NAPP作曲

 ここでは、私の作品の紹介と、作曲プランを披露しています。 プログラムノートや作品の意図に加え、後日談なども書いてみようかな、というコーナーです。
 また、「NAPPの作曲部屋」という補足サイトもございますので、ご笑覧ください。
 購入・レンタルが可能なものに関しては、こちらにもまとめています。


付録:「NAPPの作曲資料」
(02.5.21更新)

付録2:「楽器法書籍紹介」
(06.1.30更新)



目次
<完成作>    
…時にのせて、光の中で   吹奏楽のために
Phenomena   2台のピアノのために
紫陽花幻想   ピアノ五重奏のために
水の宇宙   テープ作品
陰影と木霊   トランペットと12奏者のために
交響残象   オーケストラのために
Time Fragments   2台のピアノと2人の打楽器奏者のために
Retrospect I   トロンボーンとコンピュータのために
遮光の反映   吹奏楽のために
Anamorphic Aberration   テープ作品
滲む樹   トロンボーンと管弦楽のために
Cohabitation   オーボエとクラリネットのために
コンセルト・マーチ「シンタックス・エラー」   吹奏楽のために
科戸の鵲巣           吹奏楽のための祝典序曲
玻璃ぷりずむ           吹奏楽のためのテクナル・ミニマリズム
風に寄せて           無伴奏男声合唱組曲
《La Decouverte du Feu》           ユーフォニアムと吹奏楽のための
コンセルト・ピース「セマンティック・エラー」   吹奏楽のために
サルムの光   ブラス・アンサンブルのためのフラリッシュ
とっかあた   ユーフォニアムとピアノ(または吹奏楽etc)のための
Organizer   for 2 Euphoniums and Piano
オルテンシア 〜雨中に煌めく硝子の紫陽花   (吹奏楽)
浅葱の空   吹奏楽による憧憬的音詩
双響   ブラス・アンサンブルのためのフラリッシュ
閾下の桜樹   吹奏楽のための
谺響する時の峡谷   吹奏楽のための交唱的序曲
組踊る天海の狭間に   吹奏楽のための
Red Sprites   for Brass Octet
マタルの涙   ブラス・アンサンブルのためのコラール
マルカブの矢   ブラス・アンサンブルのためのトッカータ
星を釣る海   吹奏楽のための
揺れる影の歌   吹奏楽のための
そして時は動き出す   太鼓と吹奏楽のための祝典序曲
邂逅の時   桶太鼓群と金管群、吹奏楽のための
     
<機会音楽>    
from past time   新年のピアノのために(op.A-1/3)
at the present time   新年のピアノのために(op.A-2/3)
for promising time   新年のピアノのために(op.A-3/3)
tidings , for...   新年のピアノのために(op.B-1/2)
salutation , for...   新年のピアノのために(op.B-2/2)
Deneb   新年のピアノのために(op.C-1/24)
Fomalhaut   新年のピアノのために(op.C-2/24)
Mira   新年のピアノのために(op.C-3/24)
相聞譜   ピアノ連弾のために
Fanfare   4Trp. 4Trb. 1Cymb.
Fanfare 2001   4Trp. 4Trb.
長崎市民吹奏楽団のためのファンファーレ   (長崎市民吹奏楽団のために)
     
<作成・構想中>    
カクテルグラスの氷のなかに           ピアノと4人の打楽器奏者のために
組曲「黒鳥集より」   混声合唱とピアノのために
憐光   吹奏楽のために
長崎レクイエム(仮題)   合唱とオーケストラ、オンドマルトノのために
     
<主な編曲作品>    
World Football Anthem (FIFA ANTHEM)           Franz Lambert
「抒情小曲集」より           Edvard Grieg
喜歌劇「詩人と農夫」序曲           Franz v. Suppe
喜歌劇「軽騎兵」序曲           Franz v. Suppe
喜歌劇「美しきガラテア」序曲           Franz v. Suppe
行進曲「威風堂々」第一番           Edward Elgar
OH! E-DO Dance 東京ラプソディ2004           古賀政男
「三文オペラ」より           Kurt Weill
ヘンリー・マンシーニ・メドレー /組曲(金管六重奏)           Henry Mancini
平均律クラヴィーア曲集 第二巻から g-moll 前奏曲とフーガ           Johann Sebastian Bach
国歌集            
校歌・団体歌など            


トップページに戻る



・・・時にのせて、光の中で   吹奏楽のために

 吹奏楽のための小品。曲は大きく分けると序奏とコーダをもつA-B-Aの三部形式であり、小さく分けると16の部分に分けられる一種の変奏曲となっている。
 冒頭に提示される二つの「光のテーマ」をライトモティーフ的に扱い、変奏される主題と絡まり合わせて曲を構成していく。主題を一人の人物、光のテーマをその周囲の環境としてとらえ、一人の人間の心理的な成長(思春期のような)を描いてみようと試みた。変奏曲という形式はこの考えに最もふさわしいと思われ、ちょうど思春期の人達が演奏することの多い吹奏楽という形態を使うことにした。 (以上、プログラムノートより)

 作曲の一年次の提出課題として作成された。もともとは私が高校三年生だったころに、吹奏楽部の定期演奏会をもって引退する8人の三年生のためにつくられた「八重協奏曲」だったものを改作した。そのため、明確な調性を持ち、和音も三和音を中心に用いている。15小節から成る主題は、結尾4小節がかの有名な「マイウェイ」と重なる。ほか、母校の体育祭で使われる応援太鼓のリズムが現れたり、数々の私にとっての「想い出」的要素が満載されている。思い出すと、懐かしく、楽しくもあるのだけど、ちょっと哀しい。 10分という演奏時間、アンサンブル的な難しさのため結局彼らによって演奏されることはなかった。 編成も大きく、ハープこそ入っていないもののピアノ・コントラバスを含め、打楽器を山のように使用する。
 が、この曲がじつは「ライトモティーフ=光のテーマ」という一発ギャグを命がけでやったものだ、ということに気づいた人は少ない。
 1997年7月完成。初演はもはや、やる気全くなし、だったのだけれども2004年6月13日に長崎市民吹奏楽団創立30周年記念特別演奏会で初演(指揮:烏山卓)。実はこれに先駆けて、1998年に某バンドによって試奏してもらったりもしたのだけれど。
 演奏してもらってみたら、意外といいぢゃん(笑)



Phenomena         2台のピアノのために

 私は独奏や独唱、あるいは支配的な協奏曲といった形態をひどく嫌う。その私がそれらの代表格であるピアノのための曲を書きたいという衝動に駆られたのは何故だっただろうか。 ともすれば私の全存在意義をも否定しかねないこの衝動に私は恐怖し、これを一つの「現象」とすることで一応の決着とすることにした。考えてみれば、人間のあらゆる感情は全てが「現象」と言いきることができるのではなかろうか。それは寂しいことではあるけれども・・・・・
 曲は空間的、あるいは音要素的に相容れないものが共時的に存在、交錯することによって生じる様々の現象。 それは「2台のピアノ」という媒体によるものだったり、西洋性と東洋性の共存などによって表現されたりする、エコーや錯綜感などである。描きたかったのは「錯綜する凶悪な孤独感」である。(以上、プログラムノートより)

 この曲は作曲科の作品発表会のために作成された。演奏は非常に難しく、初演者のピアニスト二人には多大なご迷惑をおかけしてしまったと思う。通常の演奏法に加え、内部奏法、サスティンペダルによる倍音効果、ペダルを強く踏み込むことによる打楽器効果なども用いられた。 曲の作りとしても、複調、奏者によって異なる拍子、小数合成拍子、センツァミズーラなど難解を極めた。全体的に日本的な雰囲気がするが、一小節ごとに拍子がかわる部分もあるなど、リズム的には西洋のそれである。
 完成は1998年5月26日。初演は同年6月17日、東京音楽大学Jスタジオにて。演奏時間は約8分30秒。曲は初演者のピアニスト、増田みのり・石井理恵の二人に献呈されている。


紫陽花幻想   ピアノを伴う弦楽四重奏のための音的素描

 雨霞の中、妖しく浮んで見える紫陽花の花。その花は悲しく美しい。  その木の枝は針金のように、冷たく、鋭い。 やがて梅雨となり雨が降り始めると、木はその花を咲かせ始める。花言葉「移り気」が示す通り、その花の色は木の根ざしている土壌の成分によって変化するのだという…… 梅雨が明け他の生命が輝き出すそのとき、花はその短い生命を散らす。再び永い眠りにつき、次の目覚めの時を待つ。 曲は4分音単位による倍音列の手法を部分的に用い、上記のイメージによって作られた。 (以上、プログラムノートより)
 
 二年次の作曲提出課題として作成された。これまでの旋法的、リズム的な曲調から一転、規定された音程関係によって非リズミックな曲を作ってみた。
 ピアノによって打ち出される低音の倍音を弦楽器が特殊なフラジオレット奏法によって拾っていき、幻想的な紫陽花の花の様子を再現したかった。6月生まれの私は紫陽花の花が大好きで、そのどこか自己犠牲的な雰囲気をいつか音楽で描写してみたかった。例によって超絶技巧が要求される。特に弦楽器に関しては、微分音程が要求されたり、楽器の胴体を叩いてみたり、といったペンデレツキのような奏法が目白押し。楽譜はタブラチュア的に書いてあるので一見しただけでは音がわからない、という演奏者泣かせな曲。
 完成は1999年1月27日。演奏時間は約9分。1999年10月31日に東京音楽大学Aホールにて初演された(Pf:増田みのり、Vn:下城瑠五子・保坂英子、Vla:安楽聡子、Vc:上原優美子、Cond:小澤和也)。



水の宇宙           テープ作品

 タイトルは「みずのそら」と読む。これは作曲三年次の電子音響作曲理論講座の提出課題として作成された。
 電子音楽、というと素材を加工し、できた「面白い音」をやたらつなぎ合わせて喜ぶ、という「知的遊戯」に陥りやすい。音的に面白くても、はたしてそれが音楽的に意味があるかどうかは非常に疑問である。 そこで私はコンピュータで創る音楽というものにはどのようなものがふさわしいか、ということを考えた。「音の加工」というのも非常に魅力的だが、ここはまず「コンピュータによって音を構成する全ての要因を制御できる」という点に注目した。至極基本的な「音量」と「ピッチ」である。 もちろん、音素材の加工も行う。ただ、むやみに「楽器の音を変調」とか「単なる効果音」のようなことは私はしたくない。使われる音同士になんらかの関連性が欲しいところだ。よって、私は今回「水」に関係した音で統一した。
 人間の耳には、音量の大きなものが優先されて聞こえてしまうものである(マスキング効果)。 ある一定の音量で鳴り続けているものは、ある種の「水面」のようなものではなかろうか。その音の水面から水上へ顔を覗かせる様々な音の波、あるいは突発的な音の飛沫、そのような音響を創ろうと試みた。 人は、常に存在するもののことを忘れてしまいがちである。しかし、我々は常に「それ」の脈流と共に存在している。大きな一つの循環のなかで現出・消滅を幾度となく繰り返している。このような、「水」と「宇宙」という二つの単語から連想される、ある事柄をテーマとした。 曲は二つの動機による。一つは「Water」より導かれた「A―A―E―E―E―(右にパン移動)」という動機(ダブルA、トリプルE、right)。もう一つは「Sea」より導かれた「Es―E―A」という動機である。 曲中に用いられている音は、全て水音あるいは氷の音を素材としており、ProToolsおよびそこにプラグインされたGRM Toolsによって加工、配置された。
 1999年12月12日、早稲田大学にて行われた音楽情報科学研究会 (SIGMUS)における「インターカレッジ・コンピュータ音楽コンサート」において公開初演された。演奏時間は8分50秒。
 音源がこちらのサイトでダウンロードできます。



陰影と木霊         トランペットと12奏者のために

 3年次作曲提出課題用に作成された。
 編成は、舞台中央に配置された独奏Trp、舞台上手側に手前からFl、Cl(B.Cl持ち替え)、A.Sax、Vc、Cb となっており、下手側が手前からFl(A.Fl持ち替え)、Cl、Ob、Vla、Hrp となっている。さらに、独奏Trpの両サイドやや後方には二名のSoprano(ヴォカリーズ)が配置されている。計13名。
 この2年位、「楽音と非楽音の共生による音楽」というものにテーマを置いてきたが、今回はこれに加えて「音空間の震え」を考えてみたいと思う。 音の持続は、私には「空間が色づけされて広がっているもの」と感じられる。そこに何らかの石を投じてやることによって波紋を創り出すことが出来る。今回の場合、投げ込まれる石(のようなもの)が独奏Trpであり、その波紋の広がりがハープ、投石の軌跡がソプラノなのである。
 また、オーケストレーション上の興味もある。トランペットの影となることの出来る音を考えたとき、私はそれが女性のベルカント唱法であると感じた。さらにそこに二重の影を付けようと思ったとき、そこにはSaxの音色こそがふさわしいと感じた。それを取り巻き流れ落ちる、やや金属的な透明な響き。それはピアノではなくハープの音だ。さらにそのハープを縁取るもの、それは弦楽器のピツィカート。その美しい空間に打ち込まれる響きの楔。それは木管楽器の重音の音ではなかろうか?それを打ち負かすだけの新たな流れの源となり得るもの、それはトランペットのシグナルに他ならない。 このような思考の循環的オーケストレーションを思いついたとき、もはやこの曲を書かざるを得なくなっていた。
 加えて、演奏者を三群に分けて配置することによって空間的な表現も試みてみたかった。音楽は垂直的、水平的、空間的な数々のエコーの集積となっている。今回は数多くの特殊奏法が用いられているのも大きな特徴で、それらの説明のためにスコアの4ページがさかれている。曲は9分ほどだが、それはF-E-Cis-Gis-C-B-Gという音列が曲全体で三回繰り返されるだけ、というもの。
 完成は2000年2月。初演は2000年11月3日に東京音楽大学Bスタジオにて行われた。トランペット独奏は小林史尚、指揮は小澤和也。



交響残象             オーケストラのために

 「集団(密)」を構成している「個」を部分的にクローズアップする、というアイデアのもとに作成。タイトルはその方法論を音楽として纏め上げる際に拠り所とした単語であり、それ以上の意味はない。(日本音コンでは私のミスで「交響残像」と表記されていたし、一時期はここでもそっちで書いていたけれど、「交響残象」が正しい) なお、「こうきょうざんしょう」と読む。
 オーケストラのための音楽作品、というものはそこに実に多くの「集団」を内包している。その「集団」それぞれがさらにそれを構成する「個」を孕んでいるのであり、私の興味はその「個」にあった。個は集団から離れようとし、また、集団へ属しようとする。 二つの主要動機(Es-F-D-B-Fis-C と G-Des-A-E-H 。これにAsを加えると十二音全てが揃う)により構成される。
 曲は序奏部のあと、まず「オーケストラ」という「集団」が小さなアンサンブルの集合体として扱われる。それぞれのアンサンブルはそれぞれの呼吸の速度を持つが、「オーケストラ」に半端に合わせようとする。やがて演奏者一人一人という最小の「個」となりそれらの集積として「オーケストラ」という「集団」となる。
 次の部分では音組織の「集団」に着目した。一般的な「十二音」というものを全て鳴らし、このクラスター(分散されてはいるが)の中から数音ずつの「個」に分け、オーケストレーション(特にディナミック)の違いにより集団より分離させる。他にも同じものから発し、呼吸の速度の相違からエコーを経て「集団」へと発展する逆の試みもなされている。
 その次の部分では加えてリズムに関しても同様の試みがなされる。リズムのクラスターを形成する一つのパルス周期を同様にクローズアップする。これは同時に「演奏者一人一人がそれぞれ異なった呼吸の速度を持っている」ということに直結しており、前述の2つの「集団」を統合したものでもある。
 こののちにあるのは長大なコーダ。序奏の二つの主要動機により全ての「個」を一つの「集団」への統合へと向かわせる。テュッティの同じ呼吸の速度によるAs音(2つの主要動機に含まれない音=明日)の連打に統合される。
 私の大学卒業作品であり、完成は2000年10月(その後、序奏部その他を2002年6月に小規模な改訂)。演奏時間約15分。初演は2002年10月21日、第71回日本音楽コンクール作曲部門本選会において、梅田俊明指揮の東京フィルハーモニー交響楽団で行われた(第三位)。
 音源の一部がこちらのサイトでダウンロードできます。



Time Fragments          2台のピアノと2人の打楽器奏者のために

 全ての人間が生きていた時間というのは永遠に流れる時の断片にすぎない 。「今」という瞬間はその断片のなかの断片。 ここに集う全ての時の断片に感謝しよう。 これから始まる切り取られた時の断片のためのファンファーレ 。(以上、プログラムノートより)

 バルトーク「2台のピアノと打楽器のためのソナタ」とほぼ同編成をとり、ストラヴィンスキーの得意としたブロック構造を中心に構成。二人に共通する打楽器的なピアニズム、調性の多義的用法を意識した。 他にも数名の作曲家の影が見受けられる。
 この曲は、ピアノ科の友人達からの委嘱作で、その友人達が企画している演奏会のオープニングとして私にごく短いものを一曲書いて欲しいとの事だったので、喜んで引き受ける事にした。
 他に演奏されるのがストラヴィンスキー「春の祭典」(2台ピアノ版)とバルトーク「2台のピアノと打楽器のためのソナタ」などであったので、それらと関連を持たせて作成した。
 完成は2000年9月。初演は2000年11月5日に東京音楽大学Aホールにて(Pf:山崎裕・森浩司、Perc:篠崎大洋・太崎佳代子)。演奏時間は約2分30秒。実は作成期間は三日(笑)。



Retrospect I           トロンボーンとコンピュータのための

 2000年の音楽情報科学研究会 (SIGMUS)「インターカレッジ・コンピュータ音楽コンサート」のために作成。
 私は独奏曲というものを嫌っていたのだが、それは「他者との共存を排している」と感じていたからであった。しかし、BachからBerioに至るまで、殆どの独奏曲が「多声的であろうとしている」ことから、逆説的に「合奏する」ということの意味を捉えることができるのではないか、と考え、独奏曲の構想も練ることができるようになっていた。「Retrospect」とは、私の独奏曲のシリーズ名である。
 この曲では、HDレコーディングを用いて会場内録音再生を行い(同時に数トラックを使用)、自己の過去に現在を重ねていく、ということを試みた。また、Max/MSPにより、ある音より下の音域が発せられた場合にはライヴ変調を起こすようにしてある。
 完成は2000年11月。初演は、演奏が難しいために奏者が間に合わず、結局行われなかった。



遮光の反映              吹奏楽のために

 太陽光のように色を感じさせない光を白色光と呼び、波長別に分けられた(分光された)、色を感じさせる一つ一つの光を単色光と呼ぶ。 ニュートンの実験ではプリズムによって分光した単色光をさらにプリズムによって再合成すると、元の白色光になるという結果を得ている。 これからわかるように、白色光は複数の単色光の合成なのである。 吹奏楽を構成する個々の音色を単色光として捉え、それによる減法混色・加法混色の試み。または補色残像現象の模倣。(以上、プログラムノートより)

