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ケヴィン・ヴォランス 投稿者:いしづか  投稿日: 3月14日(木)06時44分59秒
クロノス・カルテットが来日すると、必ずと言って良いほど演奏される「ホワイト・マン・スリープス」という作品がありますよね?あれの作曲者です。シュトックハウゼンやカーゲルに学んだものの、現代音楽の複雑さよりも、生まれ育った南アフリカの単純な音楽に惹かれるようになり、そうした音楽に取材した素朴な作品を書く方向へと軌道修正したそうです。アルチュール・ランボーの生涯に取材したオペラなんかも書いていたはずですね。

むだい 投稿者:NAPP  投稿日: 3月14日(木)04時28分25秒
 盛り上がってますね。多くの方が書き込みをしてくださって嬉しい限りです。レス、というよりは書き込みを起点に不特定多数の人に投げかけた文章になっています。

>渡部先生
>吹奏楽にプロフェッショナルな立場で仕事をしている人達の中で(中略)
>スコアを読みきったうえで演奏できている人は、ほとんどいない

>いしづかさん
>オーケストラにもいないような気がします

 意外に一般には知られていない(らしい)のですが、プロのオーケストラ(室内楽)で新曲の初演をする場合、事前の練習はほんの数回持たれるだけですね。吹奏楽の場合は能力の問題でオーケストラの場合は時間の問題、という違いはあるかもしれないけれど、読譜が充分な状態で演奏がおこなわれていることは希有であると言えるでしょう(独奏曲の場合は楽譜完成が演奏の一時間前、ということも実は少なくない。これは単に作曲家の問題でもあるのだけれど)。 それでもなお、よい演奏でないにしてもある程度の演奏を行えるのがプロの強み。以前コラムで書いたような気がしますがアマチュアとの決定的な違いはそこにあると思うのですね。初演、となると参考音源などがなく全くのゼロから音楽を構築しないといけないので、この能力差はより一層大きくなる。そして、吹奏楽の場合はアマチュアによる演奏がほとんどである上に、演奏する機会が「勝ち負け」が附随してしまうコンクールという場であることがほとんどのために、そういった「初演を行う」ことに躊躇してしまっている、ということがあるのかもしれない。

 「響宴」はがんばっているけれど、やはりその目的は「アマチュアによる吹奏楽」の現状維持もしくは拡大を意図していると思います。もちろん、これはこれでとても大事なことだし続けてほしいと思いますが、それだけではたぶん吹奏楽、というよりも「吹奏楽とそれを取り巻く音楽事情」の未来は変わらない。アマチュアを母体としている限り、どんなにいい演奏会を企画しても、アマチュアとしてどんなにいい演奏をしたも、楽壇に注目されることはないでしょう。これまでも何度も書きましたが、やはりプロの演奏能力(読譜速度を含む)と影響力はアマチュアには永遠に獲得不可能なものです。しかし、今の吹奏楽市場の現状ではプロの吹奏楽団の活動方針にこの路線を強いるのは無理があるのも事実なのです(ここらへんはコラムに書いた気が)。
 だから、私には夢があります。いつもはソリストとしても活動している著名かつ実力もあり、吹奏楽にも理解のある管楽器奏者(例えばTrpの曽我部清典先生)が適時集まってアンサンブルを結成できないものかと。例えばノマドやコンテンポラリーαやアール・レスピランのように。常時「吹奏楽団」として成立させようとするから無理が生じるのではないかと考えるのです。 吹奏楽出身のソリストも少なくないはず。Flの木ノ脇道元先生もClの菊池秀夫先生も、もちろんSaxの須川展也先生もそう。もちろん過去にもオーケストラ在籍の管楽器奏者が集まって一時的に結成した吹奏楽団がなかったわけではないけれど、彼等が出したCDはオーケストラ曲のアレンジもの、という笑えない代物だった。だから、プレイヤーだけで作るのではなく音楽学者や作曲家を軸に据える。アンサンブル・ヴァン・ドリアンのように。 ソリストクラスを集めても吹奏楽団を結成するには人数が足りないからtutti要員はオーディションで募集する。ベリオ「セクエンツァ」くらいなら演奏できる在野の奏者はゴロゴロしてますから(音大卒でアマチュアやってる人とか)、そういった人達を織りまぜて、プロとアマチュアの接点を作ることも別の意義を産むことができる。
 誰か核となる、力と見識のある人にやってもらえないものだろうか、と願っているのですが。もちろん、私がやれればいいのだけど、私にはそんな力もないし、将来そんな力を持てるとも思わない(努力はしますがね)。せめて、私の関わることのできた実力者の耳もとに囁き続けることくらいしかできない(音大ってのは実に都合のいい場所なのです)のですが、いつか実現しないものかと願っています。まぁ、今はガキの戯言にすぎませんが。

>いしづかさん
>CDソフト等で音楽を発信する超一流の演奏家がいれば、名曲を繰り返し演奏
>するのが取り柄の一流演奏家も淘汰されてしまうことでしょう(以下略)

 「聴く」のを楽しむのがオーケストラで、「演奏する」のを楽しむのが吹奏楽、という基本スタンスがまずあるように思います。どのようなCDを供給することで「リスナーとして」と「プレイヤーとして」との両者に接点を持たせるか。
 吹奏楽のCDはプレイヤー的視点にたったものが多すぎる。「あの○○高校の伝説の名演!」ってのは演奏するからこそ共感できるコピーであって「単なるリスナー」向けではない。『評価の確立した名曲にも、その真価を明らかにするような演奏が未だ殆ど無いという現状』もそうした姿勢が根底に存在するからなのでしょう。
 とりあえずレコード会社にリスナー向けのCDをもっと出してもらいたいなぁ、というところでしょうね(なんとありふれた結論)。fontecはちょっと乗り気のようですが。「現代音楽」(この時代に作曲された音楽)のクラシック系CDとしては絶対に売れるはずなんだけどなぁ。吉松隆が人気あるんだったら、似たよ〜な曲がゴマンとある吹奏楽は人気でますぜ。


>HIDEっちさん
>アルト・チェルヴェニッシュ・ホルンとか(笑)
 そうそう(笑) その一番成功した例はスーザ・フォンでしょうか。まぁ、見た目の違いもあるけど、音色が似てるからといってテューバと同じ楽器だと思ってる人はまずいない。「携行型テューバ」って説明はみるけど(笑)

 私の立場からこれらの分類に期待することは、「作曲家の意図を忠実に再現するにはどの楽器を選択すればいいのか」ということ、ひいては「どう(名称を)書けば希望の音が再現してもらえるか」ということなんですね。自分の書いた指定と違う楽器が、無用の混乱によって違う楽器で演奏された、なんてことがあったら困るわけです。これが作曲やってる人間が分類にこだわる理由。これとHIDEっちさんの「楽器の個性を大切にしてあげたい」というプレイヤーとしての愛情による分類とを折衷させると、「どこまで細分化すべきか」が見えてくるかもしれませんね。


>プロメテウスさん
>ただ単にメリハリをつけたかったから、と思っていいでしょうか。
 これはさすがにデ=メイに聞かないと分かりませんねぇ。効果を狙ったのか、付け足したのか、はたまたアドラー賞の〆きりに間に合わせたのか(笑)
 たしかに指輪物語の構成には偏りがありますね。指輪メインテーマだって、あれ、ほとんどガンダルフのテーマみたいな扱いだし。四楽章ではそれが顕著。
 五楽章が別物ではないか、というのにはもう一つ根拠があって、五楽章だけがスコアでのEuph./Bar.の記譜法が違うんですね。1〜4はへ音記号で、五楽章だけがト音記号。同じ時期に書いたのだったら書式が変わる、ってことはよっぽどでないとないことなんですがね。
 ところで、指輪物語は最後がフォルテで終わらないのが気に入ってます(笑)

>畠中さん
 ご無沙汰でした。徹夜続きのその後、体調の方はいかがでしょう?
 室内楽的吹奏楽と、大形の吹奏楽を共存させるのは大変難しいことですが、それが達成できたとき、その演奏会のもつ意義はとても大きなものとなるでしょうね。「キチ○イ」と呼ばれても、それは既存の吹奏楽的視点から見ての話であって、そこから脱却してもなお演奏会として成立させているということで、これはむしろ褒め言葉だと思ってよいでしょう(笑)
 私は意外と多くの地域の話に接しますが、北海道は日本の中では際立ってアマチュアでの問題意識が高い土地だと感じています。そこでまずこのような演奏会が行われていることは嬉しいですし、注目しています(残念ながら今回現地に赴くことは叶いませんが)。
 津田作品の成功を前祝いしておきましょう。

>まっつんさん
 遠路はるばるのお手伝い、御苦労さまでした。柳田・田村作品はまっつんさんの他薦でしたか。それはよいお仕事をされましたね。
 このサイトや某巨大掲示板など、外部の意見を聞くことができるようになったのが現代のよいところ。少しでも思うところがあってくださると嬉しいですね。
 前項で書いたようにアマチュアによる活動というのはどこに作用するのかが微妙な問題かと思います。でも、アマチュアだからできることもあるのですよね。響宴の今後にはそういう点を期待しています。色々な声がありますが、少なくとも外部から批判するだけしといて、自分達はコンクールと定期演奏会で「前半クラシック・後半ポップス」というなんの主張もない演奏会ばっかりしている人達よりも、はるかに誇れる活動であると思います。



