「異文化からお知恵拝借」
〜言葉使いさんによる〜


 この文章は、『吹奏楽「革命」研究会LZFELT』に所属される「言葉使い」さんより、当サイトに寄稿して頂いたものです。





2004年07月23日NHKにて19時30分から放映された「特報首都圏:おなかがすかない子ども・学校給食50年」は、非常に興味深い内容でした。

日本の学校給食ってものが世界の食文化の中でどう位置づけられているかは知りません。
国民の殆どが幼少期に、自分の食行為が衆目に晒されるってのは、珍しいことなんでしょうか、当たり前のことなんでしょうか。
昔から給食の時間に、食べるのが遅いとか、好き嫌いで食べ残す、などから巻き起こる様々な騒動が、いろんな人に、いろんな所で指摘されています。
この番組でも「子供が箸をつけない」「食べる意欲がわかない」「偏食」を問題視し、始まりました。

まず始めに、なぜそういうことになっちゃったのか、という原因探しをします。
例えば母親の手作りの味から出来合いの味になってしまった、
例えば旬の味(季節の味)という魅力が無くなってしまった、
例えば自分の好きな物だけを食べることが許される環境が出来てしまった、
など、食行為にまつわる「楽しみ」の要素が軽んじられるようになったのではないかと思われます。

そして次に、じゃぁどうしたらいいのだろう?という試行錯誤が始まり、
味だけでなく、視覚でも楽しむ→アルマイトのお皿からカラフルな食器にし、盛りつけも食材の色彩を考えて華やかにする、
工業製品のような画一的なメニューをやめて教室ごとにメニューを変える、
しかしこれは作り手の労力がグンと増すので、作り手の作食意欲が上がるくらいの、労力と意欲のバランスを考えながらする、
子供に絵や図を使って、食材や料理がどれほど魅力的かをきちんと説明し、楽しんで食べるようにする。


そして番組は、料理人や栄養士の人たちがどんなに頑張っても、学校給食の場だけでは限界があることを自覚し、子供達の親に食事作り意識を高く持って貰いたいと、給食参観を取り上げます。

さらに面白いことに、親たちが子供や学校からそうやって投げられた意見を無視をせず、家庭の食卓だけでなく、自分たちが経営しているお店、精肉店や八百屋、スーパーなどにも反映させ、子供達が描いた絵や食認識を店の営業に使う。
学校が情報の発信地となり、商店街がその情報をキチンと受け止める様を映していました。


しかし現実には「子供に絵や図を使って、食材や料理がどれほど魅力的かをきちんと説明し」までのことは今回の番組だけの独自の視点というわけではなく、食文化の危機をテーマにしているところではよく聞く話しです。
学校給食が戦後50年の歴史があるとして、日本の食文化を考える人の多くがずっと「これは問題だ、どうしたらよいのだろう?」と考え続けて来ているわけで、ダテに「問題だ、問題だ」と言い続けているわけでは無いのでしょう。

じゃぁなぜ私が今回この番組を見て「おぉ、なるほど!」と思ったのかというと、2ちゃんねるの某スレッドを見て、「自分の知らない曲にチャレンジする意欲が全く湧かない人たち」という指摘を見た直後に「箸をつけない子供達」というフレーズを耳にしたからなのです。

食欲が湧かずに料理に箸をつけなかったり、偏食になる子供には、それなりの理由が発見されています。
それならば、自分の知らない曲に演奏意欲の湧かない者の理由も読み解けないでしょうか?

 ハウス栽培が発達し、野菜や果物の「旬」意識が低下し、この季節でなければ味わえない楽しみがかなり減りました。
 楽団の中で、演奏会に取り上げられれば季節にまつわる曲はやるけど、それ以外には(季節として)音楽的な旬を演奏する機会がないようです。
(流行ってるという意味での旬も、ステージ以外では演奏する機会が無い?)

 食事は味だけでなく、見た目でも楽しむものだと言います。
 様々な楽器の音色を色彩感覚に例えることはあっても、どれだけの演奏者がその楽しみ方を味わっているでしょう?

 吹奏楽が「家庭の味」のように、家族・家庭の、安らぎの場に受け入れられるものがあるでしょうか?

 食文化では栄養という科学的な根拠が示されて「偏食」の害悪が指摘されていますが、音楽ではそういった科学的な根拠が無い(?)ため「偏曲」がまかり通るのではないでしょうか。
 食文化では「大食い大会」はお祭り騒ぎとして見られていますが、吹奏楽では「コンクール」が大きな影響力を持っています。
 海野雅路氏が著作で言っていた「音楽にはビタミンMがある」という言葉に、どれだけの吹奏楽人が賛成しているのでしょうか。

基本的に食文化は栄養だけでなく、楽しみとか社交・人付き合いとか、料理を作ったり食べたりしたときに新しい発見があったり、そもそも「心を込めて」って言葉が生きていて、「食べる物、食べ方でその人のことがわかる」とまで豪語する人がいる分野です。
料理は芸術の一分野だと言う人もいます。
しかし吹奏楽には、人とのコミュニケーションを楽しみ、密にする文化性がまだまだ欠けています。
吹奏楽の中に存在する、自分にとっての謎を見つけ、考え、解決するまで非吹奏楽的なものを取り入れれば、もっと豊かな文化になると思うのですが、この「非吹奏楽的なもの」に強烈な拒否反応が出る人には、無理なんでしょうねぇ。



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