渡部謙一プロデュースによる
21世紀のための、新しい吹奏楽作品


シノプシス

 今や、情報量、演奏レヴェル、探求心等で世界の吹奏楽をリードする日本にあって、本当に音楽的に価値のあるものへの審美眼を持つ事に主眼がおかれているとは考えにくい。
 貪欲なまでのレパートリーの拡大は、一見毎年新しい発見が成されているようで、それは実は数10年前のアメリカで、すでに行われているものがほとんどであった(もちろんそうでない日本独自のものも少なくはないが)。ただ「かっこいいから」、「コンクールで勝てそうな盛り上がる曲だから」といった発想を完全に否定できるものではないが、もう少し観点をアカデミックなものにすべきではないかと考える。
 やはり、本当に質の高い、内容の濃い、音楽をレパートリーにしないで、本当の意味での吹奏楽の発展はありえない。という点で考えると、レパートリーの発展には、次の三つのコンセプトが必要であろうと考える。

・ 発掘   人の目に触れず埋もれている作品を掘り起し、温故知新的発想でその真価を人の目に触れさせる。
・ 再生 本来あるかたちとは違う形態にする事で、それまでにない新しい価値を見つける。
・ 創造  現代に生きる作曲家たちと協力し、新しい可能性を求めて作品を作る。

 現在行われている、いわゆる「アレンジ」は、この中の「再生」のカテゴリーに属するが、厳密に言うと少し外れている。それは、これまでの「アレンジ」もののほとんどが、原曲(ほとんどが二管編成以上のオーケストラ作品)の音楽に追従する事が主眼であるという点である。厳密に言えばこれはあくまで「トランスクリプション」であって、決して「アレンジ」ではない。(もちろん素晴らしいトランスクリプションも数多くあるわけだが)日本語には「編曲」という便利な言葉があり、良くも悪くも全てこの言葉に集約されるている。本当に必要なものは、吹奏楽の可能性を引き出すためには何が必要か、といった事を考えることである。ただ単にオーケストラのまねをするのではない、「吹奏楽」独自の音楽を構築するレパートリーが必要なのである。

 そこで、これから21世紀を迎え、更なる発展・展開を見るための新しいレパートリーが必要と考え、以下に掲げたレパートリーについてお考えいただきたいわけである。


トランスクリプション
(いわゆるオーケストラからの編曲)

〇ショスタコーヴィッチ
 交響曲第9番(全五楽章)      渡部編
 同1番
 同6番
 同10番
 オラトリオ「森の歌」
 歌劇「カテリーナ・イズマイロヴァ」より抜粋
    (福島県桜の聖母学院女子高等学校吹奏楽部により委嘱)
     渡部編
 バレー組曲第1番 全6楽章
    (福島県桜の聖母学院女子高等学校吹奏楽部により委嘱)
     渡部編
 同2〜4番
 同5番「ボルト」
 映画音楽「馬あぶ」組曲
    (福島県梁川交響吹奏楽団により委嘱)       渡部編
       ―――――――ショスタコーヴィッチの管弦楽曲は、基本的に全て渡部編

〇レスピーギ
 ローマの噴水                   田村編
 ローマの祭り より、10月祭後半、主顕祭     渡部編
    (宮城県立仙台向山高校、横浜バッカスブラスオーケストラ!、から委嘱)
 リュートのための古風な舞曲とアリア第2組曲より
    1.優雅なラウラ、2.パリの鐘、4.ベルガマスク舞曲
  新田 実編曲/渡部謙一改訂
    (山形県鶴岡市立第四中学校吹奏楽部より委嘱)
〇ラヴェル
 道化師の朝の歌           渡部編
 マ・メール・ロアから、パゴタの女王レドロネット・妖精の園     渡部編

〇アーサー・ブリス
 色彩交響曲(全4楽章。I・パープル、II・レッド、III・ブルー・IV・グリーン)     田村編

○パーシー・オルドリッジ・グレインジャー
 組曲「早わかり」 (I・到着ホームで歌う鼻歌、II・陽気な、しかし物足りなそうな、
             III・田園詩、IV・「ガムサッカーズ」マーチ)     渡部編

○マルコム・アーノルド
 キリスト降誕の仮面劇より「シメオンの歌」      小笠原伸二編 / 渡部校訂
 管弦楽組曲「スウィニートッド」            小笠原伸二編 / 渡部校訂
     (ともに青森県立三沢商業高等学校吹奏楽部への編曲)