 待望のNAXOS「日本作曲家選輯」の第二弾が出ましたね!矢代秋雄作品はどちらも既に馴染みのあるもので珍しいものではないかもしれませんが、これ、演奏がとてもよいです。皆さん、ぜひ買いましょう!売れ行き次第でシリーズの存続が左右される(らしい)し、松平頼則作品集や大栗裕作品集の発売も早まるかもしれませんよ。

 CDネタと言えば、最近聴いたCDで面白かったものを。Chandosから出ているKevin Volans作品集。演奏はネーデルラントWE。Volansという作曲家は恥ずかしながらよく知らないのですが、南アフリカ生まれ(1949〜 )でカーゲルとシュトックハウゼンに師事した人物。BBCプロムスの委嘱を受けりしているので有名な人なのでしょう。曲としてはポストミニマリズム。吹奏楽というよりはSaxが入っていない四管編成の弦抜きオケ曲ばっかり収録されているんですが、これがかなり面白い。とくに独奏ピアノとオフステージの吹奏楽団のための「untitled」。編成とタイトルだけ聞けば「なんぢゃそりゃ」ですが、この曲が実に美しい。いや、吹奏楽にこういう曲があったのか、と思いました。ぜひぜひ。
 CHAN 9563

第5回「響宴」を終えて 投稿者:まっつん  投稿日: 3月13日(水)12時08分44秒
NAPPさん、掲示板の皆さま、お久し振りです。話の腰を折るようで大変恐縮ですが、失礼いたします。

先日の第5回「響宴」にはここに集われておられる皆さんにも多数お越しいただき、誠にありがとうございました。私は今回ステージスタッフとして参加すべく8日から11日まで上京しておりました。前回よりステージスタッフとしてお手伝いさせていただいていますが、今回は私が他薦の形で事務局に出した数曲の中から2曲(西風の肖像、シャルロット)を演奏していただくことになり、プログラム決定の時から大変身の引き締まる思いでおりました。

多少なりとも今回の演奏会の実施・運営に携わった者として、演奏会そのものの成否については会場にお越しいただいた皆さんの判断に委ねたいと思います。ただ、私個人としても現状の「響宴」そのものへの疑問点や、その中で今後どのような方向性を持って進んでゆくべきなのかなど、考えは幾つか持っております。

邦人作品のデータベース化を行っていますと(あまり作業ははかどっていませんが。。。)、「こんな人がこんな作品を書いていたのか。」と驚くことが少なくありません。しかもその多くが音として残っておらず、中には楽譜も散逸してしまっていたりする。私としては、長らく演奏されていない作品や記録の上だけでしかその存在が確認できなくなっているような作品を何とか再び公の場に出して一人でも多くの人にその存在を認知していただきたい。実際に聴いてくださって興味を持った方が「ウチでもやってみたい。」とポツポツとででもいいからコンサートで採り上げてくれれば、日の目を見ずに忘れ去られてゆく作品を少しでも減らすことができるんじゃないか。そう考えています。

旧作未出版作品の発掘はこれからも続けてゆくつもりです。今手元には次回に向けて集めたものが10曲程度あり、今回の選曲で漏れて次回候補にまわっている曲もあります。この中からまた採り上げてもらえる曲はいくつ出るかなと期待しています。

http://akasaka.cool.ne.jp/pinewood


お久しぶりです 投稿者:畠中 秀幸  投稿日: 3月13日(水)10時48分20秒
NAPPさん、お元気ですか?ご無沙汰しております。札幌の畠中です。レベルの高い議論の途中で大変恐縮なのですがお邪魔致します。

某巨大掲示板でキ○ガイ呼ばわりされた(笑)我々ウィンドシンフォニカでは3月24日の演奏会に向けてリハの真っ最中です。(と言ってもまだ2日しか集まってませんが・・・)
今回思いきって吹奏楽と室内楽を半々にしたプログラムを組んで、下のような主旨の文章を各マスコミに送ってみたところ、珍しく新聞社2社から取材の依頼が来ました。(今までは吹奏楽は記事にならないという理由でほとんど門前払いの状態でしたが)
「この演奏会が、いまままであまり交流のなかった一般のクラシック音楽ファンと吹奏楽界の橋渡しとなることを願っております。また管楽合奏という演奏形態がクラシック音楽のひとつのジャンルとして広く鑑賞されるようになるための、また今後の吹奏楽のあり方を考えていくための「きっかけ」になればと思っております。すべてのクラシック音楽ファンの方々に愉しんでいただける演奏を目指します。」
いわゆる「横断的な視点」の一つのかたちを示したことが、文化部の記者の方の目に留まった様です。NAPPさんご指摘の通り、この手法が「吹奏楽」から離れていってしまう危険性を孕んでいることは言うまでもありませんが、その危険性を意識した上であれば「吹奏楽」を開いていくこと、つまり厳しい聴衆の耳に晒されながら鑑賞音楽として育まれていくことに一役買えるのではないかと思うのですがいかがでしょうか。

それから津田元氏への委嘱作品の改訂再演は、非常によい方向に向かいつつあります。Fgコンチェルトということもありますが、管楽器の表現の新しい可能性を感じています。(いつかはNAPPさんともご一緒できれば・・・)

もしこちらにお集まりの方で札幌近郊にお住まいの方がいらっしゃいましたら、是非演奏会にいらして下さい。議論のネタにでもしていただければ幸いです。

http://sapporo.cool.ne.jp/wss


訂正 投稿者:いしづか  投稿日: 3月13日(水)05時39分53秒
今、読み直したら、ベルクの「ヴォツェック」に関する記述が「ヴォッツェク」になっている!これは、恥ずかしい。他にも「てにをは」がヤバイところがありますが、とりあえずこれだけは訂正しておきます。

さらに過激に 投稿者:いしづか  投稿日: 3月13日(水)01時35分29秒
> 現在、吹奏楽にプロフェッショナルな立場で仕事をしている人達の
> 中で、こういった現代作曲家達(アメリカやオランダの、時代の淘
> 汰に流されてしまうオリジナル吹奏楽作品しか書けないような、ど
> うでも良い作曲家も含んだ、「今生きている」作曲家達)のスコア
> を読みきったうえで演奏できている人は、ほとんどいないと思いま
> す。

さらに過激な発言を加えると、オーケストラにもいないような気がします。ひょっとしたら、いらっしゃるのかも知れません。尊敬に値する能力を持つ指揮者も散見されます。それは確か。ただ、オーケストラの場合は、さらに問題があって、演奏会前のリハーサルに割ける時間が、近年、より短くなっていることこそが事態を悪くしているのだと思います。

シカゴ交響楽団は、その機能性において、おそらく世界一のオーケストラだと思われますが、彼らが武満徹に「ヴィジョンズ」という15分程度の作品を委嘱し初演した際には、わずか2時間のリハーサルで本番を迎えたそうです。

これを、スーパーオーケストラの機能性を表わす凄い逸話だと考える人がいるとしたら、あまりに能天気だと判断せざるをを得ません。この話を武満から聞いたラトルが断じたように、「2時間のリハーサルで15分の曲を初演するなら、やらない方がマシ」なのです。

「吹奏楽関係者に捧ぐ現代音楽入門」のどこかに書いたと思いますが、ベルクの傑作オペラ:「ヴォッツェク」は137 回のリハーサルを経て初演されました。ああいった新しい語法で書かれた作品に慣れるためには、このように十分なリハーサルが必要なはず。これが出来ていたからこそ、このベルクのオペラは説得力をもって演奏され、現在では傑作として世界の各地でレパートリー化されているわけでしょう。そういった演奏の過程で、「この曲はいかに演奏されるべきか」というノウハウも蓄積され、それ故に、現代の奏者は初演に立ち会った演奏家よりも、格段に少ない準備時間で、この傑作オペラを演奏することが出来るわけです。

現代のオーケストラ事情では、そのように恵まれた新作初演など目にする事は出来ません。そのような状況への絶望から、リゲティは室内オーケストラ以上の編成には決して作品を書こうとしなくなったし(それは、武満作曲賞の審査員を引き受けたリゲティが、譜面審査の段階で「素晴らしいアイディアに満ちているが演奏不可能だ」という理由で作品を却下したりした理由でもある)、ブーレーズは「プリ・スロン・プリ」の不確定部分を全て確定的なものに書き換え、「私はソリストのためにしか、不確定な譜面は書きません」と主張するに至るわけです。
そういった、限られたリハーサル時間の中では、スコアから引き出されるべき音をイメージできる優秀な指揮者がいたとしても、多少効率的に練習を進めることは出来るだろうけど、「見知らぬ音」を演奏家が共感をもって演奏出来るレベルまでには、なかなか至らないというのが実状でしょう。演奏家が共感出来ないものが、観客に共感してもらえるわけがない。ピアニストの大井浩明さんが出光音楽賞を受賞した際の演奏会で、クセナキスのピアノ協奏曲の伴奏をやった某オケの某奏者は、「2度と弾きたくない」と言っていたそうですが、まあ、これじゃあしょうがない。でも、彼らより格段大きな共感をもってクセナキス作品に対峙しているルクセンブルクフィルの演奏は、多くのリスナーに賞賛をもって受入れられていることを忘れてはいけない。リスナーの共感というものは、演奏者の共感があることによって共振していくもの。その根本の部分が忘れられているような気がするのです。