 長崎市民吹奏楽団委嘱作品。委嘱・作品成立の経緯および作品データについてはここをクリック。また、アナリーゼと参考音源をこちらのサイトに載せてあります。
 プログラムノートだけみるとスペクトル楽派みたいな書法に感じられるが、上記はイメージのみで構成法は全く異なる。「吹奏楽の編成の不確定性」と「演奏の再現性」という問題に対する一つの私なりの結論の実践(この方法論についてはコラム「作曲にあたっての新・編成組織方法の提案」を参照のこと)。また、「職業演奏家ではない人々でも無理なく行える特殊奏法」というものの使用も強く意識した。結果として、あまり普通の吹奏楽曲では耳にすることが少ないような響きが得られたのではないかな、と思う。しかし、これはまだオーケストラなどでは普通に聴かれる範囲内であることは否定できない。まだまだ多くの可能性が残されていることは作曲の段階でも少々感じていた。
 ところで、この作品を初演する団体の団長さんが、この曲に関してあるコメントをされた。それは、この曲はこれ単独ではない、もっと大きな作品に繋がるものではないのかと感じる、というようなことだった。このコメントを聞いたとき、正直ドキッとした。実はこの曲は、別に構想しているプロフェッショナルな吹奏楽団のための一切の制限を廃した芸術作品としての吹奏楽曲の音楽要素を整理・凝縮することから曲の基盤を構築したからだ。さて、この曲から私の音楽観にどのような展開がもたらされるのか、楽しみである。
 完成は2001年5月。編成は「Pic(1、Fl持替)、Fl(2)、Ob(opt)、Bsn(opt)、EsCl(opt)、Cl(6)、Alt-Cl(opt)、B-Cl(1)、A-Sax(2)、T-Sax(1)、Bar-Sax(1)、Trp(3)、F-Hrn(4)、Trb(3)、 Euph(1)、Tuba(2)、Str-B(opt)、Perc(3)、Piano(1)」《( )内は必要最低限人数》。初演は2001年8月5日に佐世保市、アルカスSASEBOで開催された長崎県吹奏楽コンクールにおいて長崎市民吹奏楽団によった(金賞を受賞)。演奏時間約8分。なお、この作品は同楽団指揮者の烏山卓氏に献呈されている。
 また、2004年3月14日に行なわた「第七回 響宴」において龍谷大学学友会学術文化局吹奏楽部(指揮:若林義人)によって再演され、ライヴ録音のCDがブレーンから発売されている。楽譜はブレーンよりレンタル。



Anamorphic Aberration           テープ作品

 タイトルは「anamorphic」が「歪像的」、「aberration」が「光行差」の意(共に光学用語)。周期の異なる多数のパルス(「呼吸」と換言してもよい)を同時に存在させ、それぞれに異なるディナミクス周期を与えることにより、数々の聴覚的な「ひずみ」や「ゆがみ」が造り出されることを意図した。人間は「聞こえる」と「聴く」の境界をどこまで意識するものであろうか。そこに私の興味はあった。
 主にMIDIによる音素材を様々な方法で加工、配置することによって作成されている。その理由や方法論についてはこちらのサイトに詳しく書いてあります。なお、ここには「家庭でできるテープ音楽の作り方」なるものも書いてみましたので興味のある方はお読みください。
 2001年12月23日、慶應大学SFCにて行われた音楽情報科学研究会 (SIGMUS)における「インターカレッジ・コンピュータ音楽コンサート」において短縮版(演奏時間3分半)が公開初演された。2002年2月に作られた全曲版(演奏時間8分半)は2002年5月17日、東京音楽大学における作曲科作品発表会で公開初演された。
 音源は、こちらのサイトにてダウンロードできます。



滲む樹                   トロンボーンと管弦楽のために

 大学院修了作品として作曲。トロンボーンを宗教楽器として扱った協奏的作品。MozartやBerliozなど多くの作曲家の作例で知られるように、かねてよりトロンボーンは生死を象徴する楽器として用いられていた。トロンボーンの現代作品というとジャズ的なパッセージを持つものや、身体表現を重視した作品が多かったが、この作品ではそのような印象を極力排したかった。テナー・バス・トロンボーンの「B♭管とF管を自由に切り替えられる」という点を利用し、様々な奏法を試みている。
 管弦楽は独奏トロンボーンより滲み出た音響体として機能する。低音域より上行する重い音色での音響による部分、中音域より上行する軽い音色での音響による部分と続き、その後両者が交錯し独奏トロンボーンによって結合され一つの音響空間が創られる。この音響空間の中、金管群によって歪んだ形で奏されているのはグレゴリオ聖歌「クレド」(異版)の末尾。聖歌ではこの部分に「死者の復活と来世の生命を待ち望みます。アーメン。」という歌詞が当てられている。この旋律は次の部分で独奏トロンボーンのフレーズの中に断片化されて現われている。この部分を経てそれまでの音響空間は四度堆積による幅の広いクラスターへと変質する。この音響は管弦楽におけるほぼ全ての音域にわたっており、ゆるやかなうねりの後にこれまでにも幾度か現われていた上行する長大なグリッサンドによって最高音へと収斂される。このとき独奏トロンボーンは、他のトロンボーンやトランペットによるエコーを伴った吹き延ばしを行なっており、一つの終焉を暗示させている。その後、独奏と管弦楽の計4本のトロンボーンによってクレドの旋律が原形で奏される。これはかつて完全5度で平行移動する男声にトロンボーンを重ねて歌っていた慣習に基づくものである。この聖歌が完全5度重ねて歌われていたであろうことは、B♭という異質な音が旋律に含まれていることからも分かる。冒頭の雰囲気を感じさせつつ、息吹という人間の生命そのものを象徴する音によって曲が終わる。この曲では全体的にEを中心音とし、A音を支配音としているが、これはクレドの旋律がE主音のヒポフリギア旋法であることに由来する。また、全体に渡って様々な時間単位が共時的に存在している。これは多くの人が一同に会して一つの時間に存在していることを表すもので、私の他の作品に共通するテーマである。
 なお、タイトルは斉藤隆介の原作、滝平二郎の切り絵による絵本「モチモチの木」の1ページの印象による。
 完成は2003年1月。演奏時間約17分。未演。



Cohabitation               オーボエとクラリネットのために

 「合わせる」という事はどういう事なのだろう、という「演奏行為」への疑問をずっと持っていた。「合わせる」というからには、どこかに「軸」があるのだろう。それは、管弦楽や吹奏楽などでは「指揮者の時間」だろうし、弦楽四重奏などのアンサンブルでは小節線が引かれることによって発生する拍節構造による「暗黙の了解」(あるいは各奏者の最大公約数か)なのだろう。では二重奏ではどうか。単に「二人とも同じ時間に等しく属する」だけなのだろうか。必ずしもそうではないような気がする。「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」と言わずに「ヴァイオリン・ソナタ」と言ってしまうような「主従の関係」という在り方もそこにはあるような気がする。「ダレニアワセル?」
 この作品では四種類の時間が存在する。一つ目は「オーボエの時間」。ここではオーボエにのみ《小節》を持つ確定的な記譜がなされており、クラリネットはそれをある程度の目安とした不確定なリズムによる記譜で演奏する。二つ目は「クラリネットの時間」。先の逆である。三つ目は「どちらにも属さない時間」。オーボエ、クラリネットともに不確定なリズムで書かれており両者の《見計らい》によってアンサンブルが行なわれる。四つ目は「共有する時間」。いわゆる通常の小節割がなされており、先に時間枠が決定されていて、その《縛り》に従ってアンサンブルが行なわれる。この四種類の時間が様々に入り組む事によって、奏者は「合奏する」という行為への精神的な距離の取り方が曲の中で変動することになる。
 2001年位から、電子音楽を除けば管弦楽や吹奏楽など、極めて規模の大きい編成のために曲を書いてきた。編曲も合わせると、かなりの数の楽譜を実際に音にもした。そうしたことを繰り返すうちに、自分の中で「もっと合奏するということを見詰め直したい」と強く願うようになった。だから「二重奏」という形態なのだろう。
 この曲は書き始めては破棄、ということを何度も繰り返した。一応は完成した後も、何か納得できない。しかし、一旦筆を置いてみたいと思う。タイトルも迷った。結局、「綾の断面」→「Undulation」となったあと、このタイトルに落ち着く。
 2003年7月に完成。演奏時間10分半。未演。



コンセルト・マーチ「シンタックス・エラー」    吹奏楽のために

 「マーチ」とは何であろう。それは曲や人によって様々であろうけれども、今回は仮に「常に同一方向へのベクトルを持つ音楽」としてみよう。放っておいても勝手に一つの方向へ進んでいく推進力を持つ形式は、考えてみれば極めて特殊なものである。ならば、この形式を「解体」するのではなく、そこに敢えて「搭載される」ことに何か新しさはないだろうか。それがこの曲の発想のスタートとなった。
 マーチにおける「ごく単純な拍節構造」(だからこそ、比類無き推進力を生むのだが)は、ある種の「構文」と言うことができよう。また、「A→A'→B→A'→Trio→A'(→B)→Coda」のような(俗に「第一マーチ」「第二マーチ」などと呼ばれる部分を持つような)伝統的な形式も「構文」と言える。この曲ではそのような「構文」を嫌味なまでに踏襲しつつも、かなり悪辣な手法でそこからの逸脱(というよりも「エラー」である)を随所に仕込んでいる。 例えばリズム。リズム・セクションが一小節を「8分音符で(2+2+2+2)」と単純に分けているのに対し、他は「8分音符で(3+3+2)」と分けているためにチグハグさが生まれ、なおかつリズム・セクションの低音でもバスドラムだけは裏打ちだったりする。他、一ケ所だけ現れる3/4拍子だとか、同じフレーズでも途中でアーティキュレーションが変化するなども見られる。姑息なところでは、4回出てくる「第一マーチ」はその初出のみ一ケ所だけ音が違う(笑)。これらの「エラー」は非常に「構文」に近い形で混ぜられているため、かえって奏者には「違和感」を覚えさせる。しかし、何となく聞いている人には「普通のマーチ」に聞こえるだろう。この微妙な距離感こそが「解体」ではない「歪み」の面白さを生む。
 他にも「奇妙な」ことはたくさん行なわれており、随所にあるポルタメントはその好例。「明瞭な発音」がモットーのマーチに混ぜられると、その効果は極めて高い。オーケストレーションでも「トランペットの上にあるホルン」や「トランペット二重奏」、ディナミクスが変化するパートと変化しないパートの同時存在など、普通はマーチには適用しないものが多数。こうした「逸脱の面白さ」をクローズアップするのがよいのだが、逆に「仕掛けられたエラー」を「克服」しなければならない箇所もある。冒頭と途中にある全員での「チューニングのB♭のユニゾンでの延ばし」や、「二拍三連と、16分音符で(3+3+2)というシンコペーションの連続」(しかもスネアドラムがそれぞれ三連符と16分音符を刻むのでごまかせない)といった「罠」も仕掛けてある。
 ちなみに、タイトルは「構文上の誤り」だが、それよりも、私が小学生だった頃、家のパソコン(当時はマイコンと呼んでいたが)にBASICで「ベーマガ」に載っていたプログラムを入力して「RUN」を押したときに表示される「あの」文章。それにより「流れ」は断ち切られていたのだけれど、入力するというある種の「楽しみ」は常に流れていたような気がする。なお、欧文タイトルは《Concert[o] March "Syntax Errors"》で、「演奏会用」と「協奏的」(この場合はラテン語起源ではなくイタリア語起源のほう)とを掛けてあるのだが、どちらにしろ英語では「コンセルト」とは発音しないのであって、ここにも一つの「エラー」がある。

 2004年3月に完成。2005年度吹奏楽コンクール課題曲公募(課題曲V)に出したけれど、試奏審査(2004年6月2日、東京佼成ウインドオーケストラ/今西正和)までいって落選。まぁ、ちょっと聞いた感じでは「明らかにマーチ」なので、一曲くらいはそう聞こえないものを課題曲にしたかった、というのは理解できるし、私でもそうするだろうから、仕方ないところ。
 私の主義として、「やったことがない(やろうとしない)ものは批判しない」というのがある。だから一度は課題曲を書いてみる必要があった。一番の「シンタックス・エラー」は私の「作曲をやっていく」という構文において「これを書いた」ということだったのではないだろうか。でも、それだけにこの曲はとても気に入っている。
 なお、この曲は2004年12月2日に野中図洋和 指揮の陸上自衛隊中央音楽隊によりレコーディングが行われ、2005年3月2日にキングレコードから発売された「The Best Collection of March」という10枚シリーズのCDに含まれている「コンサート・マーチ」(KICW 3014)に収録されている。公開初演は、2005年4月17日に京都市の東部文化会館で行われた龍谷シンフォニックバンド・スプリングコンサート(指揮:若林義人)による。余談ながら、公開初演時に作曲家の酒井格氏が2nd Flute奏者として参加している。
 楽譜はウインドアート出版よりレンタル。同社のサイトで参考音源も試聴できます。



科戸の鵲巣         吹奏楽のための祝典序曲

 防衛庁設立五十周年記念として陸上自衛隊中央音楽隊の委嘱。
 「科戸の風」(しなとのかぜ)という言葉がある。これは「一切の穢れを吹き去ってくれる風」のこと(「日本書紀」での風の神である「級長戸辺命」(しなとべのみこと)が由来)。「科戸」は「し」が「風」、「な」が助詞の「の」、「と」が「場所」なので、「風の起こる場所」の意。 また、「鵲巣(じゃくそう)は風の起こる所を知る」という諺があり、カササギがその年の風の具合を予見して巣を作る本能があると言われていることから「未来を予知する能力」の例えを意味しているそうだ。 この二つの言葉を合成し、祝福された未来へ向かう序曲とした。また、この二つの言葉に共通項の「風の起こる場所」というのが吹奏楽団を連想させるのもひっかけてある。
 「過去と現在」、あるいは「現在と未来」というような「異なった時空」を様々な手法で併置させており、滲むような「時のラスタースクロール」を感じられるように作曲した。要所要所で聞かれるグリッサンドを伴ったクラリネットの鋭い響きはカササギの鳴き声(あまり美しい声ではないのだ)の模倣である。

 調性的な響きや全音音階を使用した作品で、私の作品としては異色。核となる「旋律」もあるし、全体的に「聞きやすい」。ただし、オーケストレーションを始めとして「背景として」かなり実験的なことも行っている。
 委嘱時の要望として「華やかなもの」「二部構成で、前半だけ独立させてファンファーレとして演奏できれば、なおいい」というのがあった。そのため、曲の冒頭部と終結部を繋げると3分くらいのファンファーレになるように作ってある。

 この曲を作っている間、常に念頭にあったことは「とにかく大編成の特性を活かす」こと。それは、委嘱者である陸上自衛隊中央音楽隊の野中図洋和隊長の言葉に起因する。私がまだ大学院生だったころ、始めて陸中音にお邪魔させて頂いたときに「我々は大編成を持つプロであり、我々にしかできないことに誇りをもっている」というようなことを仰っていたことが印象的だった。それから間もなく陸中音からはスッペの編曲委嘱のお話も頂き、そのときにも「大編成ができること」を常に意識した。考えてみれば、一介の世間知らずの学生にこのような機会を与えて下さったことは、一般的に考えればありえないことではなかろうか。人選の経緯がどうあったのかは私の知るところではないのだけれども、最終的に決定するのは隊長であろうことは疑いないだろう。いわば隊長は私を拾って下さった「恩人」なのである。その隊長の最後の定例演奏会での委嘱作品として、この曲は初演される。曲の終盤、頭に浮かんだ隊長の笑顔に、思わず涙しながら作曲を行った。それまでに断片として隠されていた動機が全面に出る、クライマックスにおける旋律は、まさにその部分である。

 編成はとにかく大きい。「遮光の反映」と同様、「作曲にあたっての新・編成組織方法の提案」に準拠した方法でパート割がなされている。編成は「Pic(1)、Fl(3)、Ob(2)、Bsn(1)、C-bsn(1)、Es Cl(1)、Cl(8)、B-Cl(1)、Es C-altCl(1)、S-Sax(1)、A-Sax(2)、T-Sax(1)、Bar-Sax(1)、Trp(8)、F-Hrn(6)、Trb(6)、Euph(2)、Tuba(2)、Str-B(1)、Perc(6)」《( )内は必要最低限人数》。技巧的にもかなり難しく、中間部には様々なソロが絡み合う室内楽的な部分も存在する。
 完成は2004年10月15日。初演は2004年12月16日に練馬文化センターで行わた陸上自衛隊中央音楽隊第61回定例演奏会において、野中図洋和指揮の陸上自衛隊中央音楽隊による。演奏時間は10分。
 余談ながら、カササギは私の故郷である佐賀県の県鳥だったり。また、偶然にも2004年12月に、私の音楽を小学生の頃よりずっと見続けてきてくれている大切な人物が結婚することになった。この曲は、私のお世話になった様々な人への感謝を込めた祝典曲となっている。
 2006年3月5日に行なわれた「第9回 響宴」において神奈川大学吹奏楽部(指揮:小澤俊朗)によって再演され、ライヴ録音のCDがブレーンから発売されている。楽譜はブレーンよりレンタル。
 また、ミュゼ・ダール吹奏楽団の依頼により、コンクールの長さに合わせるために7分にカットした「コンクール・エディション」を2006年に作成している。この「コンクール・エディション」の楽譜もブレーンよりレンタルされている。2つの版の違い、および2006年の全日本吹奏楽コンクールで演奏されたカットについて、本来は含まれていないハープとピアノの楽譜について、などの情報はこちらの「科戸の鵲巣」よくある質問を参照のこと。
 なお、全曲版ではないものを演奏する際には「コンクール・エディション」と明記することをお願いします。また、「全曲版」「コンクール・エディション」の合成により独自の版を作成することも許可していますが、その場合にも「ディレクターズ・カット」などのように何らかの方法で「全曲版ではない」ことを明記するようにお願いします。
 音源の一部がこちらのサイトでダウンロードできます。



玻璃ぷりずむ        吹奏楽のためのテクナル・ミニマリズム

 龍谷大学学友会学術文化局吹奏楽部の委嘱作品。
 以前、「第7回 響宴」の練習のために京都にある龍谷大学へ伺った。龍谷大学のすぐ近くには伏見稲荷大社があるのだが、練習の日の朝に時間があったので、ちょっと登ってみた。そこで見たのは、かの有名な千本鳥居。延々と連なる紅い鳥居(時折、石造りのものも)の隙間から差し込む陽光、聞こえてくる水音・鳥の鳴き声・遠くの電車の音・・・・・ 不思議な「日本的ミニマリズム」をそこに感じ、以前どこかで似たような感じを覚えたことを思い出す。山村暮鳥の詩を読んだときのことではなかったろうか。日本的なミニマリズムから感じられる、輝く色彩感。そういえば暮鳥は自身を「ぷりずみすと」と称していたっけ・・・・・
 その後、龍谷大学の御厚意で、新曲を書かせて頂けることになった。この曲に前述の体験が織り込まれることとなったのは、必然だろう。日本の旋法を用い、ミニマルミュージックの要素を盛り込んでみた。様々な意味での「時間のずれ」が感じられるだろうか?
 曲は連続して演奏される三つの部分より成っており、テンポが段階的に速くなる。この変化の仕方は特殊な方法を採っており、結果として「メトロノームにないテンポ指定」が書かれている(これは楽譜を見たら一目瞭然なのだが)。accelやritなしでテンポを速くしていくことはできないか、とかねてから考えていたのだけど、その実践(実験?)をやってみた次第。
 スコアの冒頭には山村暮鳥の詩より「雪景」(黒鳥集・所収)、「風景(純銀もざいく)」(聖三稜玻璃・所収)、「玻璃もざいく」(拾遺詩篇・所収)の三篇が掲げられている。曲の部位と対応していなくもないのだが、別に詩の内容を表現しようとしたものではなく、あくまでも「参考」程度の意。

