よいガイドブックがありましたら、教えてもらえませんか?
検索してはみたものの、色々とあるようで困っています。

どうぞ、よろしくお願いします。

盛り上がっているところですが 投稿者:Jun  投稿日:10月26日(金)08時41分59秒
昨日『レコ芸』を久しぶりに立ち読みしていたのですが、
N響が尾高賞の歴代受賞作品をCDシリーズとして発売しているそうですね。
また、NAXOSレーベルでも日本人作曲家の作品のCD化ををかなり大きなシリーズとして企画中で、第一弾がようやく発売された由。
うーん、どちらも食指が動きます。でも最近CDは廉価版ばっかり買う癖がついているから、新盤となるとちょっと躊躇するかも(^^;)。
でも、どっちも良い企画ですよね。今後に期待したい。

それって 投稿者:のの  投稿日:10月25日(木)12時31分03秒
「電子音楽シーン」の記録映画『Modulations』の紙版ですよね。昨年に日本で公開された折に、日本側も独自のガイドブックを作っていました。

そういえば、 投稿者:谷口昭弘  投稿日:10月24日(水)12時28分43秒
ポピュラー音楽の側から、電子音楽史にアプローチした本が、アメリカでも出ましたね。ジョン・ケージと黛敏郎が写ってる写真も載ってたりして。以下のリンクを参照。

http://www.amazon.com/exec/obidos/ASIN/189102406X/qid=1003893922/sr=8-3/ref=sr_8_7_3/102-8122553-4154554


「大衆から離れたところに良い芸術は無い」再考 投稿者:のの  投稿日:10月24日(水)11時53分24秒
このテーゼは、ある意味では全くその通りかもしれないんですよね。

ケージ、シュトックハウゼンら20世紀後半を代表する作曲家たちの作品は、大衆と近いところで優れた音楽を残してきたジャズやロックのミュージシャンたちに多大な影響を与え、サンプリングネタとしてもクラブミュージックで引っ張りだこなのに、「大衆のための音楽」と口では言いながら、クラシックファン以外眼中にない人々の作品は、末期的なクラシックヲタク以外は誰も聴いてないわけで。

ふむふむ 投稿者:谷口昭弘  投稿日:10月24日(水)01時07分59秒
「大衆から離れたところに良い芸術は無い」ですかあ。時代も随分変わったもんだなあ。「伝統の破壊」の時代はどこへやら (^_^;;。そりゃアメリカは、「わかりやすい現代音楽」をリードしているのかもしれないけど、こういうこと、おおっぴらに書くところまではいってないような気がするんですよね。

『American Record Guide』は、1930年代、レコードとラジオがクラシックを大衆に広まり始めたころに『The American Music Lover』として創刊された雑誌なんですが、その9月/10月号の特集は「1975年以降の音楽」。この記事の中では、音楽様式が簡単に紹介されていて、ポストポダニズム、作風模倣、新ロマン主義、折衷主義。モダニズム、前衛主義、各国様式、クロスオーバー、新ロマン主義、ミニマル/ポスト・ミニマル主義、オペラといった項目がたっています。各項目は代表的な作曲家と作品にさっと触れる程度ですが、決して筆者の意見を押し付けず、淡々と述べられています。ちなみに前衛ではケージ、フェルドマン、リゲティ、クセナキスが多く録音されていることに言及されてますね。

がんばれ『レコ芸』!

http://mailer.fsu.edu/~ataniguc/index-j.html


「大衆から離れたところに良い芸術は無い」 投稿者:のの  投稿日:10月23日(火)20時12分42秒
というのはひとつの考え方ですが、そういう主張を貫くんだったら、クラシック雑誌があんな記事を載せ続けているのはおかしいですね。
モー娘。の新曲の分析とかで誌面が埋まっていないといけないはず。
ポップス雑誌の記事は歌詞の深読みばかりだから、住み分けとしてもそれで正しい。

最近は、 投稿者:いしづか  投稿日:10月23日(火)19時29分24秒
「大衆から離れたところに良い芸術は無い」という断定が主流になってきていて、それも困ったものだと思ってます。

話は変わりますが、今月の「音楽の友」でシェーンベルクの特集をやっていて、池辺先生が12音技法に関する解説をしているのですが、ポリフォニーという概念に一言も触れずに解説を行っているのはどうも‥‥。ただ、ある程度理論に精通すれば調性音楽だって自動書記的に書ける、と看破したのは痛快かも。

吉松センセイのシェーンベルク論はいつものアレなので、読まなくても内容の想像がつくことと思います。それよりも、吉松のとなりのページでシェーンベルクの精神分析をやっているセンセイの文章が酷かったな。シェーンベルクの著作もろくに読んでいないのが明らかな文章で、「シェーンベルクより、あなたのコンプレックスを分析した方が良いんじゃないの?」と問い詰めたくなる内容。

無調音楽の難しさよりも、それを紹介するジャーナリズムがバカ過ぎるのが問題なんだと、つくづく思う今日この頃です。

ごめんなさい 投稿者:NAPP  投稿日:10月23日(火)02時09分54秒
ちょっと寝込んでます。レスには数日時間ください。
皆さんも風邪、お気をつけくださいますやう・・・・・