でも、オーケストラには、何年定期演奏会をやっても尽きない程のレパートリーの蓄積がある。もちろん、コアなレパートリー=名曲だけを繰り返し消費しているオーケストラにも未来があるとは思いません(私はオーケストラの未来については、非常に悲観的な意見を持つ者です)。レコーディング技術がさらに進歩していったら、名曲のローテーションを作って定期にかけていくような商売は不可能になるのが実状でしょう。映画を映画館ではなく、自宅の居間にてヴィデオで観ることが主流になってしまったように、音楽をコンサートホールではなく自宅のリスニングシステムで楽しむのが主流になる時代が、より本質的な意味で(=生音信仰の崩壊)あと20年を待たずにやってくることは必至です。CDソフト等で音楽を発信する超一流の演奏家がいれば、名曲を繰り返し演奏するのが取り柄の一流演奏家も淘汰されてしまうことでしょう。

オーケストラすら、そういう窮地に立っているというのに、自前のレパートリーを殆ど持たない吹奏楽が、そうしたオーケストラの悪しきひそみにならうことは、自分達の首を締めているだけではだとは思いませんか?ついでに書いておくと、例えばグレインジャーのような評価の確立した名曲にも、その真価を明らかにするような演奏が未だ殆ど無いという現状もあります。吹奏楽界には、次世代の自分達を生かすための種を、今のうちに蒔いておくしか生き残りの道はないはずですが。中高生向けにレパートリーを編成し、CDを売るのも良いでしょう。でも、日本の少子化はさらに進むことだけは間違い無い。小編成用の楽譜と音源を供給する。そういう対策も、もちろん講じられるべきだと思いますが、もっと吹奏楽界以外のところへも市場を広げるような、魅力的なレパートリーこそが必要で、それを実現するためには、優秀な指揮者が優秀な奏者を束ねて、確信を持った演奏で新しいレパートリーを世に問うていくしか無いはずなのですが。エーリッヒ・クライバーが、かつて「ヴォッツェク」の初演でそうしたように。

終楽章 投稿者:プロメテウス  投稿日: 3月12日(火)23時53分30秒
>指輪物語
「第五楽章がわかりやすい云々・・・」とありましたが、何故なんでしょうか。
ただ単にメリハリをつけたかったから、と思っていいでしょうか。

前々から言われていたのですが、この交響曲は、終楽章だけが浮いた存在になっているんですよね。物語的にも、1〜4楽章は第一部をテーマとしているのに、終楽章だけは、突然、物語の最後をテーマにしています。

私は、この交響曲も3部構成にする予定で、途中で路線変更した為に、第五楽章を無理矢理くっつけたのかなと、思っていました。

スノーホワイトについて 私達の問題点、など。 投稿者:渡部謙一(わたなべけんいち)  投稿日: 3月12日(火)11時53分01秒
>ちんぴら指揮者さん

私は元気です。でも論文が忙しくて、やばいです。

>>>
ま、今回「スノー・ホワイト」を演奏しなかったのは、単に難しかったからではなく、出来たのがちょっと遅かったということもあるようです。また自由曲が長く出来る年(2003年)にはやる、ということらしいですが、果たして…。だとすると、その前の年に作った、シアター系現代作曲家の奇才に書かせた作品は今年やる事になるはずですが、これも果たして…。

何というか、新しい作品をプロデュースすることを仕事にしていて思いますが、委嘱し、演奏する人達の勉強が、作曲者側の音楽性にまだまだ追いついていってないと思います。これは、スノーホワイトに限ったことでなく、饗宴でも明らかにそうであると思います。

やはり新しい作品を書いてもらうということは、何らかのプログレッシヴな要素に魅力を見つけて、それを表出させることが委嘱作品を演奏する醍醐味であり、真の仕事だからです。

はっきり言ってしまいますが(危険発言!!)、現在、吹奏楽にプロフェッショナルな立場で仕事をしている人達の中で、こういった現代作曲家達(アメリカやオランダの、時代の淘汰に流されてしまうオリジナル吹奏楽作品しか書けないような、どうでも良い作曲家も含んだ、「今生きている」作曲家達)のスコアを読みきったうえで演奏できている人は、ほとんどいないと思います。私自身も、そうできているかというと、必ずしもそうは言えないかもしれません。大抵は、読みきる前に、初見レヴェルに近い、ざっと眺めた程度でのリハを重ねていって、だんだん作品のイメージが膨らんでくる、という人がほとんどです。もちろん本来はそうあってはいけません。(まして、参考音源を聞きながらスコアを読む、というのはプロの仕事ではない。)

まずスコアを読み、そこから音のイメージを膨らますことが出来た上で音楽を作れる人は、吹奏楽にはまだほとんどいないがゆえに、この限られた「吹奏楽空間」から抜け出せないでいるとも言えるわけです。私達演奏する側は、だからもっと勉強する必要があると思うわけです。

とは言え、作曲家側がみんな素晴らしいわけでもありません。
今の時点で多くの人に指示されたからと言って、5年後10年後にはもう誰にも演奏されなくなるような作品しか書かない(書けない?)方もいらっしゃるわけです。特に吹奏楽の世界は、日本だけでなく世界においても、こういった「一見力があるように見える作曲家」がおおく、この中から一見耳障りだったり、もしくはごく普通に聞こえてくる作品でも、未来の光を持っている作品を書いてくれる人を探すのは容易ではありません。ただ、こういった人達は必ず時代の淘汰に流されずに残っていきます。

演奏者がわに、この辺の審美眼を持った人が一人でも多く育たないと、今回の饗宴にしても、毎年の課題曲の選考にしても、改善されるのはかなり困難だとも思います。いつまでも日本の吹奏楽が社会の日の目を浴びれない原因がそこにあります。

とりとめがなくなってきたので最後にひとこと。
私は、某巨大掲示板に書きこんでいらっしゃる方の中にも、極めて機知に富んだ人もいらっしゃることをよく目にします。是非、このNAPP氏の掲示板にいらっしゃってそういった議論をして欲しいと思います。ここで、みんなで審美眼を育てあい、もっと外に向ったムーヴメントが起こしましょう!!

おお、グッドアイデア 投稿者:HIDEっち  投稿日: 3月12日(火)11時47分25秒
》やっぱり開発したときにちゃんと、今までとは全く違った名前をつけてくれればよかったのに。

 アルト・チェルヴェニッシュ・ホルンとか(笑)。

 ワタシも、時間を見つけて、図書館で「ニューグローヴ」読んでみます。あと、件の「ボヘミアの金管楽器工房」(Boehmishe Blecheblassinstrumentenbau だったかな、はっきり思い出せない)も探したいです。

》他の項目にも全くサックスの名前が出てこないので、ちょっとドイツ人気質が名前を出すのを嫌っただけか、とも思えてしまったりして。

 あはは、そうかも知れないですね。本家はこっちだっていう具合に。

 ともすれば、「松竹庵はうどん屋か?そば屋か?カレーライスもあるぞ」みたいになりがちな問題なので、文献、資料に基づいた学術研究が欠かせないでしょうね。特にボア比率等は、定義づけてきちっと守られたものばかりとは限らないですからね。

 うどんみたいなそばとか、そばみたいなうどんとか、終いにはうどんみたいなラーメンとか・・・(笑) それでも、「うどん」と言われてワタシらが思い浮べるものがありますし、「そば」と言われてワタシらが思い浮べるものもあります。そして、「うどん」と「そば」は違うということを、常識的に知ってますよね。そして、小麦粉を練って細長くした食べ物が、海外にウンジャリあることも知っているわけです。まぁ、そんな風に、他国の楽器を受入れられたらいいんじゃないかな、と思ってます。一般の人には「ラッパ」で事足りてしまうのですが(笑)。

http://homepage2.nifty.com/euphstudy/euph.html


もう一言 投稿者:ちんぴら指揮者  投稿日: 3月12日(火)09時00分11秒
>作曲家にとって、完成した作品が演奏されないことほど納得いかないことはないですよ。
そうでしょ?まるで「何か料理作ってよ。いつ食べるかわからんけど」って言ってるのと同じですよ。
ある作曲家の方が書きかけの作品があると聞き、今では勤務先の学校を辞めた身なのでどこで演奏して貰えるか解らないとおっしゃるので、もし宛が無いなら僕にさせませんか?
是非完成させましょうよとお願いし、金は無いけど精一杯の愛情を持って接する事だけは約束しますとくどいております。
やる気はあっても金がないBANDの立場で言うと腹立たしいんですよ。そう言う話って。
いつ演奏するかくらいは当初から決めて、やると決めたら意地でも実行しろってとこですわ。

すいません柄にもなく熱くなっちゃいました。
渡部先生お元気ですか?ご無沙汰してま〜す。

http://www2.odn.ne.jp/~cau62570/


re:スノーホワイト 投稿者:NAPP  投稿日: 3月12日(火)03時25分44秒
 大体の成立背景と題材は分かりました。なるほど、今後がどうなるか難しいところですね。あの高校でしたら大抵の曲は演奏可能だと思うのですが、よっぽど難しいのでしょうかね。だとしたらなおさら聴いてみたい。まぁ、色々な事情もあるのでしょうが。
 作曲家にとって、完成した作品が演奏されないことほど納得いかないことはないですよ。別に委嘱料さえ払えばいいってもんじゃない。ぜひ音にしてみたいものですね。