 やはり「作曲にあたっての新・編成組織方法の提案」に準拠した方法でパート割がなされており、「Pic(1)、Fl(3)、Ob(2)、Bsn(2)、Es Cl(1)、Cl(8)、B-Cl(1)、B♭ C-bassCl(1)、S-Sax(1)、A-Sax(2)、T-Sax(1)、Bar-Sax(1)、Trp(6)、F-Hrn(6)、Trb(8)、Euph(2)、Tuba(2)、Str-B(1)、Perc(6)、Hrp(1)」《( )内は必要最低限人数》という大編成。人数は多ければ多いほど望ましい、という大変な曲。
 完成は2004年11月17日。初演は2004年12月23日に滋賀県立芸術劇場びわこホールで行われた龍谷大学学友会学術文化局吹奏楽部第31回定期演奏会において、若林義人指揮の同吹奏楽部による。演奏時間は8分20秒。
 ところで、サブタイトルは佐々木敦氏の名著の題に似ているけれど、特に関連はない。後日、某氏から「ヴァレーズのハイパープリズムか」と言われたけれど、それはもっと関係ない。「テクノミュージック風の」(本来テクノミュージックはコンピュータによる音楽の総称であるが、反復が多用されるという楽曲の様式上の印象による)という程度の意味の造語であり、同時に「木偶(てく)なるミニマリズム」との掛け言葉。この曲の「上辺(うわべ)だけの世界」という問題提起を端的に顕しているのである。目指したのは「誤った京都観」と「ださカッコよさ」。

 私の曲としては珍しい「ノリノリ系」の曲なのだけれども、これには多分に龍谷大学のみんなの印象の影響。どこまでも明るく、楽しく、それでいて礼儀正しく、熱心に練習に取り込む姿。彼らと過ごしたとても幸せな時間と真摯な姿勢に感謝と敬意を表し、龍谷大学学友会学術文化局吹奏楽部とその音楽監督・若林義人氏に捧げたい。

 第10回「響宴」において、初演と同じく若林義人指揮・龍谷大学学友会学術文化局吹奏楽部にて再演、ライヴ録音がブレーンより販売されている。なお、CDの英語表記では「Technal」が「Technical」と誤って記載されている。楽譜はブレーンよりレンタル。


 音源の一部とスコアの一部がこちらのサイトでダウンロードできます。
 よかったらこちらもどうぞ。



風に寄せて         無伴奏男声合唱組曲

 「風に寄せて」は立原道造(1914〜1939)の詩。正直、この詩人はあまり好きなほうではなかったのだが、「風」というのが立原道造にとって何なのか、ということに気付いたとき、そこには共感できるものがあった。
 「風に寄せて」(拾遺詩篇:所収)は『さうして小川のせせらぎや〜』と『風はどこにゐる〜』の合わせて二編から成るものが有名で、多くの作曲家が曲を付けているが、私が今回選んだのは『しかし 僕は かへつて来た〜』、『僕らは すべてを〜』、『だれが この風景に〜』、『やがて 林を蔽ふ〜』、『夕ぐれの うすらあかりは〜』の五編からなる別のもの。詩の内容からして、曲の性格も自ずと決定されてしまうだろうけれど、初演舞台の背景を考えると、このようなものがベストだろう。
 曲は、5曲の曲調がアーチ状に配されている。中心である3曲目をいわゆる「合唱曲」の流麗なスタイルとする。2曲目・4曲目は声部を多数に分割したクラスター風な音響を部分的に用いた現代的スタイル。1曲目・5曲目には序曲および終曲的な性格を帯びさせている。
 1曲目は男声グリーの醍醐味である教会音楽風の楽章。全曲に渡って登場する幾つかのモティーフが全て提示される。 2曲目はシュプレヒゲザングから開始される。不安気な世界はモード・クラスターを経て拓かれた世界へ向かうが、儚気に消えてゆく。 3曲目はdurの明るい響きで開始され、3拍子系のリズムで流れるように歌われていくが、最後はmollの響きに沈む。 4曲目は非常に不安定な世界に支配されている。グリッサンドやエコーを多用した音響は、やがて小節線を廃したシュプレヒゲザングのクラスターへ移り、その内で歌われるテナー独唱に導かれて頂点に達し、天上へと消えていく。 5曲目はこれまでの全ての要素が結集する曲。ユニゾンでゆっくりと始められたあと、モード・クラスターの音響でaccel、急速なオスティナートを伴う部分へ移行する。その頂点で、長三和音の響きによって力強く曲は終わる。
 小澤和也委嘱。初演は2005年7月10日に三鷹市芸術文化センター・風のホールで行われた東京農工大学グリークラブの第25回演奏会にて。これは公演25周年記念のOB合同ステージによるもので、指揮は小澤和也氏による。完成は2005年2月18日。演奏時間はトータルで14分ほど。
 音源の一部がこちらのサイトでダウンロードできます。



《La Decouverte du Feu》        ユーフォニアムと吹奏楽のための

 ミュゼ・ダール吹奏楽団の委嘱により書かれたユーフォニアムと吹奏楽のための協奏的作品。
 フランスの超現実主義の画家であるルネ・マグリット(1898〜1967)には、ユーフォニアムを題材にした絵が幾つかある。一般的にはテューバと言われているが、様々な絵における大きさを見てみると、(シュールレアリスムでは遠近法や物体の大小が無視されることも多いとは言え)ユーフォニアムとしても差し支えないだろう。「火の発見」と訳されるこの曲のタイトルとなった絵もその一つである。本来は燃えるはずのないものが燃えている、という情景。この絵の背景にあるのは、プリミティブなものなのだろう。
 独奏ユーフォニアムはバンドの火の中に存在する。火は既に存在したものなのか、それとも自身から発せられたものなのか。火は自己か、それとも他か。
 曲は独奏ユーフォニアムの旋律より発生した音響(火、である)が拡大されていき、やがて独奏ユーフォニアムと対峙、あるいは同化、吸収する、というもの。優れた独奏者は、演奏を聴いているとその背景に一種の幻覚ようなものが見えることがある。どちらかと言えば小柄な外囿祥一郎氏が、ひとたび楽器を手にすれば大巨人のように見える、というのはその顕著な例だろう。ある時、とある吹奏楽伴奏の協奏曲を氏が演奏しているのを聴いたとき、そこに見えたのは、まさに炎を背にした鬼神であった。
 マグリットの絵のタイトルは、「火の発見」であって「炎の発見」とは訳されない。つまり、これは「人間」(動物ではなく)の発生を後ろに背負っているとも言えよう。また、マグリットにとって火とは「死」のメタファーであったことはよく知られている。 私のこの作品では「F」か「H(またはB♭)」を中心として展開する。「F」は「fire」の象徴であり、「H(またはB♭)」は「Si」、つまり「死」の象徴である。
 独奏ユーフォニアムには重音奏法やハーフヴァルブ、強制倍音など数々の特殊奏法が要求されている。中でも同じ音程(正確には微分音的に誤差がある)を出す複数の指遣いを連続させる(更に口の技術も混用する)奏法が用いられているが、この指遣いの決定には独奏者である外囿祥一郎氏の多大なるご助言を頂いた。
 また、バンドのほうにも特殊奏法が比較的多く要求されているが、それらは決して難しいものではない。しかし、技巧的には難しくないものの、どこまでも重く・深刻な響きが連続するこの作品の演奏には、何よりも精神的な成熟が求められる。
 この曲もやはり「作曲にあたっての新・編成組織方法の提案」に準拠した方法でパート割がなされており、「Pic(1)、Fl(3)、A-Fl(1)、Ob(1)、Bsn(1)、C-Bsn(1)、Es Cl(1)、Cl(6)、B-Cl(1)、B♭ C-bassCl(1)、S-Sax(1)、A-Sax(3)、T-Sax(1)、Bar-Sax(1)、Trp(6)、F-Hrn(4)、Trb(6)、Euph(2)、Tuba(2)、Str-B(1)、Perc(5)、Pf(1)、Hrp(1)、独奏Euph」《( )内は必要最低限人数》という大編成で書かれている。「多くのバンドが演奏できるように」と小さな編成で書く事は現代の主流だが、それでは大人数の実力バンドが演奏するための作品というのは生まれない。底辺の拡充は確かに大事だが、頂点の引き上げを目指す作曲家も一人くらいいてもいいのではないだろうか?
 完成は2005年4月6日。初演は2005年5月7日に足立区西新井文化ホール「ギャラクシティ」で行われたミュゼ・ダール吹奏楽団第8回定期演奏会において、野上博幸指揮の同団による。独奏は外囿祥一郎氏。演奏時間は8分。
 なお、この曲は「マグリットの三枚の絵」と題した三連作の一曲目(協奏曲の第一楽章)として構想されている。
 音源の一部がこちらのサイトでダウンロードできます。



コンセルト・ピース「セマンティック・エラー」        吹奏楽のための

 龍谷シンフォニックバンドの委嘱作品。
 以前、コンセルト・マーチ「シンタックス・エラー」という作品を書いた。その拡大作品を、という依頼に応える形での作曲。一度書き上げた作品の続きを書く、というのは難しい。そもそも曲というのは全体像を考えて、次にどのようなイヴェントを起こすか、ということを考えるからだ。重ねて、前作はマーチである。「放っておいても勝手に前進する推進力を持つ」というこの形式に載せるからこそ可能であったこと、というのは多数ある。つまり、勢いを重視するが故に主題労作にあまり応えられない動機設定を行っていた、という側面は否定できない。動機の性格上、ゆっくりにできない。しかし、速いテンポのまま突き進むと、曲としてのテンションを維持するのは難しいし、可能であったとしても奏者聴衆共に疲弊する。それを倍以上の長さに拡大させるには、どうしたらよいか。
 「シンタックス・エラー」とよく似ており、表裏一体とも言えるコンピュータ用語に「セマンティック・エラー」というものがある。前者が「構文上の誤り」であったのに対し、後者は「意味論上の誤り」であり、「数値の誤り」でもある。今回はここに着目することにした。
 「シンタックス」の主題は、当然ながら4拍子(2拍子)を前提としている。これを、別の系統の拍子(誤った数値)に搭載させることによって、変容を作り出そう、という試みをすることにした。つまり、基本のリズムは全く変えず、その周辺のみを置換することにより、新しい拍節感覚を聴衆に植え付けよう、というのである。「シンタックス」をそのまま使用している部分(○/4拍子系)を「四分音符=128」と設定する。これとは別に「○/2拍子系」(二分音符=64)、「○/8拍子系」(八分音符=256)という部分を作成して通過させ、最終的に「シンタックス」の終着点に導こう、というのだ。余談ながら、この「64、128、256」という数字の意味が分かる人は、この曲に合っている。
 このように3種類の拍子系の上に、「シンタックス」の基本動機をそのまま搭載させるのだが、それぞれの拍子系に、バラバラの性格を与えることにする。「セマンティック」では「数える」ということが一つのポイントになっているのは前述の通りだが、部分のキャラクター設定にもそれは影響する。 「マーチ」は「数える」拍子である。「1、2、1、2、・・・・・」というアレである。同様に「数える」を意識する形式に「ワルツ」がある。「ズン、チャッ、チャッ、・・・・・」である。これを「○/8拍子系」に当てる。(だから基本は3/8拍子になる)。もちろん、時折これから逸脱させるわけだが。 「○/2拍子系」には、逆に数えさせないような小節構造を適用する。ちなみにここでは様々な楽器(Alt ClやOb、Bsnなども含む)に同時にソロが現れる。
 編成は、「シンタックス」と同様のもの(全日本吹奏楽コンクール課題曲のA編成)を使用しているので、私の作品に珍しく通常の「固定編成」である。
 2005年6月9日に完成。2005年8月7日に京都会館にて行われた京都府吹奏楽コンクールにおいて、若林義人指揮の龍谷シンフォニックバンドにより初演された(金賞・京都府代表)。8月21日に行われた関西大会での指揮は高橋律氏。演奏時間は約7分40秒。
 音源の一部がこちらのサイトでダウンロードできます。



サルムの光        ブラス・アンサンブルのためのフラリッシュ

 さいたまファンファーレクラブの第10回演奏会記念委嘱作品。さいたまファンファーレクラブはペガサスをシンボルマークとしており、それを題材にした短いファンファーレ(かっこいいの)を書いてくれ、との委嘱。
 「サルム」とはペガスス座にあるτ(タウ)星の名前であり、「高い理想に進むペガスス」という星言葉(3月10日の誕生星)を持っている(余談ながら、星座の名前としては「ペガスス」が正式)。
 10名の奏者によるブラス・アンサンブル作品だが、この10名は「Trp 1、Trb 1」「Trp 2、Trb 2」「Flugelhorn 1、Altohorn 1、Euphonium 1、Tuba 1」と3つのグループに分けられている。2名のみによるグループはミュートを付けるように指示されており、これにより3種類の音色グループが設定されている。サクソルンを中心としたグループを過去、オープンのトランペット・トロンボーンによるグループを現在、ミュートのグループを未来、という風に設定し、 3つの時間が絡み合い、過去のモティーフが段々と未来に向かって移っていき(音高的にも上へ向かう)、織り重なって一つとなる、という構造になっている。
 この曲では、「さいたまファンファーレクラブ」の略号「SFC」を「S(ミ♭)→F(ファ)→C(ド)」という音列に置き換え、そこから取り出した「長二度→完全五度」という音程進行が主要動機として使われている。
 演奏難易度は、かなり高め。完成は2005年8月24日。初演は、2005年10月2日に彩の国さいたま芸術劇場にて行われた「さいたまファンファーレクラブ第10回演奏会」にて。演奏時間は約1分30秒。
 2009年に書かれた「マタルの涙」、「マルカブの矢」と合わせて「ペガスス座三部作」となっている。



とっかあた        ユーフォニアムとピアノ(または吹奏楽など)のための

 外囿祥一郎氏の委嘱。ピアノ伴奏によるアンコール・ピースとして演奏されることを前提に作曲。委嘱時の条件は、「1、日本の音階を用い」「2、誰もが知っている旋律が出てきて」「3、超絶技巧で」「4、盛り上がって派手に終わるもの」というもの。
 曲中に出てくる主な旋律は「さくら」、「茶摘み」、「うさぎ」という《春・夏・秋》を題材にした三曲。この中には《冬》が含まれておらず、ここから「冬、刈った(とう、かった)」をもじって『とっかあた』というタイトルとした。片仮名ではなく平仮名にしているのは、「なんちゃって日本」のニュアンスを残したかったため。『トッカータ』とは、指馴らしの目的で書かれた即興的な鍵盤楽器のための音楽というのが本義なので、本来はアンコール・ピースに付けるようなタイトルではない。欧題は「TOCcatA」であり、「TOC - cat A」と分解できる。「TOC = Table of Contents」はMDなどにもある内容一覧情報のこと。伝統的曲名のなかに「とある小猫(Cat A)」が踊っているのである。ユーフォニアムという丸みをおびた迅速な猫の、様々なテクニックの見本市のような曲に聴こえれば、と思う。外囿氏のユーフォニアムの素晴らしさは今更言うまでもない。「どこがすごいか」と問われれば「全て」と言うしかないだろう。よく言われるのが、その美しさの極致と言える音色、そして、恐ろしく広い音域とそのコントロールテクニック。その他では、超人的なテクニックは余人の及ぶところではないし、軽快な曲想における鮮やかさは見事としか言いようがない。だが、外囿氏の本当に凄いところは、それら全てを自在に操り、曲に応じて適材適所に使い分け、瞬間的に表情をガラリと変えつつも全体として見事に纏め上げる、という「音楽性」そのものだろう。短い中にも、それらを可能な限り同居させようと努めてみたが、どうだっただろうか。演奏時間は2分半。

 2005年9月20日に完成し、10月16日にヤマハアトリエ東京で行われた「外囿祥一郎/ユーフォニアム・マスタークラス」において初演(ピアノ:藤原亜美)。その後、同年11月4日に初演と同じ演奏者によって録音が行われており、2006年6月に佼成出版社よりCDが発売。楽譜は2006年8月1日から佼成出版社よりオンデマンド方式で発売。2007年には浜松国際管楽器アカデミー&フェスティヴァルのソロ・コンサートでも演奏されている。

 吹奏楽伴奏版も作成されており、こちらの完成は2005年11月30日。初演は同年12月23日に滋賀県立芸術劇場びわこホールにて行われた龍谷大学学友会学術文化局吹奏楽部の定期演奏会にて。ユーフォニアム独奏は外囿祥一郎氏、指揮は若林義人氏。

 更に、金管セクションおよび打楽器3人による伴奏版も作成されており、こちらの完成は2006年1月22日。初演は同年3月26日に高知市文化プラザ・大ホール(かるぽーと)にて行われた《The Brass Factory》の旗揚げ公演「ブラスの祭典」にて。指揮は若林義人氏。メンバーは、トランペットがMOST TRUMPET 「THE MOST」の野儀 光(フリーランス)、森岡 正典(仙台フィルハーモニー)、中山 隆崇(東京都交響楽団)、杉本 正毅(フリーランス)、田中 敏雄(読売日本交響楽団)、高橋 敦(東京都交響楽団首席)、ホルンが「MISTCOR」の森 博文(東京フィルハーモニー首席) 、高橋 臣宣(フリーランス)、今井 仁志(NHK交響楽団)、斉藤 善彦(フリーランス)、トロンボーンが「4boneline」の村田 陽一(ジャズトロンボーン)、池上 亘(NHK交響楽団)、古賀 慎治(東京都交響楽団)、篠崎 卓美(読売日本交響楽団)、バリ・テューバが「The Tuba Band」の外囿 祥一郎(独奏/航空自衛隊航空中央音楽隊)、山岡 潤(ジャズユーフォニアム)、阿部 安誌雄(陸上自衛隊中央音楽隊)、荻野 晋(東京フィルハーモニー)、打楽器が「The Sticks」の堀尾 伸二(航空自衛隊航空中央音楽隊)、西川 圭子(東京都交響楽団)、和田 光代(フリーランス)、の各氏という超豪華なもの。

 2007年3月14日には管弦楽伴奏版も完成。2007年5月8日に愛知県芸術劇場コンサートホールで行われた「セントラル愛知交響楽団特別演奏会 吹奏楽⇔オーケストラ」において、外囿祥一郎氏独奏・小松長生指揮により初演されている。