現代音楽と他分野とのつながり 投稿者:如月 綾香  投稿日:10月22日(月)14時19分04秒
 こんにちは。
 まず、レスからさせていただきます。

NAPPさん
>「一般に受け入れられるかどうか」と「偉いか偉くないか」というの、また、「大衆に迎合するかしないか」と「偉いか偉くないか」、は基本的には無関係だと思うのですが、どうでしょう。

 すいません。言葉足らずでした。
 あの意味は、「ライト、大衆迎合=低品質」というものの対極に、良い芸術は大衆から離れたところにある…という考え方がなきにしもあらずではないかなという意味です。

やぶいぬさん
>私もここらへんが突破口になるような気がしているのです。

 この話、「ただし」が付くんです。(笑)
 基本的に、ギャルゲーファンが好む音楽は「保守的」であることが多いです。
 前に書きましたが、「I’ve」の音楽は現在のJ−POPと同列(札幌で活動するユニットなので、通称「どさんこポップ」だそうです(笑))に存在しますが、これがもっと前衛的になった場合、購買層がどういう反応を示すかというのは謎です。

 前に、ゲームと現代音楽について書きましたが、今回は、その他のジャンルとの繋がる素地についてです。
 映画やアニメ、テレビなどについてのことは、敢えて私が書く必要もないと思いますので飛ばしますが…。
 私は土曜日、モダンダンスを鑑賞してきました。モダンダンスに使用されている音楽は、中心はポップな曲ですが、たまに「クラシックの現代曲風」の曲が使用されます。
 現代美術においては、最近はビデオ作品が増えてきました。
 というのも、現代美術は美術館に展示するだけでは作者の意図が明確にできないということで、インスタレーション(立体造形)を実際に使ったり、動かしたり、はたまた担いで歩いたりするところをビデオに収めて、美術館での展示の際、作品の隣にビデオを流すことが増えています。
 最初からビデオの作品も数多く存在します。
 残念ながら、これらのビデオ作品に音楽を流していることは、私が見た範囲ではほとんどありません。しかし、これらに合う音楽というと、やはり現代曲ではないかなと思うのです。

 例えは悪いですが、ディズニーの「ファンタジア」のような…とまでは言いませんが、現代曲が他分野(特に前衛アートといわれているもの)との「コラボレーション」の可能性にもっと活路を見いだしていいのではないかという気がします。


 話は少しずれますが、昨年の「東京の夏音楽祭」で、R・シュトラウスが音楽を付け、「1本にまとまったフィルム」が現存しない、映画「ばらの騎士」のつぎはぎ修復が行われ、紀尾井ホールで上映が行われました。
 音楽は、ドイツの室内アンサンブル(グループ名は忘れました)の生演奏でしたが、映像と演奏が相まって、これがとても良かったです。

んでは B to C ならぬ G to C (Game to Contemporary) が必要なのかな?(^-^) 投稿者:やぶいぬ  投稿日:10月22日(月)00時23分25秒
>如月綾香さん
いきなり振って申し訳ありませんでした。ええ、サイトを拝見して、なにかご意見が伺えれば、と思いまして。
ていねいな解説をどうもありがとうございました。

>如月綾香さんwrote:
>、「I’ve」というグループが存在し、ギャルゲー界の音楽を席巻していると言っても過言ではありません。
> ゲームの売り文句に「I’veが音楽を手がけている」と書けば、売り上げが伸びるくらいです。

なるほど。職人さん(もちろん良い意味での)によるユニットがある、という感じなのかな…。 

>NAPPさんwrote:
>最近のゲームの進歩は凄まじく、映像はもちろんのこと、音楽との同期性なども考えると「作品」といってもいいようなものが数多くありますね。その中で使われる音楽も映画音楽に前衛作曲家が用いられるように、いわゆるクラシック畑の作曲家が用いられてもいいような気がします(どうですか?スクウェアさん)。

>如月綾香さんwrote:
>実はこの分野、ある意味「クラシック音楽」「現代曲」に繋がる素地はあるのです。というのも、ギャルゲーファンの中に、クラシック音楽ファンはじめ様々なジャンルの「音楽好き」が結構たくさんいるんですよ。

私もここらへんが突破口になるような気がしているのです。
 
すぎやまこういちによるドラクエの音楽は、昔オーケストラによるコンサートが開かれてましたよね。だいぶ前ですけど。それに、久石譲の宮崎アニメの曲などは、今でもよくやっているような気がします。昨日の「題名のない音楽会」でもやってましたね。

こういうコンサートの、椅子に置いてあるチラシから、聴衆が広がっていくといいと思うのですが。



脱線しますが、昨年のジェリー・ゴールドスミスのコンサートでは、「猿の惑星」(もちろんリメイクでないほう)のテーマをやったそうで、これは聴きたかった。多分、僕が生まれて初めて聴いた無調の曲だと思います。

「ジャンルは演奏媒体で決まる」 投稿者:のの  投稿日:10月20日(土)12時37分17秒
というか、ある独立した音楽行為のジャンル分けの判定基準はそうですね。
ジャニスのサマータイムはロックでしょう。でもそれは、ガーシュウィンがロックになったということではありません。

追伸 投稿者:プロメテウス  投稿日:10月20日(土)11時00分54秒
>NAPPさん
「連合国国歌によるパラフレーズ」の全曲のCDは出ているのですか?