 #大学の知人に頼まれて楽譜を作ってあげても、演奏した録音を持って
  こない奴がたまにいる。私はこういった輩が一番キライ


 響宴追記。
 今回では自衛隊所属の人の作品というのが目立ちましたね。明治の頃から軍楽隊は密かに(?)多くの作曲家を輩出してきたところ。現在でもその脈流は受け続けられているのだな、というのは感慨深いものでしたし、新鮮な発見でありました。

 メールで問い合わせが来るのですが、某巨大掲示板で響宴に関して私がコメントしたことは一切ありません。いやいや、似たような感想を持つ人はいるもんですな。決定的に違うのは、私には阿部作品のよさが全く分からなかったことぐらいですか。いやいや、これは主観的な意見ですが。


>ちんぴら指揮者さん
 そうそう。以前口を滑らせたマーチですが、頼まれた曲のほうを自主作曲より優先した結果、今回はオクラ入り、ということで。まぁ、頭のなかにあっただけで書きはじめてないから田村作品と違ってあんまり痛くないのですが。(笑) 一両日中で今のやつのパート譜はあがるけど、次の曲(オケ。卒業作品)の〆切りを考えるともう無理です。論文や他の頼まれ仕事を計算にいれると再び自主作曲が出来るのは来年の三月以降。残念でした。

>スノーホワイト? 投稿者:ちんぴら指揮者  投稿日: 3月11日(月)23時15分41秒
委嘱して、既に完成して、それでいて演奏するかどうか解らないんですか?
何て勿体ない!
新作と付き合う際に必要なのは”情熱”のみと思ってますがねぇ・・・
繰り返しますが・・・勿体ない・・・やる気あるんかいな・・・
「遮光」が完成した時はそりゃもうウキウキドキドキどころじゃなかったっすよ。

失礼しました。。

http://www2.odn.ne.jp/~cau62570/


スノーホワイトについて 投稿者:渡部謙一(わたなべけんいち)  投稿日: 3月11日(月)19時07分20秒
これは、某有名高校が委嘱した吹奏楽作品です。
題の意味するところはもちろん「白雪姫」です。
昨年6月に出来たものです。
希望的には今年その高校に演奏して欲しいのですが…。はたして・・。

追記 投稿者:プロメテウス  投稿日: 3月11日(月)17時35分29秒
GOOGLEで、「スノーホワイト 女」と検索すると出てきます。

http://www.google.com


スノーホワイト 投稿者:プロメテウス  投稿日: 3月11日(月)17時33分25秒
可能性として、一番に考えられるのは、「白雪姫」では。
確か、同名の映画があったと記憶しています。
独特で、ファンタジー性を省いた白雪姫として、注目を浴びました。

そして、何よりも、「女性」ですし・・・。(汗)

田村作品、について 投稿者:渡部謙一(わたなべけんいち)  投稿日: 3月11日(月)10時20分03秒
>これまでの田村作品のなかでは「饗応婦人」に近い、かな。

というより「アルプスの少女」の姉妹作品です。
グリッサンドや自然倍音等、共通の技法が数多く含まれています。

田村作品が一番良かった、という声は子の掲示板以外でも耳にしました。
ここで他の人達の作品について私が批評・言及すると問題がありそうなのでやめますが、「シャルロット」で今回の響宴を聞いた人達に、より良い作品を見極める審美眼を養わせる、もしくは審美眼の種を植え付けさせることができたと、私は感じています。(真島さんの作品とは好対照だったとも思いますし)

次の響宴でまた田村作品が演奏されるか、というと、技術的にたぶん難しいだろうと思っています。やはりプロかプロに相当する団体に演奏されることを望みたいと思います。

Snow Whiteは、・・・、あの作品のことですよね?(違ったかな)
公表していいのかどうか聞いてみます。当人に

響宴雑感 投稿者:NAPP  投稿日: 3月11日(月)02時29分01秒
 私も響宴聴きました。演奏に関しては陸自以外はアマチュアの演奏ということで、この場で善し悪しを書くのはフェアではないと思うので私からは多くは触れません。まぁ、普段ベルリンフィルとか聴いている耳からすればたしかに聴き劣りはしましたが、アマチュアであることを考えればがんばっていたと思います。やっぱ、こういう活動は本来プロの仕事ですよ。

 ここからの話は響宴に限定される話ではないですが・・・・・

 日本の吹奏楽オリジナル作品って大雑把に三種類に分けられてしまうと思うんです。一つは「表層的日本主義」のもの。もう一つは「ホモフォニックなもの(複雑な多層構造を持たないもの。ライトクラシックもか?)」。そして「マーチ」。
 この三者にあてはまらず、かつ作品として面白いものが「個性的な」作品と言えるわけですが、はたしてそういう作品がどれほどあるか、というのが悲しくなりますね。こういう作品を書かない作曲家が悪いのか、演奏しようとしない演奏団体が悪いのか。もちろん、分かりやすいものも大事にするのは大切なことなのだけど、もうちょっと幅広くならないものか、と思いました。

 小編成に関しては、どうも小編成「でも」できる、という曲が多くて残念。小編成「だから」できる曲も聴いてみたいですね。弦楽オーケストラと弦楽五重奏における作曲スタンスの違いくらいの意気込みが欲しいと思うのですが。

 同巧異曲のものについてはおいときまして、気になったものについて。
 飯島作品「逍遥」は「枯れ木のある風景」のころのような音響推移が聴けて個人的に嬉しかった作品。あのころの飯島作品はどれもすばらしい。数少ない「音響派」の作品をもっと聴いてみたいですね。
 柳田作品は、オーケストラ・プロジェクトや吹楽で聴かせてくれたようなものを期待していただけにちょっと残念。よくできた普通の曲、といった感が強かったですね。
 田村作品は今回のなかで一番よかった。これまでの田村作品のなかでは「饗応婦人」に近い、かな。各楽器の露出する部分とtuttiの部分、それと間の部分の配分が絶妙。初演したのが高校生、というのもすごい話ではある。ところで「Snow White」って?
 塩川作品は吹奏楽版ラデッキーか?完全な「オリジナル」としてああいった作品はそういえば少なかったので、あそこまでやればアリか。
 天野作品はPAバランスのせいか、tutti奏者とのバランスはおろかカルテット内でのバランスの崩壊があってよく分からなかった。きちんとしたバランスで聴けたらまた違った評価になったかもしれませんね。

 あ、でも私はCD買いますよ(笑)

響宴聴きました、が… 投稿者:蝸牛の旋  投稿日: 3月10日(日)23時52分52秒
数年振りに生吹奏楽を聴きに行きました。日本のバンドの中では比較的レベルの高い団体が会していたと見受けられるのですが、どうも居心地が悪いのはどうしたことでしょう?
合奏あるいは楽音として安心して聴いていられたのは陸自中央(さすがはプロの貫禄か)、そして伊奈学園の小編成に好感が持てたくらいというのが正直な感想です。

楽曲にしても、気になる作品は多少あったけど、既視感を拭えないものが並んでいる印象が強く、少々食傷気味。都合4時間を実際長く感じさせた一因でした。
阿部作品は最初期待したけど長続きしなかった…もう少しコンパクトな方が良かったか。
柳田作品は、吹奏楽的「ありきたり」から一歩抜け出したような個性を感じられて好感触。
田村作品は「女シリーズ」の中ではやや小振り? 高校の委嘱として少々手心を加えたの
でしょうか(にしてもかなり無茶)。でもやはりアイデアと技巧のバランス感覚はさすが。
天野作品は、今回はちょっと編成過多で損をしたかも。SAXセッションとバックが絶えずがなり続けで、コンチェルトの面白みは薄れたような。古典のそれとは距離があるにしても。

後に発売されるCDを買うかと問われると答えに窮します。繰り返し聴きたいと思えたのは「『シャルロット』の演奏」と「真島作品の『演奏』」くらいなので。

P.S. 帰りの電車の中、iPodで聴くマルタンの弦楽作品が妙に染み入りました。

res 投稿者:NAPP  投稿日: 3月10日(日)00時01分40秒
 ちょいと間があいてしまいましてゴメンナサイです。

>サクソルン関係
 HIDEっちさん、画像と解説ありがとうございました。私はプレイヤーではないのでどうしても文献の記述でしか情報を得られないので、実際の楽器に触れたり吹奏感を確かめたりといった、そういう違いの確認が出来ないのがネックなんですよね〜。
 私は、日本での言葉上の分類を調べるためにニューグローヴ日本語版を参照しているのですが、これは古いグローヴを元にしているんですよね。second edition(英語)での記述は大筋での違いはなかったように思うのですが、なにせ斜読みしただけなので細かいところまでは覚えていません。もしかしたらその後に内容が増えているかもしれませんね。余裕があれば見てみたいと思います(でもsecond editionは図書館から持ち出すのが大変なんだよなぁ)。

