カットについて

 アレンジとならんで深刻な問題、「カット」について今回は書いてみたい。
 カットは、主にコンクールにおいて、「課題曲、自由曲あわせて12分」という時間制限があるために行われるものだ。課題曲はマーチの年は約4分、マーチ以外の年は約6分なので、自由曲はそれぞれ7.5分、5.5分位にしないといけなければならない。ところが、大抵の楽曲というものは8〜12分の長さ(現代オーケストラ曲では一曲20分が普通)を持っているため、どうしてもカット、ということになってしまいがちだ。
 ところが、「カット」ということは作曲家から見ればアレンジ(トランスクリプション)よりもはるかに「やられて欲しくない」ことだ。「いらない」と思う部分は校正の段階で容赦なく削った結果として曲は存在するのであり、曲の流れとして全ての部分は「必要かつ必然」として存在しているはず(一部作曲屋を除く)だからだ。 ある作曲家がコンクールの審査員をやっているときに自由曲として自分の曲が「めためたに」カットされたのを聞いて、あまりのことに以降の審査ができなくなった、という話もあるくらいだ。

 カットにも二種類在る。「一曲のうちの部分を省略する」パターンと、「楽章物、組曲物、ヴァリエーション物をブロック単位で抜き取る」パターンだ。時には二つを組み合わせることもある。 それぞれについて見てみよう。


●一曲のうちの部分を省略するパターン
 いきなり個人的で申し訳ないが、私なら「死んでもやらない」パターンだ。理由は前述したとおり。例えば交響詩などの場合「音楽を物語として」考えてみれば「おかしいことだらけ」であることは、すぐにわかると思うのだが・・・・・ 例えば、理不尽に処刑される「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」(R.シュトラウス)、いつのまにかワープしている「アルプス交響曲」(R.シュトラウス)、13の受難のはずが数字がおかしい「ぐるりよざ」(伊藤康英)、発車したはいいが駅に到達しなかった「ゴーストトレイン」(ウィテカー)、などなど・・・・・。 物語性以外でも「構成的に」おかしいものもある。提示しないのに展開する主題などは、形式を重んじる交響曲などでは決してあってはならないことだ。地方のコンクール県大会などでよく見られるパターンで、「大草原の歌」(R.ミッチェル)や「ノヴェナ」(J.スウェアリンジェン)などの前半のゆっくりした部分をカットする、という荒業をよくみかける。が、これは「呈示のない展開」ですので、音楽的には演奏された部分に脈絡がなくなっている。
 このように、曲の「派手な部分」のみを取り出して演奏することは、喩えて言うなら「映画のハイライト」を見せられるのによく似ている。確かに「映像としては」見た目がいいのだが、ハイライトを見たからといって内容はさっぱり知ることができない。逆に言うなら「ハイライトに内容は無い」とも言える。そこまでの過程があるからこそ名場面が映える、全体があるからこそ作品としての内容が生まれるものだ。 同じく「内容の無い見せかけだけの演奏」なんて聞きたくもない。
 コンクールだからしかたない、と言うかもしれないが、それは違う。「コンクールだから」こそ内容のある演奏、音楽的内容のある演奏を心がけるべきなのだ。あんな演奏ばかりしてるから「吹奏楽は表層的な演奏効果しか求めておらず、やかましいだけだ」と言われるのだ。


●ブロック単位で抜き取るもの
 これは比較的良心的といえるだろう。組曲にしても楽章物にしても、それぞれが独立していることは珍しいことではないので、単一で演奏されてもそんなに問題は無いことがありえる。 が、その場合でもきちんと調べておいたほうが無難だ。
 例えば、「指輪物語」(J.d.メエイ)の最終楽章「ホビットたち」なんかは単独では演奏できないはずだ。最後のほうで全楽章のテーマを回想するのだから。やってもいない曲を回想するのは、どうも作曲家の意図した劇的効果からはほど遠いのではなかろうか。
 他にも、ヴァリエーションもので、テーマ楽章を抜いてしまうなんてことはあってはならないし、各varが連続している場合や、各曲の調関係なんかも注意しなくてはならない。
 あと、なんといっても組曲物では「各曲同士の関連性」というものには注意が必要だ。「これをやったら必ずこれをやらなければならない」といったものが存在することがあるからだ。 カルミナブラーナで、過去のコンクールでの実例をあげ、検証してみよう。 (入り口 →ここをクリック


 カットをするのは、コンクールの時間に見合った曲がないから、というのも理由の一つに確実にあるだろうが、よく探せばもっとあるはずだ。 どうしても、というのなら、せめて「カットした」ということを明記してほしい。タイトルに『「○○」より』と書くだけでもいい。知名度の低い曲だと、それを全曲だと思ってしまうからだ。「構成的に変」だとして作曲家の名誉を傷つけることにも繋がりかねないことを知っておいてもらいたい。




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