君が代とか 投稿者:プロメテウス  投稿日:10月20日(土)10時40分19秒
>君が代
面白そうなCDですね。右寄りの人には必需品と呼ばれていそうです。(^^;
戦時中のは、何ともいえない楽曲が結構ありますよね。R.シュトラウスの「大日本帝国皇紀2600年祝典曲」とか・・・。あの曲、読売交響が戦後に一度だけ演奏したようです。何故、一度だけなのかというと、曲の最終部で日本の国宝の鐘をたくさん使うそうです。CDは・・・出てるのかなぁ。

>作曲する
全然、話しが変わるのですが、前衛の作曲家は「作曲する」と思っているのでしょうか?
話しを聞いたり、本を読んだりしていると「作曲という行為」と表現している場合が多く、人によっては「絶叫した」や「衝動に突き動かされる」などなど・・・。酷いと「どうやって作曲しているのか、全然わかりません」と言っています。(^^;

>作曲行為
全ての人に当てはまらないのは、当然だと思います。でも、現代曲を作る人は、こう思っている場合が多いようです。作曲家といっても、前衛から放送作曲家(芸能界な作品を作る人)と様々ですよね。所で、後者の場合、最も進んでいるのは東京音大なのではないでしょうか。服部克久氏などが先生だったような・・・。(余談ですが、たぶん、氏の孫が昨日のMステに出てましたよ。おまけにジャニーズジュニア。いよいよアイドル路線なんでしょうか?(笑))

かぜひいた〜 2 投稿者:NAPP  投稿日:10月20日(土)02時29分49秒
>プロメテウスさん
>グラズノフ編の「君が代」
 楽しいですよ〜。すごいロシアンテイスト(笑)。思わずムソルグスキーかよっ、とつっこみたくなるような。
 これ、正確には「連合国国歌によるパラフレーズop96」という曲の一部です。この曲は第一次世界大戦の連合国の国歌をメドレーにしたものでして、約1分半ほど「君が代」が流れます。 「君が代」の部分だけだったらKING RECORDの「君が代のすべて」というCDが一番簡単に手に入りますよ。このCD、陸軍戸山学校による演奏がいくつか収録されていたり、山田耕筰「御大典奉祝前奏曲」が収録されていたりして、かなり面白いものです。敬遠されてしまいがちな(笑)CDですが、資料的価値が非常に高く、学術的に貴重なものですので持っていても損はないと思いますよ。

>作曲行為(このレスは投稿の、他の多くの部分にも当てはまります)
 プロメテウスさんがお書きになられたこともたしかに正しいのですが、それは全ての作曲家に当てはまることでもないことを付け加えておきましょう。

>これが、作曲家の言葉なのか!?
 抽象的概念をなんらかの形で固定化する際には、どうしてもそのような形になってしまうことが多いのはたしかですね。ソナタ形式にしてもテーゼだアンチテーゼだジンテーゼだ、とそういうことが大昔から言われてきたわけですし、私がたびたび引き合いにだすシューマンが自作について語っている文章なんか訳わかんない。フロレスタン?オイゼビウス?なんのこっちゃ。
 まぁ、たしかに分かりにくい、というのは確かなのですが、作曲家は昔からそうだったんです。だから、これは現代音楽を批判する要因にはならないんです。

>テロを見て「あれは、芸術的だ」と言ってしまうのも作曲家なのですよ
 本当は関わりたくない話題なのですが、誤解があるといけないので書いておきます。シュトックハウゼンの「テロは芸術作品」発言は色々と曲解されている部分があるのです。マスメディアに報じられたときに「テロは」と「芸術作品」の間にあった「ルシファーの」という部分が削られてしまったんですね。まぁ、誤解を呼ぶような発言は控えるべきだったのかもしれませんが・・・・・
 この話題はこれでおしまい願いたいです。詳しく知りたい人には二箇所ほど紹介しておきますので。

http://member.nifty.ne.jp/stockhausen_info/
http://www.stockhausen.org/

かぜひいた〜 1 投稿者:NAPP  投稿日:10月20日(土)02時27分48秒
>ののさん
>ジャンル
 私もふと思ったのですが、「ジャンル」というのは音楽の中身よりも、演奏する媒体によって認知されることも往々にしてあるのでは、と。もちろん、本当は違うものなんですけれど、一般的な受け止められ方として、です。
 「タンゴ」もバンドネオン奏者などが組んで演奏していれば万人が「タンゴ」と言うでしょうが、演奏しているのが「クラシック」の形態であればこれを「クラシック」と見なしてしまう人もいる(くどいようですが、ホントは違うものなんですが)。同じように、よくテレビで耳にする「幻想即興曲をエレキギターでひいたもの」も、あれを「クラシックだ」と聴いてる人は意外と少ないのではないかなぁ、と思ったのです。
 音楽を「中身」で捉えるか、「表装」で捉えるか。「構造的聴取論」ではないけれど、「音楽の聞き方」みたいに「音楽の捉え方」も人それぞれであるとしたら面白いかも。

>如月綾香さん
>この「ライト」は、決して低品質の曲という意味ではないはずです。
> また、一般に受け入れられる曲=大衆迎合だという考えはおかしいと
>思います。芸術ってそんなに「偉い」ものなんでしょうか?