○アーロン・コープランド
 「ダンスシンフォニー」より第3楽章    小笠原伸二編 / 渡部校訂
     (青森県立三沢商業高等学校吹奏楽部への編曲)


 編曲を行う際、よほどの事がない限り、原調をそのまま採用する。もともとの調の持つ色彩、温度、量感などを意図した上で作曲家が曲を書いているわけだから、それを無視し、単に吹奏楽がフラット系の楽器中心であるからと言って移調する事は言語道断である
調には調固有の色彩があるのだから―――ちょうど12長調が12種類のクレヨンであるかのように―――、その一色一色を使いこなせるようになる事が、真に演奏の基礎となる事であって、様々な音楽に触れ人間の情操を育むためには、必要不可欠な事である―――これこそ今の吹奏楽で一番足りない事である。


新しいレパートリーとして再生する必要のある、既存のトランスクリプション作品

〇リムスキー・コルサコフ/ウィンターボトム
 スペイン奇想曲

○ワーグナー
 「リエンツィ」序曲
 「タンホイザー」序曲、大行進曲

○ ボロディン
 「イーゴリ公」よりダッタン人の娘の踊り、ダッタン人の踊り

○ ショスタコーヴィッチ
 祝典序曲

○ ヴェルディ
 「運命の力」序曲

○ ロッシーニ
 序曲「セミラーミデ」
 序曲「アルジェのイタリア女」
 序曲「どろぼうかささぎ」
 序曲「ウィリアム・テル」

○モーツァルトの序曲
 歌劇「フィガロの結婚」序曲

 これらの作品は、イギリスの軍楽隊やアメリカの大学バンド全盛の頃トランスクリプションされたもののごく一例である。が、「吹奏楽で演奏しやすく」という、御都合主義的大前提のため原曲とはまったく異なった調―――端的にいえばB♭の楽器が「吹きやすい?」、♭や♯がせいぜい二つまでの調―――に移調されてしまい、本来持っていた響きの色、温度、重さ、等が完全に失われています。またこのような「けしからん」移調は、吹奏楽にとってかつては常識であったでしょうが、音楽の常道から見ればこんなに非常識な事はありません。(ピアノや弦楽器の人にこの話をしたら、大笑いされてしまいます。)よりフレキシブルな音楽作りの出来る演奏団体に成長するには、まずこういった愚かしいコンセプトを排除する事が必要です。

 また、「教育的見地」という見せ掛けの御都合主義のため、原曲に無い打楽器パートが追加されている事が多く、非常に興ざめさせられる事が多い。よほど効果的だと判断できる場合以外、これらのパートは削除、もしくは新たに書きかえるなどしなくてはならない。


アレンジメント
(弦楽器、ピアノ作品からのアレンジ)

〇ドビュッシー
 「海の微風と春の再来」(弦楽四重奏曲より終楽章)
               (富山県高岡市立伏木中学校により委嘱)
      田村編
 ピアノのための「映像」
 忘れられたイマージュ(映像)
 ピアノのための「エチュード」
 前奏曲集

〇プロコフィエフ
 ピアノ・ソナタ第7番「戦争ソナタ」          未定(田中もしくは渡部編)

〇ショスタコーヴィッチ
 弦楽四重奏曲             未定(田村もしくは田中、はたまたそれ以外)

○リスト
 メフィスト・ワルツ

○シューベルト
 弦楽五重奏曲ハ長調

○J.S.バッハ
 「バッハナール」〜〜〜「プレリュード変ホ長調」
    〜プレリュードとフーガ「聖アン」変ホ長調 BWV552より 
       (福島県原町市立第二中学校吹奏楽部による、
        福島県立福島東高等学校吹奏楽部により委嘱・改編版からの改訂・改名版)
  田村編

○R・シューマン
 「謝肉祭」
        (富山県高岡市立伏木中学校により委嘱)             田村編

○グリーグ
 「抒情小曲集」より(ver.A − アリエッタ、パック、追想)
          (ver.B − アリエッタ、パック、水夫の歌、ハリング)
        (富山県高岡市立伏木中学校により委嘱)
          中橋編


