アレンジと吹奏楽 利点


 吹奏楽はアレンジを演奏することが実に多い。オリジナル作品(初めから吹奏楽により演奏されることを前提とした音楽作品のことをこのように呼ぶ)よりも編曲モノのほうがいっぱい出版されているのでは、と思ってしまうほどだ。 Bachのオルガン曲から、三善晃のオーケストラ曲まで、もうほとんど信じられないものまで編曲し、演奏している。

 編曲されて原曲よりすばらしくなるということは、オケを編曲したものでは困難だろうが、室内楽のアレンジくらいだったら十分ありえることではなかろうか(これらについては項を改めたい)。
 編曲することに関してはデメリットのほうならいくらでもあげられそうだが、今回はあえてメリットのほうをあげてみよう。

 まず、音楽的内容(構成など)の高いものを演奏することができる、という点があるだろう。前にも書いたように吹奏楽は歴史が浅い。加えて、現在作られている吹奏楽曲の音楽的な質は残念ながらそんなに高いものではない。過去の吹奏楽コンクールの課題曲の作曲者のなかに正規の作曲法を師事した人がどれほどいるだろうか(決して、習わなかったからダメ、とか、習ったからいい、とかではなく、「習った人(=音楽的知識、基礎能力を持つ作曲家)の目がいかに吹奏楽のほうを向いていないか」ということに注目したい)。  そのように、「程度の高い音楽」に触れる機会を得るにはアレンジはもっともてっとり早い形だと思われる。

 次に、隠れた名曲の発掘ができる、ということがある。レスピーギの「教会のステンドグラス」などがいい例である。この曲は(というよりレスピーギという作曲家が、だが)オーケストラ作品としてはそれほど音楽的な底は深くないのではあるが、通俗的なローマ三部作よりはよくできていると私は個人的に思っている。この曲が広く知られるようになったのは、吹奏楽が編曲して演奏するようになったから、と言ってもいいだろう。オケよりもレパートリーに融通の利く吹奏楽ならではの現象だと思われる。

 だが、それらよりも何といっても最大のメリットは「機能和声で書かれた作品を演奏できる」ということに尽きる。前項で書いた通り、吹奏楽はその成立年代の関係で、もはや機能和声が崩壊の道を歩み始めた以降の作品が大半をしめている。現在作られているスクールバンド向けの作品群も、実は機能和声には則っていないものが多い(ドミナントが短三和音化する「アメリカ5度」などのポップス的手法や、ロマン派の「和音の独立性格の利用」などで書かれた作品が多い。誤解している人が多いが「調性音楽=機能和声音楽」ではないのだ)。基礎となる機能和声による音楽を演奏してその感覚を身につけるには、古典派の音楽をアレンジして演奏するのが手頃なのである(しかし実際にそれが行われているのを私はあまり聞いたことがないのだが)。

 「アレンジはよくない」という声や、「自分のやりたいものを演奏してどこが悪い」という声をどちらもよく聞くが、それはどちらも正しいと言える。だが、いずれにせよ自分の演奏行為にどのような意味があるかを問い続けることが大事であろう。
 

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