 さてさて、ここらへんの楽器は「同じ名前だけど全く違う楽器」なのと、「本質的には同じ楽器だけど名前が違う楽器」とがゴッチャになっていっぱいあるのが問題なんですよね。「ヴァルヴかロータリーか」や「3ヴァルヴか4ヴァルヴか」ということでは本当は楽器は区別されないはずなんだけど、これを基準にしちゃってる人もいるし(コレは誤った認識)。はてはて、どこで線引きをするべきか。私はやっぱり「結果として出てきた音色」(すなわちボアの広がりかた)で区別すべきで、「ヴァルヴ/ロータリー」などではない、と考えているのですが・・・・・ でも、ボア比率が同じだからと言っても、今度は「フレンチホルン形」のアルトと「テューバ形」のアルトではいくらボア比率が同じだからと言ってもベルの向きがこれほど違う(音が直で届くのと後ろの反響板を介すのではさすがに、ね)と、さすがに区別すべきなのかな、とも思ったりして頭が痛くなります。(笑)
 ドイツの楽器がはたして独自にフリューゲルホルン属から発展させたものなのか、フランスの楽器を国内で製造しようとしたものなのか、は正直よく分かりません (;^_^A 以前ちょっと書いた、ドイツの吹奏楽教本「Handbuch der Blasmusik」(Schott)のTenorhornの項は「フリューゲルホルンを基にした」というようなことは書いてあるもののサックスやサクソルンの名前はどこにもない。でも、他の項目にも全くサックスの名前が出てこないので、ちょっとドイツ人気質が名前を出すのを嫌っただけか、とも思えてしまったりして。ちなみにこの本では「アルトホルン」はフレンチホルンの形(ベル逆向き)のものが載っています。ここでの英語表記は「horn」。なんて乱暴な(笑)。
 う〜ん。やっぱり開発したときにちゃんと、今までとは全く違った名前をつけてくれればよかったのに。

 むやみに細分化するだけではなく、どこを基準にして楽器を判別するかをまず決めないといけないのかもしれませんね。つい最近でた音楽之友社「音楽中辞典」のサクソルンの項。ユーフォニアムがサクソルンになってる。日本での認知度なんて、まだこんなもん。なんとかしないといけませんね。

 なんだか今回は内容がなかったですね・・・・・


>指輪物語
 私、なんだかんだ言って気に入ってるわけなんですが。(笑)これが最初にはやったころ私は中学生で、狂ったように聴いたもんです。おかげでスラップウィップが好きな変なヤツになってしまいましたが。
 オケ版は弦楽器でしかできないような奏法も取り入れたのもあるともっと面白くなったかもしれないと思ってます。ワガママ言ってよければ二楽章冒頭なんかはオルガンのペダルでも使えればなぁ。
 この曲、吹奏楽の調性ものとしては他の作品よりもかなり出来がいいと思っているので、これを期にもっと再評価されてもいいかもしれませんね。当時はデ=メイにも余裕があったのか、ほとんど聞こえないようなとこまで凝ったことやってるんですよね。1〜4楽章がえらい細かいオーケストレーションなのに対して5楽章の単純明快なこと。(笑) これが逆にとっても効果的。この楽章は技術的にも音楽的にも中学生にはもってこいだと思うんだけどなぁ。
 今手掛けてる仕事があがったら映画も見に行ってみたい。


 明日(今日?)は響宴ですね。私は家から20分あればいけるところに住んでますので、まさか寝坊はしないでしょう(笑)

RE:「指輪物語」オケ盤 投稿者:HIDEっち  投稿日: 3月 7日(木)08時42分23秒
 あうあう・・・ 気に入ってしまってます(笑)。

サクソルン属主流の考え方 投稿者:HIDEっち  投稿日: 3月 7日(木)08時39分35秒
 あ、画像のURLがなかった。ここでし
http://www.linkclub.or.jp/~ende/euph/picture/3rotay.jpg

 さて、チェルヴェニーは、「コールノン」をアップライトにし、チャンネルみたいなヴァルヴを付けた後、狩猟会などで使用する「コルネット一族」を作ったりもします(1860年代後半)。音色の統一を目指した同族楽器というのは、サクスに限らず、サクスの前後に、随分大勢のマイスターが取組んで、試行錯誤ジャカスカ作っていたのかも知れないですね。で、1882年に、「カイザー・バリトン」ってのを作ります。これ、現物(年代まではわかりませんでしたが、100年近く前のものでしょう)を見せて貰いましたが、画像の楽器達と同じく卵形で、サクソルンの円錐形を、さらに徹底したようなつくりです。ヴァルブの1〜4に行くに従って、内径を太くさせているんですね(もっとも、フランスでもこうした試みはされていたようです)。チェルヴェニーはこれをバス楽器にも使ってまして、「皇帝のバス」ということで「カイザー・テューバ」ってのを作って、これは今でもチェルヴェニーの売筋主力商品ですよね(笑)。「カイザー・バリトン」の方も勿論、今もドイツ、チェコの各社で作られていまして、大体「バリトン」より値段が高いです。一見「バリトン」と同型なのですが、先に書いたように、ヴァルヴの内径が、一個一個段階的に太くなっていくわけです。チェルヴェニーは、こうして独自の楽器を作ったわけですが、サクソルンと全く違う楽器を作ったわけではなく、サクスがおそらくそうであったように、チェルヴェニーもまた他の発明を採り入れ、改良発展させていたと考えるべきでしょうね。ボヘミアや各地域の多くの金管楽器製作のマイスター達も。そうした中、おそらくは、イギリス・フランスの影響を受け(また相手に与え)ながら、ロータリーヴァルヴ式の金管一族を、それぞれに作り上げていったのではないかと思うんです。勿論マイスター同士も刺戟を与え合いながら。
 
 今でこそ、サクスの特許である「サクソルン」が、同族金管楽器典型だという風に幅を利かせているので、敢て言うなら、ピストンヴァルヴを頑なに守ったフランス・イギリス式のサクソルン属と、ロータリーヴァルヴを頑なに守ったボヘミア式のいわゆるサクソルン属が存在するわけです。だからといって、ドイツ・オーストリアでは、サクソルン属をロータリーヴァルブ式にした、と言える程単純なものでもないわけですね。ロータリー式のビューグルをEs管や、オクターヴ低いB管にしたものなどが、今も数少ないですが、作られていて、地方によっては現役で使われているそうです。これらのボアを測定すれば、きっと現代のドイツの主流になっている「テノールホルン」「バリトン」とは違っていることでしょう。「サクソルン属」か「○○属」かの、どちらにも当てはめにくい楽器が、今も、ドイツやオーストリア、チェコにはゴロゴロしています。

 これらの楽器を学術的に区分していくのは、今、我々がしているように、その楽器の歴史を、文献や研究資料を通して検証して行くことになる訳ですから、NAPPさんが仰ったように、プレーヤー以外の専門職の方もいて欲しいですよね。食べていけるかどうかは別として(笑)。当然、これらの楽器の製作という面だけではなく、その地でどのような楽器が必要とされていたのか、という民俗学的な分野からのアプローチも必要になってくることでしょうし、職人気質というか、マイスター達の仕事や伝統に対するスタンスの違いも、絡んでくることでしょう。企業体質という経済・経営史的アプローチも必要でしょうね。調べているのは一つの楽器でも、そこから実はもっと広い世界を眺めなくてはならない訳ですね。本当に時間が掛って大変なのですが、ワタシは面白いなぁ、と思っています。朝に道を聞かば・・・ ってね(うそうそ、そこまで思ってないです(笑))。

参考画像&アルト雑感 投稿者:HIDEっち  投稿日: 3月 7日(木)08時15分20秒
 ワタシが持っていた、ロータリー系の「テノールホルン(旧東ドイツ製)」「アルトホルン(旧ソヴィエト製)」「バリトン(旧西ドイツ製)」の3ショットです(120KBくらい)。ドイツ、オーストリア、ソヴィエトの現代サクソルンは、こんな感じです。宜しかったらご覧になって下さい。

 チェルヴェニーでは、1844年に「コールノン」という、ベインズの記述から推測するに、ボアの大きいホルン型の楽器(ヴァルヴがなく、クルークのみ)を作ったとのこと。チェルヴェニーは、後にこれを騎兵が演奏しやすいようにアップライト型にして、ロータリー式のチャンネルみたいなヴァルヴを付け、別の音程のクルークに切替えられるようにした(ヴァルヴは1846年の図面が残ってる)そうです。これがどんな形か、非常に興味があります。卵形であれば、これが画像にある「アルトホルン」の元祖かも知れません。

 さて、こっからが難しいところ(笑)。アメリカの「メロフォン」等の元祖の話となります。もともとのヴァルヴなしだったチェルヴェニーの「コールノン」が、フランスのベッソンと、イギリスのディスティンに採り入れられます。前者は1860年頃B♭クルークで、後者がE♭のクルーク。これが「テナー・コール」という楽器です。この時点で、テナーと名の付いた、ヴァルヴなしのB♭とE♭のホルン型(ただしボアが大きく、マウスピースも円錐形)のテナーと名の付く楽器が、もう出ちゃったわけです。サクソルン属とは別に! で、E♭クルークの方は、やがてヴァルヴ(おそらくピストン)が付き、右手、又は左手で演奏出来るように設計され、これがフランスでは「コール・アルト」、ポルトガルでは「クラヴィコルノ」、イタリアで「ジェニス・コルノ」、アメリカで「メロフォン」、一応ドイツにもあって「アルト・コルノ」となったそうです。
 