 とにかく、私のようなペーペーの若造から大作曲家に至るまで幅広い層に作品を数多く委嘱し、それら全てに熱心に取り組み、分け隔てなく接して下さる外囿氏には畏敬の念を禁じ得ない。世界に誇る超一流の奏者のためのアンコール・ピースを書かせて頂けたことは、私の生涯の誇りの一つである。
 余談ながら、この曲はアンコール・ピースとして書かれている以上、プログラムにタイトルが載らないことが多い。作曲者ですら再演されている状況が把握できない、という変わった曲。それだけ多くの回数、演奏して下さっている外囿氏には、ひたすら感謝。
 音源の一部がこちらのサイトでダウンロードできます。



Organizer        for 2 Euphoniums and Piano

 原口 和子氏(陸上自衛隊中央音楽隊)と尾原 進氏(陸上自衛隊第1音楽隊)という二人のプロ・ユーフォニアム奏者の委嘱により作曲。
 「Organizer」とは生物学の用語で「形成体」と訳される。生命の誕生の過程において、単一だった細胞が卵割を経て様々な器官へと分化する際に、その誘導を行う部位である。
 これと同様に、モノから始まる音楽がヘテロを経過しポリへと至る。その過程を描いた楽曲で、大きく分けて三つの部分から成る。基本原理より分化を行う第一部、その断片から《歌》へと分化する第二部、そして両者が統合され最終的な姿に《成長》する第三部である。
 音楽の動機を「細胞」と捉えて発展させることは、古今を問わずに様々な手法で試みられている《常套手段》でもある。今回は「動機的分化」も試みているが、一番の焦点は、ここ数年の私の関心事である「合奏の分化」である。音高的分化やリズム的な分化。いわゆる《ズレ》の過程を注視することは、細胞分割を観察することによく似ている。この過程において演奏者は「合奏する」ということを見つめ直すことになる。
 演奏は比較的難しく、様々な替え指による同音トリルなどの特殊な奏法も要求される。ピアノも相当難しい。

 蛇足ながら、形成体と言えば、「原口背唇部」。この形成体の観察実験といえばカエル(イモリも多いが)。「カエルの子はカエル」であることを示す観察実験とも言えるのだが、カエルの部位で一番特異な発生過程を経るのは「尾」である。
 委嘱者の尾原さんと原口さんの名前を結合させると「尾原口」。尾と原口背唇部、なのだ。

 完成は2006年2月27日。演奏時間は約10分。初演は2006年3月15日に国分寺市立いずみホールにて行われた「原口和子・尾原進 ユーフォニアム ジョイント・コンサート」にて(Pf:佐藤 友美)。その後、何度か再演されている。



オルテンシア    雨中に煌めく硝子の紫陽花

 紫陽花(アジサイ)の樹は、その土壌によって花の色が変化すると言う。また、ガラスを通った光は、波長によって異なった色彩に分光されると言う。もし、ガラスの紫陽花「オルテンシア」があったならば(そしてそれは実在するのだが)、それはどれほどの色彩の変化を見せてくれるのだろうか。雨霞の中、幽かな光を受けるオルテンシア。時に眩く、時に儚く、妖艶に映ろうその様は、暗い宇宙の星々の変光を思わせる。
 曲は、上記イメージに添って構成されている。針のような枝をなぞらえた持続と、それにまとわる音響の層。低音という土壌に咲く、倍音の花。光のスペクトルのように、異なる周期が分離してゆく音群。これらの要素が、時にぼんやりと、時に明瞭に、重なり合う。
 曲の終盤、陽光の集積により頂点を目指す。行き着いた先で、ガラスの紫陽花という非日常は、突如として日常へと引き戻される。だが、それまでの音響と余りに異質な「日常の響き」は、逆に最も奇異に聞こえるだろう。(以上、プログラムノートより)

 創価グロリア吹奏楽団委嘱作品。これまで書いてきた一連の作品の集大成として位置づけられる、私の中でも非常に重要な作品。このことは、上記プログラムノートと、他の私の作品の解説を読み比べてみても分かるだろう。
 私の作品は「滲み絵」のようなものだと思っている。それは色彩に限定した話ではなく、とにかく「幾つかの世界があり、その境界が曖昧である状態、あるいは推移する過程」が重要なのだ。そんなことを考えていたある日(それは私の誕生日だった)、ガラスでできた紫陽花に出会う。それは別に屋内に展示されたものではなく、自然の紫陽花の木々のなかに、突如として《生えていた》のだ。日常のなかに紛れ込んだ非日常。とても奇妙な感覚に捉われ、妖しく輝くその紫陽花を見ているうちに、自分がどんな世界にいるのか分からなくなってきた。この「日常と非日常の狭間」こそが、私の描きたい世界なのだ、と強く感じたのだった。

 この曲において日常は調性的音響、非日常は無調的音響で表されているが、それはどうでもいいことなのかもしれない。要は「歪む空間」と「浮遊する時間」さえそこにあればよかったのだ。
 サブタイトル中、「雨中(うちゅう)」は「宇宙」との掛詞。英題では「rainy space」となっている。

 この作品では、他にもちょっとした音響に関する実験も行っている。それについてはこちらのサイトを参照のこと(音源も一部あり)。
 この曲もやはり「作曲にあたっての新・編成組織方法の提案」に準拠した方法でパート割がなされており、「Pic(2:共にFl持替)、Fl(3)、Ob(2)、Bsn(2)、Es Cl(1)、Cl(8)、B-Cl(1)、B♭ C-bassCl(1)、S-Sax(1)、A-Sax(3)、T-Sax(2)、Bar-Sax(1)、Trp(6)、F-Hrn(6)、Trb(6)、Euph(2)、Tuba(2)、Str-B(1)、Perc(6)、Pf(1:Cel持替)、Hrp(1)」《( )内は必要最低限人数》という大編成で書かれている。

 完成は2007年1月24日。初演は2007年2月11日に東京芸術劇場で行われた「創価グロリア吹奏楽団・第21回定期演奏会」にて、中村俊哉指揮の同団による。演奏時間は約8分半。
 初演時のライヴ録音がCAFUAレコードより発売されている。楽譜もCAFUAよりレンタル(オンデマンド形式)。
 蛇足ながら、実在するオルテンシアの画像はこちら




浅葱の空        吹奏楽による憧憬的音詩

  杉みき子の短編集「小さな町の風景」の中に「あの坂をのぼれば」という話がある。幾度となく登っては下る坂道を、海へと目指して歩き続ける少年。執拗に繰り返される道程のうちに、様々な思いが去来し、ついにはくじけそうにもなる。だが、あるとき聞こえた海鳥の声により、少年は坂の上の空が海へと続く浅葱色となっていることに気付く。
 言うまでもなく、この話における「海」とは必ずしも本物の「海」であることが重要なのではない。誰しもがそれぞれの「海」を持っており、そこへ向かって歩み続ける。変わらぬように見える風景でも、確実に「海」は近づいているのだ。
 曲は一種のパッサカリア。杉の短編で繰り返される特徴的な「あの坂をのぼれば海が見える」という言葉と同じく、6回繰り返される主題。その上に雲とも言うべき音響層が被さっていくうちに、様々な断片が鳴らされる。坂の頂点に連なる空。頂からの眼下にあるのは海ではなく、更なる道程。だが、繰り返されるうちにやがて空は拓き、明るい響きへと徐々に変質していく。ついに海へと達したとき、「海」は常に自らの内にこそあったのだということに、少年は気付くだろう。(以上、プログラムノートより)

 ミュゼ・ダール吹奏楽団の第10回という記念の演奏会に際し、彼らのこの先にあるであろう「海」を願って書かれた。
 日本の吹奏楽で最も問題視されるべきことに、「音色に対する意識の欠如」ということが挙げられる。それは「どんなバンドでも同じような結果になるように」といいう大義名分のもと、塗りたくったかのような大tuttiが続く既存のレパートリーを演奏し続けたことに起因するのかもしれないが、ともかく日本の吹奏楽の演奏には「音色に対する意識」というのが希薄である。そこで、「ただ楽譜通りに演奏していては曲にならない曲」を書こうと思い立った。今回はその導入ということもあり、「段々と明るくなる音色」という分かりやすい構図。その方法論についてはこちらのサイトの本作のページの最後の方にも書いてみた。結果、「技術的にはそれほど難しくないが、音楽的には(こうした意識を持つ経験が浅いバンドには)非常に難しい曲」が出来上がったと思う。

 個人的には、自分の作曲法で違うやり方を試してみる、という一つの探求の作品でもあった。これまで書いてきた「音響的作品」の書法と、かつて学んだ音列操作の手法(セリー技法)との間に接点を見いだせないか、と試みた。同時に、打楽器や特殊奏法に頼らず、動機の操作という基本に一度立ち戻って考えてみたい、ということも思っていた。なかなか苦しい作曲だったのだが、今にして思えば「坂を登っていた」のは私自身だったのかもしれない。どのようにしてこの曲が構築されているかはこちらのサイトを参照のこと。

 この曲もやはり「作曲にあたっての新・編成組織方法の提案」に準拠した方法でパート割がなされているが、他の作品に比べると編成は比較的小さく、「Pic(1)、Fl(3)、Ob(1)、Bsn(1)、Es Cl(1)、Cl(6)、B-Cl(2)、S-Sax(1)、A-Sax(2)、T-Sax(1)、Bar-Sax(1)、Trp(4)、F-Hrn(4)、Trb(4)、Euph(2)、Tuba(2)、Str-B(1)、Perc(5)」《( )内は必要最低限人数》となっている。

 完成は2007年4月27日。初演は2007年5月19日に杉並公会堂で行われた「ミュゼ・ダール吹奏楽団・第10回定期演奏会」にて、野上博幸指揮の同団による。演奏時間は約8分。
 初演後、7月11日に齊藤一郎指揮の東京佼成ウインドオーケストラによってレコーディングがなされ、2007年11月にEMIミュージック・ジャパンよりCD発売。楽譜はブレーンよりレンタル。




双響        ブラス・アンサンブルのためのフラリッシュ

 マルティナショナルブラスアンサンブルの第10回記念演奏会委嘱作品。演奏会のオープニングのために、華々しいものを、との委嘱。
 「双響」というタイトルは、大きく二群(細かくは四群+α)に分けられた奏者たちが、互いにその個性をぶつけ合い、その個性の集合体としての「ブラス・アンサンブル」が、一つの大きな響きを創り上げていく、という曲の内容に由来する。「多国籍」を意味する委嘱団体の名前から着想した。

 編成は、グループA(Trp x2、Hrn x1、Trb x2、Euph x1、Tuba x1)と常にミュートを付けているグループB(Trp x2、Hrn x1、Trb x2、Euph x1、Tuba x1)という合計14人編成。

 完成は2007年7月30日。初演は、2007年8月12日に名古屋市しらかわホールにて行われた「マルティナショナルブラスアンサンブル・第10回記念演奏会」において、小久保大輔指揮の同団による。その後、同団は2008年2月16日に横浜で行われた「みなとみらいアマチュア室内楽フェスティバル」で再演し、ヤマハ賞を受賞。演奏時間は約4分。



閾下の桜樹        吹奏楽のための

 陸上自衛隊中部方面音楽隊の委嘱作品。

 一つのコミュニティに生きる人たちには、価値観や思考法などにおいて何かしら共通する観念が存在する。それは日常では意識しないことだが、確実に人の潜在意識の内にある、いわば《閾下》の存在だ。日本において、それは《桜の樹》の在り方だろう。春の訪れとともに訪れる華やかさと、儚さ。その一瞬を見届けるまでの一年、人々はかの樹に何を見るのか。
 日本人の内に古今を問わずに根ざしている《閾下の桜樹》。それは我々の美意識に他ならない。どのような情景においても、桜樹は常に、そこにある。(以上、プログラムノートより抜粋)

 この曲では、全ての素材が日本古謡「さくら」を用いて創られているが、旋法的反行形や逆行形なども多く、更にヘテロフォニックなエコーを伴って奏されることがほとんどであるので、それはあまり認識できない。しかし、聴いている人には無意識のうちに「桜」の姿が感じられるはずだ。

 構成としては「序破急」の三部から成っている。
 序では、「さくら」の旋律を小節毎に分断し、そこに含まれている音を同時に鳴らすことにより、面的な響きの固まりとして使う。また、その中から徐々に線としての「さくら」が浮き沈みしていく。いわば、混沌の内からの自我の誕生。
 破では、「さくら」の旋律の旋法的反行形や逆行形、反逆行形を小さな単位で組み合わせることによって新しく作られた民謡のような旋律線を、様々な楽器に歌い継いでいく線的な部分。いわば、受け継がれゆく精神。
 急では、「さくら」の断片はオスティナートの律動となり、それを背景として「破」の民謡的旋律と、曲頭に現れた独自旋律(「さくら」特有の旋法的順次進行に従っている)が奏される。いわば、恒久的存続。


 委嘱団体である陸上自衛隊中部方面音楽隊は、兵庫県伊丹市に本拠地があり、東海・北陸・近畿・中国・四国の2府19県を管轄している。吉野山の千本桜を始めとした桜の名所も多く、各駐屯地には桜並木もあり、自衛隊の紋も桜を象っていることから、「桜を主題とし、武士道に代表されるような日本人の特質を描いたものにしてほしい」という要望が委嘱元よりあった。
 なかなかに難しい要望であり、さらにいわゆる「分かりやすい曲」であることも求められたため、色々と悩んだが、「さくら」変奏曲とすることで構想がまとまっていった。

 この曲もやはり「作曲にあたっての新・編成組織方法の提案」に準拠した方法でパート割がなされており、「Pic(1:Fl持替)、Fl(2)、Ob(1)、Bsn(1)、C-Bsn(1)、Es Cl(1)、Cl(6)、B-Cl(1)、B♭ C-bassCl(1)、S-Sax(1)、A-Sax(1)、T-Sax(1)、Bar-Sax(1)、Trp(6)、F-Hrn(4)、 Trb(4)、Euph(2)、Tuba(2)、Str-B(1)、Perc(5)、Pf(1)」《()内は必要最低限人数。C-BsnとB♭ C-bassClはどちらかがあればよい》という編成で書かれている。
 編成にアルト・クラリネット、ティンパニ、ハープは含まれておらず、ブレーンからのレンタル楽譜一式にも含まれていないが、2009年に四条畷学園高校の依頼によって、これらのパートのオプション楽譜を作成している。もしそれらを使いたい場合、私のところまでメールにてお問い合わせのこと。

 完成は2008年5月9日。初演は2008年5月27日に兵庫県立芸術文化センター・大ホールで行われた「陸上自衛隊中部方面音楽隊・第40回定期演奏会」にて、井田康男指揮の同隊による。演奏時間は約8分。
 2009年3月15日に東京芸術劇場にて行われる「第12回 響宴」において神奈川大学吹奏楽部(指揮:小澤俊朗)によって再演され、ライヴ録音のCDがブレーンから発売。楽譜はブレーンよりレンタル。

 詳しい変奏の手法などをこちらのサイトに記述(音源も多少あり)。
 なお、初演時は副題を「吹奏楽のための前奏曲」としていたが、曲の内容から判断し、「前奏曲」を削除した。




谺響する時の峡谷    吹奏楽のための交唱的序曲

 関西大学応援団吹奏楽部のOB会である紫吹会の設立50周年の記念委嘱作品として、同吹奏楽部のために作曲。なお、「こだまする、ときのきょうこく すいそうがくのためのこうしょうてきじょきょく」と読む。
 舞台上で左右に分かれて展開し、更に2グループのバンダとして別にも存在する合計4つの金管群による交唱。その狭間にあって響応する木管。舞台上からだけではない、その《空間全体》の共振の内に身を置くことで、どのような体験をすることが出来るのか、ということに興味があった。以前、「異なった時間の共存による祝典序曲」という考え方で「科戸の鵲巣」という作品を書いたことがあるが、これと同じコンセプトで方法論を拡大した、続編とも言うべき曲である。
 空間的に離された4群は、時間的な隔絶も暗喩する。「舞台上」という《現在》と、「バンダ」という《過去》の対話。しかしこれらは対置されるものではなく、本質的に同じものである。過去はかつて現在であったものであり、現在はすぐに過去となる。呼応する《時の峡谷》の両壁は、谷底という「舞台」で繋がっている。この在り方は、長い伝統を持つ応援団吹奏楽部の歴史になぞらえることも出来るだろう。

 曲は、序奏部において奔流の如く提示される幾つかの要素を用いて構成される。その中でも最も重要なものは、木管群による鋭いリズムの《谺》である。これは、そのままの形でも曲中で随所に聞かれるが、音程構造はそのままにリズムを引き延ばすことにより、叙情的かつロマンティックな旋律へと変形されて随所で歌われる。また、金管群の同音連打を多用するファンファーレは後にパルス的な持続・音響体へと変容されるし、部分的にはソリスティックな線的動きの中にも組み込まれ、一種のシグナルの役割を果たす。
 これらの要素は常に変形し、滲み、律動に規則は感じられない。いわば《流れゆく存在》なのである。それに対し、規則的な周期を刻みつつける、時計の針のような「拍動」が、別に存在している。この《変わらない時の脈》の上に、前述の移り行く人々がそれぞれの想いを奏で、そして過去へと変わってゆく。
 途中、バンダの打楽器によって樹のシグナルが鳴らされると、それぞれの流れは一つの方向を目指す。道中、異なった時空同士の対話が行なわれたり、様々な記憶が浮き沈みするが、やがて全ての世界が一つとなり《歌》を歌いだす。実はこの歌は、曲中で常に奏されていた《谺》の変容体なのである。
 歌の果て、古今を合わせた皆が目指すのは一体何処なのか。その終着点は、かつて見た世界。誰しもが夢見る《約束の地》は、実は既に自分そして先達たちの内にこそ存在したものではなかろうか。
 受け継がれゆく記憶。それは未来の者たちが目指す理想像と同一なのである。

 この曲もやはり「作曲にあたっての新・編成組織方法の提案」に準拠した方法でパート割がなされており、「Fl(3)、Ob(2)、Bsn(2)、C-Bsn(1)、Es Cl(1)、Cl(8)、B-Cl(1)、B♭ C-bassCl(1)、S-Sax(1)、A-Sax(3)、T-Sax(2)、Bar-Sax(1)、Trp(4)、F-Hrn(6)、Trb(4)、Euph(2)、Tuba(2)、Str-B(1)、Perc(5)、Pf(1)、Hrp(1)」(以上が本隊)、「Pic(1:Fl持替)、Trp(3)、Trb(3)、Perc(1)」(以上がバンダL)、「Pic(1:Fl持替)、Trp(3)、Trb(3)、Perc(1)」(以上がバンダR)《( )内は必要最低限人数》という大編成で書かれている。

 2007年夏から途中で中断を挟みつつ作曲し、完成は2008年8月8日。初演は2008年12月15日に大阪のザ・シンフォニーホールでの関西大学応援団吹奏楽部の第47回定期演奏会にて、小野川昭博指揮の同団による。演奏時間は約10分。
 この色々な意味で大変な、私にとっても大きな試みとなった曲に取り組んで下さった関西大学応援団吹奏楽部の皆様、委嘱して下さった紫吹会の皆様、そして2007年の全日本吹奏楽コンクールで拙作「科戸の鵲巣」の感動的な演奏を聴かせて下さり初演のタクトを取って頂いた小野川先生に、心から感謝。