 たしかに「ライト=低品質」「聴きやすい=低品質」ではないですよね。まぁ、誰にとってどんなものが「聴きやすいか」というのは人それぞれであって共通部分を作るのは非常に難しい、というより不可能なことなのですが(MozartやChopinを不愉快だと感じる人は確実に存在する)。
 また、「一般に受け入れられるかどうか」と「偉いか偉くないか」というの、また、「大衆に迎合するかしないか」と「偉いか偉くないか」、は基本的には無関係だと思うのですが、どうでしょう。

>ゲームファンが現代曲に繋がるか

 実は私はゲーム音楽から影響を受けた一人であったりします(笑)最近は忙しくてやりたいゲームもやれない状態ですが、一応「ファイナルファンタジー」はVIIIまではやってたりして(爆)
 最近のゲームの進歩は凄まじく、映像はもちろんのこと、音楽との同期性なども考えると「作品」といってもいいようなものが数多くありますね。その中で使われる音楽も映画音楽に前衛作曲家が用いられるように、いわゆるクラシック畑の作曲家が用いられてもいいような気がします(どうですか?スクウェアさん)。
 「クラシック→ゲーム音楽」だとすぎやまこういちの他にも、その昔「エルファリア」というゲームにおいて三枝成章が音楽を担当していたことがありました。当時私は中学生だったと思うのですが、結構これが好きだった。
 「ゲーム音楽→クラシック」だと、スクウェアの植松伸夫を挙げておきましょう。「ファイナルファンタジーVI」ではオペラを用いたイヴェントがあり、ここで彼はイタリアオペラの手法でアリアを書いていたりします。出来はともかくとして、この人のゲーム音楽には他にもクラシックへのオマージュが感じられて興味深い。ちなみに、彼はゲーム音楽ではない、アコースティック楽器による全くのオリジナルの作品(たしかクラシックとして売り出したのではなかったかな)のCDを発売したのですが、これがさっぱり売れなかった(笑)


>いしづかさん
 読みました!その気になりましたらこちらに御寄稿ください。連載でもOKです。
 タマヨによるクセナキスの管弦楽作品集2は薦められてすぐに買いに行ったのですが、いや、スバラシイですね。圧倒的なヴァイタリティと精微な構造が見事に一体化していて、圧巻でした。ひさびさにシビレたCDでした。

一般の人に受け入れられる 投稿者:プロメテウス  投稿日:10月20日(土)00時43分24秒
これもですね、涙が出てくる程、難しい問題なんですよ。

何しろ、作曲家は今に対する「毒」を出しているのですから。ですから、今の人がこの毒を受け入れるとは思えないんですよね。今に対して挑戦しているのですから、毒と言われるようです(理由は前に書きました)。だから、前衛作曲家と言われるというわけですね。

が、じゃあ毒ばっかり出していればいいのかというと、そういうわけにも行きません。
何しろ、全ては社会の中で存在しているのですから、一般の人に受け入れられないとなると、社会から見捨てられ、意味を無くしてしまいます。こうなってくると、エネルギーを失って瓦解してしまいます。だから、一般の人の心も捉えるように努力する必要があるんですね。

通して見るとわかると思いますが、前者と後者は全く別の立場です。ここからどう弁証するのか。それは、とてもとても難しいです。

芸術・文章無茶苦茶です、読み飛ばしてもかまいません 投稿者:プロメテウス  投稿日:10月20日(土)00時25分14秒
>芸術の立場と音楽の存在
偉いらしいですよ。相当に・・・。
けど、難しいんですよ。まだ考えが纏まっていないというのが、正直な所です。

(以下、バラバラな発言になると思います)
でもですね、現代の音楽は、もはや一般の人が思っているような音楽ではないんですよ。
ディスダスカリコンの中で、音楽は数学の中の学問と定義されています。(この中に、美術や彫刻が無いというのが面白いところです) こうなると、作曲家はインテリとしての素養を求められます。現代の作曲家が文学・哲学・宗教・自然科学などを意識せずに書くという事は考えられなくなります。今だからこそ、学際化が叫ばれていますが、音楽は既に学際化し、縦横無尽に駆け抜けているようです。

はたまた、作曲家が行う「作曲と呼ばれる行為」とは、「人が混沌とした世界を生きていく為に、第2自然を与え、世界を固定した。が、人はそこの存在に許されなかったセンスの無意識を昇華する必要があり、それを行うのが作曲と呼ばれる行為」と考えられています。(分かり易くするために括弧を使いました。抜粋文ではありません)

