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吹奏楽とは?(2) 投稿者:梶木隆一
投稿日:07月21日(水)21時31分29秒 ご回答ありがとうございます。
議論の種となるよう、揚げ足を取るような言い方もすることをご了承ください。
>金管楽器と木管楽器の混在
最近カメラータからCDが発売されたウィーンフィル団員によるアンサンブル"11"
(木管五重奏+金管五重奏+打楽器)のような編成は、この条件に関して言えば吹奏楽。
>人数が規定されているか規定されていないか
たとえば、アメリカン・ウィンド・シンフォニー・オーケストラの委嘱で書かれた数々の作品は、事実上人数が規定(1パート1人)されていると考えていいと思いますが、そうすると前述の黛作品は「弦抜きオーケストラ」。
(譜面に明記されているかどうかは意味がないと思います。手元のオケ曲の
スコアを見ても「1番クラリネットは1人」とはどこにも書かれていませんから。)
ベルリオーズの「葬送と勝利の大交響曲」もフローラン・シュミットの
「ディオニソスの祭り」も、それぞれの楽器に人数が規定されています。
現状に照らしてみると、その規定を守る(守ろうとする)のが管弦楽"団"、守らないのは吹奏楽"団"、
という判断は正しいかもしれませんね。
>自分の中でも考えがまとまってないのがバレバレ。少し時間下さい。
こうした議論の中で少しでも正解らしきものが出てくることを期待して…
今日はすごい嵐でした 投稿者:NAPP
投稿日:07月21日(水)21時10分01秒 今日はすごい嵐で、肺の古傷に厳しい日でした。
>梶木さん
どうもはじめまして。
さて、「吹奏楽」の定義ですが、これが実に難しい問題なのですね。どこに線をひくかは
慎重に扱わなければいけない問題で、色々な考え方があると思います。みなさんのご意見も参考にさせていただきながら考えて行きたいとおもいます。
とりあえず、私の意見。まず「金管五重奏などの管楽アンサンブル」などとの違い。これは人数ってのもありますが、「金管楽器と木管楽器の混在」が大きな違いかと。また、私は打楽器が入っていることも条件だと思っています。次に「弦抜きオーケストラ」との違い。これが一番定義しにくいところですが、私は「人数が規定されているか規定されていないか」だと思っています。特にクラリネットの数が分かりやすいと思いますが、「弦抜きオケ」では多くても6本でしょう。吹奏楽では20本越す(!)こともありますからね。作曲家が指定しているかどうかが基準ですが、これも曖昧ですよね。一応指定されていても「吹奏楽のため」って書いてあることも多いですし。
サックスなんかの特徴楽器の有無で決めるのは、危険かもしれません。バーンズの交響曲3番の例もそうですが、アメリカではチェロが標準編成に入っているところもあるようですし(そういえば、あらゆる意味で私の度肝を抜いたワーグナー「ニーベルングの指輪
」吹奏楽版のCDではチェロが12人入っていた)、逆にサックスが入っていないスタイルも根強くあるようです。かつては標準楽器だった(と思われる)サリュソホーンやビューグルなんてのは現在ではほとんど使われないのでは?