組踊る天海の狭間に    吹奏楽のための

 陸上自衛隊第1混成団音楽隊の委嘱作品。

 どこまでも続く蒼天と碧海。遠方の果てを眺めると、その境界は極めて曖昧で、両者は溶け合って見える。その「空間の狭間」に浮かぶ島々の姿。―それが私の内の沖縄のイメージだ。
 タイトル中の「天海」は「あまみ」と読むが、これには「奄美」の意も潜んでいる。
 琉球神話によると、この島は阿麻弥姑(アマミキヨ)神が天より降り立ち、国造りを行なった地だという。天と海の狭間に在りて、人が営みを始めた場所である。
 現在、かの地は「琉球と大和の狭間」である。行政的に鹿児島に属しているが、文化的には琉球のそれに近い。二つの文化の交点であると言ってもよいだろう。

 曲は、「天と海の出会い」から始まる。両者が出会ったところに「人」が生まれ、天と海を内に含みつつ唄を歌う。
 やがて「人」を介し天と海は交歓し、時として逆転もする。先達が見送る中、最後には天と海は《掻き回されて》、一つとなる。
 「組踊」は、琉球王朝に古来より伝わる一種の音楽劇(オペラのようなもの)。この曲は別にオペラ的なものを語り口にしているわけではないのだが、何か架空の物語を描いているとも言える。
 異なった文化・様々な思想が交わり、やがて一つになって新たな営みとなることを願って。
 (以上、プログラムノートより)

 私は基本的に音楽に政治的な内容、歴史的出来事の描写を盛り込むことはしない。それは、軽々しくそういったことを題材にすることは出来ないと思っているからだ。10の国があれば10の、100人いれば100の真理が存在する。ましてや、多くの人の運命を変えたような出来事であれば、そこに居合わせたことがない者がそれを題材とするには、慎重に熟考を重ね、生命を賭して臨むべきだろう。今の私には知識が浅すぎて、到底書けるようなものではない。
 だが、それでもなお、陸上自衛隊第1混成団音楽隊の委嘱ということで、様々なことを考えざるをえなかった。
 陸上自衛隊第1混成団は、沖縄を拠点としている。周知のように、沖縄での自衛隊に対してあがる声には様々なものがある。広報の任に当たっている音楽隊に対してもそれは例外ではなく、演奏会のときに抗議行動が行なわれることがあることも耳にしている。かの地に先祖代々お住まいの方々の心情もよく分かるつもりだ。だが、そうした話を聞くと、やはり「分かり合えない気持ち」に、悲しく思う。
 2つの考えがあった場合、それがどちらか1つに淘汰される必要はない。弁証法、というわけではないが、止揚が生まれるのが望ましいのではないだろうか。そんなことを考え、私にしては珍しく上記プログラムノートのような《物語性》のある内容のものを書こうと思った。
 委嘱を受けたとき、初演の機会がいつになるかは決まっていなかったのだが、奇しくもアメリカの軍楽隊との合同コンサートであった。ここでも「二者の交歓」がテーマとなっていたことに、奇妙な偶然を感じた。

 曲は、委嘱者の希望が「沖縄を題材としたもの」だったもあり、沖縄の伝統音楽を素材としている。
 使用している音階は、いわゆる琉球音階だが、「天と海の出会い」というテーマを反映させた「広い音域に渡るモード」も部分的に使用している。他、エイサーの指笛(元々は先祖の霊を呼ぶもの)の模倣や、カチャーシー(掻き回す、が語源)のリズムなども。
 表面的な、いわゆる《観光地化された沖縄》にならないように、曲を書くにあたって、島に伝わる古いエイサー(遅いテンポのものもある)や、地元のカチャーシーなどの録音を多く聴き、私なりに噛みくだいて採り入れてみた。
 これらについてはこちらのサイトも参照のこと。

 この曲もやはり「作曲にあたっての新・編成組織方法の提案」に準拠した方法でパート割がなされており、「Fl(2)、Ob(1)、Bsn(1)、Es Cl(1)、Cl(6)、B-Cl(1)、A-Sax(2)、T-Sax(1)、Bar-Sax(1)、Trp(4)、F-Hrn(3)、Trb(3)、Euph(1)、Tuba(2)、Perc(4)」《( )内は必要最低限人数》となっている。33人で演奏可能な、私の曲としてはかなり小さい編成。なお、沖縄の伝統楽器などは使っていない。
 書法としても、他の私の曲は「意図的に中低音域で響きを混濁させて、その高次倍音を高音木管でなぞる」ようになっているのだが、この曲では透明な響きのする音程を多くし、細い線的な動きが重視されるような書き方となっている。そのため、いつもと逆に「人数は少なければ少ないほどよい」曲になっている。

 初演の指揮をして下さった柴田さんと初めてお会いしたのは、2004年に私が「科戸の鵲巣」を書き、その練習のために陸上自衛隊中央音楽隊を訪れたときだった。以来、年も近いこともあり、色々と意見交換をするなど、親しくさせて頂いている。熱心に学ぶその姿には私も大いに感化されたものだ。「いずれ指揮や選曲を出来るような立場になったら曲を書く」と約束をしていたのだが、こんなにも早くそれが実現するとは、と嬉しく思い、作曲した。初演の後の打ち上げで柴田さんが「演奏が終わった後、約束が果たせて思わず涙ぐんだ」とスピーチされていたが、それは私にとっても同じことだった。
 なお、陸上自衛隊第1混成団は、2010年3月に第15旅団に改編される予定となっている。

 完成は2008年9月9日。演奏時間は約7分。初演は2008年9月27日に沖縄市の沖縄市民会館・大ホールでの陸上自衛隊第1混成団音楽隊と第3海兵隊音楽隊の「第13回 日米ジョイントコンサート」にて、柴田昌宜指揮の陸上自衛隊第1混成団音楽隊(単独演奏)による。初演者による再演時のライヴ録音が白樺録音企画よりCD発売されている。また、2009年1月に井田康男指揮の陸上自衛隊中部方面音楽隊によってレコーディングされ、CDがブレーンより販売。楽譜もブレーンよりレンタル。

 音源の一部がこちらのサイトでダウンロードできます。



Red Sprites    for Brass Octet

 創価学会関西吹奏楽団の委嘱作品。
 red sprite(レッド・スプライト)というものがある。これは、雷雲の上(中間圏)で起こる発光現象の一種(YouTubeの動画)。雷が発生したときに多く見られる赤い光で、妖精(スプライト)のような形をしていることから、この名前がついたのだそうだ。(ちなみに、似たような現象にelvesとblue jetというのもある)
 雷に代表されるような「雲から発せられる光」に魅せられることがよくある(無論、自分が安全なところにいるからこそ言えることなのだが)。地上に落ちる光に、雲の間を走る光。自然の持つ力のなんと壮大なことか。そんな私であるから、普通は地上からは目にすることがないであろう「雲から宇宙へ向けて放たれる赤い光」の存在には、関心を持たずにいられなかった。

 この曲は、上記のような「異なった2つ空間を飛ぶ光」のイメージを音楽上のアイデアとしている。
 素材として使われているのは、いわゆるメシアンの「移調の限られた旋法 第二番」(以下、MLT)。周知のように、この旋法は3つの移調形を持っているが、それぞれの移調形は「2つの減七の和音の組み合わせ」言い換えると「12音から1つの減七の和音を抜いたもの」という構成音となっている。
 例えば、「C、Cis、Dis、E、Fis、G、A、B」という旋法は「Fis、A、C、Es」と「Cis、E、G、B」いう2つの減七の和音の構成音の合成であり、ここには「Gis、H、D、F」という減七の和音の構成音が含まれていない(もちろん異名同音は同じ音として扱っている)。
 ということで、1つのMLTを線的要素としているものの、音響的には2つの減七の和音(ちょうど4音×2 で八重奏になる)による点的明滅が中心となっている。このフラッシュによって、逆に「使われていない減七の響き」がクローズアップされることとなり、使われる減七の和音の組み合わせが変わる(MLTが移調される)ことが要求されるようになる。
 結果として、曲は最初から最後まで速いテンポで、16分音符の細かいリズムを基調としたものとなっている。途中、「妖精」を思わせるような、MLTから逸脱した「調性のある部分」も出てくるが、それは長続きしない。

 アンサンブル・コンテスト用に委嘱されたのは初めてだったので、色々と試行錯誤しつつ作曲。正直、アンサンブル・コンテストとは余り接点を持たずに生きてきたので、今回初めて関わったことになる。
 アンサンブル・コンテストでは金管八重奏が有利だ、という話をたまに聴く。私にはその理由はよく分からないのだけれども。
 個人的に、アンサンブルの最大の見せ場にして醍醐味は、線の絡みにあると思っている。今回書いてみて痛感したのは、「金管八重奏は難しい」ということだ。木管と違い、音色的に溶け合う傾向が強い金管群で独立した声部進行を聴かせるには、かなりの対位法的な技量が要求される。加えて、金管の有効音域は案外狭い。そして、「8人」という奏者数は、この「狭い世界」においては多すぎるのではなかろうか。過去の作例を見ても、PJBEのレパートリーを除けば、ほとんどの「アンサンブル・コンテスト以外のための作品」が金管五重奏で書かれているのは、至極当然のことだと感じた。この編成は、過不足なく、実に理にかなったものである。実際、以前「マンシーニ・メドレー」(金管五重奏+Euph)を作成したときは、この種のストレスは全く感じなかった。
 にも関わらず、「アンサンブル・コンテスト」で金管八重奏がもてはやされるのは、ひとえに「線的絡み」よりも、「tuttiによる圧倒的音圧」が優先される【吹奏楽耳】の悪しき伝播なのではなかろうか。
 「8パート」ではなく「8人」で演奏する意味。そこを保ちつつも、「アンサンブル・コンテストに【勝てる】曲」というクライアントの要求を満たすような曲を作るのは、フル編成のオーケストラ曲20分を書くよりも、はるかに大変なことだと思う。

 演奏時間は約4分30秒。編成は3 Trp、Hrn、3 Trb(内、1人をEuphにしても可)、Tuba。完成は、2008年10月15日。頼まれてから諸々の事情で完成が遅れ、委嘱から完成まで実に2年近くかかってしまったのは、申し訳ない限り。初演は2008年12月、のはずだったのだけど、主力メンバーの方の不測の事態により、2009年12月に持ち越し。残念。




マタルの涙        ブラス・アンサンブルのためのコラール

 さいたまファンファーレクラブの委嘱作品。
 2005年に同団体の委嘱で「サルムの光」というフラリッシュを書いたが、それに続く作品をとの要望。後述の「マルカブの矢」と合わせて「ペガスス座三部作」となる。
 「マタル」はη(イータ)星。星言葉は「恋にのめり込む集中力」(2月29日)。「雨の守り神」の意味を持つ「マタル」は、幸運をもたらす雨を降らせるという。「コラール」は本来はプロテスタントの賛美歌である四声の合唱曲だが、ここでは慈愛を讃える歌という程度の意味で用いている。
 「サルムの光」で使われいた「SFC(さいたまファンファーレクラブの略号)から導かれた長二度→完全五度という音程進行」が、この曲でも重要な動機となっている。
 編成は、「サルムの光」と同じく「Trp 1、Trb 1」(ミュート)、「Trp 2、Trb 2」(オープン)、「Flugelhorn 1、Altohorn 1、Euphonium 1、Tuba 1」と3つのグループに分けられた金管10名。
 完成は2009年1月30日。初演は、2009年10月12日に彩の国さいたま芸術劇場にて行われた「さいたまファンファーレクラブ第14回演奏会」にて。この演奏会が三部作の全曲初演である。演奏時間は約3分。




マルカブの矢        ブラス・アンサンブルのためのトッカータ

 さいたまファンファーレクラブの委嘱作品。上記「マタルの涙」と同じく、「ペガスス座三部作」となるように書かれたもの。
 「マルカブ」はα(アルファ)星。星言葉は「直感と計画性のサクセス」(3月6日)。「乗り物(馬の鞍)」という意味を持つこの星は「秋の大四辺形」を形成する星の1つとしても知られている。7月に観測される「ペガスス座流星群」の放射点がマルカブのすぐ近くであるのは、稲妻の運搬役でもあったペガサスらしい不思議な一致であると思う。そんなマルカブを題材としたこの曲は、疾走感あるトッカータ(走句が多用される楽曲)となっている。
 途中で現れるメロディは、他の2曲でも使われていた「SFCから導かれた長二度→完全五度という音程進行」の反行形から作られている。
 編成は、やはり「サルムの光」と同じく「Trp 1、Trb 1」(ミュート)、「Trp 2、Trb 2」(オープン)、「Flugelhorn 1、Altohorn 1、Euphonium 1、Tuba 1」と3つのグループに分けられた金管10名。
 完成は2009年2月9日。初演は、2009年6月27日に さいたま市民会館うらわ にて行われた「金管まつり2009〈レインボー〉」にて。演奏時間は約3分。




星を釣る海        吹奏楽のための

「母なる海」と呼ぶように、海は新しい生命を宿す。
だが、夜の海は底知れぬ恐ろしさも感じさせる。
満天の星々が弧を描いて海に沈んでゆく様は、《海が星を釣っている》ようにも見える。

人は死して星になると、古来より洋の東西を問わず考えられている。
すると、海は中有にある魂を呑み、新たなる生命を再生しているのではないだろうか。
生命の川と呼ばれる四万十川の注ぐ高知の荒海は、特に雄大に星々を釣る。

海の抱く波が寄せては返す様は、人の呼吸によく似ている。
そして、一つの大きな波の内には、様々な小さな波が幾つも含まれている。
一つの波の内に、どれだけ多くの呼吸が浮き沈みしていることか。

人は人に呑まれ星となり、星は海に呑まれ新たな生命となる。
決して美しいだけでは済まされない、生命の連鎖。
(以上、プログラムノートより)

 鏡野吹奏楽団の委嘱作品。
 上記の印象に基づいて創られたもので、特に吹奏楽コンクールの自由曲として演奏されることを念頭において構想されたもの。
 鏡野吹奏楽団から話を頂いたきっかけは、2007年の全日本吹奏楽コンクールのレポート記事をバンドジャーナルで担当させて頂いたことだった。そのときの鏡野吹奏楽団の自由曲は田中賢「光は大宇に満ちて」。委嘱作品だったこの曲が、カットされていたのか全曲だったのかを確認すべく、メールで問い合わせをしたのがそもそもの始まり。それが縁で、2008年に一曲書いて欲しい、とのお話を頂いたのだが、残念ながらこのときはスケジュールが合わずお断りさせて頂いた。有り難いことに、それでもなお、という熱心なご依頼を下さったので、2009年に一曲書かせて頂けることになった。
 さて、鏡野吹奏楽団は、その2007年に続き2008年に和田薫「海響」で全国大会に進出。2009年はいわゆる「3出」のかかった年であった。そこから「光は大宇に満ちて」の『宇宙』と「海響」の『海』の両方に連なる題材にしようと考えた。
 実はそれまで高知(というより四国)には行ったことがなく、真っ先に浮かんで、しかも離れなかったのは「鰹の一本釣り」だった。そこから「〈鰹を釣る〉のではなく〈鰹に釣られる〉のはどうか」→「つまり〈海に釣られる〉ということか」→「人は死んだら星になるのだよな」→「黒潮の海は黒い」などと連想して、曲想の第一歩とした(もちろん、最終的には鰹から離れたわけなのだけど)。
 曲としては取り立てて新しいことに挑戦しているわけではないのだが、これまででよく演奏されている作品の流れを、より自分の語法に近づけた形でまとめてみたかった、というのがある。無調と調性の狭間、中有の空間を描いてみたかった。

 この曲もやはり「作曲にあたっての新・編成組織方法の提案」に準拠した方法でパート割がなされており、「Pic(1)、Fl(3)、Ob(1)、Bsn(1)、Es Cl(1)、Cl(6)、B-Cl(1)、B♭ C-bassCl(1)、S-Sax(1)、A-Sax(2)、T-Sax(1)、Bar-Sax(2)、Trp(6)、F-Hrn(4)、 Trb(4)、Euph(2)、Tuba(2)、Str-B(2)、Perc(4)、Pf(1)」《()内は必要最低限人数。B♭ C-bassClはやむを得ない場合は省略可能》という編成で書かれている。
 完成は2009年3月27日。初演は、2009年5月16日に 高知県民文化ホール(オレンジ)で行われた鏡野吹奏楽団・第32回定期演奏会にて、福本信太郎 指揮の同団による。演奏時間は約8分。




揺れる影の歌        吹奏楽のための

 兵庫県宍粟市立一宮北中学校吹奏楽部の委嘱作品。
 編成は、「Fl(1)、Cl(2)、A-Sax(2)、T-Sax、Trp(1)、F-Hrn(1)、Trb(1)、 Euph(1)、Tuba(1)、Perc(2)」《( )内はパート数》で、1パート1人の13人で演奏されることを想定している。また、「A-Sax 2、Trp、Euph」が1年生、「Fl、Cl 2、A-Sax 1、F-Hrn、Trb」が2年生、「Cl 1、T-Sax、Tuba、Perc 1と2」が3年生であることを前提としており、この「学年というグループ」単位でユニゾンとなったり、「1年生は1拍子、2年生は2拍子、3年生は3拍子」であったり、学年間の旋律の受け渡しがあったり、と、学年が曲の内容に色濃く反映されている。そのため、初演時は学年ごとにグループとした特殊な並びを行なった。
 吹奏楽コンクール小編成部門の自由曲として委嘱されたものだが、その条件は「アンチ・コンクール的な内容」で「楽器を始めて数ヶ月の中学生でも演奏出来る《現代音楽》」というもの。また、小編成であるので「小編成でも出来る」ではなく「小編成だからこその曲」にしたいと思った。これらの条件を勘案した結果として出来たのがこの作品である。
 まず「アンチ・コンクール的な内容」だが、まぁ、ノビノビと自由に書けば敢えて「アンチ」を打ち出さなくても「コンクールというものに捉われない内容」になるだろうから、さして気にならない。フォルテで終わりたかったらフォルテで終わればよいだけの話(結局、この曲はピアノで終わるのだけど)。それよりはその次の「現代的な内容」と併せた場合に思う所があった。というのは、「吹奏楽で演奏される現代作品」というものの傾向が著しく偏っているように常々感じていたからだ(コンクール向きな現代作品だけをやっている、という方が適切か)。現代音楽と言っても、色々なタイプのものがある。なので、あまり吹奏楽では試みられてない(けれど、現代音楽の世界ではスタンダードな)スタイルの作品にしようと考えた。とかく「現代作品をやる」ということが、「基礎的な部分の未熟さを隠す」ための隠れ蓑として使われることは少なくない。そもそも「コンクールで(その種の)現代作品をやる」ということが非常に「コンクール的」なのであるから、「アンチ・コンクール的な内容」と頼まれた時点で、「リズム感が希薄で、ピッチのコントロールが重要で、歌心が必要」な曲となることは必然だったと言える。
 「楽器を始めて数ヶ月〜」は、中学生用の委嘱であるのだから当然とも言える。コンクールの自由曲というのは、往々にして「楽器を持って一番始めに本格的に練習する曲」となる。その初歩の段階で「○○とはこういうものだ」という先入観を持たないようになってくれれば、と考えた。「音楽とはこういうものだ」というのも勿論だし、「この音を出すにはこの指遣い」というような《ピアノ的な作音に対する考え方》も持って欲しくない。管楽器の音楽で一番面白い(そして難しい)のは、「作音」の多様性にあると思っている。そのことを考えてもらうため、この曲では、様々な音色や微細なピッチの揺れなどの、1つのピッチに対する多様なアプローチが要求される。
 「小編成だからこそ」というのは、私にとってこれからも追求していきたいテーマ。これまでに私が書いた作品は(それを頼まれるのが多いので図らずも)大編成用が多かったのだが、それを続けていくと「小編成でなければ出来ない表現」にも思い当たる。そのうちの1つが「繊細なピッチの差異を用いる表現」である。「弦楽四重奏の1stヴァイオリン」と「オーケストラの1stヴァイオリン」の音色が全く違うのは、後者が微細なピッチのズレを包括したものであるから。当然、微分音を出した場合、前者の方が差異が明確である。この違いは吹奏楽の場合には、そのまま小編成と大編成の関係に換言出来る。この曲は、この「揺れるピッチ」に拘った表現に徹した(小編成には他にも色々な可能性を見ているが、それは他の機会があれば)。
 曲は、基本的に全員で1本の「歌」を歌う。これがヘテロフォニックにずれていき、やがて影を生じ、それが引き延ばされて音響体を形成する。その過程で、それぞれの「影」は微細なピッチのズレを伴う「揺れ」を生んでいく。「歌」の発生点は「Es - H - A - D - E - Es」という動きとなっているが、これは「Shades(=影)」から採っている。
 完成は2009年5月14日。演奏時間は約6分20秒。初演は、2009年7月30日に姫路市文化センター大ホールで行なわれた兵庫県西播地区吹奏楽コンクールにて、段林知子 指揮の宍粟市立一宮北中学校吹奏楽部による。同コンクールで地区代表に選出され、県大会で演奏する予定だったが、県大会の前夜に台風が直撃、記録的な豪雨により一宮からの道路が分断されたために会場に向かうことが出来ず、残念ながら出場を断念せざるをえなかった。