 そうすると、画像にあるような「アルトホルン」と、アメリカの「メロフォン」とは、ヴァルヴのない状態では、もともとは同じような楽器だったわけです。アップライト型発展と、ホルン型発展の違いが、現在の形に至る原因の一つだとも考えられるかと思います。ドイツやチェコのメーカーのカタログを見ると、今はどちらも「アルトホルン」や「Es−ホルン」となってしまっていますが。
 
 これとは別に、サクソルン属の「後のアルトE♭」や、ロータリービューグルの「アルトホルン」なども、あるわけですから。ホント、今もどれがどれやら判りにくいのですね。

「指輪物語」オケ盤 投稿者:Rにみにみ  投稿日: 3月 6日(水)12時25分24秒
#今なら「次回入荷未定」の煽り付きで新宿タワーに並んでいるようですが

「反則だよなぁ」とにやにや笑う程度に好きな演奏ですね<どんな程度やねん
惜しむらくは「ソプラノサックスのソロがそのまま」。バズーンあたりにやらせればそれはそれでおもしろかったのに。

 サックス奏者はソプラノ/テナー持ち替えですかね。テナーが地味においしい。

http://member.nifty.ne.jp/nimi/


とり急ぎ 投稿者:NAPP  投稿日: 3月 5日(火)19時22分19秒
 バンドジャーナルに書かれていたので公になったんでしょうね。
 原博氏が2月13日に亡くなったそうです。課題曲3をやる団体は遺作の演奏、がんばってください(と、プレッシャー)。

 サクソルン関係の続きはまた次の書き込みで。

ホントだ、大変だ(笑) その2 投稿者:HIDEっち  投稿日: 3月 5日(火)13時36分24秒
 サクソルンの最初の楽器は1843年に製作され、1845年に特許が取れたそうですね(この出典は、「金管楽器とその歴史」アンソニー・ベインズ著、福井一訳、音楽之友社刊からです)。今でこそ「サクソルン属」という楽器の一族がこの時に確立したかのように思われがちですが、実際この時代、サクス自身があちこちからアイデアを頂戴したように、サクスのアイデアも相当に頂戴されていたに違いないと思います。サクスが訴訟でガンガンやられて力を失った頃には、様々なメーカーで「サクソルン属」が作られ、サクスが意図していた楽器とは違うサクソルンが、おびただしい数で作られたと聞きます。そしてそれらになんと「テューバ」「ボンバルドン」の名称が付けられていたとか。
 
 フランスの楽器は主にイギリスに輸出されていたようですが、1849年頃のイギリスのカタログ(これも前述の本にあるのですが)を見ますと、英語名がつけられているとは言え、もう混沌もいいトコで、ワタシが思い描いていたサクソルンという合理的な金管楽器の一族とは思えなくなるほどです(このあたりは、バスの改良ということで、NAPPさんも書かれていますね)。楽器名の混沌はこの頃からあったんですね。つまりは、楽器のシステムやメーカーの差違だけではなく、翻訳も一枚噛んでしまった、と。
 
 どうも、サクスは、今のサクソルンの表記とはちょっとずれた楽器名を付けていたみたいです。

ソプラノ − 今のE♭フリューゲルホーン(と言ってもあんまり見ない)
アルト  − 今のB♭フリーゲルホーン
テナー  − 今のE♭テナー(アルト)ホーン
バリトン − 今のB♭バリトンホーン
バス   − 今のCバス(小バス)? 不明確
コントラバスE♭ − 今のE♭バス(エスバス)
コントラバスB♭ − 今のB♭バス(ベーバス)

 トランペットのようなフォームの楽器はバリトンまであり、テューバフォームの楽器はソプラノからコントラバスまであったそうです。これらがイギリスで販売された時、テューバフォームの楽器は、「サクソルン・テナー」とかではなく「テナー・テューバ」という風に、「テューバ」の名がつきました(ディスティンのカタログにもバッチリ)。しかも、このディスティンのカタログには、「EUPHONIUM」という楽器もあって、それはコントラバスE♭のボアを、もっと太くしたものなんです、コレが!(当然E♭管) そして、NAPPさんがご指摘の通り、低い方の楽器が、モリッツらが製作したドイツのテューバに近い雰囲気の形をしてます。この辺り、きっちりボアサイズなど測れたら、面白いですね。

 そこで、バスは、管の巻き方はバリトンより上の楽器に近いんですが、ボアやベルの開きなんかが、コントラバスに近いように見えるんですね(絵なので、どこまで信用に足るか、判りませんが)。今まで自分が聞いてきたことと随分違うので、どう考えたらいいのか、楽しみなのですが(と思ってから、何年経ったことか・・・)。ちなみに、この頃にはもう、左サイドに楽器と直角に出たピストンがあり、それを左手で操作するというスタイルになっていました(ドイツのロータリー式の楽器には、とうとうこれは採用されませんでしたが)。この時のテナーは、後にアルトと呼ばれるようになったそうです。元々のアルトは、実際の所、ビューグルやコルネットに座を譲ったのかも知れないですね。
 
 ドイツの場合、フリューゲルホルンやモリッツのFテューバを元にした上で、結局はサクソルンのいいところも採り入れて、アルトE♭、テノールB♭、バリトンB♭、バスE♭、バスB♭という、段取に落着いて行ったのではないかな、と思います。ホントに、この辺は、定かではないそうです。とにかく、職人のアイデア次第で、ジャカスカ楽器が作られたということだけは事実とのことです(笑)。特に、ボヘミアの独創的で熱心な楽器職人の影響が強いらしいです。そういえば、ドイツのオークションで、ボヘミアの楽器についての本が出品されてました。高いので、見送りましたが(笑)。これ読むと、ドイツの事情がもう少し見えてくるかも知れないですね。
 
 アメリカの場合は、さらに、肩に背負い込むサクソルン一族を作ってます。ソプラノE♭は変りませんが、上から順に、アルトE♭、テナーB♭、バリトンB♭、バスE♭って具合です(1861年製クレメン&ブラザー社の楽器による)。間のあいちゃってるB♭の所は、コルネットやトランペットを使っていたみたいです。

http://homepage2.nifty.com/euphstudy/euph.html


ホントだ、大変だ(笑) その1 投稿者:HIDEっち  投稿日: 3月 5日(火)13時26分43秒
 いっぺんに考えると混乱しますね(笑)。

 まず、

》『ドイツでもフランスやイギリスと同様に、バンドで使用される2種類のBb管の楽器をボアや機能で区別しているが、発達の経緯が全く異なり、ボアの太い楽器を「バリトン」、ボアが細いほうを「テノールホルン」と呼んでいる』

 という文章を、NAPPさんはニューグローヴの文脈上で、「ドイツのテノールホルンはサクソルン属として成立・発達」し「ドイツのバリトンはテューバ属として成立・発達」した、という風に捉えたということですね。そうなると、ここは、一つ、ニューグローヴでワタシ自身が確かめるのが、一番いいようですね。ドイツの「テノールホルン」と「バリトン」の発達の経緯が、ニューグローヴには記述されているかも知れません。それぞれの発達の経緯が明らかにされて、初めてニューグローブの記述が納得しうるものになるのではないかと思いました。或は、その発達の経緯についての記述がニューグローブにはないとしたら、ちょっと不親切な表現のような気がします。
 
 というのも、ドイツの「テノールホルン」と「バリトン」を見る限り、それぞれが発達の経緯の違う楽器だとは思えないんですよ。う〜、もしかして現場にいるが故の囚われというものか!? これをどう考えたらいいのかと、目下悩んでいます(一応寝ますけれど)。フランスやイギリスの楽器は、よく似ている(というか、同じ工場で作っていたようです。実はこの辺を研究中(笑))のですが、ドイツでは、ヴァルヴシステム以外にも、他国の楽器とは外観が大きく異なっていますね。この大きな違いをさて置いて、いずれも同じドイツに存在する「テノールホルン」と「バリトン」の差違を、ニューグローヴではそんなに大きく論うのだろうかという疑問が、ワタシには直感としてあります。これは、ワタシの直感ですから、まだ裏付けがありません。でも、直感に基づいて、安心しないで、資料に基づいて様々な裏付けをしていくことが、考えるということの要でしょうからね!(笑)
 
 「ドイツのテノールホルンや、バリトンは、フランスやイギリスの楽器とは、全く異なる発達をしていった」ということであれば、テノールホルンやバリトンの違いが論じられていなくても、「ふむふむ、どんな風に発達していったんだ? フランスやイギリスの楽器とはどう異なる発達をして行ったんだ?」と、スムーズに行けるのではないかと思うのです。ましてや、NAPPさんのご紹介に拠れば、サクソルンのバスやソプラノが、サクソルン属とは違う属の方向に発達し、結果区別をつけ難くなってしまったというようなはっきりした経緯が記述されている(らしい)。にも関わらず、「この処置によってグループ内の音色の統一性は多少失われた」という程度のニュアンスでしか記述されていないとしたら、ちょっとバランスが悪いような気もします。それとも、ホントは「テノールホルン」と「バリトン」に重大な相違があるにも関わらず、ニューグローヴが、「ちょっとは自分で考えろ」とばかりに、疑問を残すように仕向けたのか!? う〜、気になる。やっぱり文献は自分で繙かなくてはいけませんね(笑)。

http://homepage2.nifty.com/euphstudy/euph.html


あらら 投稿者:NAPP  投稿日: 3月 4日(月)22時47分36秒
ちょいと訂正です。

> しかし、これだけでは終わらないヤヤコシイ話。実はドイツには
>「Altohorn」という名称の楽器がサクソルン属成立の以前にも別に
>存在した。それは1850年代にチェルヴェニーが作った楽器。でも
>詳細がまだ判明していない。