メシアンの例では、あれは「弦抜きオケ」でしょうね。手許に楽譜がありますが、編成的には典型的な4管編成です。加えて演奏者の座り順まで指定してありますし。
もっとも、「人数が指定されているか」なんてのは「アマチュア主体」として考えたからの話であって、今後は撤廃されるべき考え方であると思っています。
・・・・・あぁ!自分の中でも考えがまとまってないのがバレバレ。少し時間下さい。
>ののさん、いしづかさん
はい、フリー系の音楽には全く無知なNAPPです。とっても「面白い」分野であるという話はたびたび聞くのですが、なにせ「音を嵌め込んでいく」のが私の仕事なもんで、フリーの魅力に取りつかれちゃったらやばいかな〜、なんて(もっとも、表現できるだけの演奏技量があるはずもないのですけど)。って、また怒られちゃうかな。
よって、私はお話に参加できませんが、気になさらずにご自由にお話下さいね。
Nuovo Consonanza 投稿者:いしづか
投稿日:07月21日(水)19時29分15秒 の事は初耳なんですが、RZから出ているIl Gruppoの黄色いアルバムをお持ちではないですか?ユリイカで中原氏が持ってきた奴とは別モノです。参加者の中にEvangelisiti
の名前が含まれているのを見てから、ずっと気になっているアルバムなんですが。
あと、『世界の始まりへの旅』では、ヌネシュの『火と海の連祷』が延々と流れています。
モリコーネ@集団即興 投稿者:のの
投稿日:07月21日(水)17時53分09秒 なら、EvangelistiのNuovo Consonanzaの方を挙げるべきでしょう。こちらには10年
近く在籍していたと思います。モリコーネのインプロは、ユリイカ『解体する[音楽]』
特集の大友良英×中原昌也×永田一直対談でも褒められていました。
モリコーネの名前が出たら、お約束でジョン・ゾーンの『The
Big Gundown』も挙げて おきましょう。大友さんの山下毅夫トリビュートも、同じ意味で楽しみです。
パブロの『ミツバチのささやき』が出たから、ペル・ネルゴーの『バベットの晩餐会』も挙げておきましょうか。パブロとネルゴーを同列に置くつもりは、もちろんありませんが。
自宅で『音楽芸術』を参照してみたところ、 投稿者:いしづか
投稿日:07月21日(水)16時33分33秒 『室内協奏曲』の譜面は出版されてないようです。やはりNHKに死蔵されているんでしょうね。NHKといえば、武満氏の作品リストに無いテープ音楽が、幾つかNHKにあるようなので今後の発掘は楽しみに待ちたいと思います。
吹奏楽とは? 投稿者:梶木隆一
投稿日:07月21日(水)13時00分42秒 初めまして。 「現代作曲家の吹奏楽作品」など興味深く拝見いたしました。
さて、前述のホームページに「厳密には吹奏楽作品とは呼べないものも」という表現がありますが、この『吹奏楽』とはどのような編成を示すものなのでしょうか。
具体的には
・今年の吹奏楽コンクール課題曲「K点を超えて」は吹奏楽(納得)
・バーンズ「交響曲第3番」はチェロの独奏はあるものの吹奏楽(納得)
・黛敏郎「打楽器協奏曲」は、サックス、ユーフォニアムなどの特徴的な楽器がないが吹奏楽?
・ストラヴィンスキー「管楽器の交響曲」は?
・リヒャルト・シュトラウス「13管楽器のセレナーデ」は?
・メシアン「我ら死者たちの復活を待ち望む」は?
吹奏楽曲と管弦楽曲のボーダーラインがわかりません。ご意見をうかがえないでしょうか。
ふぅ、疲れちった 投稿者:NAPP
投稿日:07月20日(火)18時42分40秒 はい、例の「現代作曲家と吹奏楽」および「吹奏楽の古典」を大改訂しました。とはいうものの、「レコ芸別冊」のものはまだ手をつけていないので、もう少し増える可能性あり。
昨日は坪能先生と面会して「ウインドアンサンブルの新次元」についてお話を伺ってきました。このレポートは後日。
>いしづかさん
>パブロ
おおっと、なかなか日本では名前の知られていない作曲家をご存知ですね。セリー技法とチャンス・オペレーション、そこに民族性を織りこんでくる作曲家です。彼にも映画音楽があるんですね。 他に海外の現代作曲家で映画音楽で日本で有名になったのといえば、あまり好きではないけれどマイケル・ナイマンかな。 そういやぁ、間宮芳生「カタロニアの栄光」も基は記録映画の音楽ではなかったかな?