 このカテゴリーがこれから一番必要かつ重要になるものだと考えている。「トランスクリプション」ならば、(言葉は悪いが)誰でも出来るが、本当のアレンジメントをするには、専門の技術が必要である。そして、まったく異なった楽器の楽曲を編曲する事で、他の楽器の持つ固有の語法を学ぶことができ、ひいては管楽合奏自体の技術も向上するのである―――ちょうど外国語を学ぶことがその言葉の国の文化を知る第一歩であることと同じである。


 作編曲者陣   菅野由弘  田村文生  伊左治直  田中吉史  中橋愛生  渡部謙一   (敬称略)


オリジナル作品

〇田村文生 作曲作品
 令嬢アユ
 かわいい女
 アルプスの少女
 シャルロット〜グロテスクなもの (2000年度長野県立屋代高校より委嘱)

〇菅野由弘 作曲作品
 環状列石(オリジナル版、もしくはカット版のII

○ 伊左治直 作曲作品
 南蛮回路 (2001年3月完成予定)

 そしてもう一つ重要な事は、現代に生きる作曲家たちとのコラボレーションである。多様性の現代にあっても、音楽の歴史を作るのはやはり作曲家たちである。彼らの発想やイマジネーションの豊かさは、尊敬に値するものであり、未だアマチュア主導の吹奏楽の発展に、とりわけ必要なものである。


楽譜
 基本的には、楽譜ソフトウェア「フィナーレ」に入れたデータから、スコア、パート譜等を取り出す。「赤字」は既にデータ化済み。「緑字」は近日中にデータ化の予定。ともに貸し出しを行っている。詳細等は下記まで。


企画作成 問合せ窓口
渡部謙一(わたなべ けんいち)
 musikhus@d4.dion.ne.jp

渡部謙一(わたなべ けんいち) 略歴

山形県立米沢興譲館高等学校卒業。
1981年東京藝術大学音楽学部器楽科ユーフォニアム専攻入学。1985年同大学卒業。
第一回ヤマハ金管新人演奏会、NHK―FMフレッシュコンサート出演。
1987年、ロータリー財団奨学金を得て、アメリカのメリーランド大学大学院に留学。
1989年、同大学院修士課程修了。在学中、学内ウィンドアンサンブルの指揮者としての功績が認められて奨学金を得る。同年8月、レオナルド・ファルコーニ・ユーフォニアム国際コンクールで日本人初の第一位受賞。
同年9月、アメリカのイーストマン音楽院博士課程に進み、イーストマン・ウィンド・アンサンブル、イーストマン・ブラス・ギルドの主席ユーフォニアム奏者として、主席としての奨学金を得る。
1994年、デンマーク王国政府給費奨学生として、コペンハーゲンの王立音楽アカデミーに留学。日本人金管楽器奏者としてははじめて北欧に進出し、ヨーロッパ吹奏楽選手権のチャンピオンである、デンマーク・コンサート・バンドの主席奏者として活躍する。

現在、ピアニストである夫人とのデュオ活動のほか、日本各地の吹奏楽団と共演するなど、まだまだ認知度が高いとは言えないユーフォニアムという楽器を広く世に知らしめるため、新しいレパートリーを開拓し、多くの作品を初演する。
また、吹奏楽の指導者として、1997年にアマチュア吹奏楽の最高峰である、ヤマハ吹奏楽団の常任指揮者に就任。1999年12月に退任後も、現代作曲家に吹奏楽作品を委嘱・初演するなどして、吹奏楽の世界においても新しい音楽の世界を開きつづけている。その後、ヤマハ吹奏楽団より名誉指揮者の称号を受ける。

演奏や指導のほかにも、各吹奏楽関係誌にさまざまな記事を執筆。特に、デンマークでの生活を語った連載エッセイ「アンデルセン通信」(月刊バンド・ジャーナル、音楽の友社刊。1995年4月号〜1996年3月号)は、日本人には馴染みの少ない北欧の社会を紹介する意味で、多くの人たちの興味をひいた。

さらに、外来管楽器奏者の通訳のスペシャリストとして、そして外国版CDの解説書の翻訳なども手懸け、そのユニークな訳はつとに知られている。




 以上は、渡部先生の御厚意により転載させていただいたものです。どうもありがとうございました!!
 また、ご尽力頂いた、吹奏楽情報メールマガジン管理者のまさ様、どうもありがとうございました!!



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