 サックスがサクソルン属を作ったのが1845年ですのでチェルヴェニーが作ったころにはサクソルン属はあったんですね。でも、チェルヴェニーが作ったのは「卵形」の楽器でして、それ以前に他の形(トランペット形やテューバ形)の「Altohorn」存在していたみたいです。この楽器はサクソルン属にもテューバ属にも属さない独自のもので、Es管の他にB管のものも存在したそうです。
 もっとも、この楽器はビューグル式の内管を持っているので、現代においてはsaxhorn altoで吹き替えて問題ないはず。

大変だ(笑) 投稿者:NAPP  投稿日: 3月 4日(月)22時24分10秒
 私の理解にも独学的なところがあるので、この際、もう一度議論できるのは嬉しいですね。HIDEっちさん、眠れる程度で構いませんのでお相手願えますか?(笑)

>ああいう団体に、プレーヤー以外の分野の人が一杯入って、アカデミック
>な議論が繰広げられて、紀要なんかが世界各国語で年に数回出されたり
>なんかしたら

 私にはどうしても、プレイヤーの人や楽器会社の人は自分達の現場での常識をグローバルなものだと思ってしまう傾向にあるように思えてしかたないんです。「うちではこうやってる」とか「こう言われてきた」とかで、学術的な裏付けが希薄というか。自分の活動に誇りを持つのはとてもすばらしいことだけど、国が違えば習慣が違うということもありえることにあまり意識を払わないというか。特にテューバ/サクソルンの成立にはドイツとフランスの楽器製作者の対立、というややこしい背景もあることだし。
 だからこそ、外部から客観的に、他の分野の知識と突き合わせることのできる音楽学者など第三者の参画は絶対必要だと思うんですが。協会も協会だけど、興味を持ってくれる学者さんも少ないのが残念。クルト・ザックス(アドルフ・サックスとは別人)の本はとても素晴らしい楽器学の本だけれど、この問題については深く突っ込まれていないのが残念。


>「発達の経緯が全く異なり」

 文脈からは、私はこれを「サクソルン属とテューバ属の成立・発達の違い」だと解釈しています。私はニューグローヴを、サクソルン属とテューバ属の違いについて言及した、実用書ではない数少ない学術書だと思っているので一番信用しています。辞書なので項目が分散しているのが難点といえば難点だけど(笑)


>サクソルンの場合もバリトンだけではなく、バスという、ボアの違う楽器が
>存在します。それとの関係はあったのか、なかったのか。

 はいはい。これもニューグローヴで確認しています(わたしゃコレばっかだな)。サクソルンの項では次のような説明があります。ベラボウに長いので私なりに要約しますね。
 『サクソルンのボアは開口部に向かって徐々に太くなり、先端部で急に広がる。その割合はフランス型のビューグルと同じであることが多い。ボアはテューバのグループのそれに比べると小さい。しかし、楽器が発表されてまもなく、(発音システム上の改良の必要性から)大型のサクソルンのボアを広げて低音域を改良している。この処置によってグループ内の音色の統一性は多少失われた。』
 これに他の項目の解説を踏まえて補足。サクソルン属というのはbugle属(flugelhorn属にほぼ同じ)が自由に音階を吹奏できるようにするために当時搭載していた木管楽器のキーシステム(これが有鍵ビューグル)の代わりに、アドルフ・サックスが「ベルリナープンペン」というヴィルヘルム・ヴィープレヒト(テューバ属の開発者の一人)が開発したヴァルブシステムを無断で搭載させたもの(この二点により「サクソルンは発明ではない」という非難が当時からなされていた)。結果、ソプラノ以上のサクソルンはビューグル(フリューゲルホルン)とほぼ同一の楽器にすぎず、だから「ディオニソスの祭」などではサクソルンファミリーにビューグルが当てられている。また、ボアを拡大した低音サクソルン(おそらくバス以下)では結果として音色はテューバ属のそれに非常に近いものとなってしまい、現代においてボンバルトン(Es叉はF管テューバの俗称)以下のテューバ属との区別を厳密に行う必要のない理由の一つとなっている。
 ということで、明らかに他の楽器と音色の異なるサクソルン属は、アルト(Es管)とバリトン(B管)の二種類のみ、ということでいいと思うのですが、いかがでしょう。
 記譜上では移調で記譜する(ヘ音譜表でさえも)のがサクソルン属で、実音で記譜するのがテューバ属、というのもあるみたいだけど、ブラスバンド(英国式金管バンド)や最近のヨーロッパ編成ではこの限りではないしなぁ。


 ところで、私にはよく分からないことが一点。それは「サクソルン テナー」について。アルトがEs管で、ユーフォニアムと同じ音域であるバリトン(B管)の完全4度上の楽器ですよね。テナーはこの二種類の楽器の中間になければ名前的におかしいわけですが、これはB管楽器。つまりテナーとバリトンは同じ基音の楽器ということに。記譜上の違いはあるけれど(テナーがト音記号でバリトンがヘ音記号。ただしブラスバンドではこの限りではない)、一体どう違う楽器なんでしょう?

 「アルト」に関してはさらにややこしい話が。これは誤解を招きやすいことなのでこの機会に整理してみましょう。日本で「アルト・ホルン」(俗称「アルト」)と呼ぶEs管のサクソルン属の楽器はフランスでは「saxhorn alto」または「bugle alto」。ドイツでは「Altohorn」。イタリアではなぜかflicornoではなく「genis」。問題はここから。アメリカでは「alto horn」(ドイツとの書式の違いに留意)。しかしイギリスでは「tenor horn」。同じ楽器なのに「アルト」でもあり「テナー」でもある。特にブラスバンド(英国式金管バンド)が注目を集めはじめたここ最近では混乱してる人がいそう。ブラスバンドでは「E♭ Horn」と書くことも多いし。
 しかし、これだけでは終わらないヤヤコシイ話。実はドイツには「Altohorn」という名称の楽器がサクソルン属成立の以前にも別に存在した。それは1850年代にチェルヴェニーが作った楽器。でも詳細がまだ判明していない。
 さらにアメリカでメロフォーン(mellophone)と呼ばれるF又はEs管の楽器。外見としては普通のホルンに似ていてベルの向きが逆になっているやつですね。一応、ニューグローヴにおける日本での学術用語としては、これ、「テナー・コール」です。英語では「tenor cor」。corがホルンの略号であるcor.と似ているために「テナーホルン」(イギリスでの「saxhorn alto」)と勘違いしている人が管が同じこともあってか案外多い。さらに輪をかけてイタリアでは「genis corno」と、完全にcorno(ホルン)。さらに、フランスでは「cor alto」となっていて、ここでも「テナー」と「アルト」の同居が。でも、そもそもメロフォーンは1860年頃にフランスでベソンが開発したものだから、本来は「アルト・コール」が正しい?


 ここらへんはもう少し議論が進んだら、文章で書くよりも一覧表にしたほうがよさそうですね。今回はサクソトロンバとワーグナーテューバには触れませんでしたが、この絡みも御希望ですか?

たびたびごめんなさい 投稿者:HIDEっち  投稿日: 3月 2日(土)02時10分40秒
 ハテ、「発達の経緯が全く異なり」とは、「テノールホルン」と「バリトン」との発達の経緯が全く異なるということではなく、「ドイツ」と「フランスやイギリス」との発達の経緯が全く異なるという意味ではないでしょうか?

そうそう 投稿者:HIDEっち  投稿日: 3月 2日(土)02時05分25秒
》『ドイツでもフランスやイギリスと同様に、バンドで使用される2種類のBb管の楽器をボアや機能で区別しているが、発達の経緯が全く異なり、ボアの太い楽器を「バリトン」、ボアが細いほうを「テノールホルン」と呼んでいる』

 この部分は、ちょっと興味あります。この「発達の経緯が全く異なり」というところ、詳しく書いてあるような文献を探したいと思います。サクソルンの場合もバリトンだけではなく、バスという、ボアの違う楽器が存在します。それとの関係はあったのか、なかったのか。ちょっと考えて行きたいです。

ユーフォ 投稿者:HIDEっち  投稿日: 3月 2日(土)01時59分43秒
 NAPP さんのお話、面白いです。

 ワタシはユーフォ吹きですから、どうしてこんなに各国に形の違う(音も微妙に違う)楽器があるのかと考えると、夜も寝られなくなっちゃう(笑)。これらをきちんと現実に即して区分けするのは、それぞれの楽器が今の形に至った(これからも変化していくでしょうが)運命を、そのまま個性として受入れたいからなんですね。定義づけたいからではないんです(ワタシの場合)。折角、ユーフォ吹いてる人が、違う音色や形に好奇心を働かせて、ロータリーの楽器に興味を持ったり、フランス式の楽器に興味を持ったりしはじめているわけですから、それぞれの名称も含めた個性をもっと見て欲しいということを、いつも思ってるんですね。

