真に吹奏楽が音楽界に認められるには


 吹奏楽が広く一般の音楽ファンに認められるには? ・・・・・「アレンジをやめよう!」、「カットはしない!」、「コンクール至上主義はダメ!」

 これらは今まで散々言われてきたことだし、このページでも度々触れてきたことだ。しかし、現実にはどうか。それこそ私の生まれる以前から言われつづけてきたこの問題、同じ事を言い続けて来て、それでいて何か変わっただろうか?
 今現在言いたいことは、このようなことではない。これまでとは全く異なった改善策が必要なのだ。

 いきなり結論から入ろう。「吹奏楽は常にアマチュアを意識し過ぎている」ということが問題なのだ。 コンクール仕様の選曲のされたCD、有名吹奏楽部のCDが中心のレコード業界。アマチュアが細部を認識できるように速度をゆっくりめに設定して演奏するプロの吹奏楽団。 作曲家に委嘱する段階で「音楽的・技巧的に難解でないものを」と制約を加える(アマチュアが演奏できるように、ということに他ならない)出版社。 アマチュアでも演奏できるように、と技巧的に難しくないようにと考える作曲家・・・・・ それらの結集したCDなり演奏会なりを、耳の肥えた吹奏楽ファン以外の音楽愛好家が聴いて楽しめるだろうか?
 現在の吹奏楽界、その全てが吹奏楽だけで完結してしまっていることがそもそもの原因である。演奏者が吹奏楽関係者であるのは当然としても「聴衆=他の吹奏楽団の団員」という図式が当然のように成り立っていることが恐ろしい。下手をするとこれに「作曲家=吹奏楽愛好家」というものも加わりかねない。 とにかく内輪で全てが完結し、厳しい外部の批判にさらされて磨き上げられていくことがない、というのが大問題なのだ。アマチュアの演奏会をアマチュアの人が聴いたとき、それを誉めはすれ批評することはしないだろう。
 話がそれた。何が言いたいかというと、批評にさらされ、それによって洗練されていくべき吹奏楽演奏団体、すなわちプロの活動が全ての鍵を握る、ということだ。極端な話、アマチュアの活動はいわゆる「音楽評論家」という人たちには全く興味を持たれないのだ。プロの活動こそを「評論家」が聴いて、その批評を音楽雑誌などに掲載し、一般の音楽ファンの知るところとなるのである。

 音楽史的な歴史の浅い吹奏楽。いかに過去の巨匠達による吹奏楽作品が皆無ではないとは言っても、吹奏楽作品がその作曲家の他の代表作と比べて内容的に勝っていると断言できる人は残念ながら一人もいないと言ってもいい。 それならば、この分野が注目を集めるには「これまでに(音楽界全体に)なかった革新的なサウンド」を強烈にアピールするのが一番有効であると考えられる。マンネリ化した管弦楽や室内楽のサウンドに満ちたクラシック音楽界(現代音楽を含む)に新しい響きを持ちこむことができるのは、吹奏楽とマンドリン、電子音楽くらいなものだろう。そして、それを実行するにはアマチュアではなくプロでなければ不可能なのだ。
 アマチュアとプロとの違い、それは別に「音楽性」ということではない。ある一つの旋律線を歌い上げる能力なら、アマチュアの人のほうがプロよりも勝っていることは少なくない。 決定的な違い、それは「演奏技巧」だろう。細かいパッセージ、というのもあるが、「重音奏法」や「フラジオレット」、「ポルタメント」などの様々な特殊な技巧などにおいてその差が顕著になる。例えば、木管楽器における「四分音」の指遣い、なんてのを研究したことのあるアマチュア奏者はどれほどいるだろうか?(口だけで変えるのではなく、きちんと四分音用のフィンガリングは存在するのだ)
 現在の作曲家は吹奏楽作品を書くときに「アマチュアが演奏する」ということが無意識の内に引っかかって特殊な音響を用いていないのではないだろうか。もしもこのリミッターを外して構想し、それをきちんと実際の音とすることが出来たとき、おそらくこれまで誰も聴いたことが無いような新しい音響世界を構築することができるはずだ。
 管弦楽でも表現できない、吹奏楽だけでしか得られないサウンド。可能性は無限にある。 例えば5人のSax奏者で創られた5通りの重音奏法と10人以上のCl奏者で創った重音奏法とをグラデーションで変化させてみる。 オーケストラでは聞こえないので殆ど用いられることがないFlのホイッスルトーンを、大勢のFlで一斉にやってみる。 通常オーケストラでは3人ずつしかいないTp.とTb.だが、吹奏楽ではかなりの人数となるので、それで微分音によるトーンクラスターを創ってみる。 それらをライヴエレクトロニクスを用いて空間的・時間的に歪めてみる・・・・・などなど。 無論、むやみに面白いサウンドを並べて喜ぶだけではただのアホなのだが。
 吹奏楽は新しい表現領域を無限に持っている。それを作曲家が想定し、プロの演奏団体が創出することで評論家の注目を集め、そのことによって多くの音楽ファン(吹奏楽関係のみならず!)に認めてもらうことができるのでは、と考えている。

 さて、ここで一つ注意だが、私が言いたいのは「アマチュアを無視しろ」ということではない。いまさら言うまでもなく、吹奏楽の他の音楽分野に無い長所としての「アマチュアの盛んな活動」というのがあるし、現在の(そしておそらくこれからも)吹奏楽の中心はアマチュアにあるのだ。 管弦楽よりも容易に「合奏する歓び」が見出せるし、それ用の曲もオーケストラ曲よりもはるかに多彩。アマチュアがさかんなお陰で実に多様なジャンルの演奏が違和感なく融合されている(もちろんいい意味で)。
 おそらく、このまま放っておいてもアマチュア向けの曲は産まれ続けていくだろうし、多くの人達がそれによって音楽(吹奏楽、のみならず)の喜びに触れていくことができるだろう。 だから、そのような流れを保ちながら(もしくは活性化させながら)新たな方向に拡張していければよいと考えている。
 合唱の例を見てみよう。湯浅譲二「芭蕉の俳句によるプロジェクション」や、間宮芳生「合唱のためのコンポジション」などのような、極めて現代的な音楽が生まれている。しかし、それによって学校やアマチュア合唱団の活動が弱まった、なんてことはないはずだ。より広い視野で音楽を見据えることが今の吹奏楽に決定的に欠けている点なのだ。
 アマチュアを中心に見据えた方法で、吹奏楽を広く一般に認めさせる方法もある。それは、逆に「アマチュアでも容易に表現できる非常に高度な現代音楽」を多数生み出すことだ。単純な反復とそのズレによって新しい表現領域を創り出したスティーブ・ライヒ、単純さ・調性と現代性を巧みに融合させたアルヴォ・ペルト、それらの延長線上(?)とでも言おうか。 現在の多少現代的と思われている吹奏楽曲は中途半端に現代なのだ。 「アマチュアでもここまでの前衛的な音楽がやれるのか!」という驚きでもって注目を集めることもできるはずなのだ。 もっとも、それは作曲家の腕次第、ということになるのだが。



戻る