上記のことを最もよく表現した作品が「深層の祭」です。三善さん、課題曲の曲紹介で、殆ど何も言ってませんでしたね。なんでなんでしょう。ちなみに、「言葉と音楽」という本で、嫌という程、書いていますから、興味のある方はどうぞです。これが、作曲家の言葉なのか!?
という程に難しいです。余談ですが、クロスバイマーチというのは、テーゼとアンチテーゼがクロスするという状態を表現した作品だそうです。ただ単にクロスしたのか、はたまた、それがアウフヘーベンによって上へと行ったのかはわかりません。もし、前者であるとするならば、有り得ない世界(「ユートピア」と言われます)を表したことになります。クロスバイマーチも同様に簡単な曲紹介でしたね。所で、簡単な曲紹介というのも、なんなとなく分かるような気がするんですよね。そこはもはや、コスモスの存在ではないのですから・・・。せめてものの「物」としては、「作曲に至るまでの経緯」だけかもしれません。

作曲家は、食べていく気もあるようですが、無いみたいですよ。
若い有名な作曲家の人と、お話しをさせて頂いた時、「作品で儲ける気は無いですよ、面白いからやっているのです」と言われてしまいました。この時、「作曲家とは何なのか?」という事を思わされずにはいられませんでした。今、いろいろと勉強しているのですが、今の所は、「象牙の塔の住人なのか?」といった所までしか、私にはわかりません。(テロを見て「あれは、芸術的だ」と言ってしまうのも作曲家なのですよ。面白い人種でしょう?)

何にせよ、こんなバラバラな文章を公共で表すべきではないですね。
でも、色々とレスしてください。参考になります。

来年くらいには、多分、ちゃんとしたレポートになるはず・・・。たぶん・・・。

クセナキス解説 投稿者:いしづか  投稿日:10月19日(金)20時42分10秒
やさしい現代音楽解説が無いという人がいる(笑)から書いてみました。
「クラシック招き猫」ってサイトの散歩道のコーナーを参照下さい。

これも、そのうちこのHPに引き取ってもらいましょうか?

「きっかけ」 投稿者:のの  投稿日:10月19日(金)19時46分57秒
朝生で大島渚が怒っているのを見て、彼の映画を観始めたりするのは、いいことだと思うんですけどね。そういう意味で、11PMの司会をしていた人が、いい曲を書いていればよかったのに(苦笑)

「一般に受け入れられる曲=大衆迎合」では必ずしもないけど、プロデューサーにはそういう感覚は強いかもしれませんね....
「売れる」現場で鍛えられていないクラシック系は特に。

ゲーム音楽とクラシック 投稿者:如月 綾香  投稿日:10月19日(金)15時30分39秒
 再び登場です。
 やぶいぬさんからのご指名があったので、「ゲームファンが現代曲に繋がるか」について少し書きたいと思います。
 興味のない方は飛ばしてください。(ぺこぺこ)

 まず前提として、私がやっているゲームは、いわゆる「オタク系」、「パソコン美少女ゲーム」(略して「ギャルゲー」)と言われているものです。
 しかし、私は自分では「オタク」だとは思っていません。私よりも何百倍も「濃い」人を目の前にたくさん見ておりますので…。
 一般的なゲームオタクのイメージ…「漫画やアニメ、ゲームに浸り、「○○萌え〜」という言葉を駆使している人達」を想像されるかと思います。
 そのイメージは、「現代音楽」にある「難しい」というイメージと同じぐらい間違っています……と思いたい。(笑)

 さて、本題。
 今、ギャルゲーが売れる要素として、絵やシナリオと合わせて「音楽」がとても重要となっています。
 ギャルゲー界には、「I’ve」というグループが存在し、ギャルゲー界の音楽を席巻していると言っても過言ではありません。
 ゲームの売り文句に「I’veが音楽を手がけている」と書けば、売り上げが伸びるくらいです。
 私が言うのも何ですが、そのへんのJ−POPよりレベルが高く、良くできていますよ。
 音楽が気に入ってギャルゲーの世界にはまったという人もいるぐらいです。<私もその一人

 ギャルゲーの音楽は、そのほとんどが「打ち込み音楽」で、CD−DA再生が基本となっています。
 曲調は、ポップスが基本ですが、シーンによってはピアノソロ、弦楽合奏風の音楽など、多種多彩です。
 ゲームが売れれば、サントラCDの発売に繋がるケースが多いです。(車のBGMには最適)
 ゲーム雑誌にもそういうCDの情報は載りますし、「I’ve」のアルバム、あるいは彼らが何らかの形で参加したサントラCDあたりだと、ヘタをすればゲーム本体より売れます。(笑)
 実はこの分野、ある意味「クラシック音楽」「現代曲」に繋がる素地はあるのです。というのも、ギャルゲーファンの中に、クラシック音楽ファンはじめ様々なジャンルの「音楽好き」が結構たくさんいるんですよ。
 「元 吹奏楽部員」という人なんか山ほどいます。

 余談ですが、「五重奏」というゲームのテーマ曲がマスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲…というのもあります。