>朝日作曲賞問題
おっしゃること、ごもっともです。「中学生の技量」に関しては吹連からなんらかのガイドが必要かと。作曲家にとってそれを「知っている」ことがかえって足枷になる場合があります。私の場合がそう。よくレッスンで「君は現場を知りすぎていて、作曲家的思考に今一つ決定打が出せていない」と言われてしまいます。
吹連のあの要項を作成している人のなかに作曲をやっている人がいない(と思われる)のが致命的かと。実際に書く身になってみろ!って、ね。実際にピアノで演奏できないような曲をだしたら本当に通らないのかな?現実的にどうなんだろう。
ちなみに、作曲コンクールで「譜面」(ふづら)で勝負することはよくあります。その例として「X/4拍子で書けばいいものをX/8拍子で書く」なんてのがありますね。これには「小節をまたぐポルタメントの記譜の問題」、「楽譜からの心理的作用」なんていう意味ももちろんありますが、なんでもないこともあります。有名な曲の譜面(ふづら)を真似してる人、誰かなぁ〜?
>S.O.さん、いしづかさん
室内協奏曲、ショットから出てないのだったら未出版でしょうね。どうしたものか。
武満は初期のものでも破棄されていないものであれば最初から完成度の高いものが多いで、この曲も期待できるのではないでしょうか?「2つのレント」は後に「リタニ」として改作されてしまっていますが。
武満さんの作品目録ならば、 投稿者:いしづか
投稿日:07月20日(火)12時21分14秒 亡くなった年(1996年)の『音楽芸術』5月号を参照されると良いでしょう。出版されている楽曲に関しては、出版社名も付記してあります。ただ、一部のテープ音楽がリストから抜け落
ちている事は確認済みです。ただ、残念ながらショットから出版されていない事は確実です。ショットのサイト内の武満さんの作品リストを参照のこと。
http://www.schott-music.com/composer/takemits.htm
確かに初期ですね 投稿者:S.O.
投稿日:07月20日(火)06時38分48秒 「室内協奏曲」は、確か武満が初めて単独で書いた合奏作品でしょう(それまでに、鈴木博義との共作という形のバレエ音楽がいくつかあったはずですが....。)。事実上デビュー作となった「弦レク」の登場は、その2年後になるのですが、それまでにピアノ曲「2つのレント」(これは、山根銀二は「音楽以前!」
と批判したんですが、黛敏郎はその価値を見抜いていたようですね)や「遮れない休息」などを書いていましたので、単なる習作とは思えないのですよ。それに、初期のピアノ曲などは破棄しているのですが、
これは残しているようですので、ご本人も全く意義のない作品とは考えていなかったのでしょう。
戸田作品については、仰せの通りでした。ちゃんと読んでいないことがバレバレですね。
(#▼▼)ノ'''''''''●◆★ヘ(;+o+)ノ
亀レスですが2 投稿者:いしづか
投稿日:07月19日(月)17時38分02秒 > 朝日作曲賞問題:
> あるていどのパッセージ、音域に制限が設けられても、その範囲内で楽曲を
> 纏め上げるのが作曲家の使命だと思っています。
もちろん、クライアントの要求する範囲で曲をまとめ上げる事は、職業音楽家のたしなみでも
あるわけですが、作曲家が「現在の中高生吹奏楽部員の平均的な力量に通暁している必要は本来無いはずです(
『日本のスウェアリンジェン』に成りたいというならともかく
)。『中学生に無理の無い音域』等が募集要項に明示されているわけでは無いため、作曲家は自分なりのリサーチに基づいて『中高生にとって技術的な無理の無い曲』を作曲するわけですが、その結果提出された曲が、審査に携わる先生方との「難しさ」に関する見解の相違故にハネられているとするなら、
それは残酷な冗談としか言えないのでは。私が危惧しているのはそういう事です。