そして時は動き出す        太鼓と吹奏楽のための祝典序曲

 横浜開港150周年記念作品として横浜みなとみらいホールの委嘱。
 初演のコンサートのコンセプトが《未来に向けてヨコハマ船「ヒダノ&シエナ号」出航!!祝・横浜開港150周年!ヨコハマで出会った、西洋と日本、吹奏楽と太鼓、そしてみんなが祝うコンサート》だったため、それに合う内容を、とのこと。当初は「独奏太鼓(ヒダノ修一さん)と市民公募の桶太鼓群、市民公募のブラス群、吹奏楽団」で、「まずはバンダ無しで演奏、そして同じ曲をバンダを入れて演奏、プレ・イベントでバンダだけで演奏」というオーダーだったが、そんな「みんなが同時に主役」なんて曲が可能とはとても思えず、「では、協奏的な序曲と、バンダを使う曲の、2曲を書きますよ」ということで落ち着く。結果、この「そして時は動き出す」と、もう1曲「邂逅の時」という連作が出来上がった次第。
 この曲のソリストのヒダノ修一さんは、たくさんの和太鼓をドラムセットのように組み合わせて使い、様々なジャンルの音楽とコラボレーションを盛んに行なっている世界的太鼓ドラマー。いわゆる「西洋音楽の記譜法」にも精通していることから、太鼓を使っての東洋的表現から西洋的表現まで、幅広い方法を試みてみた。
 太鼓は「時を告げる楽器」である。文字通り「時刻を知らせる」ほか、雅楽などでは「拍を創る」役割を担う。
 複数のピッチの太鼓があった場合、同音連打だと「時が止まっている」ように感じ、ピッチが変動すると「時が動いている」ように感じるのは私だけだろうか?この「時が止まった状態」と「時が動いている状態」を太鼓とバンドの在り方に映し込み、最終的に祝祭的な《時の乱舞》に至ることを目指した。
 太鼓と同様に「時を告げる楽器」であるTubular-BellsとWood-Blocks。これらが作り上げる「時の檻」の内に閉じ込められ、圧縮される太鼓の時間。そして、時は動き出す。

 編成は、私としては珍しく確定的パート割で書かれており、「独奏 太鼓、Pic、Fl(2)、Ob、Bsn、C-bsn、Es Cl、Cl(3×3)、B-Cl、B♭ C-bassCl、S-Sax、A-Sax(2)、T-Sax、Bar-Sax、Trp(4)、F-Hrn(4)、Trb(2)、 B-Trb、 Euph(2)、Tuba(div.2)、Str-B、Perc(6)」《( )内はパート数》となっている。
 完成は2009年10月3日。初演は、2009年10月12日、横浜みなとみらいホール大ホールにおける「ヨコハマ開港150周年祝祭コンサート」にて、ヒダノ修一の独奏、岩村力 指揮のシエナ・ウインド・オーケストラによる。演奏時間は約11分。




邂逅の時        桶太鼓群と金管群、吹奏楽のための

 横浜開港150周年記念作品として横浜みなとみらいホールの委嘱。市民公募による桶太鼓群と金管群によるバンダを使用する祝典曲にして、「そして時は動き出す」との連作。「そして〜」の序曲を受けて演奏される、「下の句」的な作品。
 「邂逅」は出会いであるが、それは同時に新たな時の始まりでもある。出会いとは、出会った両者の過去の経験を合わせることであり、未来はその延長線上にある。
 言うまでもなく「邂逅」は「開港」と掛けてある。横浜開港は、日本と西洋の邂逅であり、新たな《船出》であったはずだ。
 曲は、「太鼓と吹奏楽」という「日本と西洋」の出会いのみならず、「バンダとバンド」という「アマチュアとプロ」の交歓であったり、前の旋律が新しい旋律と被るなどの「時間的な邂逅」も行なわれる。また、曲中で出てくる様々な要素は、そのほとんどが「そして時は動き出す」のものを変容させたものとなっており、「異なる時空の邂逅」も試みられている。
 編成は、上記作品と同じく確定的パート割で書かれており、バンドが「Pic、Fl(2)、Ob、Bsn、C-bsn、Es Cl、Cl(3×3)、B-Cl、B♭ C-bassCl、S-Sax、A-Sax(2)、T-Sax、Bar-Sax、Trp(4)、F-Hrn(4)、Trb(2)、 B-Trb、 Euph(div.2)、Tuba(div.2)、Str-B、Perc(6)」《( )内はパート数》となっており、これに桶太鼓群(div.2)と、「Trp(2)、F-Hrn、Trb(2)」という内訳の金管バンドが2グループ加わる。
 完成は2009年8月31日。初演は、2009年10月12日、横浜みなとみらいホール大ホールにおける「ヨコハマ開港150周年祝祭コンサート」にて、公募による桶太鼓隊・ブラス隊総勢114名、岩村力 指揮のシエナ・ウインド・オーケストラによる。演奏時間は約5分30秒。



トップページに戻る



from past time       新年のピアノのために  op.A-1/3

 なんだかよくわからないかもしれないけど、この曲は年賀状に載せるために創られたわずか26小節の短い曲。だれでも弾けるくらいの演奏技巧で、新年早々に聴いても苦にならない(笑)ように現代性を排除した。
 from past time というタイトルには、98年に出された手紙が99年に着く、ということと低音部に配されたオルガヌム旋律の印象、私自身あまり書くことのなくなった調性音楽への思い、という三つの意図があった。
 わずか26小節、という制限にEs-dur→H-dur→Es-durという転調まで折り込んだので、相当苦労したのが思い出される。 が、ピアノ科の友人に「ふろむ ぽすとたいむ」と誤読されたのがおもしろい・・・・・のか?最後に現れる内部奏法は一発ギャグだった。
 楽譜を公開いたします。見やすいように元サイズから小節幅を大きくしましたが・・・・・
さ・ら・に!調子にのってオケにしてみました。って、オケぢゃない(?)ぢゃん。聴いてくださる、という奇特な方はこちらへ!
 完成は1998年12月はじめ。初演は・・・・・あるのか?っていうか、やるんか?



at the present time        新年のピアノのために  op.A-2/3

 上記「from〜」の続編。こちらは2000年の年賀状用。制作意図は昨年と全く同じです。
タイトルの意味は・・・・・ 訳すと「今んとこ」となりますが、深い意味はありません。ただ、これは私が大学に在籍する間に書く年賀状のための三部作でして、来年(2001年)の年賀状で完結です。ということは、来年のタイトルは・・・・・言わずもがなかな。
 昨年のがバロック、古典派の技法で書いたから、今年はロマン派の技法で書いてみました。来年は印象派にでもしようかな。 一応、三部作を通じて共通の固執モティーフ(三度跳躍−二度反行)を使っているんですけどね。
 なお、完成は1999年11月。制作時間は2時間と少しでした。はい、手抜きっす。
 楽譜はこちらです。 一応、音源も載せときますね。こちらです。



for promising time        新年のピアノのために  op.A-3/3

 上記「at the 〜」の続編で、time三部作の完結編(笑)。こちらは2001年の年賀状用。制作意図はいままでと全く同じです。
タイトルの意味は予想通りというか、やはり未来を意味するところとなりました。「約束」という意味ではなく、「前途有望な、見通しが明るい」の意味です。
 技法的にはバロック、古典派→ロマン派ときて、今年は印象派、と思いきや4度と5度の響きを軸に構成する、という久石譲の書法で書いてみました。例によって固執モティーフ(三度跳躍−二度反行)を使っています。
 なお、完成は2000年12月。制作時間は4時間くらいだったかなぁ。
 楽譜はこちら。 音源はこちらです。



tidings , for...       新年のピアノのために  op.B-1/2

 年賀状の曲シリーズも昨年で一つの区切りでした。大学の学部時代の二年目から始めて、卒業までの三度の正月で一曲ずつ、三部作になったわけです。さて、大学院に入って新シリーズを始めることにしました。大学院(修士課程)は二年なので二部完結ということに。それ以外の点ではこれまでと何ら変わらないのですが(笑)。
 タイトルは「〜への便り」とでも訳しましょうか(「tidings」は「便り」や「ニュース」の意の古語英語)。となると、来年は「返信」かな?旋律に含まれる動機は、実はアナグラムなのですが、それがどういう意味なのかの詳細は私だけが知っていればいいことですね。はい。ま、恩人への感謝をこめて、という意味なのですが。
 あ、完成は2001年12月。制作時間は6時間ほどですが、前々から少し形は頭のどこかにあったかもしれないです。
 毎年楽譜と音源を元日に掲載していますが、今回のも一応載せておきます(なんとなく削除しました/後日追記)。



salutation , for...       新年のピアノのために  op.B-2/2

 上記「tidings , for...」の続編で、2003年の年賀状用。これで二部完結(早っ)。
 タイトルは英文の手紙での書き出しの決まり文句。A.リードの吹奏楽曲のタイトルとしても有名ですが関係ないです(笑)。もちろん、昨年への返信を書いているわけ。
 で、これを作った時(2002年12月)は死ぬほど忙しかった。一時間ほどで作ったこの曲、例年に増して展開が苦しい。ラスト直前のフェルマータはやや反則気味。時間不足ということで許して・・・・・
 ところでこの曲、発想自体は意外に凝ってたりして。昨年の動機は低音部に配され、次の部分では今年の主題と絡み合う。冒頭への回帰直前には昨年の終結部をほぼそのまま移植。一番最後に出てくるのはロマン派の有名ピアノ協奏曲からの一節。これらのことには個人的な意味が色々ありまして、そんな関係で今までの年賀作品で一番思い入れがある作品だったりします。だから、下手な音源は載せません。興味のある方は弾いてみて下さいませ。楽譜はこちら



Deneb       新年のピアノのために  op.C-1/24

 毎年恒例の年賀状曲シリーズ。今までは「学部生時代」「大学院生時代」ということで区切れていましたが、卒業してしまって、さぁ困った。せっかく調性のあるシリーズだし、ということで「24のプレリュード」、始めました。のんびりやります。
 さて、調は24個あるからいいとして、タイトルをどうしよう(笑) 24種類あるものが何かないか、と探してみる。「太極拳の型」なんてのもあったけど、やめておこう。一年に一回くらいロマンティストを気取らせてよ。引き続き探してみると、「24星」というのがあるらしい。正直、よく知らない。一年を24に分割して、それぞれに星を当てはめたものらしい。コレだ!(笑)

 一曲目は「デネブ」。訳あって1月から始めないで9月から始めることに。白鳥座の代表的な星だし。「一曲目」→「とりあえずC-dur」→「白」→「白鳥座」。 安直?いいぢゃん、素直が一番。
 タイトルの性質上「星をイメージした連作」ということになるのだろうから、その一曲目ということを踏まえつつ作ってみる。C-dur、というよりもC 主音のリディアなのだけど。カントゥス・フィルムスを設定してみたり、と教会音楽的かも。そこが神話的、とか言っちゃうと我ながら安直。いいぢゃん、たまには。 完成は2003年12月。やっぱり忙しかったので短時間で一気に作りました。楽譜はこちら
 ところで、一曲目は順当に C-dur だとして、次はどうしよう?a-moll?c-moll?普通に廻るのもつまらないかなぁ。一曲目はいいんだ、一曲目は・・・・・
 後日談:2004年7月1日、こっそりとMIDIデータも公開してみました。



Fomalhaut       新年のピアノのために  op.C-2/24

 勢いで始めたシリーズの2曲目。早くも頓挫しそうになりましたが、何とか作成(完成は2004年12月26日)。多分、年賀状は元旦には届いてないんじゃないかな〜。
 「フォーマルハウト」はマイナーな星だと思います。少なくとも私は知らなかった。だから調もマイナー(短調)です。fis-moll。主音がfisってのは、ひねくれていそうで素直なんですよね。24調を素直に廻りたくない人が考えつく一番最初の主音だと思います。ま、いっか。
 この星、「南の魚座」にあるのだそうです。で、この星座は水瓶座の下(?)に位置している。水瓶座ってのは神々に飲み物(神酒)を注いで廻る役なのですが、その瓶からこぼれた滴を下で受けているのが「南の魚座」なんですね。その口に当たる星が「フォーマルハウト」。なるほど〜。
 で、曲は、そのキラキラ落ちる神酒っぽく書いてみた、つもり。楽譜だけみても、そう見えるでしょ?というか、そう見て下さい。
 今回困ったのは、とにかくハガキに楽譜が収まらないこと。ちょっと後半は不満が残ったかも。短くまとめられる、ってのも重要なスキルの一つなのだけど。もっと修行しないといけませんね、コリャ。



Mira       新年のピアノのために  op.C-3/24

 勢いで始めたシリーズの3曲目。が、実は間に1年開いてます。がが、別に間に合わなかったわけぢゃないんですよ。事情により、2006年の年賀状は楽譜入りではないのを使わないといけなかったんです。公表しないのに書くのもな〜、コレクションしてる人(そんな人はいない!?)に悪いしな〜、ということで、見送っていました。代わりに2006年には「相聞譜」ってのを書いてるんですよ(汗)。
 一年ぶりのこの新作、やはり追い込まれていたのか、例によってギリギリに完成した、はず。というのも、正確な記録が残ってない・・・・・。2006年12月なことは確か。
 で、「ミラ」ってのは車、じゃなくて「不思議なもの」って意味だそうです。 脈動変光星ってやつで、星が膨らんだり縮んだりして明るさが変わる、という変わり者。なので、楽譜で見て分かる通り、右手と左手の関係、旋律の担当なんか、そんな感じにしてます。実際に弾いてみると、右手と左手のそれぞれの「上行/下行」の音型だとか、どちらの手が上になるか、など、色んな点で「変光星」なのですけど、なにぶん、誰も弾かないので(笑) 調性はEs-durにしてみました。
 この曲、2007年1月じゃなくて8月にweb公開、という年賀曲にあるまじきことになってるので、お詫び代わりにMIDIデータも公開してみました(って、お詫びになってない?)。




相聞譜       ピアノ連弾のために

 2006年に姉が結婚したんです。で、その披露宴でピアノ弾いてくれ、って頼まれたんです。なので、ど〜せなら一曲作ろ〜、と思って書いたのが、コレ。
 連弾で、firstとsecondの関係を対話してるみたいになればいいかな、とか思ったんですけどね。
 2006年8月4日に完成、2006年9月9日に演奏しました。MIDIデータを公開してみます。サスティン、かけ過ぎたかな?




Fanfare

 とあるイベントのために作成された。条件は「4本のトランペット、4本のトロンボーン、シンバル一組で、30秒のもの」だった。加えてあった注文、「無調でな」。
 本々そういう企画が好きな私は、割と凝ったファンファーレを創ってみた。グリッサンドまで交えた、重厚なやつ。
 全体的には無調とはいえ、一応「B-durの調性を持っている!」と私は主張した(が、誰も賛同せず)。う〜ん、一度(七だけど)で始まって五度で終わるというファンファーレの大原則は守っているんだけどなぁ。確かに始まって4秒後にはもう全く違う世界に迷い込んでるけど(笑) 完成は1999年。
 このファンファーレ、「使ってみたい!」と思われた方には、送料さえ負担していただければスコアを提供いたします。
 サウンドデータ(MIDI)はこちらです!!