 今後の課題としては、打ち込み音楽の限界…オーケストラの音色にはまだまだ遠い…がもっと高いレベルになればですが、ゲームでそういう音楽が使用されるかどうかにかかっています。
 「ドラゴンクエスト」にすぎやまこういち(この方は、POPの人でしたっけ?)が曲を書いたように、クラシック畑の人が、ゲーム音楽を手がけてくれれば面白いと思ってはいます。
 ただし、ジャンルがジャンルだけに、手がけてくれる可能性が薄いことも否定しません。

 取りあえず、こんなところでいいでしょうか?<やぶいぬさん
 拙い文章ですいませんでした。

いろいろレス 投稿者:如月 綾香  投稿日:10月19日(金)14時36分49秒
 こんにちは。「週一登場(笑)」の如月綾香です。

 私の書き込みに対して、たくさんの方々から丁寧なコメントをいただきありがとうございました。
 全てにお答えしたいところですが、スペースと時間の関係上、限られたコメントにしかお答えできないことをお詫びします。

>一般の人に対して「わかりやすい言葉」で知らせているのか?

 これに関しては、否定的な御意見が多かったですね。
 仰るとおり、音楽という元々「言語で表現するもの」ではないものを言葉で表現することは難しいと思います。
 しかし、これは「解説書」や「評論家のコメント」に限定した場合であって、何も本当に言葉じゃなくったって良いんだと思います。
 そもそも、よっぽどのきっかけがない限り、一般の人達が「解説書」を手にするとも思えないんです。
 じゃあ、「よっぽどのきっかけ」を作れば良いんじゃないかと。(笑)
…と言うほど簡単なことではないとは思いますが。
 いや、その前に解説書の「難解な日本語」をナントカしないと…。

>作曲家の「歩み寄り」

 私は、作品の質に関しての「歩み寄り」はいらないと思うんですよ。
 「やさしい曲・親しみやすい曲=質の低下した曲・一般に迎合した曲」という間違った捉え方をしなければ…ですが。
 「ライトクラシック」という言葉が出てきていますが、この「ライト」は、決して低品質の曲という意味ではないはずです。
 また、一般に受け入れられる曲=大衆迎合だという考えはおかしいと思います。芸術ってそんなに「偉い」ものなんでしょうか?
 私が、前に「プロうんぬん」と書いているのは、アマチュアならば、自分たちのお金で自分たちの好きなことをやるのに誰も文句は言えません。しかし、プロは基本的にそれで飯を喰っているわけです。自分らの「商売のこと」ぐらい自分らで考えなさい…と言いたいのです。
 「私は実演家だから何も知らなくて…」と言っている実演家。あなたのことですよ。(笑)

>アニメ誌やゲーム誌や声優誌の音楽コーナーに、上記の電グル→スタジオヴォイス→現代曲、みたいなルートというか回路にあたるものは、ないのでしょうかね。そこらへん、どうなんですか?>綾香さん
 
 うわっ、いきなりのご指名ですね。もしかして、HPにおいでいただいたんでしょうか?(笑)
 この掲示板にふさわしい話題かどうかはわかりませんが、欄を変えて少し書きたいと思います。

 とりあえず、この辺で。

続々・ソ連の作曲家 投稿者:プロメテウス  投稿日:10月19日(金)02時00分37秒
>グラズノフ編の「君が代」

そんな、楽しそうなものがあるんですね。知らなかったです・・・。(^^;
どこで聞くことができるのかは、わかりますか?

ピアソラ補足 投稿者:のの  投稿日:10月18日(木)09時55分08秒
(このタイトルはあまり適切ではありません)

私が書いたのは、「ジャンル」というもの全般に関する話ですが、事後的にジャンルが変化することも、ないわけではありません。

タンゴを専門的に演奏する音楽家がほとんど存在しなくなって、専らクラシックの演奏家が担当するようになり、かつクラシックの演奏家がタンゴのリズムやグルーヴをマスターし、作曲と即興が一体化したスタイルをきちんとこなせるようになったら、事後的にクラシックの一種とみなされるようになるかもしれません。19世紀当時は、ポルカやオペレッタはクラシックとははっきり別物でしたが、現在ではほぼクラシックの一種とみなされていますよね。

 投稿者:NAPP  投稿日:10月18日(木)03時00分17秒
>プロメテウスさん
>ソ連の作曲家は、それこそ色々と言われるのですが、私は文句無しに好きなんです

 あ、なんとなくそれ分かるような気がします(笑) 個人的な好みで言わせてもらえば、私はプロコの交響曲(特に3番)が大好きなんですよ。
 ちなみに、グラズノフ編の「君が代」って聴いたことあります?笑えますよ〜

>ののさん
 なるほど、よく分かりました!納得。

>山崎さん
>全体の1割どころか1分もいなかったと思います。だいたい自由選曲による
>試験やコンクールのプログラムを見ても現代曲は1、2曲

 しかし、ルトスワフスキのパガニーニヴァリエーションをやった人は多かったはずだし、リゲティなんかも割と目にしたような。まぁ、ここらへんはもはや「現代の古典」だけど。あと、ショスタコの「24のプレリュードとフーガ」が課題曲に指定されたことがあったけれど、あれだって作曲年代的には立派に「ゲンダイオンガク」と呼ばれている範疇に入る。ようは、意識してないだけでは。