私個人は、ここ数年の『朝日作曲賞』の応募曲に対する技術的な締めつけが、よりきつくなって来ていると感じています。今、『饗応夫人』みたいな曲を書いて応募しても通らないのでは。
> そもそも「人間が演奏する」という段階で、プロであろうがなんであろうが
> 「ある種の制限」が出来ているのですから。
まあ、「武満徹作曲賞」でも、事前のオケの練習が2日だけ、会場での練習はゲネプロで1回通すだけという台所事情があり、「どこまで難しい曲を書いて良いのか」という判断は、審査員
が譜面審査と実演での審査のどちらに大きなウェイトを置くのか、という問題ともリンクする、非常に難しいものだと言えます。
> でも、「ピアノリダクション」によって生まれる制限は、また話が別です
> ね。必要の無い制限はあえて設ける必然性がみあたりませんので。
実際、過去の課題曲がああいったラインナップである故、「『深層の祭』や『饗応夫人』は書けないけど、『◯◯』や『△△』程度の曲なら私にだって」というレベルの志を持つ応募者が、大挙して朝日作曲賞に押し寄せるようです。結果、寄せられた作品には、箸にも棒にも引っかからない作品が多数交じっているため、それらを効率良くハネるためのピアノリダクション製作義務なんだろうけど、ただ墓穴を掘っているだけのような‥‥。
大体、提出された楽譜を弾く主体が明示されてない以上、『初見で弾ける』という目安も意味不明なものでしかないのですが、それは置くとして、問題は多人数で演奏する場合はそれほど難しく無いが、2手ピアノで弾こうとすると格段に難しくなるタイプの曲があること。ポリフォニ
ックな構造を持つ作品など、リダクションに際して声部を減らす訳にも行きません(
実行するなら曲の命を削る事になりかねません)から、かなり難しいピアノ譜をリダクションとして提出することになるでしょう。ヘテロフォニーなんて事になると2手で初見演奏する事など殆ど不可能になるため、こうした技巧を使った曲が課題曲に採用される機会は減ってしまうのでしょうね。
亀レスですが、 投稿者:いしづか
投稿日:07月19日(月)17時33分26秒 > 海外でも、ダライ=ラマを題材にした映画(タイトル忘れちった)の音楽を
> フィリップ・グラスが担当したらしいですしね。
フィル・グラスはあまり好きな作曲家ではないのでコメント出来ませんが
(でも『MISHIMA』 の音楽を担当した事は知っている)
、現代音楽家の映画音楽なら、スペインの作曲家:ルイス・
デ・パブロが音楽を担当した『ミツバチのささやき』(
ヴィクトル・エリセ監督作品 )を挙げておきたい。
映画音楽畑で有名なエンニオ・モリコーネなんかも現代音楽畑の出身ですね。彼は60年代のはじめ、フランコ・エヴァンジリシティらが設立した即興演奏団体:MEV(
Musica Elettronica Viva)にて、短期間ながら活躍していたのでした。『不屈の民』のジェフスキー曰く:「モリコーネはすごくいいインプロヴァイザーだったよ」。モリコーネは最近でもフリー系グループ:
Il Gruppo でトランペットを吹いたりしているようです。
resへのres 投稿者:yosuke@
投稿日:07月19日(月)12時10分25秒 「トゥランガリラ…」を吹奏楽やったとして、
ま、興味はありますけど、その団体に「馬鹿者!」と罵ってしまいそうです。
結論を言えば、やってほしくないから尋ねたまで…。
res集 投稿者:NAPP
投稿日:07月18日(日)03時00分43秒 >yosuke@さん、いしづかさん
「トゥーランガリラ」の吹奏楽版、ですか。私は「吹奏楽版が存在するらしい」ということを風の便りで聞いただけで、実際に「演られた」という話は聞いてませんね。仮にあったとしても日本では無いと思いますが。オンドマルトノを他の楽器で代用しようなんて考える人がいるとは思えない(テルミンか?笑)し、マルトノ奏者は日本人では原田さんしかいないし。ま、ピアノ
パートは気合で弾いてもらいましょうか。でも、なんで日本で演ったらソリストがピアニストではないんだろう?野平一郎、中川俊郎、藤井一興、みんな本業作曲家じゃん。
