作曲にあたっての新・編成組織方法の提案


 さて、これまでにも幾度となく書いてきたが、「吹奏楽」と「弦ぬきオケ」との決定的な違いはなんだろうか。それはべつに「Saxが入っている」とか「サクソルン属が豊富」とか、そういったことではない。それらが入ったオーケストラ作品もあるのだから。 では、どこか。しつこいようだが、それは「本来1パート1人だった管のパートに複数人数が割り当てられている」という点だと考えている。私のいうところの「没個性音色」(悪い意味ではない)だ。 それを生かした曲こそが真の「吹奏楽独自の」演奏効果を引き出せるだろう。
 ところが、手近な吹奏楽曲のスコアを見てみると、ちょっと不思議な点に気が付く。ほとんどの曲のパート割りをみると、いわゆる「オーケストラの三(四)管編成」で書かれているのだ。たまにdivされることはあるが、アンサンブルは基本的にこのスタイルから大きく逸脱することなく進んでいく。そこになにかしらの意味が感じられればいい(没個性的であることの必然性)のだが、ほとんどそのようなことはなく、むしろ「弦ぬきオケSax入り」(=ウインドアンサンブル様式?)で演奏したほうがはるかに効果的な場合がほとんどだ。
 吹奏楽がこのオーケストラのスタイルに迎合する必要があるのだろうか?そんなことはないはずだ。むしろ、大きく異なったパート割りをすることで、はっきりとその独自性を主張するべきだろう。
 クラリネットを例に考えてみよう。バンドに12人クラリネットがいたとする。それを3パートに割り振ることにあまり意味は感じられない。ClはオーケストラのVnのような役割りを果たす、とよく言われるが、それならば12分割くらいしてもなんら問題ないはずだ(オケのVnは1st、2ndあわせて22以上分割されることも稀ではない)。
 なぜ吹奏楽が「ごちゃごちゃした音」とよく言われるのか。それはひとえに「無駄に存在するものが多い」からではないだろうか。合奏において管楽器の人数が多いのは決して短所ではない。それを無意味に重ねるから短所となるのだ。あらゆる意味でオーケストラの呪縛から逃れることが吹奏楽の明日につながるのだと思う。

 では、具体的にどうすればいいのか。吹奏楽にはこれといって決まった編成、人数規定がないのが現状である。音量のバランスなどを考えるときに、作曲家にとって一番問題となるのがここではないだろうか。 現在は「小人数編成の提案」という動きがあるが、あれはスクールバンドの活動における救済措置のような感があるし、それならば弦抜きオケの方が適していると考えられるので、このページでは大編成吹奏楽のパート割りを考えることにする。 (注:小人数編成の考えは、もう一つの吹奏楽の可能性を示すものであり、私も賛同するところである。この考え方を進めていくのもとても大事なことなのだが、多くの作曲家や連盟側がすでに実践に取りかかっているので、ここでは逆のサイド、「大編成の独自の吹奏楽という形態を推し進める」という見方から考えたいと思う)

 まず、分割するにせよ、バランスを考えるにせよ、人数が定まらないことにはどうしようもない。最初は、「委嘱団体に合わせた編成にし、再演を他の団体が行う場合にはそれを遵守しなければならない」という、いわば「委嘱団体特権論」というのも考えた。しかし、これはあまりにも非現実的すぎる。バンドによる人数の違いは想像以上に大きいのだ。 そこで、改定案として次のようなものを考えてみた。

  1. まず、「演奏に際して必要最低限の人数」というものを規定。アンサンブルの中核となる人数である。楽器別の人数比やその規模などは、曲の性質や傾向、委嘱団体の特徴などによって多少左右されてもいいだろう。しかし、一般的な吹奏楽団の編成の範囲を越えないことが前提となる。

  2. 作曲を行うにあたっては、規定された人数で可能な範囲内で分割・統合を行う。そして、「明確に何人で演奏すること」と指定された部分と、「その楽器全員で(自由にdivまたはunisで)演奏すること」と指定された部分とをはっきり明示する。これにより、大事な箇所のバランスをとることが容易となるし、より複雑な構造を造ることもできるようになる。基本的に、オーケストラにおける「アシ」の考え方に近いといえるかもしれない。

  3. いわゆるoptionalと呼ばれる楽器群(所持していない楽団が多いと思われる楽器。Alto.ClやBsnなど)については、必要最低限人数の段階でどうしても入れたい場合はその旨を明記、大事な部分では他の楽器にカゲ譜を入れておくようにしたほうが望ましいだろう。必要最低限人数の規定の段階で入れていなかった場合でも、optionalパートとして書いておいた方が、再演された場合にアンサンブルが想定したものと大きく異なる結果となるのを防ぐことができるだろう。少なくとも「小編成用に書いた曲の大編成版を改訂版として出す」なんて、自己矛盾に満ちた、演奏してくれた団体を裏切るような行為はなくなるはずだ。


 と、まぁ、以上のようなことを考案してみたのだが、いかがなものだろうか。ベースとなっているのはオーケストラにおける弦楽器の運用法。彼らが自由に人数を増減させて演奏しているのにヒントを得た。 メリットとしては、「バランスが想定しやすくなる」、「いわゆる三管編成の呪縛から逃れることができる」などがある。 難しいのは、「中核となる人数」から漏れた人達があまりにも補佐的な役割に終始してしまいがちになることが予想される点だろう。それはもう、作曲家の腕によるとしか言いようが無いのだが、逆に「規定された人数でしか曲が構成できない(ソロ的にしか扱えない)ようなら、吹奏楽の長所を生かしきれていない」とも言えるのではないだろうか。テュッティの大迫力と室内楽の細やかさが同居した、新しいスタイルの吹奏楽曲の誕生を期待したいものだ。
 ところで、この方式には一つ致命的な欠点がある。それは、一つの楽器あたりのパート譜のページ数が膨大なものとなってしまい出版に際しての経費が高くなる、ということだ。だから、スコア単体で発売する、という全音出版社のような出版形態が普及することも大事なことなのだと思う。



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