>現代曲は難解で分からない(ものだと思っている)

 これは個人に対する意見ではないけれど、古典派などの作品が「理知的でない」と言うのが愚かなことであることを考えれば、現代曲をやらない理由にはならない。

>演奏難度(技術・解釈)が高いものが多い

 そうでしょうか?技術だったらリストの超絶技巧練習曲よりも易しい曲は数多あるし、解釈だったらシューマンのピアノ曲が群を抜いて難しいと思うのは私だけかな?クセナキス「ヘルマ」みたいな曲ばっかではないんです(笑)

>昔はたいていが作曲家兼演奏家だったから、音楽を志す若い音楽家に技術的な
>こと以外にも最新曲とその解釈を伝授できたわけです

 それは違うと思います。たしかに「作曲家兼ピアニスト」は多かった。しかし、ピアノ音楽から目を移せば、ヴァイオリン音楽を書いている「作曲家兼演奏家」はパガニーニくらいなもの(ハイドンのように多少弾ける人多かったが、上手いとは言えなかったらしい)。いわゆる「三大Vn協奏曲」の作曲家にVn弾きはいない。また、オーケストラ作曲家が全ての楽器を演奏できたわけではない。演奏と作曲の分業化は別に近年になって始まったわけではないのです。
 有名な作り話に、ベートーヴェンが街を歩いていたらある家から自分の作った曲が聞こえてきて、思わず入っていったら盲目の少女が弾いていて、彼女のためにベートーヴェンが即興演奏をし、「もしやあなたがベートーヴェン先生ですか!」とびっくりされた、というものがあります(言うまでもなく「月光」成立の作り話ですね)。いかにウソ話とはいえ、この当時に作曲家から完全に離れたところでも演奏が成されていたという時代考証には誤りはないでしょう(ペトルッチが初めて活版印刷による楽譜出版を行ったのは1501年。つまりバッハの生まれる184年前ということになる)。作曲家に直接指導を受けた演奏家というのが、自作を演奏してくれる人の中のほんの一部であったことは今も昔も変わらないはずです。いや、録音や証言録などのメディアの発達により、現在の方が作曲家と音楽学習者の距離ははるかに近くなっているはずです。

>現代作曲家が演奏家としても活躍していたとしたら、今どのようになった
>でしょうね

 現代において作曲家として認められ演奏者としても超一流、といえばObのハインツ=ホリガーやTrbのヴィンゴ=グロボカールなどが挙げられましょう。今でも皆無ではないことを付け加えておきましょう。演奏出身の作曲家は「視野が狭い」ってよく言われてしまうのですが(笑)


>谷口さん
>私がいた日本の地方大学・教育学部の音楽科ですと、作曲科の学生
>がお願いして演奏者を探してました

 私もやってました(笑) でも、私の場合は他力本願だったのが情けない。友人たちに感謝感謝。

>先日サックス専攻という学生と図書館で話していたら、博士(DMA)
>論文はヘンリー・ブラントだって言ってました。こちらの方は、案外
>大丈夫なのかな? 毎年夏には、理論の先生が「1945年以降の音楽」
>という講議をやってます。私は無調分析法というのも聴講しました

 すごいなぁ。アメリカの大学はどこもそうなんでしょうか?どうも日本の大学院では修士論文はやれシューベルトだ、リストだ、ショパンだ、とそんな人ばっかです。 私にはそんなテーマで「新しい」論文を書ける自信はないのだけれど、同級生はすごいなぁ(笑)


 明日(今日)はN響のVn奏者、斎藤真知亜さん(現代音楽の奏者としても高名ですね)による特別講議。楽しみ。そのあとはオーケストラプロジェクト2001に出かけてきます。芸劇は近くていいなぁ。

私見2 投稿者:谷口昭弘  投稿日:10月17日(水)18時48分16秒
>私が学生だった頃(つい最近だけど)、現代音楽を好んで取り上げ
>ていた人はあまりいませんで
私がいた日本の地方大学・教育学部の音楽科ですと、作曲科の学生がお願いして演奏者を探してました。現実としては、それくらいでしょうか? 歌やってた私も、マーラーまでだったもんなあ。室内合唱では、作曲科2人の作品もやりましたけどね。

>1.まず先生の方に知識がない、
先日サックス専攻という学生と図書館で話していたら、博士(DMA)論文はヘンリー・ブラントだって言ってました。こちらの方は、案外大丈夫なのかな? 毎年夏には、理論の先生が「1945年以降の音楽」という講議をやってます。私は無調分析法というのも聴講しました。

>2.クラシック作品で勉強しなければならない曲が多すぎる 
本当のこと言えば、20世紀音楽も、このクラシック作品に入るんですけどね。

>4.演奏難度(技術・解釈)が高いものが多い 
全音楽譜に昔あった、色オビを復活させれば、一目瞭然かな。ウェーベルン辺りは、テク的にどうなんでしょうね?