Fanfare 2001

 「ブラスアンサンブルは大雑把に分けると二種の性格を持つ。一つは鋭角的な点描表現で、もう一つは温和的なコラール表現である。このファンファーレはごく短い内に両者を共存させ、祝祭的な効果のものを目指した」(以上、プログラムノートより)。
 こちらもファンファーレ。編成は「4 Trp.、4 Trb.」。演奏時間は45秒。これは2001年11月29日に東京文化会館において開催された「学生オーケストラの祭典」において、東京藝術大学の演奏の直前に開演ベルの代わりとして使用されたもの。これに先駆けた11月22日に学内のJスタジオにおいて行われたオーケストラ定期演奏会において東京音楽大学ブラスアンサンブルによって初演されている。
 曲としてはプログラムノートそのまんまです。ただ、「鋭角的」の要素では鬼のような変拍子のため、演奏は簡単とは言えないかも。ま、2つの相反する要素を最後に融合させる、というのはこういった短い曲だからこそより一層効果的なんだな、と再確認できました。
 音源も楽譜もあるのですが、別に公開するほどのものでもないかな・・・・・ 完成は2001年9月。



長崎市民吹奏楽団のためのファンファーレ

 長崎市民吹奏楽団は私にとって特別なバンドである。「遮光の反映」を委嘱してくれたほか、その指揮者をはじめとした団員の皆さんの温かみは生涯忘れる事がないだろう。そんな長崎市吹は2004年に創立30周年を迎える。その記念演奏会で、私の処女作「…時にのせて、光の中で」を初演して下さるという。なんと嬉しいことか!そこで、感謝の意味をこめ、お願いして、このごく短いファンファーレを作らせてもらった(好意の押し売り、か?)。
 「ご当地曲」の御多分にもれず、やはり文字列をアナグラムとして配置。「NAGASAKI City Symphonic Band」という文字列より「N ( = 休符)、A、G、A、S ( = E♭)、A、C、S ( = E♭)、B ( = B♭)」という動機を導き、核としている。末永く演奏してもらえるようにと、編成が大きくなっても(そして小さくなっても)演奏できるようにしているし、どこでも演奏できるように持ち運びに不便な打楽器は避けている。
 曲は45秒と短いながら、「序奏」→「フーガ風堆積」(色々な人が集まってくる)→「2拍子と3拍子の共存する部分」(色々な人が一ケ所に会している)→「総奏」(一つになる)、というドラマティック(死語?)な展開を見せる、らしい。
 2003年6月11日に完成。2004年6月13日の長崎市民吹奏楽団創立30周年記念特別演奏会で初演(指揮:烏山卓)。


トップページに戻る



カクテルグラスの氷の中に     ピアノと4人の打楽器奏者のために (作品番号欠番)

 グラスハープやウォーターゴングなど、水をイメージさせる打楽器を中心に、30種類以上の打楽器を木質・金属質に分けてピアノの左右に配置、演奏した。途中、打楽器奏者による詩の朗読も入った。 Ais(英語のIce)と、Eis(ドイツ語)という「氷」を表す2音を軸に構成、この2音にはさまれた(音高的、発音順に)他の音(氷の中の気泡と言ってもいい)が解放される姿を描きたいと思った。曲はD-As-Eisという和音から始まる。「in das Eis」・・・・・「氷の中に」である。
 曲の最後、気泡の解放を表現する際に、グラスハープを叩き割る、というパフォーマンスにでたのは賛否両論があった。
 一度は完成させたものの、作品の完成度に大いに不満が残り、機会があったら改訂初演を行いたいと思い、作品番号をつけずに放置したままである。
 初版の完成は1997年10月、初演は同年11月1日の作曲科作品発表会にてだった。演奏時間は約7分30秒。
 作曲した当時はまだ未成年だった、というのもなんだかなぁ、というかんぢ。



組曲「黒鳥集より」           混声合唱とピアノのために


 黒鳥集は山村暮鳥(1884〜1924)の詩集である。
 暮鳥は大正時代に萩原朔太郎らとともに活動した詩人である。暮鳥の詩は極めて色彩豊かで、かつその中に秘められた「矛盾による悲痛な苦しみ」が読むものの心に音楽的に訴えるものがあると私は感じる。 暮鳥はキリスト教の伝道者として生計をたてていた。しかし、暮鳥は「人間解放をキリスト教に求めながら神の制度に逆に束縛されただけでなく、キリスト教そのものに矛盾を感じ」(阿部岩夫氏、評)、朔太郎の評する言を借りると「勇敢なる殉教者」として生きた。それゆえに彼の詩には神をたたえる語と人間の暗黒面を表す語の相克がみられる。決して奇麗事ではない宗教と人間の世界。そして全ての救いとなる「狭義の自然」。これらが彼の詩の背景にある。
 暮鳥の詩集といえば「聖三稜波璃」がなんと言っても有名だが、この「黒鳥集」はこの直後に執筆され、暮鳥の作風の変化の過渡期に書かれたものにあたる。
 現在、「りたにい」(原題:りたにい(2))という一曲が完成している。この「りたにい」という詩には、暮鳥の宗教感と、彼の詩風の特徴である「自然の詩による表出」が強く見うけられる。 そもそも、「リタニ」(Litany)とは「連祷」と訳される。本来は司祭の唱える祈願に対して会衆が唱和する祈りの形式でキリスト教用語である(スラングで、「長く退屈な話」という意味もあるようだが)。当然、二部によって構成されている。武満徹に同名のピアノ曲がある通り、楽曲として構成されるときも二部構成となるレクイエムである。
 私の曲では、第一部をアカペラで、第二部で光を象徴する「合唱と無関係に存在する」ピアノを伴って演奏される。

 当初は合唱組曲にする気はなかった。だが、「りたにい」を書き終えた段階で、「演奏時間五分」という事実に気付かされた。これでは説得力に欠ける。だが、テキストを持つ音楽、というものは「曲を長くする」のが非常に難しい。言葉のむやみなリフレインは詩のもつ世界を破壊しかねない。よって、これから数篇の詩を同じ詩集から選び、組曲として完成させようと思い立った。
 現在、次に曲にしようと思っているのは「わたしはたねをにぎっていた」という詩である。
 暮鳥は朔太郎の「月に吠える」によせた文の中で、詩と音楽の共通性について次のように述べている。
 「芸術上、実在を把握する方法のひとつとして実在を実在のままに把握する所謂直接把持を事とするものは音楽である。音楽に於けるキイや弦はちやうど詩に於ける言葉もしくは文字のやうなものだ。しかしキイや弦は文字もしくは言葉のやうに概念のために駆使されてゐない。したがって概念化されない。」
 はてさて、この言葉の持つ圧力に私は抗することができるであろうか・・・・・
 「りたにい」は99年6月14日に脱稿した(でも、書き直す予定)。



憐光                   吹奏楽のために

 「遮光の反映」のところで触れた、「プロフェッショナルな吹奏楽団のための、一切の制限を廃した芸術作品としての吹奏楽曲」というものが、コレ。プロだからこそできる技法や表現法を容赦なく使用し、吹奏楽の表現領域を拡大すると同時に管弦楽とは全く異なる音響空間を創出することが目標。曲は三つの楽章からなり(予定)、それぞれ「斜陽」「孤光」「煌宴」となる(仮定)。演奏時間は15〜20分か(未定)。
 まぁ、構想だけはあるものの、実際にこれを書き、演奏されることがあるかどうか分からない(あったとしても遠い未来だろう)から、じっくりと練り上げてみたいところ。



長崎レクイエム(仮題)

 編成は、2群の混声合唱と童声合唱、オーケストラとパイプオルガン、独奏オンドマルトノ、という超巨大編成で、これからなお、増える可能性もある。
 私は長崎原爆病院にて生まれたためか、長崎原爆投下ということに対して特別の思いを持っている。 原爆に対する音楽は多数あるが、その大半は広島に対するものである。長崎は第2の広島ではない。 長崎は日本にはじめてキリスト教が伝来した土地である。そこの民謡は隠れキリシタンの賛美歌が歪んだものであるし、多くの教会も立っている。そこに、同じキリスト教徒である人々の手によって原爆が投下された。 このことが意味する点では、広島原爆の持つ歴史的意味とはまた違ったものがある。
 私は自分の一生をかけてこの曲の構想を練っていこうと思う。また、私にしかできない事だ、とも思っている。
 2045年、8月9日に初演が行えればいい、と願っている。


トップページに戻る



World Football Anthem (FIFA ANTHEM)

 キングレコード委嘱。CD「National Anthems of the World 2002」(KICS 940)に収録するために編曲。
 原曲はFranz Lambertによるシンセサイザー作品。FIFA公認のサッカー国際Aマッチにおける選手入場で使われている曲である。ちなみに、2002年サッカーワールドカップでの入場行進で使われたのはこの曲ではなく、ヴァンゲリスによる大会アンセム。その後、この曲は「FIFA ANTHEM」から「World Football Anthem」と改題されている。
 実のところ、マスター音源から聴音してピアノスコアを起こし、編曲をし、パート譜を作る、という一連の作業を4日ほどでやったので、編曲としては細部に凝ることなく、原曲に忠実であることが最優先事項だった。オーケストレーションの違いだけで飽きがこないように展開させたのは珍しい経験だった。録音団体の技量に合わせたスペシャルアレンジなので、TrpとEuphの音域が非常に高い。2002年1月に編曲し、野中図洋和/陸上自衛隊中央音楽隊により録音。この音源は2005年3月2日にキングレコードから発売された「The Best Collection of March」という10枚シリーズのCDに含まれている「スポーツ・マーチ」(KICW 3013)にも収録されている。
 なお、この編曲版はレコーディングの目的のみのために作成されたもの。権利の関係上、私個人からの楽譜の販売・譲渡・貸与などには一切応じられない。



「抒情小曲集」より(吹奏楽のための拾遺)

 富山県高岡市立伏木中学校吹奏楽部委嘱。「渡部謙一プロデュースによる21世紀のための新しい吹奏楽作品」企画による。
 原曲はグリーグのピアノ曲で、グリーグの生涯にわたって書かれた全10巻66曲からなる小品集。この作品ではそこから数曲を選んで切れ目無しに繋げ、一曲として構成している。
 ヴァージョンは二種類作成した。
 ver.Aは「アリエッタ(op.12-1) → 小妖精 (op.71-3)→ 追想(op.71-7)」という構成。「アリエッタ」の旋律は「追想」で変型されて用いられる曲。そのため、これは三部形式の一曲として捉え直すことができる。「追想」ではほぼ全ての楽器にソロ(ソリ)が与えられており、コンサートのアンコールピースとして使えるようにしてある。演奏時間約4分半。
 ver.Bは「アリエッタ(op.12-1) → 小妖精 (op.71-3)→ 水夫の歌(op.68-1) → ハリング(op.71-5)」という構成。よく管楽器用に編曲されることが多い作品で構成されている。各曲それぞれも構成が多少いじられている。こちらはどちらかというとコンテストピース。演奏時間5分半。
 編成は典型的ないわゆる小編成用。ダブルリード系は含んでおらず、Cl以外は1パート1人を想定している。難易度としても中学生がちょっと努力すれば演奏できる範囲。
 編曲するにあたって「中学生に相応しい楽譜」とはどういうものかを強く意識させられた。「ただ簡単なだけ」が果たして相応しいのか?「合奏する」とはどういうことか?一年生にとっては生まれて初めて練習する吹奏楽作品、三年生にとっては中学最後のコンクール自由曲(そういう依頼だった)。「記憶に残る」編曲はどうあるべきだろうか?
 難しかったが、やりがいのある、楽しい編曲作業だった。2002年3月にver.Aが完成。ver.Bは5月に初版が完成し、その後小規模な改訂を繰り返して決定稿が6月に完成。木越俊一指揮の高岡市立伏木中学校吹奏楽部によって7月27日に富山県吹奏楽コンクールで初演。その後、同吹奏楽部が2004年にも自由曲として演奏してくれたほか、渡部謙一指揮の北海道教育大学函館校吹奏楽部も演奏してくれている。
 楽譜はウインドアート出版よりレンタル。



喜歌劇「詩人と農夫」序曲

 陸上自衛隊中央音楽隊委嘱。
 原曲はスッペの管弦楽のための序曲。
 私は基本的に管弦楽のために書かれた作品を吹奏楽へトランスクリプションすることをよしとしない。それはコラムでも書いた通り「縮小ベクトル」を持っているからである。しかし、このトランスクリプションには特別の意図がある。
 管弦楽曲を吹奏楽に移し替えたときに失われるものは何であろうか。それは音色の数や音域だけではない。意外と問題にされることが少ないが、次のような点も忘れてはいけない。
 まず、弦楽器の奏法に起因する表現法の欠落。弦楽器では運弓法によって様々なニュアンスが生み出される。それを如何に再現するか。例えばトレモロ。よく吹奏楽のトランスものではトレモロを省略して延ばしにすることがあるが、それによってスピード感が失われる、などの影響がある。また、同音反復ではタンギングの限界のために曲全体のテンポを遅くせざるをえないことがあるが、これも問題である。他、ボウイングの変わり目により発生するアクセントなど、数え上げれば切りが無い。
 また、音圧レヴェルの変動に関する問題。管弦楽の管楽器セクションは基本的に1パート1人である。管弦楽曲において管楽器のみによる箇所というのは少なからず存在するわけであるが、そこは部分的に「室内楽」である瞬間であると言うこともできる。この室内楽的音響とtuttiによる大音響の落差が管弦楽においてはディナミクスレンジとしての説得力となる。ところが吹奏楽へのトランスクリプションでは、原曲の管パートを吹奏楽での同じ楽器に割り当ててしまうことがしばしばであり、そのために音圧が平均化されてしまうことがある。
 今回のトランスクリプションではこれらの問題を解決し、なおかつ陸上自衛隊中央音楽隊というプロの吹奏楽団のもつ「大編成としての吹奏楽」の可能性を引き出してみようと考えた。それはただ鳴らすだけではない、圧倒的な表現力の「幅」を持つものである。
 伝統的な吹奏楽のスコアリングは三管編成のような(ただし特殊管は数に入れない)スコアリングをすることが多い。しかし、これにはどれほどの意味があるだろうか?原曲の編成が二管編成であった場合、そこに生じる「ズレ」はどれほどのひずみを発生させるか。仮に吹奏楽の1stと2ndパートに原曲の1stパートを割り当てた場合(3rdは原曲の2nd)、1パートに複数人が当てられる吹奏楽ではバランス比は2:1どころの話ではない。その他、吹奏楽を三管編成的にスコアリングすることはそれほど利点とは思えないことが多数である。
 今回は大編成の特性を活かし、これまでとは全く異なったスコアリングを行う。それにより、「大編成吹奏楽」の新しい可能性が発見できれば、この編曲は成功である。
 なお、具体的な編曲方針としては、原調、無駄な打楽器を加えない、原曲の印象をなるべく忠実に再現する、といったところである。2002年8月に編曲し、同年9月28日に陸上自衛隊中央音楽隊第56回定例演奏会において初演。10月には北海道で、2003年7月には沖縄でも同隊によって数回演奏されている。演奏時間は約10分。
 編成は、「Pic、Fl 2、Ob 2、E-Hrn、Bsn 2、C-Bsn、EsCl、Cl 6、Alt-Cl、B-Cl、Calt-Cl、S-Sax、A-Sax 2、T-Sax、Bar-Sax、FlgHrn 2、Trp 2、Hrn 4、Trb 3、Euph 2、Tuba 2、Str-Bas、Timp、Perc 3、Harp」。
 音源の一部がこちらのサイトでダウンロードできます。
 楽譜はブレーンよりレンタル準備中。



喜歌劇「軽騎兵」序曲

 陸上自衛隊中央音楽隊委嘱。
 原曲はスッペの管弦楽のための序曲。
 「詩人と農夫」と全く同様の意図で行なったトランスクリプション(そもそもこの二曲は同時に編曲を委嘱された)。やはり「プロフェッショナルのための編曲」ということはかなり意識されており、トランペットとコルネットの同時使用やコーラングレ、アルトフルートの持ち替え、クラリネットの広い音域と替え指トリルの使用、と、かなり異色のトランスクリプションとなったのではないだろうか。練習に立ち会わせてもらったが、「絶対うちにしかできない」と何人もの隊員さんに言われた(私にとっては褒め言葉)。
 ところで、「詩人と農夫」と比較してみて面白かったのは、小編成→大編成で繰り返すほぼ同じ構造の部分があったことだ(有名なあの部分である)。最初は1パート1人、つまり金管9重奏(しかもトランペットはコルネットにしてしまう)にし、その直後にtuttiにする。この「落差」が実に気持ちよかった。
 2003年3月下旬に編曲し、同年7月に陸上自衛隊中央音楽隊の沖縄公演で初演。その後、龍谷大学学友会学術文化局吹奏楽部や大津シンフォニックバンドが演奏してくれている。演奏時間は約6分半。
 編成は「Pic、Fl 2 (2ndはA-Fl持替)、Ob 2(2ndはE-Hrn持替)、Bsn 2、C-Bsn、EsCl、Cl 6、Alt-Cl、B-Cl、Calt-Cl、S-Sax、A-Sax 2、T-Sax、Bar-Sax、Crnt 2、Trp 2、Hrn 4、Trb 3、Euph 2、Tuba 2、Str-Bas、Timp、Perc 3」。
 2007年に樋口孝博指揮の陸上自衛隊中央音楽隊により録音され、ブレーンからCDが発売された。その他、入手しづらいものだが武田晃指揮の陸上自衛隊中央音楽隊によるDVDや、大津シンフォニックバンドによるCDも販売されている。楽譜もブレーンよりレンタル。



喜歌劇「美しきガラテア」序曲

 龍谷大学学友会学術文化局吹奏楽部と、その音楽監督である若林義人氏のために献呈編曲。
 原曲はスッペの管弦楽のための序曲。
 これまでに行ったスッペの他の2曲の編曲と全く同様の意図で行なったトランスクリプション。かなり大編成で書かれており、前半の方にある弦の高音によって奏される部分の雰囲気を作るためにピアニカが3パート含まれている。
 龍谷大学の若林氏と知り合って日が浅かった頃、「編曲ものでやってみたい曲ってありますか?」と聞いたところ、即答されたのが、この曲だった。いつかプレゼントしよう、と思っていたある日、「これは」という機会が訪れる。結局、その機会は(幸いなことに)実現しなかったのだが、献呈は行うことができた。主義や主張のも大事だけれど、こうした編曲というのも、とても大切なものだと思う。
 2006年10月27日に完成し、同年12月23日に滋賀県立芸術劇場びわこホールで行われた龍谷大学学友会学術文化局吹奏楽部第33回定期演奏会において、若林義人指揮の同吹奏楽部により初演。演奏時間は約7分。
 編成は「Pic、Fl 3、Ob 2、Bsn 2、C-Bsn、EsCl、Cl 6、Alt-Cl、B-Cl、Cb-Cl、S-Sax、A-Sax 3、T-Sax、Bar-Sax、FlgHrn 2、Trp 2、Hrn 4、Trb 3、Euph 2、Tuba 2、Str-Bas、Perc 4、Harp (この他に、任意の奏者で最低3台の鍵盤ハーモニカが奏される)」。



