吹奏楽に期すること

 これまで書いてきた内容は、「現在の吹奏楽に対する不満」が中心だった。そこで今回は「吹奏楽だからこそ」未来に期待することを書いてみたいと思う。
○オケと違い過去に縛られない
 吹奏楽にはいわゆる「古典」というものがない。一見これは不利なようにも見えるが、逆に言うと「常に新しいものが受け入れられやすい」ということでもある。オーケストラの演奏会を考えてみると、Mozart、Beethovenなどの「名曲」があるがゆえに演奏会はそれを中心としたプログラムが組まれているように見える。だからいわゆる「現代音楽」はそれの前座などとして演奏される事が多いし、現代音楽オンリーの演奏会は特定の聴衆しか来ていない。
 吹奏楽は違う。演奏曲目によってお客様の数が大きく左右されることは少ないだろう。また、比較的現代的な曲が多いので現代音楽も割とすんなり入っていける(YAMAHA吹奏楽団浜松の定期演奏会が好例だ)。
 未来への展望がオーケストラよりも開けていると思えるので、作曲家の立場としても現代音楽を発表する絶好の場所となり得るだろう。

○若い人達に接する機会が多い
 これは後日書こうと思っている「教育と吹奏楽」に密接に関わってくることなので今回は簡単に書いておこう。
 日本の吹奏楽の中心といっても過言ではないスクールバンドの活動というのは、中学生・高校生の人達に「みんなと一つのものを創り上げる喜び」を知ってもらういい場だ。合唱と違い大きく幾つかにしか役割分担をしないわけでなく、オーケストラのように弦楽器に管楽器が追従するという主従関係もない。このようなことを若いうちに身体で感じることができる数少ない機会である。
 教育的なことに関しては後日もっといっぱい書くとして、今回は音楽界からの立場で言わせてもらおう。 若いうちに音楽(芸術としての、ポップスとは違う種類の楽しみ)に親しみを持ってもらうことによって世界の音楽人口を増やせるのではないか、という望みを持っている。現代音楽にも小さいうちから親しんでいれば抵抗なく受け入れられるのでは・・・・・という現代音楽作曲家としての淡い期待も抱いているのだが。
 


 音楽(芸術)をやる以上「新しいことがやれるか」ということと「誰かのためにやれるか(自分のため、も含む)」ということは大きな問題だ。吹奏楽はこの2点のみで言うとオーケストラよりもやりやすいと言えるのではないか(ポピュラリティーは別として)。

 最後に、蛇足となるがなぜ私が作曲家を目指しているか、ということを書いておこう。
 私はかつてトロンボーン吹きだった。毎日毎日部活でみんなと馬鹿をやりながら演奏活動をやっているのがとても幸せだった。 ところがある日、肺を病んだ私は楽器を吹けない身体になってしまった。それまでみんなとやっていたこと、一緒に一つの音楽という世界を創る、ということが奪われてしまった。みんなと一緒にやることができないことの恐ろしさ。それを知ったとき初めてその尊さを知った。 それで、私は「多くの人が一堂に会して一つのものを創る事のできるフィールド」を提供できるようになりたい、と思い作曲家になろうと決めた。
 現代音楽を好むのは、古典音楽(調性音楽)に見られる主従関係(旋律と伴奏、低音と和声構成音など)が嫌だったからだ。全ての音(つまり演奏している一人一人が)が平等な世界を創りたいのだ。
 「音楽を専門に勉強すると面白くなくなる」・・・・・事実かもしれない。そして、なにも難しいことは考えず、楽しんでやれることが一番に決まっていよう。だが、楽しんでやったら結果としてアカデミックなものになっていたらもっと素敵ではないだろうか? それには「そのような」曲(場)を提供する人が必要なのだ。そしてその役を担うのが作曲家である。 作曲家一人が犠牲になることで演奏する人達が音楽の楽しみを知ってもらえれば、と思う。



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