アレンジと吹奏楽 欠点

 繰り返しになるが、吹奏楽はそのオリジナル作品の数の少なさゆえか、多数の、他形態からの作品をアレンジして演奏することが多い。
 近年の吹奏楽コンクールにおいても、全国大会出場団体の自由曲はオーケストラの編曲物である場合が多い。 人気なのはレスピーギ、ラヴェル、オルフ、アーノルド、三善晃、矢代秋雄といったところだろうか。
 しかし、私としてはこれらのアレンジ作品を演奏することがいいことなのかは大いに疑問に感じている。 その理由をいくつか挙げてみよう。
1、作品の意図を殺している
 作曲家は曲を作る際、編成を決めるにあたって大変頭を悩ませるものだ。室内楽などは言うまでもなく、オケの場合でも2管・3管にするか、ピアノやハープをいれるか、この楽器は果たして必要なのか、などと色々なことを細かく考える。このことが曲全体の色彩感に大きく影響してくるからである。
 こうして練りに練られた編成は、通常、オーケストラにあっては厳格に守られ、そこにただ一人の追加・割愛は許されない。編成自体に明確な人数指定が設けられない吹奏楽とはわけが違う。即ち、オケ作品を吹奏楽でやることは作曲者の意図した色彩感をまるっきり無視してやることに他ならず、これほど作曲家をバカにした行為はない。 弦楽四重奏曲を弦楽合奏で演奏することはまずありえないだろう。それと同じだ。
 一回聴き比べただけでこのことがよくわかる例としては、R.コルサコフの「シェエラザード」のオケ版と吹奏楽版を聴き比べてみるとよいだろう。

2、作品の印象が歪められて伝えられる
 アレンジ物を演奏するときに、「それがアレンジである」と認識しないで演奏することがあるようだ。その結果その作品のイメージがかなり歪んだ形で刷り込まれる、ということになってしまう場合がある。
 これは例を挙げたほうが分かりやすい。 お題は私自身も馴染みのある、オルフの「カルミナ・ブラーナ」にしよう。以下に書かれていることをあなたは全て知った上で吹奏楽版を聞いているだろうか?
 「カルミナ・ブラーナ」は正しくはオケ曲ですらない。「オーケストラ伴奏つきの声楽曲」だ。タイトルにも「世俗カンタータ」とある。 この作品は「トリオンフィ三部作」と呼ばれる作品群の一曲目で、三作を通じてある男性と女性の姿を描いている。一曲目の「カルミナ・ブラーナ」で男女の出会いを、二曲目の「カトゥリ・カルミナ」で男女の疑惑を、三曲目の「アフロディテの勝利」で男女の結婚を歌っているのだ。  私としては、その歌詞の内容を考えると、とても中学生には演奏させるべき内容ではないと思えてしかたないのだが・・・・・
 まぁ、トリオンフィを全曲調べ上げろ、とは言わないが、世の中にはカルミナが声楽曲だ、と知らないで演奏している人は意外に多いのだ。

3、オリジナル作品の普及を妨げる
 アレンジされるものは、えてして名曲とよばれるものが多い。それに比べると、吹奏楽のオリジナル作品には、あまり構成的に優れているものがない(三部形式に捕らわれ過ぎてるような気がする)。定期演奏会などで並べて演奏されるとどうしても見劣りしてしまいがちだ。だから、演奏する側としてもそちらにひかれてしまうのは、ある意味しかたがないのかもしれない。しかしながら、名曲とは多くの作品が演奏された末に残ったものがそう呼ばれるのであり、新しい作品を演奏することを蔑ろにしていては、新しい名曲は永遠に生まれることがないのである。

 
 結局のところ、アレンジはいいことだとは思えないのだが、オリジナル作品にそれに匹敵するだけの曲が少ないのがアレンジ全盛の一因となってるような気がする(もっとも、存在はするのだが、あまり知られていないということも挙げられる)。
 もっと作曲家も頑張らないといけないのだろう。音大作曲科の学生の吹奏楽に対する認識、今後の吹奏楽作曲家へ対する提言などは、項を改めて書きたいと思う。
 他にもこれに関連して付きまとうカットなどの問題もあるが、これについても項を改めたい。


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