行進曲「威風堂々」第一番

 龍谷大学学友会学術文化局吹奏楽部の委嘱編曲。
 原曲はエルガーの管弦楽のための行進曲。
 これまでに行なったスッペの編曲と同様の意図で行ったトランスクリプション。知名度が極めて高いこの作品、色々な編曲版があるものの、原調かつ極めて大編成のために書かれたものがない、ということだったので委嘱して頂いたもの。
 個人的には吹奏楽へのトランスクリプションを行なうことに、それほどの魅力は感じない素材なのだけれど、有名曲だけに演奏の需要も高く、それなりに必要なものなのだろう。
 この曲の最大のポイントは、トリオで初出する「希望と栄光の国」の旋律を、どのように処理するかだろう。この旋律は出てくる場面を「1:中間部前半/2:中間部後半/3:コーダ前半/4:コーダ後半」4つに分類することができる。オーケストレーションが薄い1はともかくとして、2〜4にどれだけの差異を付けられるか、が問題となる。ちなみに1と2はG-dur、3と4がD-dur。原曲では3はオルガンが足鍵盤だけ入り、4は更に手鍵盤が加わる。
 既存の編曲版では、この2〜4の音色・ディナミクスに差がない。むしろ、2が一番鳴っているものが多かったりする。これは調と楽器の音域の関係と、オルガンがないことに起因している。今回は、2〜4になるにつれて、段々と鳴るようにしていく(ただし2もそれなりに鳴る)ことを狙った。また、オルガンはオプションとしてスコアには記譜されているが、これがない状況で演奏しても原曲の壮麗な音響推移を再現できないものだろうか、と工夫してみた。
 個人的に、吹奏楽を「鳴らす」のはそれほど難しくないと思っている。しかし、本当の「吹奏楽のオーケストレーション」の上手さとは、その鳴らす度合いを加減・調整できるかどうか、だと思う。吹奏楽の曲は、バカみたいに大鳴らしするか、ソロとその伴奏のように極端に薄くして鳴らさないか、の「all or nothing」になっている場合がほとんどである。その中間を作り、音圧の推移を見せてくれる曲は、そんなに聴いた事がないように思う。「ある程度鳴らしつつも、その先にさらに上の大tuttiを創る」技術を、磨いてみたい、と今回のオーケストレーションに挑戦してみた。
 2007年11月20日に完成し、同年12月23日に滋賀県立芸術劇場びわこホールで行われた龍谷大学学友会学術文化局吹奏楽部第34回定期演奏会において、若林義人指揮の同吹奏楽部により初演。演奏時間は約6分30秒。2008年12月5日にレコーディング。楽譜はCAFUAよりレンタル。
 編成は、「Pic 2、Fl 3、Ob 2、Bsn 2、C-Bsn、EsCl、Cl 6、Alt-Cl、B-Cl、Cb-Cl、S-Sax、A-Sax 3、T-Sax、Bar-Sax、FlgHrn 2、Trp 2、Hrn 4、Trb 3、Euph 2、Tuba 2、Str-Bas、Perc 6、Harp 2、Org(option)」。



OH! E-DO DANCE 東京ラプソディ2004

 「大江戸舞祭」というイベントがある。毎年夏に東京で行なわれるもので、全国各地の、主に中学生によるダンスグループが「舞う」一種のお祭りである。そのダンス・ミュージックとして多く使われるのが、古賀政男の「東京ラプソディ」を高橋誠がヒップホップ調にアレンジした「OH! E-DO DANCE 東京ラプソディ2000」である。これを板橋区高島平地区が「吹奏楽の演奏で踊ってはどうか」と提案した。その編曲を担当し、「Wind Band remix」を作成することになったのが私である。
 経験としてポップス的な吹奏楽のスコア、というものも一回は書いておく必要があると感じていた。演奏するのが中学生、小編成(吹奏楽コンクールのB編成、という指定!)でも可能、重ねてカラオケ的に歌えるように、と、様々な条件が付けられたが、それでもなお非常に面白い経験であった。
 余談ながら、古賀政男記念館公認編曲ということになるそうな。武田晃/陸上自衛隊中央音楽隊により2004年6月18日に録音されており、CDと楽譜が大江戸ダンス実行委員会から販売されている(楽譜は100部限定)。公式な初演は、2004年9月4日に、東京都庁前都民広場において大東文化大学第一高等学校吹奏楽部による。



「三文オペラ」より

 福島県原町第二中学校吹奏楽部委嘱。「渡部謙一プロデュースによる21世紀のための新しい吹奏楽作品」企画による。
 原曲はクルト・ワイル(1900-1950)の「三文オペラ」。周知のように、「三文オペラ」は奇妙な編成(管楽器を主体とし、バンジョーやハルモニウムなども含む)のオーケストラを伴うオペラである。23のナンバーから成っており、特に出たがりの歌手のために間に合わせで書いた逸話でも知られる「マック・ザ・ナイフ」はジャズのスタンダードナンバーとしても定着している。このオペラはドイツの詩人・劇作家であるベルトルト・ブレヒト(1898-1956)が18世紀初頭のJ.ゲイ「乞食オペラ」(ペープシュ作曲)を基に現代風に翻案して新たに台本を作成したもの。このオペラは乞食や娼婦などの様々な下積みの人々と、警察権力とを対比させることによって社会的矛盾を暴きだす、という極めて社会性の強い作品である。このオペラからワイル自身が8つのナンバーを抜粋し、歌のパートを器楽に置き換え、楽曲の構成にも手を入れて管楽アンサンブルに編曲したのが「小さな三文音楽」として知られるものである。
 今回のアレンジで悩んだのは二点。
 まず一点は、この題材がはたして中学生にふさわしいものであるのか、ということだ。正直、この点は現時点でも疑問である。しかし、委嘱元の希望である以上、題材は従うことにした。数年後、生徒達が大人になったときに自分たちが演奏した音楽が本来はどういうものだったのか理解できたとき、新しい視点が獲得されるだろう。それはある種の「教育的意図」、なのかもしれない。これが正しいのかどうかは私には未だによく分からないのだけれど。
 二点目は、ワイルの意図が歪められてしまうのではないか、ということだ。終曲のコラールにはそれまでに登場していた奏者で参加していない者がいるし、オーケストレーションの交叉法も不十分だし、和音構成音の不均等配置も散見される。ワイルは敢えて「オペラ」というブルジョワジーの象徴の形態を、チープな響きがするように奇妙な楽器編成で(管の編成で書いたというよりも弦を省いたというのが正しい)、音の配置も鳴りにくいようにしているのである。これを大編成の吹奏楽に編曲することが果たしていいことなのであろうか。安易な編曲はやってはいけない気がする。悩んだ末に、逆に派手になるように手を加えて、その意図を逆照射することにした。結果として原曲にはない音がたくさん書いてあって、虚しいほどドラマティックに鳴る。いわば「豪華な三文音楽」なのである。
 曲は「三文オペラ」がベースになっており、「小さな三文音楽」は解釈の参考として参照した程度。「Ouvertüre (Nr.1)」→「Anstatt daß-Song (Nr.4)」→「Kanonensong (Nr. A7a)」→「Melodram (Nr.11)」→「Die Moritat von Mackie Messer (Nr.2)」→「Drittes Dreigroschenfinale (Nr.20)より冒頭とChoral」が切れ目無く演奏されるメドレーとなっている。実は「三文オペラ」と「小さな三文音楽」では同じ曲でもアーティキュレーションやフレージングが異なっている。また、ワイル自身の楽譜の書き込みは大雑把なもので、細かいところに疑問が残るものであった。そこで、様々な異版を比較検証しつつ、私の解釈を交えてアーティキュレーション等を定義しなおしている。
 完成は2005年5月10日。編曲作品としては初めて「作曲にあたっての新・編成組織方法の提案」を採用した。その編成は「Pic(1)、Fl(3)、Ob(1)、Bsn(1)、Cl(6)、B-Cl(1)、S-Sax(1)、A-Sax(2)、T-Sax(1)、Bar-Sax(1)、Trp(4)、F-Hrn(4)、Trb(4)、 Euph(2)、Tuba(2)、Str-B(1)、Perc(5)」《( )内は必要最低限人数》。
 この編曲を依頼され構想を練っていたのと同時期に、東京佼成ウインドオーケストラより第83回定期演奏会の解説執筆のご依頼を頂いた。その演奏曲目の中にワイル「小さな三文音楽」があり、図らずも思索を深化することになった。偶然、と言えばそこまでだが、この事には一種の運命のようなものも感じたものである。初演は2005年10月23日に原町市民文化会館・大ホールにて行われた原町第二中学校吹奏楽部・オータムコンサートにおいて(指揮:田代研一)。伊左治直氏によるその時の演奏会のレポートがバンドパワーに掲載されている。
 なお、この曲はuniversal社によって管理されており、同社より特別に許諾を得て編曲したものである。演奏するには特別な手続きが必要なため、演奏を検討される場合は事前に編曲者までメールにて問い合わせのこと。



ヘンリー・マンシーニ・メドレー/組曲

 「浜松国際管楽器アカデミー&フェスティヴァル」の委嘱。
 ヘンリー・マンシーニ(Henry Mancini)は1924年に生まれて1994年に没したアメリカの作曲家で、数多くの映画音楽やTVの音楽で知られている。ジュリアード音楽院で学んでおり、「ムーン・リバー」の他、「刑事コロンボ」のテーマなど、非常に有名な作品が多い。軍楽隊にいたこともあるなどもあって「華麗なるヒコーキ野郎」のマーチなどは吹奏楽の世界でもオリジナル作品と言ってもよいだろう。
 委嘱者と演奏者の要望により、そんなマンシーニの作品から幾つかを選んでメドレーとすることになった。初演のコンサートは、翌日から始まるマスター・クラスの講師陣によるものであり、いわば「お披露目」的な意味合いを持つ。故に、メドレーの中には各奏者に必ず一曲ずつ中心となって様々な演奏技術・表現を披露するものがある。マンシーニの作品にはスロー・バラードのものが少なくなく、なかなか「超絶技巧」と同居するのには難しいものがあったが、何とか違和感のないものに仕上げられたのではないかと思う。
 編曲に際して、マンシーニの作品のなかから約90曲の楽譜を入手し、全ての曲をピアノで弾いてみることから始めた。もちろん、聴いている人が知っている曲が中心であることも考慮せねばならず、「知名度」「音楽的に(私が)共感できるか」「編成に合っているのか」などの様々な条件と照らし合わせ、最終的に曲を選抜した。内訳は「Peter Gunn (邦題:ピーター・ガン)」、「Baby Elephant Walk (邦題:子象の行進 〜 ハタリ! より) Trb Solo」、「Breakfast at Tiffany's (邦題:ティファニーで朝食を) Trp2 Solo」、「Charade (邦題:シャレード) Hrn Solo」、「Theme from Love Story (邦題:ある愛の詩)」、「Loss of Love (邦題:ひまわり) Euph Solo」、「Day of Wine and Roses (邦題:酒とバラの日々) Trp1 Solo」、「The Pink Panther (邦題:ピンクの豹) Tuba Solo」、「The brothers go to Mothers (邦題なし 〜 ピーター・ガン より)」、「Who is Killing The Great Chefs of Europe (邦題:料理長殿、ご用心)」、「Dear Heart (邦題:ディア・ハート)」、「Moon River (邦題:ムーン・リバー 〜 ティファニーで朝食を より)」となっている。 ところで、これらの作品中、「ある愛の詩」は実はマンシーニの作曲ではなく、フランシス・レイの作曲したものである。この曲、マンシーニが編曲した盤がオリジナルのサントラ盤よりもヒットした逸話がある。故に「マンシーニのベスト盤」の中にも入っていることがよくある。そんな作品を敢えてメドレーの中の「ソロが連続する部分のちょうど真ん中」という位置に配したのは、ちょっとした悪戯。
 完成は2006年7月4日。演奏時間は約16分。初演は2006年7月27日にアクトシティ浜松中ホールにて行われた浜松国際管楽器アカデミー&フェスティヴァルのオープニング・コンサートにて。初演メンバーは、Tpの2人がロバート・サリバン(クリーヴランド管弦楽団副首席)、クリストファー・マーティン(シカゴ交響楽団首席)、Tbがトーマス・ホルヒ(バイエルン放送交響楽団首席)、Hrが山岸博(読売日本交響楽団ソロ首席)、Euphが外囿祥一郎(航空自衛隊航空中央音楽隊ソリスト)、Tubaがジーン・ポコーニー(シカゴ交響楽団首席)の各氏。

 その後、どうもメドレーは長い、ということで、各曲をバラバラにしてそれぞれ単独で演奏できるようにし、さらに上手なアマチュアであれば何とか演奏できるようにキューを付加するなどの改編を施した「ヘンリー・マンシーニ組曲」を作成した。この際、ほぼ全ての曲で前奏や後奏が書き加えられた他、いくつかの曲は全く新しく書き直されている。この組曲版は2007年2月28日に完成し、2007年5月4日に日本大学カザルスホールにて行われた「下倉楽器ドリームフェア・ブラスの響き」において初演された。そのときの演奏メンバーはTrpは辻本憲一(東京フィルハーモニー首席)、と長谷川智之、Hrnは森博文(東京フィルハーモニー首席)、Trbは箱山芳樹(日本フィルハーモニー首席)、Euphは外囿祥一郎(航空自衛隊航空中央音楽隊)、Tubaは池田幸弘(NHK交響楽団)の各氏。
 組曲版は2008年に組曲版初演メンバーで結成された「ブラス・ヘキサゴン」のデビュー・アルバムにレコーディングされ、キングレコードから発売された。その際、タイトルから「ヘンリー」を外し、「マンシーニ組曲」としている。楽譜は東京ハッスルコピーから販売。
 なお、レコーディングのときには、楽譜の数カ所の音を省略しているが、これは「よりスッキリした」効果を狙ったもの。随所にアドリブ指定があることからも分かるように、この編曲には奏者の創意工夫が多いに反映されてほしい、との願いがあり、このような処理もアプローチの一つとして許容されるものである。




平均律クラヴィーア曲集 第二巻から g-moll 前奏曲とフーガ

 J.S.バッハの「平均律クラヴィーア曲集」は、全2卷48曲から成る鍵盤楽器のための曲集で、ピアノ学習者を筆頭に、音楽を学ぶ全ての人にとって《聖典》と言える存在です。その中から、特に劇的な展開を見せるこの曲を編曲しました。
 原曲の楽譜には一切の強弱・発想記号は(時にはテンポ指定も)書かれておらず、演奏者が自分で和音の変化などから感じ取って表現しなければなりません。本当はそれが面白いところなのですが、今回は私が思う表現を、極端なまでに書き込んでみました。自分の解釈を大々的に公表するのは気恥ずかしくもあるのですが、一つのパラレル・ワールドとして楽しんでもらえればと思います。
(以上、プログラムノートより)

 バンドジャーナル(音楽之友社)の委嘱編曲。
 「何か付録用に編曲を」との依頼で、特に題材を指定されなかったが、編集部と相談の上、この曲を素材として選んでみた。もちろん個人的に大好きな曲であることもあったが、実に「吹奏楽に編曲したら面白いのでは」と思っていた曲であったからだ。
 前奏曲はオルガン・プレリュードを思わせる荘重な曲だが、オルガンと吹奏楽の共通性はよく指摘されること。合わないはずがない。音楽的にはmarcatoの箇所とdolceの箇所が和声的変化によって明確に対比されているのだが、これにオーケストレーションを施すことによって、より一層 表現の幅を加味してみた。これを練習することによって「音色の変化」の幅を広げてくれれば、と考えた。
 フーガはもちろん多声書法で書かれているため、管楽器の混ざらない音色で、さらに声部の独立性を高めることが出来る。加えてこのg-mollのフーガでは、時として協和的に並行進行することがあり、その《声部間の距離感》が付かず離れずの関係となっていて実に面白い。「立体的な音楽表現」の練習によいのではなかろうか。
 せっかくの付録楽譜。曲として面白いのももちろん、練習することで何か得るところが大きいものに出来れば、と考えたのが、上記のようなことである。難易度は比較的高めかもしれないが、時間のサイズも丁度良いことだし、コンクールの小編成部門での演奏曲なんかに適しているのではないか、と勝手に思っている。
 なお、前奏曲では、原曲は4/4拍子で書かれているが、この編曲では細かなリズムの違いを明確にするためと、アンサンブルを容易にするために、倍の音価で記譜している。
 また、フーガでは、主唱・答唱・対唱の箇所を明示し、アナリーゼの学習教材としての便も図っている。
 編成は、バンドジャーナル付録の標準的な「Fl(2)、Ob(opt)、Bsn(opt)、Cl(2)、B-Cl、A-Sax(1)、T-Sax(1)、Bar-Sax(1)、Trp(2)、F-Hrn(2)、Trb(2)、 Euph(1)、Tuba(1)、Str-B(opt)、Perc(3)」《( )内はパート数》という小編成で書かれている。
 完成は2009年3月31日。バンドジャーナル2009年6月号(5月10日発売)の付録楽譜として公表。初演は不明。演奏時間は約6分20秒。

 なお、付録楽譜には、下記の3点の誤りがあります。

 表紙の欧題:誤「Wohltemperterte」→正「Wohltemperierte」
 Cl 2およびTrp 2 前奏曲の 4小節目:誤「最後の拍が四分音符」→正「最後の拍は二分音符」
 String Bassパート譜 パート名:誤「Stromg」→正「String」

 また、付録楽譜についているQRコードから聴ける参考音源では音のミスが散見されますが、楽譜は正しく記されています。



国歌集

 キングレコード委嘱。
 キングレコードでは色々な国の国歌の吹奏楽版の録音を行なうことがある。公式な国歌の楽譜は自衛隊の音楽隊が所蔵しているのだが、新しい国などの場合は楽譜が存在しない場合がある。そんなときは新しく編曲をするのだが、それを私が担当させて頂いたことがある。
 一回目は2002年のサッカー・ワールドカップの際。「National Anthems of the World 2002」(KICS 940)というCDにはW杯出場国全ての国歌が収められているが、これのスロヴェニア、カメルーン、クロアチアの三国は私が編曲したものである(2002年1月編曲)。ちなみに決勝戦では陸上自衛隊中央音楽隊が国歌吹奏を行なうことになっていたので、これらの国が決勝まで勝ち残った場合はこれが使われることになったのだろうか・・・・・?
 二回目は2004年に発売された「最新版世界の国歌ベスト101」(KICW-8315〜6)に収録するために。これでは更にアルバニア、ウクライナ、ウズベキスタン、エストニア、ジンバブエ、パラオ、ブルキナ・ファソ、リトアニアの八国を追加編曲した(2003年9月編曲)。
 この仕事では何よりも大使館提供による現地の公式な吹奏楽の音や楽譜に多数触れることができたのが面白かった(編曲していない国に関しても音の修正などをした国が多くある)。
 録音の演奏はいずれも陸上自衛隊中央音楽隊による。



校歌・団体歌など

 こういう仕事をしていると、色々なところから校歌などの吹奏楽編曲を依頼されることがある。
 この種のものをやるときは、とにかく長い間使えるように「編成は極力一般的で、小さいもの(課題曲小編成)で書く」「でも、大きい編成でもできるように、オプションも入れる」「どんな実力の人でもある程度演奏できるような難易度で書く」「合唱があってもなくても成立する」「歴史や伝統、思い入れがある人も多いので、多少和声的に変だったりしても、基本的には変えず、オーケストレーションなどで誤摩化す」ということを念頭に置く。
 だが、それで効果的でないアレンジになっては、元も子もない。同じtuttiにしても、「TrpはユニゾンだがClはdiv」だとか、「Clはここまでは密集だが、ここから開離」など、ちょっとした工夫を凝らすだけで、全体の響きは変化に富む。意外とこうした経験の蓄積が重要なのだ、と思う。
 これまでに担当させて頂いたこの種の編曲は、下記の通り。

「佐賀県立武雄高等学校 校歌」(1996年)
「佐賀県武雄市立武雄中学校 校歌」(2005年)
「花のパノラマ・太陽の丘」(2006年、建田人成作曲、北海道遠軽町イメージソング、遠軽高等学校吹奏楽部により録音?)
「奥出雲町 町歌」(2007年、西村朗作曲、市町村合併により新しく制定)
「ふくしまをてのなかに」(2007年、新実徳英作曲、福島市制施行100周年記念曲、福島市記念CDの録音(試聴)あり)
「佐賀県武雄市立川登中学校 校歌」(2007年)
「滋賀県立大学 校歌」(2008年、細川俊夫作曲、2007年に新しく制定)





トップページに戻る