吹奏楽版、仮に発見されたとしても、そっとしておきましょう。それが世界の平和のためです。
あんなの編曲できるものぢゃないです。第7楽章「トゥーランガリラII」のトータルセリーなんか
、楽器を換えた瞬間に終わってますもんね。あれを編曲できるのはメシアン並の天才か、なんも考えてないただのバカですね。
ただ、この間国立音大の学生オケがこれをやったときは正直度肝を抜かれましたね。学生の力でこれが演奏できる時代になったんですね。アマチュア団体のみなさんも演ってやれないことはないかも。
>S.O.さん
戸田の「セザール・フランク〜」がギャルドによって(正確にはギャルドのサイゴン支部隊)
委嘱されたという経緯については、「吹奏楽の古典」で私が書いた通り。
参考にした富樫康氏の著書「日本の作曲家」という本は紹介文の第一文が「父親の職業」から
始まるという、かなりプライベートなことを書いてある本でして(今だったら裁判沙汰になるのでは)、戸田氏についても外交官としての活動が事細かに書いてありました。
んで、「セザール・フランク〜」は委嘱を受けたのは戦時中、サイゴンにてだったのですが、
初演されたのは戦後のことで、「初代インドシナ高等弁務官として遭難したルクレルク将軍
(ミズリー艦上で日本の降伏文にフランス軍代表として調印した人)の追悼にサイゴン中央寺院で行われた」のだそうです。例の本によると、演奏時間は約7分、編成は「仏式中編成」(なんじゃそりゃ)、作曲年は昭和22年(1947年)、オケ版はSax付の2管編成で、作曲年代はこの本では昭和23年(1948年)になっています。
この本では信時潔「海ゆかば」の基編成が「独唱三部、混声四部合唱、吹奏楽」となってます
が、これって「吹奏楽曲」としてリストにのせちゃっていいもんでしょうかね?
武満の室内協奏曲、NHKでしょうかね?どうだろう。仮に出版されているとしたら日本ショットかSalabertでしょうけど。1955年の作、「弦楽のためのレクイエム」よりの前の、初期の作品になりますね。 少なくともうちの大学の図書館にはありませんでした(笑)。
戸田邦雄 投稿者:S.O.
投稿日:07月17日(土)13時35分28秒 前に言い忘れたのですが、戸田邦雄の「セザール・フランクの〜」は、1947年、ギャルド・レピュブリ
ケーヌ吹奏楽団の委嘱のようです(これも注目すべき事実ですね)。その後、1952年に東京大学管弦楽団のために編曲していますね。ということは、作者はまんざらでもないと思っていた作品なのではないかな。
それにしても、武満徹の「室内協奏曲」について、楽譜の在処をご存知の方いますか。初演が外山雄三/
N響のメンバーということなので、NHKにはあるかもしれませんが......。今世紀日本を代表する作曲家の
(「日本」は必要ないかも)、管楽器に対してどういう意識を持っているかを知る貴重な資料となるので、
どこかが演奏・録音してしまう前に、演奏してみたい。
トゥーランガリラ交響曲ですか 投稿者:いしづか 投稿日:07月17日(土)08時40分54秒 同じメシアンの「我、死者の復活を待ち望む」をやった団体はありましたが、「トゥーランガリラ」に関しては聞いたことが無いです。ただ、ああいった曲を吹奏楽に編曲し、練習してみたなら、必ずコンクールでやってみたくなるのが吹奏楽人の習性らしいので、そうした切り口で検索すると情報が引っかかってくるかもしれません。
個人的には、オンド・マルトノのパートをどう処理したのかが気になりますね。また、その難関をくぐりぬけても、あのピアノパートを弾くのは生半可なことでは無いはず。私的には
信じられない(信じたくない)話であります。
あと、「ゴジラ対ヘドラ」の音楽を担当していたのは真鍋理一郎氏です。1924年生まれの作曲家で、池内友次郎、伊福部昭に作曲を師事。作品にオルガンと混声合唱の為の「詩編137番」