 幸いインターネットの発達により、各国のメーカーのページに行くことが出来るようになってきています(以前は、辞書引きながら外国に手紙を書いて、カタログを送って貰ったりした(笑))。ただ、情報が得られやすくなればなるほど、信ずべき情報かどうかを見抜く力が必要になってきますね。その意味でも、

》本当はテューバ協会の定義に従うべきなんでしょうが・・・・・

 テューバ協会で、こういう論争がケンケンガクガクされているかと考えると・・・ プレーヤーが多いでしょうからね。それこそ現場の勝ちになってしまいます。そりゃ、弟子の「先生、この楽器なんですか」という問いに、○○先生が「ああ、あれはテナーテューバだよ」とか言えば、それだけでまかり通っちゃいます。そうじゃなくて、「いやぁ、君、この楽器はネェ、そんな簡単なものじゃないんだよ」と、弟子も巻込んで研究しちゃうなんてことになれば、もっと違った役割を担える人も出てくるのじゃないかと思うんですよ。ああいう団体に、プレーヤー以外の分野の人が一杯入って、アカデミックな議論が繰広げられて、紀要なんかが世界各国語で年に数回出されたりなんかしたら、いままで見落されてきたこと(我流でことをすませてきたこと)についても、一応のたたき台になるものが生れてくるようにも思います。勿論、時間はうんと掛るでしょうけれども。そうなれば、そこから一般の音楽史の研究者と切った張ったの論争になってきて、面白くなるんじゃないかと(笑)。

 うははは、勝手なこと言ってますね。

http://homepage2.nifty.com/euphstudy/euph.html


ヨハン・デ・メイ「指輪物語」 投稿者:NAPP  投稿日: 3月 1日(金)23時41分24秒
 別に映画に便乗するわけではないですけど(笑)

 オケ版のCDを聴いてみました。かねてから「吹奏楽作品をオーケストラに編曲してみる」ということに興味があったものですから。
 う〜ん、もうちょっとオーケストレーションを変えてほしかったなぁ(苦笑)。ちょっと原曲を大事にしすぎたんじゃないかと思います。ユーフォとサックスと細かいフレーズと木管コラールを弦に置き換えただけでしょ?中音域にほとんどの楽器が集中している吹奏楽と違って、全音域(特に上の方)に圧倒的なディナミクスレンジを持つのが弦の特徴なんだから、音域設定自体をいじるのも必要だったんじゃないかなぁ(五楽章のアレンジはそういう意味ではよく出来ていた)。結局金管に消されている部分が多々。重ねるんじゃなくて挟まなきゃ。 印象に残ったのは、あのワーグナーみたいな音型はやっぱり弦なのね、ということかな(笑)。
 でも全体として、とても面白い比較材料になると思います。オケ版のスコア、販売してくれないかなぁ。定番ものばっかやってるアマチュアオケにも、ちょっと挑戦してもらいたいかも。
 カップリングがデュカ(ス)の「魔法使いの弟子」なのに、ちょっと悪意のようなものを感じるのは私だけでしょうか。

 おまけ。ナレーション付のCDは・・・・・ とりあえずトラックは分けてほしかったかも。

re:Euph.関連 投稿者:NAPP  投稿日: 3月 1日(金)23時37分37秒
 Tuba属・Saxhorn属他の定義に関する議論はいつも結論が出ないんですよね(苦笑)。難しい。
 どうしてこういう風に未整理のまま様々な場(地域的にもジャンル的にもスタイル的にも)でそれぞれの独自ルールで使われるようになってしまったのか。まずそこから考えないと、現在の現場での状況から定義しようとしても無駄ですね。一応、私は国などによって定義の異なる「楽器会社」の定義ではなく、ニューグローヴでの定義に従っています。本当はテューバ協会の定義に従うべきなんでしょうが・・・・・ ちなみに、多くの作曲家が参照する伊福部「管絃楽法」での定義は誤りとは言わないものの不充分です(ヴィープレヒトからの視点が欠落している)。

 まず、以前も書きましたが、
1、サックスもヴィープレヒトも現場主義の人であったこと
2、サックスの「発明」は限り無く「盗用」に近かったこと
3、その後の採用したバンドの影響力(サックスの売り込みのうまさ)

 あとは、通常の「クラシックの」音楽作品で普通に使われるのが非常に稀であるために、研究の対象にはほとんどされてこなかったこと。そもそもこれらの楽器が登用される場は定義や理論よりもまず実践が求められる「現場」だったのですから。
 では、なぜオーケストラでは楽器の選択が厳密ではないのか。言いかえれば、オーケストラにおいてテューバ属の楽器を使用するのかサクソルン属を使うのかに曖昧さが許容されているのはなぜか。オケの場合が吹奏楽の場合よりも厳密である必要がないのは、私は比較対象があるかどうかの問題だと考えています。吹奏楽の場合は発音システムや楽器の構造が近似の楽器が多数あるため、テューバ属とサクソルン属の音色の差は目立ちやすい。これに対し、オケの場合は基本的に弦楽器との対比であるし管楽器の数も少ない。だからそんなに微妙な違いにはこだわる必要もそれほどなかったのではないかと思います。(弦楽合奏においてヴィオール属とヴァイオリン属の違いは顕著だけど、仮に吹奏楽に1挺だけ入れるのだったらどっちでも大して変わらないのと同じ) 本当は厳密に指定楽器を遵守するのは大事なことなのですけど、作曲家が本当に各種の楽器の違いを正確に把握して書き分けていたのか、というのもかなり疑問なんですよね。大事なのは楽器名だけから判断するのではなく、その作曲家の周辺事情からどの楽器を想定していたのかを推測することなのでしょうね。

 次。なぜ日本で名称の混乱が起こっているか。いわゆるユーフォニアムの音域を担当する金管低音楽器については私は次のように考えています(楽器の名称および分類はニューグローヴによる)。まず、確認ですがフランスでサックスが名付けたSaxhorn属の楽器は「saxhorn baryton (= barytone en sib。小文字で始まる)」ですね。この楽器の英語表記は「baritone」(「i」なのに注目)。これに対し、ドイツの場合はちょっと複雑。ニューグローヴで「バリトン」の項を見ると『ドイツでもフランスやイギリスと同様に、バンドで使用される2種類のBb管の楽器をボアや機能で区別しているが、発達の経緯が全く異なり、ボアの太い楽器を「バリトン」、ボアが細いほうを「テノールホルン」と呼んでいる』とあります。つまり、テューバ属の楽器(Euphonium)を「Baryton」(大文字で始まり「y」)と書き、サクソルン属の楽器を「Tenorhorn」と書く。
 ところが、日本では陸軍軍楽隊ではフランス式表記を使い、海軍軍楽隊ではイギリス式を経て最終的にはドイツ式を使う、ということが同時に行われる。でも、文献掲載の資料で分かる通り、当時はカタカナで記録していたんですね。と、ここで陸軍の「バリトン」はサクソルン属で海軍の「バリトン」はテューバ属、という食い違いが生じてしまう。んで、終戦で軍楽隊が解散すると、この「二種類の定義」がごっちゃになったまま広がってしまったのではないか、と。

 大体、そもそもは管楽器の総称に近い意味で使われていた「corno」(horn)と「tuba」という名称を新しい(?)楽器に流用したのがまずかった。 思い出すのは聖書の「最後の審判」で吹き鳴らされる楽器。日本では喇叭。だからトランペットのイメージが強いですね。これに対しドイツでルターがドイツ語訳した聖書では「Posaune」。だからブラームス「ドイツレクイエム」では合唱がその部分を歌うときにトロンボーンが高らかに鳴ります。でも、ラテン語の該当箇所を見ると「tuba」って書いてあるんです。こうなると、もう楽器の名称だけで元がなんだったのかは判別するのは愚かですよね。(遠回しな言い方だけど何が言いたいかは分かりますよね?)

 あと、この問題を考える時にいつも疑問なのがイタリアのケース。どんな文献でもサクソルン属もテューバ属も全部「flicorno」。イタリアって、そういえば今も昔もあまり吹奏楽の話を聞いたことがない。せいぜいロッシーニの1曲くらい?どうなってるんでしょ?

(無題) 投稿者:HIDEっち  投稿日: 3月 1日(金)03時27分23秒
 渡部さん、初めまして!

》カイザー・テューバ

 これについては、ウチのHPにも書こうと思っていました。おそらくは、カイザーモデルの楽器なのだろうと思います。ロータリーのボアが、1番から3番(4番)まで、段階的に太くなって行く仕組です。つい先頃3ヴァルヴのバリトンを購入しましたが、正にこのシステムでした(まだHPにはアップしていません)。

》ギャルドがフレンチ・サクソルン・バスの代わりにウィルソンのユーフォを試したりする世の中になりつつあります。

 昨年、ワタシも聽きに行きました。ホント、サクソルンバスとユーフォニアムの両方を使っていましたね。HPの「ユーフォニアム徒然草」に、これについて書きましたので、もし宜しかったらご覧になって下さいませ。

》私も9月にさる気鋭の現代作曲家の演奏会に独奏者としてでますから。

 おお〜っ! それは楽しみです。詳しいことが決りましたら、是非教えてくださいね。

http://homepage2.nifty.com/euphstudy/euph.html