>私も含め多くの「音大を卒業したアマチュアでない演奏家」
>が、現代音楽の知識に乏しいというのが、現状です。
辺境に追いやられる音楽の領域が大きいですよね、日本の大学というのは。日本をはじめとした西洋内外の諸民族の音楽、ポピュラー音楽などは、学校で教えられる規範から依然はずれがち。もちろんアメリカも、最近になってロック史の講議をやり始めたんですけどね。

>現代曲に演奏家がついて行きにくくなったのは、やっぱり作曲家と
>演奏家の分業化が原因なのでしょうね。
オペラやオーケストラの場合は、必然的にそうなるんでしょうね。一方20世紀音楽でも、超絶技巧を目指したソロ作品なんかは、特定の演奏家を頭に描いて書かれたものもあるんではないでしょうか。打楽器奏者の場合も、レパートリーがないから、積極的に委嘱を試みるしかない。作曲家と演奏家の「コラボレーション」自体は、結構あったんじゃないでしょうかね。

いや、「現代音楽」ということじゃなくて「20世紀」ということにすれば、ラフマニノフはピアニストだし、ヒンデミットやブリテンは指揮者であったりもしますね。ブーレーズもしかり。

ポピュラー音楽の場合は、作った人が演奏というパターンが続いているのかな。でもクラシックと違って楽譜に固定されないし、そのまま真似するのも「間違っている」ことになるから、難しいですね。

>昔はたいていが作曲家兼演奏家だったから、音楽を志す若い音楽家
>に技術的なこと以外にも最新曲とその解釈を伝授できたわけです。
どれだけ作曲家というのは弟子を取ってたんでしょうね。モーツァルトやベートーヴェンにピアノを教わったというのは、とりあえず思いつかないんですけれど。リストとかならありそうですよね。作曲家=演奏家であったことはあると思いますが、演奏自体がどれほど受け継がれたのか。ショーンバーグの本でも読んでみますね。

>現在は、初演を除けば作曲家本人から直接教えを受けることは稀で、
>いたとしても高橋アキさんのような現代音楽専門家のような特定の
>方です。
「超一流」とかにこだわらなければ、本当はもっと可能性があるようにも思うんですけどね。作曲家の方も自分の作品がどう演奏されるかには関心があるだろうし。山崎さんお住いの地域に作曲家はいらっしゃいますか?

http://mailer.fsu.edu/~ataniguc/index-j.html


作曲家と演奏家 投稿者:山崎  投稿日:10月17日(水)13時52分34秒
ピアノ弾きの端くれとしてちょっとだけ書いてみます。以下の文は演奏者全員がそうだと言っている訳ではありません。一応。

私が学生だった頃(つい最近だけど)、現代音楽を好んで取り上げていた人はあまりいませんでした。全体の1割どころか1分もいなかったと思います。だいたい自由選曲による試験やコンクールのプログラムを見ても現代曲は1、2曲。
なぜみな現代曲を弾かないかというと、誤解を恐れずに言うならば、1.まず先生の方に知識がない、レッスンに行ってもレッスンにならないことが多い 2.クラシック作品で勉強しなければならない曲が多すぎる 3.現代曲は難解で分からない(ものだと思っている) 4.演奏難度(技術・解釈)が高いものが多い というのが考えられます。(でもこれは演奏家たちの怠慢で言い訳にしか聞こえないな・・・) 私も含め多くの「音大を卒業したアマチュアでない演奏家」が、現代音楽の知識に乏しいというのが、現状です。

現代曲に演奏家がついて行きにくくなったのは、やっぱり作曲家と演奏家の分業化が原因なのでしょうね。(逆に現代音楽好きの方はそれが良かったと言ったりして) 昔はたいていが作曲家兼演奏家だったから、音楽を志す若い音楽家に技術的なこと以外にも最新曲とその解釈を伝授できたわけです。私はそのことが演奏家にとってどれほど大きなことか計り知れません。現在は、初演を除けば作曲家本人から直接教えを受けることは稀で、いたとしても高橋アキさんのような現代音楽専門家のような特定の方です。それが距離をますます広げていると思います。

作曲家に演奏家が歩み寄った時、視聴者は離れていくでしょう。だからと言って、作曲家が演奏家や視聴者に歩み寄るべきだとはそう簡単には言えません。だから、この掲示板でこれまでいろいろな立場から熱く語られているのですね。

もし、現代作曲家が演奏家としても活躍していたとしたら、今どのようになったでしょうね?そもそも、なぜ演奏者と作曲家が分裂してしまったのか?よろしかったら教えてくださいませ。不勉強をお許しください。

ピアソラ 投稿者:のの  投稿日:10月17日(水)09時58分48秒
はタンゴ以外の何物でもないでしょう。ビートルズはロック以外の何物でもないように。事後的にクラシックの演奏家が取り上げたからといって、そういう基本的な部分は変わらないと思います。

自筆譜があるからクラシックの仲間と思われているのかもしれないけど、あれはあくまでライブのための覚え書きですから。
小松亮太さんのように、彼の音楽をきちんと演奏しようとしている音楽家は、まず録音の採譜から始めます。