や「降誕祭の為のミサ曲」等があります。映画音楽では、ゴジラシリーズなら「ゴジラ対メガ
ロ」、その他に大島渚監督作品「青春残酷物語」「日本の夜と霧」、川島雄三監督作品などでも活躍。
吹奏楽版−>オケ 投稿者:yosuke@
投稿日:07月17日(土)01時03分12秒 トゥランガリラ…の曲名が出てきたところで誰かに質問。
この曲を吹奏楽でやった団体があるらしいんですけど、
いつ頃、どこがやったんでしょうか。よく編曲権をクリア出来たなぁ、と思いまして。
吹奏楽関連のディスクが多いのは、渋谷のTOWER
RECORDですね。 ついでに…あそこでフーサの「プラハ…」管弦楽版も買いました。
演奏は荒っぽいんですけど、妙に硬質な響きじゃなく、よくも悪くもファジィなサウンドで、
例えばイーストマン.W.Eがやった演奏よりも緊迫感がありまして。
…いやいや、個人的な感想です
伊福部先生は、逆に吹奏楽でやった方が「らしい」サウンドになるのでは、
という曲がいくつかあります。日本狂詩曲なんかも、やってみたいですしね。
…いやいや、これも個人的な…
CD乱れ買い 投稿者:NAPP
投稿日:07月16日(金)17時53分06秒 の前に、レス
>こがさん
そうそう、今日ディスクユニオン御茶ノ水店に行ったら、伊福部昭映画音楽のコーナーが特設されてましたよ。なんか、いっぱい種類がありました。
ゴジラ2000の音楽、後継者は和田薫先生もいいけど、甲田潤先生もいいかなぁ。
それにしても、あいかわらず「おばか」なストーリー!なんでいきなりUFOなの?佐野史郎もでるし。あの役柄だと「特命リサーチ200X」を連想してしまう・・・・・
>yosuke@さん
あわてて確認、ほんとだ!やば。全然「細かいこと」ぢゃないですよ。
ちなみにバーンスタインが初演したのはメシアンの「トゥーランガリラ」。どこでこんがら
がったんだろう?
はてさて、今日はディスクユニオンに行って夏休みのBGMを漁ってきました。
お目当ては、ブラームス、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチの三人の交響曲全集と、ベリオのセクエンツィアの献呈されている各奏者による版、「道I」、リゲティのレクイエム。安く手に入らないかなぁ、と思って行きましたが、あったのはブラームスのみ。サイトウ・キネンのやつでハンガリアン舞曲1,3,5,6,10番が一緒になってるやつ。
あそこに行くと安いのでおもわず衝動買いでいっぱい買ってしまう(以前、カラヤン ベルリンフィルで、春の祭典・展覧界の絵・チャイコフスキの小品集が一緒になった二枚組CDがなんと200円で入手できた)。今回はグレツキの「悲歌の交響曲」、レスピーギ「劇的交響曲」、シベリウス「管弦楽小品集」、R.シュトラウス「英雄の生涯」を買ってしまった。
なんとしても欲しいプロコとショスタコの交響曲全集、安いの無いかなぁ。ちなみに、私はスクリアビンの「プロメテ」を聴いて以来「アシュケナージ」が、バッハの「マタイ」を聴いて以来「カラヤン」が受け付けられなくなっています。あと、フルトヴェンゲラーとクナッパーツブッシュも、これを買うと他の版も買わないといけない羽目になることが多いので、初めて聴く場合にも手が出せません。
そうそう、吹奏楽のコーナーは見事に「Brass」コーナーとなって金管五重奏をメインとしたほとんど消滅したも同然の状態になっていました。
なんか、無駄話になってしまいましたね。ま、たまにはいいかな・・・・・
ん? 投稿者:yosuke@
投稿日:07月16日(金)11時42分09秒 >NAPPさん
細かいことを突っ込む様でちょっと気がひけますが…
「春の祭典」の初演時の指揮者は、ピエール・モントゥーだった様な… 違ってたらごめんなさい。
めぐりあわせ 投稿者:こが
投稿日:07月16日(金)08時49分52秒 >S.O. さん
>「ヘドラ」という、もう只ひたすら気色の悪いやつで、以来それがトラウマ
>になって怪獣映画嫌いになってしまいました
いきなり「ゴジラ対ヘドラ」ですか。それは強烈でしたね。
何事も、出会いはめぐりあわせが大事なんですね。
ちなみに、「ヘドラ」の音楽は伊福部さんではなく、その弟子筋の真鍋真一郎さんです
総合芸術と音楽 投稿者:NAPP
投稿日:07月16日(金)02時54分29秒 いちおう「モデルニテ」とかいう総合芸術団体に所属しているらしいNAPPの見解を。
え〜とですね、「音楽となんか」という組み合わせには色々なパターンがありますよね。
映像と音楽、詩と音楽、美術と音楽、舞踏と音楽etc・・・・・
音楽の位置付け、ってのは、その組になった他の芸術との方向性がどこに向かっているかが
大きく関係してくると思います。ストーリー性を重視するのか、感覚性を重視するのか・・・・・
映画なんかの音楽ってのは、やはりストーリー重視、映像に付随する形をとると思います。
その作曲法も、池辺先生の「元禄繚乱」の制作過程をみせていただいてますが、まず台本があって、それを作曲家がよんで「ここに一曲必要」ということを推測、監督と話し合って曲数を決定し、映像が出来あがった後に作曲を開始、「何分何秒の曲で、何秒の瞬間にこの音が必要」
ということが指定された上でそれに忠実に曲を創ります。この場合、音楽は後手後手ですね。
同じ映像とのコラヴォレーションでも、抽象的な動く画像に音楽をつける場合だと話はまたちがってきますね。これは美術と同時に制作を行い、完璧に同期させることが要求されますね。
これにはコンピュータを用いた発音タイミングの制御が行われるのが普通です。
また、同じストーリー重視でも、歌劇の場合は音楽が重視されますね。この場合は物語の進行具合も音楽によって完全に支配できるので、物語によって音楽が極端な制限を受けることはないです(もちろん、雰囲気などは規定されますが)。逆に言うと「音楽が物語を引っ張って行く」
ので、物語が多少つまらなくても面白いものになることがありえると思います。
詩と音楽、というのも二種類に分かれますね。「歌曲もの」と「朗読もの」です。「歌曲もの」
はなんといっても音楽が詩の世界を食ってしまいかねないほど語りますね。この場合、名前が前面にでるのは作詞者ではなく、作曲者ですね。しかし、武満のファミリートゥリーのような朗読ものの場合、音楽は背景にまわることが多く、強烈な自己主張はあまりしません。そしてこのケースはどちらかと現代詩の発表会などで発表されることが多く、当然作曲者よりも作詞者のほうが名前が出ます。
このように、「どちらを前面に出すか」ということで音楽の作品中の位置付けが左右されると思います。常に音楽が前面にでるものではないと思います。
ちょっと特殊な例が舞踏とのコラヴォレーションの場合でしょうか。この場合は殆どの場合が
音楽が前面にでますね。これはなぜか。
それは、舞踏というものが公演の度に異なった演技がなされるからだと思います。それに対して音楽は常に一定ですから。演出家によって、同一のバレエであっても全く異なった姿になりますからね。
「春の祭典」が初演されたとき、会場は大騒ぎになった、という記事をみて、「この曲はそん
だけインパクトがあったんだぞ」と説明する人がよくいますが、あのバーンスタインの初演が大混乱になったのは別に曲に観客が驚いたのではなく、演出の方に驚いたんですけどね。このことからも音楽優位の現代舞踏界の様子が伺えるかと。
実際にやってみると分かるんですが、意外と音楽やっている人は「音楽が一番優れた芸術」と無意識のうちに考えてしまっている人が多いです。映像とか美術に譲らないんですね。「ちょっとシーンを延ばせばいいぢゃん」とか平気で言っちゃうの。あちらだって練りに練って創っているのに。私としては、「この作品における音楽の位置付け」なんてのは考えずに、全部ひっくるめて一つの作品、として評価すべきだと思っています。
今回は吹奏楽とは無縁のお話でしたが、ここは音楽関係であれば、とりあえずOKです。はい。